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国連職員、カルザイによる9月選挙の発表を歓迎

今日、上級国連使節は、アフガニスタンでの選挙が今9月に予定されることを示す国の大統領よる発表を歓迎した。
ドイツ・ボンで2年前合意されたのは6月に選挙を行うことだった。しかし、およそ1000万のうちの160万の資格を有するアフガニスタン人がこれまで署名したとはいえ、安全や他の問題点が、選挙人登録を延期させる原因となっている。
国連アフガニスタン支援ミッションの代表、Jean Arnaultは今日カブールで報道陣達に、「ハミドカルザイの決定は皆の生活をよりよいものにするでしょう。なぜなら、準備は着々と進められているからだ。」と語った。
「またこれは公的な情報や市民教育という点から見ても非常に重要です。」と付け加えた。
使節はこの決定は木曜日にベルリンで開かれるアフガニスタンに関する支援者会議をさらにあと押しするだろうと述べた。
「実際はこの発表にならって来ている、ベルリン会議は少し違った意味を持っている。」と言った。
9月に正当な選挙を行うためには、2、3年に起こっていない多くのことが明らかにこの短期間に起こるに違いない。
「武装解除の努力は選挙のプロセスと協力して行わなければならない」、とArnaultは付け加えた。
「この数ヶ月、これらの選挙が、完全には武装解除はされないだろうが、武装解除へ向かうべき国でこれらの選挙が起こることを可能にすることに非常に重要な方法で注目しなければならないでしょう。」
政治的な自由および報道の自由も9月に向けて注意がに払われなければならない、また、政党が活動するには困難なところがアフガニスタンのいたるところにある、と言った。
「これは自由で公正な選挙が起こることができる前に変えなければならない。」
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情報源:国際連合ニュースサービス
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バムはまだ一面廃墟のままである

イラン地震の後、3ヶ月後のバムの現状を一人の石職人、Vamid Addeliの仕事をとおして語っている。
マホメッドの思い出が赤字で書かれている。真っ白な大理石に4mmの深さで彫られている。ゆっくりとペンキの色は乾き、磨かれた石の表面のくっきりとした線が見える。
Vamid Addeliは友人、マホメッドへの尊敬の念をこめた完璧な彫刻が終え、ペンキブラシを洗っている。その後、Addeliはまたさらに次の大理石の厚板上で機械を動かしている。12人家族、幼い子供そしていろいろなことをよく知っている23歳の店のオーナーといった、他の人々の名前の思い出も彫っている。
Addeliはバムで最も安定した仕事に従事している。彼は記録的な速さで墓石に彫る。上司は建築材の販売もしている。バムの中央共同墓地では、墓石は小さな記念碑になっているので、最近ではAddeliの商売は繁盛している。これらの墓石は12月26日にこの古代都市を襲った強烈な地震で亡くなった4万3千人を痛切に思い出させる。
Addeliは自分の仕事についてどうするべきかわからない。仕事中、よく知る多数の人の名前を順番に読んだ後、深く考えることをやめてしまった。バムの誰もこの災害を忘れられない。1秒たりとも。
Addeliは松葉杖をつかみソファーからとびおきた。地震が起きた時、壁が崩れ彼の右足に落ち、バターのように足は潰されてしまった。その後、州都ケルマンの病院で足を切断する手術を受けた。
現在彼は結婚相手が見つかるかどうか心配している。しかしそんな先のことを考えるのはおこがましいようにも思える。今日までに35個の墓石を完成させていた。まだ指が痛んでいる。そして、この若者、Addeliはアスファルトに鉄の松葉杖をガチガチ鳴らしながら家に帰り始めた。
しかし汚れたテントに住んでいるので、家に帰るというのは正確な言い方ではないかもしれない。彼の家には何も残っていない。ただ山積みの瓦礫と空がぼんやり見えるほどに崩れた壁だけだ。バムはまだ一面廃墟のままである。
嵐はムチのようにやってきて、Addeliの顔にちりやほこりを激しく打ちつけた。風が足の通っていないズボンを旗のようにはためかせている。Addeliは目を細めている。
「僕はラッキーだった」と石職人のAddeliはさよならというかわりに言った。幸運、なぜなら彼の身近な家族、親族はまだ全員生きているからだ。これはバムでは奇跡に近いことである。人口の半分は市郊外に埋まっている。さらに100人はまだ12百万トンの瓦礫の中で行方不明になっている。ほんの3ヶ月前に遺物となってしまったが、かつては活気溢れる町だった。
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情報源: 国際赤十字・赤新月社連盟
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3週間で4万人以上のアフガニスタン難民が帰国

