ハイチ:地震の後の豪雨
情報源:UNOCHA-IRIN(国連人道問題調整事務所・統合地域情報ネットワーク)
日付:2010年3月3日
(ポルトープランス)
13人が亡くなった。家が水につかり、畑もとバナナ農場も水浸しになった。家畜が溺死した。道路は通行不能だ。何千人もの人々が家を追われ、生々しいトラウマが残った。
これは、季節外れの豪雨に見舞われた、ハイチの南岸にあるLes Cayes(地名)の窮状だ。ハリケーンの季節がもうすぐやって来る。
Les Cayesとその周辺へに緊急配布するために4030食を積んだトラックが3月2日、ポルトープランスを出発した。Les Cayesの北に位置し、洪水が起きたNippes地域にも食糧が配られた。
国連世界食糧計画は、地元の有力者やNGOとともに、家から避難した約3000人を含む被災者に10日間の配給を行うことを計画している。
「下水道の状態が悪く、市のあちこちで洪水が起こりました」とハイチ赤十字の地区代表であるJean-Yves Placide氏は言う。
「家の天井の高さまで水が上がった場所もあります。雨が降り続けば状況はもっと心配です。太陽は顔を出していますが、雨雲が出たり消えたりしています」
「人々は洪水との付き合い方には慣れていますが、(いつもは)こんなに早く起きないものです」 と支援スタッフがIRIN に語った。Solon地区の都市に住むある2児の母親は、洪水で全てを失った。家族の財産は全て破壊された。ベッドも、服も、全て。
2月27日から28日にかけて、雨がこの地域を襲った。3月2日には多くの家がまだ水に浸かっていたと支援スタッフは言う。
そのスタッフによると「とても多くの人が、農作物(バナナの木やサトウキビ)や家畜を失ったと言っています」
Christian Aidと共に活動する地元のNGO、Prospery Raymondは、農業への被害を調査している。ハイチの市民保護局によると、農業は「甚大な被害を受けた」という。
雨季はたいてい4月に始まり、5月にピークを迎える。ポルトープランスの国際赤十字・赤新月社連盟の活動の代表者であるIain Logan氏によると、ハイチはこれに対応する備えが出来ていないとのことだ。
「Les Cayesで例年より早く起きた洪水は 2008年のハリケーン以降始まった大災害への予防努力が拡大し、適用されなくてはならないということを厳しく思い出させてくれた」と彼は言う。
「我々は、大地震、雨季、ハリケーンの季節と、次々に災害が連続する非常に稀な状況にある」
原文URL:reliefweb.int
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ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム
ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機
―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム(現金収入のある仕事の支援計画)
情報源:CARE、FAO
日付:2010/02/19
1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震がら1ヵ月たち、FAO(世界食糧農業機関)と国際人道機関であるCAREはこの国の食糧危機についての共同警告を発表した。
「これは,すでに国中に影響を与え始めていて表面化していないが拡大傾向にある危機である。」とFAOハイチ調査調整官であるDick Trenchardは言った。「地方部はポルトープランスからの大量の移住を経験しており、周辺地域はもっとも影響を受けている。特に西部のArtiboniteと南部のGrand’Anseはひどい状態にある。」
FAOと農業集団のパートナーによる早急な調査が行われ、避難民の面倒を見ている“受け入れ家族”は自分たちの乏しい貯えを新しい住民に食べさせるために使い、食料の蓄えを消費している、と発表している。
このような貧しい人々の多くは次の作付け期のために貯えていた種をやむを得ず食べることまでしていて、家畜、特にヤギを食べるか売るかしている。
「地震後に地方部やほかのより小さな都心へ移動した約50万人の人々を助けようとして、厄介で持続不可能な対処策を最後の手段として人々がすでに用いているという兆候を我々は見ている。」とTrenchardは言った。
