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ユニセフ・パキスタンが、震災で障害を負った女性や子供達の為の事業を支援

■イスラマバード、パキスタン
昨年10月の地震により、何千という人々が負傷しました。中でも、とりわけ弱い立場に置かれている中に、脊椎に重大な損傷を受けた人々がいます。障害を持つ人が安住しにくい社会で、ユニセフは、パキスタン国立障害者会(Pakistan’s National Institute of the Handicapped) が、負傷した女性や子供達の為の特別病棟を作る事業を支援しています。
震災で何とか生き延びた人の中には、二度と歩けなくなり、援助が不可欠な人もいます。今までパキスタンでは、そういった援助がほとんど望めない地域がありました。
■“状態は良くなってきている”
イスラマバードの病院の別館に設置され、震災で障害を負った女性や子供達の為のユニセフの基金によるセンターは、100人程の患者に対し、専門的な支援やリハビリテーションを行っています。患者は、多くの医師やカウンセラーから成るチームによる、集中的な理学療法と専門的な治療を受けています。
“ありがたいことに、今、状態は良くなっています。ありがたいことに、ここでは、援助を受ける事ができます”と言うのは、センターで治療を受けている妊婦のParveenさん。
“もし私たちがどこか他の場所に収容されていたら、床ずれで死んでいたかもしれません。”
Parveenのお腹の子は、あらゆる逆境を乗り越えました。そして彼女はあと一ヶ月で出産の予定です。医師達は、お腹の子は元気であると考えています。しかしParveenは二度と歩く事は出来ないだろうとも、彼らは言っています。彼女にとって本当の試練は、遠くはなれた山間の村に帰ることなのでしょう。
■地域に根ざしたリハビリテーション
その特別病棟で、Parveenの向かいのベッドにいる女性は、脊椎に損傷を負っていますが、すでに子供がいます。しかし、母親になったばかりの彼女達の思いは複雑です。彼女達の村はたいていが非常に貧しく、不治の障害を持つ身で子供を連れ帰っても、支えてくれる社会基盤がないのです。
しかしユニセフは、イスラマバードの診療所での治療だけでなく、その女性達の地域でも継続的な支援を提供する事にしています。ユニセフのProject Officerで、このプロジェクトを統括しているDr.Imran Mirzaは“彼らは、あらゆる治療、食べ物、薬、そしてその他あらゆる物を得る事ができるでしょう。”“我々は今、世界保健機構(WHO)やMinistry of Health と共に活動しています。将来的な計画として、こうした患者が自分達の地域社会に戻った時、地域に根ざしたリハビリテーションが出来るようにする事です。それは今までになかったものです。”と語ってくれました。
ユニセフのもう一つの優先事項は、障害を持つ子ども達でも通える様な学校を整備する事です。幼い者達はとりわけ長期のケアが必要なのです。
震災で生き残った一人、サダフ、13歳は、学校が倒壊した後、何時間も瓦礫の下に閉じ込められていました。発見された時、彼女はもう歩く事ができなくなっていました。しかし望みはあります。下肢に添えられた特殊なサポーターにより、サダフは立ち上がることが出来るようになったのです。継続的な治療のもとで、彼女が再び歩けるようになる可能性は充分にあるのです。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:国連児童基金(ユニセフ)
※著作権は情報源に帰属します

パキスタン: ピンディーリハビリテーションセンターが震災により手足を失った人々に義肢を提供

イスラマバード、3月16日 (APP): パキスタン出身北米医師団体(APPNA)がRawalpindiに、地震で手足を失った被災者に義肢を提供するリハビリセンターを設立しました。
“現在、Rawalpindi近辺に35万ドルの費用をかけてセンターの一角が完成、他のブロックは現在建設中です“とAPPNAのメンバーであるDr.Saeed Akhtarさんは、木曜日に記者会見で語りました。
APPNAは北米に1万人のメンバーを持つ組織で、10月8日の地震後まもなくから救援活動に関わっています。
北米の170名を越える医師が、地震後の被災地域でボランティアをしています。
Dr. Saeed Akhtarさんは、40人以上の手足を失った被害者がこれまでRawalpindiのリハビリセンターで義肢の提供を受けましたと語りました。
「500万ドル以上が義肢の提供に費やされ、同じく500万ドル以上がその目的のために準備されています」と、Dr. Saeedさんは付け加えました。
APPNAは、Mansehraのリハビリ病院の建設の20万ドルの他に、リハビリ目的に45万ドルを費やす予定です。
APPNA総裁のDr. Abdul Rasheed Parachaさんは、500万ドル相当の手術機材が震災後パキスタンの病院に提供されたと語りました。
