ハイチ被災者へのシェルターが不足

ハイチ被災者へのシェルターが不足
情報源: Reuters – AlertNet
2010/03/05
* 何万人もの人がいまだ仮設シェルターに入れていない
* 迫ってくる雨季がこれらの人たちを不安に追いやっている
ハイチの地震が起きてから約2ヶ月が経っているが、救援活動が思うように進んでおらず、いまだに多くの人が非難テントや雨風を防ぐ防水シートを受け取れないでいる。
結果、人間の尊厳が失われつつあり、4月には雨季が到来することも重なって、貧困や病気が広がる可能性がある。
現地で活動しているGadenne氏によると、「非難キャンプを訪れても被災者は何も持っておらず、テントや防水シートさえなかった。しかも、彼らには後に救援物資が提供される保証もない状況だった。」と語っている。
1月12日の地震から、配水や配給システムは改善されつつあり、商業やビジネス、政府機関も再開し始めた。
また、キャンプも改善し始め、多くの家族がテントで生活したり、電柱のような柱と柱の間に防水シートを張って屋根を作ったりしている。
連合国は、4月までに地震で家を失った全ての人々に仮設テントなどを提供することを目標としている。
現在は、何万人もの家族が仮設テントを提供されていないため、天気によって大きな影響を受けている。水曜日に一晩中雨が続いたが、そのときも彼らは夜のなか雨宿り出来る場所を探し回り、何時間も立っていなければならないような状況だった。
仮設キャンプ地でも、雨季が来れば様々な問題が起こると予想されている。そのため、人々は政府からの指示や救援グループからの手助けもなしに自分達が安心して住むことの出来る家を探し回っている。
政府や連合国は、脆弱な非難キャンプ地から人々を移動させようとしており、5つの可能な解決策を主張している。
・ もし、自分の家があまり被害を受けていなければ、自分の家に帰らなければならない
・ 家が崩壊している場合は、その場所に新しくシェルターを作る
・ 被害を受けていない土地に親戚がいれば、そこの移動する
もうすでに60万人の被災者はこのいずれかを行っている。
他の2つの選択肢は、あまり望ましいと思われいないが
・ キャンプ自体を改善し、質を向上させる
・ キャンプに住んでいる人たちを別の地区に移動させる
この5つである。
都市の郊外に新しく5つのキャンプ地ができる計画があるが、どこに作るのか、どれぐらいで被災者の人たちが住むことができるのかなどの詳細については全く知らされていない状況である。

地震状況レポート#3

地震状況レポート#3
情報源:UNOCHA
日付:2010/03/01
―最新の数値では少なくとも799人が死亡し、200万人が被災した。
―人道的活動を援助し、治安を確保するために、軍隊が追加派兵された。
チリ政府の緊急担当部署(ONEMI)によると、死者数は799人に上り、19人が未だ行方不明である。200万人が深刻な被害を受けた。推定150万棟の家が損害を受けた。略奪が起こる最中、10000人の軍隊が被災地、特にMauleとBiobioに展開した。
当局が被災状況の包括的概観を現在見極めているところだが、緊急の優先事項は未だ、捜索・救助活動、医療サービス、避難所、食糧と水、交通と通信と基本的サービスの復興である。
OCHAは10万USDの緊急現金支援を行い、人命救助活動が支援される予定。
・チリ政府は被災地で8箇所の野営病院を建てた。他に4箇所が展開される予定。
・ブラジルは野営病院を設立予定。ペルーも同様に手術室と入院施設のある野営病院を設立予定。
・キューバも26人の医療チームを送り、1箇所の野営病院を供給予定。
・アルゼンチンも3箇所の野営病院を支援。
・国際赤十字・赤新月社はチリ赤十字の救援活動を支援する640万USDの援助要請を発した。75000人が今後、野営病院、水と衛生、緊急避難所などの支援を受ける予定。
・チリ政府は40の仮設避難所を設立した。
・ロシアは毛布や発電機を含む28MTの救援物資を送った。
・オーストラリアは発電機を送る予定
・日本は浄水システム、テントと発電機、医療チームを送る予定。
・スペインは7.5MTの緊急救援物資と75人のチームを派遣予定。キリスト教団体Samaritan’s PurseはConcepcionで救援物資の配布を始めた。また地方の教会に地域食糧配布センターを組織。
・英国赤十字は初動対応として5万ポンドを送った。
・World Visionは防水シート、毛布や水その他の支援を集めている。
・Oxfamは被災地にチームを送り、ボリビアにある倉庫から救援物資の在庫を送る予定。
・シンガポール政府は5万USDを救援物資の購入に寄付する予定。その寄付はIFRCに送られる。
<寄付>
オーストラリア:450万ドル
日本:300万ドル
カナダ:緊急人道支援に200万ドル
中国:100万ドル
ニュージーランド:50万ドル