植えつけまで2週間
「毎年の収穫の60%以上を占める主たる植え付けの時期が2週間以内に始まる。」とCAREの緊急食料保障専門家のJean-Dominique Bodardは言った。「もし受け入れ家族が種を買うかもしくは良質の種を手に入れる他の手段が何もないとすれば、これは彼らにとって災難となるだろう。この危険な循環には別の側面がある。現金がないために多くの受け入れ家族は植えつけのための日雇い労働者を雇うことができない。結果として労働者たちは自分の家族を食べさせることができず、労働力が得られれば可能であったであろう作付けを行うことはできない。」と付け加えた。
地方では農民たちはもうすぐやってくる植え付け時期のための種を買う金がなく、食料の価格はすでに地震前より10%上がっている。これはもっと悪いことが起きる指標である。緊急の解決策の1つは農村部において現金が支給される仕事の支援をする計画で(キャッシュフォアワークプログラム)あろう。
「植え付け次期が始まる前に、早急に農家に金を投入する必要がある。」とBodardは説明する。「食糧の配給は被災後の緊急の困窮状況を緩和することはできるが、長い目でみると最も必要とされていることは、農家にとって自治を取り戻すことに投資できる現金なのだ。」
現金収入のある仕事(キャッシュフォアワーク)
FAOはレオガンの灌漑用水路の清掃という小額の現金収入が得られる仕事の計画(キャッシュフォアワークプログラム)を始めており、CAREは近々その対象を600人から4,000人へ拡大していく予定である。
「これは人々が自分の生活を取り戻そうと必死になっている極めて重要なこの時に待ち望んでいた資金面での後押しであり、地震以降落ち込んでいた地方の経済にとって待ち望んでいた活力注入になるだろう。」とTrenchardは言った。
復興段階の一部分において、CAREはコミュニティに基盤をおいた組織が水の管理や生産物の売買、能力開発などの活動をするための支援の計画をしている。これらの活動は農業、天然資源、地方開発の省庁の“2010年1月12日ハイチ地震における食料生産計画、避難住民の統合ならびにハリケーン期に向けての防災に対する特別緊急支援”に直接貢献するものとなるだろう。この計画はFAOと米州農業協力機関 (IICA)の支援を受けている。
集団の指導者
ハイチでの国連の農業集団の指導者として、FAOはこの分野の国際または国内の組織の調整をしている。政府のガイドラインのもとで、現地の資金提供者と機関を守るのが仕事のひとつである。
ポルトープランスの西方にあって地震で村の80%が壊れた農村のレオガンで、CAREはすでに活動していて、避難所、緊急物資、水、衛生用品を提供し、母親と妊婦の健康支援をしている。FAOは小規模農家に対し、良質の種や農具というような農業に必要なものが行き渡るよう支援をしている。
商売の準備をする震源地近くの町
商売の準備をする震源地近くの町
情報源:The New York Timesより抜粋
日付:2010/02/01
かつて町の中央広場であった場所は、今は仮設テントがたくさん建ってごちゃごちゃした地域となって息を吹き返し、商業が活況を呈していた。新しい家は拾ってきた木材や板金で建てられているのだが、靴磨き、美容院、炭や石鹸、CasinoブランドのチョコレートやComme Il Fautというタバコなどは高値で手にいれることができた。
Merlise Charles(36)はほとんど利益がないのになぜ一日中大なべでつぶしたサツマイモを一生懸命売っているかを説明した。「わたしは何かをしている必要がある。」と。
この広場での仕事は、利益を上げるためというより、復興に対する渇望からのようにみえる。キャンプに秩序をもたらす手助けをするために選ばれた10人からなる委員会によって作られたリストによると、ここには500家族以上の約2,500人の人々が地震の後に移ってきていた。
この広場はかつては露天や倉庫が立ち並ぶ市場だった。しかし2002年、前大統領のJean-Bertrand-Aristideが公園へ行く道路を作るためここを取り壊すように命じたと、ここにいる人は語った。それは国民の決定によるものではなかった。市場はすぐに撤去されたが公園の計画は何年も放置されたままである。