APPNAは停戦ライン付近で震災にあった‘Kathai’村の再建を計画、モデル村にしていくとDr. Abdul Rasheed Parachaさんは語りました。
また、「特に女性の住民に、裁縫のようなお金を稼ぎながら被服費を節約できるような職業技能を教える職業訓練センターも開かれます」と付け加えました。
アメリカのノア財団もまた、冷蔵設備と共に1万本のフルーツの木を村に植えることを計画しています。
また、APPNAにより、高地に住む被災者に559以上のテントと2600枚のブリキ板が供給されたと彼は付け加えました。
救援活動中の支援で救援物資の早期配送を請け負ってくれた政府役人、特にパキスタン軍に対し、彼は感謝の意を述べました。
外傷外科医のDr. Murtaza AraeenさんとAPPNAのローカルコーディネーターDr. Sobia Hafeezさんは救援活動におけるAPPNAの貢献について簡潔に説明しました。
原文URL:

インドネシア:愛、希望、そして決意が女性たちを津波後のより良い未来へと導く

Vivi Roselim, ACTインターナショナル
■インドネシア、西アチェ、2006.3.15
世界中が世界女性の日を祝った3月8日、女性たちがテントの外にひいたマットに座
り歓談していた。彼女達の会話を中断させたのは笑い声だった。2004年12月
26日の津波が彼女達に突きつけた大きな困難の最中、女性たちは共同生活や新たな
結婚を通して、友情、愛、そして人間関係の緊密さを再発見しつつある。
座って話し込んでいる間も、彼女たちの手は伝統的な贈り物であるRanup Lampuanを
作るのに忙しく動いていた。材料はバナナ、ビンロウジ、ライムといった様々な葉や
ビンロウの新芽、バナナの木の蕾などである。
皆、出来る限りの仕事をこなしているように見え、彼女達の手は素早く動きながらも
慎重に、葉を素敵な装飾品へと変身させていた。
こんな出来事は、女性たちが集う数多くのきっかけの一つに過ぎなかった。この村で
は500人以上が津波で命を落とし、この筆舌に尽くしがたいトラウマになるような
惨事が、村人たちを以前より緊密にしたのである。
しかし、この午後の「集会」は特別なものだった。「今晩、甥のLukman が恋人にプ
ロポーズするのです。私たちが作っているのは彼女の家族への贈り物です。」と34
歳のIrayaniは言った。彼女は、西アチェMeureboにある、津波で家を失った人々のた
めのTanjung Harapan Camp(希望の岬キャンプ)で暮らしている。Irayaniは甥の幸
せに喜んでおり、25歳のLukmanの結婚は自分達がこのキャンプで暮らし始めてから
少なくとも12組目だと付け加えた。
愛する人を亡くしたことで傷ついた人々の心から一度は忘れ去られた愛が、今、女性
たちによって大喜びで語られているのである。
46歳のYunasriは津波で夫と3人の子供たちを失った。だが、彼女は隣人たちと過
ごす事で慰めと愛情を見つけたのである。「私はキャンプで一人暮らしをしているの
で、ここでの友人が私の全てです。私の愛を彼らと分かち合っているのです。」と微
笑む彼女の肩には、友人達の手が置かれていた。何人かの女性はUjong Beurasok
camp に9ヶ月暮らしており、津波直後の緊急時からチャーチワールドサービス
(CWS)インドネシアの援助を受けている。CWSは国際団体 Action by
Churches Together(ACT)international の一員である。
政府による定住再分配が不確かな中でのキャンプ生活という困難にも関わらず、彼ら
は何とか生き抜こうとしている。悲しみの中にあっても、同じ運命を共有した者同
士、または単なる友情を超えた関係の中で愛情が育まれている。
彼女たちに愛とは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。「愛とは説明できるも
のではなく、ただ感じるものです。」
「友人達が新しい夫や妻を見つけられて嬉しく思います。こんな状況の中、一人でい
るのは良い事ではないですから。でも独身であっても、私達にはお互いがいるのです
から恵まれています。」と、61歳のLatifahは言った。彼女はこのグループでは最
高齢で、津波で夫を失ったのである。
■ 愛、希望、そして決意
同じくTanjung Harapan camp に住み、最近再婚したばかりのRoyaniは相手を見つけ
た幸せを隠せなかった。「2ヶ月前に結婚したばかりです。知り合って1ヶ月足らず
で結婚しましたが幸せです。」と満面の笑みで話した。彼女は息子のズボンを直して
もらおうと仕立て屋に行ったところ、夫となる45歳の仕立て職人Basniと出会った
のだった。
前の夫を津波で亡くしたRoyaniは、こんな幸せをもう一度感じられるようになるとは
思わなかったと話す。愛の定義を尋ねると彼女はこう答えた。「愛について説明する
のは難しいです。ただ言えるのは、一緒にいることで愛は深まるという事です。」
彼女の新しい夫はRoyani と12歳の息子Misriyanto の大きな支えである。「精神
