[インドネシア・アチェ・BESAR]赤ちゃんを授かることは、喜びの瞬間だと考えられているが、Asnawiyahさんには、不安と恐怖と恥辱の時である。津波が襲ったとき、Asnwiyahさんは、第一子の妊娠8ヶ月でありながら、恐ろしい津波から逃げるため、村の人たちと必死で走った。
2日間、彼女は裸足で歩き、避難所を探し、空き地で寝た。現在、彼女は,仮設キャンプで900人の他人と生活している。そこでは、女性の権利や要求は、優先事項リストの最末尾からも遠い状況だ。
「赤ちゃんを授かることは、とても幸せです。本当に長い間待ち望んでいたことですから」Asnawiyahさん(35)は話す。「でも、このような状況では、まともに幸せを感じることはできません。ここで、どうやって赤ちゃんを産めるのでしょう?こんなに大勢の人の前で、どうやって赤ちゃんに乳をやればいいのでしょう?」
津波は、インドネシアの沿岸の村や町を襲い、175000人以上の命を奪った。しかし、女性にとっては、その上に自分たちの尊厳をも奪われたのだ。
Asnawiyahさんの出身地であるアチェ区のほとんどの女性は、保守的なイスラム教徒である。彼女たちは、頭にスカーフをかぶらずに人前に出られないし、家族以外の男性と同じ場所にいることはタブーとされる。
それでは、どうやって女性たちは、仮設キャンプの中で、男性を含む他の6家族と一つのテントで生活しているのだろうか?
CAREは、アチェの75以上の仮設キャンプで非常用救援物資の輸送や復興作業に携わっている数ある国際機関の一つであり、キャンプにおける女性用品の配給に取り組んでいる。
食料や浄水器・非常用品の配給に加え、CAREでは、災害直後の時期における女性のケアを専門とする医療スタッフチームを召集した。
Nuretha Hevy Purwaningtyas医師の率いるCAREの女性職員たちが、キャンプからキャンプへと走り回り、妊婦のケアにあたったり、非常事態における婦人科衛生や栄養について女性たちに教えながら、衛生用品やコンドーム・経口避妊薬の配給を行っている。
「非常事態が起こったとき、至急必要なものとして、主に、食料や水・避難所を考えます。しかし、女性に対しては、その他に非常にたくさんの物を考慮しなければなりません。そして、それらも極めて大切なものなのです」とNuretha医師は話した。
男性は簡単に、川に駆け下り、裸になり、入浴することがでるが、女性は、たくさんの服を着たまま、頭にはスカーフを被り、川へそっと入って行き、服を着たまま苦労して体を洗わなければならない。
そして、彼女たちは、びしょぬれのままで川の土手を上がって帰り、テントの中へ入ってから、濡れた服の上に乾いた服を着て、そして、ようやくその着替えた服の下から濡れた服を引っ張り出すのだ。
この全ての工程には1時間以上かかるし、その結果、女性たちは清潔にはなるが、新しい服はすでにもう濡れてしまっている。湿度の高い熱帯性の気候の中で、女性たちは、長時間濡れたままでいるため、体中に発疹ができ、かゆみをおこしている。
「全然治らないわ」とAsmawatiさんは言う。彼女は2人の子どもを連れてキャンプへ逃げて来たのだが、服のそでをめくって、発疹のできた腕を見せた。「ずっと濡れたままでいるからなの。服が乾いていたことがないわ」
このキャンプ場の女性たちは、身の回りの品をできるだだけきちんと整えるよう努力している。テントの柱からサロンという腰布を張り、家族ごとにスペースを仕切っていた。
彼女たちは、寝袋や枕を隅にきちんと積み重ね、支給された米袋やプラスティックのコップや皿を奇麗に保管している。
しかし、いくつかの面においては、女性の生活は簡単に整えることはできない。津波がAsmawatiさんの村をおそった時、女性たちは、靴さえ履かず、着の身着のままで逃げたのだ。Asmawatiさんと3人の女性は月経中であった。
「彼女たちは生理用ナプキンを持っておらず、手当てに使えるようなボロギレさえもなかったのです」と彼女は話した。「女性たちはとても恥ずかしい思いをしたのです。泣くより他にどうすることもできなっかたのです」
非常事態から最初の1ヶ月で、Nuretha医師と彼女の率いるチームは、キャンプ生活をする約1500家族に衛生用品セットを配給した。セットには、歯磨き・歯ブラシ・シャンプー・下着・衣類・洗面器、そして、生理用ナプキン1ヶ月分があった。