ハイチ:地震の後の豪雨

ハイチ:地震の後の豪雨
情報源:UNOCHA-IRIN(国連人道問題調整事務所・統合地域情報ネットワーク)
日付:2010年3月3日
(ポルトープランス)
13人が亡くなった。家が水につかり、畑もとバナナ農場も水浸しになった。家畜が溺死した。道路は通行不能だ。何千人もの人々が家を追われ、生々しいトラウマが残った。
これは、季節外れの豪雨に見舞われた、ハイチの南岸にあるLes Cayes(地名)の窮状だ。ハリケーンの季節がもうすぐやって来る。
Les Cayesとその周辺へに緊急配布するために4030食を積んだトラックが3月2日、ポルトープランスを出発した。Les Cayesの北に位置し、洪水が起きたNippes地域にも食糧が配られた。
国連世界食糧計画は、地元の有力者やNGOとともに、家から避難した約3000人を含む被災者に10日間の配給を行うことを計画している。
「下水道の状態が悪く、市のあちこちで洪水が起こりました」とハイチ赤十字の地区代表であるJean-Yves Placide氏は言う。
「家の天井の高さまで水が上がった場所もあります。雨が降り続けば状況はもっと心配です。太陽は顔を出していますが、雨雲が出たり消えたりしています」
「人々は洪水との付き合い方には慣れていますが、(いつもは)こんなに早く起きないものです」 と支援スタッフがIRIN に語った。Solon地区の都市に住むある2児の母親は、洪水で全てを失った。家族の財産は全て破壊された。ベッドも、服も、全て。
2月27日から28日にかけて、雨がこの地域を襲った。3月2日には多くの家がまだ水に浸かっていたと支援スタッフは言う。
そのスタッフによると「とても多くの人が、農作物(バナナの木やサトウキビ)や家畜を失ったと言っています」
Christian Aidと共に活動する地元のNGO、Prospery Raymondは、農業への被害を調査している。ハイチの市民保護局によると、農業は「甚大な被害を受けた」という。
雨季はたいてい4月に始まり、5月にピークを迎える。ポルトープランスの国際赤十字・赤新月社連盟の活動の代表者であるIain Logan氏によると、ハイチはこれに対応する備えが出来ていないとのことだ。
「Les Cayesで例年より早く起きた洪水は 2008年のハリケーン以降始まった大災害への予防努力が拡大し、適用されなくてはならないということを厳しく思い出させてくれた」と彼は言う。
「我々は、大地震、雨季、ハリケーンの季節と、次々に災害が連続する非常に稀な状況にある」
原文URL:reliefweb.int

