干ばつに襲われた国境地域は生命維持に必要な水の供給源を探し奔走。
アフガニスタン南西部のザランジという国境の街は深刻な干ばつに見舞われており、そこにとどまっている人々はイランからの高価な水に依存するまでになっている。もしその水を買う金がないなら、地元の塩水で洗い物をし、それを飲料水としなければならない。地方当局は清潔な水を供給するためにこれ以上のことはできないと言っている。
ニームルーズ州の首都であるザランジはニームルーズを流れるヘルマンド川の水位が下がって井戸が干上がったために数年間にわたる干ばつに苦しんできた。今年はじめにアフガニスタンの他の地方の干ばつを終息させた雨や雪の恩恵をこの砂漠地帯はほとんど受けなかったようである。水の供給システムが90年代半ばから末期にかけてのタリバン支配下の放置によって崩壊したことによりこの問題は悪化した。
世界保健機構(WHO)の統計によると、ザランジの人口は1997年の10万人から昨年の6万人に急激に減少した。ザランジから車で約三時間のゴールゴーリの町はその人口の半分がこの一年半の間に少しづつ減っていき、ほとんど廃墟で、 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のカブール事務所では昨年ニームルーズ州から他の州へ移動した5000人の避難民を登録した。UNHCRによると国内難民の大半の割合は干ばつに襲われた南部からの人々である。
ザランジに残っている住民はイランからタンク車で運ばれた水を買わなければならない。もし買う金があればである。その水の価格は20リットルが100イラン・トーマーン、約12USセントで、人々は洗濯や料理そして飲料用に使う。タンクで輸送されるため、水は不潔になり人々は度々病気になると地元の役人はIWPRに語った。
「私達のように教育を受けたものは、水を沸騰させなければならないと分かっている。」と地方自治体の女性問題部署で働いているGul Makaiは言った。「しかしそうした知識がなかったり字を読めない人は、皮膚病、伝染病、下痢そして私達が想像すらできないような他の病気も含めてあらゆる病気に苦しんでいる。」
あまりに貧しくて輸入された水を買うことのできない人々は地元の井戸を使わなければいけない。しかしザランジは海抜以下のところにあり、井戸水は新しい井戸からであっても塩分を含んでいる。「人々は飲まなければ仕方ないのでこれを飲むのだ。」とザランジ病院の救急課のAbdu Sakoor医師は述べた。
彼の患者の60パーセントは地元の水を飲んで病気になった人だと言った。
この水は大変塩分が高いので洗浄には向かない。「町の水では衣類を洗うことすらできない。」とザランジの主婦のHabibaは言った。「この水で体を洗ったとしても皮膚はきれいにならないし、乾燥するので、ローションを使う。」彼女の幼い娘の肌は日に焼けた地面のように乾いていた。
Abdu Shakoor医師は国連やアフガン政府に救援を求める嘆願は結果をもたらしていないと述べた。
WHOは1997年に新しい水処理施設、配水システムやヘルマンド川からザランジへ水を引くポンプ場を完成させたが、しかし川が干上がってしまったためこれらの施設は有効でなくなってしまった。
つい最近、地方当局はイランからの25キロメートルのパイプラインの資金援助をした。それは約1カ月のうちに使用を開始し、飲料水を運びいれることになる。しかしこれでは町の必要量の40~50パーセントしかカバーできないだろうと市の行政官であるHaji Mohammed Yaqoubは警告した。そして地元の役人は住民が清潔な水にどれくらいの代金を払うことになるのかをまだ決めていない。
州のレベルでも取り組みがなされてきた。当局は村落地域で幾つか井戸を掘ってきた。しかし、現在ニームルーズに達する手前で、砂の中に潜ってしまうLashkari川からのパイプラインで水を運ぶことに、隣接するヘルマンド州当局から同意を得られていない。
Haji Abdul Karim Barahawi州知事はニームルーズ当局はできうる限りのことをやってきたとIWPRに語った。彼はハミド・カルザイ大統領を含むカブールの政府に、いくらかの援助を配分してもらいたいと嘆願したがこれまで成果は得られていない。
新しい水源を探すことに加え、当局者は現在イランから輸入している水がより手ごろな価格になるようにいっそうの努力をしてきた。地方当局は輸入された水20リットルあたり50トーマーンあるいは6セントという料金上限規制を課そうとしてきたとYaqoubは言った。しかし彼らはこの制限を実施する手段をもっていない。そして水の売り手はこのような価格では利益が得られないとこれを無視している。Zar Gulという一人の売り手はIWPRにこう語った。「50トーマーンで水を売ることは我々にとっては全くの損である。我々は燃料の経費をまかなうのに足る金を得ることもできない。我々の労働と車の維持費はそれ以上に高くつく。」
ザランジの住民の多くは唯一の長期的な解決法はヘルマンド川の上流のカマルカーンにダムを建設する計画を推進させることだと信じている。しかしイラン南東の町ザーボルもこの川に依存しておりイランとの係争はこの計画を何年も引き伸ばしてきた。当面ザランジの住民はこの土地に留まる理由は唯一活発な、合法的な交易や密輸などのイランとのビジネスである。
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アフガニスタン:国連は憲法草案公布を歓迎
アフガニスタンは民主主義へ向けてまた一歩前進した、と同国のUNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)は今日発表した。
UNAMAのスポークスマンDavid Singh氏は、この公布を1年以上におよぶ尽力の産物であると賞賛し、草案は終局的に戦争で荒廃した国における国家の団結と法の支配を強化することになるだろう、と述べた。
