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インドネシア:地震とムラピ火山 OCHA現状報告書 No.16

OCHA現状報告書 No.16
インドネシアー地震 中部ジャワ州、ジョクジャカルタ州
この報告はジャカルタの国連常駐/人道調整官事務所、及びジョグジャカルタの
国連チームによる情報に基づいている。
◆概要
飲料水と衛生問題は地震の被災地住民達にとって未だに重要な課題である。政府、
UNICEF、NGOによって多くの努力がなされているが、問題は今なお深刻である。
仮設住宅と定住住宅間の落差を埋めるためにより永続性のある仮設住宅が必要
である。そのための必要物資や詳細についてGOI、NGO、その他の関係者で話し
合いがなされている。
ジョクジャカルタ州、中部ジャワ州では1,890棟の小学校の建物が被害を受け、新学
期が始まる7月17日までに早急な緊急援助を必要としている。
ユドヨノ大統領は7月2日にバントゥル(Bantul)、クラテン(Klaten)を訪問し緊急対応
期は終息し復興期に入ることを宣言する予定である。
地震救援計画の見直しは承認され、数日内に寄付提供者に文書が送付される。
◆状況
現地時間6月29日18時現在、死者5,778人、負傷者3万7,912人、倒壊家屋20万5,883戸
に及んでいる。その他に40万6,166の家屋が被害を受けている。この統計は
the National Coordinating Board for the Management of Disaster(BAKORNAS)による。
現地時間6月26日現在、BAKORNASはジョグジャカルタ特別州と中部ジャワ州に
以下の援助を提供している。
 運営可能総資金 2,327億5,384万9,082ルピア(財源:州、州以外の予算)
 総分配資金   1,286 億6,704万ルピア
 総残高     1,040億8,680万9,082ルピア
地元メディアはジョグジャカルタ特別州のスルタン(統治者)Hamengkubuwono 5世の
言葉として、中央政府が公約した地震被災者への資金支出が遅いために、緊急対応
期は延びるだろうと報道した。
<バントゥル>
現地時間6月26日現在、副食物支給金が、9郡(Dlingo, Pundong, Pajangan, Jetis, 
Bantul, Plered, Bambanglipuro, Imogiri, Piyungan)の38万9,293人に支給されている。
Sanden郡の2万3,310人にも支給される予定である。政府は援助金700億ルピアのうち、
現在のところ370億ルピアをこれらの10郡に分配している。他の7郡にも準備中である。
県では223家族が仮設住宅を必要としている。The District Disaster
Management Committee(SATLAK)が受けとった5,278張のテント、防水シートのうち、
4,188張がすでに配給された。県はBambanglipuro, Imogiri、 Jetis, Sewon, Pundong, 
Plered, Piyunganへの配給を最優先としている。
テントは学校や主な保健センター(puskesmas)に必要である。保健面では新たな
保健センターが建設されるまでの6-12ヶ月間持ちこたえることのできる半永久
的な建物、特殊なテントが必要である。教育面では仮設学校(小学校、高校)用
に1600張の大型テント(6×14m)が必要である。
一部損壊の学校115棟が県予算で修復中であるが、全壊、半壊した学校の修復
には追加資金が必要である。
県当局は県内の損害のデータや7万6,000人余りの職人の連絡先情報を収集して
いる。農業面では組合が636の農民グループと共に活動し再建を目指している。
<中部ジャワ州>
地方メディアは、中部ジャワ州は115億ルピア(120万米ドル)を学校再建計画に振
り当て、加えて教育省からの給付金308億ルピアと個人寄付金35億ルピアも割り
当てられるだろうと報道している。
<クラテン県>
the Central Java Public Works Departmentとthe Central Java Development
Planning Board(BAPEDA)は住宅再建において地域密接作戦を展開することに
合意した。
 
中部ジャワでは教育が復興の最優先事項である。中部ジャワ教育省(The Central
Java Education Department)と USAID(米国国際開発庁)のDecentralized Basic
Education(DBE)は教育面での必要物資の速やかな査定を実施している。査定は
7郡の200以上の学校の小、中校生の必要物資を明確にする目的でおこなわれ、
6月30日金曜日に完了するだろう。
日本国際協力システム(JICS)は中部ジャワ副州知事と会いWedi 郡のBayat 村の
小規模陶器製造業の発展に協力すると申し出た。
<ムラピ火山>
ムラピ火山の噴火活動は沈下しているが、高い警戒レベルにあり、特にGendol川
周辺は注意が必要である。
地元メディアは次のように報道している。ムラピ火山周辺地域で暮らしている多く
の住民が水不足に直面している。原因はKaliademのUmbel Bebengの用水設備と
井戸の損傷である。スレマン県は1日に1万4,000リットルの清浄水の給水を続ける。
またムラピ火山の灰の雨はクラテンの野菜に損害を与え農民の困窮の原因とな
っている。Inter-Agency Response Planningについての2回目の研究集会が6月
28日に開催された。草案は来週初めに発表されるだろう。議長は国際赤十字赤
新月社連盟(IFRC)、オックスファム英国(OXFAM GB)、 チャーチ・ワールド・サ
ービス(CWS)、 Plan International, UNICEF 及び OCHAである。
電話:+41-22-917 12 34
ファックス:+41-22-917 0023
Eメール:ochagva@un.org
緊急時電話番号:;41-22-917 20 10
担当者
Ms. Merete Johansson
直通電話 +41-22-917 1694
Mr. Guido Galli
直通電話 +41-22-917 3171
プレス連絡先
(GVA)Ms. Elizabeth Byrs  直通電話 +41-22-917 2653
(NY) Ms. Stephanie Bunker 直通電話 +1-917 367 5126
情報源:UNOCHA
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。

ジャワ地震、さらなる支援必要

【6月23日/ニューヨーク】インドネシア・ジャワ島で発生し、ジョクジャカルタ州のバントゥル県及び中部ジャワ州のクラテン県に甚大な被害をもたらした地震から4週間が経った。被害は、当初想定されていたより深刻であることが明らかになっている。とりわけ住宅の被害がひどい。
少なくとも100万人が家を失い、再建には最低2年かかると言われている。30万人以上に仮設住宅を提供するため、さらなる財源が必要である。政府と人道支援団体は、これまで10万6千枚の防水シートとテントを配布した。しかし現時点の推定では、家を失った人のうち、7月末までに緊急の住宅支援を受けられる人は48%しかいない。
さらに、インドネシア政府と世界食糧計画(WFP)、そして協力団体は6千トンを超える食料を170万人以上の人々に配布してきた。しかし、安定した資金的貢献が不足しているため、WFPからの配布は7月末までしか決定されていない。迅速に新たな出資が行われなければ、女性や子どもといった弱い立場にある人々に対する食糧支援が大幅に減少するであろう。
もうひとつの優先事項は水と衛生の分野である。仮設トイレや清潔な井戸の建設を迅速化したり、衛生キットを配布し、被災地で注意を喚起するために、さらなる支援が必要とされている。保健・医療分野では、重症者及び傷が細菌感染した患者の治療が継続されており、依然として重要な課題である。患者の多くは退院したが、なかには医療機関へのアクセスが困難なほど遠く離れた家まで帰った人もかなりいる。現在治療中の患者のうち最大60%が、地震のストレスによる多くの症状を伴っており、日常的な健康問題に苦しんでいる。医薬品・医療機器購入のための追加支援が死活問題である。
教育面では、7月半ばから新学期が始まることになっているが、地震で1800校以上が損傷、あるいは倒壊した。仮設の教育スペースでは、学校用のテントと十分な上下水設備に加えて、300あまりの小学校への基礎的教材が緊急に必要とされている。仮設の学校は、テント学校と恒久的な建物の建設との間のギャップを埋めることを求められている。
概して、国の地震への対応は迅速であった。それはとりわけ、すでにムラピ火山に注目が集まっており、資源が集中していたからである。政府の、国家・州・県当局は国際社会の支援を受け、現場における緊急対応の調整に先導的役割を果たした。しかし、国連国別チームがまとめた緊急対応計画では、救援活動のために1億300万ドルあまりが要求されたのに対して、実際はわずか2300万ドル、つまり23%以下の拠出が公約されているにすぎない。
情報源:UNOCHA
原文URL:reliefweb.int
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ここが私たちの家