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム

ハイチの地方部に不気味に迫る食料危機
―FAOとCAREがレオガンで協力して実施するキャッシュフォアワークプログラム(現金収入のある仕事の支援計画)
情報源:CARE、FAO
日付:2010/02/19
1月12日にハイチを襲った壊滅的な地震がら1ヵ月たち、FAO(世界食糧農業機関)と国際人道機関であるCAREはこの国の食糧危機についての共同警告を発表した。
「これは,すでに国中に影響を与え始めていて表面化していないが拡大傾向にある危機である。」とFAOハイチ調査調整官であるDick Trenchardは言った。「地方部はポルトープランスからの大量の移住を経験しており、周辺地域はもっとも影響を受けている。特に西部のArtiboniteと南部のGrand’Anseはひどい状態にある。」
FAOと農業集団のパートナーによる早急な調査が行われ、避難民の面倒を見ている“受け入れ家族”は自分たちの乏しい貯えを新しい住民に食べさせるために使い、食料の蓄えを消費している、と発表している。
このような貧しい人々の多くは次の作付け期のために貯えていた種をやむを得ず食べることまでしていて、家畜、特にヤギを食べるか売るかしている。
「地震後に地方部やほかのより小さな都心へ移動した約50万人の人々を助けようとして、厄介で持続不可能な対処策を最後の手段として人々がすでに用いているという兆候を我々は見ている。」とTrenchardは言った。
植えつけまで2週間
「毎年の収穫の60%以上を占める主たる植え付けの時期が2週間以内に始まる。」とCAREの緊急食料保障専門家のJean-Dominique Bodardは言った。「もし受け入れ家族が種を買うかもしくは良質の種を手に入れる他の手段が何もないとすれば、これは彼らにとって災難となるだろう。この危険な循環には別の側面がある。現金がないために多くの受け入れ家族は植えつけのための日雇い労働者を雇うことができない。結果として労働者たちは自分の家族を食べさせることができず、労働力が得られれば可能であったであろう作付けを行うことはできない。」と付け加えた。
地方では農民たちはもうすぐやってくる植え付け時期のための種を買う金がなく、食料の価格はすでに地震前より10%上がっている。これはもっと悪いことが起きる指標である。緊急の解決策の1つは農村部において現金が支給される仕事の支援をする計画で(キャッシュフォアワークプログラム)あろう。
「植え付け次期が始まる前に、早急に農家に金を投入する必要がある。」とBodardは説明する。「食糧の配給は被災後の緊急の困窮状況を緩和することはできるが、長い目でみると最も必要とされていることは、農家にとって自治を取り戻すことに投資できる現金なのだ。」
現金収入のある仕事(キャッシュフォアワーク)
FAOはレオガンの灌漑用水路の清掃という小額の現金収入が得られる仕事の計画(キャッシュフォアワークプログラム)を始めており、CAREは近々その対象を600人から4,000人へ拡大していく予定である。
「これは人々が自分の生活を取り戻そうと必死になっている極めて重要なこの時に待ち望んでいた資金面での後押しであり、地震以降落ち込んでいた地方の経済にとって待ち望んでいた活力注入になるだろう。」とTrenchardは言った。
復興段階の一部分において、CAREはコミュニティに基盤をおいた組織が水の管理や生産物の売買、能力開発などの活動をするための支援の計画をしている。これらの活動は農業、天然資源、地方開発の省庁の“2010年1月12日ハイチ地震における食料生産計画、避難住民の統合ならびにハリケーン期に向けての防災に対する特別緊急支援”に直接貢献するものとなるだろう。この計画はFAOと米州農業協力機関 (IICA)の支援を受けている。
集団の指導者
ハイチでの国連の農業集団の指導者として、FAOはこの分野の国際または国内の組織の調整をしている。政府のガイドラインのもとで、現地の資金提供者と機関を守るのが仕事のひとつである。
ポルトープランスの西方にあって地震で村の80%が壊れた農村のレオガンで、CAREはすでに活動していて、避難所、緊急物資、水、衛生用品を提供し、母親と妊婦の健康支援をしている。FAOは小規模農家に対し、良質の種や農具というような農業に必要なものが行き渡るよう支援をしている。