的にも経済的にも私たちを支えてくれています。もっとも面白いのは、彼が私の息子
を自分の息子のように扱ってくれることです。十分すぎるくらいにね。」Royaniは、
Basriの子供たちは成人し家庭も持っているのだと付け加えた。
混乱の中から全てをもう一度やり直すことは人々にとって容易いことではなかった。
Royaniは現在、パートタイムのメイドとして働いており、CWSの援助で、市場で売る
ための疑似餌も作っている。Basriは仕立て屋を続けているが、新しい家族のために
独立してビジネスをはじめようと考えている。
津波から生き延びたことは即ち、未来に向けた格闘を意味する。悲しみや悲嘆が影を
落としているにも関わらず、この女性達は愛、希望、決意を示したのである。
女性たちは、お互いの、または家族からの関心や支えだけを感じているのではなく、
外の世界からのものも認識している。「だから私達は、私達を助けてくれる人、助け
がある事を教えてくれている人全てに感謝の気持ちを伝えたいのです。」とRoyaniは
語った。
Vivi Roselim はACTインターナショナルの一員であるCWSインドネシアの情報
局員である。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:ACT International
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フィリピンー地滑り:赤十字、赤新月社、救援から復興へ

南レイテの漁村Guinsaugonを飲み込んだ地滑りから2週間経ち、死者154人、行方不明者972人に及んでいる。犠牲者の捜索は2月27日に打ち切られ、フィリピン赤十字社(PNRC)、国際赤十字社、赤新月社は災害によって家を失った人々の救援に活動を移している。
2月17日に発生した地滑りでおよそ410人が助かったが、5900人以上が降り続く大雨とさらなる地滑りの危険のために自宅を退去させられ避難センターで生活している。国際赤十字社の援助を受けPNRCは被災者や避難者の復興へ向けて心のケアにつとめ、食物や一時避難所を供給している。
PNRCは数ヶ月にわたって避難所建設用具、水浄化剤、調理コンロ、蚊よけネット、石鹸や歯ブラシを含む衛生用品を供給する予定である。将来の災害に備えての防災対策と地元赤十字支社の活動を後援することにも重点を置いている。加えて地滑りの発生した日に国際赤十字社が要請した200万スイスフラン(128万ユーロ/152万USドル)にも力強い支援を受けた。
南レイテには現在10の避難所があるが、Christo Rey高校もその一つであり800人以上の人が住んでいる。フィリピンのどこにでもある高校と同じだが、ただ一つ違うのは外に“フィリピン赤十字社災害援助対策本部”の横断幕が貼り出されている。
建物の中では、避難者が教室の床に手足をのばしており、Leonida Cataloniaさんのような地域ボランティアが寄付された衣類の入ったかばんを次々と開け、男性用、女性用、子供用と仕分けしている。
「あの金曜日はいつも通り始まりました。」災害前には英語教師だったLeonida Cataloniaさんは語った。「教師達は最終試験の準備をしていましたが携帯電話にGuinsaugonの大災害を知らせるメールが入ってき始めました。多くの生徒たちが両親、兄弟、姉妹のことを思って泣きました…そして最後には悪い知らせだけでした。」
地域の他の避難所と同様、PNRCのボランティアも水、氷、米、麺、缶詰食品、ビスケットなどをを配っている。列を作って辛抱強く待っている人々の中に90歳のHilario Piaさんがいる。彼はGuinsaugonに住んでいたが、今は全てを失って悲しみ苦悶している。
「妻も、息子も、娘も、孫も…みんないなくなった。」目に涙をうかべて語った。「8人の親族を失った。とても悲しくて眠れない…一人ぼっちだ」
Hilarioさんのような被災者や避難者は悲しみにくれながら今後どこにいけばいいのかという問題に直面している。家族、友人、家、生計手段を失い、行動をおこそうとする気力はくじかれ不幸に打ち勝とうとするのはほとんど不可能である。地方の役人と救援機関の間ではGuinsaugon村をどこに移転させるかという話し合いがもたれている。
「この地域では危機を軽減することが必須である。」フィリピン赤十字社の対策本部長、Raul Garganera氏は語る。「南レイテは災害に見舞われやすいが人々はさらなる危険にさらされるべきではなく、防災対策につとめなければならない。」
Raul氏は防災対策には地方支部の収容建物、救援労働者の訓練、適所にシャベル、ロープ、ゴム長靴などの用具備蓄、交通手段の確保が含まれると指摘している。
地滑り後の最初の救援を振り返ってみると、破壊の規模と危険な状況のなかで勇気のある救援活動であった、とRaul氏は語っている。
「フィリピン赤十字社の地元支社のおかげで地滑り後3時間以内に人々を救援することができた。そしてこのことは地域に基盤を置いた災害対策がいかに重要であるかを示している。」