今やこの広場は村と広場と市場が一体となっている。寄付されたテントが見られるだけでない。4人家族のために約8フィート四方の小さい掘っ立て小屋を2人の男が建てているのをCarmalite Henry(51)は見ていた。彼女は友人から借りた50ドルを彼らに払った。
Gerome Julieは4人の子供の母親だが、柱を立てる穴を掘り、釘や木材や板金に60ドルを払って自分の小さな家を建てた。防水はしてあるのかと尋ねたら、「わからない。まだ雨が降っていないから。」と彼女は答えた。彼女はトイレットペーパーや洗濯洗剤、石鹸など地震の前に持っていた全商品を売っていた。各々に付き25セントの儲けがあると彼女は言った。
くじ等も復活しつつある。広場には2,3ペニーから始められるチケットを買える場所が少なくとも3ヵ所あった。ある1人のくじ売りは、Ronald Center Bankという目立つ名をスクラップの金属板に書いて縁石に立てかけていたが、商売は振るわなかった。「ここにはお金がない。でも人々はくじを信じている。」と経営者のRonald St.Hubetは言った。
この広場は人道的な援助には少し邪魔になっているようだとキャンプの委員会の事務局員であるFednel Sainsulmeは言った。二人の警官を含む委員会が夜にはパトロールをし、市長に状況報告をして、寄付された物資を整然と配給するよう交渉しようとしていた。
Hays Pure Water For Allという非営利団体のメンバーが、水を消毒するための塩素溶液に塩水を変換する簡単なフィルターを持ってきた時、委員会のメンバーはキャップ一杯ずつの塩素を配るボランティアをした。他のキャンプでも委員会を選ぶようになった。
地震の前、Sainsulme氏は牧師であり、写真家、先生でもあった。彼の仕事は簡単には再開できない。彼がかつて教えていた9教室あった学校はレオガンのほかの学校と同様に壊れてしまった。「私は今ちょうど神を待っているところだ。」と彼は言った。
ハイチの地震被災者への救援情報提供支援
ハイチの地震被災者への救援情報提供支援
情報源:Internews Network Inc.より抜粋
日付:2010/02/03
インターニュースは地元のレポーターのチームと共にNouvells-Utiles(News we can use)という毎日放送する人道ニュース番組を作り、今現在25のローカルラジオ局で放送している。番組は1月21日から11の放送局で始まり、水の供給場所や避難キャンプの状況、公衆衛生の助言など重要な情報を伝えている。
インターニュースのチームから個人的に寄せられたCDによる情報があればそれが着くや否やほとんどの局で番組として放送している。通常は計画された時間帯に沿って、定期的に一日4回から6回Nouvells-Utilesとして放送している。
インターニュースは地元のレポーターとプロデューサーを雇い、ニュースを集め、番組を作っている。そしてレポーターに人道的な報道をするように訓練もしている。
手回しラジオの配布
とても多くの家と持ち物が破壊されてしまって、多くのハイチの人々はニュースを聴くためのラジオを利用することがもはやできなくなっていた。あるいは持っている小さなラジオの電池を切らしていた。1月にインターニュースは9,000台の手回しラジオの配給をアメリカ軍から受け、パートナーの19のローカルラジオ局を通して配った。最も必要な人々、特に女性が世帯主になっている家庭や弱い立場にある人々がラジオを手にする事ができるように重点をおいてラジオを配る協定を各ラジオ局は結んでいた。このラジオは電池や電気の必要がなく内蔵されている手回しクランクによって動く。
ハイチの人々に必要な情報を与えること
我々のチームはハイチで地元の報道各社と共にニーズを見極めながら活動している。各社の多くはレポーターや機材を地震によって失っていた。インターニュースは生存者へのインタビューもして人々がいかにして情報を得ているかを見つけ出し、地元の人々にとって情報が最も的を得たものになるようにしている。
援助提供者と地元メディア間のコミュニケーションのつながりとして機能することによって、インターニュースはハイチのレポーター達が救援情報を受け取ったり、配信したりできるようにしている。例えば、Ushahidiによって始められた携帯電話の短縮コード4636で、地元のニーズについてのレポートを集める手助けができる。
人道的なメディア援助を調整すること
