情報源:IFRC
日付:2003.10.27
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ほぼ60人の死者を出した今回の洪水によって、レンガ作りの家が壊された72歳のMai Van Tienは希望を失いかけた。
「私たちはただ、助けが来るのを祈っていた。私たちはもう2度と人々と連絡は取ることはできないのだろうと思いました。」とベトナム赤十字社によって寝たきりの妻と共に助け出された後、涙目で記者に語った。彼と妻は救助される前数日間、食べ物も水もなく過ごしていた。
Maiの家族は無事を得た唯一の家族ではない。赤十字社は他の400人もBinh Dinh県から救出した。
山間部での激しい雨の後、10月6日頃、川が増水を始めた。10月中頃迄には、6県にまたがる広域な洪水が起きた。沿岸部中部に位置するBinh Dinh県では、その災害によって15,000人が食糧も安全な飲料水も失った。7村の100家族が家を失った。地滑りが道路をふさぎ、救助を妨げた。
ベトナム赤十字社のBinh Dinh支部代表Dao Duy Chapによると地元の行政はベトナム赤十字と共に活動を行い、現金、インスタントヌードル、米、料理用鍋、医療品、蚊帳、そしてテントを被災者へ配給した。
多くの地域で、状況は危険に達した。Binh Dinh県の山間の地区では雨量がこの10年間で最も高い640ミリに達した。洪水と激しい波は数キロメーターに渡って堤防を決壊し、道路や橋が流された。
数県に渡る63万人の人々が洪水の影響を受けた。60人近くの死者を出した上に、3人が行方不明、47人が怪我をおったと赤十字社は語った。
4万世帯以上、39の学校教室、7つの診療所に浸水し、25トンの稲の種がだいなしとなり、米などの穀物畑やエビ養殖場が何千ヘクタールも被害を受けた。被害は1千500万アメリカドルと見積もられる。
しかし、1999年の洪水が、800人の死者を出したことを思えば、それと今回の同規模の洪水では死者数はもっと高くなっていたかもしれないとベトナム赤十字社の災害管理所長Dr.Vo Dinh は言った。
「今回の少ない死者数と同様に、破壊された家もまた1999年と比べると少なくなっている」と彼は付け加えた。
ベトナム赤十字による洪水対策が何らかの関係があると見られる。今年、ベトナム赤十字社は“衝撃編成隊”を準備して、彼らが人々の避難を手助けをしたり、飲み水を提供したり、人々に伝染病予防の仕方をアドバイスしたりしていた。Quang Ngai 県では、ベトナム赤十字社がオーストラリア赤十字社から資金を得て、救助作業を4地域で行うための8艘のモーターボートを貸しだした。
死亡者の4分の3が子どもであった1999年と比べると子どもも安全であった。
ベトナム赤十字社は2000年以降、洪水の被害にあう可能性のある子どもたち向けのプログラムを行ってきたとDr.Vinhは語った。赤十字社はこれまでに最少年の生徒たち(4歳から5歳)から始まって27県で70万人の子どもたちに対して、洪水安全メッセージを広げるために1万人の教師を訓練してきた。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
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最初の国際治安支援部隊がカブール以外へも展開
情報源:UN OCHA Integrated Regional Information Network
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クンドゥズ、10.27(IRIN)-国際治安支援部隊(ISAF)の首都カブールの境界の外への拡大という、援助要員とアフガン人達とが同様に何度も出していた要求に従って、最初のISAF部隊が日曜日に北東の街クンドゥズに展開された。アフガニスタン大統領のハミド・カルザイは、カブールを越えたところでの彼の統治力を再び及ぼすため総勢5,000人のISAFの権限の拡大を長い間要求してきた。
「我々は今は27人だが、2週間の間に次の一団がやってくるだろう。今年の末には150人の兵力を有するはずである。」と カブール以外での最初のISAF軍のドイツ軍司令官Kurt Schiebold大佐はクンドゥズ空港に着いた後、IRINに語った。そして今年は150人配備の予定だが、完全に任務を遂行できるにはその数は来年半ばまでに450人に増やされると彼は説明した。
カブール以外へのNATO主導の軍隊の拡大は、国内の問題のある州のあらゆるところでの治安の強化へ向けた重要な動きと考えられる。それらの場所では治安の不安定さが、危うい国家を再建させる努力をますます妨げている。ISAFの大部分はドイツとカナダの兵士で構成しており、それはアフガニスタン南部と東部においてタリバン残党に対する米国主導の軍事行動とは別個のものである。