「草案は多くの重要で複雑な問題に関してアフガニスタン国民の考えを反映する為に真剣な試みを映し出している。すなわち、個人の権利と自由、本質、統治のあり方、中央政府と地方行政機関それぞれの権力、全国民の平等、イスラム教の役割、アフガニスタンに存在する言語や宗派の地位、などである。」とSingh氏はカブールでの会見で述べた。
草案は首都で5週間後に開かれるロヤジルガ(国民大会議)の会議でその有効性を試される、と彼は言った。そのためこの5週間、草案は討論のために国中に配付されている。
委員会で練られた憲法草案については既に政府内での詳細な討論と同様に、全国で市民協議というプロセスも経てきた。
Singh氏はこれからやるべき事はたくさんある、と釘をさした。「他国の憲法と同じく、アフガニスタン憲法は根本的な問題に取り組んでおり、そうした問題に対する国民の意見は様々だ(必ずしも一致していない)。ロヤジルガ(国民大会議)での成功はリーダーシップと寛容と譲歩の精神が要求される。」と彼は言う。
Singh氏は、アフガニスタン国民が自ら熱望する国家統合のしるしを現すような憲法を採択するにあたって、国連の支援を誓約した。
そして憲法協議事務局局長のFarooq Wardak氏は記者会見で、アフガニスタン国民に草案を配付する為の努力を述べた。「これまで、我々は7000部の公式コピーを作成してきた。」と彼は述べ、様々な形式で追加の10万部以上のコピーを配布する為の計画もある、と付け加えた。
Wardak氏は草案に対するこれまでの反応について質問されると、広範囲に渡る賞賛があった、と述べた。同時に、いくつかの消極的見解や君主制復帰の支持者や連邦主義を支持する他の人々から疑問が挙げられたと述べた。
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女性のための法的救済と安全保障の欠如
情報源:アムネスティ・インターナショナル
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国際社会はアフガニスタンの女性に自由と平等をもたらすという約束を果たせていないと、アムネスティ・インターナショナルは本日出された報告書の中で述べた。
「2年近くの間、差別、暴力、治安の悪さが蔓延している。ブッシュ大統領、パウエル国務長官を含む世界のリーダーによる、アフガニスタンでの戦争が女性に自由がもたらすだろうという約束にもかかわらずである」と団体は強調した。
新たな報告書「Afghanistan:No one listens to us and no one treats us a human beings. Justice denied to wemen(アフガニスタン:誰も私たちに耳をかさない、そして私たちを人間として扱わない。法的救済は女性たちを拒絶した)」には、はびこるドメスティック・バイオレンス、強制結婚、武装集団によるレイプといったアフガン女性の問題が挙げられている。8歳の幼い少女が、年配男性と結婚させられた事例もある。
「この状況は受け入れがたく、緊急行動を必要とする」とアムネスティー・インターナショナルは述べる。
また報告書はアフガニスタンの女性が救済を受けることができない状況についても強調する。移動の自由を制限する規範の廃止にもかかわらず、社会や、多くの地域コミュニティーに存在する障害のために、女性たちは救済を求めることができない。たとえ、女性が警察や裁判所へ訴えることができたとしても、その女性は深刻な差別に直面する。
「現在の刑事法制度は、女性に対する暴力の問題を解決する意志や能力に欠ける」、と団体は述べている。「現在、刑事法制度は女性の権利を保護し向上させるというよりは、むしろ女性の権利を侵害することの方が多い。」
新たな報告書では、アフガニスタンの女性の法的救済を確保する約束を果たすため、アフガニスタン政府と国際社会が直ちにとるべき措置の概略を述べている。法の支配を確立できる環境を創造するため、カブール外への国際平和維持軍拡大を通じて、安全保障を供給することが最優先である。
「女性の権利保護は法の支配なしには、意味あるものとして確立し得ない。」
さらに団体は国際社会に、協働して警察の再建、法律の改正、裁判所の設立などの取り組みに女性の権利保護を取り入れるよう要請した。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
アフガニスタン:最終憲法草案
1382年
慈悲深く哀れみ深い神の名の下に
目次
前文
1章:国家(21ヶ条)
2章:基本的人権と国民の義務(37ヶ条)
3章:大統領(11ヶ条)
4章:行政府(10ヶ条)
5章:国会(29ヶ条)
6章:ロヤジルガ(6ヶ条)
7章:司法府(20ヶ条)
8章:統治の分担(7ヶ条)
9章:国の緊急事態(6ヶ条)
10章:修正事項(2ヶ条)
11章:その他の規定(5ヶ条)
12章:暫定的規定(4ヶ条)
慈悲深く哀れみ深い神の名の下に
前文
私たちアフガニスタン国民は
1全能の神への堅い忠誠心と髪の慈悲への依存と神聖なイスラム教を信仰し、
2国連憲章を順守し、世界人権宣言を尊重し、
3過去の不正義と過ち、わが国に課せられた多大な難問を認識し、
4犠牲と歴史上の闘争、正当な聖戦と国の抵抗を認める中で、アフガニスタンの自由のための殉教者の崇高さに敬意を払い、
5アフガニスタンは1つの結束した国でこの国に居住する全ての民族に帰属すると信じ、
6国家の統合を堅実なものとし、その独立と主権、領土の統一を保全するために、
7民意と民主主義にのっとった政府を確立するために、
8抑圧、残虐行為、差別、暴力がなく、法の支配、社会正義、人権の権利と尊厳を保護し、人々の基本的人権と自由を保障する市民社会構築のために、
9国家の政治的、社会的、経済的、防衛のための組織を強化するために、