今日、Nuretha医師は、Asnawiyahさんとキャンプにいる他の2人の妊婦に、大きなビニールシートとタオル・新生児用毛布・殺菌石鹸の入ったセットを配給した。女性たちは、陣痛が起きて地方の助産婦のところへ行くとき、このセットを持っていけるのだ。
Asnawiyahさんには、将来家族がどこに住めばよいのかという悩みは解決していないが、しかし、少なくとも彼女は、赤ちゃんをずっと安全に出産できるようになったと感じている。
「キャンプで女性であることは過酷なことです。かつては当たり前だと思っていたことが大変たくさんあります」と彼女は、現在の彼女の家である込み合ったテントを見渡しながら話した。「他の女性たちが私たちの世話をしてくれるということに、どれほど大きな意味があるのか、あなた方には、ここに住むまで、わからないでしょう」
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情報源:CARE
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「アジア」カテゴリーアーカイブ
避難者の声:インドネシアでの生命との奮闘
インドネシア津波の余波で、合計40万人の避難を余儀なくされる人の中で、約1万人のアチェの人々が、大きな地震と津波に影響を受けなかったスマトラの北のメダンへ避難することを選びました。親戚と避難する人もいれば、アチェのコミュニティ団体によって組織されるキャンプで看護を受けている人もいます。これらのキャンプは、国際援助組織から援助を受け取らず、アチェの人々の自助収容力の例を示しています。
RIは、アチェのSepakatによって組織され、60人が住んでいる1人の小さなキャンプを訪問しました。そのキャンプは、充分な光が入り換気ができる開いた側と高い屋根を持った大きな倉庫で設置されました。食物(例えば即席麺)の箱は1つの地域で積まれ、他の所有物は地面のマットの上に置かれた。施設の入り口に、行方不明者を見つける支援を求める訴えるために心に響く絵を陳列している掲示板がありました。
RIは、バンダアチェ州のPenayugan地区で一緒にレストランで働いていた5人か6人の若い女性と話しました。津波の襲った日、彼女たちはレストランにいたそうです。そのとき彼女たちは通りのほうから「水だ!水だ!」と叫ぶ声を聞きました。彼女らは外に飛び出して、すごい勢いの波の中へ、すぐに飲み込まれました。彼女らは、その津波から生き残った。レストランはその道に位置していた。彼女らは枝につかまることができ、波にのまれなかった。こうして、押し流されるのを免れました。
彼らが生き残ることができた一方、彼ら個人の損失はとてつもなかったのです。六人は皆両親が生き残ったかどうか分かりません。
津波の後の1週間、そのグループはモスクとそれから集会場において避難しました。彼らは、人々がそれがMedanは、より安全だったと言うのを聞きましたので、彼らは一緒に東海岸に移動しました。
彼らがキャンプで十分な看護を受ける間、彼らの唯一の懸念はいえに戻る方法です。今のところ、家に戻るための費用は提供はありません。そして、彼らはキャンプ居住者のたまに料理を手伝うことによって忙しいです。
若い女性は、彼らが一緒に作った詩を書き留めました。彼らは、それをRIと共有して誇りに思いました。その詩は、RIのガイド兼通訳であるNi Wayan Sri Siantariによって翻訳されました。
生命との闘い
全くの暗夜
古い捨てられた井戸
一人の子どもは、バケツを見た
雷は、静かな夜に聞こえた
波は静かな夜を壊した
我々の心と我々の能力に疑問を呈す
世界は、満たされた場所ではない
(避難したSimeulueの子どもたちによる詩)
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源: Refugee International (RI)
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北朝鮮に希望の春
イギリス赤十字・最高責任者のニック・ヤング氏は、6月に北朝鮮を訪問し、ヨンチョン列車爆発事故後の赤十字による救援活動を視察した。
今年初め北朝鮮ヨンチョンを揺るがした列車爆発事故後に、赤十字チームは大規模な救援活動を組織した。最高責任者のニック・ヤング氏は、6月に北朝鮮を訪問した際に、自分が目にしたものに感動した。
