人道的状況に関するレポート:スリランカ2月11~14日

武力紛争下の子供たちについての国連年次報告:アナン国連事務総長とオララ・オトゥヌ国連特別代表(戦争における子供の権利に関する国連特使)の声名は、政府や多くのメディアには肯定的に、またLTTE(少数派タミル人武装組織:タミル・イーラム解放のトラ)やいくつかの反対派には批判的に、広い範囲に反響しまた批評されている。
・国連事務総長はまた最近殺害されたタミル人過激派リーダーであるKaushalyanに哀悼の意を表したことで公に批判されている。批判はPNM(国家人民運動)とJHU(仏教派)議会のリーダーのRatana Theraがそれぞれ発表した。その間、TNF(タミル国家勢力、LTTEからの分派)はこの殺害の犯行声名を出した。伝えられた関連する武力衝突では、3人のLTTEのメンバーが先週の火曜日にバッティカロア近郊で爆弾よって殺害された。
・18億米ドル津波再建プランの開始に関連して“約60%はLTTEの支配地域を対象にする”とTAFREN(Task Force to Rebuild the Nation)の代表Mano Tittawellaは述べたと日曜日に伝えられた。再建3年計画は2月の終わりまでに完成される見込みである。クマーラトゥンガ大統領は3月1日を予定されている計画の開始日として発表した。 
情報源:Sunday Observer2月13日、Daily News2月14日
・TAFOR(Task Force on Relief)のリーダーのTilak Ronarirajaは政府の暫定的な宿泊施設の計画に関して“2万から3万戸の仮設住宅の建設”を目的としていると詳しく述べた。恒久住宅の建設には彼によると最低2年は必要とされるのだけれど、上記の戸数の仮設住宅は六ヶ月以内に準備が整う見込みである。同様の構成は国連やドナー、CNO(Centre of National Operation)に国家仮設住宅プログラム(National Transitional Shelter Programme)として原則的に同意された。この問題の複雑なことに関してはTAFORのリーダーとUN RC/HC(Resident/Humanitarian Coordinator)、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、IOM(国際移住機関)、そしてNGOとの間で先週行われた2回の会合の中で議論された。
・TAFORやUNHCR、IOM、OCHA(国連人道問題調整事務所)、JLCの作業部会は実務業務と調整の分野に取り組んでおり、CNOは2月4日に業務を停止した。土地の分配や建築資材の輸入といったその他の関連した問題は2月16日水曜日に一般的な調整会議で話し合われることになる。
・内閣広報担当官であるMongala Samaraweera大臣は土曜日に、政府は大統領選挙を2006年11月12日もしくはそれまでに行う予定であると発表し、大統領は野党が主張している投票の延期に対して意思がないことを彼は繰り返し述べた。
・Kumaratunga大統領が議長を務めた先週の木曜の会議で、女性に同等の土地権利を保証するため1935年の土地改革条例を改正することを内閣は賛成した。女性を差別的に扱ってきた以前の条項は取り除かれるだろう。
・2月11日に、議会は「有事規定」の法案を支持することを表明した。伝えられるところでは、緊急法令は1月18日から2月11日の間にスリランカ憲法が定めている国会非常事態の正当な手続きがないまま施行された。情報源:2005年2月12日Mirror
公共安全、治安の大臣であるRatnasiri Wickremarayakeは「これらの規定は被害を受けた人々へ設備や基本的なサービスを提供するために活用されるだろう。私達は、労働組合や公共に逆らってこれらを使う予定はない」と述べた。
・津波が襲ったときに準備が不足していたと言われていることをうけて、来週の木曜それを調査するため、議会の特別委員会が任命された。野党のリーダーであるMahinda Samarasinghe監事が議長を務める委員会は、なぜより早く警告するシステムがなかったのか、そのようなシステムを得るために国がすべきことは何か、を調査する予定である。
・偽造の見積もりやその他の手段によって、津波の被害者のための何百万もの寄付金をNGOが着服してしまう危険がる、と広く言われている主張にメディアは焦点を当て続けている。副財務大臣は「現在の法律では、政府がNGOの財政業務を厳しく監視することができない」と述べた。
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情報源: 国連人道問題調整事務所
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津波救済:長期計画

我々セーブ・ザ・チルドレンの見積もりによると、2004年12月26日に南アジアで起こった地震と津波で難を逃れた子供たちのための、5年にわたる長期計画には総額2億3000万ドルを費やすことになる。
