月別アーカイブ: 2004年1月

伝統的遊牧生活の終わり

新しい憲法は、戦闘及び干ばつによって荒廃している国の遊牧民を助ける規定を含んでいる。
Wahidullah Amani、カブール(ARR No.103、2004.1.29)
クチ(遊牧民)のChaman Gulは、彼や彼の先祖が何世代もの間従ってきた遊牧生活をやめる時期が来たと思っている。
「我々の先祖は、他によい方法を知らなかった。彼らは砂漠を放浪し、いずれは死んでしまう動物に全財産を費やした。」と、他の40家族らと同様に現在カブールの西部の泥小屋の集落に住んでいる60歳の彼が言った。
「我々はこれ以上動物を買いたくない。我々は定住したい。」と彼は言った。
アフガニスタンの遊牧民の伝統的な牧羊者の生活は、近年ほぼ壊滅状態にあり、Chaman Gulのような人々の多くが、彼らがより定住した生活を送れるよう支援する新しい憲法の規定を歓迎している。
ハミド カルザイ大統領によって最近署名された憲法には、クチと呼ばれるパシュトゥン系の遊牧民の、住宅に関する規定を含む生活の改善を目的とした特別な条項が含まれている。
クチは、国連アフガニスタン支援団UNAMAによって、その国で最も危機に瀕している人口グループと選定された。
戦争だけがアフガニスタンやパキスタンのむさくるしいキャンプに多くの人を送り込んだのではなく、長年続いた干ばつは、彼らの残っていた家畜に多大な打撃を与えた。
冬はジャララバード、夏はカブールの間を移動するというChaman の以前の遊牧生活はほとんど不可能になり、40頭の羊を売らざるを得なかった。
この2年間、彼は首都で日雇いとして、かろうじて生計を営んでいた。
新憲法の第14条では、遊牧民の「経済的、社会的、生存的状況を改善する」ために必要なプログラムを実施し、「援助に値する市民に対し、住民の確保や公共の土地の分配のための必要な手段」を適用するよう国家に義務づけている。
クチに関する事案を担当している国境・部族間担当省の事務次官であるMohammad Omar abrakzaiは、これらの義務があまりにも曖昧に表現されていることを懸念している。
「それは’財源に従って’という言葉を使わずに書かれるべきであった。」と、Babrakzaiは言った。「政府に財源がないわけがない。全ての土地は政府が所有しているのだから。」
しかしクチの国内指導者で、ロヤ・ジルカの11人のクチ特別代表者の一人であるHashmat Ghani Ahmadzaiは、約束されたものはすべてそのうちに実行されるだろう、と主張した。
「大統領選挙(6月に予定)の後、政府の予算が割り当てられ、クチの人口(新しい国勢調査に基づいて)数えられると、政府は必要なステップを取るだろう。」と、彼は確信を持って言った。
アフガニスタンにおけるクチの人口数を確定すること自体だけでも大変な取り組みとなる・その数はアフガニスタン総人口2,000~2,500万人のうちの、6百万人にものぼる可能性がある、とAhmadzaiは言った。
Chaman Gulと同じ集落に住むクチのMohammad Omar、30歳もまた、永久に定住するチャンスをつかもうとしている。
「もし政府が私たちに家用の土地を与え、小麦を援助してくれるなら、私たちは政府が望むあらゆる労務を行う。」と、OmarはIWPRに言った。
しかし他のものは、伝統的なクチの生活をやめることをあまり望んでいない。
Wals Mirは、政府定住のための手当を提供してくれるよりは、売らざるをえなかったか、死んでしまったか、失ってしまった家畜を、代償してくれることを望む。
そしてガズニ州のコミュニティーの指導者であるNasrullah Khanは、伝統的な遊牧生活を失うことは、全体として逆に国に悪影響をおよぼすだろう、と主張している。
「もしクチが遊牧生活をやめたら、私はアフガニスタンの経済に悪影響を与えると思う。なぜなら、肉、ミルク、バター、カラクル(羊の皮)を作っているのはクチだからです。」と彼は言った。
これらの要望にも関わらず、クチには生活スタイルをやめることを余儀なくされている。Mirでさえ、権力者たちが伝統的な牧羊者の土地を接収しているので、クチはもはや自由に放浪することができない、と認めている。
「私たちの場所は、夏はパンジシール、冬はラグマンだった。今はどちらの場所も軍司令官たちが支配している。」と彼は言った。
他の者たちはどちらの生活スタイルも維持したいと考えている。
「私たちは政府から家の建設のための土地が欲しい。」と、バグラン州のクチの代表として行動しているBabrak Khanが言った。「しかし遊牧民の生活スタイルも維持したい。もし家と家畜の両方があれば、私たちの生活はもっとよくなるだろう。」
憲法は、アフガニスタンの基準でさえ非識字率の高いことを鑑みて、教育を促進するなどクチのための特別な規定を定めている。
教育省の事務次官であるSeyed Hossein Ishraq Hosseiniは、クチの移住のパターンに合うような特別の夏と冬のクラスを計画している、とIWPRに確認した。
年長の生徒のための寮が用意されるかもしれないし又、政府はクチの教師の数を増やすことを優先するだろう、と彼は言った。
憲法は、2つの議院のうちの1つであるHouse of Elders、Meshrano Jirgaに参加するクチの特別代表2人を選ぶよう大統領に義務づけている。
しかし誰もがこの代表者の数が十分だとは思っているわけではない。ロヤ・ジルカで国の北東部のクチを代表したHasti Khanは、もし人数が2倍にならなければ、今度の選挙でのボイコットするとしている。
「私たちは国民議会におけるクチの代表者を2人にするとはロヤ・ジルカで同意しなったし、クチは少なくとも4人の代表者をもつべきだとSibghatullah Mujaddidi議長と行政官庁のFarooq Wardakに要求した。」と述べた。
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情報源:Institute for War and Peace Reporting
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バムのための安全な水の確保

