投稿者「code」のアーカイブ

スリランカ東部からの武力衝突報告

コロンボ
スリランカの問題を抱える東部州で、3つの別件の銃撃事件で2人が死亡し、他に3人が負傷した、と防衛当局が金曜日に述べた。
トリンコマリ県マヒンダプラで脱党者カルナグループのメンバーによってタミルイーラム解放の虎(LTTE)の主流グループに属するメンバーは、金曜午前2時(2000 GMT)頃、主流派メンバーが通行止めをしている道路上で撃ち殺された。
木曜午後9時ごろ(1500 GMT)に、大多数のシンハラコミュニティに属する民間人3人が正体不明のグループによって、シンハラ人有力地域であるデヒアッタカンディで発砲され、負傷した。
第3の出来事では、タミール・タイガーグループのライバルに属する者が、金曜日の現地時間午前7時ごろ(0100 GMT)に主流派タイガーによってカタンクディの東部の町で撃ち殺された。
警察によると、撃ち殺された時、彼はバスで旅行中だったと言う。
LTTEの東部指揮者カルナ氏が昨年3月にタイガーと断絶して以来、東部州は暴力の温床となっている。
州の暴力の激化は、国際休戦監視グループ(スリランカ停戦監視委員会(SLMM))の関心を高めた。
スリランカ停戦監視委員会は、30以上の殺害が過去2か月間で東部に起こっており、全政党は、現行のノルウェー人に対する関与の停戦を支持したと主張しなければならない、と語った。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 新華社通信
*著作権は情報源に帰属します。

ピースウィンズ・ジャパン救援チーム、甚大な被害を受けたバニャック(Banyak)諸島で救援活動

ピースウィンズジャパン(PWJ)はバニャック諸島の被害者に第一次の救援食料物資を配給した。99の小さな島々からなるバニャック諸島は、現地時間3月28日にスマトラ島の沿岸を襲ったマグニチュード8.5の地震震源地の近くに位置する。5人のPWJスタッフは4月2日午後、20tあまりの水、麺、いわし缶、防水シートなどの緊急物資を10tボート2隻に積み込みムラボー(Meulabon)市を経ち翌日バニャック諸島に到着した。
「われわれは現地に緊急食料物資を配給できる一番の国際組織であり、バニャック諸島はよりいっそうの関心と緊急援助が必要である」、とPWJスマトラプロジェクトのリーダー、キャメロン・ノブル(Cameron Noble)氏は語った。PWJスタッフによると、2mの津波のため海水が内陸にまで押し寄せ、海岸近くの住宅地は水が引かず住民達は帰れない状態であるという。普段、バニャック諸島の住民はニアス島から日常必需品や食料を購入しているが、ニアス島は深刻な被害を受けバニャックへの物資調達ができず、諸島の状況を悪化させる恐れがあるということである。また、海水が家庭用真水井戸に浸透し塩分濃度が高くなっているということが判明したという。にもかかわらず、地元の人々はPWJによる真水の配給があるまではその水を飲む以外になく、汚染されているため煮沸しなくてはならない。
救援を拡大するためPWJは集めた情報を2度目の地震の救援活動を行っている他の国際機関と共有し救援活動を調整していくつもりである。
バンダアチェとムラボー市を基地としてPWJは2004年12月26日に起こった津波の被害者を救援している。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:ピースウィンズ・ジャパン
*著作権は情報源に帰属します。

スリランカ大統領、ノルウェー政府なしでの和平交渉はあり得ないとの発言

2005年4月7日、コロンボ
スリランカ大統領チャンドリカ・クマラトゥンガは、ノルウェーの政府との仲介がなければ、少数派タミル人武装組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との和平交渉は有ありえないと述べた。
水曜日、公衆の場で、スリランカ大統領は、ノルウェー政府の仲介を反対する人々や国から追放することを要求している人々は、LTTEがノルウェー人なしでは和平交渉に応じないと言うことを理解していないと、述べた。
クラマシンハ首相は、平和促進を担うノルウェー政府を追放するキャンペーンをしている大統領の左翼支持者であるスリランカ人民解放戦線、あるいは人民解放戦線に対して激しく非難している。
スリランカ人民解放戦線は、反逆者グループへ偏見がかけられた事で彼らを非難し、LTTEとの和平会議におけるノルウェー政府の役割に対する騒々しい公の抗議へ反発した。
ノルウェー政府はクラマシンハ首相の依頼に応じて2000年に現在の和平促進の役割を担った。
最近3年間でのノルウェー政府の仲介的役割は、過去の一時的な中断や2002年9月と2003年4月に行われた直接交渉6回をまとめあげることに成功した。
スリランカ人民解放戦線の政府内の反対は、行き詰まりを打開しようとするノルウェー人によるねばり強い努力にもかかわらず会談の不再開の要因となった。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 新華社通信
*著作権は情報源に帰属します。