私たちの「再結合・再生・再建」計画は、最も被害の大きいインドネシア、スリランカ、インドの3国の子供たちへの大規模な取り組みと、タイやモルディブの子供たちへの、それよりは小規模な取り組みに焦点を当てている。私たちは長年、これらの国々で活動してきており、短期・長期的人道援助を行うに十分な力がある。
私たちが特に重要視しているのは、このすさまじい災害に襲われた子供たちに、至急、しかし継続して建設的変化をもたらすことである。
この地域の至る所で、私たちは食料、水、医療器具、収容施設、その他の必需品を供給し、生存者たちの緊急の需要に応えている。また、はぐれてしまったり親を亡くした子供たちを登録し、家族やコミュニティーと再び一つになれるようにする、そしてできるだけ早く子供を学校に戻すという主な取り組みに着手することも含め、搾取からの子供たちの保護においても先頭に立っている。
これに続くのが、技術訓練や低額の貸付を通じた生計の立て直し、学校や住宅、保健所を含めたインフラ設備の修復と再建、そして心的外傷を受けた被害者たちの精神的サポートの提供に向けた長期的集中である。
インドネシア
インドネシアでは、私たちは既に津波以前の20年以上、子供たちへの3段階戦略を実行している。彼らは、内戦、家族の離散、限られた公益設備やインフラ、といった深刻な問題に直面していた。
・救急救命(最初の半年)
私たちは、1)特に幼い子供のための緊急の食糧配給 2)保健医療サービス 3)清潔な水と衛生 4)収容施設と食料以外の物資(テント、石鹸、鍋、フライパン、ビニルシート、毛布、殺虫剤)5)子供の保護 に焦点を当てている。また、孤児やはぐれた子供たちを家族や親戚の元に戻し、子供たちが再び安心して遊べる場所を作り、精神面の治療を長期的にサポートする。
・中期支援と再建(2年)
 この災害後の子供たちの生活再建を支援するため、1)子供たちの家族が生計を立て直したり 2)彼らのコミュニティーが、破壊されたり損傷を受けたインフラ設備や社会制度を再建する のを手伝う。
・長期的回復(5年)
 子供たちがあのすさまじい自然災害の影響から回復し、生き延びて成長するのを支援するため、家族やコミュニティーに 1)子供の安全と保護 2)水と衛生 3)教育と教員養成 4)健康についての知識と助産士・看護士の養成 5)家族の生計支援 に取り組むためのツールやトレーニングを供給する。
スリランカ
スリランカでは特に、最もひどい影響を受けた沿岸のBatticaloa,Trincomalee,Matara,Galle,Jaffna,Ampara,Mullativu,Kilinochchi の子供たちの特別なニーズに応える2段階の戦略を実行している。ここでは私たちは、4万弱の世帯に手を差し伸べている。
・救急救命(1ケ月)
 子供たちが生き抜くのを助けるため、私たちは 1)食糧配給 2)石鹸、健康衛生用品 3)一時的収容施設と蚊帳 4)身寄りの無い、もしくははぐれた子供たちの確認と定住 5)国内避難民キャンプでの一時的なテント式の学校と遊戯活動 に集中する。
・長期的回復(5年)
 現在私たちは、より長期的な再建・回復段階に入っており、子供たちとその家族を
1)家族の生計や“働くための現金”の支援計画 2)半恒久性の家族向けテントや子供の衣服 3)学用品、遊び場、学校備品と精神的・社会的サポート を通して援助する。
インド
インドでは、スリランカと同様、2段階の長期戦略を実行しており、特にTami Nadu やAndhra Pradesh海岸沿いの荒れ果てた地域、Andaman 島、Nicobar島で、インド政府やUNICEFといった機関と協力している。
・救急救命(1ケ月)
子供たちが生き抜くのを助けるため、1)特に幼い子供への食料配給 2)石鹸や衛生用品 3)鍋やフライパン 4)ビニルシート 5)毛布 6)殺虫剤 を提供している。
・長期的回復(5年)
子供たちの回復を助けるために、1)子供の保護 2)精神的治癒 3)家族の生計支援 4)教育 5)健康 6)コミュニティーの再建と修復 に集中する。
タイ 
最新の見積もりによると、5000人以上が死亡、8500人が負傷、3400人が行方不明、そして3万世帯が家を失ったままというタイで、私たちは子供たちのリハビリに必要なものを確認し、チャイルドセンターへの支援を行うため、Phang Nga州と Ranong州で、州政府と Duang Prathip基金に面会した。子供たちの保護の手始めに、私たちは今、はぐれた子供や孤児、出稼ぎ労働者の子供の問題、の程度を調べており、調査が済んだら彼らに手を差し伸べる戦略に着手する。
 
モルディブ
大人子供合わせて約10万人が被害に遭ったモルディブでは、14の島から避難した住民の定住、失われた生計(特に観光、農業分野)の再建、清潔な水、そして土地を離れた海外からの専門家たちの交代要員が優先される。私たちは今、家を追われた子供たちの状況を調査中で、それが済んだら彼らの保護にあたる。
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情報源: セーブ・ザ・チルドレン
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インドネシア、モルディブ、スリランカ:OCHA地震と津波に関する状況レポート NO.24

スリランカ
最新情報
2005年2月2日、地区行政官が最新の被害者数を報告した。