ジャワ地震の震源からそれほど遠くない位置にある、Panjangrejoという小さな農村に
たどり着いた時、私の目に飛び込んだのは、うず高く積み上げられた竹と、まばらに
立ち並んでいる木々だけであった。集落そのものの状態を知るためには、最初ジャン
グルの木々の間越しに見なければならなかったが、その時初めて、地震によるこの村
の被害の大きさが明らかになった。
5月27日、わずか数秒の、しかし激しい揺れにより、Panjangrejoのほとんどすべての
家屋が、倒壊または深刻な被害を受けた。人々はそれでも、骨組みだけのようになっ
た倒壊家屋に残っているがMercy Corpsがそんな彼らを、再建に手をつけられるよう
になるまで支えようとがんばっている。
Juariさん(50歳)と彼の妻は、この村での多数の生存者と共に生き残ったが、毎日の不
安な生活に、屈する事無く向き合っている。
「これを見てください」と、恐る恐る手を上げながら彼は言った。「地震の瞬間、身体の
バランスを保とうとしていた時、寝室にあった木製のキャビネットが、私の手の上に倒れ
てきたのです。」
彼の指3本は今も包帯に巻かれており、残りの2本ははっきりと見て取れるほど腫れ上
がっている。その為、しなければならないと分かっていても、片付けに手を付けられずに
いる。
現在、Juariさん夫妻は、今も残っている家の、わずかな空間で暮らしている。そこはか
つて彼らの城であった。しかし屋根は地震で倒壊し、彼ら自身も、そして少しだけあった
家財道具も、容赦のないインドネシアの雨にさらされ、水浸しになってしまった。
■防水シート屋根
地震後すぐMercy Corpsは、Juariさんを含めた村の人たちに、雨つゆをしのぐ広い防水
シートを配布した。当局がこれらの防水シート屋根や、他の救援物資を配給するまで、
Juariさんと同じ境遇の人たちは、風雨にさらされていた。
地震の直後は、Juariさんと妻、そして13歳になる娘は、逃げてきた他の人々と共に、
村のメインストリートで避難生活をおくっていたのだ。所持品は空になった米袋だけ
であった。
「みんな親切で、米やヌードル、それに古着なども分けてくれました。それに、Mercy
Corpsからの救援物資のおかげで、私たちは家族単位での生活を送れるようになり
ました。それは、私たちの頭上を覆う屋根です。」
「現状は、充分なものとはいえないかも知れません。それでも、ここが私たちの家な
のです」と、Juariさんは笑顔で話してくれた。
■救援から復興へ
地震からほぼ3週間が過ぎたが、最も急を要する問題、例えば避難所や不可欠な
衛生キットなどの要求に応えるべく、Mercy Corpsは活動を続けている。我々救急
部隊は、最も被害が大きい、インドネシア・バントゥル県の遠隔地の村に、防水シー
トやロープ、衛生キット、マット、そして毛布などを配給してきた。
次には長い再建復興への道のりが、Panjangrejoのような村や、Juariさん一家と同様
の家族に重くのしかかってくる。Mercy Corpsは、これからの苦難の月日を、必要な
道具を用意するなど、支援を提供する事によって、人々の手助けになろうとしている。
インド大津波の時と同様、困窮する被災者に対する我々の任務は、新聞の見出しに
載らなくなっても、終ることはないだろう。
現状のニーズを調査する為、次の村へ移動する日が来た。我々が出発する時、Juari
さん夫妻は間に合わせのベンチに腰をかけていたが、何をすればよいのか困惑気に
見えた。しかし間もなく行動を起こせるだろう、という自信も見て取れた。
「私たちに救援物資を与えて下さって本当にありがとう」、 私が竹林の中へゆっくりと
戻って行こうとした時、Juariさんは言った。「貴方たちのおかげで私たちはここに居て、
やり直す事が出来ます。他に行くつもりなどありません。ここが私たちの家なのです。」
情報源 : Mercy Corps(救急部隊)
原文URL : reliefweb.int
※著作権は情報源に帰属します