原文URL: http://www.reliefweb.int
情報源:国際赤十字社、赤新月社(IFRC)
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フィリピン-地滑り OCHA状況レポートNo.2

フィリピン-地滑り
この状況レポートは国連駐在外交官(UN Resident Coordinator’s Office)、フィリピン民間防衛対策室、フィリピン国家防災センター、そしてIFRCによってOCHAに提供された情報である。
I. 状況
2006年2月17日現地時間の午前10時(02:00GMT)、南レイテ地方のSt. Bernardの町近くのGuinsaugon村(推定人口1400人)で、地滑りが発生した。同じ日の現地時間およそ午後10時(22:00GMT)にはその村で2回目の地滑りが発生した。2回目の地滑りによって、周囲11の村がさらなる被害の防止策として避難した。フィリピン地学局(The Philippine Geosciences Bureau)は、この地滑りは深度が4メートル、およそ3平方キロメートルの地域を覆ったと推測した。
現地の学校の職員と生徒250人を含む1500人がGuidsaugon村に生き埋めになっていると思われる。現在までに80人が救出され、3つの避難センターに避難している。生存者のうちつの避難センターに避難している。生存者のうち41人は、重傷で現地の病院で今も治療を受けている。19体の身元不明の遺体が現場から発見されている。
またこの地滑りによって、近隣地域に洪水をもたらす主な川の支流が塞がれてしまった。さらにその雨はその地域で24時間から48時間降り続くと予想されており、その雨によって救出活動と救援活動が困難となり、さらなる地滑りの可能性も増加するだろう。さらなる雨の予報が出されたので、Caraga地域で洪水警報も発令されている。
II 国家の対応
フィリピンの空軍と陸軍からの救助チームが昨日から捜索と復旧活動を引き受けている。政府は2機のC-130飛行機と2隻の海軍の全艦船で病院としても供給している。
社会福祉と開発省(DSWD)はすでに600所帯の食料用品を配給し、それに加えて1500所帯の食料用品を配布しさらに2500着の追加の医療用品を配給しようとしている。健康省(DOH)は116の遺体袋、石灰の粉、輸血(点滴)液、PHP210万の価値を持つ組み合わされた薬を供給してきた。10人からなるトラウマ(心的外傷)に対応するチームもまた、健康省(DOH)によって動員されている。
DPWHはSaint Bernardの町を入りやすい状態にする荷を積む機械やバックホー、ブルドーザーのような地面を整備する機械を供給した。
フィリピン赤十字は、総勢70の人員をその地域に動員した。その中には、評価チーム、保健チーム、救助犬のチーム、精神的な支援を提供したり、コミュニケーションをはかるのを助ける人が含まれています。
昨日フィリピン赤十字は100の家族にテントと300枚の毛布、5箱の水を浄化する錠剤と700の遺体袋を供給した。今日、追加で26000ポンドの医療必需品がその場所に送られた。国際赤十字社連盟は、スイスフランにして20万の緊急補助金をフィリピン赤十字に緊急支援として供給した。昨日国際赤十字社連盟はスイスフランにして200万の緊急要求を開始した。
国家の資源オペレーションセンター(NROC)はPasay市の社会福祉と発展部門によって立てられている。全てのNROCはDSWDオペレーションセンターとして、寄付の処理を促進したり、国家災害対応(NCDR)の政府機関や、他のプライベートの個人や団体を組織している。
III 国際的な対応
US海軍はその地域の2つの船を送った。マレーシアは2つの2C-130航空機が利用できるようにし、シンガポールはさがして救助するヘリコプターを供給している。
日本政府は緊急救援物資や設備を寄付することに賛成している。オーストラリア政府は、フィリピン赤十字社連盟、避難している生存者の緊急救援や、食べ物や衣類、緊急物資といった基本的なニーズを満たすことと同様、避難所やトラウマのためのカウンセリングを始め、他の支援機関が利用できる即座の支援や医学的支援のため、100万オーストラリアドルの寄付の約束をしている。
ユニセフは救急洋品や不可欠な医薬品を1万人に提供しています。UNOCHAは緊急の対応として、新たに10万ドルを追加で集めました。
国連開発計画(UNDP)は、緊急の対応として、新たに10万ドルを追加で集めました。
UNDACの6人のメンバーが市民軍の調整を含め、状況判断や対応調整などを行っている政府や国連駐在外交官(UN Resident Coordinator)、UN Country Teamを支援するために動員されています。TSFは、2人単位でUNDACチームを支援するために配置しています。
IV 最優先事項
今日その地域に展開されたフィリピンの民間防衛体制による評価の結果は明日出るだろう。その結果と現在進行中の評価の結果が、目下進行中の救助作業に、優先事項や資源の動員の基礎を形作る。