死亡者数: 30,959人
行方不明者数: 5,443人
避難民: 555,298人 そのうち、405,614人人は親戚、もしくは友人と暮らしていて、147,027人は、309人の生活保護センターやキャンプに住んでいる。
スリランカの救援活動の分野別課題について述べてある報告をうけて、Chandrika Kumaratunga大統領は、政府の行政官に被害を受けた少なくとも70%の人々が2月7日までに援助を受けることができるように命令した。
人々が緊急に必要なことに対応するための基金は、全ての分野で全般的に準備されている。主な課題は、緊急対応が実際に組織される地区レベルでどのように業務を調整するかと、国家レベルでどのように戦略的な調整をするかである。人道的なことで優先させなければならない問題には、すべての人々が受益者になるための協議、明白で公正な移住政策、がれきや廃棄物の撤去、被災者のための生活支援や福祉センターやキャンプに住んでいる国内避難民のための状況を改善することなどがある。
分野別開発
食糧
国連世界食糧計画はスリランカで食糧配給の欠落を対処し、食糧を必要としているあらゆる人々に行き届くように、スタッフを増員し能力を向上させている。
Killinochchi地方での2回目の食糧配給が進行中である。スリランカ政府による受益者の登録は完了して、配給カードを国連世界食糧計画の食糧援助を受けているその他の地区の福祉キャンプにいる21000人に供給している。
水と公衆衛生
ユニセフは、地元で手に入れることが出来る材料を利用した、下水処理設備の見本を開発した。
その見本が、今週政府に提出される予定です。
もしその見本が受理されると、下水に大きな被害を受けた地区での水と公衆衛生活動のために、より必要とされている援助が供給されます。
環境
世界銀行、アジア開発銀行、日本開発銀行からなる評価チームの予備調査結果によると、津波による物理的被害の65%以上が、スリランカの北部と東部で受けた。アンパラとバティカロアの東の地区は最悪の打撃である。
避難所
国連難民高等弁務官事務所は津波の被災地で避難所作業に関わる関連機関やNGOに関する情報をまとめている。UNHCR、ZOA、GTSやGOALのような関連機関は地区のレベルの中心的な機能を果たすだろう。マタラには、その中心となる関連機関がまだ設置されていない。
生計
食糧農業機関が復興にかかる総額が1億4500万米ドル必要であるとし、エンジンやギアといった漁船のために9800万米ドル、漁港や漁業施設に2300万米ドル、小規模融資のために100万米ドル、陸上での漁業関係の建物など冷凍庫の構造基盤のために1700万米ドル、そして、地域の向上のために技術的、財政的援助にアメリカドルで500万ドル追加する必要があるとした。
構造基盤への他の被害の見積もりは660万米ドルである。修繕や復興そして環境被害に関する改善には、7500万米ドルが見積もられている。
調整とサービス
OCHA現地調査オフィスがAmpara,Batticaloa,KillinochchiとGalleに来週明けに開設される。
FAOはスリランカで公的な漁業コーディネーターとして政府とWB/ADB/JBIC/JICAと需要評価グループによって選ばれた。
物流
国連合同物流センターはKillinochchi,GalleやBatticaloa会社を設立する計画をしている。
イタリア政府は国連の職員やスリランカ内の救援積荷の運送のために2機の航空機を利用可能にした。
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情報源: 国連人道問題調整事務所
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津波後の女性たちによる女性たちの救援

[インドネシア・アチェ・BESAR]赤ちゃんを授かることは、喜びの瞬間だと考えられているが、Asnawiyahさんには、不安と恐怖と恥辱の時である。津波が襲ったとき、Asnwiyahさんは、第一子の妊娠8ヶ月でありながら、恐ろしい津波から逃げるため、村の人たちと必死で走った。
2日間、彼女は裸足で歩き、避難所を探し、空き地で寝た。現在、彼女は,仮設キャンプで900人の他人と生活している。そこでは、女性の権利や要求は、優先事項リストの最末尾からも遠い状況だ。
「赤ちゃんを授かることは、とても幸せです。本当に長い間待ち望んでいたことですから」Asnawiyahさん(35)は話す。「でも、このような状況では、まともに幸せを感じることはできません。ここで、どうやって赤ちゃんを産めるのでしょう?こんなに大勢の人の前で、どうやって赤ちゃんに乳をやればいいのでしょう?」
津波は、インドネシアの沿岸の村や町を襲い、175000人以上の命を奪った。しかし、女性にとっては、その上に自分たちの尊厳をも奪われたのだ。
Asnawiyahさんの出身地であるアチェ区のほとんどの女性は、保守的なイスラム教徒である。彼女たちは、頭にスカーフをかぶらずに人前に出られないし、家族以外の男性と同じ場所にいることはタブーとされる。
それでは、どうやって女性たちは、仮設キャンプの中で、男性を含む他の6家族と一つのテントで生活しているのだろうか?