10この国の全ての住民が豊かな生活とよい環境を享受することを確実なものとするために、
11そして最後にアフガニスタンが国際社会において名誉ある地位を回復するために、
現在の歴史的、文化的、社会的条件を順守する憲法を、1382年、カブール
のロヤジルガで選ばれた代表を通じて採択したものである。
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援助団体の功績と安全性の比重
SALAR, AFGHANISTAN -誰からみても、Mohammad Sharifと彼のベルギーシェパード犬ブレンダは英雄と考えられてもよいだろう。カンダハールとカブール間のもっとも込み合った高速道路に沿った地面の下に埋められた地雷を一日、一日、人と犬のチームが探している。
しかし、ここ数ヶ月間、Mr.Sharifの援助機関である地雷犬センター(MDC)はタリバン残党によって攻撃をされてきた。しかし、Sharifと彼のチームは仕事を辞めてはいない。少なくとも今のところは。
「国の状態がどんなものであろうと、私たちは私たちの仕事を続けなければならない。」とSharifはブレンダが訪問してきたジャーナリストの顔をなめているのを横目に答えた。「私たちはムジャビディン政府の時もこの仕事をしてきた。タリバン政府の時もだ。そして今もやっているのだ。この仕事はただ人々の幸せのためにおこなっているだけである。」
過去6ヶ月間で、援助職員に対しての攻撃は劇的に増えている。Sharif のようにアフガニスタンの復興課程を押し進めようとしている人々の命を危険にされしているのだ。23年間の戦争の様々な危険にも関わらず活動を続けてきた外国の援助団体の多くが活動を停止したり、撤退をしている。
以前は、ほとんどの援助要員は彼らの機関の評判に頼ることができたし、兵士の良識が彼らを危険から守っていた。しかし、タリバンがジハード(聖戦)の対象を国内の復興に支援する全てのの援助団体に拡大したため、人道援助団体は活動のリスク、そしてそれは人の命をかけるほど価値があるものかを再評価している。
「治安状況は過去6ヶ月間で悪化してる。特にガズニ州ではひどい。」と国連アフガニスタン特別ミッション広報官Manoel de Almeida e Silvaはカブールで語った。「これまでに攻撃を受けた援助団体はこれらの地域では活動を継続せず、より安全な場所で活動を行うことになる。」
この撤退は深刻な政治的結果を生みかねないとMr.Almeidaは付け加えた。タリバンがもっとも活動的でmさらには5年に渡る旱魃が続くパシュトゥン民族が多数を占める地域であるアフガニスタン南部と南西部から援助機関が離れることで、地元住民はハミドカルザイ大統領を支持する理由もないと感じるかも知れない。そしてタリバンを代わりに暗黙の内に支援していくかもしれない。
3月の国際赤十字委員会代表のエルサルバドル人援助職員Ricardo Munguia殺害がタリバンの戦略の転換点とほとんどの人が記した。逃げることが許されたアフガニスタン人職員の赤十字ドライバーによれば、銃をもったタリバン兵はMr.Munguiaを車から引きずり降ろし、衛星電話で、タリバン司令官へ指示を仰いぎ、近い距離からMunguiaを撃ち殺した。
この殺害以降、12人以上の援助職員が殺害され、そのほとんどがアフガニスタン人で待ち伏せや不正なチェックポイントで殺されている。また一方で数十人が攻撃されたり、怪我を負ったりしている。死者はアフガン南部の町Moqorでデンマーク援助団体DACAARの井戸掘りに従事していたアフガニスタン人4人が殺害されたことで、9月始めがもっとも高い死者数となった。
これは多くの援助団体が活動を行う上でもっとも基本的な姿勢を問い直す状況である。すなわち中立という原理で安全を確保できるのか?
地雷除去グループに対しての攻撃はある意味大変驚くべきことであった。MDCへの攻撃も加えて、タリバンゲリラや共鳴者はアフガニスタン人によって運営されている団体ATCも同様に他の地雷除去団体をも攻撃した。
かつては地雷除去団体に同情的だったタリバン
タリバンの最高支配者Mullah Mohammad Omarはソビエト連合侵略後、大量に国内にばらまかれた地雷と不発弾の処理を行う彼らの作業を繰り返し賞賛していた。自身が地雷の被害者である多くのタリバン兵士が、地雷除去要員の警備をしていた。
しかし、タリバンは考えと、手段を変更したようだ。アメリカの資金を受け取ったり、アメリカが支持するハミドカルザイ大統領の政府を支援する活動を行う援助団体は全て攻撃をうけてしかるべきだと主張した。
今月、the Associated PressにFAXされた声明の中で、タリバンは新たな戦略を説明した。
「我々の政府は本当にアフガニスタンの発展を願うNGOで働いている人々に敬意を表してきた。しかし、また違った種類のNGOがある。彼らは名ばかりのNGOで実際は、アメリカのために働き、スパイ活動をしている。我々は彼らを攻撃し、アフガニスタンから追い出すよう全国のタリバンに指示する」と声明には書かれている。
しかしながら、NGOへの攻撃にそのような理屈があったわけではない。
援助要員と戦闘要員との区別があいまいになった新たな世界で、MDCは作業を続けていた。訓練された特別なベルギーシェパードを使いながら、アメリカと国連から資金を受けることの機関はこの9年間で1億平方メーターに渡って地雷を除去してきた。それらはほとんどのアフガン人が収入をえるための活動を行う都市部であったり、農業地域や牧草地帯であった。
前進を続ける
カブールのMDC本部ではMohammad Arif副所長は団体がこれからも恐れることなくアフガニスタンでの作業を続けることができると信じていると語った。