クンドゥズは国内の州の中でもより安全なところの一つと考えられている。ここでは国連が支援した1,000人の戦闘員の武装解除が国際平和維持軍の到着の前日に完了していた。
彼の部隊の任務について、治安の再構築に対する支援、前戦闘員の武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)を監視すること、そして文民の権限と軍隊との間の協力促進に対して貢献することなどのような全面的な治安のための支援の準備が含まれている、とSchieboldは述べた。
ドイツ軍は数ヶ月間この地方にいた70人の米国主導の連合軍の州再建チーム(PRT)の後任として配備される。「この作戦は確かにやりがいがある。」とドイツ軍大佐はこの地域でのPRTの同僚の経験の重要性を強調しながら言った。
クンドゥズにおける米国のPRTの司令官であるFrederick Towes大佐は、クンドゥズとこの地方の他の4つの州におけるドイツ軍の役割が今後数ヶ月の間にそこで多くの行事が行われる予定なので重要なものとなるだろうと述べた。「彼らがここへ来ることはきわめて意味のあることであり、それはアフガニスタンにとってより大きな援助であることを意味している。クンドゥズにはより多数の兵士とより多くの民間人がやって来て、クンドゥズと4つの州の人々にとっていっそうの助けとなっていくだろう。」ドイツ軍が現在この州で進行中のDDRの過程に重要な役割を果たすだろうと付け加えながらTowesはクンドゥズのIRINに語った。
「DDRはアフガニスタンが以前の繁栄を取り戻すための助けとなるのに必要な要素の一つである。これはパズルを完成させるために必要なのピースのうちの一つである。」
一方では、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)はISAFのクンドゥズ到着を前向きの進展と呼んで歓迎した。「これはとても意味のあることである。なぜなら国連とアフガン当局は長い長い間これを要求してきたからである。私はこのことがクンドゥズで実現したことがうれしい。」と、UNAMAの北東地域事務所長のSergiy IllarionovはクンドゥズでIRINに語った。
彼は現在の状況に大きな変化があるとは期待していないのではあるが、前向きなものとなるであろうことは信じている。「ISAFのこの地方への派兵をこの地域のための特別な資金援助とともに、ドイツのNGOで支援するとドイツ政府が示唆している。これはとても重要なことだ。不幸なことにこの地方ではいろいろと大きなプロジェクトや大きな再建計画からはずされてきた。」とIllarionovは言った。
警察署や拘置所や警官の訓練などの能力向上と政府の社会基盤整備に対しドイツ軍は重大な役割を果たすだろうと彼は言った。そしてなぜISAFがそこにいるのか、そして彼らの任務は何かを人々に教育するための強いコミュニティの輪を作り上げることが必要であると強調した。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
ベトナム洪水:OCHA状況レポート2
OCHA 現状レポート No. 2
ベトナム – 洪水
2003年10月14日
このレポートハノイの国連駐在調整員事務所と政府による情報に基づいている。
発生と影響
10月14日~20日にベトナム中央部を襲った洪水はBinh Dinh県にあるひとつの村は依然として孤立状態にあるが、被害を受けた地域のほとんどで水は引き始めている。
今日までに、死者は46人、負傷者29人に増えた。482家屋が倒壊し、2万ヘクタール以上の米、穀物、エビ養殖場が被害を受けた。被害額は2610億ベトナムドル(約1690万アメリカドル)と見積もられる。
国内対応
副総理大臣は洪水による被害に迅速な対応をするように命じた。政府はQuang Ngai,
Quang Nam, Quang Tri, Binh Dinh and Thua Thien-Hueの5つの県に対して洪水被害者に緊急食糧を配付するために米配給書を設置するよう求めた。
保健省は被災県での負傷者治療や、伝染病発生予防のために薬や他の医療品を提供し、また保健職員を、汚染された水や環境を衛生的にするために現地へ派遣した。ベトナム赤十字社は洪水被災者が必需品を購入するためのお金を配付した。
国際的対応
今のところOCHAでは国際的支援の要請を受け取っていない。
今日、国連機関、NGO、洪水・豪雨管理委員会(CFSC)代表,そしてベトナム赤十字でのジョイントチームのメンバーが集まり、洪水に対しての対応を話し合った。これによってワールドビジョンとセーブ ザ チルドレンのジョイントチームがQuang Ngai 県の最も深刻な被害にあった被災地域の現状査察のために出発した。そしてまた、CFSC、UNDP、オックスファムのジョイントチームも10月24日金曜日にBinh Dinh県へニーズ調査のために入る予定。県のCFSCと赤十字もチームを参加させる。