CAREは、アチェの75以上の仮設キャンプで非常用救援物資の輸送や復興作業に携わっている数ある国際機関の一つであり、キャンプにおける女性用品の配給に取り組んでいる。
食料や浄水器・非常用品の配給に加え、CAREでは、災害直後の時期における女性のケアを専門とする医療スタッフチームを召集した。
Nuretha Hevy Purwaningtyas医師の率いるCAREの女性職員たちが、キャンプからキャンプへと走り回り、妊婦のケアにあたったり、非常事態における婦人科衛生や栄養について女性たちに教えながら、衛生用品やコンドーム・経口避妊薬の配給を行っている。
「非常事態が起こったとき、至急必要なものとして、主に、食料や水・避難所を考えます。しかし、女性に対しては、その他に非常にたくさんの物を考慮しなければなりません。そして、それらも極めて大切なものなのです」とNuretha医師は話した。
男性は簡単に、川に駆け下り、裸になり、入浴することがでるが、女性は、たくさんの服を着たまま、頭にはスカーフを被り、川へそっと入って行き、服を着たまま苦労して体を洗わなければならない。
そして、彼女たちは、びしょぬれのままで川の土手を上がって帰り、テントの中へ入ってから、濡れた服の上に乾いた服を着て、そして、ようやくその着替えた服の下から濡れた服を引っ張り出すのだ。
この全ての工程には1時間以上かかるし、その結果、女性たちは清潔にはなるが、新しい服はすでにもう濡れてしまっている。湿度の高い熱帯性の気候の中で、女性たちは、長時間濡れたままでいるため、体中に発疹ができ、かゆみをおこしている。
「全然治らないわ」とAsmawatiさんは言う。彼女は2人の子どもを連れてキャンプへ逃げて来たのだが、服のそでをめくって、発疹のできた腕を見せた。「ずっと濡れたままでいるからなの。服が乾いていたことがないわ」
このキャンプ場の女性たちは、身の回りの品をできるだだけきちんと整えるよう努力している。テントの柱からサロンという腰布を張り、家族ごとにスペースを仕切っていた。
彼女たちは、寝袋や枕を隅にきちんと積み重ね、支給された米袋やプラスティックのコップや皿を奇麗に保管している。
しかし、いくつかの面においては、女性の生活は簡単に整えることはできない。津波がAsmawatiさんの村をおそった時、女性たちは、靴さえ履かず、着の身着のままで逃げたのだ。Asmawatiさんと3人の女性は月経中であった。
「彼女たちは生理用ナプキンを持っておらず、手当てに使えるようなボロギレさえもなかったのです」と彼女は話した。「女性たちはとても恥ずかしい思いをしたのです。泣くより他にどうすることもできなっかたのです」
非常事態から最初の1ヶ月で、Nuretha医師と彼女の率いるチームは、キャンプ生活をする約1500家族に衛生用品セットを配給した。セットには、歯磨き・歯ブラシ・シャンプー・下着・衣類・洗面器、そして、生理用ナプキン1ヶ月分があった。
今日、Nuretha医師は、Asnawiyahさんとキャンプにいる他の2人の妊婦に、大きなビニールシートとタオル・新生児用毛布・殺菌石鹸の入ったセットを配給した。女性たちは、陣痛が起きて地方の助産婦のところへ行くとき、このセットを持っていけるのだ。
Asnawiyahさんには、将来家族がどこに住めばよいのかという悩みは解決していないが、しかし、少なくとも彼女は、赤ちゃんをずっと安全に出産できるようになったと感じている。
「キャンプで女性であることは過酷なことです。かつては当たり前だと思っていたことが大変たくさんあります」と彼女は、現在の彼女の家である込み合ったテントを見渡しながら話した。「他の女性たちが私たちの世話をしてくれるということに、どれほど大きな意味があるのか、あなた方には、ここに住むまで、わからないでしょう」
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情報源:CARE
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避難者の声:インドネシアでの生命との奮闘

インドネシア津波の余波で、合計40万人の避難を余儀なくされる人の中で、約1万人のアチェの人々が、大きな地震と津波に影響を受けなかったスマトラの北のメダンへ避難することを選びました。親戚と避難する人もいれば、アチェのコミュニティ団体によって組織されるキャンプで看護を受けている人もいます。これらのキャンプは、国際援助組織から援助を受け取らず、アチェの人々の自助収容力の例を示しています。
RIは、アチェのSepakatによって組織され、60人が住んでいる1人の小さなキャンプを訪問しました。そのキャンプは、充分な光が入り換気ができる開いた側と高い屋根を持った大きな倉庫で設置されました。食物(例えば即席麺)の箱は1つの地域で積まれ、他の所有物は地面のマットの上に置かれた。施設の入り口に、行方不明者を見つける支援を求める訴えるために心に響く絵を陳列している掲示板がありました。
RIは、バンダアチェ州のPenayugan地区で一緒にレストランで働いていた5人か6人の若い女性と話しました。津波の襲った日、彼女たちはレストランにいたそうです。そのとき彼女たちは通りのほうから「水だ!水だ!」と叫ぶ声を聞きました。彼女らは外に飛び出して、すごい勢いの波の中へ、すぐに飲み込まれました。彼女らは、その津波から生き残った。レストランはその道に位置していた。彼女らは枝につかまることができ、波にのまれなかった。こうして、押し流されるのを免れました。
彼らが生き残ることができた一方、彼ら個人の損失はとてつもなかったのです。六人は皆両親が生き残ったかどうか分かりません。
津波の後の1週間、そのグループはモスクとそれから集会場において避難しました。彼らは、人々がそれがMedanは、より安全だったと言うのを聞きましたので、彼らは一緒に東海岸に移動しました。
彼らがキャンプで十分な看護を受ける間、彼らの唯一の懸念はいえに戻る方法です。今のところ、家に戻るための費用は提供はありません。そして、彼らはキャンプ居住者のたまに料理を手伝うことによって忙しいです。