フィリピン政府は目下優先的に捜索と復旧作業と被災者への早急な支援を7つの避難センターにいる近隣の人たちの避難と同様に行っている。救援活動の効果的な調整を強調している。
救助と平行して、政府はまわりの地域や地滑りや大雨での洪水の危険性のある他の地域において災害に備える対策を強化する計画をしている。
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情報源:UNOCHA
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パキスタン地震の子どもたちのために安全な場所を提供

パキスタン バラコット 2006年1月19日 – 10月8日の朝、Kaghan valley に太陽が輝いていた。そして小学校の先生であるMuhammad Shaukatは校庭で授業をしていた。午前8時45分に地面が揺れた時、彼と生徒たちは準備をしていた。天井だけを残して、学校はつぶれた。Shaukatの家(その渓谷近隣の多くの家がそうであったように)もつぶれて、住めなくなった。
しかしその日の午後、Shaukatの4歳の息子であるKaramelahiは、IRCが運営しているバラコット近くの”Child friendly spaces”の日常の活動に30人の子どもたちと参加しながら楽しんでいた。
「一番傷つくのは子どもたちである。」Shaukatは地震についてこう言う。「彼らはトラウマを感じている。私の子供は余震が来ると叫んだり泣いたりして、とても怯えている。ヘリコプターが来たときも彼は怯える。今はそうではない。彼は学校に行くことが楽しみである。
IRCの”Child friendly spaces”は、緊急時に安全なスペースが与えられていて、建物の構造や環境がよく整っている。バラコットでは、学校の建物は瓦礫になって横たわり、多くの子供は地震によってクラスメートを亡くした。センターの活動は子供を助けて閉じ込められたストレスを開放し、正常な感覚を取り戻させることだ。
「私の友達のほとんどが怪我をしたり死んでしまったの。」10歳のMomina Ahmedは言う。彼女は11月1日にバラコットのセンターが開いてからずっと通っている。今日彼女は先頭に立って歌を歌うのを助けた。”Child friendly spaces”では「なにも恐れるものはないのよ。」と彼女は言う。
囲まれたテントの中と外部から保護された場所では、子供たちは絵を描いたり、絵本を読んだり、ゲームをしたり、スポーツをしたり、歌を歌ったりしている。「テントの町」から逃れ、地震後のバラコットでのびのびと成長する。
「子供たちはここで大災害を経験した。」とNasir Haleemは言う。IRCの子供援助のマネージャーだ。「彼らは母親や父親、友達といった最愛の人が亡くなるのを目の前で目撃した。私たちがここに来たとき、彼らは学校に戻るのを嫌がっていた。私たちは精神的なサポートを提供している。」
「私たちは子供たちが精神的に何度もショックを与えることを恐れて、何が起こったかについては話さない」とIRCの子供支援のアドバイザーは付け足した。「しかし、子供たちが何かを表現しようとしたとき私たちは彼らを励ます。演劇や絵画で表現することで癒されていく。それは人から衝撃を解き放つ。これらの活動は彼らを癒していく。」
IRCセンターはまた子供たちについて最初に普通の教育をしなければならないことを公表している。Sakina Bibiは自分の年齢をはっきり知らないが8歳ぐらいだと思われ、彼女は今まで学校に行ったことがないと言っている。彼女は地震で村の建物のほとんどが破壊されるまでは、バラコットからジープで1時間ほど離れたプマラに住んできた。今彼女の6人の家族はバラコットのテントに住んでおり、IRCの”Child friendly spaces”に参加している。「私たちはいつ戻れるのかわからない。」と彼女は言う。
被災地域では地震後2ヶ月ほど学校が閉鎖された。IRCの”Child friendly spaces”では、授業が行われている学校と閉鎖した学校の教育の差を埋めようとしている。しかし学校は避難家族のためのキャンプを建て直したり、新たに建てたりしている。IRCは普通教育のシステムを補い、先生と一緒に”healing classroomsを作り、子供のために精神的なサポートを提供している。そして、コミュニティの人々はセンターにおいてさまざまな責任を持っている。
IRCは最初にコミュニティの年長者や父兄にこのプログラムについて説明した。だからこのプログラムについてはすぐに広まり、他のコミュニティからも”Child friendly spaces”を自分たちのところにもほしいと求められた。IRCはパキスタンで12の”Child friendly spaces”を運営している。そして2月の始めまでに、54箇所以上設置し、運営する予定である。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:International Rescue Committee(IRP)