「私たちはアフガニスタンから地雷をなくしたい。そのために活動するつもりだ。」とMr.Arifは言う。「ほとんどの人々が私たちは独立していると知っています。私たちはタリバン時代も活動し、タリバンから安全を保障されていました。恐れはありません。なぜなら私たちはどんな政治家とも手を組まない。」
しかしこの独立性も8月18日に起きたワダック州での何者かによるMDCグループの襲撃をArifさえ、止めることはできなかったことを認めた。夜遅くの襲撃で、誰にも怪我はなかったが、襲撃者は車1台を燃やし、もう一台はロケットプロペラ手榴弾を打ち込み、3台目を盗んでいった。
「彼らは、地雷除去者である我々を攻撃しているというのには、私は本当に驚いた。」とMDCとともに活動する国連機関の地雷除去計画機関の地雷調査チームのリーダーMohammad
Azeem技師は言う。「これは私がこの仕事を14年間してきた中で直面するもっとも危険な状態です。タリバンは私たちを尊敬していました。彼らは私たちに食糧をもってきてくれたり、夜寝床を提供してくれたりしていました。今では私たちは怯えています。そして村の人々もまた怯えています。」
家族と国のために。
最近MDCに参加した若い男性のSaniullahは中央政府に「私たちが仕事を適切に行うことのできる安定した治安状況を」もとめると言う。
しかし、彼は一度も彼の仕事や、丈夫な若いベルギーシェパードOwenから離れようと思ったことは一度もない。「私は今までに辞めようと思ったことは一度もありません。ここが私たちの国です。ここにいるのは我ら国民です。私の義務をまっとうしなければなりません。」
Mohammad Sharifを仕事をやめるとすれば、唯一の理由は彼の妻であるという。「私の妻は私をとても心配しています。私は毎日彼女に、私たちは100%安全だと言っています。もしMDCに対して攻撃があったとしても、私たちはそのことを家族には告げません。」と笑顔で言った。
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アフガニスタン:武装解除した兵士へのインタビュー
クンドゥズ,10.27(IRIN)―10万人以上のこの国の元戦闘員の武装解除は安定した未来にとって必要不可欠だとみなされている。オブザーバーはどのように、この国連の後押しをうける武装解除、動員解除、社会復帰計画(DDR)が成功するか、また元兵士らが本当に武器を手放し、市民としての生活に戻れるのかを以前として不安な思いを残したままである。
IRINのインタビューで、北部の町クンドゥズでDDR試験的計画の第一段階で最近武装解除したMohammad Ibrahimは、武装解除される1,000人に彼の所属していた部隊の全員が最初に含まれてほしかったという。
戦争状態の20年間に残忍な行為を繰り返してきたため、オオカミとしても知られたIbrahimは、この地域へ流れ込み続ける武器の和が増える一方であることにいやになった。そしてクンドゥズのはずれにある彼野村Chahar Tutでのじもとでの張り合いに拍車をかけてきたと言った。多くの兵士が数百もの兵器を備蓄しているので武装解除は答えの1つにすぎないと、35歳の元戦闘員は語った。薬物取引が増え、それが更なる利益を増やし、再軍備化されつづけた紛争は未だに主要な不安として残っている。
質問:武装解除した兵士として市民生活に向けて第一段階を踏み出す気分はどうか。
答え: ええと・・・私はアフガニスタンに外国(ロシア)が侵入してきたとき、14歳の若い兵士として銃を持った。それは大変誇りに思え、感動をした。しかしこれは何年間にも及ぶ私の苦悩の始まりであり、ひとつの場所から別の場所へ移動するにも語ることのできない山中の生活の始まりであった。しかし今日私はまた違った誇りを感じている。武装解除していることと(新しい)人生の段階にはいったことについて今ではより誇りに思うし幸せだし楽観的である。私にとって翌日に生きているかどうかも心配をしながら床に就く必要のない、普通の生活の始まりである。
質問: あなたの他の友人はクンドゥズでの武装解除にどう反応したか。
答え: 武装解除されて市民生活にもう一度戻れると気づいている全ての人にとってはお祝いのようなものである。しかし不幸なことに計画では村の何千という兵士の中からたった1000人しか対象にはならない。もし給料も未払いな上、将来も見えない兵舎の中に留まっている人たちが、他の人たちが新しい職を持ち、人生を楽しんでいるのを見たとき、彼らは問題を起こしてしまうかも知れないので、早急に残りの人たちを計画の中へ汲み込むべきだ。
私の観点では、選択はいかなる基準もなしに行われる。兵士の間でさえ経済状況がよく腕前のある人はいっぱいいるが、多くは障害があり何をするにも不自由な全く無給の人もたくさんいる。彼らは最初に対象にならなければいけない。彼らの多くはこの計画に含まれていなかった。私は、最初の1000人を選出できる権力者はこの点を考慮にいれておくべきだったと思う。
質問: 市民生活で再び受け入れられるために何を選ぶか。
答え: ええと、私は筆記をとても学びたい。学校を去ったとき私は8歳だった。私は読めるが書けない。しかし、専門としては私は農家だから水道ポンプや肥料などといった農業に不可欠な手段を供給されるなら感謝するだろう。それさえあれば自分の9人家族を支えるのに十分である。
質問:クンドゥズでのDDRの効果の中で期待した主な変化は何か。
答え: 私だけでなく全ての人々が、ここ10年で増加した全ての緊張関係と待ち伏せ攻撃と殺戮の終わりを願っている、少なくとも誰かの奇襲の仕方やや確実な奇襲からの逃げ方のような考えは終わらせたい。私たちはちょうど武装解除が始まる数日前に何百という人の前でKonduzのバザールで銃を持った人を見たばかりだ。