インドネシア政府は外国のNGOの活動を制限しない声明を発表

インドネシア政府は、外国のNGOの活動を制限しないことに決めた。NGOがそれぞれの活動や財政を明らかにすることを条件に、アチェ州での彼等の津波緊急支援を制限しないことをインドネシアの大臣は月曜日に発表した。
支援国とNGOがアチェの復興のために、より多くのお金を貢献するだろうとの推測から政府は、外国のNGOの活動を制限しないと決議した。Kompas Cyber Mediaによると、人々の社会福祉と貧困削減に取り組む調整官であるAlwi Shihabは以下のことを言っている。
 「私達はNGOの活動を制限したり止めさせたりしない。しかし、彼等の専門分野、彼らが集めた資金、復興段階で彼等がどのような活動をする予定かということを分かりやすく示してほしい。」
次の2日以内に、政府は公式的にその決議について、NGOに知らせる予定ですと彼は付け加えた。
政府は、3月26日にアチェへの支援を緊急段階から復興段階にスケジュール変更する予定である。スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領はNGO等の組織が支援することを許可
したが、主権を確実にするために外国の軍隊には3月26日までに去るように頼んだ。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 新華社通信
*著作権は情報源に帰属します。

洪水で1万人以上が家を失う

アンゴラ北部のクワンザ・ノート(Kwanza Norte)地区での洪水によって、避難するところもなく、マラリアや下痢といった病気に対する整った環境のないというところにいる人々は少なくとも1万人に上っている。
被災地区から撤退している国連のチームによると、MINARS (Ministry for Assistance and Social Reintegration)の支持を得た地方政府が、地域への緊急支援の運営をしていたが、人々は未だに被害を受けやすい状態のままである。
「私たちは広範囲に影響を与える結果となったこの大きなスケールの災害について話しているのではありません。まだ緊急ニーズに対応できていないことを話しているのです」とOCHAのTransitional Coordination Unitでシニア現地調整員をしているマシュー・オリンズ(Matthew Olins)は言いました。
「幸いに、今までにコレラの事例は報告されていない。しかし水によっておこる皮膚感染や下痢、マラリアの発生増加させる結果をもたらしうる状況は続いている」と彼はIRINに言った。
この地域は通常の雨期よりも激しい雨に悩まされた。12月中旬と1月末の雨によって、312軒の家が壊され、1140人の人々が住むところを失ったと報告された。
つい最近のことでは、3月11日の豪雨で、769の家が破壊され、更に1799の建物が住めなくなってしまった。その上、約9965人の人々は避難するところがないままである。
「私たちは自分たちが訪れた場所以外は信用のおけるデータ、確かな数字を確認することはできない」オリンズは言った。
彼はさらに人々が隣人や家族と住んでいたり、テントを張ったキャンプや仮設の避難所の仮の住まいに住んでいると言った。
ルアンダ(Luanda)の北部にあるBengoでの豪雨によって、クワンザ・ノートにあるドンド(Dondo)のおよそ南30�に位置するMassanganoで4000人もの人々が家を失った。地方事務所と州のメディアはこの報告したこの出来事が、また関心事をもたらした。
ドンドの地方行政と州政府は上手く協力しているが、支援のための人道主義的パートナーも必要であるとオリンズは述べた。
「とても明るい兆候の一つは、政府が自分たちの資源と能力を信用できると考えているにも関わらず、外部の支援の余地もあると考えていることです」と彼は指摘する。
「食べ物、薬、医療品、蚊帳、日用品やその他食糧品以外の物は、2、3日中に必要なものです。特に大変淀んだ水のなかで、避難する所もなく暮らしているたくさんの人々のために与えられる蚊帳は、緊急に必要な物です」彼は加えた。
「2、3週間後には水が引いて、干上がってしまうことが想定されています。そのため人々が家を再建するのに、波形鉄板が必要になってくるでしょう。最終的には、たくさんの農地が洪水でダメになってしまったから、農機具や種が必要となってくるはずです。」とオリンズは言った。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: IRIN
*著作権は情報源に帰属します。