ニック氏は、「赤十字のチームはすばらし仕事をした。彼らは、負傷者の介護にあたり、赤十字救援倉庫から毛布、食料、水、防水シートといった救援物資を持ち込み、物品や医薬品を配給し、行方不明家族の捜索の援助にあたった」と述べた。
4月の災害はヨンチョンに壊滅的な影響を与え、中心部には何もなくなり、主要な学校は破壊され、水道や電気のシステムは切断された。爆発直後、400人の地元の赤十字のボランティアチームが、2000人の負傷者や爆発で家を失った2000家族の援助にあたった。
ニック氏は「復興の仕事は今、始まった。そして、数千人の労働者たちが数マイル離れた周囲から、つるはしやシャベルを持ち救助にやって来た。そこには現代的な掘削機や建設機器は見当たらないが、そのかわりに、労働者たちは、スピーカーから流れる元気付けの音楽や励ましのスピーチに合わせて、地面を掘っていた」と説明した。
ニック氏は赤十字リーダーの代表団の一員として北朝鮮を訪問した。救援活動の査察以外に、そのチームは朝鮮民主主義人民共和国赤十字の災害対応能力を強化し、そしてその社会主義国家と韓国赤十字の間の連結を強めようと努めた。
この訪問は励みになるものであった。ニック氏は「私が最も感動したことは、赤十字の同僚やボランティアおよびスタッフがすばらしい誇りを持っていることだ。彼らは自国に
おける自分たちの必要性を認識しながらも、北朝鮮において共同体意識やチームワークが強化され広まっていることを感じ、喜んでいる」と述べた。
現在、赤十字は北朝鮮の16州のうち5州で活動しているが、他の自治体に拡大しようと努めている。赤十字はこれらの自治体において、医薬品の60パーセント、基本的な医療設備・給水ポンプ及び給水タンクの多くを供給している。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:イギリス赤十字
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フィリピンー地滑り及び洪水OHCA現状報告書No.2
被害結果及び影響
1.Mindanaoと Inter-Tropical Convergence Zone (ITCZ)の東部の低気圧により、フィリピンの中央地域で洪水、地滑り及び竜巻が発生した。洪水はCARAGA地域、Misamis Oriental、South Cotabato及びBoholで発生した。さらに、Southern Leyte, Compostela
Valley, South Cotabatoの5箇所で地滑り、1箇所で竜巻が起こり相当な被害を受けた。
2.政府によると、現地時間12月22日の時点で、Bohol, Southern Leyte, Misamis Oriental, Compostela Valley, Agusan del Sur, Agusan del Norte, Surigao del Sur, Surigao de Norteの8省で19,184世帯又は97,467名が被災した。被災者のうち9,653名が地域に建てられた15ヶ所の避難センターにいる。死者は94名。さらに50名が負傷、93名が行方不明である。
3.被害は橋、道路、防波堤や農業、漁業の生活基盤にもあった。仮報告によると、経済的被害は147,777,420PHP(268万アメリカドル)に及ぶ。被災地は次の3地域である。
a)Municipality of Jabonga, Agusan del Norte
b)RT Romualdez, Agusan del Norte
c)Municipality of Tandag, Surigao del Sur
国内対応
4.医療物資や食料などとりあえずの救援物資は本日12月22日午後1時にSouthern Leyteに向けてPAFC-130で空輸される予定である。(合計10,442kg)さらに、Philippine Mines Safety and Environment Association (PMSEA)の採掘者救助隊11名が捜索と救助作業を手伝うためにTaclobani 行きのC-130に乗り込んでいつ。
5.被災地では被害と必要物資の調査が続いている。しかしながら、悪天候のためLocal Disaster Coordination Councils (LDCC)の関係者たちは調査は滞っている。第43師団 (IB) 及びフィリピン陸軍 (PA) はLDCCを援助し捜索・救助、復旧作業を行った。
国際的反応