インターニュースはCommunicating with Disaster Affected Communities(CDAC被災コミュニティとの連絡機関)の関連機関グループの創設メンバーで、中心機関であるUNOCHAと赤十字やセーブザチルドレンなどの団体や、BBC World Service TrustやReuters Thomson Foundationのようなほかのメディア支援提供者を含んでいる。UNOCHAはインターニュースに対して、CDACのメンバーによる人道的な情報の調整と、ひどく破壊されたハイチのメディアの状況において最大限の効果をもたらすためにメディアを支える活動をするという現場での指導的な立場の機関であるという役割を委ねていた。
ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること
ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること
情報源:Reuters
2010/1/28
ハイチの壊滅的な地震によって孤児となった4歳のJoは、携帯電話でおしゃべりして、おもちゃやお菓子をねだっていた。
ハイチ赤十字のボランティアにこの男の子はお母さんと話しているのだと言った。しかし
彼のお母さんは、このカリブ海の貧しい国で1月12日に起きた大災害で亡くなった何万もの人々の中の1人だった。
この男の子を地震後に救い出した赤十字従事者のMagalie Saint Simonは木曜日のインタビューにこう答えた。「私は彼に誰と話していたの?と聞きました。」彼は「お母さんとだよ。でもお母さんは僕を迎えに来てくれないと言ってた。死んでしまったから。」と言った。
国際赤十字委員会(ICRC)によって、こうした災害の時に初めて設置される移動型心理相談ユニットでJoと孤児達は世話をされている。このユニットを率いるEa Suzanne Ashakは、早期の心理学的介入の重要性を2004年のインド洋大津波の後ICRCは学んだと語った。あの津波では主にインドネシア、インド、タイ、スリランカ、モルディヴで20万以上の人々が亡くなった。
「心理的な支援を何も受けなかった人々は弱っていき、再び社会に参加しなかった。再建された社会にも参加しなかった。彼らの生活は失われた。彼らはどうしたらいいのかわからなかった。彼らは拠りどころを見失って、なんだかただ漫然と家でごろごろと過ごしているだけのようだった。」「ハイチでは極度の苦悩を切り抜けるよう早急に手助けすることが目標であり、そうすることによって身体的な生き残りに集中することができるようになる。」と彼女は語った。
訓練されたボランティア達は亡くなった子供や親戚や悲しみについての情報をやさしく探り出そうとしている。Joの想像上の電話の会話は幼い子供達が悲しみを表現することを助けるための確かなやり方の1つとなりうる。
心の内側に何か問題がある
子供達は色々と異なった形で苦悩を表現するとSaint Simonは言った。ある子供は食べたりしゃべったりしなくなり、他の子は過活動になったり、また怒ってばかりいたりする。世界保健機構の専門家は地震による心理的影響を手当てすることは、身体的な傷を治療することと同じように重要なことであるだろうと言っている。特に一生にわたる心の傷を負ったかもしれない幼い被災者の間では。
国連児童基金(UNICEF)によると、ハイチの900万の住民のほぼ半分が18才以下の子供であるという。
Joは初めは打ち解けず引っ込み思案だったが、Magalieが遊べるようにと電話を与えてからようやく遠慮なく話すようになった。
「彼が心の中で感じていたことを表に出してくれたことに私は心を動かされた。私にはわからないけど彼の心の内側に何かの問題があるようだ。」と彼女はロイターのテレビに語った。「彼がものを食べ始めたことがとても嬉しい。たった今あそこで、おなかがすいたと私に言ったのよ。」
20万以上の死者と100万の負傷者を出した地震から二週間は子供達が立ち直る手助けをするには重要な時であったとMagalieは言った。
「テントの周りに行ってみたら変化に気付くでしょう。もし前に来ていたら、彼らはモンスターだとあなたは言ったかも知れない。遊ばない。話そうとも自分を表現しようともしない。話しかけても無口なままだった。信じられなかった。でも、いまは大丈夫。」