国民はこういった緊張関係の終わりと銃や戦闘のない生活を望んでいる。いったん私たちがうちたてるものがまた壊されないと確信したら、自分で自分の生活を変えるために何かすることができる。もしこれが確実になれば、もはや自分の個人的将来防衛について心配しなくなったとき私たちは銃を手放すことができる。武装解除した兵士を助けることに加えて、政府はまた、どうやって多くは直接的または間接的に全ての再軍備やこれ以上の争防止のために芥子取引に関与している指揮官を弱らせるか考えるべきだ。
質問: 21年間戦闘にあって、最大の損失と達成は何か。
答え: 大きい損失は学校だ。私はもし学業を続けていれば8年生だった。大きな達成については、ロシアのアフガニスタン侵攻に打ち克ったことだろうといえる。もちろん、同じように他の損もあった。クンドゥズを離れてパキスタンに移住せねばならなかったとき、私たちは財産の全てを捨てた。帰ってきたら家は焼け落ちていた。私たちは未だに家を再建できずにいる。
私は多くのものを失った。不幸にもこの地域の農地の半分を指揮官が所有している。多くのBuz ka shi(敵の馬使いが円の中から死んだ羊を引きずり出すところを見る、アフガニスタンではなじみのゲーム)用の何十万ドルという価値を持った馬を持っている一方、私は自分の自転車すら持っていなかった。
質問: アフガニスタン政府と国際社会に何を求めるか。
答え: 政府と国際社会は武装解除問題をたいへん真剣にとらえてほしい。行き当たりばったりに見られ扱われるべきではなくて、この国の長期の安定のために批判的に見られるべきだ。この過程の全ての側面は配慮されるべきだ。武装解除の取り組みの最終的な成功はその将来の維持にかかっている。将来の確定的な派閥争いのルーツに取り組むための計画がきっとあるはずだ。
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最初の国際治安支援部隊がカブール以外へも展開
情報源:UN OCHA Integrated Regional Information Network
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クンドゥズ、10.27(IRIN)-国際治安支援部隊(ISAF)の首都カブールの境界の外への拡大という、援助要員とアフガン人達とが同様に何度も出していた要求に従って、最初のISAF部隊が日曜日に北東の街クンドゥズに展開された。アフガニスタン大統領のハミド・カルザイは、カブールを越えたところでの彼の統治力を再び及ぼすため総勢5,000人のISAFの権限の拡大を長い間要求してきた。
「我々は今は27人だが、2週間の間に次の一団がやってくるだろう。今年の末には150人の兵力を有するはずである。」と カブール以外での最初のISAF軍のドイツ軍司令官Kurt Schiebold大佐はクンドゥズ空港に着いた後、IRINに語った。そして今年は150人配備の予定だが、完全に任務を遂行できるにはその数は来年半ばまでに450人に増やされると彼は説明した。
カブール以外へのNATO主導の軍隊の拡大は、国内の問題のある州のあらゆるところでの治安の強化へ向けた重要な動きと考えられる。それらの場所では治安の不安定さが、危うい国家を再建させる努力をますます妨げている。ISAFの大部分はドイツとカナダの兵士で構成しており、それはアフガニスタン南部と東部においてタリバン残党に対する米国主導の軍事行動とは別個のものである。
クンドゥズは国内の州の中でもより安全なところの一つと考えられている。ここでは国連が支援した1,000人の戦闘員の武装解除が国際平和維持軍の到着の前日に完了していた。
彼の部隊の任務について、治安の再構築に対する支援、前戦闘員の武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)を監視すること、そして文民の権限と軍隊との間の協力促進に対して貢献することなどのような全面的な治安のための支援の準備が含まれている、とSchieboldは述べた。
ドイツ軍は数ヶ月間この地方にいた70人の米国主導の連合軍の州再建チーム(PRT)の後任として配備される。「この作戦は確かにやりがいがある。」とドイツ軍大佐はこの地域でのPRTの同僚の経験の重要性を強調しながら言った。
クンドゥズにおける米国のPRTの司令官であるFrederick Towes大佐は、クンドゥズとこの地方の他の4つの州におけるドイツ軍の役割が今後数ヶ月の間にそこで多くの行事が行われる予定なので重要なものとなるだろうと述べた。「彼らがここへ来ることはきわめて意味のあることであり、それはアフガニスタンにとってより大きな援助であることを意味している。クンドゥズにはより多数の兵士とより多くの民間人がやって来て、クンドゥズと4つの州の人々にとっていっそうの助けとなっていくだろう。」ドイツ軍が現在この州で進行中のDDRの過程に重要な役割を果たすだろうと付け加えながらTowesはクンドゥズのIRINに語った。
「DDRはアフガニスタンが以前の繁栄を取り戻すための助けとなるのに必要な要素の一つである。これはパズルを完成させるために必要なのピースのうちの一つである。」
一方では、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)はISAFのクンドゥズ到着を前向きの進展と呼んで歓迎した。「これはとても意味のあることである。なぜなら国連とアフガン当局は長い長い間これを要求してきたからである。私はこのことがクンドゥズで実現したことがうれしい。」と、UNAMAの北東地域事務所長のSergiy IllarionovはクンドゥズでIRINに語った。
彼は現在の状況に大きな変化があるとは期待していないのではあるが、前向きなものとなるであろうことは信じている。「ISAFのこの地方への派兵をこの地域のための特別な資金援助とともに、ドイツのNGOで支援するとドイツ政府が示唆している。これはとても重要なことだ。不幸なことにこの地方ではいろいろと大きなプロジェクトや大きな再建計画からはずされてきた。」とIllarionovは言った。