商売の準備をする震源地近くの町

商売の準備をする震源地近くの町
情報源:The New York Timesより抜粋
日付:2010/02/01
かつて町の中央広場であった場所は、今は仮設テントがたくさん建ってごちゃごちゃした地域となって息を吹き返し、商業が活況を呈していた。新しい家は拾ってきた木材や板金で建てられているのだが、靴磨き、美容院、炭や石鹸、CasinoブランドのチョコレートやComme Il Fautというタバコなどは高値で手にいれることができた。
Merlise Charles(36)はほとんど利益がないのになぜ一日中大なべでつぶしたサツマイモを一生懸命売っているかを説明した。「わたしは何かをしている必要がある。」と。
この広場での仕事は、利益を上げるためというより、復興に対する渇望からのようにみえる。キャンプに秩序をもたらす手助けをするために選ばれた10人からなる委員会によって作られたリストによると、ここには500家族以上の約2,500人の人々が地震の後に移ってきていた。
この広場はかつては露天や倉庫が立ち並ぶ市場だった。しかし2002年、前大統領のJean-Bertrand-Aristideが公園へ行く道路を作るためここを取り壊すように命じたと、ここにいる人は語った。それは国民の決定によるものではなかった。市場はすぐに撤去されたが公園の計画は何年も放置されたままである。
今やこの広場は村と広場と市場が一体となっている。寄付されたテントが見られるだけでない。4人家族のために約8フィート四方の小さい掘っ立て小屋を2人の男が建てているのをCarmalite Henry(51)は見ていた。彼女は友人から借りた50ドルを彼らに払った。
Gerome Julieは4人の子供の母親だが、柱を立てる穴を掘り、釘や木材や板金に60ドルを払って自分の小さな家を建てた。防水はしてあるのかと尋ねたら、「わからない。まだ雨が降っていないから。」と彼女は答えた。彼女はトイレットペーパーや洗濯洗剤、石鹸など地震の前に持っていた全商品を売っていた。各々に付き25セントの儲けがあると彼女は言った。
くじ等も復活しつつある。広場には2,3ペニーから始められるチケットを買える場所が少なくとも3ヵ所あった。ある1人のくじ売りは、Ronald Center Bankという目立つ名をスクラップの金属板に書いて縁石に立てかけていたが、商売は振るわなかった。「ここにはお金がない。でも人々はくじを信じている。」と経営者のRonald St.Hubetは言った。
この広場は人道的な援助には少し邪魔になっているようだとキャンプの委員会の事務局員であるFednel Sainsulmeは言った。二人の警官を含む委員会が夜にはパトロールをし、市長に状況報告をして、寄付された物資を整然と配給するよう交渉しようとしていた。
Hays Pure Water For Allという非営利団体のメンバーが、水を消毒するための塩素溶液に塩水を変換する簡単なフィルターを持ってきた時、委員会のメンバーはキャップ一杯ずつの塩素を配るボランティアをした。他のキャンプでも委員会を選ぶようになった。
地震の前、Sainsulme氏は牧師であり、写真家、先生でもあった。彼の仕事は簡単には再開できない。彼がかつて教えていた9教室あった学校はレオガンのほかの学校と同様に壊れてしまった。「私は今ちょうど神を待っているところだ。」と彼は言った。

