地方教師、NADYAへのインタビュー

10月13日、パクティカ(IRIN)-Nadyaは、保守的なアフガニスタン南東部のパクティカ地方の主要な町Sharanから15km離れたMashkhail地区に住んでいる25歳の女性教師である。彼女の経験は、教師を必要としている何百万もの人々に行うにあたって政府が直面している多くの問題点を浮き彫りにしている。
IRINのインタビューの中で彼女は、もし彼女のような女性教師がもっとたくさんいれば、より多くの女の子たちが学校に来るだろうと言った。この男性優位の社会において、より多くの女性の社会参加を推進するために、全体としてより多くの働く女性がアフガニスタンには必要だと付け加えた。彼女の教室は、Mashat Kheyl村の一角にテントを張ったものである。彼女が知る限り、彼女はその地方で唯一の女性教師である。
約2年前のタリバン政権の崩壊に伴い、アフガニスタン政府は戦争で破壊された同国で教育を優先させてきた、その結果、何十万人もの女の子を含めた3百万人以上の子供たちが学校へ戻った。しかし、この長期間にわたる戦争の後で教師、学校の校舎、備品の不足で女の子の教育に対する文化的な抵抗は、政府が直面している主要な問題の一部となっている。
Q:この保守的な地方で、あなたはどのようにして女の子に教えることを始めたのですか?
A:私は、この人口の多いこの地方で、家の外で働いている唯一読み書きができる女です。さらに重要な点は、この伝統的な地方における唯一の女性教師です。私の夫と私は、結婚後すぐにパクティカに来ました。Mashkhailの長老たちは私が読み書きができると知り、シューラ(協議会)の長老たちは、自分たちの娘たち、主に男性教師から教えることが許されていない年上の女の子たちに、ボランティアで教えることができるかどうか、夫を通じて依頼してきました。
 私は、アフガニスタンにあるSwedish Comitee for Afghanistan から約35ドル支払われて、5年生と6年生の女の子たちに教えています。しかしながら、ほとんどの家庭では、5年生か、せいぜい6年生までしか娘たちを学ばせません。しかし、私はもし彼女たちを少なくとももう1~2学年上まで上げることができれば、大きな成功だと考えています。私が来る前、村人たちは、年頃なので、男性教師のもとに行くべきではないという理由で娘たちを、4年生より上には行かせなかった。
Q:では、女の子の教育に関して、地元での関心は高まっていますか?
A:この2年間で、私はもし教えられる女性がいるのであれば、人々は娘たちだけではなく妻までも学校に行かせたいと望んでいることに気づきました。私たちには、もっと多くの医者、地方の役人、援助職員が必要です。それにより、より多くの女性が勇気づけられて家の外に出て、この国を変える手助けをするでしょう。ここで女性を救う唯一の方法は、様々な分野でもっと多くの女性の労働者を送り込むことです。
 しかし、女の子たちをここ(学校)に連れてくるためには、さらに多くの努力がなされなければなりません。もし生徒たちがお金や衣服のような形で奨励を受けることができれば、そのコミュニティーではもっと娘たちを学校に行かせる原因となるでしょう。人々は教育を嫌っているわけではないが、教育がもたらす利益に対する社会の意識が低い。一部の家庭ではいまだに、もし娘たちが高い教育を受けると、彼らの文化的な価値感を忘れてしまうかもしれないと言っている。多くの両親たちはいまだに、娘たちに、文学や他の課目よりも、伝統的な刺繍や手芸を学んでほしいと思っている。
Q:この辺りで唯一の女性教師として、地域社会であなたはどのように扱われていますか?
A:コミュニティーでは私はとても尊敬されています。私は、年配の女性たちが私のことを尊敬し、娘たちに教えていることを感謝してくれているのがとても嬉しいです。彼らは私を、まるで彼らのコミュニティーの長老あるいはリーダーであるかのように尊敬しています。しかしながら、人々がここで女性の労働者を見るのは、それが測量技師、教師、医者であっても、まだとても珍しいことです。だから当初は、彼ら(村人たち)は私のことを疑いの目で見ていました。でも今は、私が彼らにとってどれだけ役に立っているか認識しています。
Q:彼らの娘たちを学校に行かせることを促すために、あなたはどのようなことをしていますか?
A:主として、結婚式や、多くの村人たちが出席している場所に参加するとき、私は、教育がもたらす利益に対する女性の意識を高めるよう努めています。私は彼らに、娘たちを学校に行かせ、5年生よりも更に上の学年まで勉強させることを許可するよう促しています。しかし残念ながら、多くの人々は意識がなく、読み書きができることの価値を知りません。
  村には30から50人家族の家庭もあり、女性や女の子たちは家の周りでたくさんの仕事をしなければなりません。だから彼らは、娘たちは家にいる必要があると言っているのです。私は、教育は神聖なものであると説いているイスラム教の教えを引用します。これが、一部の人々に女の子たちを学校に行かせることを納得させるのに役立っています。
Q:パクティカのような場所で教育の促進を支援するために、もっと政府や援助団体がすべきことは何ですか?
A:私は、政府や国際団体が、教育を最優先にしている、と主張していることに同意していません。地方で教育を改善するために、あまり費用がかからず、複雑でない簡単な方法があります。
 もしよい給料がもらえるならば、地方で教えるために夫とともに赴任するであろうたくさんの女性教師が首都にいると確信しています。実際、政府は一般的に教育の重要性に対する意識が高い都会でではなく、地方における教育の改善(のプロセス)を始めるべきでした。もし問題が女性教師や学校の校舎の不足にあるならば、国際的に援助されているアフガニスタン政府にとって、その改善は不可能なことではないと思う。
Q:教師として、あなたはこのような孤立した場所で、どのように時事に関する情報を得ているのですか?
A:通信や郵便の手段はありません。私は結婚して以来カブールには行っていません。私はカレンダーが必要だったのですがこの地方ではどこにもないので、自分で一つ作りました。国で何が起こっているか知るために、私はBBCラジオやラジオ・リバティーを聞いています。また、ラジオ・アフガニスタン(国営ラジオ)が国中で、女性のための女性による放送プログラムを始めました。ラジオでは、彼ら(村人たち)が(放送を通じて)女性の話し手を聞くことができるので、私は大いに助かっている。
Q:教育以外で、アフガニスタンのこの地域で、主に発展に必要なものは何だと思いますか?
A:健康施設や教育の不足は、かなり深刻な問題です。これは女性の間で、予防できる病気の広がりとなっています。地方全体に手術のできる病院はなく、助産婦さえいません。私自身、出産中や出産前に多くの女性が死ぬのを見ました。私たちは、車で数百km離れた隣のガズニ地方まで患者を連れて行かなければなりません。
  近くに飲み水がないと、女性は家からかなり遠く離れたところまで湧き水を汲みに行かなければなりません。私の息子は病気です。彼が栄養失調であり、もし病院に連れて行かなければもっとひどくなるとわかっています。でもここには彼を診察してくれる適当な医者や薬がなく、彼を入院させることができない。
Q:あなたはアフガニスタンの地方では珍しい、読み書きのできる職業女性です。あなたの抱負は何ですか?
A:私は他の村にいる救援団体による助産婦の訓練コースに参加しましたが、今のところまだ他の機会はありません。私はパクティカでかなり数少ない読み書きができる女性の一人であり、私の夫は、今度のロヤジルガ(国民大会議)で私がパクティカの女性の代表者になることに反対していない。しかし、今のところ憲法草起委員会から誰も、私にその機会を申し出るために私の村を訪れる人はいません。
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