6.フィリピン政府は国際的援助を求めている。医薬品、非常食、缶詰、他の食料品、トイレ用品、寝るためのマット、蚊帳、毛布が特に要請されている。
7.12月21日アメリカはレスキュー隊が災害被災地に踏み込むことができるよう全天候型救援ヘリコプターを派遣した。
8. OCHAは援助物資を現地調達、輸送のために緊急援助資金5万ドルを提供する。OCHAは神戸地域災害対応アドバイザー事務所を通してUNRCマニラオフィスと緊密に連絡を取る。また情報を可能な限り提供していく。
9. OCHAは緊急援助物資のための寄付金を国連関係機関と共に行う。銀行口座等詳細は下記に連絡。OCHAはドナー政府に資金の使用について確認書、詳細を提供する。
10. この現状報告書と同時にさらなる緊急自体に関する情報についてはOCHAインターネットウェブサイトhttp://www.reliefweb.intで見ることができる。
原文URL:http://www.reliefweb.int
RI,韓国での北朝鮮難民の状況を調査する
Refugees International は、韓国での北朝鮮の難民の状況を調査するための調査団を派遣する。これは2003年6月後半に行われた中国の北朝鮮難民の苦しい状況に焦点をあてた調査のフォローアップである。 (詳しくはホームページで RI’s North Korea website.)
今回の調査の第一目的は、韓国がこれ以上に北から難民を引き受けることに明白に難色を示していることと、北朝鮮人が韓国の非常に違った社会に適応しようとするにあたってどのようにその試練を克服しているか調査するためである。現在およそ6万から10万人の北朝鮮人が中国にいる。一方韓国は法律によって北朝鮮人に市民権が保障されているにもかかわらず再移住として受け入れるのは1,000人だけである。
RI調査団は北朝鮮人に代わって、韓国政府の人道援助担当官に会い、Hanawonの難民認定所職業訓練設備を視察、北朝鮮難民を援助する韓国のNGOと会う予定である。RIの調査はカンザス州上院議員Sam Brownbackが先頭に立って行っている北朝鮮人がアメリカで再定住する認定を迅速化することを義務づけようという米国議会への働きかけに関連している。原則的には、文化上、言語上の親近感からで韓国への再定住が望まれるであろうが、実際に再定住させた人数の少なさからして韓国の取りくみもアメリカの北朝鮮難民受け入れによって補充されなければならないだろう。中国の北朝鮮難民への接近の難しさと治安がアメリカの何らかの取り組みにとって大きな障害である。
原文URL:http://www.reliefweb.int
情報源:Refugees International
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ベトナム洪水 OCHA現状報告書 NO5
この報告書はメディアのみならずハノイ市にある国連常駐コーディネーター(UNRC)事務所を通じて提供された情報をもとにしたものである。
災害とその被害
1. 11月12日以降、中央ベトナムで集中豪雨があり、Bin Dinhm Khanh Hoa, Ninh Thaun, Phu Yen, Quang Narmの各県で大規模な洪水と地滑りが発生した。これらの洪水によって10月中旬以降の総死者数は100人を越えた。さらに北北西に向かっている台風Nepartakが洪水の被害を受けたばかりの地方に影響を及ぼす可能性もある。
2.洪水による先週の犠牲者及び、被害は次ぎの通りである。
・Quang Nam: 死者24名、浸水13500戸
・Bing Ding県:死者10名、倒壊484戸
・Phu Yen県:死者7名、水田浸水4,000ヘクタール、作物被害13,597ヘクタール
・Khang Hoa県:死者9名、水田浸水1,627ヘクタール、作物被害1,570ヘクタール
・Dac Lac県:死者1名、水田浸水1,044ヘクタール、作物被害2,059ヘクタール
・Ninh Thuan県:死者10名、浸水23,000戸、倒壊1,200戸、水田浸水16,561ヘクタール、作物被害19,736ヘクタール、経済的被害およそ1千80万アメリカドル
合計すると、死者、61名、負傷者34名、浸水37,072戸、倒壊1,776名、水田浸水被害16,561ヘクタール、作物の被害19,736ヘクタール、経済損失被害は2千4百1千万アメリカドルに達するとみられる。