OCHAではハノイ国連駐在調整員オフィスと協力しながら密接に状況をモニタリングしている。
原文URL:
ベトナム洪水:OCHA状況レポート1
OCHA 現状レポート No. 1
ベトナム – 洪水
2003年10月14日
このレポートハノイの国連駐在調整員事務所と政府による情報に基づいている。
発生と影響
10月14日に降りはじめた激しい雨は中央ベトナムで鉄砲水と地滑りを引き起こした。これによって40人が死亡し、何千万戸もの家に浸水被害があり、数千ヘクタールの穀物が流された。
今日までに、ハノイ南部890kmに位置するQuang Ngai県がもっともひどい影響を受け、17人が死亡、26人の負傷者をだした。13人が死亡したのは、Binh Dinh県。Quang Nam県では4人。Quang Tri 県では3人。Ohu Yen 県は2人。そしてThua Thien-Hue県では1人が死亡した。
洪水は57,300世帯に浸水し、そのうち51,860軒がQuan Ngai県であった。少なくとも7,800ヘクタールの米がだめになり、そのうちの6,000ヘクタールはBinh Dinh県での被害となった。また231の灌漑システムが破壊された。総被害額はまだだされていないが、物質的損失ではQuang Ngai県で560億2千万ベトナムドル(365万アメリカドル)そしてBinh Dinh 県では970億ベトナムドル(630万アメリカドル)と見積られる。
国内対応
農業開発省は地元の役人と救助隊との協力を呼びかけた。援助活動は家屋と灌漑の修復、そして今後の洪水被害予防に焦点が当てられている。これまでに9,600家屋が高台に移転された。洪水被害者へ食糧が配給され、援助職員には機材の補充がなされた。
Quang Ngai県では、保健職員らが汚染された可能性のある水源の浄化を手伝った。この県では伝染病予防対策がなされた。
調査団が報告する緊急必要物資はこれまでのところ主に食糧と医療薬品である。政府は被害を受けた県らに対しての緊急支援の必要性を見直しているところである。
国際的対応
今のところOCHAでは国際的支援の要請を受け取っていない。
ハノイの国連災害査察チームは明日被災地域に対する国連、NGO合同査察のための必要性を話あう予定である。
OCHAではハノイ国連駐在調整員オフィスと協力しながら密接に状況をモニタリングしている。
原文URL:
北部の軍閥に警告するカブール
10月16日、カブール(IRIN)-10月9日、アフガニスタンの問題の多い北部で、抗争関係にある2つの軍閥が停戦合意を締結したことを受けて、カブール政府は、その争いの張本人であるアブドゥラ ラシッド ドスタム将軍とアタモハマド将軍の2人の軍閥リーダーに対して、もしこのもろい和平合意をやぶれば政府での地位を剥奪すると通告したと内務大臣がIRINに対して述べた。
「我々はもし和平合意を守らなかったり騒動を起こしたりすれば、政府としては真剣に彼らの処遇を決定し、現在の地位を首にし、今後政府での役割は何もできないだろうと、2人の将軍に警告した。」と、アフガニスタンの国務副大臣が言った。
アタ モハマドは、主にTajik Jamiat-eEslami(JE)党を率いており、マザリシャリフ市の軍指揮官である。一方元共産時代将軍で、現在はハミドカルザイ大統領のアフガニスタン北部の治安アドバイザーでもあるドスタムは、主にウズベク民族で構成される
Jonbesh-e Melli-ye Eslami(JME)のグループを率いている。ドスタムとアタ モハマドは、第三の少数民族の市民軍、Hazaras’ Hezb-e Wahdat-e Eslami(HWE)とともにアフガニスタン北部の支配をめぐって争っている。
内務省によると、双方の指導者たちは、停戦の再確認をするために来週の土曜日カブールに召集される。しかし、停戦合意が続くかを疑う声は公にあるようだ。「全ての武装グループは無学で読み書きが出来ず、約束を守ることなど気にしない。」とHelalは指摘した。
カブールの国連によると、マザリシャリフの周りの状況はかなり改善し、以前問題があった地域で普通の市民の往来がある。「マザリシャリフの状況は、主に武力抗争抗争が起こっていた西部で、10月9日と11日の合意に穏静化されたより穏やかになったと報告されている。」と、国連アフガニスタン支援ミッション(UNAMA)のスポークスマンAlmeida e Silvaが木曜日に言った。
彼は、2つの党のリーダーに忠実な武器携帯者たちは撤退してJEやJMEからの装甲車がMarmolとSheberghanのそれぞれの拠点に戻ったと言った。
停戦の結果、国連はその地域に通じる道路の使用禁止令を解いたことを発表した。「火曜日、マザリシャリフからSheberghanまで西へ続く道路を使う国連要員の移動は解除された。」と、スポークスマンは述べ、Chemtal地方のAsya-ye Sharaf村、Sara-ye-Asya村、Shakazin村の状況確認は、まだ進行中であることを記している。「道路を使ってこれらの特定の場所への国連要員の移動の可否はまだ最高されていない。」