インドネシア:ツナミ・ソング ―歌うことは子どもたちを癒す―

津波の被害に打ちのめされたインドネシアのアチェ(Aceh)にある村、そこの仮校舎の中で子供たちは座ってアルファベットを読み上げている。そのなかに“津波の歌”を歌いたいと先生に言うため立ち上がった12歳の少年がいた。彼は優しく穏やかな声で歌い始めた。その歌は彼の村を押し流した波のこと、子供たちと離れ離れになった母親たちのこと、そして“何もかも洗いざらい持っていかれた”ことを歌っているものだ。
しかしその言葉は破壊や破滅ということだけを表すのではない。その歌は亡くなったすべての人の冥福を祈るということ、今こそ苦しんでいるすべての人がお互いに助け合うときだということを語った。
部屋の中で子供たちは泣き出し、先生たちも泣き始めた。しかしその部屋の雰囲気はゆっくりと変わっていった。一人の少女がある愉快な歌を歌いだすと、みんな泣き止んで笑い出したからだ。「この様な子供たちにとって、非常に大切でした」とアミー・ワクテル(Amy Wachtel)は言った。彼女はインドネシア、アチェのIRC(国際救済委員会)で児童保護のコーディネーターをしている。「このことは子供たちが笑ったり泣いたり、サポートを受けたりできる安全で、快適な場所を作ることの大切さをあらわしています」
12月の壊滅的な地震と津波を受けて、IRCはアチェ地方で被害を受けた沿岸の村の子どもたちを癒していく過程を支援する「場」を設けている。その目的は子どもたちが正常な状態を取り戻す活動に携わることができる、きちんとした環境を作ることである。
しかし、これは簡単な課題ではない。「危機的な状況によって心に傷を負った子どもたちは、多くの場合ふさぎ込んでしまいます」とワクテルは言う。彼女によると、彼らを引き出すためには、教育者がリクリエーションや独創的な表現力を学習活動に取り入れていかなければならないという。アチェでIRCはこの過程を導く年長の若者を巻き込んでいる。
IRCのチームはカラン(Calang)の被災した海側の町で、チャイルドフレンドリーセーフスペースをすでに展開させている。そしてそれと同時に身元の確認と、家族とはぐれてしまった子どもたちの登録を行っている。チームは彼らが行方不明の身内との再会できること、しばらくの間子どもたちが最良のケアを受けることができるよう、保障することを働きかけようとしている。
小さな男の子が自分の歌を歌ったというナガン・ラヤ地区で、IRCは先生達の手助けも同様にしている。「先生達と生徒達の苦しみに対応できるように、私達は先生達を支援しています」ワクテルは言った。「両方の傷つきやすくなっている子供たちが発する悲しみや苦しみのサインを認識し対応することが、よりよい癒しの環境を作るということにつながるでしょう。」
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 国際救済委員会(IRC)
*著作権は情報源に帰属します。