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指人形、ボランティア、スリランカのトラウマに危機感

【オレゴン州、ポートランド、2006,1,12】
色とりどりの指人形をかばんに詰め込み、地元のボランティアは今週の日曜日、津波のトラウマにいまなお苦しんでいる多くの子供達を支援するために北西医療チーム(Northwest Medical Teams)とスリランカに向かった。
オレゴン州ウエストリンからトラウマカウンセラー、Lydia Byhardt Bollingerさんが参加し、地元の地域リーダー達と共同して、メンタルヘルスサービスのために何が必要かを調査し、トラウマカウンセラーのための文化的にきめの細かいトレーニングプログラムを実行する。Bollingerさんは「モリソン子どもと家族サービス」(Morrison Child and Family Service) のセラピストでウエストリンで診 療所を開いている。今回初めて北西医療チームと同行する。
Bollingerさんはスリランカの保健省と協働し、地域において研修を受けたカウンセラーの人数を増やすために計画されている研修カリキュラムの促進の手助けをする。
「津波復興計画が進行している一方で、多くの子供達が今なお津波の心的衝撃から回復するために助けを必要としている。」と北西医療チームのBas Vanderzalm所長は言っている。「子供達 は、学校でうまくやっていくため、健全な人間関係を築くため、そして健康を維持するために助けを必要としている。」
Lydia Bollingerさんの夫でNorthwest Medical TeamsのスタッフであるPaul Bollingerさんは、スリランカで妻と同行する。2人は10年以上前にスリランカでPeace Corpsの活動をしている時に出会った。北西医療チームは今週2つの医療チームをスリランカに派遣し、別の看護チームをインドネシアに派遣する。
北西医療チームは津波復興計画に4000万ドルを費やしている。117万2815人の被災者が健康を回復し、家を再建し、生計を取り戻すため、これまで165人以上の救援労働者と30人あまりの国内スタッフが支援してきた。被害を受けたそれぞれの地域で北西医療チームは地元の保健省、地域保健医療提供者や地域リーダーと協働して持続的、費用効果のある計画を実行している。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:Northwest Medical Teams International, Inc.
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イラン:バム地震-2年後 変わらぬ精神

2003年12月26日早朝のバム市に、2万6000人以上の命を奪い、何万人もが負傷するという壊滅的な被害をもたらした地震から2年、辛うじて市民の精神は損なわれてはいない。
この24カ月の間、生存者の生活改善のため多くのことがなされたが、同時に、多くのことがまだ手付かずである。実際町を歩いてみると、
倒壊した建物の80パーセント以上が未だ地震の数日後の回復期の時の姿のままあちこちに留まっていた。道路や路地には未だ多くの瓦礫が散乱し、ほこりやチリは絶えず人々の周囲をまっている。倒壊した家屋やビルの大半は、人々が未だ復興の処理をするよりも一時避難所にいることを選んでいるため、“所有者なし”のまま残されている。
しかし、バムにはまだ活気と情熱がある。初期の国際救援労働者の流入後、復興作業は、1年以上だった現在も地元の手に委ねられている。 イランのイスラム共和国政府は市の内部と近隣の被災した村での復興プロジェクトを開始した。 また、イラン赤新月社と国際的な連盟は異なる分野での復興プロジェクトを実施している。
イラン赤新月社、文部科学省の協力により国際連盟がサポートするプロジェクトは、9つの学校(標準の5校、モデルの1校、障害者用の3つの特別校)、バムのクリニック1つ、ケルマーン州のRoad Rescue Baseを盛り込んでいる。2006年5月末までには、主にオーストラリア政府、オーストラリア、オランダ、アイルランド、カナダ、ドイツ各国の赤十字社より資金援助を受けている最初の数校の建設が完成する見込みである。
アルゲバム(バムの要塞)モデルスクールを含む2組目の学校の建設は2006年6月末までに完成する見込みである。ユネスコとの提携でなされるこのプロジェクトは幼稚園から中学校までを対象としている。カナダ、オランダ、ドイツ、アイルランド、オーストラリア、スウェーデン、日本、ノルウェー、クロアチア、アンドラ、デンマーク、フィンランド、イギリス、モナコ、リヒテンシュタイン、ニュージーランド、ポーランド、台湾各国の赤十字社が資金援助をした。その他の3校はスウェーデン政府、スウェーデン、ノルウェー、日本各国の赤十字社によって資金援助される。