若い女性は、彼らが一緒に作った詩を書き留めました。彼らは、それをRIと共有して誇りに思いました。その詩は、RIのガイド兼通訳であるNi Wayan Sri Siantariによって翻訳されました。
生命との闘い
全くの暗夜
古い捨てられた井戸
一人の子どもは、バケツを見た
雷は、静かな夜に聞こえた
波は静かな夜を壊した
我々の心と我々の能力に疑問を呈す
世界は、満たされた場所ではない
(避難したSimeulueの子どもたちによる詩)
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情報源: Refugee International (RI)
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未だ早急な援助が必要とされる地震に襲われたバムの市民

Farshid Motahari, 2004,12,23
バム・イラン―昨年12月の壊滅的な地震の1周年行事のためイラン大統領モハマド ハタミは南東部の街バムを訪れる予定である。
道はきれいに清掃され、プレハブハウスのようなコンテナが目立っている。地震で苦しめられた住民は、少なくとも大統領には笑顔で元気に見えるよう努力している。
一日前は、すべての物が全く違う状況だった。数百もの住民がプレハブハウスや冷蔵庫、暖房器具、銀行預金の許可を得ようと、多くの書類を手にしてバムの市役所に集まっていた。
しかし、ほとんどの人は他の日のアポイントメントしか得られず、役人をののしりながら帰って行った。
バム出身の62歳女性Marzieの話では、「私が移動できるトイレが必要だと言うと、役人はフォルクスワーゲンをすぐに組み立てるからと言った。」
「賢人のあなたよ、私の孫がトイレに行かねばならない時に、私はフォルクスワーゲンをどうしろというのでしょうか。」と女性は加えていった。彼女はトイレがコンテナの近くになく、隣人に借りなければならない状況にあった。
特別貿易地区アルゲジャディッド (荒廃した街の中心にあるオアシス)には、年間約20.000台のフォルクスワーゲンが組み立てられている。
「2006年3月までに、現地住民のために約5,000の新規雇用機会が設けられる。」と、この計画の技術監督の1人Mehdi Abtahiは言った。
現在約800人のバム市民が、その工場で働いている。組立作業員のAsqarは「もし長期間この仕事を続ける事ができれば、その時我々労働者は少なくとも神とドイツ人には感謝する。」と話した。
フォルクスワーゲンのような計画は、19歳のSoraya Behzadiには重要ではない。地震発生時、彼女は崩壊する家から生後まもない自分の赤ちゃんを連れ出そうとしたが、途中で落としてしまい、頭を地面で強く打った。現在1歳になるが、身体に障害を抱えている。
医者によると、その障害は今でも治す事は可能である。しかし若い母親には莫大な治療費を支払う余裕がないのだ。「もし彼らが治療費を援助してくれなければ、その時私の赤ちゃんは単なる肉の塊になってしまう。」と、絶望する彼女は嘆いた。
ヨーロッパ連合(EU)はバムに治療や医薬が無料の医療センターを建設した。しかし、3月にヨーロッパの人々が去ってからは、1人のイラン人の町医者がこのセンターを管理している。
その若い医者は残業するだけではなく、高価な専門的治療を必要とする複雑な症例を扱うことが出来ないのだ。
「この大惨事の規模をみくびるべきではない」とバムの市長Amin Baqeri は言い、「私たちは出来ることは何でもするが、すべての要求に応えることはできない」と付け足した。
市役所は住民に対する無利子4,000ドルか年間利子率10パーセントの8,000ドルの信用貸しを計画している。
30,000以上のプレハブ住宅はすでに住民に割り当てられ、電機や水は2006年3月まで無料のままである。
高校教師のAhmadiはバムの政府と住民両者の立場を理解している。
「役人は災害に対してあまりにも一般的見解しか持ち得ていなかった。それゆえに彼らの結果にもそれが現れた。しかしあらゆる運命の背後には、かたくなな官僚制度だけでは扱いきれないのが、人間というものだ。」
彼はまた、バム市民の続く苦難が、バムから近隣の街への移住を引き起こす可能性がある。そして、移住はバムが必要とする以上に高くつくかもしれない。」と警告した。
テヘランはこの問題をよく知っている。1980-88のイラクとの戦争に続いて、イラクに接している州からの多くのイラン人が首都に移住した。それ以降テヘランの人口はほぼ2倍となった。
渋滞や環境汚染といったテヘランが抱える問題のいくつかは、もはや財政的に解決する事はできない。
バムから州都であるケルマーンへの移住は、すでに始まっています。「不運にも、我々はこの移住を認識はしている。」とバム市長は言った。
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情報源: 新華社通信
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日本大使 緒方貞子さんのインタビュー

アフガニスタン特別日本大使であり、東京の日本国際協力機構理事長を兼務する緒方貞子氏はインタビューの際、経済を上昇させるためには経済基盤となる道路や橋、送電線などの発達のために資金源として高額の寄付の必要性があることを述べました。
日本は戦争の被害にあったアフガニスタンへの経済的援助を実施している主な国の一つであり、現地の元戦闘部隊の軍備縮小を率先して支持する国です。
緒方氏は1991年から2000年まで国連難民高等弁務官として任命され、アフガン大統領であるカルザイ大統領就任に出席するため現地に滞在していました。また、緒方氏は国内の難民問題の状況を視察するために南部のカンダハル地方も訪れました。
質問:アフガニスタンへの視察を行われましたが目的はなんでしょうか?