国内対応
3. 農務省は被災地域に対し先週の洪水の被害からの復旧措置をとるよう指示した。Ninh Thuan県では県は政府に緊急援助として米1,100トンを要請した。県はすでに貯蔵米850トンを開放して、被災者の救済と来年植える作物の苗木代50%を負担するため31億ベトナムドン(20万ドル)を与えていた。さらに一人当たり30キロの米も支給する予定である。Binh Dinh県は被災者を援助するため1億6千7百万ベトナムドン(10,774ドル)をすでに費やした。又1人当たり30キロの米も支給される。
4. 台風Nepartakに、洪水・豪雨制御中央委員会(CCFSC)は中央ベトナムの全県にに対し人々を仮設に避難させ、子どもたちを安全な場所に移動するよう指示した。漁船は海にでることは禁止された。軍人たちは被災者救援のため危険性の高い地域に派遣された。
国際的対応
5. 先月の洪水による被害に対して、オーストラリア国際開発局(AusAID)は、Quang Ngai県の200以上の倒壊家屋の早急な普及のためにUNDPとCatholic Relief Service(CRS)を通じて143,000ドルの援助を約束した。ニュージーランド国際開発局(NZAID)はBinh Dinh県の農家に対し米と野菜の種、6千ドル分をCARE International と国際食糧農業機関(FAO)を通じて援助すると発表した。
6. 先週の洪水被害については、UNICEFとCARE ベトナムのスタッフで構成された共同調査チーム(JET)がNinh Thuan県の被災地に派遣された。国連災害対策チーム(UNDMT)と政府がJATの調査結果と勧告を検討する。
7. 日本の神戸にある地域災害対応アドバイザーの国連人道問題調整事務所職員は現在ハノイで洪水と台風に関する情報を集め、UNDMTに助言した。OCHAはハノイのUNRC事務所と密接に連絡をとりあいながら監視をつづけ、新しい情報が入り次第提供する。
原文URL http://www.reliefweb.int
インドネシア洪水:OCHA状況報告書NO2
情報源:UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs (OCHA)
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■インドネシア:OCHA状況報告書 No.2
OCHA 状況報告書 No. 2
インドネシア – 鉄砲水
2003年11月3日発生
このレポートはOCHAインドネシア事務所、社会局、赤十字国際連盟(IFRC)、インドネシア赤十字社(PMI)、州政府、スマトラ北部のSatkorlak PBP(災害マネージメント州コーディネート協会)、国際NGOを通じて提供された情報をもとにしたものである。
現状と損失
スマトラ島北部
Bahorok地域は面積955,100ヘクタールで、人口42,195人である。もっとも被害を受けた村は合計人口の1300人のBukit Lawang, Timbang Lawang, Sampe Rayaであった。
Bahorokの鉄砲水はメダン市から約96キロ北西部にあるLeuser山斜面から数百本の樹木を流し去った。流された樹木がもろい金属板屋根を付けた竹の家やリゾートコテージ、コンクリートの建物を破壊し、人々は木の破片の下に埋もれた。
11月5日の時点で、この鉄砲水によって97人が死亡、未だ124人が行方不明。そして200人が負傷した。5人の外国人観光客が死亡したことが確認されている。(オーストラリア人2人、シンガポール人1人、ドイツ人1人、もう一人は国籍不明のままである。)オランダ人1人は重傷を負っている。
この鉄砲水は402家屋を流し、コテージ400戸、橋8本、バス2台、車5台、そして保健所1箇所が深刻な被害を受けた。被災地の3つの村では停電が続いている。 雨は止んだと伝えられており、水のレベルも低くなってきている。
国内対応
11月5日、メガワティ大統領は大統領宮殿で行われたセレモニーで被害者に対して深い哀悼の意を表した。またこのような深刻な鉄砲水を引き起こすことになった引き続く環境破壊への懸念を表明された。
スマトラ島北部で進行中の救助活動はインドネシア赤十字社、警察、捜索救援チーム(SAR)、軍(TMI)の200人以上が関わっている。
州知事広報官によれば、救助、避難、復興の3段階アプローチが自然災害の対応にこれまで適用されきた。