砂漠では、きれいな水へのアクセスが生と死を分けうる。オアシスの都市バムでは、安全な水は十分にあるがそれを必要とする人々に届けることは困難である。
「バムの水は良質です」と救援活動のためスペイン赤十字社から配置された水と公衆衛生のエンジニアであるSara Escudero は話す。水源は地下200メートルにあるので、災害によって汚染されていなかった。
「問題は地震によって、この都市の水供給システムが全て破壊されたことです。そのことにより、消費者に水が届いたときには、その質が影響を受ける可能性があるのです。」と彼女は強調する。
救援活動開始から、イラン赤新月社はボトル詰めの水を配給し、各所に水のタンクを配置してきた。
ウォータートラック
地震直後、通常のシステムから水にアクセスできたのは人口の20パーセントだけであった。飲料には適していなかったものの、洗濯や掃除に使うことができた。
現在ほぼ半分の水が通常のシステムを通じて利用できる。残りに関しては、大部分がイランの他の地域から配送されたウォータートラックによって供給されなければならない。一旦トラックが去ると、貯蔵タンクによって都市に供給する必要がある。
このことを考慮して、さらに汚染の危険のため、IFRCはオーストリア、フランス、ドイツ、スペイン、スイスの赤十字社の水・公衆衛生緊急対応部隊を配置した。これらの部隊は災害から48時間以内に配置された。
その活動の主な目的のうち達成したものとして、欧州連合人道事務所の資金援助で設立され、新たに建設された赤十字社・赤新月社病院へとドイツと日本の赤十字社によって設立された他の2つの医療クリニックへの水供給であった。
「病院や医院において、医療スタッフが器具を洗い、医療行為が行えるよう、水は最良の状態でなければなりません。」と、バムの国際連盟医療コーディネーターのRichard Munz医師は話す。
これら医療施設が設置されてきて以来、千人以上もの患者が救われてきた。
下痢
赤十字社・赤新月社の活動はまた、イラン赤新月社が運営するキャンプへ水を供給することである。キャンプでは、8万のホームレスのうち、冬過ごす住居がない人々へ援助を提供する。
これまでは、主に寒い気候と都市内で利用できる水の質のために、流行病は生じないできた。「幸せなことに、これまでに我々が見た水に関する病気は下痢だけであり、このような状況下では通常のことです。
しかし、私たちは起こりうるあらゆる緊急事態に対して備えています。」とMunzは話す。国連は都市のトイレ不足が重大な健康問題を引き起こしうると、警告してきた。
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情報源:国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)
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カブールの爆弾テロで、平和維持軍1人死亡、3人が負傷