警察署や拘置所や警官の訓練などの能力向上と政府の社会基盤整備に対しドイツ軍は重大な役割を果たすだろうと彼は言った。そしてなぜISAFがそこにいるのか、そして彼らの任務は何かを人々に教育するための強いコミュニティの輪を作り上げることが必要であると強調した。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
北部の軍閥に警告するカブール
10月16日、カブール(IRIN)-10月9日、アフガニスタンの問題の多い北部で、抗争関係にある2つの軍閥が停戦合意を締結したことを受けて、カブール政府は、その争いの張本人であるアブドゥラ ラシッド ドスタム将軍とアタモハマド将軍の2人の軍閥リーダーに対して、もしこのもろい和平合意をやぶれば政府での地位を剥奪すると通告したと内務大臣がIRINに対して述べた。
「我々はもし和平合意を守らなかったり騒動を起こしたりすれば、政府としては真剣に彼らの処遇を決定し、現在の地位を首にし、今後政府での役割は何もできないだろうと、2人の将軍に警告した。」と、アフガニスタンの国務副大臣が言った。
アタ モハマドは、主にTajik Jamiat-eEslami(JE)党を率いており、マザリシャリフ市の軍指揮官である。一方元共産時代将軍で、現在はハミドカルザイ大統領のアフガニスタン北部の治安アドバイザーでもあるドスタムは、主にウズベク民族で構成される
Jonbesh-e Melli-ye Eslami(JME)のグループを率いている。ドスタムとアタ モハマドは、第三の少数民族の市民軍、Hazaras’ Hezb-e Wahdat-e Eslami(HWE)とともにアフガニスタン北部の支配をめぐって争っている。
内務省によると、双方の指導者たちは、停戦の再確認をするために来週の土曜日カブールに召集される。しかし、停戦合意が続くかを疑う声は公にあるようだ。「全ての武装グループは無学で読み書きが出来ず、約束を守ることなど気にしない。」とHelalは指摘した。
カブールの国連によると、マザリシャリフの周りの状況はかなり改善し、以前問題があった地域で普通の市民の往来がある。「マザリシャリフの状況は、主に武力抗争抗争が起こっていた西部で、10月9日と11日の合意に穏静化されたより穏やかになったと報告されている。」と、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)のスポークスマンAlmeida e Silvaが木曜日に言った。
彼は、2つの党のリーダーに忠実な武器携帯者たちは撤退してJEやJMEからの装甲車がMarmolとSheberghanのそれぞれの拠点に戻ったと言った。
停戦の結果、国連はその地域に通じる道路の使用禁止令を解いたことを発表した。「火曜日、マザリシャリフからSheberghanまで西へ続く道路を使う国連要員の移動は解除された。」と、スポークスマンは述べ、Chemtal地方のAsya-ye Sharaf村、Sara-ye-Asya村、Shakazin村の状況確認は、まだ進行中であることを記している。「道路を使ってこれらの特定の場所への国連要員の移動の可否はまだ最高されていない。」
マザリシャリフに拠点を置いているイギリスの地方再建チームとUNAMAは、地方の治安の全容を検証し続けている。「MeymanehとFaryabでの国連要因の道路の移動可否と活動も、10月7日の戦いの後にしかれた中止に続いて再開された。」と、Almeida e Silvaは強調した。
その2党の間の最近の争いは、6ヶ月間で最も激しいものであり、80人以上が命を落としたと伝えられる。内務大臣は、その死者の数をかなり少なく見積もっていた。
10月9日、アフガニスタン政府も、カブールを拠点とする警官300人が地域の治安を回復するためにマザリシャリフに派遣されると発表した。アフガニスタンの役人によれば、マザリシャリフの警察は現在、タジク人が支配しているJE、ウズベク人が支配しているJME、ハザラ人が支配しているJWEに分裂しており、そのため中立的な国家警察がその街の治安を確保するために必要とされるに至った。カブールは、300の新しい警官が、街をパトロールし、地元の警察と一緒に主要な警備拠点をコントロールする責任が与えられている、と言った。
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地方教師、NADYAへのインタビュー
10月13日、パクティカ(IRIN)-Nadyaは、保守的なアフガニスタン南東部のパクティカ地方の主要な町Sharanから15km離れたMashkhail地区に住んでいる25歳の女性教師である。彼女の経験は、教師を必要としている何百万もの人々に行うにあたって政府が直面している多くの問題点を浮き彫りにしている。
IRINのインタビューの中で彼女は、もし彼女のような女性教師がもっとたくさんいれば、より多くの女の子たちが学校に来るだろうと言った。この男性優位の社会において、より多くの女性の社会参加を推進するために、全体としてより多くの働く女性がアフガニスタンには必要だと付け加えた。彼女の教室は、Mashat Kheyl村の一角にテントを張ったものである。彼女が知る限り、彼女はその地方で唯一の女性教師である。
約2年前のタリバン政権の崩壊に伴い、アフガニスタン政府は戦争で破壊された同国で教育を優先させてきた、その結果、何十万人もの女の子を含めた3百万人以上の子供たちが学校へ戻った。しかし、この長期間にわたる戦争の後で教師、学校の校舎、備品の不足で女の子の教育に対する文化的な抵抗は、政府が直面している主要な問題の一部となっている。
Q:この保守的な地方で、あなたはどのようにして女の子に教えることを始めたのですか?