国連の報道官が木曜日に発表したところによると、3月初めに難民帰還プログラムが実施されて以来、4万人以上のアフガニスタン難民が隣国パキスタンやイランから帰国した。
「3月3日以降、1万3000人以上の難民がパキスタンから、8200人の難民がイランから、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の帰国支援プログラムにより帰国した」と、UNHCRのMohammed Nader Faehad氏は現地にて発表を行った。
一方、国連全面的支援のもと、2万5000人の難民が、自発的にイランから帰還した。
カブールおよびイスラマバード、UNHCRによって以前結ばれた3者同意協定のもと、国連難民機関は2004年には、40万人の難民がパキスタンから自主帰国ができるよう支援すると約束した。
この協定により、さらに約180万人に及ぶ、残りのアフガニスタン難民の帰還が2006年末には完了する見込みである。
イスラム原理主義タリバン政権の崩壊から、この2年の間に、ほぼ250万人のアフガニスタン難民が本国に帰還した。
しかしながら、同数の難民が、まだ、パキスタンやイランなどの国外に取り残されている。
前ソビエト連邦による占領政策や、内乱、元タリバンの強硬路線政策により、600万人以上のアフガニスタン人が強制的に国外避難させられていたが、彼らの本国への帰還は、2001年後半のタリバン政権崩壊後、すぐに開始されていた。
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情報源:新華通信網
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イラン地震への対応続く

チャーチ・ワールド・サービス(CWS)は12月26日にイランのバム市で起こった壊滅的な地震に伴い、緊急ニーズと長期的ニーズへの対応を長老教会災害支援とACTオランダの協力を得て最も困窮にある人の心理社会的な支援をし、組み立て式の避難所と半永久的な家を供給することを続けている。
50人のイラン人が地震のために精神的トラウマを負った女性達、子供達それに若い人達へカウンセリングの提供をはじめている(数はまだ決然としていない)。そのうえ、バム市内では60世帯が組み立て式の一時的な避難所へ入ることができ、市外でも70世帯が半永久的な耐震性の家に住むことができるようになる。
地震後まもなくして、CWSは初めに3万ドルを緊急避難所購入と配布のための援助金として中東教会協議会へ提供した。またCWSは、“心からの贈り物”として保健器具8000コ、7500人分の基本的薬(3ヶ月分)そして約2875人分の緊急薬剤を空輸した。
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情報源:チャーチ・ワールド・サービス(CWS)
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依然続くヘラートでの女性に対する抑圧-RAWAの報告

Revolutionary Association of the Woman of Afghanistan(RAWA)の会員によると、地元の独裁者Ismail Khanに支配されているアフガニスタンのヘラートでは、イスラム原理主義タリバン政権の時代に逆行するような抑圧的な社会状況のために自殺する女性達や若い少女ですらますます多くなっている。
「ヘラートで政権を握っている指導者はまさにタリバンのようである。彼は民主主義者ではなく女性達や少女達に制限を加えた。そしてそのことは多くの女性達の自殺の原因になった。」と、ひとつの名前だけを使うSuhailaがパキスタンの首都イスラマバードでIRIN(統合地域情報ネットワーク)に述べた。
ヘラートでは女性は無理矢理結婚させられ、そのため学校へ行ったり仕事を探す機会を奪われている、と彼女は付け加え、「そういうわけでこれらの女性達は自殺している。」と、Suhailaは主張した。
RAWA会員によると、自殺の報告の大半はヘラートで起こっているが、傾向もNimruzのような他の地方の農村地域にも広がっている。
「アフガニスタンの女性達や少女達はJihadisやタリバンの時代と同じような状況下にいる。地方で政権を握っているこれらの軍閥はやりたい放題にしている。政府はこれらの地方や指導者を抑制するべきだ。彼らは政権を握るべきではない。」と、Suhailaはかっかした。
政府は特に女性の情況を改善しようとする計画を取り入れる必要があると、彼女は強調した。アフガニスタンでの人権と社会正義のために活動する独立した政治的・社会的団体として、1997年に女性の知識人によって設立されたRAWAは民主主義や政教分離を促進し、女性の人権の向上に努める。
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情報源:国連人道問題調整事務所(UNOCHA)
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イラン・バムでの収穫の期待