カブール、1月27日(IRIN)-アフガニスタンの首都カブールでは火曜日の朝、NATOが率いる5,000人の強力な国際治安支援部隊(ISAF)のパトロール車の一台に自爆テロが突撃し、平和維持軍カナダ兵士1人が死亡、3人が負傷した。アフガニスタン市民1人も死亡し、8人が負傷して地元の病院で手当を受けている、と警察と医師が言った。
「今朝8時45分頃(現地時間)、Darlaman宮殿から500メートルほど離れたDarlaman Roadで爆発が起こり、現時点の情報によるとカナダ人兵士1人が死亡し、3人が負傷した。」と、ISAFは公式発表した。
国内での暴力の継続は、強硬なタリバンの残党やアルカイダによるもので、人道援助と復興活動に重大な影響を与えている。ほとんどの攻撃は国の南部や東部に集中しているが、ISAF軍の存在にもより、首都は比較的安全だ。
「自爆テロによる爆発だった可能性がある。」と公式発表は述べた。ISAFは、その場所を調査し封鎖するために、現場に緊急対応部隊を配置した。その爆破が起こったカブール西部の警察署長であるAli Jan AskaryrはAPに対し、カナダ人たちが攻撃されたとき3車パトロール中だった、と言った。「道路に干ばつ箇所があって、彼らがそれを通り過ぎるためにスピードを落としたとき、テロリストが1台の車に飛びかかり、自分自身を吹き飛ばした。」とAskaryarが言った。
負傷した兵士達は治療のためにISAFの病院に収容されている。その事件は、2002年の初めにカブールに配置されて以来、国際平和維持軍に対して起こった2度目の自爆テロである。昨年の6月、首都でバスが自爆攻撃を受け、4人のドイツ人兵士が殺され、29人が負傷した。
10月、カブール南部の丘にある砂地に埋められていた対戦車用の地雷の少なくとも1つが、パトロール中に車の下で爆発して、2人のカナダ人兵士が殺された。他に3人のISAF兵士が、別の地雷の爆発で10月に負傷した。
援助団体と政府は治安を確保することは開発事業や今年の末の選挙に欠くことができないとしISAFの地方への展開を重視している。
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情報源:国連人道問題調整事務所 地域統合情報ネットワーク
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震災から1ヶ月、バムの苦しみは続く