インドネシア:地震とムラピ火山 OCHA現状報告書 No.12

この報告書はインドネシア、ジャカルタの国連常駐/人道調整官事務所、及びジョクジャカルタの
国連チームによる情報に基づいている。
■概要
・政府は緊急支援再建プログラムのための資金要求額を1兆750億ルピア(1億1,460万2,197米ドル)
 から5兆ルピア(5億3,291万3,766米ドル)に引き上げた。
・外傷者が多いため、外科治療のための機器、医薬品、人員が至急必要である。
・ムラピ山の火山活動は活発になっている。周辺住民たちの避難が更に続いている。
■状況
1. 6月8日17時現在、死者5,722人、負傷者37,924人に上る。
家屋12万2,301戸が全壊し、更に41万5,169戸が地震により被害を受けた。
全ての統計数は災害管理調整委員会(BAKORNAS)による。政府(MENKOKERNAS)は地震の
被害者を以下のように3種類に分類し、彼らを援助する補償プログラムを準備している。
a)家が全壊 b)甚大な被害 c)軽度の被害
このプログラムの対象者数は全てのカテゴリーに相当する人々も含めて150万人になる。
2. 現地時間6月8日11時44分、マグニチュード4.3、改正メルカリ震度ⅡーⅢの余震がクラテンを
襲った。クラテンの北、約6.48kmの南緯7.8、東経110.3の地点、深さ15kmが震源地である。
揺れはジョクジャカルタ、及びその周辺でも感じられた。 
◇ジョクジャカルタ州
<バントゥール>
3. 6月8日現在、外傷治療数は1万2,872件から261件へ減少した。
4. バントゥールで最も被害の大きかったJetisでは人々が近隣住民や親戚と協力して瓦礫の
撤去作業や将来の家屋再建に使えそうな材料の再利用を始めている。
5. 地区当局はインスタント麺や瓦礫撤去のための機材一式を求めている。これらの品々は
現地調達されるべきである。
<ジョクジャカルタ特別州>
6. 物資配給ルートをふさいでいる瓦礫を撤去するための重機が必要とされている。
7. この地域の再建計画は諸大学と協力して進められている。
<中部ジャワ州>
8. 政府はCawas.Prambanan.Bayatに、テントや避難生活キットを提供する団体を迎え入れている。
この品々は現地で入手されるべきである。
9. 各自治体は地震による瓦礫や破片の撤去を始めた。煉瓦工事、大工仕事の道具援助は
喜ばれるだろう。必要なものは現地で入手できることになっている。
<ムラピ火山>
10. 専門家は、他の有名な火山ほどムラピ火山は危険でないと主張している。
2,3年毎に噴火するが、驚くほどのものではない。付近の住民は慣れている。
11. よく訓練されているので、村民は10分あれば屋外避難が出来る。
固定キャンプも再供給されつつある。(地震の救援物資として集められたのだ。)
村民は老人、女性、子供を夜このキャンプへ行かせ、その間は体に異常の無い者が家や財産を
守るために番をするのである。救援活動に最も影響するのは、人々が個々に様々な時間に、
また様々な期間、山を離れる事だ。これにより、救援物資の配給計画の優先順位を決める事が
難しくなる。
12. 火山学地震学危機緩和センターは溶岩流と火砕雲のレベルが上がっていると
報告している。未だ警戒レベルは最高のままである。溶岩ドームは1日に80回も
軽い崩壊が起こっている。
13. 県当局は6月8日15時現在、Magelangの5郡から1万2,074名が30のキャンプへ避難したと
伝えた。3,084人はSlemanの8キャンプへ、3,507人はKlatenの3キャンプへ避難した。
14. Boyolaliの県当局は、今まで出されていた避難命令を解除した。しかし、当局、自治体、
キャンプは状況が悪くなった時のための避難に備えている。
■政府の対応
15. 政府は緊急支援再建プログラムのための資金要求を1兆750億ルピア(1億1,400万米ドル)
から5兆ルピア(5億3,300万米ドル)へと引き上げた。
16. インドネシア政府国家開発庁(BAPPENAS)の構想によると、災害後の復興プログラムは
3段階に分けられている。
a)緊急対応期(1~2ヶ月)
捜索、援助、救急医療、仮避難所の用意、瓦礫撤去
b)修復期(2~12ヶ月)
公共サービス、基本的社会サービスの回復、経済的機関の復旧、住宅の再建、精神面のリハビリ
c)再建期(7~24ヶ月)
生産、通商、銀行といった経済活動の再建、輸送システム、通信システム、社会的文化的回復、制度的回復
17. 州政府は中部ジャワ州で被害を受けた地域に教室用のテントを150張提供した。
政府はGajah Mada大学心理学部と共に、心理社会的サポートを行う予定である。
7月17日からの新学期に向けて、生徒達を励ますために政府は無料の征服、鞄、その他の学用品を
提供しようと計画している。
■分野別の最新状況
◇健康
18. 外傷者が多いため、引き続き外科治療のための機器、医薬品、人員が緊急に必要とされて
いる。医療団は必要物資リスト作成、伝達が求められるだろう。この件についてはジョクジャカルタで
調整される。
19. 寄付された麻酔薬が大量に保健課に届いているが、多くはインドネシアでは馴染みのない
ものである。薬類の保管、分配、管理が州保険事務所の課題である。物資は全て登録され、
中央局を通して希望地に届けられる。一方、将来的には医療物資は現地調達される事が
強く勧められる。州保険事務所所長が議長を務める調整会議で、全ての物資は配布前に薬庫で
登録される事に決まった。
20. 保健省は、寄付される麻酔薬は最低1年の有効期限が残っているべきだと強調する。
WHOは情報システムの向上、キャパシティビルディングの向上のために州保健所をサポートし、
IT機器を提供する予定である。AusAID(オーストラリア国際開発庁)も物資管理、システム改善の
ため州政府を援助する。
21. 外来患者への医療サービスは、インドネシアと26の援助団の医療従事者による移動クリニック
が提供している。整形外科治療の専門家、医薬物資、機器を除いては今以上の医療従事者は
必要ないと政府は発表している。
22.はしかの予防接種、破傷風薬の配布、ビタミンAキャンペーンが実施されている。破傷風は
大人も含め5件報告され、1人は死に至っている。WHOグループは状況を見守り続けている。
破傷風の予防、治療法についての保健省のガイドラインは全ての医療機関、スタッフに伝えられた。
23. ジョクジャカルタの被災地域では破傷風患者が増えているとの報告を受け、IRDは
抗破傷風薬1,600缶の発送、配達を取りまとめている。IRDの報告によると、Northwest Medical
チームから1万8,000米ドル相当の人破傷風免疫グロブリンが現物寄付され、ジョクジャカルタ州
保健所と共に至急配布出来るよう調整中である。
24. 州保健所とUNICEFはメンタルヘルスと心理社会的なグループをまとめることに同意した。
各グループは保健省、社会省に報告する予定である。第一回のメンタルヘルス/心理社会合同
ミーティングは6月10日09時から州保健所で行われる。6件の自殺が報告された。他にも66名が
重度の情緒不安定や鬱で入院している。
25. WHOは「誰がどこで何に従事しているか」についての調査、地図作成を援助している。
WHOとGajah Mada大学は保健サービス、物資に関する全ての情報を提供するウェブサイトを
立ち上げている。www.disaster-java-06.simkes.org
26. IOM(国際移住機関)は1352人の退院患者と付き添いの家族を新たに病院から家へと戻した。
また、外傷患者のアメリカ海軍やJICA野外病院から郡回復センターへの移送もサポートしている。
27. 5つの準保健団がジョクジャカルタで結成され、定期的にミーティングを行っている
(医薬サービス、監督、伝染病の蔓延防止、予防接種、物流と保健提供、心理社会的サポートと
メンタルヘルス)。ジョクジャカルタ保健局のデイリーミーティングは州保健所で17時に開かれている。
28. 日本の製薬会社PT EISAIが医療物資、機材手配用として保健省に10億ルピアを寄付した。
一団はジョクジャカルタの病院を助けるために送られた。
◇避難所
29. 緊急シェルターの安全性は当初の見積もりほど良くはない。全く、もしくは部分的に居住困難と
思われる家屋の統計は、元々の見積もりであった14万戸の3倍の47万戸にもなる見込みである。
しかし、損害を受けた建物の数が世帯数と一致する訳ではないし、シェルターの点から、現在危機的
状況にある人数を把握する事は不可能だと指摘せねばならない。緊急シェルターの普及率の見積もり
は、現在、被災した2州の約80郡のうち12郡からのみ可能である。これらの郡の平均普及率は
65パーセントである。
30. 敏速シェルター安全性アセスメントがナショナルNGO組合とジョクジャカルタ大学工学部の
共同で計画されている。ベースラインデータは6月15日から利用出来る。
31. 「誰が何をどこで」地図の作成は進行中である。最初の地理学的ギャップ分析は近日中に
利用出来るようになる。
32. 緊急シェルター調整グループは全ての関係者の代表から成る戦略プランニンググループを
創設した。このグループは政府への説明に先駆けたフィードバックのために広く配布された戦略構想
のアウトラインを起草した。技術作業グループは創設途中である。
33. 現在、緊急シェルター調整グループには68のNGOメンバーがおり、そのうち3人は300人
