未だ早急な援助が必要とされる地震に襲われたバムの市民

Farshid Motahari, 2004,12,23
バム・イラン―昨年12月の壊滅的な地震の1周年行事のためイラン大統領モハマド ハタミは南東部の街バムを訪れる予定である。
道はきれいに清掃され、プレハブハウスのようなコンテナが目立っている。地震で苦しめられた住民は、少なくとも大統領には笑顔で元気に見えるよう努力している。
一日前は、すべての物が全く違う状況だった。数百もの住民がプレハブハウスや冷蔵庫、暖房器具、銀行預金の許可を得ようと、多くの書類を手にしてバムの市役所に集まっていた。
しかし、ほとんどの人は他の日のアポイントメントしか得られず、役人をののしりながら帰って行った。
バム出身の62歳女性Marzieの話では、「私が移動できるトイレが必要だと言うと、役人はフォルクスワーゲンをすぐに組み立てるからと言った。」
「賢人のあなたよ、私の孫がトイレに行かねばならない時に、私はフォルクスワーゲンをどうしろというのでしょうか。」と女性は加えていった。彼女はトイレがコンテナの近くになく、隣人に借りなければならない状況にあった。
特別貿易地区アルゲジャディッド (荒廃した街の中心にあるオアシス)には、年間約20.000台のフォルクスワーゲンが組み立てられている。
「2006年3月までに、現地住民のために約5,000の新規雇用機会が設けられる。」と、この計画の技術監督の1人Mehdi Abtahiは言った。
現在約800人のバム市民が、その工場で働いている。組立作業員のAsqarは「もし長期間この仕事を続ける事ができれば、その時我々労働者は少なくとも神とドイツ人には感謝する。」と話した。
フォルクスワーゲンのような計画は、19歳のSoraya Behzadiには重要ではない。地震発生時、彼女は崩壊する家から生後まもない自分の赤ちゃんを連れ出そうとしたが、途中で落としてしまい、頭を地面で強く打った。現在1歳になるが、身体に障害を抱えている。
医者によると、その障害は今でも治す事は可能である。しかし若い母親には莫大な治療費を支払う余裕がないのだ。「もし彼らが治療費を援助してくれなければ、その時私の赤ちゃんは単なる肉の塊になってしまう。」と、絶望する彼女は嘆いた。
ヨーロッパ連合(EU)はバムに治療や医薬が無料の医療センターを建設した。しかし、3月にヨーロッパの人々が去ってからは、1人のイラン人の町医者がこのセンターを管理している。
その若い医者は残業するだけではなく、高価な専門的治療を必要とする複雑な症例を扱うことが出来ないのだ。
「この大惨事の規模をみくびるべきではない」とバムの市長Amin Baqeri は言い、「私たちは出来ることは何でもするが、すべての要求に応えることはできない」と付け足した。
市役所は住民に対する無利子4,000ドルか年間利子率10パーセントの8,000ドルの信用貸しを計画している。
30,000以上のプレハブ住宅はすでに住民に割り当てられ、電機や水は2006年3月まで無料のままである。
高校教師のAhmadiはバムの政府と住民両者の立場を理解している。
「役人は災害に対してあまりにも一般的見解しか持ち得ていなかった。それゆえに彼らの結果にもそれが現れた。しかしあらゆる運命の背後には、かたくなな官僚制度だけでは扱いきれないのが、人間というものだ。」
彼はまた、バム市民の続く苦難が、バムから近隣の街への移住を引き起こす可能性がある。そして、移住はバムが必要とする以上に高くつくかもしれない。」と警告した。
テヘランはこの問題をよく知っている。1980-88のイラクとの戦争に続いて、イラクに接している州からの多くのイラン人が首都に移住した。それ以降テヘランの人口はほぼ2倍となった。
渋滞や環境汚染といったテヘランが抱える問題のいくつかは、もはや財政的に解決する事はできない。
バムから州都であるケルマーンへの移住は、すでに始まっています。「不運にも、我々はこの移住を認識はしている。」とバム市長は言った。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: 新華社通信
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