11月5日の時点で、地元政府は16.2MTの米やその他の食糧(インスタントヌードル、食用油、卵、砂糖、缶詰)を配給し、また1億4千万インドネシアルピー(13,571アメリカドル)をこの災害への対応金として割り当てた。
スマトラ北部の州知事は3人のインドネシア大臣、すなわち厚生大臣、社会大臣、住居と地域インフラ大臣と共に11月4,5日に被災地を訪れた。この訪問をもとに、中央政府は10億インドネシアルピー(119,047アメリカドル)を提供する。
社会局もまた3億インドネシアルピー(35,714ドル)の援助を提供する。この援助は被害者の家族へと渡される。金銭の援助に加えて、社会局は州政府を通して食糧パッケージ2000、食糧外パッケージ250、調理用具250パッケージ、一時的避難所としてのテント30張と50MTの米を提供した。
11月3日以降、Satkorlak, TNI, 地元保健局(DinKes)などのすべての関係機関が参加する調整機能が州政府によって確立された。政府は緊急対応所(POSKO)を設立し、家を失った300人の避難所となっている。同じ場所が死体確認所としても使用されている。1箇所の共同炊事場と、メディアインフォメーションセンターも立ち上げられた。
IMCは、医療支援はDinkesとTNI間でうまく連携がとれていると報告している。IMC視察チームは家庭用緊急キットと衛生キットが深刻に不足しているのを発見し、現在調達の手続きを行っている。またIMCはもう数日医療活動が継続しなければならない場合は薬が不足すことの心配をしていた。
11月5日、PMIは100家族分の家族キット(サロンや台所用品、衛生物資、マットなどの食糧外物資)、一時的避難所のためのプラスティックシート100枚、医療薬品1000個、古着を提供した。
国際的対応
OCHAチーム現状視察と地元政府の緊急援助活動を支援するためには11月4日にスマトラ島北部にOCHAはすでに政府機関とインターナショナルNGOと連絡を取っている。11月6日にはより調整された緊急援助のための手続きを議論するためにンターナショナルNGOとOCHAでより調整された援助物資のための手続きが議論されるミーティングが開かれる予定。
メダンのOCHA視察チームによれば、家族用医療キットと衛生キットとシェルター物資が緊急に必要物資だという。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
インドネシア洪水:OCHA状況報告書No.1
情報源:UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs (OCHA)
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■インドネシア:OCHA状況報告書 No.1
OCHA 状況報告書 No. 1
インドネシア – 鉄砲水
2003年11月3日発生
このレポートはOCHAインドネシア事務所、スマトラ北部のSatkorlak PBP(災害マネージメント州コーディネート協会)、社会局、インドネシア赤十字社(PMI)、メディアを通じて提供された情報をもとにしたものである。
現状と損失
スマトラ北部
北部スマトラのBahoroktiku地域にある人気のあるBukit Lawang リゾートが鉄砲水に見回れた。数日間に渡る激しい雨と深刻な森林伐採が引き金となった洪水は2003年11月2日午後10時(地元時間)から11月3日午前1時までBahorokを襲った。山間部近くから流れるBahorok川とそれより小さな川が堤防を決壊し、居住地域と、オランウータンリハビリテーションセンターとして有名な地域にあった数十のゲストハウスを流し去った。
スマトラ北部の社会部と州災害マネージメントコーディネート団体Satkolakによると、5人の外国人を含む74人が死亡した。また200人が未だに行方不明中である。約100人が負傷した。洪水はTimbang Lanan村とBukit Lawang村に被害を与えた。当局は、今後流された木や岩、そして破壊されたゲストハウスの捜索が続けられるにつれて、死者数は増えるだろうと語った。
インドネシア赤十字社によれば、多くの遺体と負傷者は一番近いBinjai地区のDjulham Binjai 総合病院と北部スマトラ島州都MedanにあるAdam Malik 総合病院(Bahorokから約100キロ)へ搬送された。川に沿って住んでいた人々数百人が安全な地域へと避難し、現在はモスクやその他の公共施設で寝泊まりをしている。