学校の建設現場で遊んだり、現場の一角の避難所で勉強している生徒達を見ると、ある意味では平常時に戻りつつある兆しが見え、励みになる。
校庭のがれきはまだ完全に除去されていない。生徒達は、工事が完了するまではプレハブの建物の中で授業を受け続けることができる。
生徒達は、労働者が彼らの安全を気遣いながら作業する一方で休憩時間を楽しんでいる。このようなサイトの1つの近くに住む住人の一人は、近々完成する新しい学校に、「命はとても大切です。子供達が、がれきの脅威なしに安全に勉強するのを見られることが幸せです。」と、喜びを述べた。
バムはやしの木と庭に囲まれ、かつては世界一のデーツを産み出したことがある。しかし地震後はほとんどのやしの木を失ってしまった。生き残ったものは、今後の工事全てとそれに関わるダメージのために必死に戦っている。やしの木を切ることは禁止され、違反した場合は150ドルの罰金が課される。
モスク、病院、学校、銀行、自治体オフィスなどの都市の主要なビルの多くもまた、再建の必要がある。これらは地方公共団体の責任であるが、場合によっては、他の国際機関により支援される場合がある。地震により激しく損傷した街の古い砦もこのケースにあたる。 ユネスコは、世界遺産サイトとして2500年昔の城砦を登録し、復旧のために15年かかるといわれている長期プロジェクトを支援している。
震災後の18カ月間、居住者達は自身の家の再建を始めることを許可されなかったが、現在は規制が変わり、政府は居住者が自身の土地に家を建築するためのローンを提供している。
バムの人々の精神は2年経った今も変わってはいない。しかし、さまざまな試練の連続である。深刻な粉塵の大群は現在も続き、呼吸困難を引き起こし続けている。
バムの人々に提供された多大な国内・国際的支援は、確かに大きな効果をもたらしたが、多くの問題がまだ残されている。イラン赤新月社ケルマーン支局長のAbna博士はこう指摘した。「多くの国立、国際機関、またNGO団体は、バムでの救援・復旧復興においてこれまでの大変協力的であった。しかしながら、我々は地震によって引き起こされた破壊から完全に回復するためにさらなる支援が必要である。」
世界の関心は、バムから津波被災地やパキスタンに移ってきている。しかし国内では、連盟の支援により、イラン赤新月社が、2年前に怒った恐ろしい災禍により被災した何万人もの人々のニーズにこたえられるよう、また、最良の方法を見つけられるよう努力し続けている。
原文URL: http://www.reliefweb.int
情報源:Source: International Federation of Red Cross And Red Crescent Societies (IFRC)
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UNFPAは地震で被災した何千人もの妊婦が数ヶ月後に生命にかかわる合併症に直面すると警告している。

安全を保証するためにさらなる基金が必要
パキスタン、イスラマバード、2005.11.07
パキスタンの地震で被災した1万7000人もの妊婦が2ヶ月後に分娩予定である。統計によればその内1200人が深刻な合併症に直面し、400人が外科治療を必要とするということである。
UNFPA(国連人口基金)は、10月8日に発生した地震によるショック、トラウマ、厳しい生活状態、基本的な保険サービスや緊急な産科医療を受ける機会が非常に少ないなどの理由で、妊娠している女性や少女の健康と安全が危険にさらされていると警告している。
国連合同支援の一環として、UNFPAは地元当局がこのような状況に取り組むのを援助するため、清潔な出産キット、帝王切開手術キット、緊急援助物資、手術機材などを保健センターや国連の委託施設に提供している。
大きな被害を受けた北西国境地方のマンセラ(Mansehra)とパキスタン統治カシミール地方のムザファラバード(Muzaffarabad)の2地域で9台のUNFPA巡回診療車が、医療支援を続けている。この2週間でスタッフは1万人以上の患者を診療し、80人以上の分娩を介助した。分娩合併症の女性は女医に付き添われてヘリコプターでムザファラバードの病院に搬送され、健康な赤ちゃんを無事出産した。
しかしながら、UNFPAパキスタン代表、フランス・ドネイ医師(Dr.France Donnay)は、数ヵ月後に医療支援を必要とする多くの妊婦に十分な治療をするためにはさらなる基金が必要だと訴えている。UNFPAは国連合同人道支援アピールの一環として、周産期保健医療支援のために900万ドル、衛生キットのために100万ドルの寄付を要請している。
地震被災への対応が緊急支援から復興支援へとすすむに連れて、保健医療システムの復旧と地域の保健医療提供者への基本医療ケアの養成が緊急に必要である。大きな課題は女性医療スタッフと地域スタッフ不足である。UNFPAは機材の供給とスタッフ養成支援のためにより多くの基金を必要としている。
UNFPAパキスタン事務所は、タオル、ショール、せっけん、くし、脱脂綿がはいった10万個の衛生キットを用意している。このキットは地域保健医療提供者、UNFPA巡回診療サービスチームや国際NGO、地域NGOのスタッフによって女性や少女に配給される。