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援

ハイチの地震被災者への救援情報提供支援
情報源:Internews Network Inc.より抜粋
日付:2010/02/03
インターニュースは地元のレポーターのチームと共にNouvells-Utiles(News we can use)という毎日放送する人道ニュース番組を作り、今現在25のローカルラジオ局で放送している。番組は1月21日から11の放送局で始まり、水の供給場所や避難キャンプの状況、公衆衛生の助言など重要な情報を伝えている。
インターニュースのチームから個人的に寄せられたCDによる情報があればそれが着くや否やほとんどの局で番組として放送している。通常は計画された時間帯に沿って、定期的に一日4回から6回Nouvells-Utilesとして放送している。
インターニュースは地元のレポーターとプロデューサーを雇い、ニュースを集め、番組を作っている。そしてレポーターに人道的な報道をするように訓練もしている。
手回しラジオの配布
とても多くの家と持ち物が破壊されてしまって、多くのハイチの人々はニュースを聴くためのラジオを利用することがもはやできなくなっていた。あるいは持っている小さなラジオの電池を切らしていた。1月にインターニュースは9,000台の手回しラジオの配給をアメリカ軍から受け、パートナーの19のローカルラジオ局を通して配った。最も必要な人々、特に女性が世帯主になっている家庭や弱い立場にある人々がラジオを手にする事ができるように重点をおいてラジオを配る協定を各ラジオ局は結んでいた。このラジオは電池や電気の必要がなく内蔵されている手回しクランクによって動く。
ハイチの人々に必要な情報を与えること
我々のチームはハイチで地元の報道各社と共にニーズを見極めながら活動している。各社の多くはレポーターや機材を地震によって失っていた。インターニュースは生存者へのインタビューもして人々がいかにして情報を得ているかを見つけ出し、地元の人々にとって情報が最も的を得たものになるようにしている。
援助提供者と地元メディア間のコミュニケーションのつながりとして機能することによって、インターニュースはハイチのレポーター達が救援情報を受け取ったり、配信したりできるようにしている。例えば、Ushahidiによって始められた携帯電話の短縮コード4636で、地元のニーズについてのレポートを集める手助けができる。
人道的なメディア援助を調整すること
インターニュースはCommunicating with Disaster Affected Communities(CDAC被災コミュニティとの連絡機関)の関連機関グループの創設メンバーで、中心機関であるUNOCHAと赤十字やセーブザチルドレンなどの団体や、BBC World Service TrustやReuters Thomson Foundationのようなほかのメディア支援提供者を含んでいる。UNOCHAはインターニュースに対して、CDACのメンバーによる人道的な情報の調整と、ひどく破壊されたハイチのメディアの状況において最大限の効果をもたらすためにメディアを支える活動をするという現場での指導的な立場の機関であるという役割を委ねていた。

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること

ハイチの孤児達にとって回復の助けはしゃべること
情報源:Reuters
2010/1/28
ハイチの壊滅的な地震によって孤児となった4歳のJoは、携帯電話でおしゃべりして、おもちゃやお菓子をねだっていた。
ハイチ赤十字のボランティアにこの男の子はお母さんと話しているのだと言った。しかし
彼のお母さんは、このカリブ海の貧しい国で1月12日に起きた大災害で亡くなった何万もの人々の中の1人だった。
この男の子を地震後に救い出した赤十字従事者のMagalie Saint Simonは木曜日のインタビューにこう答えた。「私は彼に誰と話していたの?と聞きました。」彼は「お母さんとだよ。でもお母さんは僕を迎えに来てくれないと言ってた。死んでしまったから。」と言った。
国際赤十字委員会(ICRC)によって、こうした災害の時に初めて設置される移動型心理相談ユニットでJoと孤児達は世話をされている。このユニットを率いるEa Suzanne Ashakは、早期の心理学的介入の重要性を2004年のインド洋大津波の後ICRCは学んだと語った。あの津波では主にインドネシア、インド、タイ、スリランカ、モルディヴで20万以上の人々が亡くなった。
「心理的な支援を何も受けなかった人々は弱っていき、再び社会に参加しなかった。再建された社会にも参加しなかった。彼らの生活は失われた。彼らはどうしたらいいのかわからなかった。彼らは拠りどころを見失って、なんだかただ漫然と家でごろごろと過ごしているだけのようだった。」「ハイチでは極度の苦悩を切り抜けるよう早急に手助けすることが目標であり、そうすることによって身体的な生き残りに集中することができるようになる。」と彼女は語った。
訓練されたボランティア達は亡くなった子供や親戚や悲しみについての情報をやさしく探り出そうとしている。Joの想像上の電話の会話は幼い子供達が悲しみを表現することを助けるための確かなやり方の1つとなりうる。
心の内側に何か問題がある
子供達は色々と異なった形で苦悩を表現するとSaint Simonは言った。ある子供は食べたりしゃべったりしなくなり、他の子は過活動になったり、また怒ってばかりいたりする。世界保健機構の専門家は地震による心理的影響を手当てすることは、身体的な傷を治療することと同じように重要なことであるだろうと言っている。特に一生にわたる心の傷を負ったかもしれない幼い被災者の間では。
国連児童基金(UNICEF)によると、ハイチの900万の住民のほぼ半分が18才以下の子供であるという。
Joは初めは打ち解けず引っ込み思案だったが、Magalieが遊べるようにと電話を与えてからようやく遠慮なく話すようになった。
「彼が心の中で感じていたことを表に出してくれたことに私は心を動かされた。私にはわからないけど彼の心の内側に何かの問題があるようだ。」と彼女はロイターのテレビに語った。「彼がものを食べ始めたことがとても嬉しい。たった今あそこで、おなかがすいたと私に言ったのよ。」
20万以上の死者と100万の負傷者を出した地震から二週間は子供達が立ち直る手助けをするには重要な時であったとMagalieは言った。
「テントの周りに行ってみたら変化に気付くでしょう。もし前に来ていたら、彼らはモンスターだとあなたは言ったかも知れない。遊ばない。話そうとも自分を表現しようともしない。話しかけても無口なままだった。信じられなかった。でも、いまは大丈夫。」