震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援
震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援
情報源:Reuters
2010/1/19
ポルトープランスから車で西へ2時間、ハイチ地震の震源地であるバナナの育つ丘では山腹から大きな岩の塊が引き剥がされて放り出され、道路には亀裂が走っている。そこで化膿した傷を負った生存者は大破した家の傍らで支援者に気付かれないまま眠っている。
地震の最初の揺れから1週間たち、豚がキイキイ鳴いている田舎の家で、頭に血まみれの包帯を巻いて1人の男性は動けない状態でマットレスに横たわっていた。
ある少女は背骨を損傷して麻痺しており、彼女の姉は額からうなじにかけての場所と目の上とに負った深い傷を粗野に縫合したところがじくじくと化膿した状態だった。「縫う前には頭骸骨が見えていた。」と彼女達の叔母であるCyndie Thelus(26)は震えながら語った。彼女は少女達を一番近くの昼間診療所へ連れて行ったが、1人目の少女を診察するには設備が足りず、2人目の少女にはごく初歩的な治療しかできなかった。
火曜日までに外国の医療チームは震源地近くの極貧の農村であるレオガンの野戦病院でようやく仕事を始めた。しかし岩の崩落の災害にあった丘の上に小さな集落があることを誰も知らないようで、そこの患者を診るために人員を送ることはできていない。
ここはマグニチュード7.0の猛烈な揺れの中心地で、青々としていた丘は裂けてひび割れていた。道路の上に崩れ落ちた地面から木が突き出しているのを地元の人達はのこぎりで切り倒していて、また、巨大な岩の塊が砕けた時に採砂場のトラック運転手が押しつぶされ、辺りの風景が一転して塗り替えられた場所を指し示した。
「揺れが始まった時、私は入浴中だった。走り出て、今まで丘があったところが空っぽの場所になっているのを見た。」とSeraphin Sonel(14 )は語った。彼女は崩れた採砂場の近くに住んでいた。
火曜日、レオガンのはずれの野原にアメリカ海軍の最初のヘリコプターが水と食糧を投下した所のまわりには地震の生存者が大勢押し寄せていた。しかし今緊急に必要なのは眠るためのテントと医療行為だと彼らは言っていた。「私達には何もない。家にあった食料は瓦礫の下になった。お金もない。水さえない。」と、Rebecca Mirlind(25)はボーイフレンドと一緒にヘリコプターが着陸するのを見ながら言った。「これは確かに助けになる。」でも最も必要なことは感染症に罹った傷が致命的な状態になる前に人々が処置を受けることだと彼女は言った。「負傷した人がたくさんいる、手足を損傷して苦しんでいる人たちが。」
茫然とした見物人達はアメリカの“侵入”を見ていた
国際的な支援者と物資はこの数日のうちにハイチに投入された。しかしハイチの通信設備の破断や悪い道路状況、瓦礫の散らばった首都の混沌状態などが原因で、人々が支援や情報を受け取ったりすることが困難になっている。特に郊外では難しい。火曜日に食料の投下を見ていた人々の多くがそれをアメリカの侵入かのように、そしてその食料は自国の軍隊のためのもののように初めに思った。
「今現在のところ、できるだけ早く必要な物資を手に入れる計画になっている。」とClark Carpenter大佐は語った。国連のトラックが食糧支援を配給しはじめる地点となる安全な投下場所を数十人の海兵隊員が設営するための広報官である。彼は医療支援がなされるかどうかについては何も言えなかった。
国境なき医師団はレオガンの外れの野戦病院で200人以上の患者を診察し、日本の医療チームも36人以上を診察した。他の外国のチームはこの数日のうちにレオガンの設備の乏しいSainte Croix診療所へ到着する予定である。
「今必要なのは手術設備です。」とアメリカ人Suzi Parker(66)は言った。彼女は崩れ落ちかかっている宿舎からかろうじて逃げ出し隣の診療所に駆け込んだのだ。時計と眼鏡以外の持ち物はすべて失ったので、今は診察着を着て過ごしている。
農民達がサトウキビや揚げたバナナ、キャッサバのパン、米などを食べて暮らしていた赤土の丘では木や波型トタン板の小屋が建てられていた。これらの小屋は20万人以上の人が亡くなった首都の高層コンクリートビルに比べて揺れには強かった。