以上のメンバーを抱えるナショナルNGO組合の代表である。
◇水と衛生設備
34. 衛生設備の需要が高まっている。31000のトイレが求められているが、約9000不足している。
35. 水の保管は未だ問題のままである。20万缶が求められているが、1万不足している。見積もりでは井戸野20パーセントがダメージを受けた。
36. UNICEFと緊密に協力しているAus AID アセスメントチームは水道、衛生設備への損害に
ついてよりシステマティックに査定中である。初めの調査によると、ほとんどの人が保管状態が
問題であるにも関わらず、未だに水源へと足を運んでおり、壊れた家のトイレがまだ使われていることもある。
37. 衛生推進作業グループと学校衛生グループは教育局の元に合併されるだろう。
◇食事
38. WFPは10万人分の米、添加麺、ビスケットを提供したが、油、魚、肉はない。WFPは来週、
家庭食事安全性・状況アセスメントの開始を予定している。
39. いくつかの孤立したコミュニティは未だ査定されたおらず、必要性は高まるだろう。
貧窮したコミュニティは確認されており、救援物資や支援を分配するためにUNICEFが調整する機関がある。
40. 現在、乳幼児とその母親のための適切な食事が不足している。粉ミルクを求める声が多い。
UNICEFは乳幼児用栄養食やミルクの支給についてジャカルタとジョクジャカルタの寄付、パートナー機関に訴えた。
41. UNICEFは緊急時の乳児保育指針に参加している。
 -母乳育児が緊急時こそより重要になる。
 -ミルク代用品は下痢、栄養失調、幼児死亡のリスクを高める。
 -もしミルク代用品が広く使われるなら、ガイドラインに述べられた原則に依り専門スタッフがその
   使用をチェックすべきである。
◇子供の保護
42. 保護活動の指針作成は完成した。主活動としては、子供のための交流スペース作り、カウンセ
リング、心理教育、食料を含む救援物資の分配が挙げられる。保護活動はSedayuとKasihanを
除いて、バントゥールの全ての被災郡で行われた。
43. 2つの出張コミュニティセンターと5つの子供センターは社会福祉課と地域NGOKakakの協力の
下で創立された。これらのセンターは子供のためのレクリエーションや心理社会的活動を行っている。
44. 傷つきやすい子供たちの登録について、国、州の保健局員10名と、セーブザチルドレンの
登録員5名のトレーニングが6月2日に行われた。8人の子供が登録によって身元が確認された。
他にも40人(CARDIにより確認された)が傷つきやすさの基準に当てはまっている。
45. UNICEFは、地理的なプログラミング範囲の欠陥といったような、保護クラスターで処理される
べき優先課題を見つけるためのコモンアセスメントと地図作成活動を始めている。
◇教育
46. 今日、4,000人の子供たちがUNICEFの緊急学校用テント20張の中の学校に戻っている。
47. 日本が3,000~4,000張の学校用テントを提供すると予想されている。
48. Plan Internationalは小中学校のために、学用品、教師要請、心理社会的サポートに加え、
100~120の一時的学習スペースを提供する予定である。
49. セーブザチルドレンUKは100の学校のための指導、学習物資に加え、300~400の学校用
テントを提供する予定である。
50. USAIDは全土プログラムといくつかの被災地域への特別プログラムを通して、技術援助、
緊急援助を提供する予定である。
51. UNICEFは、教師と生徒たちのための心理社会的サポートの組織、内容、養成の点での
技術援助、約25万人の教師と生徒のための指導、学習物資、そして1000張の学校用テントを
提供する予定である。
◇早期復旧
52. 中ジャワ政府は総貧困緩和プログラムの推進、生計基準の設定、監督者の提供を通して、
出来るだけ早く生活を元通りにしたいと思っている。
53. 復旧のための災害リスク軽減プログラムはクラスターグループで議論されてきた。いくつかの
組織はより安全な建築方法を奨励するためのリーフレットを作成し始めている。
54. 日本政府は復興と再建のためのニーズアセスメントを行うための使節団を派遣した。日本からの
寛大な援助1000万米ドルのうち5百万米ドルは復興再建プログラムに充てられる。
◇物流
<陸上・海上輸送>
55. クラスターミーティング上層部の決定によると、ロジスティックス調整メカニズムは
「ロジスティクスクラスター」に格上げされた。
56. 現在の陸上輸送需要は政府の配分で一日に10~20台のトラックに上る。
更に人道コミュニティ全体のためのトラック、更にSoloとジョクジャカルタでの帰航空輸の
予備のためのトラックがある。
57. ATLASロジスティックスはトラック15台、日常の需要に応えるための小型トラック数台を
所有している。キャパシティは需要に見合うように設定されている。コミュニティへのサービスの
一環として、ATLASロジスティックスはトラック運送に関するあらゆる文書(積荷リスト、
貨物運送状等)を準備している。今や
95の地域NGOと20の国際NGOがATLASロジスティクスを利用している。
58. IOMはトラックでの配達サービスと郡保健事務所(DHO)のためのミニバン、バスを提供
している。護送システムはMedanとジョクジャカルタ間のIFRCのニーズをサポートするために
機能している。
59. IOMは米500トンを輸送した。トラックはクラテンとバントゥールへの配達を行っている。
IOMは更に、政府、国際援助機関、海外の提供者に代わって被災地へ救援物資581トンを送り届けた。
60. トラック料金についてはIOMとATLASロジスティックスにより準備されている。緊急の
物資輸送対応はトラック及び燃料のコストに強い影響力を持っている訳ではない。
燃料ストックも同様に影響を受けず、供給も絶えず行われている。
61. 救援物資の陸上輸送サポートが必要な機関は、遅延を避けるため予めIOMもしくは
Atlasロジスティックスに連絡を入れるべきだ。
62. 一般に交代フライトは減ってきている。Solo とジョクジャカルタ空港の空輸連絡路は
うまいやり方で人道的援助を受け入れている。DHLDRTは2,3日中に撤退する予定だが、
TNI Air Force Personnel は荷降ろしと供給物の記録を続ける予定で、それを遅延なく
遂行している。チャーター機到着や空港からの供給物の集積の調整についてはMajor Alan
Toh(+62(0)8139224135,alanwokie@yahoo.com)に連絡を取られたい。
◇保管
63. バントゥールでは2棟の移動式倉庫が操業できる。WFPは6月10日からさらに5棟を
利用可能にするつもりだ。WFPはまた移動式で尚且つエアコンを完備した倉庫を求めている。
というのも、現在の倉庫は充分な気温管理が出来ていないからだ。
64. ATLASロジスティックスは北ジョクジャカルタの廃倉庫スペース400㎡を所有している。
65. 物流情報は近日中にリリーフウェブ(www.reliefweb.int)で入手可能になる。そこには
通関手続きの詳細、保管や他の物資輸送問題についての潜在的障害や関係も含まれる。
■調整と安全性
66. ジャカルタの災害管理チームミーティングは、定期的なIFRCとINGOの参加を考慮して、
これからはIASC(inter-Agency Standing Committee)ミーティングと呼ばれる。
67. 次の現場調整ミーティングは6月12日(月曜日)ジョクジャカルタで開かれる。
68. 調整ミーティング(火・木・土)とクラスターヘッドミーティング(月・水・金)は日替わりで
ジョクジャカルタで開かれている。
■求められている援助
政府はいつでも可能なときに、あらゆる援助が現地で享受され得るように求めた。
69. 地震による瓦礫を撤去するための重機が求められている。
70. 外科治療物資や機材が必要とされている。病院のサブグループは外科治療物資の
不足リストの提供、伝達が求められるだろう。これはジョクジャカルタで調整されることになっている。
71. 9,000の緊急時用トイレが必要である。
72. 1万個の石油缶が必要である。
73. 学校を再建するためには4,500張のテントもしくは仮学習スペース、大量の学校用具や
指導学習物資(教科書、黒板等)、発電機、衛生設備、そして1,528の常設学習スペースの確保が
必要である。
74. 生徒や教師のための心理社会的サポートも必要である。教育援助に興味があるなら
州教育課課長に連絡する事でジョクジャカルタ知事にその旨を伝えられる。
電話 +41-22- 917 12 34
ファックス +41-22-917 0023
Eメール ochagva@un.org
緊急時電話番号 +41-22–917 20 10
担当者
Ms. Merete Johansson
直通電話 +41-22-917 1694
Mr. Guido Galli
直通電話 +41-22-917 3171
プレス連絡先
(GVA)Ms. Elizabeth Byrs 直通電話 +41-22-917 2653
(NY)Ms. Stephanie Bunker 直通電話 +1-917 367 5126
情報源:UNOCHA
原文URL:reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。