国連人道支援活動の一環としてUNFPAはマンセラ、ムザファラバード地方の電子地理情報データベースをイスラマバードの国連保健医療機関と共有している。このデータベースは地形、道路、人口密度の詳細な地図情報で、すべての医療施設と学校も記載されている。この情報は政府当局が数ヵ月後に計画している被災地域での保健医療サービスシステムの復興に役立てられる。
UNFPA(国連人口基金)は、すべての男性、女性、子供が健康な生活を送り、平等な機会を享受するための促進活動をしている国際開発機関である。   UNFPAは貧困をなくし、すべての妊娠を望まれたものとし、すべての出産を安全にし、すべての若者をエイズの恐怖から解放し、すべての女性と少女が尊厳と尊敬をもたれる為に、人口データを使って様々な国の政策と計画を支援する。
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情報源: UNFPA
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パキスタン:「時間との闘い」での敗北―長い冬への備え

いわゆる「時間との闘い」には敗北した。震災後の長い冬を迎える、パキスタンの山岳部での対応に焦点を当てていく必要がある。 金曜、ワールド・ビジョン中央アジアの副地域ディレクターDineen Tupa氏はこう語った。
「まだ最悪の段階ではない。この惨事は、今後何ヶ月も続くだろう」 「世界はこの状況を理解していない。被害規模の点から見ると、ここはバム(イラン)の30倍以上の被災者がいる。よって、寒さと被災地へのアクセスが大きな障害という点では、(スマトラ沖地震の)津波以上に恐ろしい災害なのである。」
雪への対策が最重要視され、2週間以内には遠隔地の山村にテント、毛布、食糧が届けられることになっている。
「それは、決して容易なことではないだろう」「援助団体は、数ヶ月もの間、キャンプいる人々に食糧を配り、山頂にいる、より多くの人々に食糧や避難用具を届けることになる。これは、単に2~3週間のみのことではなく、長期戦となるだろう」
「どれだけの人数が山岳地に留まるのか、またいつ彼らに限界が来るのか、そして彼らが山に留まるかキャンプに降りるかの決断がどれほど複雑であるかでさえ、全くわからない。」「しかし肝心なのは、我々は救助をするためにここにいるということであり、山であれキャンプであれ、彼らが望む場所で、我々は救援をするのみである。」と、Tupa氏は語った。
地域副知事(regional vice president)Dave Robinson氏は、被災地へ向かう際、イスラマバードにて次のように語った。「冬はひどい結果をもたらすであろう。寒波による第二の死の波が懸念される。」「世界中が働きかけなければならない。皆、疲れてきている。しかし、震災で生き残った人に対しては、援助疲れを弁明しようとする。我々は、もっと協力すべきなのだ。」
国連は水曜、ジュネーブにて、援助の要請を3億1300万ドルから5億5000万ドルに増やしたことを発表し、被害の大きさを強調した。結果は、6700万ドルの寄付と2800万ドルの追加援助公約があったのみだった、とロンドンのファイナンシャルタイムズは報じた。
ワールド・ビジョン・パキスタンのナショナルディレクターSigurdHanson氏は、世界はこれを南アジア地震と呼んでいるが、圧倒的に被害を受けたのは、少なくとも5万4000人が死亡したパキスタンである、と語った。また、ユニセフの推定では、国内の死傷者の半数は子供である、とニューヨークのエージェントスポークスマン Gordon Weiss氏は語った。
この地震により、少なくとも330万人以上が被災し、被害は2万5000平方キロメートルにも及んだ。下記はBBCによる報告である。
パキスタンのカシミール地方での最終的な死者の数は4万人を超える可能性がある。現在の負傷者数はおよそ7万人に上る。主都ムザファラバード(Muzaffarabad)の60万人の住民の多くは、屋外で眠ることを余儀なくされている。
パキスタンの北西辺境州では、少なくとも1万3000人の死者がでたという。人口3万人の都市バラコット(Balakot)は市全体が崩壊し、校舎の倒壊により、400人の子供が命を 落とした。人口9万1000人の都市Bhugarmong Valleyでは、住宅の80~90%が倒壊しているか、住めない状態であるという。
インドのカシミール地方では、死者はおよそ1400人、負傷者は5000人、また14万人が家を失った。およそ4万棟の住宅が倒壊したといわれている。
ワールド・ビジョンは、被災地に国際救援チームを置き、テント、毛布、調理セットの配布を行う一方で、パキスタン初の「チャイルド・フレンドリー・スペース」の設立を進め、避難所の素早い解決に取り組んでいる。
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