しかし粗末な軽量コンクリートブロックで建てられた家に住んでいた多くの人々は亡くなったり怪我をしたりした。今レオガンの人たちはみんな星空の下か、波型トタン板を木の枠に釘で打ち付けた頑丈な三角形のシェルターの中かで寝ている。
首都からレオガンへ向かう穴ぼこだらけの道路際には、小さな赤ちゃんも含む数十体の浮腫んだ遺体が、見向きもされず照りつける太陽に焼かれて腐敗しつつ横たわっている。
急いで治療されなければ多くの人々が壊疽した傷によって亡くなる危険がある。
「この(地震での)騒動の前ですら、ここの病院はかろうじて役目を果たしているような状況だった。今やどんな状況か想像できるだろう。」とアメリカ陸軍の支援物資を投下する地点の調査測量をしているJoel Beauburn(34)は言った。
水浸しになったメキシコの村々で鰐や蛇が恐怖を引き起こす
情報源:AFP通信
2007年11月7日
水浸しになったメキシコの村々で鰐や蛇が恐怖を引き起こす
メキシコVILLAHERMOSA、2007年11月7日(AFP通信)
10日間の洪水で荒れ果てたメキシコ南部のタバスコ州で、冠水した道路にやって来た鰐や蛇が新たな危険となっている。
「鰐たちは元々の生息地を離れつつある。」とメキシコ赤十字の責任者であるマルタ・ベアトリス・ソサ
は言う。
道を行く住民たちは水をぴしゃぴしゃ叩いている。こうすることで、この地域特有の鰐や恐ろしい毒蛇を
追い払おうとしているのである。
当局は、被災地での伝染病の危険も懸念している。
「デング熱、ジフテリア、コレラが発生する可能性がある。」とソサは言う。
フェリペ・カルデロン大統領は、淀んだ水に潜む幼虫を駆除するために被災地を燻蒸消毒すると発表
した。
また当局は、水がゆっくりと引いていくとひどい腐敗臭が残るため、いくつかの地域で、地面に散らばっ
ている牛の死骸の撤去作業を始めている。
隣接しているチアパスでは、レスキュー隊が土砂崩れの被害者の捜索を暗澹と続けていた。土砂崩れ
は家々を飲み込み、土砂がGrijalva川に流れ落ちた勢いで、高波をもたらした。
当局の発表によると、2遺体が収容されたが、なお14人が行方不明であるという。しかし、San Juan de
Grijalva村の住民たちは、行方不明者や亡くなったと恐れのある者は27人に上ると考えている。
オーストラリア、カナダ、グアテマラ、ドイツ、フランス、アメリカといった国々が援助を申し出ており、また
キューバは救急医療の専門家である医師50人を飛行機で派遣した。
メキシコ土木学大学の専門家たちは、タバスコやチアパスでは、緊急援助に加え、19億ドル近くの投
資が必要とされると強調している。この投資は、将来また同じような災害が起こるのを防ぐためのイン
フラ整備に使われる。
情報源 :Agence France-Presse (AFP)
原文URL:reliefweb.int
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ペルーでの深刻な寒波が、子供たちの生命に脅威を与える
冬の気温と高い湿度は、ペルーの地震によって家が崩壊した、何千もの子供たちと彼らの家族の
生命を、危機にさらしている。
昨夜、国に到着した私達の緊急対応チームは、ピスコ(Pisco)とチンチャ(Chincha)の周りの、最もひ
どい被害を受けた家の80~100%が、地震によって取り壊された、と報じている。その地域には、1
00万人に昇る人びとが住んでおり、そして、被災した可能性がある。
夜に気温は下がり、高水準の湿度は空気を冷たくし、湿り気のある状態にした。そして、家族らは、
避難所がなく、毛布もほとんどなく、生き残るためにもがいている。何千人もが野外で寝ており、温かく
しようと、薪をあさることを強いられている。食料、衛生の良い水、医療供給の欠如が、大きな脅威を
ひきおこしている。
“現場の状況は恐ろしい”現在リマにいる、セーブ・ザ・チルドレン、イギリスの南アメリカプログラムディレ
クターのRichard Hartillは言う。“子供たちは、彼らの家、服、食料―すべてを失い、夜、極度に寒
い気温の中で過ごしている。被害の全範囲は知られていない。しかし、全体のコミュニティーは、緊急
に必要とされている医療供給、食料、水から遮断されている。未だ、人々は廃墟の下に留まってい
る。そして、毛布や避難所なしで、寒さの中に家族が取り残されるのが、長ければ長いほど、死者数