インドネシアでの生徒に伝える自然災害の対応の仕方

インドネシアでの防災教育
インドネシアの教育省は、昨年12月に津波の被害を受けたAcheのような自然災害が発生しやすい地域に、自然災害予防プログラムを学校教育に取り入れることを計画している。
小中学校教育部門の長官Indra Djati Sidi は復興中の地域を除いて、政府が地元の人々に災害の備えについて教育を行い、災害後遺症のトラウマ治療のための施設を置くと話した。
「その津波のあとに残ったのはある疑問点だった。それは、地理的に災害に対して脆弱なインドネシアでは、地震や洪水、その他の災害から未然に身を守る方法について、いかに生徒に教えるかというカリキュラムの取り入れ方だ。」と彼は火曜日のジャカルタポストで話していた。
そのプログラムは現在インドネシア開発計画委員会で協議されている基本計画の一部である。
Indra のオフィスは2002年のBengkuluで起こった地震のあと、被害を受けた地域の先生や生徒への教育を開始していた。
「現在、国レベルで実行していくつもりです。例えば、どのように災害を予測できるか、どのように自分の命を守るかなど、先生や生徒を教育していく予定です。」と彼は話し、「トレーニングするということは繰り返し反復練習することであり、警報のサイレンやベルをよく覚えておける」と続けた。
「そういったサイレンを聞くと、すべての財産などをおいて、まず自分の命のために避難するということにつながればと期待を寄せている。そして、津波や地震、洪水などの災害が起こりやすい地域の生徒に知識を分け合っていくつもりである。」
政府関係機関によると、2,000棟もの校舎が全壊した一方で、生徒約86,000名、先生約1,800名と地元の教育関係者231名が死亡したり、行方不明になっている。
アチェ州に住む330,000人以上の生徒は12月26日に発生したインド洋大津波で直接的な被害を受けた。
「私たちはいま、国家試験を設けるかどうかについて検討中である。おそらくは、学校を基にしたテストや各地域でのテストになるだろう。決定の前に私たちは学校について協議する時間をとるつもりである。」と話していた。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 新華社
*著作権は情報源に帰属します。

壊れた船、壊れた夢

タイのラヤンの村人はある意味幸運だった。3メートルの津波がその日彼らの村を襲った。村のすべての人々がなんとか近くの丘の上に避難することができた。それは、その村では誰もこの大惨事で亡くならなかったことを意味しています。
しかし、彼らが、破壊から完全に逃れたというわけではありません。波は村の家の全てをずたずたにして、人々が収入の糧にしているボート全てを奪いました。そして、住んでいる人は何もかも失いました。
「我々は、この状況を非常に悲しんでいる」と、ワールドビジョンのスタッフに村のまわりにちらかった瓦礫を見せながら、漁師のMontien Seangukが言いました。
ワールドビジョンはすでに村の人々に緊急救援を提供しましたが、現在は長期的な援助に目を向けています。
「私たちは、自分たちのボートを修理して、新しいエンジンと漁網を買う必要があります」と、Seangsukさんが言いました。
Seangsukさんが、災害が起きる前は、村の漁師たちは1ヶ月につき3000から4000バーツで生活していると言いました(50-80米ドルに相当)。
「収入は非常に少なかったですが、我々はなんとか生き延びることができました。しかし、現在その少ない収入でさえなくなってしまいました」と、彼が言いました。
また、村中の道路上と運河上の復旧作業がなされる必要があります。
「車両が洪水によって海から打ち寄せられた砂のため、ここに来ることは非常に難しいです」と、Seangsukが言いました。
「我々は、まだ、運河を修理して、がれきを流す必要があります、そうしないと、我々の小型ボートが通ることは、非常に難しいです。」
現在津波で被災したコミュニティの長期的復興に焦点を当てながら、ワールドビジョンは、彼らのニーズを明確にし、必要な援助を提供するためにラヤンの人々と一緒に活動しています。
村の漁師とのミーティングで、個人個人が立ち直るのに約60,000バーツ(1500米ドル)が必要であると見積もりました。
「我々は、ボート又は、ボートを持っている人は新しいエンジンやそれらを修理するためにお金をとても必要としています。ボートは収入源であり、ボートなしでは我々はよりよい将来を想像することができません。」とSeanguskさんは言いました。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: ワールドビジョン
*著作権は情報源に帰属します。