マザリシャリフに拠点を置いているイギリスの地方再建チームとUNAMAは、地方の治安の全容を検証し続けている。「MeymanehとFaryabでの国連要因の道路の移動可否と活動も、10月7日の戦いの後にしかれた中止に続いて再開された。」と、Almeida e Silvaは強調した。
その2党の間の最近の争いは、6ヶ月間で最も激しいものであり、80人以上が命を落としたと伝えられる。内務大臣は、その死者の数をかなり少なく見積もっていた。
10月9日、アフガニスタン政府も、カブールを拠点とする警官300人が地域の治安を回復するためにマザリシャリフに派遣されると発表した。アフガニスタンの役人によれば、マザリシャリフの警察は現在、タジク人が支配しているJE、ウズベク人が支配しているJME、ハザラ人が支配しているJWEに分裂しており、そのため中立的な国家警察がその街の治安を確保するために必要とされるに至った。カブールは、300の新しい警官が、街をパトロールし、地元の警察と一緒に主要な警備拠点をコントロールする責任が与えられている、と言った。
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地方教師、NADYAへのインタビュー
10月13日、パクティカ(IRIN)-Nadyaは、保守的なアフガニスタン南東部のパクティカ地方の主要な町Sharanから15km離れたMashkhail地区に住んでいる25歳の女性教師である。彼女の経験は、教師を必要としている何百万もの人々に行うにあたって政府が直面している多くの問題点を浮き彫りにしている。
IRINのインタビューの中で彼女は、もし彼女のような女性教師がもっとたくさんいれば、より多くの女の子たちが学校に来るだろうと言った。この男性優位の社会において、より多くの女性の社会参加を推進するために、全体としてより多くの働く女性がアフガニスタンには必要だと付け加えた。彼女の教室は、Mashat Kheyl村の一角にテントを張ったものである。彼女が知る限り、彼女はその地方で唯一の女性教師である。
約2年前のタリバン政権の崩壊に伴い、アフガニスタン政府は戦争で破壊された同国で教育を優先させてきた、その結果、何十万人もの女の子を含めた3百万人以上の子供たちが学校へ戻った。しかし、この長期間にわたる戦争の後で教師、学校の校舎、備品の不足で女の子の教育に対する文化的な抵抗は、政府が直面している主要な問題の一部となっている。
Q:この保守的な地方で、あなたはどのようにして女の子に教えることを始めたのですか?
A:私は、この人口の多いこの地方で、家の外で働いている唯一読み書きができる女です。さらに重要な点は、この伝統的な地方における唯一の女性教師です。私の夫と私は、結婚後すぐにパクティカに来ました。Mashkhailの長老たちは私が読み書きができると知り、シューラ(協議会)の長老たちは、自分たちの娘たち、主に男性教師から教えることが許されていない年上の女の子たちに、ボランティアで教えることができるかどうか、夫を通じて依頼してきました。
私は、アフガニスタンにあるSwedish Comitee for Afghanistan から約35ドル支払われて、5年生と6年生の女の子たちに教えています。しかしながら、ほとんどの家庭では、5年生か、せいぜい6年生までしか娘たちを学ばせません。しかし、私はもし彼女たちを少なくとももう1~2学年上まで上げることができれば、大きな成功だと考えています。私が来る前、村人たちは、年頃なので、男性教師のもとに行くべきではないという理由で娘たちを、4年生より上には行かせなかった。
Q:では、女の子の教育に関して、地元での関心は高まっていますか?
A:この2年間で、私はもし教えられる女性がいるのであれば、人々は娘たちだけではなく妻までも学校に行かせたいと望んでいることに気づきました。私たちには、もっと多くの医者、地方の役人、援助職員が必要です。それにより、より多くの女性が勇気づけられて家の外に出て、この国を変える手助けをするでしょう。ここで女性を救う唯一の方法は、様々な分野でもっと多くの女性の労働者を送り込むことです。
しかし、女の子たちをここ(学校)に連れてくるためには、さらに多くの努力がなされなければなりません。もし生徒たちがお金や衣服のような形で奨励を受けることができれば、そのコミュニティーではもっと娘たちを学校に行かせる原因となるでしょう。人々は教育を嫌っているわけではないが、教育がもたらす利益に対する社会の意識が低い。一部の家庭ではいまだに、もし娘たちが高い教育を受けると、彼らの文化的な価値感を忘れてしまうかもしれないと言っている。多くの両親たちはいまだに、娘たちに、文学や他の課目よりも、伝統的な刺繍や手芸を学んでほしいと思っている。
Q:この辺りで唯一の女性教師として、地域社会であなたはどのように扱われていますか?