先の壊滅的な地震で損害を受けた必要不可欠な灌漑用水路の清掃作業が進んでいるため、バムでの今年の収穫はうまくいくだろうという期待が高まっている。
バムは町中の果樹園や庭で育てられている多肉多汁のナツメヤシで有名である。ナツメヤシは明るい砂漠の太陽によって熟するのだが、水に関して言えば、昔からある地下トンネルの巧妙なシステムや地上の水路を頼りにしている。それは遠くの雪を頂いた山からこの歴史的な町の中心へ水を運んでいる。
マグニチュード6.6を記録した12月26日の地震はおそらくこの15年のうちで最もひどいものだった。それによって4万1千人にのぼる人々が亡くなり、3万人以上が負傷し、7万5千人が家を失ったままである。生き残った人々のほとんどは廃墟となった以前の家の間でいまだにテント暮らしをしている。
地元の農業の頼みの綱として、ナツメヤシ農場の経営は疲弊した経済を立て直すために、そして人々が自分達の生計を立て直せるようにするために、欠くことのできないものとなっている。バムの人口の80%以上が農民であり、500km以上の灌漑用水路が地震によって壁や建物が中へ崩れ落ちてきてふさがれてしまったと農業省は報告している。春が急速に近づいてきていて、9月に収穫を得るためにはナツメヤシにすぐにいつも通りの給水をする必要がある。それでこの重要な機会を逃す前に大急ぎで灌漑用水路を再び開通させようとしている。「もしナツメヤシに水をやらなかったら、やがて乾いてしまい、地震は第二弾目の被害を引き起こすことになる。」と救援機関Medairとともに仕事をしているAli Reza Khaniという技術者は説明している。
Medairは農業省と協力して市内のある場所の灌漑用水路を清掃している。掘削機械ががれきの一番ひどいところを取り除いているが、可能なところでは労働者のチームが現在の水路を掘り起こしている。チームは掘削機の届かないヤシの木の間で作業することができ、彼らの注意深い作業は水路の内側のさらなる損害を防ぐことにもなる。さらにこの方法は、地震以来他に収入の道が無い人々に必要な雇用の機会を与えている。
地元の人々はこの仕事の重要性を認識している。農民のReza Saidanは妻と子供とともに生き残った。しかし彼の両親と兄弟は全て亡くなった。有名な泥レンガでできたアルゲバム城のごく近くにある彼のナツメヤシの間に立つ時、彼はこのヤシ園は自分のこれからの生活にとって重要なものであると知る。「私達はこの木によって生きている。」と彼は言う。足元の土は乾いてひび割れ、ふさがれた水路が地震以来この果樹園に水を引くことができていなかったことを意味している。
しかしMedairと農業省によって行われている作業のおかげで、近日中に彼のナツメヤシにも水が引かれてくるだろうとRezaは期待している。「来週までにはここに水がくれば、私達は何も失わずにいられる。きっと以前のようにたくさんの収穫を得ることができるだろう。」と彼は言っている。
その間にもMedairは、他のRezaのような農民が今年収穫を手にする機会を確実に得られるように、できるだけ多くの水路を開く努力をしている。
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情報源:MEDAIR (スイスに本部を置く国際人道援助NGO)
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ユニセフの子ども兵士動員解除活動の進展