Ghasem Gholamhossein Negad はよく、死者について考える。
12月26日に起きた地震によって、バムでは少なくとも4万1千人もの人々が命を奪われたとされている。
彼の妻と4人の孫はなくなった。1番幼い孫はわずか5才であった。
時々彼は自分自身を責める。ビルの下敷きになり、亡くなったのが自分ではなく子どもたちであったからである。
58歳のnegadは残されたわずかな財産を失うことを恐れ、自分の土地からあまり遠くに離れたがらない。
「私はずっと家を建てるために貯えてきた。私は家族が満足に暮らせるように、毎日働いた。だが、今や自分が何をすべきかさえわからない。赤新月社が配給する食糧がなければ、私たちは飢えてしまうであろう。」と彼は話した。
以前、彼はバムを取り囲む緑の青々と茂ったナツメヤシ農園で働いていた。その多くは入り組んだ灌漑設備を頼りにしていたが、水路が地震で壊れてしまったため、彼は失業中である。
ひどい地震の1ヵ月後、死体が残骸で発見され続けており、当局は未だに死亡者数を更新している。地震はマグニチュード6.3を記録し、少な
くとも4万1千人の人々が命を奪われ、3万人が負傷し、7万5千人以上が家を失った。約95%の不動産と社会経済基盤は破壊されたと見積もられている。これらの統計の背後には深い悲しみがある。
厳しい寒さ
1ヵ月後、まだ町の通りや道路にはたくさんのテントの列が並んでいる状態である。イランの赤新月社は、毛布や料理道具、食べ物やビニールシートと共に、10万個以上のテントを配給した。
negadの家族のうち生き残った11人はバムの大勢のホームレスの一員である。彼は彼らが住んでいる2張の埃っぽいテントに絶望のまなざしを向けている。太陽はその光景に暖かい光を投げかけてるが、夜はひどく寒いのだ。
赤新月社と政府組織はホームレスのためにキャンプ地を設営した。しかし、Negadのような多くの人々は今だにキャンプに引っ越すと
いう辛い決断を下せずにいる。
多くの人々と違って、この家族には少なくとも一人の稼ぎ手が残った。Negadの息子は一家の持つかなり傷んだタクシーを今も運転しつづけている。そのタクシーは車輪が壊れている。というのも車のトランクが、崩壊した壁の下敷きになってしまったのだ。車の塗装部分ははがれてしまい、鋼の部分が見えている。お客はごく希で稼ぎは少々である。
現状回復の兆し
バムの人々がゆっくりとショックから立ち直り始めるにつれ、町は幾分か正常に戻っている。道路の残がいが片付けられている。あちらこちらで露店が果物や野菜を売っている。
地震後、バム以外で親戚に身を寄せていた人々がどんどんバムへ戻ってきている。しかし、彼らの全てが戻ってくるわけではない。およそ町の人口の半分がこの災害で亡くなってしまったのである。
この災害は人々を国際的な団結の輪に駆り立てた。Negadの家族のテントから3キロも離れていないところに、欧州連合の人道オフィスの支援によって赤十字と赤新月社は200床の野営病院を設置した。
そこには、フィンランドやノルウェーの赤十字の医者や看護師が配置され、イラン人のスタッフと一緒に働いている。そこは地震直後にサウジの赤新月社や、他の団体の手で設置された簡易設備によって行われていた緊急医療救助の多くを引き継いでいる。
オーストリア、フランス、ドイツ、スペイン、スウェーデンの赤十字のチームがこの病院や何千人ものホームレスに安全な水の供給を確保している。ドイツ、日本の赤十字によって運営されている衛星の診療所はイランの赤新月社の移動診療所を補っている。地震後、今まで1万人が病院や赤十字の診療所で治療を受けている。
深い悲しみ・家を失うことや恐怖
デンマークやアイスランドの赤十字もまたイランの赤新月社の精神的なサポートプログラムを支援している。そのサポートプログラムは被災者の悲しみ、家を失った事や、余震が続く事によってもたらされた絶え間ない一連の恐怖に対処するために生存者を助けることに向けられた
ものである。
しかし、深い悲しみに囲まれたが、いくつかの希望の兆しがある。わずかな週の間に赤十字赤新月社病院では40人の赤ちゃんの出産があった。
また、赤新月社は12のテント設営地の設置を支援した。“ハマダン”キャンプでは、うすい緑色のテントが横一列に並んでいて、新たに砂利がしきつめられた。3時間離れたケルマンから治療のためにに避難させられた人々など最大で3000人までがここに住むことができる。
彼らの中の一人は4歳のMohaddseである。彼女は赤十字の給水所で得意げに歯を磨いていた。彼女の母親はうれしかった。地震の日から、母親は娘が笑うより、よく泣いているのを見ていたからだ。
「夜に私の小さな娘はよく眠れない。彼女はあまりに多くの悪い夢を見る”とFatemeh Adalatiは説明する。
「赤新月社は私たちに親切にしてくれます。私たちは料理器具、ヒーターや毛布をもらった。しかし、私の親戚や命や倒壊した家は二度と戻ってこない。そして3月から熱さや砂嵐が起こり始める。」と彼女はいった。
赤十字赤新月社のバム責任者Iain Loganは地元当局の協力に満足している。
「昨日、私たちは偶然いく人かの政府の人たちと宗教的リーダーに会った」と言った。彼らは私たちの仕事にあきらかに感銘を受け、
そして彼らの1人は涙さえ流した。
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情報源:国際赤十字赤新月社連盟(IFRC)
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バム地震生存者でますます深刻になる呼吸器感染症