A:コミュニティーでは私はとても尊敬されています。私は、年配の女性たちが私のことを尊敬し、娘たちに教えていることを感謝してくれているのがとても嬉しいです。彼らは私を、まるで彼らのコミュニティーの長老あるいはリーダーであるかのように尊敬しています。しかしながら、人々がここで女性の労働者を見るのは、それが測量技師、教師、医者であっても、まだとても珍しいことです。だから当初は、彼ら(村人たち)は私のことを疑いの目で見ていました。でも今は、私が彼らにとってどれだけ役に立っているか認識しています。
Q:彼らの娘たちを学校に行かせることを促すために、あなたはどのようなことをしていますか?
A:主として、結婚式や、多くの村人たちが出席している場所に参加するとき、私は、教育がもたらす利益に対する女性の意識を高めるよう努めています。私は彼らに、娘たちを学校に行かせ、5年生よりも更に上の学年まで勉強させることを許可するよう促しています。しかし残念ながら、多くの人々は意識がなく、読み書きができることの価値を知りません。
村には30から50人家族の家庭もあり、女性や女の子たちは家の周りでたくさんの仕事をしなければなりません。だから彼らは、娘たちは家にいる必要があると言っているのです。私は、教育は神聖なものであると説いているイスラム教の教えを引用します。これが、一部の人々に女の子たちを学校に行かせることを納得させるのに役立っています。
Q:パクティカのような場所で教育の促進を支援するために、もっと政府や援助団体がすべきことは何ですか?
A:私は、政府や国際団体が、教育を最優先にしている、と主張していることに同意していません。地方で教育を改善するために、あまり費用がかからず、複雑でない簡単な方法があります。
もしよい給料がもらえるならば、地方で教えるために夫とともに赴任するであろうたくさんの女性教師が首都にいると確信しています。実際、政府は一般的に教育の重要性に対する意識が高い都会でではなく、地方における教育の改善(のプロセス)を始めるべきでした。もし問題が女性教師や学校の校舎の不足にあるならば、国際的に援助されているアフガニスタン政府にとって、その改善は不可能なことではないと思う。
Q:教師として、あなたはこのような孤立した場所で、どのように時事に関する情報を得ているのですか?
A:通信や郵便の手段はありません。私は結婚して以来カブールには行っていません。私はカレンダーが必要だったのですがこの地方ではどこにもないので、自分で一つ作りました。国で何が起こっているか知るために、私はBBCラジオやラジオ・リバティーを聞いています。また、ラジオ・アフガニスタン(国営ラジオ)が国中で、女性のための女性による放送プログラムを始めました。ラジオでは、彼ら(村人たち)が(放送を通じて)女性の話し手を聞くことができるので、私は大いに助かっている。
Q:教育以外で、アフガニスタンのこの地域で、主に発展に必要なものは何だと思いますか?
A:健康施設や教育の不足は、かなり深刻な問題です。これは女性の間で、予防できる病気の広がりとなっています。地方全体に手術のできる病院はなく、助産婦さえいません。私自身、出産中や出産前に多くの女性が死ぬのを見ました。私たちは、車で数百km離れた隣のガズニ地方まで患者を連れて行かなければなりません。
近くに飲み水がないと、女性は家からかなり遠く離れたところまで湧き水を汲みに行かなければなりません。私の息子は病気です。彼が栄養失調であり、もし病院に連れて行かなければもっとひどくなるとわかっています。でもここには彼を診察してくれる適当な医者や薬がなく、彼を入院させることができない。
Q:あなたはアフガニスタンの地方では珍しい、読み書きのできる職業女性です。あなたの抱負は何ですか?