国連児童基金(UNICEF ユニセフ)はアフガニスタンにおける子どもの兵士の動員解除が進展してきていると発表した。この活動は国内の8,000人ともみられる子供の兵士を対象としている。
アフガニスタンの過去23年間の戦争中、何千人もの子供達が軍閥や攻争に利用されてきた。そのうちの数百人が確認されているが、北部の町クンドゥズの4つの地区では2月始めに動員解除計画が始まってから約150人が動員解除された。「既にこの1週間でクンドゥズの4つ以上の地区から500人以上の若者達が投降したことは非常に前向きなことだ」とユニセフの報道官Edward CarwardineはIRINに語った。
子どもの兵士の動員解除の取り組みは、10万人以上の元兵士を対象とした国連が支援している軍縮動員解除および再統合(DDR)の計画と平行して行っている。
ユニセフは協力団体と共に、元こども兵が教育を受け、兵士としての生活と代わる生き方のための機会を創出するための、地域社会を基盤とした社会復帰計画に取り掛かっている。
動員解除された子供達は全員健康診断、心理テストを受け、地雷の危険、麻薬の乱用、HIV/AIDの防止や基本的な衛生教育に関する勉強会に参加したとユニセフは言った。「それに加え、それぞれの子供は市民としての責任を誓う誓約書に署名し、個人の身分証明番号を発行された。」とCarwardineは言った。
動員解除された子供達は全てHIVと性感染症の任意の検査を受けるよう機会を与えられたとユニセフは言った。
ユニセフによるとこの動員解除に参加できる要件として、子ども兵が正式な指令系統があり上官がいる軍隊組織にいたことがあるかまだ所属しており、所属部隊の任務に直接関係した活動に関わっていたいうことが必要である。「このプログラムは一般の若者達を対象にしていない。指揮組織のある戦闘部隊と何らかの関わりがあった者でなければ参加できない。」とCarwardineは言った。
これは新しい取り組みであるため、現地の実施団体は様々な困難に直面している。クンドゥズからやって来たある実施団体のスタッフは、地元の指揮官は非戦闘員の子供や資格のない人々をチームに引き合わせて参加資格認証の取り組みから利益を得ようとしていると、匿名を希望してIRINに語った。
「指揮官達は数百人もの子供達を紹介してきた。その多くは軍隊組織に所属していないし、したこともない。司令官達は「我々は奨励金を支払っているとでも思っているようだ。」と彼は言った。こうした子どもの多くが国連が支援するこの取り組みに関わろうとする地元の指揮官たちと直接的あるいは間接的な関係を持っているので、誰が資格のある未成年の子どもなのか確認するのは難しいと言及した。
18才以上であったり、以前の子ども兵の定義にあわないという理由で、動員解除の計画からおよそ90人の人々が除外されたとユニセフは言った。
アフガニスタンには総計8,000人の元子ども兵がいる彼らの多くはすでにこの数年間の内に非公式には戦闘部隊から離れているとユニセフは見積もっている。「彼らは皆、市民生活に完全に社会復帰するための差し迫った援助を必要としている。特に教育や持続可能な所得創出の分野において。」とユニセフの報道官は言った。
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情報源:国連人道問題調整事務所 統合地域情報ネットワーク
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100万人目アフガン人有権者登録を行う

アフガニスタンで有権者登録された100万人目はカブール大学の女子生徒だった、とUNAMA(国連アフガニスタン支援ミッション)は本日報告した。
上級国連特使Jean Arnaul氏tはこの記録を歓迎した。「100万という数の達成・・・私たちはこの選挙に向けての勢いがより加速することを信じている」と彼は述べた。Arnault氏は自由で公正な選挙を行うことの重要性、そしてそれを実行可能にする状況を作り出すためには武装解除と、動員解除を継続する事が必要であると強調した。強力な武器は全国で制限されるべきで、同時にすべての政党と立候補者は対等な立場で政治(選挙)活動を行えなければならない。再建と治安もまた不可欠であるとも彼は加えた。彼は選挙戦と全く別に、アフガニスタンの行政機関も強化されるべきだと述べた。「これはこれまでの成果を基盤に活動を前進させていくことが、私たちすべてにとって重要なことだ。」
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情報源:国連ニュースサービス
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地雷の第二の象徴的な破壊