試練の時

Pak Subakirさんの自宅は、5月27日にインドネシアを襲った地震により、倒壊しました。
しかし、彼は辛い話は口にせず、「わたしは自宅を失っただけで済みました。無事で健康
にいられることを神に感謝しています。」と話します。Pakさんは地元の学校の教師です。
どのクラスにも地震で亡くなった生徒がおり、そして、多数の生徒が怪我をしました。
Pak Subakirさんの幼い姪のAnisaちゃん(9歳)がそばに黙って座っていました。その朝
のことを思い出すと、彼女は辛そうな表情をします。「地震が起きたとき、わたしは、お父
さんと一緒に家に居たの。お父さんは、わたしと妹の赤ちゃんの上に飛びついて覆いか
ぶさって、家が崩れ落ちてくるのから、わたしたちを守ってくれたのよ。」
「わたしたちを助けに来てくれた人たちに感謝しています。そして…。」Pak Subaikrさんが
その後の話を補足して説明してくらました。「瓦礫の中からおばあちゃんを助け出してく
れた人たちに感謝しているのです。」
Anisaちゃんの恐怖はどの子供たちにも共通しているものなのかと、Pak Subakirさんに尋
ねると、彼は、そうです、と答え、余震がある度に、子供たちは皆とても怖がると話しまし
た。皮肉にもそのとき、我々の足元の下では、余震で地面がゴロゴロと地響きを立てまし
た。
Anisaちゃんの笑顔はこわばり、唇は震えだし、目にいっぱい涙をためて、真の恐怖の表情
に変わり、叔父の手を握り締めました。叔父は彼女を安心させようと白い歯を見せて笑いか
けたのですが、彼の目にも、同様の恐怖が表れていました。
「わかったでしょう?子供たちはまだ、余震の度に怖がるのです。」Pakさんは言いました。
どうしたらAnisaちゃんはこうした恐怖やトラウマから立ち直れるのだろうかと尋ねたとき、
Anisaちゃんは一言、「学校よ」と答えました。Anisaちゃんは学校に行って勉強し、そして学
校で友達に会うことを待ち望んでいるのです。
Pakさんはうなずき、「この地域の子供たちにとって、学校が再会し、授業が始まることは
とても重要なのです。こんなにひどい大地震は今までになく、年寄りにも若い人たちにも
初めてのことでした。大変な困難に直面していますが、学校は子供や先生をトラウマから
立ち直らせてくれるでしょう。我々はとても恵まれたことに、今、いくつかの教室があります。」
セーブ・ザ・チルドレンが、学校の仮教室として使用するため、4つのテントを組み立てま
した。学校の施設は、大部分が瓦礫と化し、縮小してしまったのです。慈善事業hasalsoは、
ペン、紙等を配給しました。「わたしたちの生活用品は全部、瓦礫に埋もれてしまいました。」
とPakさんは説明します。
Anisaちゃんは、大人になったら、助産婦になりたい、それに、英語の勉強もしたいと話して
います。友達が通りかかると、Anisaちゃんは、おじさんに「行ってもいい?」と聞いてから、
友達とスキップして出かけて行きました。
「子供たちはたくましい…。時に大人よりたくましいものです。」
情報源: Save the Children Alliance
原文URL: reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。

インドネシア・ジャワ島地震への対応計画

≪概要≫
■状況
2006年5月27日5時53分、マグニチュード5.9を記録する地震がインドネシアのジャワ島を襲った。
震源はジョクジャカルタ市の南方約37キロの地点だった。地震はジョクジャカルタ州内の8つの地
区と、隣接する中部ジャワ州に影響し、住宅やインフラに大規模な被害をもたらした。最も被害が
ひどかった地区は、ジョクジャカルタ州のバントゥール(Bantul)と、中部ジャワ州のクラテン(Klaten)
の二つである。
2006年5月31日の時点では、5,000人から6,000人が亡くなり、2万人以上が負傷したと報道された。
20万人から60万人が避難し、6万軒の住宅が損壊、あるいは全壊したと推測されている。
■対応
緊急仮設住宅の材料、医療支援、清潔な水、衛生、そして食料に関する緊急ニーズが明らかにさ
れている。早期復興への取り組みを開始する必要もあると考えられている。国家災害管理調整委
員会(The National Coordinating Board for the Management of Disaster )(BAKORNAS PB)は、州
当局及び地方当局とともに、現場での緊急対応メカニズムを調整する際の指導的役割を担ってい
る。近郊のムラピ火山の噴火を予期して準備されてきた対策を生かし、また、津波災害からの備蓄
の救援物資に頼ることで、国家期間および国際機関は即時的ニーズへの対応を開始することがで
きた。今後6ヶ月以上、国際機関は政府のパートナーと密接に連携して人道援助の提供と復興努力
の支援を続ける。
2005年12月の人道的改革案(Humanitarian Reform Agenda)と各機関間に立つ委員会(IASC・
Inter-Agency Standing Committee )の代表たち(Principals)の決定に沿って、人道調整局(the
Humanitarian Coordinator)はIASCの国別チームとともに、クラスター・アプローチ(cluster approach)
を採用する。これは、対応の際のより一層の予見可能性と説明責任を確実にするためである。
それに沿って、各活動地域のために明確な指示が作成された。また、初期調査に参画し、この「対
応計画」を発展させるために鍵となる国連あるいは非国連パートナーが特定された。現時点での「地
震対応計画」(ERP)における対応の活動は以下のようなものである。
・避難所:仮設住宅の建設と、家を失った人々のための管理キャンプの設立に使われる基本的な
 建材を提供する。
・保健と栄養:過剰の患者を抱える病院を支援し、薬や手術器具といった基本的な医薬品や、野営
 病院と患者の家族のためのテントなどを提供する。医療従事者と連携して保健当局を支援し、病
 気の調査を強化する。
・水と衛生:被害を受けた排水処理施設と下水道設備は早急に修復されているが、その間は代替手
 段で清潔な水を提供する。 
・食糧:被災者が働き始め、市場が機能できるようになるまで、食事と補助的栄養物を提供し、必要
 であれば調理スペースを作る。
・保護と教育:社会心理的な支援を被災者に提供し、子供が親しみやすい場所を作る。また、子供や
 その他の弱者への虐待や搾取を予防することを助ける。
・情報と電気通信:農村地域への効率的な物資配布を支援するため、高度の電気通信を提供する。
・ロジスティクス:被災地への救援物資を配布するための輸送手段、貯蔵、コミュニケーション、連携
 を支援する。
・早期復興:瓦礫を取り除き、建材をリサイクルするため、キャッシュ・フォー・ワークを行う。可動式
 住宅を提供し、住居を再建するためのコミュニティを整える 。また、インフォーマルセクターの小規
 模事業の再開と、環境の面で復興の助言といった取り組みもなされる。
・農業:被災した農業従事者が早急に生計手段を再開するのを助けるため、また、食糧支援への全
 面的な依存を減らすため、食糧と栄養の不安に対処する。
・調整と安全性:政府の救援と復興の取り組みを支援する(特に国際救援・復興の調整において)。
 また、ニーズや物資配布のモニタリング、レポート作成、分析を支援する。これは、災害予防活動
 での政府への支援も含む。
初期の調査に基づいて、緊急対応計画では、今後6ヶ月にわたって最も緊急のニーズに対応する
プロジェクトに1億338万9500米ドルを求めている。現在の計画は、国連機関、国際赤十字社、国
際赤新月社、及びNGOが連携して地震後5日間以内に作成したものであるが、これは初期調査に
基づいている。
綿密なニーズ調査(特に復興の早い地域で)が約3-6週間以内に終わり次第、実践が進められて
ゆくのと対応して、この計画は統一の改訂版を作ることになっている。細かい改訂と調整が進めら
る。記述におけるすべての「ドル」は米ドルを指している。
この計画への資金提供は金融追跡サービス(the Financial Tracking Service・FTS,
fts@reliefweb.int)に報告されたい。このサービスは条件と資金を表示し、継続的にthe CAP 2006
pageに更新される。
≪各機関の地震への対応計画 (ERP)≫
要求の概要
■インドネシア地震対応計画2006 要求の概要-部門別
2006年6月2日時点 http://www.reliefweb.int/fts
各団体によって提供された情報に基づきOCHAが編集。
分野名・・・要求額 (US$)
—————————–
農業・・・5,600,000
調整と支援サービス・・・10,001,000
経済的復興とインフラ・・・12,830,000
教育・・・3,960,000
食糧・・・5,361,500
保健・・・12,023,000
保護/人権/法の統治・・・1,104,000
セキュリティ・・・430,000
住宅と非食糧物資・・・49,650,000
水と衛生・・・2,430,000
総計・・・103,389,500
■インドネシア地震対応計画2006 要求の概要 - 機関別
2006年6月2日時点 http://www.reliefweb.int/fts
各団体によって提供された情報に基づきOCHAが編集。
主要な団体・・・要求額(US$)
—————————–
調整パートナー(国際赤十字社を含む)・・・35,250,000
FAO・・・5,600,000
Help・・・150,000
ILO・・・1,200,000
IOM・・・16,500,000
OCHA・・・3,075,000
SC・・・500,000
UNAIDS・・・330,000
UNDP・・・9,080,000
UNDP/UN-HABITAT/UNV・・・4,500,000
UNDSS (previously UNSECOORD)・・・150,000
UNEP・・・350,000
UNESCO・・・930,000
UNFPA・・・1,100,000
UNICEF・・・11,936,000
UNIDO・・・1,400,000
UNOPS/UNITAR・・・70,000
WFP・・・5,823,500
WHO・・・5,445,000
総計・・・103,389,500
この書類におけるプロジェクトのリストとそれらへの資金要求の数字は2006年6月2日時点での
寸描である。プロジェクト、資金要求、寄付に関する継続的に更新された情報はthe Financial
Tracking Service (www.reliefweb.int/fts)を参照。
情報源:国連人道問題調整事務所(UNOCHA)
原文URL: reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。