A:私は他の村にいる救援団体による助産婦の訓練コースに参加しましたが、今のところまだ他の機会はありません。私はパクティカでかなり数少ない読み書きができる女性の一人であり、私の夫は、今度のロヤジルガ(国民大会議)で私がパクティカの女性の代表者になることに反対していない。しかし、今のところ憲法草起委員会から誰も、私にその機会を申し出るために私の村を訪れる人はいません。
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カザフスタン:アルマトゥイで災害対策会議が開催中
アンカラ, 10月1日 (IRIN)-緊急事態への対応に関する情報と経験を共有するための災害対策会議が、カザフスタンの商業の中心地アルマトゥイで開かれている。
「議題は非常事態を防ぎ、大量破壊兵器の使用を根絶するために各国共同の努力と行動を求めることです。」と、水曜日にアルマトゥイからカザフ緊急事態庁の防災部長Eldar KunaevはIRINに語った。
アフガニスタン、パキスタンに加えて、中央アジア4カ国、すなわちカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン(トルクメニスタンは不参加だった)の代表はアメリカ中央指令centcomとカザフ緊急事態庁の主催と支援の下、月曜日に始まった4日間の会議に参加している。Kunaevによると、参加国の代表団は緊急事態省庁の高級官僚によって率いられている。
「Centcomの提督と国務副大臣の補佐官がアメリカの代表です。」と彼は言い、カザフスタンにあるアメリカ大使館も会議をサポートしていることを付け加えた。
「アメリカ人は2001年の9・11事件以来、ずいぶん多くの経験をした。だから彼らは援助し、自分たちの経験を共有したいと考えている。」とカザフスタンの役人は言った。
軍の役人は次のように言った。会議の主な目的は自然災害、人的災害に問わず、情報の共有と災害に対して中央アジア各国とアメリカの協力体制を促進すること。彼は続けた。意見を交換し、地域的な協力をさらに促進する機会として会議の重要さを強調し、予防よりもむしろ様々な形の災害に対応することを目的としている。
会議は木曜日まで続く予定である。
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アフガニスタン平和構築
概要
アフガニスタンでの紛争への取り組みと安全を提供することは、頻繁に暴力を突発させ、より広範囲な問題になる地元論争をあつかうにはさらなる努力を必要とする。甦ったタリバンからの脅威にくらべればそれ程注意は引かないが、地域論争は一般市民にとって生活の全ての質を破壊しアフガニスタン暫定政権の正当性を傷つける不安定な環境を生み出すので重要な問題である。地域指導者らは自分の地位を強固なものにする為に論争を不当に利用し、さらには中央政府の権限を弱めている。
論争には主に3種類ある。1つは土地と水を巡るもので、これら2つは最も重要で希少な資源である。2つ目は、民族で土地や水に密接に関連することがよくあるが、また政党間の闘争に関わることもある。3つ目は家族問題で女性の周辺に頻繁に起きている。
土地に関する争いごとはしばしば世代をさかのぼる。状況は何十年もほとんど考慮されることのなかった土地改革や開発プログラム、戦争中の非常に多くの人々の脱出、そしてずっと政党や戦闘員が私有地も公有地も両方を自分のものだと主張した事実によって複雑化されてきた。次ぎ次ぎと、土地の所有者は繰り返し変わったというその国全域に例証はたくさんある。明白な法的肩書きを持つ人はほとんどおらず、裁判所制度は紛争を調停するように設置されてないし、また警察も判決を実施するようにはなっていない。
土地よりも不足している物資である水を巡る論争は、論争を和解させたり、灌漑システムを管理する地元組織の崩壊によって悪化してきている。環境的ダメージが水の供給を減し、また旱魃や深い掘りぬき井戸の使用がいくつかの場所で地下水面を劇的に下げている中で洪水の危険性を高めている。
民族の対立は過去25年に渡って増加している。連続的権力移行がハザラ族とパシュトゥン族を同様に移動させてきたハザラジャトのような地域では特に増えている。しかし国の暴力的紛争や深い溝の長い歴史にもかかわらず、アフガニスタン人は強い国民意識を持っており、民族意識が重要であると多くの人々は論じる。しかしながら、それこそが明らかに国と地域の両方において平和に反対する人々が不当に利用する要因なのである。なかなか消えない差別や不平等はそのような多くの問題のために地ならしをしてきたのだが、指導者によって故意にあおられたりもしている。特に紛争中の民族グループが争われている土地で何年も移動させられてきた北部で起きている。
家族論争はすぐ近くのグループを超えて広がることがよくある。そしてかなり多くの人々を巻き込むことになる。女性の地位と結婚問題に関して核心となるのは未だにほとんどが浮気である。かけおちする者或いは結婚を拒む者に対する罰は厳しく、家族間の不和はしばしば何世代にも渡って続く。戦争は男性にも女性にも関わる性的暴行を含み、このような争いに関わる暴力を悪化させてきた。