洪水、泥土、木々や他の破片がこの地域を襲い、家屋400以上、モスク3箇所、橋8本、観光用コテージ5家屋が破壊されるか、もしくは被害を受けた。
ジャワ島中部
洪水はジャワ島中部も襲った。BanyumasとCilacapの2地域に洪水は押し寄せた。死者の報告はされていない。地元住民は洪水に対処できており、ほとんどが浸水した家に留まっている。600世帯が被害を受け、300家が浸水し、小学校1校が深刻な被害を受けた。
加えて、地滑りが11月3日Kebumen地区の郊外Ayah と Buayan地域で起こった。全体で10村が被害を受け、少なくとも115家屋と、橋3本、堤防1つが深刻な被害を受けた。また村々へと続く道路が使用不可能となっている。
国内の対応
スマトラ島北部では、警官250人と犬、兵士が木や泥土や破壊残骸の下に埋もれている行方不明者の捜索活動を行っている。
インドネシア赤十字社はDjulham Binjai 総合病院から救援チームの支援のために救急車2台が派遣された。もうひとつのチームも同地域で待機している。本日中に、赤十字社は被災した地元コミュニティに対して食事の支給のために公共台所を開始するための追加スタッフメンバーを派遣する。地元の赤十字社はジャカルタ本部へ正式に支援を求める。このレターはまたOCHAジャカルタへも複写された。
Satkorlakによれば、政府は(社会保健局を通して)は食糧(米、ヌードル、缶詰、食用油、塩漬け魚など)、衣服、毛布、遺体袋、灯油ランタン、医療用品などを配給した。
地元政府とSatkorlakはまた被災者にシェルターと共同炊事場を提供するために地元緊急対応所(POSKO)を開設した。Satkorlak、赤十字社、 POSKOによれば食糧と遺体収容袋、医療用品の追加支援が必要である。
ジャワ島中部
地元政府は被災者のためのシェルター探しのための対応所3箇所、4隻のゴムボート、4隻の繊維ガラスボート、必要であれば、村人を避難させる時に使えるよう20隻の手漕ぎボートを準備した。共同炊事場も設置され、、米2トン、インスタントヌードル50箱、甘口醤油200本を備え付けている。社会局によれば、インドネシア赤十字社もまた地区レベルで食糧を配付している。
国際的対応
国際医療団体(IMC)から医療チームが現状と必要の査察のために11月4日被災地に行った。チームはまた初期援助キットと医療用具を持って入った。
11月5日にはMercy Corpsジャカルタからのチームが現状視察と必要な支援の確認のために被災地を訪れる予定。
OCHAから2人の専門家スタッフチームが地元行政での緊急対応、ニーズの優先的事項の査察、必要とされる支援の計画のコーディネートを支援するために行った。ジャカルタのOCHA緊急オフィサーは密接な状況モニタリングを行い、適宜に政府部局、インドネシア赤十字社とNGOらから最新の情報と必要とされる支援を得るために連絡を取り合う。
OCHAは今のところ国際支援に対しての要請は受けていない。
OCHAはジャカルタオフィス、国連駐在/人道問題コーディネーターと密接に連絡を取り合い、新しい情報が入り次第提供する。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
深刻な洪水被害を受けたベトナム
情報源:IFRC
日付:2003.10.27
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ほぼ60人の死者を出した今回の洪水によって、レンガ作りの家が壊された72歳のMai Van Tienは希望を失いかけた。
「私たちはただ、助けが来るのを祈っていた。私たちはもう2度と人々と連絡は取ることはできないのだろうと思いました。」とベトナム赤十字社によって寝たきりの妻と共に助け出された後、涙目で記者に語った。彼と妻は救助される前数日間、食べ物も水もなく過ごしていた。
Maiの家族は無事を得た唯一の家族ではない。赤十字社は他の400人もBinh Dinh県から救出した。
山間部での激しい雨の後、10月6日頃、川が増水を始めた。10月中頃迄には、6県にまたがる広域な洪水が起きた。沿岸部中部に位置するBinh Dinh県では、その災害によって15,000人が食糧も安全な飲料水も失った。7村の100家族が家を失った。地滑りが道路をふさぎ、救助を妨げた。