応答:日本はアフガニスタン復興に向けて多くの寄付を行っております。今回の視察の目的といたしましては、どれだけ日本が貢献し、アフガニスタンが変化を成し、次に必要とする物資は何なのかを知るために行ったと言えると思います。
どれだけ復興が進んできているのか心から感じるために、以前2002年6月に訪れたカンダハルを再び訪れました。町の復興した眺めに大変驚きました。以前ここは深刻な紛争が起こった後で、倒壊した建物によって埃がたちこめており、修理の必要があったことを思い出しました。
ところが、今週訪れ、目にしたこの町は美しく道路が舗装され、汚い道路はありませんでした。修復や建設された学校や病院が立ち並んでいました。また、解隊された前戦闘員だった人々は職を見つけておりました。自立した生活を送るために助けが必要な人々はあまりおりませんでした。
質問:緒方さんが訪れた南部地方での難民キャンプの社会的地位をどのように評価されますか?
応答:そのことが一番難しい問題でした。なぜならば、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が正確な数や状況を把握しているとは思えないからです。私達は、この問題に注意を向け、難民問題を解決するための政治の一部に深く関心を寄せています。身元確認ができたならば、出身地に帰すことができる様、常に援助しています。
まず、指揮官を通して交渉を行うことで、彼らの安全を保証します。
前回マザールを訪れ、Mr. DostumとMr.Atta(北の軍事的指導者Dostom長官とUstad Atta)やその他の人々と共に、彼らの元で働く戦闘部隊が迷惑や土地の横領を起こさないことを約束するということを確認するため、この安全保障の問題を取り上げました。
私たちは北部の状況を合法化したり安定させてあげなければなりません。私は自分の故郷へ帰りたいと願っている人々は助けられるべきであるので絶対にあきらめたくはありません。
質問:今回の選挙後の時期における援助の優先事項は何だと思われますか?
応答:教育や健康、その他の社会の基本となる地域社会の構築への取り組みは平行して続けていくべきです。
一方、日本は水を引くことで水の供給をすることに焦点を当て、地方自治体の発展の促進を図ろうと思います。そして今日ではより経済面でのニーズを考える時期にきています。
その他にも国の構築過程において更なる配慮を必要としている多くの側面があります。例を挙げるとすれば、安全保障の問題です。つまり、安定したセキュリティーを促進するためにカブールやその他の地域に外国からの軍隊が滞在しています。
私の見解を申しますと、アフガニスタンの軍隊の編成はとても改善されたと思います。
お話を聞かせていただいた警備訓練に関しては望まれていたようには進んではおらず、更なる警官の訓練は国の安定を助長させると考えています。
日本が約束した援助金は10年間で総額10億米ドルですが、支払った金額は8億5000万米ドル以上になります。全ての額が支払われた後も、援助金は再見する必要があるでしょう。
質問:アフガニスタンに住む女性のために東京が優先して行っていることは何でしょうか?
応答:私は、田舎に生活する女性のために、基本的な読み書き能力と、教育、健康管理を優先すべきであると考えています。特に大規模な識字運動が必要でした。私は女性の地位の向上に関心をもっている国連や日本のNGO団体、そして政府にアピールしてきました。
質問:日本は元アフガニスタン戦闘員の解隊に力をそそぐ先導国ですが、緒方さんは今までのところ満足しておられますか?
応答:私は部分的には満足できると言えます。なぜなら、少なくとも、公式的なDD(軍備縮小、武装解除)過程が素晴らしい結果を出しています。また、兵士たちへの待遇がとても深刻で、得に彼らに職をもたせることや再訓練をすることになると、ことさらに扱いが厳しくなるといえるでしょう。戦闘部隊を中心とする再統合のプラグラムを持たなければなりません。だんだんと変化していますが、まだまだ多くの労力が必要です。
質問:アフガニスタンの視察の中でもっとも抜きん出て発達しているものは何でしょうか?
応答:まず言えるのが選挙でしょう。選挙を行うことは、たくさんの地域の人々が自分たちの生きていく将来を決めるために自分達の権利を活用しようとしている表れです。
復興の点から言えば、最もわかりやすいのは道路でしょう、舗装されてとてもきれいです。カンダハルからカブール間の道路は以前ありませんでした。現在では1000万から1500万台も車が毎日走り、そのことが地域社会生活や経済的生活に変化をもたらしました。このことが最も明らかな発展と言えるでしょう。
質問:新政府に対して意見はありますか?
応答:カルザイ大統領自身が、良く効率的で堕落せず新規構想を目指す良い政府をかかえなければならないとおっしゃいました。この点においては少なくとも強い政府が必要です。国民が信頼する政府です。中央集権から州や地域へと行政的な能力を構築することもまた重要な側面です。
それと同時に、より良い生活と同様にさらなる経済的再建をするためには、ダム等の大規模なインフラの建設(経済基盤の建設)おこなう必要があると思います。
質問:今年国連が指摘したアフガニスタンでのケシ(アヘンを採るケシ)の耕作の増加について、どのようにお考えですか?