これら全ての争いはより広い戦争問題と絡み合っている。そのためさらに解決し難くなる。いくつかの進歩にもかかわらず、警察や司法部のような公的組織は未だ頻繁に分派したり腐敗しているし、アフガニスタン人のほとんどが信頼していない。長老会議(シューラやジルガとして知られている)のような伝統的機関がいくつかの地域では機能を果たしている。しかし、彼等はとても狭く古い権威の解釈を反映することが多い。例えば論争を解決する為に女性の権利を取引する。多くの若者、特に国外で難民だったものは自分が発言権を持てない議会の権威に従うことを拒む。他の議会は本質的に援助団体か国連の産物であった。いくつかは合法性を持ち相対的に代表である一方で、他のものは単に資金を地域社会に流すためのチャンネルであった。
これは、地元論争を解決するための方法を考えだされるには困難な環境にあり、現状はもちろんカブールだけではなく、国中で悩ませている治安の不安定さによって悪化している。残念ながら後者のほうを扱うための対処法が未だに対応なされていない。よく知られているが、国際的治安部隊であるISAFやNATOは首都のみの展開で他の地域への広がりが注目される。他の部分での解決は明白ではあるが、結果がでるには時間が必要となるだろう。このように警官や司法の効果的に広げることは、必要不可欠であるが、たとえ継続的な支援があったとしても一世代はかかる。それゆえ、地域論争の解決の仕組みは多くの人々にとって重要とされ、残っていくだろう。しかし彼らは紛争の多くに関して責任があり、また市民の権利を踏みにじるような人々の権威を高める危険性を減らす枠組み内で発展する必要がある。
特に、調停の第一歩は互いに依存する3段階において活発な助長を必要とする。持続的国際誓約があるべきで、それはボン協定の後援者らが特に選挙前に専念するものである。同時に、アフガニスタン中央政府は安全部門改革、武装解除、動員解除や戦闘員の社会復帰(DR)に従事する必要がある。それにより全面的に安全な状況を向上することができ法律規則を取り戻し、政治・社会的和解のプロセスにおいて信頼を築くことができる。これはきっと順番に多くの問題を解決する為の唯一の方法として残るような地域レベルの手段が効果的になり得る状況を作るにちがいない。
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危険な南部での活動の再評価をするために集まるNGO
カブール、9月28日(IRIN)-Voluntary Association for the Rehabilitation of Afghanistan(VARA)で働く2人の人がタリバンと疑われる兵士に車を銃撃され殺されたという先の水曜日に起こった人命にかかわる攻撃の影響で、今週末にはアフガニスタンにいるいくつかのNGOが南部での計画を見直すために会合を開くとIRINに語った。この攻撃は最近起きている他の攻撃と同様により多くの外国の平和維持支援部隊が首都の外にも配備されるという新たな要求を引き出していた。
「もし、この治安の急激な悪化の流れを阻止するための効果的な活動がないのなら、特に南部や南東部の地域ではNGOは活動を続けることができなくなるだろう」とAgency Coordination Body for Afghan Relief(ACBAR)の提言・政策コーディネーターのBarbara Stapletonは日曜日にIRINに語った。
NGOのスタッフはデラーラムからカンダハールへ向かう途中のヘルマンド州を車で通っていた。「VARAの1人のスタッフは即死し、重傷の運転手は翌日死亡した。」と提言コーディネーターは強調した。この攻撃は9月8日南部のガズーニ州でデンマークの援助団体で働いていた4人のアフガン人殺害に続いて起きたものだった。
もっとも最近報告された出来事では、タリバンと思われる者が土曜日の夜にヘルマンド州の知事の7人の護衛を殺した。彼らが襲われた時、ヘルマンド州の知事は護衛と一緒に移動していなっかった。2台の車に乗った少なくとも10人の兵士たちが知事の護衛を運んでいた軍の車を待ち伏せしていたと、ヘルマンドの役人は言った。5人は即死し、他の2人も数時間後に死亡した。全員が撃たれていた。
「NGOは最近ではこれらの地域で活動を続けていけるかどうか考えており、悪化する治安のため、もしNGOがこれらの地域からそろって撤退するという共同の決定がなされれば、それはボン・プロセスに対して大いに逆の結果となるだろう。」とStapletonは強調した。これらの地域はアフガニスタンでも最も貧しいところで、人々は非常に支援を必要としており、NGOの活動を短縮することは援助団体にとっては大きな関心事となっている。
国連機関はアフガニスタンでの国際的NGOや地元のNGOの活動とともに昨年早くからより安全な状況を要求してきた。しかし事態は、より悪化してきており包括的な縮小はいまや差し迫ったものとなっていた。「8月には39の事件があってひどいことだと思っていたが、今月になって再びもっと悪くなっている。」Paul O’brienはIRINに語った。彼はアフガニスタン南東部での多方面にわたる計画を持っているCARE Internationalの提言コーディネーターである。