A:私は、この人口の多いこの地方で、家の外で働いている唯一読み書きができる女です。さらに重要な点は、この伝統的な地方における唯一の女性教師です。私の夫と私は、結婚後すぐにパクティカに来ました。Mashkhailの長老たちは私が読み書きができると知り、シューラ(協議会)の長老たちは、自分たちの娘たち、主に男性教師から教えることが許されていない年上の女の子たちに、ボランティアで教えることができるかどうか、夫を通じて依頼してきました。
私は、アフガニスタンにあるSwedish Comitee for Afghanistan から約35ドル支払われて、5年生と6年生の女の子たちに教えています。しかしながら、ほとんどの家庭では、5年生か、せいぜい6年生までしか娘たちを学ばせません。しかし、私はもし彼女たちを少なくとももう1~2学年上まで上げることができれば、大きな成功だと考えています。私が来る前、村人たちは、年頃なので、男性教師のもとに行くべきではないという理由で娘たちを、4年生より上には行かせなかった。
Q:では、女の子の教育に関して、地元での関心は高まっていますか?
A:この2年間で、私はもし教えられる女性がいるのであれば、人々は娘たちだけではなく妻までも学校に行かせたいと望んでいることに気づきました。私たちには、もっと多くの医者、地方の役人、援助職員が必要です。それにより、より多くの女性が勇気づけられて家の外に出て、この国を変える手助けをするでしょう。ここで女性を救う唯一の方法は、様々な分野でもっと多くの女性の労働者を送り込むことです。
しかし、女の子たちをここ(学校)に連れてくるためには、さらに多くの努力がなされなければなりません。もし生徒たちがお金や衣服のような形で奨励を受けることができれば、そのコミュニティーではもっと娘たちを学校に行かせる原因となるでしょう。人々は教育を嫌っているわけではないが、教育がもたらす利益に対する社会の意識が低い。一部の家庭ではいまだに、もし娘たちが高い教育を受けると、彼らの文化的な価値感を忘れてしまうかもしれないと言っている。多くの両親たちはいまだに、娘たちに、文学や他の課目よりも、伝統的な刺繍や手芸を学んでほしいと思っている。
Q:この辺りで唯一の女性教師として、地域社会であなたはどのように扱われていますか?
A:コミュニティーでは私はとても尊敬されています。私は、年配の女性たちが私のことを尊敬し、娘たちに教えていることを感謝してくれているのがとても嬉しいです。彼らは私を、まるで彼らのコミュニティーの長老あるいはリーダーであるかのように尊敬しています。しかしながら、人々がここで女性の労働者を見るのは、それが測量技師、教師、医者であっても、まだとても珍しいことです。だから当初は、彼ら(村人たち)は私のことを疑いの目で見ていました。でも今は、私が彼らにとってどれだけ役に立っているか認識しています。
Q:彼らの娘たちを学校に行かせることを促すために、あなたはどのようなことをしていますか?
A:主として、結婚式や、多くの村人たちが出席している場所に参加するとき、私は、教育がもたらす利益に対する女性の意識を高めるよう努めています。私は彼らに、娘たちを学校に行かせ、5年生よりも更に上の学年まで勉強させることを許可するよう促しています。しかし残念ながら、多くの人々は意識がなく、読み書きができることの価値を知りません。
村には30から50人家族の家庭もあり、女性や女の子たちは家の周りでたくさんの仕事をしなければなりません。だから彼らは、娘たちは家にいる必要があると言っているのです。私は、教育は神聖なものであると説いているイスラム教の教えを引用します。これが、一部の人々に女の子たちを学校に行かせることを納得させるのに役立っています。
Q:パクティカのような場所で教育の促進を支援するために、もっと政府や援助団体がすべきことは何ですか?
A:私は、政府や国際団体が、教育を最優先にしている、と主張していることに同意していません。地方で教育を改善するために、あまり費用がかからず、複雑でない簡単な方法があります。
もしよい給料がもらえるならば、地方で教えるために夫とともに赴任するであろうたくさんの女性教師が首都にいると確信しています。実際、政府は一般的に教育の重要性に対する意識が高い都会でではなく、地方における教育の改善(のプロセス)を始めるべきでした。もし問題が女性教師や学校の校舎の不足にあるならば、国際的に援助されているアフガニスタン政府にとって、その改善は不可能なことではないと思う。
Q:教師として、あなたはこのような孤立した場所で、どのように時事に関する情報を得ているのですか?
A:通信や郵便の手段はありません。私は結婚して以来カブールには行っていません。私はカレンダーが必要だったのですがこの地方ではどこにもないので、自分で一つ作りました。国で何が起こっているか知るために、私はBBCラジオやラジオ・リバティーを聞いています。また、ラジオ・アフガニスタン(国営ラジオ)が国中で、女性のための女性による放送プログラムを始めました。ラジオでは、彼ら(村人たち)が(放送を通じて)女性の話し手を聞くことができるので、私は大いに助かっている。
Q:教育以外で、アフガニスタンのこの地域で、主に発展に必要なものは何だと思いますか?
A:健康施設や教育の不足は、かなり深刻な問題です。これは女性の間で、予防できる病気の広がりとなっています。地方全体に手術のできる病院はなく、助産婦さえいません。私自身、出産中や出産前に多くの女性が死ぬのを見ました。私たちは、車で数百km離れた隣のガズニ地方まで患者を連れて行かなければなりません。
近くに飲み水がないと、女性は家からかなり遠く離れたところまで湧き水を汲みに行かなければなりません。私の息子は病気です。彼が栄養失調であり、もし病院に連れて行かなければもっとひどくなるとわかっています。でもここには彼を診察してくれる適当な医者や薬がなく、彼を入院させることができない。
Q:あなたはアフガニスタンの地方では珍しい、読み書きのできる職業女性です。あなたの抱負は何ですか?