イラン南西部の都市バムでは伝染病は、大きく広まってはいないものの、およそ4週間前に発生し、少なくとも4万人の犠牲者を出した地震の生存者の多くが、現在、呼吸器感染症に悩まされている。世界保健機関(WHO)によると、バムにおける急性呼吸器感染症による被害は1090件にのぼると報告している。
「13の地域で活動している保健省のチームの情報によると、急性呼吸器感染症(以下ARI)は、診察に訪れた住民が最も多く訴えている症状で、諸診療機関の所見の21%にまで及んでいる。」とBijan Hamidi(バム駐在WHO職員)はIRINに語った。
「目下、私達が多くの呼吸器感染症を扱っているというのが現実だ。」とバム駐在PCA(アメリカ長老派教会)医療チームのリーダーであるJoe UrbanowiczはIRINに語った。
「多くの呼吸器感染症はほこりによるものだと思う。今回の地震は多くのほこりを生み出し、再建工事も沢山のほこりを巻き起こしている。それは大人にだけでなく、新生児にさえ問題を引き起こしている。」とUrbanowiczは語った。加えて、たった1日で深刻な呼吸状態に陥った数人の新生児を診療したとも。
保健職員によると、多くの生存者はテントで暮らしており、そのテントのほとんどが夜間氷点下にまで達するこの時期に適応していないのである。彼は、これが、ARI発生件数の増加の一因にもなっていると説明した。テント生活者が夜に暖をとるために石油ヒーターを使用することも状態を悪くしていると付け加えた。
Merlin(国際医療NGO)のメンバーの一人は、「石油ガスがテント内の空気を乾燥させ、肺や喉をARIにさらすことになり、その結果、ARI伝染病を引き起こした要因の一つになったのかもしれない。」とIRINに語った。
「私共は昨年のこの時期と比較する資料を持たないが、ほこり、衛生設備や、適切な住居や毛布が不足したことによりARI被害の全般的な増大を予測できる。」とamidiは語った。
彼はまた、弱まった免疫組織がストレスと関係し、震災の生存者の伝染病への抵抗力が弱くなったとつけ加え、「しかし、私共の関心事は、ここにある保健施設が対処できなくならないようARIが伝染病と化しないことだ。」とHamidiは語った。
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情報源:国連人道問題調整事務所 統合地域情報ネットワーク (UNOCHA IRIN)
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バム大震災の死者数4万5千人に近づく

2003.1.19 ANKARA発 (IRIN) - 先月イランの古代都市バムで起きた壊滅的な地震の死者数が最終的に45,000人に達するかもしれない、と関係者らは月曜日にIRINに語った。この死者数によりその地震はイランで国で過去最悪災害となる。
「これまでに政府が確認した公式の死亡数は42,000人である。」とイラン赤新月組織(ICRS)国際事業のトップHasan Esandiar氏はBAMからIRINに伝えた。「日毎に遺体が発見されるにつれてこの数は増加するだろうと思われる。」
フランス通信社(AFP)によると、数日前政府は震災の公式死者数を41,000人に増やし、最高先導者の側近であるAyatollah Ali Khamenei氏は最終的な数字は45,000人に達する可能性があると金曜日に述べた。
AFP記事によれば当初は30,000人から35,000人とされていた死者数の改定は、救助捜索、復興活動の視察のためKhamenei氏の2度目のバム訪問中に発表された。
主に土煉瓦製家屋と、2千年前に建てられた世界最大の土製建造物アルゲバム(バムの要塞)の都市バムを破壊したマグニチュード6.3を記録した12月26日のAFP記事によれば、地震で30,000人以上が負傷し何千人もの人々がホームレスとなった。
 