パキスタン:クルスームに笑顔が戻った

パキスタンで昨年10月に発生した大地震は人々の生命と暮らしを脅かした。
数千人の死者と負傷者を出した。またこの惨事により多くの人々が未だ身体的、
心理的な苦痛に悩まされているのである。
突発的事件からなる心理的苦痛は 失った大切な人々や物との思い出に
つきまとわれることとの戦いである。そのほとんどはこれからの生きる活力を
失ったことに苦しんでいる。“人々は通常、受けた衝撃から、不信、拒絶
そして不満を感じるのである”と マンセラのIMC(国際医療隊)精神治療専門家、
ドクター・ジョセフ・アザレ氏 は話した。“私たちはこのGriefGroupを通じて、
その損失を受け入れ、彼が普通の生活に戻れるように癒せるように手助けしていく”と 
マンセラの精神医療チームは孤児と家族を失った人々のために、
個人・グループでの治療を行っている。
12歳に満たない少女、クルスームは実年齢よりしっかり者に見え、家事をこなし
幼い兄弟の面倒をみている。彼女の母親とまだ赤ん坊だった妹、そして兄は
この地震の犠牲者となってしまった。地震が石造りの家を襲ったその時、
彼女の母親はちょうど授乳中だった。その時クルスームは裏庭で遊んでいた。
“まだお母さんの助けて、という叫び声が聞こえて眠れない”とクルスームは言った。
“もしあのとき、お母さんを助けられたら・・あるいはお母さんと一緒に死ねていたら・・”
とため息をついた。“料理や家事をしているといつもお母さんを思い出す”と。
家屋が崩壊したことによって、彼女の家族はIMCが準備したキャンプに
移らなければならなかった。“罪を犯した人にだけ自然が罰を与えたのだと
聞いたけれど、どうして私たちがその罰を受けなければいけないのかわからない”
とクルスームは言った。“私たちの村は緑に囲まれた静かな谷間にあるけれど、
キャンプは私たちには混雑しすぎている。”クルスームの叔母は、地震から
数ヶ月後もクルスームが母を思って嘆き、そして悪夢に取り付かれ続けていたことを思い出した。
マンセラのIMC心理社会責任者であるジーナット氏はクルスームについて
“彼女の表情から、彼女の置かれている状況についてとてもショックを受けた。
彼女の年代の少女に通常みられる笑顔や笑い声というのもは失われているように
見えた。全てが彼女にとってうまくいっているわけではないのだと私は感じ取った。
彼女を遊びの輪に誘ったとき、彼女は幼い兄弟の世話をしなければならないから
行けない、と答えた。その答えに私は非常に驚きを覚えた。”と語った。
クルスームがその遊びに交わるまでジーナット氏は幾度も彼女を訪れた。
クルスームはきちんとした学校に通ったことがなかった。彼女の弟がテント村の
学校に行っている現在でさえもだ。ジーナット氏は学校に参加するように言ったが、
彼女はこう答えた。“恥ずかしいし、私の学歴について誰かがもし質問してきたら
どうしていいのかわからない。”しかし、彼女は人生においてこのことが
素晴らしい経験であるということを決して知ることができないのだ。
彼女は悲しみを分かち合い、同様の問題を抱えるほかの人々と助け合うことを
学び勇気付けられたのだ。ペンの使い方を決して知ることの無かった少女が
絵を描こうとしていることは新たな一歩なのであった。
“子ども達には、思ったまま絵を描くようにと話した”とドクターアザレ氏は言った。
このことは子ども達が何を感じているか、という心理的治療にいい効果をもたらすのである。
IMCはまた、率先してコミュニティの意識化を実施している。この計画は地元の
人々が事例を照会できるよう能力開発を施し、心理的苦痛に悩む人々への
応急処置やアフターケアサービスを提供することが目的である。
このことはクルスームと同様の悩みを抱える人々を助けるであろう。
“私たちはいま大きな家族のようなものなのです。つまり、みんなが悲しみに
打ち勝つ助けをしてそれぞれに抱える問題をシェアする勇気を持っているのです。”
とジーナット氏は言った。チームは個人・グループ、双方にて治療を行っている。
クルスームは今、再び元気を取り戻している。母親を失ったことは忘れられないが、
彼女は泣くことを止め、現実に立ち向かっている。“今はよく眠れるようになったし、
学校で遊ぶのが楽しみ。キャンプにはたくさん友達もできたし
授業のあといっぱいおしゃべりをしているわ”と笑顔で話した。
“このお人形さんが来週結婚するの、私の友達もみんな招待するのよ” 
彼女は自慢げに自ら作ったおもちゃの家を見せてくれた。
“かわいいおうちを建てたり絵を描いたりするのがすき。
いつかこんな素敵なおうちをみんなで建てたいの。”
情報源: International Medical Corps (IMC・国際医療隊)
原文URL: reliefweb.int
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OCHA-ジュネーブ自然災害ハイライト No.4