は大きくなる。
450万人の人びとの死亡が確認された。しかし、セーブ・ザ・チルドレンは、数字が急激に上昇するだ
ろう、と懸念している。道路と陸上通信線と携帯電話のネットワークへの深刻な被害は、大部分の
被災した地域から、荒廃の範囲に関して、信頼できる情報をほとんど利用できなくし、未だ、救助努
力を妨げている。
今日、私達は、被害と子供たちニーズを調査するため、2チームの調査隊をピスコに送るつもりであ
り、1チームめは、ピスコに行く。そこでは、続いている震動が、まだ子供たちにトラウマを与えている。寒
さの中で寝る事に付け加え、多くの子供達は、混沌の中、彼らの家族からも引き離され、そして、街
の秩序が悪化するため、虐待へ、極度にさらされやすくなる。
2回目のチームは、イカ周辺の田舎地帯に向かっている。ここは、小さい銀や、石灰石の鉱山で働く
家族によって、シアン化合物のような、高い毒性の化学薬品が使われており、それが水供給を汚染
したかもしれないと、私達は懸念している。
マグニチュード8.0の地震は、水曜の現地時間、6:40に襲った。首都リマの南東約90マイルの震
央で、その後、マグニチュード6と6.3の2つの強い余震が続いた。
あなたのできること
私達は、この地域で、緊急応対として、100万ポンドの募金を上げることのアピールを立ち上げた。
寄付をするには、
―私達のペルー地震アピールウエブサイトを見てください。
―私達への寄付は、ホットライン08008148148に電話してください。
情報源:Save the Children Alliance
原文URL:reliefweb.int
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ペルー:アンデス山脈で記録破りの寒波
2007年7月16日
■記録的な寒さが、高地のアンデス山脈で子供達を脅かしている
ペルーの、高地であるアンデス山脈では、子供たちは低温に慣れている。たとえそれが、
寒いくらいであったとしても。しかし、今のような寒さは、誰も経験した事がない。
実に零下にまで下がったと記録された厳しい寒さは、僻地の、非常に貧しい高地地帯に住む、何千
人もの子供達や、妊婦の生命を脅かし続けている。
■子供たちは差し迫った危機にさらされている。
数週間にも及ぶ厳寒のため、すでに5歳以下の子供の55人が生命を奪われた。これまでに、驚くべ
き事に、6千もの肺炎の症例が記録されている。
その上、冬期は少なくともあと10週間は続くことから、最悪の気象にはまだ至っていないのでは、と、
予報士は危惧している。
“何千人という子供達が、守る手立てもなく、飢えや、呼吸器の疾患のため、差し迫った危機にありま
す。”PlanのInternational Executive Director である、Tom Miller氏は、そう警告する。
■保温の為に緊急に必要な物
今回の異常な天候は、この地域のほとんどの作物に被害を与えた1月、2月の、予想もしない厳しい
天候の後に続くものである。今回のこの一連の寒さで、事実上すべてが奪われてしまった。
異常な降霜や降雪が作物に打撃を与え続けるなかで、食料不足は深刻である。最新の算定では、
農作物の損失量は13万4千エーカーで、あと、22万5千エーカーが影響を受けている。
家畜もまた、死に瀕していて、農業従事者から大切な収入や栄養の糧を奪いつつある。
The Ministry of Agriculture(農業省)は、被害に苦しむ人々の生活を守る為、家畜用の一時的
な避難場所や飼料を用意している。
学校は、一日のうちで最も気温の低い時間帯に、子供達が苛酷な天候にさらされないように、時間
割や授業時間を変えることの権限を与えられている。また、校舎の改築が(ドアー、窓、屋根など)進
められている。
気温が下がり続けている中、呼吸器疾患の危険性が増えてきている。抗生物質や、抗炎症薬、せ
き薬等が不足している。
暖かい衣類や薬の必要性が迫られている。我々は他の機関や政府に、手遅れにならないうちに、手
を差し伸べてくれるよう、強く求めている。
Planはすでに、被災地の調査を行い、政府の省庁や自治体と共に、援助活動のコーディネートに着
手している。
■あなた方にできる事
我々の次なるステップは、Planの“非常用品”を、僻地のアンデス地帯にいる、1万人以上の子供達
や妊婦に配布する事だ。