A:私は他の村にいる救援団体による助産婦の訓練コースに参加しましたが、今のところまだ他の機会はありません。私はパクティカでかなり数少ない読み書きができる女性の一人であり、私の夫は、今度のロヤジルガ(国民大会議)で私がパクティカの女性の代表者になることに反対していない。しかし、今のところ憲法草起委員会から誰も、私にその機会を申し出るために私の村を訪れる人はいません。
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アフガニスタン平和構築
概要
アフガニスタンでの紛争への取り組みと安全を提供することは、頻繁に暴力を突発させ、より広範囲な問題になる地元論争をあつかうにはさらなる努力を必要とする。甦ったタリバンからの脅威にくらべればそれ程注意は引かないが、地域論争は一般市民にとって生活の全ての質を破壊しアフガニスタン暫定政権の正当性を傷つける不安定な環境を生み出すので重要な問題である。地域指導者らは自分の地位を強固なものにする為に論争を不当に利用し、さらには中央政府の権限を弱めている。
論争には主に3種類ある。1つは土地と水を巡るもので、これら2つは最も重要で希少な資源である。2つ目は、民族で土地や水に密接に関連することがよくあるが、また政党間の闘争に関わることもある。3つ目は家族問題で女性の周辺に頻繁に起きている。
土地に関する争いごとはしばしば世代をさかのぼる。状況は何十年もほとんど考慮されることのなかった土地改革や開発プログラム、戦争中の非常に多くの人々の脱出、そしてずっと政党や戦闘員が私有地も公有地も両方を自分のものだと主張した事実によって複雑化されてきた。次ぎ次ぎと、土地の所有者は繰り返し変わったというその国全域に例証はたくさんある。明白な法的肩書きを持つ人はほとんどおらず、裁判所制度は紛争を調停するように設置されてないし、また警察も判決を実施するようにはなっていない。
土地よりも不足している物資である水を巡る論争は、論争を和解させたり、灌漑システムを管理する地元組織の崩壊によって悪化してきている。環境的ダメージが水の供給を減し、また旱魃や深い掘りぬき井戸の使用がいくつかの場所で地下水面を劇的に下げている中で洪水の危険性を高めている。
民族の対立は過去25年に渡って増加している。連続的権力移行がハザラ族とパシュトゥン族を同様に移動させてきたハザラジャトのような地域では特に増えている。しかし国の暴力的紛争や深い溝の長い歴史にもかかわらず、アフガニスタン人は強い国民意識を持っており、民族意識が重要であると多くの人々は論じる。しかしながら、それこそが明らかに国と地域の両方において平和に反対する人々が不当に利用する要因なのである。なかなか消えない差別や不平等はそのような多くの問題のために地ならしをしてきたのだが、指導者によって故意にあおられたりもしている。特に紛争中の民族グループが争われている土地で何年も移動させられてきた北部で起きている。
家族論争はすぐ近くのグループを超えて広がることがよくある。そしてかなり多くの人々を巻き込むことになる。女性の地位と結婚問題に関して核心となるのは未だにほとんどが浮気である。かけおちする者或いは結婚を拒む者に対する罰は厳しく、家族間の不和はしばしば何世代にも渡って続く。戦争は男性にも女性にも関わる性的暴行を含み、このような争いに関わる暴力を悪化させてきた。
これら全ての争いはより広い戦争問題と絡み合っている。そのためさらに解決し難くなる。いくつかの進歩にもかかわらず、警察や司法部のような公的組織は未だ頻繁に分派したり腐敗しているし、アフガニスタン人のほとんどが信頼していない。長老会議(シューラやジルガとして知られている)のような伝統的機関がいくつかの地域では機能を果たしている。しかし、彼等はとても狭く古い権威の解釈を反映することが多い。例えば論争を解決する為に女性の権利を取引する。多くの若者、特に国外で難民だったものは自分が発言権を持てない議会の権威に従うことを拒む。他の議会は本質的に援助団体か国連の産物であった。いくつかは合法性を持ち相対的に代表である一方で、他のものは単に資金を地域社会に流すためのチャンネルであった。
これは、地元論争を解決するための方法を考えだされるには困難な環境にあり、現状はもちろんカブールだけではなく、国中で悩ませている治安の不安定さによって悪化している。残念ながら後者のほうを扱うための対処法が未だに対応なされていない。よく知られているが、国際的治安部隊であるISAFやNATOは首都のみの展開で他の地域への広がりが注目される。他の部分での解決は明白ではあるが、結果がでるには時間が必要となるだろう。このように警官や司法の効果的に広げることは、必要不可欠であるが、たとえ継続的な支援があったとしても一世代はかかる。それゆえ、地域論争の解決の仕組みは多くの人々にとって重要とされ、残っていくだろう。しかし彼らは紛争の多くに関して責任があり、また市民の権利を踏みにじるような人々の権威を高める危険性を減らす枠組み内で発展する必要がある。
特に、調停の第一歩は互いに依存する3段階において活発な助長を必要とする。持続的国際誓約があるべきで、それはボン協定の後援者らが特に選挙前に専念するものである。同時に、アフガニスタン中央政府は安全部門改革、武装解除、動員解除や戦闘員の社会復帰(DR)に従事する必要がある。それにより全面的に安全な状況を向上することができ法律規則を取り戻し、政治・社会的和解のプロセスにおいて信頼を築くことができる。これはきっと順番に多くの問題を解決する為の唯一の方法として残るような地域レベルの手段が効果的になり得る状況を作るにちがいない。
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