■パキスタン地震 半年後
10月8日-4月8日
地震から半年後、多くの村や小村で復興が始まり、国内避難民は徐々に自分達のもと居た
場所へと戻り始めた。
救援活動は比較的うまくいっている。第二の死の波は回避された。大規模な人口動態は起
こらず、伝染病も発生しなかった。50万以上のテントが運び込まれ、500万もの鉄板が配給
され、毛布や布団は600万以上配給された。栄養調査を見る限りでは、地震が起こる以前の
状態と比較して、主な食糧不足は見られない。記録によると、被災地での死亡率は、前年の
冬ほど高くはなかった。数千もの公衆トイレ用の厚板が取り付けられ、70万以上の住民が安
全な水を取り戻した。1万人以上の子供にはしかのワクチンが投与された。パキスタン軍隊、
国連、NATO、合衆国、その他多くの国々がヘリコプターで食糧や物資を空輸した。
一部の地域では、激しい雨が救援活動を妨げ続けており、また多くの地滑りにより道路が塞
がれている。さらに、ここ数週間の間に、泥流が主要な連絡道路遮断する恐れがある。
人道活動コミュニティは、現在、国内避難民の帰還支援に重点的に取り組んでいる。国連難
民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、6万4000人以上が救援キャンプを離れ、自宅へ
と戻ったという。50を超えるテントから成る120以上のキャンプにいる8万6750人を残し、30の
キャンプが閉鎖された。国内避難民の帰還過程は、出発地点から途中経過まで継続的にモ
ニターされ、また現在は、彼らのもといた場所に焦点を当てている。帰還が自主的であるとい
うことを調査は示している。
国連機は現行の救援復興のヘリコプターの運行で資金を使い果たしてしまい、2006年6月末
を期限にDFIDから資金援助を受けているヘリコプター4機を除いては、動作停止になる恐れ
がある。この4機のヘリコプターは、人道コミュニティが要求する現在の仕事量の10パーセン
ト程度しか要求を満たせていない。
2006年4月末まで作業を続ける手段として、また、国連が行動計画とその過程を通して財源
を確保する時間を得るため、国連機は2006年4月末までに必要な18万5000ドルに備え、お
よそ4万ドルが早急に必要であろう。
救援・復興プログラムは、空輸容量の制限の中で、地滑りや洪水、また最低安全基準への
順守のために深刻な影響を受け、数週間、数ヶ月も遅れることが予想される。
ベルギー、カナダ、EC人道援助局、フィンランド、フランス、ドイツ、日本、オランダ、ノルウェー、
スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカの代表から成るODSG派遣団は、6日間パキスタンを
訪問した。目的は、地震への人道的な対応とOCHAの役割を全体的に見直すこと、継続的な
復興において予測される課題の認識、復興と復興活動において、パキスタン政府をいかに援
助するのが最善かということへの理解を深めることであった。
■アフリカ
<アフリカの角での干ばつ>
4月7日、国連人権問題担当の幹事長と緊急救援コーディネーターのJan Egeland氏がアフリカ
の角での干ばつにより深刻な影響を受けた8万人以上の緊急ニーズ支援のために必要な426
万ドルの資金要請に乗り出した。
ジブチ、エリトリア、エチオピア、ケニア、ソマリアの一部地域に住む、貧困や紛争に苦しむ人々
は、ここ何年もの継続的な雨量不足がもたらした水不足や、資金や生計の急速な低下のため
の食糧難に悩まされている。
CERFからの当初の資金は、予測される地域の訴えへの供給対応に先駆けた活動を後押しす
るため、5カ国全ての国連機関に提供された。
頻発する干ばつや深刻な慢性食糧不足への対応の一環として、国連は、前ノルウェー首相
Kjell Magne Bondevik氏をアフリカの角の特別人道特使に任命した。Bondevik氏は2006年2月
21日から23日までケニアに赴いた。さらに、4月末には、エリトリア、エチオピア、ジブチ、ソマリ
アへの訪問が予定されている。
<ティンドーフ洪水-アルジェリア>
2006年2月10日 
激しい雨が降り、モロッコとモーリタニアの国境からおよそ50-60キロに位置するアルジェリア、
ティンドーフ付近で洪水が起こった。報道によると、1万2000世帯の難民キャンプのある地域
も影響を受けているという。
緊急組織が、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、世界食糧計画(WFP)、アルジェリア赤
新月社(CRA)により結成され、犠牲者、ダメージの範囲、最優先のニーズを判断するため、
迅速な調査が3つの機関により同日に合同で行われた。UNHCRはヨルダンの備蓄から、テン
ト、毛布、ビニールシート、マットレス、ジェリー缶などを被災地に配給した。OCHAは、ブリンデ
ィジ備蓄の救援物資を提供した。
情報源:国連人道問題調整事務所 (UNOCHA)
原文URL: reliefweb.int
*著作権は情報源に帰属します。

フィリピン: 地滑りと洪水 (Appeal MDRPH001) オペレーション最新情報 no. 4

国際赤十字社・赤新月社連盟の使命は、博愛の力を結集することにより、
災害弱者の生活を改善することにある。
連盟は世界一大きな人道的組織で、数百万人のボランティアが183カ国で活動している。
【概要】
■取材期間: 2006年3月9日から4月21日
■援助目標: 2, 592,678スイスフラン(200万USドルまたは167万ユーロ); 援助範囲: 118.4%
■未解決ニーズ: なし
援助履歴:
準備的緊急援助が2006年2月17日に、6ヶ月間で212.6万スイスフラン
(160万USドルまたは130万ユーロ)の予算で開始された。
3月8日、8千人の受益者を18ヶ月間援助する目的で、援助は259.3万スイスフラン
(200万USドルまたは167万ユーロ)に見直された。
緊急災害救済資金(DREF)からの配分: 20万スイスフラン
■活動概要
レイテ南部の地滑りと洪水災害に応えたフィリピン赤十字(PNRC)への提携支援は素晴らしい。
フィリピン赤十字の災害対応の優秀な経歴は急場に間に合わせるというキーロールを
行ったことにより1時間以内に明白になった。DREF事務局からの20万スイスフランの配分を含む
迅速な支援は重要な援助であった。現在作業開始から10週間が過ぎ、フィリピン赤十字は
影響を受けた地域のより長期の復興支援へ転換していく課題に直面している。
連盟はこの転換を支援しており、現場の進行は引き続き良好である。
国際連盟は国際課題 ――連盟の使命である「博愛の力を結集することにより災害弱者の
生活を改善する」を達成する4つの広義の目標を設定 ―― と協調する活動を行っている。
国際課題目標
・災害による死者、負傷者、影響の削減
・疾病や公衆衛生非常事態による死者、病気、影響の削減
・被害を受けやすい最緊急の状況に対応するために地域社会、市民社会、連盟の処理能力を高める。
・不耐性、差別、社会的疎外を削減し、多様性と人間としての尊厳に対する尊重を促進する。
【背景】
2006年2月17日、何週間ものモンスーンがレイテ州南部セントバーナード地方Guinsaugon村を
埋める大規模な地滑り引き起こした。 確認された死亡者の公式集計数は154人にのぼり、
972人が行方不明、死亡と推測される。およそ291軒の家屋と村の小学校が泥深く埋まった。
死亡者の総数は計り知れない。410人の生存者が記録されている。
生存者の当面のニーズに対する動員と救援作業が災害の余波で続いている。
避難者はその地方に早急に設置された10のセンターに収容された。不安定な山のふもとに泥流が
もたらした差し迫った危険のため、セントバーナード、Liloan、サンフランシスコの3地方から8000人が緊急避難し保護された。
鉱山地学研究所提供の予測をもとに、地方自治体はCatmon、 Karnada、 Ayahag、 Nueva Esperanza、
Magatas、Sug-Angon 村の全住民の避難を決定した。現在のところ、Magatas、 Kauswagan、 Hinabian、
Sug-Angon、 Ayahag Nueva Esperanza、Atuyan(一部移住)村の恒久的な移住が実施されている。
住民の一部は何とか経済活動を継続することができているが、多くの住民はまだしばらくの間、
移住先での新しいスタートに生活の支援を必要としている。
【活動成果】
作業の初期段階後、避難者は当初の10の避難センターからセントバーナード小学校、Cristo Rey地区高校、
Catmon小学校、Inglesia ni Kristoに設置された4つのセンターに移動した。
フィリピン赤十字はいくつかの地方NGOと国際組織と一緒に、食料、保健、水、公衆衛生、器具を含む基本日常品を
これらのセンターの避難者に提供、支援している。2,3の機関は精神・社会支援の提供を特にGuinsaugonからの生存者に継続している。
フィリピン赤十字による早急な精神・社会支援は
休止され、より長期な避難者に対する介入が展開されている。規定の手順に従い、地元市長執務室が
全活動の取りまとめ役となっている。一般に、影響を受けた住民の早急な基本ニーズはその区域で
活動する組織を通して適切に提供される。同時に、利用可能な資源のより良い配分を確実にするために、
活動の取りまとめや計画を改善できると、政府機関は考えている。
生存者と避難者への日常必需品の支援継続の必要がある一方で、復興と建設に現在焦点がおかれている。
2,3の国際組織だけが地区に残り、主に避難センターで日常支援を提供している。フィリピン赤十字と
地方組織は救済段階を超えて支援を継続する予定で、自治体に拠点を持つ災害準備、継続的な精神・社会支援、
家屋と地域施設の建築、暮らしのプログラムを含めた長期支援を計画、準備している。
今のところ、地方政府はフィリピン赤十字や他のNGOと連携して、影響を受けた人々の移転、再定住の長期計画を約束した。
2箇所――1箇所は約300世帯、もう1箇所は191世帯 ―― の主要移転地域が特定され、
適切な建築現場として一掃された。
情報源: 国際赤十字社・赤新月社連盟(IFRC)
原文URL: reliefweb.int
※著作権は情報源に帰属します。