地雷禁止条約加盟国の義務の一部として、アフガニスタンは、首都のカブールで昨年の5月に始まった、備蓄されている地雷を破壊する試験段階を完了した。これは国連、政府と国際治安支援部隊(ISAF)の共同プロジェクトで、カブール北部の郊外で木曜日、約1,300の対人地雷(APMs)が3日にわけて爆破された。
APMs(対人地雷)は、カブールのアフガニスタン国防省(MoD)の49の備蓄から集められた。
「ある意味でこれは象徴的だが、アフガニスタンの地雷除去全体にとってかなり重要な新しい一歩を示している。」と、アフガニスタンの地雷除去プログラムへの第一の拠出国であるカナダのクリストファー・アレクサンダー大使が、カブールのその破壊現場でIRINに述べた。
世界の中でもっとも多数の地雷が拡散している国のひとつであるアフガニスタンは、2003年3月の時点で、地雷の使用、製造、備蓄、移譲を禁止する1997年のオタワ条約の当事者国になった。
その条約の加盟国として、アフタニスタン政府は、4年以内に全ての備蓄されている地雷を処分することに同意した。その試験段階は2003年の5月に開始され、それによって多くのAPMが国中のいくつかの街で破壊された。
そしてそのプロジェクトがこれまで首都や首都の周りに集中していた一方で、MoDによると国中に備蓄されている何十万もの地雷を確認して破壊するという継続した必要性が残っている。
「アフガニスタンのあらゆるところに、備蓄場所を特定する地図や方法がない何百万もの地雷がある。」と、MoDの任務責任者であるShir Mohammade Kamiri少将がIRINに述べた。そしてアフガニスタンの上級軍幹部はMoDの在庫にはこれ以上のAPMはないと言ったが、まだ確認されていないが何人かの司令官たちは、APMが彼らの備蓄品の中にあると考えている。「DDR(国連が支援する市民勢力の軍縮動員解除および再統合)中に、私たちはいくつかの貯蔵所や倉庫で地雷の一部を発見することができるかもしれない。」と、彼は言った。
一方、国連アフガニスタン地雷除去センター(UNMACA)は2百万ドル余APMの備蓄品破壊プロジェクトは、試験段階の完了の後2~3ヶ月で本格的に始まるとIRINに述べた。UNMACAにとって、私的な武装勢力や軍閥の手元に残っている何十万もの備蓄されたAPMを発見するのが困難であることがその段階で明らかになるだろう。「最も大きな問題は、MoDがこれらの地雷がどこにあるのかわかっていないことである。」と、UNMACAの広報官が言った。
アフガニスタンは、世界の中で、地雷や不発弾の被害者が最も多い国の一つである。UNMACAの見積もりによれば、過去20年間に地雷によって殺されたり負傷したのは20万人以上で、そのほとんどは一般市民である。しかし事態は改善しつつある。UNMANAと赤十字国際委員会によると、過去1年で、地雷の事故は1ヶ月あたり600件から100件まで減少している。
UNMACAは、15の国内外の組織と7,200人のアフガニスタン人職員によって実施されており、オタワ条約で要求されたように、10年間で国中の地雷を除去するのに、1年間につき約6千万ドルの予算が必要である。
13年前にアフガニスタンで始まった作業以来、100人の地雷除去作業者が殺され、500人が負傷している。
ほとんどの地雷は、ソ連の占領およびその後の1980年から1992年共産主義政権時代に埋められた。地雷除去の技術報告によると、地雷は、1992年以降、特にカブールやその周辺では、様々な武装勢力同士の闘争でも使用されていた。伝えられるところによれば、空爆によって破壊された貯蔵庫からばらまかれた不発のクラスター弾や弾薬を使って北部同盟、タリバン、アル・カイダの戦士が新たに埋めた地雷や仕掛け爆弾のために、地雷問題は2001年の10月に悪化した。
アフガニスタンに埋められている地雷の正確な数は未だにわからないが、UNMACAによれば、これまでに地雷や不発弾を含む2,800万個の爆発装置が、3億2,000万平方メートルの地域から除去された。他の8億1,500万平方メートルの地域ではまだ除去されておらず、何十万人もの国内難民(IDPs)と国外難民の安全な帰還にとって、極めて重要な課題として残っている。
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UNHCR、パキスタン・アフガニスタン国境のアフガン難民キャンプを閉鎖

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が金曜日に発表したところによると、キャンプ人口の減少と、孤立した水資源のない場所であるという理由で、パキスタン・アフガニスタン国境のShalmanにあるアフガニスタン人難民キャンプを3月一杯で閉鎖することとなった。
Shalman難民キャンプはパキスタン側北西辺境州のカイバル峠の近くに位置し、現在、およそ1万人のアフガニスタン難民を収容している。UNHCRは人道援助の供給が一層困難かつ費用がかかるようになったという理由から当該キャンプの閉鎖を決定した。
1月に行われたUNHCRによる調査によると、キャンプ住民のうち約半数が、キャンプが閉鎖する3月にアフガニスタンに帰りたいと望んでおり、他の住民は北西辺境州のKotkaiにある他の難民キャンプへの移住を望んでいる。
Shalmanとkotkaiにあるキャンプは、双方ともいわゆる“新設”のキャンプで、タリバン政権を終焉した2001年のアフガニスタンでの戦争の影響を逃れようとした難民を保護するために設置された。
任意帰還プログラムの下UNHCRは、タリバンの崩壊以来およそ190万人のアフガニスタン人をパキスタンからアフガニスタンへ帰すための援助をした。そしてUNHCRは今年、さらに40万人までの帰還を支援する準備をした。
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