救助活動の最新情報について、イラン赤新月組織(ICRS)は現在バムとその周辺住民約250,000人に援助を行っており、今後半年間は食糧や避難所、他の救援物資を含む援助をする、とEsandiar氏は述べた。
「今最も必要なものはトイレやシャワー等の衛生施設である。」とEsandiar氏は述べ、特に女性用衛星施設の必要性について強調した。「テントや毛布は既に供給されている。」と付け加えた。しかし、ICRSが今後イランでの災害援助を効果的に行うためには、これらの物資も補充される必要があるとした。
「我々はもてる物資全てを使ってきたので、直ちに補充する必要がある。」と彼は述べ、イランの約6州が洪水によってひどい被害をうけたことに言及した。
マグニチュード4.2を記録した地震が月曜日未明にイスファンの中心都市Shahrezaを襲った。Tehran大学提携の地球物理学研究所の地震観測所は、市の南西部を震源とする震動は現地時間2時59分(グリニッジ標準時間で日曜日23時29分)に起きた、と発表した。死傷者や建物への被害に関する報告は無かった、とイラン公共放送局(IRNA)は伝えた。
イランは世界で最も活発な断層の上に位置し、様々な強度の地震は日常的なことで、人口6,800万人のこの国にとって災害への備えが重要な課題である。
月曜日の最新死者数によりバム大震災はイランで史上最悪のものとなった。1990年6月、マグニチュード7.7の地震がGilanとZanjanのカスピアン地方を襲い、35,000人が死亡、100,000人が負傷し約50万人が家を失った。
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情報源:国連人道問題調整事務所(UN OCHA) 地方統合情報ネットワーク
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地震の被災地バムで子どもたちが学校へ登校を始めている

臨時の学校は地震の幼い被災者に基本教育を再び施している。
イラク南部の都市バムの大部分を破壊した衝撃的な地震から1カ月もたたないうちに、最初の子どもが今日教育省の学校に戻る。
26の臨時の学校で最初に開講する予定なのは、町の第10区画にありユニセフ提供の空気で膨らますタイプのテントの校舎で、50人までの小学生を教育できる。ユニセフと教務課スタッフは、勉強を再開したくて仕方ない小学生のグループの手伝いを受けて、昨日の夜遅くにテントを設置した。月曜には、小中学生の修業数を拡大するためにこの地にもっと多くのテントが供給される予定だ。
 
だいたい2万人くらいの学齢児童がバムにいて、12月26日の地震からレクリエーションや教育の機会に殆ど触れることなくテント生活を送っている。たくさんの遊び場がユニセフ支援のNGOに造られた一方、教育を再開する上でのたくさんの障害が残ったままだ。教育行政が直面した多くの困難の1つには、授業の再開、90%が破壊された教室や校舎、そして臨時キャンプへの子どもの離散といった問題にうまく対処できる教師がなかなか見つからないということである。ユニセフは、1万人の学齢児童と共に3分の1のバムの教師が地震で亡くなったと推定した。生き延びた教師達は家族の世話をするという現実的な問題に加えてストレスや心理的トラウマに悩まされている。 
 
何らかの形の教育を開始に当たってまず最初に、臨時の学校を建てることができて緊急に教育を始めるための先生がいるところとして市街地の26の場所が選出された。ユニセフはすでに、それぞれ80人分の問題集やペン、紙などの教室から成るSchools-in-a-boxを240セット以上、スポーツやゲーム道具から成るレクリエーションを調達した。教室施設が限られている所のために、ユニセフはまた空気で膨らます16の学校のテントをバムの教育省に供給した。
 
今週、ユニセフのテントはバムの様々なグループの子どもの要望に応じた活動を行うために他の場所にも更に設置される。地震以前に3000人以上の生徒が修学していたBaravat地区では女の子が臨時教室に戻ってくる手助けをするのに特別な焦点がおかれる。他の地区では授業を行える教師が見つかったらクラスを設置できるよう教育者はコンテナを確保してきた。臨時の学校で行われる活動の主眼点は教師と生徒双方が平常の日常生活の感覚を取り戻すことにある。ユニセフは臨時の学校でレクリエーション活動とlife-skill教育の授業を始められるよう教育省を支援している。その後ユニセフは子ども達が完全に学校に復帰するまでに徐々に日常に戻ることを支援する基礎学習要領のコンセプトをインタラクティブ・参加型の教え方・考え方を開発することを支援する予定である。この“低ストレス”アプローチは、いまだに厳しい状況の中に身をおいて個人的な喪失に対処している子どもや大人が直面している続くプレッシャーを考
慮して、関係者全員が教育に再び慣れるのを助けるためにデザインされたアプローチである。
 