モルジブ:明日をみつめて

2004年12月の津波後のモルジブの人々の希望  Orawan Yafa 記
2004年12月26日、アジア太平洋地域を大津波が襲いましたが、その時、スリランカの南西に位置し、低地の島国であるモルジブもまた、大きな被害を受けました。平均海抜わずか1.8メートルのこの群島が、4メートルにも達する大波に襲われたのです。住宅や社会基盤、そして生活の糧となるものがすべて押し流されてしまいました。人口わずか29万人ほどの、緊密な島国で、すべての人が前例のない災害で打撃を受けました。
何気なく見ると、約100名という死亡者数は比較的少なく感じられ、モルジブは深刻な打撃をまぬがれたかの様な印象を受けます。しかし、その経済に与えた津波の衝撃ははかり知れないものがあります。同じく被害を受けた他の国々では、直接的損失は国民総生産(GDP)の3~5%の損失であるのに比べて、モルジブは60%以上となっています。
観光業、漁業、農業は、それらを合わせるとこの国のGDPの半分以上を占めていましたが、最も深刻な打撃を受けた部門の一つです。観光客の数も急激に落ち込みました。多くの漁師は船を失い、女性たちは魚加工の家内労働を失いました。また15,000人ほどの農夫が、田畑を海水で汚染されたため、一年間収穫がありませんでした。結果、政府の税収入もまた大きく落ち込みました。
現在、多くの国際機関や国家がモルジブの人々と協力して、津波からの復興に取り組んでいます。例えばユニセフだけでも、学校や医療施設などの再建に1,100万ドルを拠出しました。現在は、津波で被災した25の島のための、国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)によって運営されています。
モルジブの復興にあたっての最大の障害は、移動の時間や費用、そして島同士のコミュニケーションです。水上飛行機による移動時間は、35分から1時間20分までと、様々です。
モルジブにいるUNOPSのプロジェクトコーディネーター、Fekare Gabrekal 氏によると、島間の飛行料金は、150ドルから270ドルかかるという事です。彼はまた、CBO(地域に根ざした団体)の設立が、プロジェクト成功の鍵を握っているとも言っています。プロジェクトは2006年5月に、その第一段階を終える予定で、24の学校再建と、4つの健康促進計画がうまく進むよう取り計らいます。
未だ島民は困窮している
しかし島の住民にとって、解決すべき難問がまだまだあります。例えば、学校を出ても仕事がありません。就業率は未だに極めて低く、標準値に達していません。多くの女性が家庭での柱となり、夫がリゾート島へ出稼ぎに行っている間、子育てや家事労働そしてコミュニティーの会合への参加といった責任を負わされています。農夫達は、生産を維持、促進するための充分な支援や資金提供が得られずにいます。高値のため、人々は充分な野菜を得る事も出来ません。
“村人は、野菜を手に入れるため観光地での仕事を見つけようと懸命です。”と、Ganの主婦で43歳のFaraaは語ってくれました。
17歳のJannaは幸運にも卒業後、観光地での仕事に就く事が出来ました。受付をしていて、月給は120ドルです。ちなみにモルジブの政府の役人の給料は、およそ
190ドルです。
32歳のAbdullahは、Ganの野菜農園主ですが、農園を維持するための資金から技術的な援助に至るまで、たくさんの問題を抱えていると言います。Ganはモルジブ群島の最南端に位置するSeenu 環礁にある市ですが、野菜農園が3つしかありません。
モルジブには26の環礁があり、それぞれ50以上の島で構成されています。いくつかの著名な環礁には40以上のリゾート地があります。環礁同士はそれぞれ遠く離れていて、島内においても島間を移動するにも、公共の輸送機関がありません。モルジブは旅行者にとっては夢の行楽地ですが、住民は観光事業からの恩恵をあまり受けてはいません。
医療においては、免許を持つ医師の数が少なく、ほんのわずかな人口さえカバーできていません。僻地の島で、重い病気にかかった場合、助かる確率は低いです。何人かの医師が、インドやバングラデシュ、スリランカといった近隣諸国から雇われています。
子ども達についてですが、高い教育を受けられる見込みはあまりありません。小さな島出身の生徒の多くが、首都マーレの大学まで行く経済的余裕がないのです。
政府と非政府組織(NGOs)は、こういった貧富の差を埋めるべく、一体となって取り組んでいて、ほとんど毎日のように、現状および進展状況について話し合っています。
モルジブはこれまで、ポルトガルやインド、オランダそしてイギリスといった大国に何度となく侵略されてきました。1965年にイギリスからの独立を果たし、1968年に
共和国になりました。
2~30年前に、最初の旅行者グループ、22人のイタリア人観光客が、この国にやって来ました。マーレ国際空港は1972年に運航を開始しました。荘厳な島の景観や、エメラルドグリーンにきらきら輝く澄みきった海、そして壮観なさんご礁や海洋生物など……モルジブは時代の変化を拒み続けてきました。けれども1987年には津波を経験しています。
国連開発計画(UNDP)によると、再建復興の為の資金が150万ドルも不足しており、膨らむ赤字会計や、この国の歴史上、初めてのマイナス成長にも直面しています。環境、経済、そして社会の完全な復興のため、モルジブは外国のドナーコミュニティーに対し、継続的な援助を求めています。
* Orawan Yafaは元々、バンコクポスト社の報道記者です。彼女はAsian Disaster Preparedness Center(ADPC)で情報管理、及び知識管理のコーディネーターをしています。そして現在は、モルジブに拠点を置く国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)でコンサルタントをしています。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:Asian Disaster Preparedness Center(ADPC)
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