今週NGOは南部の州で働く機関の間での治安に関する会合を要求した。それは南部の街カンダハールで開催されるであろう。「どれ位だと多すぎるのか、どれくらい遠い所まで、そして危険を伴いながらも実行し続けるべきなのか、どのような性質の計画か、などについて我々はより調整された意見を得るために集まることになるだろう。」と、Mercy Corpsという援助機関の地方ディレクターのDiane JohnsonはIRINに言った。
Mercy Corpsもまた南部の州で多方面の計画を持っているが、この地方で危険をより少なくして仕事をするための新しい基準を考えることになろう、と語った。「我々は印をつけた車で長距離を走り続けることができるとは考えていない。身分を明らかにしない援助ワーカーのようなものとして何ができるか、身分を明らかにして何ができるかを我々は調べている。」とJohnsonは言った。彼女の機関はすでに昨年末以来一連の治安の問題を経験した。「我々は2人のスタッフを殺された。車をハイジャックされ一台は撃ちまくられ、2台は燃やされ、事務所も爆破された。」と彼女は言った。
アフガニスタン南部の部分からNGOが撤退する可能性は、二日後NATOのLord Robertson事務長官が首都カブールを訪問するという状況をもたらした。Robertsonは、首都の外へ任務を拡大するという計画を組織は再検討したが実施はなされなかったと述べた。NATOは現在総勢5,000人の国際治安支援部隊(ISAF)を率いているが、それはカブールに限定されている。「治安は国中で確立されなければいけない。そして今NATOはこれに貢献するために何が最適なのか検討している。」とRobertosonは言った。
しかしCAREのような組織はISAFの拡大の問題をただ語ることよりも実際に見ることを望んでいる。「ISAFの実行可能な拡大に関して我々は1年以上要求してきた。」とO’brienは、中立の立場の国際的な平和維持軍について明確な事を必要としていると指摘しながら述べた。「議論している時間はもうない。」と彼は強調した。
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難民の声:ヨルダン川西岸地区、DHEISHEHキャンプ
ヨルダン、レバノン、シリアアラブ共和国、ヨルダン川西岸及びガザ地区で設定されたキャンプに130万人のパレスチナ難民たちは、住み続けている。西岸地区では、60万人以上いる難民のおよそ4分の3が町や村に住み、残りの4分の1の人々は、Mamoudのように、19あるキャンプの1つに住んでいる。Mamoudが住んでいるDheishehキャンプは、1949年に設営されたもので、ベツレヘム自治のちょうど境界内に位置している。人口は1万人で、とても窮屈な生活をしている。
イスラエル軍によって西岸地区に課せられた外出禁止令と封鎖はキャンプに深刻な影響を与えている。住民の大部分がイスラエル国内の仕事で得る収入にたよって生活しているからだ。その結果、失業率が上昇し、キャンプの社会経済状況はさらに悪化した。Mamoudは、RIに次のように語った。彼はかつてイスラエルで働き、1日に60~100Shekels(13~23USドル)稼いでいた。キャンプに住む他の4000人も、同じように働いていた。今では境界を越えられるのはわずか100人ほど。彼らは同様の仕事で20Shekels(1USドル)でも厭わない。彼は100人のうちの1人ではない。それからMamoudは、働くために不法にイスラエルに入国した若者について教えてくれた。彼は逮捕され、イスラエル兵に足を折られた。
10人の子どもの父親として、Mamoudは様々なアクセスの問題を心配している。概してキャンプのインフラは不十分で社会経済状況は貧しい。水へのアクセスは問題だ。Mamoudは言う。「イスラエルは十分な水を供給しない。」彼は、行動を制限されていることがヘルスケアへのアクセスにどのように影響しているか述べた。キャンプ内の診療所では対応できず、治療を必要としている患者がエルサレムに行くことができない。医療のニーズについて話すことで、彼はある夜を思い出した。イスラエルのOperation Defensive Shieldの時で、キャンプ内を戦車が走行した。彼の隣人が撃たれ、兄弟が逮捕され、妻の腕時計が盗まれ、12才の息子が殴られた時である。
国連難民救済機関(UNRWA)のキャンプにおける責任は、サービスの提供とキャンプの設備管理に限られている。UNRWAはキャンプごとにキャンプサービスオフィスを設けており、そこで住民が彼らの登録を更新したり、キャンプサービスオフィサーにUNRWAのサービスに関して問題提起したりする。彼らの最大限の努力にもかかわらず、Mamoudは言った。「十分な食料がない。」彼は続けた。「けれども、パンと塩しかなくても、人々はここに住み続けるだろう。」
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