ユニセフはまた教育省と他のパートナーが教師や保健職員と共にのカウンセリングプログラム
を開発するのを支援している。これは各家庭に対して臨時の学校内でカウンセリングを行うというものである。UNICEFはまたラジオを介したカウンセリングプログラムの開発も支援している。
 
今日の話し合いの中で、ユニセフのKari Eggeイラン代表は教育再開のために教育省が行っている重要な活動について言及した。「今回のような災害の後子どもたちが日常生活の日課の感覚を取り戻す助けが不可欠なものであるということを私達は世界中の様々な経験から知っています。正式な教室でなくても基本的レベルでも、教育は子どもが今自分がいるひどい状況や恐ろしい経験ではないものに自分たちのエネルギーを注ぐことを助けます。」とEgge女史は語った。
 
「加えて、教育の再開は物事は前進しているという再建が前進しているたいへん前向きなメッ
セージを家庭に送り、これはこのような壊滅状態にさらされた地域で自信を取り戻すのに重要な役割を果たす。」彼女は付け加えた。
バムの地震について、ユニセフの対応
バムの地震の直後から、ユニセフは以下のものを供給した
・水源の飲料への安全性を確保するため625,000の水質浄化錠
・配水所からの水調達のための6,000のゼリー缶
・26の共同水タンクの用意(全て5,000リットル)
・ポンプと水設備支援のための3つの移動式発電機
・14,000の毛布、1,800のおしめ、10,000着の冬服とブーツ、靴下
・冬用テントやその他非難物資
・迷子探査用機器
・240以上のSchools-in-a-boxと50のレクリエーションキットの調達
・120,000人までを支援する緊急事態の健康と薬セットと緊急の産科セットと7,600のベビーケット
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情報源:UNICEF
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ヘラート周辺の洪水で、少なくとも1,000家族が避難民

西部ヘラート州で起こった激雨と洪水で、1,000家族以上が避難し、多くの居住地域や耕作地が被害を受けた。
アフガニスタン赤新月社(ARCS)によると、木曜日の洪水はGuzara地区と、州都ヘラート市の一部に被害をもたらした。家を失った家族に加えて、何千エーカーもの耕作地が完全につぶされた。
GuzaraのKul、Becharkhy、Shamaka村で「500以上の家族が家をなくし、約500件の家族ヘラート市で家を失った。」
と、ARCSの西部地域の会長であるNooruddin Ahmadiが、月曜日にHeratからIRINに対して述べた。災害は橋、学校、モスクも破壊した
と、Ahmadiは付け加えた。約8千万平方メートルの耕作地も破壊された。」と続けた。
被害を受けた家族たちは、食糧や食糧以外のものでは、主にテントを早急に必要としている、とARCSは言った。「彼らは近隣の村の家に避難しており、食糧、衣服、住居が必要だ。」とAhmadiは説明した。
災害緊急会議が、国連と政府共同調査団を、被災地に派遣することを決定したと、カブールの国連が報告した。「避難民の正確な数は現段階では出ていないが、もし人道的な援助が必要ならば、即時援助が可能である。」と、アフガニスタンの国連援助使節団(UNAMA)のスポークスマンであるAlmeida e Silva報道官がIRINに言った。
最新のARCSの報告によると、ニーズ調査が行われ、最も被害を受けた家族に食料や他の品物が火曜日に配給された。「私たちは、明日配給されるARCSの緊急対応に対し、他の援助団体がどのように貢献できるかを見るために、今日UNAMAとPRTs(アメリカ主導の市軍共同の地域復興チーム)と会合を行う。」とAhmadiが言った。
一方、UNAMAは、強風と雨あられをともなった1月15・16日の激しい雪で、カブールから北部の地域へ続く主要な人道支援のルートであるサラントンネルが閉鎖された、と報告した。「全ての国連の陸路移動は、サラン経由の行程と同様にShiber Pass (サランの東部)のルートも、更なる雪の可能性があるので、次の指令が出るまで一時的に延期した。マザールとクンドゥズの陸路移動はいずれの道を経由しても、現段階では不可能である。」と国連のスポークスマンは記している。
サラントンネルは、昨年の6月に始まった何ヶ月もの再建の後、12月28日に24時間の通行が、公式に再開された。
サランの道路とトンネルは、日曜日に小型自動車に対して再開され、フランスのNGO,ACTED(技術協力開発事業団)によると、片側車線通行となっている。アフガニスタンの公共事業省とともにサランの交通の安全を管理しているACTEDは、トンネルとトンネルからの道路の通常の動きはまもなく回復するだろう、と発表した。
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情報源:国連人道問題調整事務所 統合地域情報ネットワーク(UNOCHA IRIN)
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アフガニスタン・イラン:バム地震でのアフガン人生存者の帰還が続く