応答:このことはアフガニスタンに対する悪いイメージを生みだしてしまったと思います。国際社会も取り組むべきです。しかし、アフガニスタン政府は全てのレベルで取り組むべきです。なぜなら悪いイメージを与えるからです。
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情報源:地域統合情報ネットワーク
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試用段階にあるアフガニスタンの新しい教科書

近代化した教科書は新学期までの秒読みの時期になって実地テストの段階に入っている。
カブール ― 2004.10.22
2004年の学年が終わりに近づいてきて、アフガニスタンの教育者たちはすでに次の3月に始まる新学期にも注意を向けている。それは11の様々な科目の真新しい教科書が日曜日(10月24日)から実地でテストされ始めるということである。
この実地テストはアフガニスタンと国際的な専門家たちのチームがあらゆるレベルの小学校の生徒たちのためのカリキュラムの内容と教科書を改訂し、最新のものにし、書き直してきた1年以上にわたるプロセスの最後から二番目のものである。このテスト段階から出てきた意見は、次の年、アフガニスタンの全ての学校に紹介する前に行う教科書の最終的な変更を促すものとなる。
この実地テストは国内の都会も田舎も含めて10の県の54ヶ所の学校で行われる。教員の養成者や教育監督官などの18人の監視員は、1年生と4年生の実際の教室の場で新しい教科書が使われる様子を見て、新しい教科書の効果を観察し、補助教材としての有効性を評価する。意見は先生と生徒の両方から集められ、アフガン教育省の中の編集翻訳部局内に拠点を置く教科書開発チームに対して最終的な勧告が行われる。
アフガニスタンの教育上の発展における重大な制約の一つは指導と学習の教材の質の悪さである。数年間の教育に対する低い投資と教育的な向上からの隔離状態によって、アフガニスタンの教育システムは時代遅れの指導訓練に頼るものになってしまった。それは多くの生徒たちを励ましたり、学習意欲をそそらせたりすることのないものだった。新しい教科書は、先生と生徒の間の相互の影響を大きく強調し、科目の主題について生徒達が語り、考えることを促すように作られている。新しいデザイン、挿絵、そしてグループワークや教室討論などの近代的な授業法が新しい教科書にはいろいろと組み込まれている。
およそ500万人の生徒達が、大多数は小学校レベルであるが、2005年に入学すると思われる。新しい教科書はこれらの生徒たちのための教育の質を高める極めて重要な教材として先生たちに与えられることになり、またアフガンの家庭に認知される教育の重要性を大いに増加させることになるだろう。アフガニスタンで子ども達が学校へ通わない理由の一つとしてしばしば挙げられるのが、教育が提供されることに対して家庭が懸念を示しているということなのである。
教科書の発展はアフガニスタン教育省と教育大学、コロンビア大学のアフガニスタン人5人で構成されたグループ、2人の国際的な専門家と科目のコンサルタントである専門家の技術的な支援によって進められてきた。財源はデンマーク開発機関DANIDAとUNICEFから提供された。
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平和のための地雷除去活動は、元戦闘兵を再統合する

多くの元戦闘兵たちは今、国連が支援している主な武装解除、動員解除、社会復帰プログラム(DDR)の一環として地雷除去活動に参加している。これまでに国全体で700人以上のこのような元戦闘兵たちが、アフガニスタン国連地雷除去活動センターに参加している。
「このプログラムは今まで一度も試されたことがなかったので、国際的視点から見てとても興味深いプログラムです。」と、UNMACAのDDRプロジェクトマネージャーであるフィル・ランカスター氏が、水曜日にアフガニスタンの首都カブールでIRINに述べた。このプログラムは、調停を含み、心理社会的、識字能力、基礎的な教育問題に焦点をあてた公の社会復帰努力の一部としてこのようなプロジェクトが試されている初めての機会である、と彼は説明した。
UNMACAは、平和のための地雷除去活動(MAFP)プロジェクトを通じて、元戦闘兵を募集している。これはコミュニティーにある地雷除去を通じて、元戦闘兵たちに質の高い社会復帰政策を提供するためのDDRプログラムの一部である。
ランカスター氏によると、その目的はより多くの地雷除去ではなく、人々の社会復帰を助けるためである。彼は、地雷除去は人々が彼らのコミュニティーのために役立つ仕事をできるようにするために使われている、と言った。
「私は地雷除去作業員としてここで働いて、私の家族、コミュニティー、国のために働いていることが今とても快適で幸せです。」と、地雷除去作業者として今働いている27歳の元戦闘兵であるMohammad QasimがIRINに言った。彼は、DDRが始まる前は妻と3人の子供たちと貧しい生活をしていた、と説明した。彼は市民軍の基地で兵士として働いていたが、今は武装解除し、家族を容易に扶養することができるように社会復帰した。
このプロジェクトは、元戦闘兵たちに少なくとも12ヶ月の雇用を保証し、地雷を除去するだけではない。元戦闘兵たちにとっては、識字教室に出席したり、職業訓練やコミュニティー動員訓練を受けたりする機会も与えられている。最も重要なことは、元戦闘兵たちが自分達のコミュニティーに戻り、人々のために地雷を取り除くのに生命の危険をおかしていることである。