その中には、暖かい毛布や羊毛のポンチョ、chuyo(羊毛の帽子)そしてソックスなども入っていて、クス
コ周辺の95の被災地域に配られる事になっている。
非常用品の配布と同時に、Planはペルーの国営ラジオ放送を通じて、緊急気象警報や、身を守る
為の情報を提供している。
20ドルあれば、一人の子供の身体を温めてあげる事が出来る。
それは、Planのサバイバル・キット計画の、被災児童一人当たりについての費用である。
あなたからの20ドルの寄付が、この異常な寒冷のもとで、一人の子供が生き延びる手助けになり、4
0ドルで子供2人が、100ドルあれば、文字通り一家族が救えるのです。
どうか、手を差し延べて下さい。夜になると、苛酷なまでに冷え込んでいきます。事態は一刻を争うの
です。
情報源:Plan
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メキシコ湾岸の子供達を励ます
12歳のDanshawn君はライトブルーのナイキのリュックを受けとった時、中に入っているものをじっと見ると笑顔がこぼれました。「クマのぬいぐるみと、文房具とラジオとトランプだ。」と言います。
先月、Mercy Corpsスタッフは中心都市であるニューオーリンズにあるJames Singleton Charter Schoolに通うDanshawn君と彼のクラスメイト数百人にこのリュックを配給しました。ハリケーンで荒らされたGulf Coastを越えたところに位置するこの学校では、この団体が年齢に適した玩具と勉強道具、その他いろいろなものが入った一万五千個ほどのリュックを配給しました。
ポートランドとシアトルのボランティアの人達によって詰められたナイキのバックはカトリーナとその余波に襲われたメキシコ湾岸地区の子供達を支援するためにMercy Corpsが行う支援活動の一部です。
子供達を励ますこのプログラムでは両親や先生、そのほか子供達に関連した仕事をしている人々に対し、ハリケーンと大洪水による子供の心の傷をどのように癒していくかという訓練や課題が与えられました。私たちは、若い人たちが感情を調べ、文化活動に参加するための支援もしています。例えばミシシッピ州にあるGulfportの舞台芸術団体に寄附をしたり、大洪水の影響で使えなくなった楽器を取り替えたり、ニューオーリンズのコミュニティーセンターや学校(Danshown君の学校を含む)で「ドラムサークル」を主催したりしています。
James Singleton Charter Schoolのほとんどの生徒はニューオーリンズを守る堤防が破壊された際、この州の半数もの世帯が4フィートの水で浸水してしまったため全てを失ってしまいました。6ヶ月経った現在でも子供達は精神的につらい時間を過ごしています。
数学の教師であるNathaniel Langはこう言いました。
「全てが初めてのこと……。」
「でも慣れたことはたくさんあります。」と。
Danshawn君は家族とテキサス州へ疎開した後、二度と故郷を見ることはできないと思っていました。しかし、戻って隣人が変わってしまったにもかかわらず11月に6年生のクラスが始まりました。「大丈夫だよ。でも昔の学校に戻ってほしいよ。」と言います。
何千も寄贈者のおかげでDanshawn君のような輝く笑顔を持ったGulf Coastの子供達は助けられました。リュックを手にして中に何が入っているか考えるのが楽しみだと言います。「ラジオはもちろん使うよ。いとこはトランプを使うだろうな。僕は課題のためにこの文房具を使うよ。」
「テディベアはどうするんだい?」
「テディベア?」と聞き返すと「飾りに枕元に置いておくつもりさ。」と言いました。
今日、あなたはDanshawn君のようなカトリーナや世界中のその他の災害のなかなか消えない余波から回復する子供達をGive for Kidsプログラムに参加することで助けることができます。月々の寄付によって、周囲の環境が崩壊されてしまった子供達を助け希望を与えたいと思います。寄付額は選ぶことができ、いつでも変更することができます。本日あなたも参加してみませんか。どうか継続したご支援をよろしくお願い致します。
原文URL: http://www.reliefweb.int
情報源: Mercy Corps
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