震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援

震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援
情報源:Reuters
2010/1/19
ポルトープランスから車で西へ2時間、ハイチ地震の震源地であるバナナの育つ丘では山腹から大きな岩の塊が引き剥がされて放り出され、道路には亀裂が走っている。そこで化膿した傷を負った生存者は大破した家の傍らで支援者に気付かれないまま眠っている。
地震の最初の揺れから1週間たち、豚がキイキイ鳴いている田舎の家で、頭に血まみれの包帯を巻いて1人の男性は動けない状態でマットレスに横たわっていた。
ある少女は背骨を損傷して麻痺しており、彼女の姉は額からうなじにかけての場所と目の上とに負った深い傷を粗野に縫合したところがじくじくと化膿した状態だった。「縫う前には頭骸骨が見えていた。」と彼女達の叔母であるCyndie Thelus(26)は震えながら語った。彼女は少女達を一番近くの昼間診療所へ連れて行ったが、1人目の少女を診察するには設備が足りず、2人目の少女にはごく初歩的な治療しかできなかった。
火曜日までに外国の医療チームは震源地近くの極貧の農村であるレオガンの野戦病院でようやく仕事を始めた。しかし岩の崩落の災害にあった丘の上に小さな集落があることを誰も知らないようで、そこの患者を診るために人員を送ることはできていない。
ここはマグニチュード7.0の猛烈な揺れの中心地で、青々としていた丘は裂けてひび割れていた。道路の上に崩れ落ちた地面から木が突き出しているのを地元の人達はのこぎりで切り倒していて、また、巨大な岩の塊が砕けた時に採砂場のトラック運転手が押しつぶされ、辺りの風景が一転して塗り替えられた場所を指し示した。
「揺れが始まった時、私は入浴中だった。走り出て、今まで丘があったところが空っぽの場所になっているのを見た。」とSeraphin Sonel(14 )は語った。彼女は崩れた採砂場の近くに住んでいた。
火曜日、レオガンのはずれの野原にアメリカ海軍の最初のヘリコプターが水と食糧を投下した所のまわりには地震の生存者が大勢押し寄せていた。しかし今緊急に必要なのは眠るためのテントと医療行為だと彼らは言っていた。「私達には何もない。家にあった食料は瓦礫の下になった。お金もない。水さえない。」と、Rebecca Mirlind(25)はボーイフレンドと一緒にヘリコプターが着陸するのを見ながら言った。「これは確かに助けになる。」でも最も必要なことは感染症に罹った傷が致命的な状態になる前に人々が処置を受けることだと彼女は言った。「負傷した人がたくさんいる、手足を損傷して苦しんでいる人たちが。」
茫然とした見物人達はアメリカの“侵入”を見ていた
国際的な支援者と物資はこの数日のうちにハイチに投入された。しかしハイチの通信設備の破断や悪い道路状況、瓦礫の散らばった首都の混沌状態などが原因で、人々が支援や情報を受け取ったりすることが困難になっている。特に郊外では難しい。火曜日に食料の投下を見ていた人々の多くがそれをアメリカの侵入かのように、そしてその食料は自国の軍隊のためのもののように初めに思った。
「今現在のところ、できるだけ早く必要な物資を手に入れる計画になっている。」とClark Carpenter大佐は語った。国連のトラックが食糧支援を配給しはじめる地点となる安全な投下場所を数十人の海兵隊員が設営するための広報官である。彼は医療支援がなされるかどうかについては何も言えなかった。
国境なき医師団はレオガンの外れの野戦病院で200人以上の患者を診察し、日本の医療チームも36人以上を診察した。他の外国のチームはこの数日のうちにレオガンの設備の乏しいSainte Croix診療所へ到着する予定である。
「今必要なのは手術設備です。」とアメリカ人Suzi Parker(66)は言った。彼女は崩れ落ちかかっている宿舎からかろうじて逃げ出し隣の診療所に駆け込んだのだ。時計と眼鏡以外の持ち物はすべて失ったので、今は診察着を着て過ごしている。
農民達がサトウキビや揚げたバナナ、キャッサバのパン、米などを食べて暮らしていた赤土の丘では木や波型トタン板の小屋が建てられていた。これらの小屋は20万人以上の人が亡くなった首都の高層コンクリートビルに比べて揺れには強かった。
しかし粗末な軽量コンクリートブロックで建てられた家に住んでいた多くの人々は亡くなったり怪我をしたりした。今レオガンの人たちはみんな星空の下か、波型トタン板を木の枠に釘で打ち付けた頑丈な三角形のシェルターの中かで寝ている。
首都からレオガンへ向かう穴ぼこだらけの道路際には、小さな赤ちゃんも含む数十体の浮腫んだ遺体が、見向きもされず照りつける太陽に焼かれて腐敗しつつ横たわっている。
急いで治療されなければ多くの人々が壊疽した傷によって亡くなる危険がある。
「この(地震での)騒動の前ですら、ここの病院はかろうじて役目を果たしているような状況だった。今やどんな状況か想像できるだろう。」とアメリカ陸軍の支援物資を投下する地点の調査測量をしているJoel Beauburn(34)は言った。