ランカスター氏は、このことが作り出すコミュニティーの支援は、社会復帰プログラムの中で自信を持つ手助けをすることである。
「このプロジェクトは、クンドゥズ、パルワン、カブール、マザール、カンダハールの5つの地域で行われている。」とランカスター氏は言った。これまでに約700人の元戦闘兵たちが参加し、200人以上のスペースと財政支援がある、と彼は記している。
このプロジェクトは、日本とヨーロッパ委員会からの寄付により支援されている。
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北部地域を不安定にしている土地紛争

何千人もの難民は、家へ戻ってみて、地方の司令官達が自分達の所有地を取り上げていることに気付く。
土地の所有権をめぐる紛争、難民の帰還、地元の民兵の司令官によって続く土地の強奪、アフガニスタンはこれらの数の増加にみまわれている。
北部では、地方の司令官による武力で所有地が奪われたと何百人もの人達が言っている。土地をめぐる銃の撃ち合いでは一人が殺された。
暫定政権はこの問題の調査をして、土地紛争を扱うカブールの特別法廷を設立するためにこの地方の首都マザリシャリフに政府の派遣団を送った。
しかし、地方の司令官や、資金提供者や保護者として役立っている地方の将軍に対抗するのに、中央政府はいまだ弱すぎる。
土地の所有権についての問題は近年いくつかの理由によってより論議を呼ぶものとなってきた。その理由とは、23年間の戦争が何百万人もの人々を追い立てたこと、土地の権利書が失われてしまったこと、公的な行政機関のシステムと民法の大部分が崩れてしまったこと、などである。干ばつと地雷は安全で肥沃な土地の必要性を強くした。
国外生活の年月を送った後、難民達は自分達が所有していると思っていた土地が他の人のものとされていることを戻ってきた今気付いた。
多くの場合、難民の土地は武力で個人の土地を奪い続けている地方の司令官によって分配されていた。彼らだけの法律によってこれらの地方の司令官は政府と他の公的財産をも私物化していた。
「大部分が地元の司令官によって土地を強奪されたと言っている、今現在で8000人以上の難民が助けてほしいと我々のところへやって来た。」とマザリ・シャリフのノルウェー難民委員会の委員長Mohammad Arif Rizaiは言った。
「しかし、殺し屋が関わる事件が法廷に持ち込まれると、合法的な判決が妥当な結果をもたらすことはない。」と彼は言った。
5月にマザリで起きた事件では、町の南方約5キロにある土地をめぐる衝突で一人の男が殺され、2人が負傷した。
2人の対立する民兵がこの撃ち合いに関わっていて、それぞれがその土地は自分のものだと言っていた。
警察はこの土地は政府のものだと言い、地元の農民は自分のものだと言った。
「私はこの土地で30年間働いてきて、法的な権利書も持っている。」と、ここで農業をして10人の家族を養っているSayeed Isaqは言った。
地元の司令官達は人々の土地の権利を平気で無視するだけでなく、紛争を解決するために、自分達の私的な法廷―非合法の“委員会”―を設立していた。
当然のことながら、この“委員会”で取り扱われた判決のほとんどは、この会を作った地元の司令官の味方をしている。
「これらの委員会は問題を解決せずに、より多くの問題を生み出している。」とバルヒ州の裁判所長のAbdul Manan Mawlawizadaは言った。
裁判システムが“政府や裁判所の中の道徳的に腐敗した人々”の問題を克服することに失敗したということをMawlawizadaは認めている。この失敗は衝突と流血の惨事を引き起こしてきた、と言った。
土地の権利を管理する適切で公正なシステムを実施するように試みる際の主要な問題のひとつとして、アフガン社会において銃の入手の可能性が広がっていることも彼はとがめた。
4月には司令官に土地を奪われたと主張する500人の人々がこの状況を訴えるために州知事の所にやってきて面会を求めた。しかしこれまで当局は何の行動も起こしていないと彼らは言っている。
Habibullah Habibバルヒ州知事代理は、土地所有権紛争を簡単にまた迅速に解決することはできないと言った。
張り合っている当事者たちが、自分たちがこの土地の正当な所有者だと示す書類をしばしばでっち上げることができていると彼は言った。
州の新しい計画では2万家族を再定住させるように努力し、地元の司令官によって前もって再分配された40パーセントの土地を帰還難民に与え、彼らが新生活を始められるようにすると、Mohammad Yunus Moqimマザリ・シャリフ市長は言った。
「この計画の実行によって、バルヒ州の難民問題は解決するだろう。」と彼は述べた。
その間に、法務省からの代理人を含むカブールからの派遣団はマザリ・シャリフにおいて、政府や公的な土地の強奪について調査し、個人の土地所有権について明白にする方法を調べている。
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情報源:Institute for War and Peace Reporting
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