カブール(IRIN)―木曜日(1.15)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は12月末にイラン南西部の町バムで起きた壊滅的な地震で生き残った400人以上のアフガン人が火曜日に本国へ帰還したと述べた。
「11台のバス、5台のトラックと4台のトレーラーの車列が171人の男性と79人の女性と165人の子供を乗せて前日にバムを発ち、マリク(アフガニスタン西側イラン国境)でアフガニスタン国境を越えた。」UNHCRの報道官であるPeter Kesslerは木曜日にIRINに語った。ほとんどの人達はカブールでの不確実な未来に向かっていると報告された。
生存者の多くは地震によって傷を負い、またその多くは愛する人を失っていたとKesslerは言った。「両親と兄弟姉妹全てを地震で亡くした8歳の男の子は、おじの1人と一緒にアフガニスタンへ戻ってきていた。」
伝えられるところによると30,000人が亡くなったともいわれるこの壊滅的な地震によって何人のアフガン人が死亡したのか正確な数字はわからない、とUNHCRは言った。
しかしあの地震が起きた時、様々な調査から3,300人の登録されていたアフガンの難民がバムの地元住民の中で生活していたとされる。
これらの最も新しいバムからのアフガン人の帰還者達以外に、ここ何週間で何百人ものアフガン人の生存者達が自力でアフガニスタンへ戻ってきた。彼らの多くは愛する人達の遺体と共に。
地震によって影響を受けた約300のアフガン人家族の帰還を支援したとUNHCRは1月2日に発表した。彼らの多くはこれまで最大の被災者数を出しているファラーという西部アフガンの地域に戻ったとUNHCRは述べた。
帰国するアフガン人から通常徴収していた一人当たり約4USドルの帰還料を、慣例に反して、イラン当局が放棄することに同意したと国連高等難民弁務官事務所は述べた。
「帰還する難民は通常の交通費補助に加えて50%の割増金を受け取った。」とUNHCRの報道官は述べた。
他の帰還の車列は数日のうちにバムを発つ予定になっており、UNHCRはバムに住んでいたアフガン難民から256のあらたな帰還要求を受け取ったと述べた。
Abdul Hafizという西部の町ヘラートの旅行代理業者は、彼が会った難民達は大変な精神的打撃を受けているようだったし、地震のためにとてもわずかな所持品しか持っていなかったとIRINに述べた。帰還者がカブール行きのバスに乗り換える時その何人かと話した彼はと言った。「彼らは愛する人を失ったという悲劇をとても悲しんでおり、どこへ行こうかというはっきりとした見通しを持っていないものも多くいた。」
今年これまでに1,000人以上のアフガン人がUNHCRとアフガン政府共同で促進している帰還事業によってイランから戻ってきている。
原文URL:

http://www.reliefweb.int

情報源:国連人道問題調整事務所 統合地域情報ネットワーク(UNOCHA IRIN)
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