インドネシア:残片を集めて・・立ち直りつつある生活

Intan(52歳)は150人の小中高校生がいる村の学校の校長先生である。教育は彼女の専門ではなかった。実際、彼女が仕事について今日が2日目であった。
 Intanは放送学校で研修を受けた60人のうちの1人である。放送学校とは早急に代替のできる非公式な教育制度で、正規の職員を多く失った地域で切実に必要とされている。
 私は間に合わせの校舎として使われている小屋の下で行われていたコミュニティミーティングで、Intanに会った。彼女の足元には数々のワークブックが小奇麗に置かれていた。コミュニティーミーティングの途中、彼女は藁のマットに座っている私の隣りを空け、座った。私はこの女性がこのコミュニティーの何らかのリーダーであると確信した。彼女の自信ある態度がそれを物語っていたからである。
 地震が起こったとき、Intanと彼女の子供は家の中にいたが、難を逃れるために外へ出た。めまいから立ち直りつつ、中庭の前に立って、彼女は命が助かったことを神に感謝した。家は滅茶苦茶な状態だった。それから彼女は爆弾が爆発するような大きな音を4回聞いた。
その後、彼女はそれが海岸に襲いかかる海の波であると気づいた。彼女たちは即座に走り始めた。「水が隆起して、竜の口のような形をしていました。」最初の一波が来たとき、彼女たちはもう終わりだと思っていたが、そうではなかった。第二波が上下にゆれながら多くの壁を裂いていった。「私たちは丘に走っていき、家族は全員無事でした。この津波で亡くなった人は(家族では)いませんでした。」家族全員が無傷なことは極めてまれなことである。
 5日間、彼女らは何の援助も受けられなかった。「私たちは木の破片をとって、仮の住まいを作りました。夜によく雨が降り、寒かったです。実際に私たちは全く眠れず、ただ地面の上で、身を寄せ合って寝転んでいただけでした。食べ物は、バナナを木からとって食べたり、キャッサバ(ポテトのようなもの)を食べたりしました。」5日目になって、ついに食料が届いた。しかし彼女のような人たちがあまりに多いので、彼女たちは一人につきご飯スプーン一杯分しか当たらなかった。
 一ヶ月経った今、村の人たちが、自分たちに何が最も必要かを述べるために、一つの屋根の下に集まった。小屋がリストの一番上にあった。住む場所はIntanにとって重要な問題であった。彼女はそこに出席した中で、家を失った25の家族のうちの1人だったからである。彼女には他にも必要とするものがあった、それは生徒たちの保護である。学校の校舎は津波でひどい損傷を受け、小さな建物以外はコミュニティミーティングができる場所はなかった。「この小屋は悪くはないが、こんな込み合った場所で子供たちに教えるのは難しく、屋根がないところでは…」と、彼女は周りを見ながら説明した。
 「起こったこと(津波)については、辛いことだったけれど、同時に私たちを助けるためにやってきてくれた組織の人たちに感謝しています。また、私の時間を使って再び活動的な何か(つまりこの子供たちを教えること)をやっているので幸せです。」この村の家や学校はまもなく再建されるだろう。希望、行動、生命の感覚がIntanの心を再び満たした。
 彼女の夫は、彼女がマットの上に座っているのを見て、話しに加わった。彼を誇らしく抱擁したときの彼女の顔には、微笑があふれていた。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:ワールドリリーフ
*著作権は情報源に帰属します。

津波救援は緊急支援から復興支援へ

インドネシアの避難民のための心理的なカウンセリングプログラム
ボルチモア(MD)-2005年2月22日-津波災害によって影響を受けた人びとのための国際支援は、非常時の対応からより長期的な再建の対応に移っているとIRDの所長であり、研究者であるArthur Keys博士は報告した。救援の第1段階(安全な飲料水や、避難所や、食物や情報、薬等の基本的な人道的ニーズの保証)は、一般的に3~6か月続き、今は終わりに近づいている。
“津波支援が次の段階に移るとき、NGOと国際社会がそのまま関心を持ち続けることがとても大切である。”“私たちには、インドネシアとスリランカの人びとを長期的に支援する経済開発プログラムを導入する予定です。”とKeys博士はボルチモアにあるJohns Hopkins大学のキャンパスにあるAmericans for Informed Developmentに後援によって立てられたホールで述べた。
バージニアのアーリントンに拠点を置く非営利のNGOであるIRDは特にインドネシア、バンダアチェとスリランカ、Hambantotaの被災地で支援を提供している。IRDが水と衛生サポートを提供しているアチェのキャンプで、国内避難民を助けるために心理的なカウンセリングプログラムを始動した。
“IRDはインドネシアとスリランカで長期的な再建をする予定です。”とKeys博士は言った。“私たちの次なる挑戦は、これら2つの国で、移住させられた人びとが再定住したり、津波によって破壊された地域を再建したりするために政府と一緒に取り組むことである。”“この段階は、最大5年かかると考えています。”とKeys博士は付け加えた。
IRDは1999年以来インドネシアで活動し、2004年以来スリランカで活動しています。その結果、津波の発生時、IRDは両方の国に根付いた活動をし、よい関係を持っていた。だから、IRDは緊急時にも即座に反応し、支援することができた。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: International Relief and Development, Inc. (IRD)