ベトナム赤十字社のBinh Dinh支部代表Dao Duy Chapによると地元の行政はベトナム赤十字と共に活動を行い、現金、インスタントヌードル、米、料理用鍋、医療品、蚊帳、そしてテントを被災者へ配給した。
多くの地域で、状況は危険に達した。Binh Dinh県の山間の地区では雨量がこの10年間で最も高い640ミリに達した。洪水と激しい波は数キロメーターに渡って堤防を決壊し、道路や橋が流された。
数県に渡る63万人の人々が洪水の影響を受けた。60人近くの死者を出した上に、3人が行方不明、47人が怪我をおったと赤十字社は語った。
4万世帯以上、39の学校教室、7つの診療所に浸水し、25トンの稲の種がだいなしとなり、米などの穀物畑やエビ養殖場が何千ヘクタールも被害を受けた。被害は1千500万アメリカドルと見積もられる。
しかし、1999年の洪水が、800人の死者を出したことを思えば、それと今回の同規模の洪水では死者数はもっと高くなっていたかもしれないとベトナム赤十字社の災害管理所長Dr.Vo Dinh は言った。
「今回の少ない死者数と同様に、破壊された家もまた1999年と比べると少なくなっている」と彼は付け加えた。
ベトナム赤十字による洪水対策が何らかの関係があると見られる。今年、ベトナム赤十字社は“衝撃編成隊”を準備して、彼らが人々の避難を手助けをしたり、飲み水を提供したり、人々に伝染病予防の仕方をアドバイスしたりしていた。Quang Ngai 県では、ベトナム赤十字社がオーストラリア赤十字社から資金を得て、救助作業を4地域で行うための8艘のモーターボートを貸しだした。
死亡者の4分の3が子どもであった1999年と比べると子どもも安全であった。
ベトナム赤十字社は2000年以降、洪水の被害にあう可能性のある子どもたち向けのプログラムを行ってきたとDr.Vinhは語った。赤十字社はこれまでに最少年の生徒たち(4歳から5歳)から始まって27県で70万人の子どもたちに対して、洪水安全メッセージを広げるために1万人の教師を訓練してきた。
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原文 http://www.reliefweb.int/より
ベトナム洪水:OCHA状況レポート2
OCHA 現状レポート No. 2
ベトナム – 洪水
2003年10月14日
このレポートハノイの国連駐在調整員事務所と政府による情報に基づいている。
発生と影響
10月14日~20日にベトナム中央部を襲った洪水はBinh Dinh県にあるひとつの村は依然として孤立状態にあるが、被害を受けた地域のほとんどで水は引き始めている。
今日までに、死者は46人、負傷者29人に増えた。482家屋が倒壊し、2万ヘクタール以上の米、穀物、エビ養殖場が被害を受けた。被害額は2610億ベトナムドル(約1690万アメリカドル)と見積もられる。
国内対応
副総理大臣は洪水による被害に迅速な対応をするように命じた。政府はQuang Ngai,
Quang Nam, Quang Tri, Binh Dinh and Thua Thien-Hueの5つの県に対して洪水被害者に緊急食糧を配付するために米配給書を設置するよう求めた。
保健省は被災県での負傷者治療や、伝染病発生予防のために薬や他の医療品を提供し、また保健職員を、汚染された水や環境を衛生的にするために現地へ派遣した。ベトナム赤十字社は洪水被災者が必需品を購入するためのお金を配付した。
国際的対応
今のところOCHAでは国際的支援の要請を受け取っていない。
今日、国連機関、NGO、洪水・豪雨管理委員会(CFSC)代表,そしてベトナム赤十字でのジョイントチームのメンバーが集まり、洪水に対しての対応を話し合った。これによってワールドビジョンとセーブ ザ チルドレンのジョイントチームがQuang Ngai 県の最も深刻な被害にあった被災地域の現状査察のために出発した。そしてまた、CFSC、UNDP、オックスファムのジョイントチームも10月24日金曜日にBinh Dinh県へニーズ調査のために入る予定。県のCFSCと赤十字もチームを参加させる。
OCHAではハノイ国連駐在調整員オフィスと協力しながら密接に状況をモニタリングしている。
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