マイアミの学校とハイチの子どもたち マイアミの学校とハイチの子どもたち

マイアミの学校とハイチの子どもたち
情報源:Agence France-Presse (AFP)
2010/1/22
フロリダ南部の学校が、地震の被害にあって避難してきた子どもたちの受け入れを始め、その子どもたちに対しては特別なプログラムが用意されることになった。
マイアミは、被害を受けたハイチからの人の流入を視野に入れ、新しく生徒を受け入れることができる学校として15校用意をした。
水曜までに、60人のハイチ人生徒が受け入れを認められたと発表されている。
被害にあったハイチの子どもたちの多くがフロリダ南部に来ることは確実であるが、問題は、いつ、どれくらいの子どもたちがくるのかということであるとしている。
マイアミの行政側は、このような子どもたちが出来るだけ早く学校に行けるように努力するとしており、今回の地震で身分証明紙をなくしてしまった場合でも受け入れると言っている。

長期的視点でのハイチ再建

長期的視点でのハイチ再建
情報源:United Nations International Strategy for Disaster Reduction (ISDR)
2010/1/22
破壊的な地震がハイチを襲ってから1週間以上が経った。ハイチはこの規模の地震への備えはしていなかった。
UNISDRは、ハイチを災害に強い国へと変えていこうという活動を行う予定をしている。
減災への取り組みは、2005年に日本で行われたthe Hyogo Framework for Actionなどのようにすでに国際的に行われている。
ハイチ政府や他のパートナーとの協力のもと、病院や学校再建の際にはその構造やデザインにおいて減災への考えを取り入れながら、安全なハイチ再建の手助けを行っていく。このような減災への取り組みが、将来起こりうる災害から住民を守ることへの一番の方法であるとしている。
このように、長期的な視点からハイチの再建を考え、ハイチの安全と安心を確保していっている。