復興の足音:パキスタン地震の被災地で

7万3000人もの死者が出た大地震から1年余り、災害がもたらした社会の変革
ALLAI VALLEY、パキスタン
釘や鉄板の活発な売れ行きに、Anwal Farozeさんは、求めていた以上の明るい見通し
を感じている。彼の経営する小さな金物店は、パキスタンの被災地の中でも、最も辺
鄙な山間部の一つに位置している。そして今、16年間の商売で、かつてないほどの
売上を記録している。
“需要はまだまだあります。みんな建て直しに大忙しですから”とFarozeさんは語っ
てくれた。そのふさふさとしたあごひげが、明るい笑顔をより強調しているように見
える。
人類史上最悪の自然災害の一つに数えられる、この破壊的な地震で、7万3,000人
もの死者が出た。あれから1年余り、そして2度目の厳寒の冬を迎えて、彼自身の復
興は国のそれを象徴しているようでもある。
しかしFarozeさんの店舗が証明しているように、復興の度合いは建物の再建だけで計
れるものではない。この極貧の山間部においては、別の意味で人々を活気づけるきざ
しがある。地域の自治体や救援機関は、軍や国際救援機関が――双方ともかなり縮小
しているが――やり残したままの所から着手し始めた。以前の社会や経済の仕組みが
活気を取り戻し、さらに今、外部からもたらされた変化も――女性に関してであれ、
日常の生活に関してであれ――単なる復興だけでなく、さらに前進したいという地元
の人々の願いに支えられ、ひとり歩きを始めている。
地震は、コネチカット州の2倍ほどのエリアで、20万戸以上もの家屋を破壊した
が、ここAllai Valleyだけでおよそ1万戸も倒壊した。そしてカシミールや北西辺境
州(NWFP:North West Frontier Province)で300万人以上の人がホームレスと
なった。去年ヒマラヤの冬が猛烈な勢いでやって来た時、60万人もの人々が集ま
り、大急ぎで野営テントを建てた。今、再び冬の到来だが、IOM(国際移住機関)に
よると、このたびテントに取り残されているのは3万人ほどであるということだ。
難問が解決したと言うわけではない。完全に再建された家屋はまだまだ少なく、
OxFam International (オックスフォード飢餓救済委員会)によると、200万人
近くが避難所で二度目の冬を迎えることになる。
“コミュニティーが自分達の生活に,責任を持って関わることは、我々が望んでいた
事です。”政府の地震復興庁(ERRA)のDeputy DirectorであるLt.Gen.(中将)
Ahmed Nadeemはそう語ってくれた。“彼らがこの苦境を前進の機会へと転換させて
いく兆しは、既に見てとれます。”
Zahid Amin氏の手狭な事務所では、その(復興への)決意がはっきりと感じられる。
氏はカシミールの首都ムザファラバードにあるDevelopment Authorityの責任者であ
る。事務所は地震の後、廃墟となっていた。地震ではこの地区でおよそ3万人が死亡
した。12月にAmin氏は、国際救援隊の職員と軍からなるチームを率いて、市にある
避難所を調査した。そしておよそ3,000の家族が、いまだテント生活をしている
事実を確認した。そのことは問題である。しかしAmin氏のスタッフが、そのような調
査をきちんと出来た事がそもそも、地方政府が立ち直りつつある証明であると、オブ
ザーバーは述べている。
“これは大きな判断基準になります。現にこうして開発当局は調査を続けていま
す。”と、ムザファラバードにあるIOM事務局のチーフ、John Sampson氏は語った。
だが、ホームレスの確認と、彼らの救済は別の問題である。ほとんどのオブザーバー
は地方の行政局(local civil administrations)が自ら機能を果たせるようになる
には、まだ数ヶ月かかるという点で、意見の一致をみている。そのうちに、国際機関
と地方機関が蜜に連絡を取り合って、もたつきがちな行政局や軍部と共に、活動する
ようになるであろう。しかし、問題もある。
Saeem Muhammad Kianiさんは、(調査から)抜け落ちてしまったうちの一人だ。地震
から1年以上経って、35家族からなる彼のコミュニティーは、今でもムザファラバー
ドの中の飛び領土であるChella Bandiでテント生活を送っている。地震によって彼ら
の先祖代々の家は、山の斜面を滑り落ちるように倒壊し、後に残ったのは粉々になっ
たセメントと土だけであった。
“冬の寒さの為、ほとんどの子供たちはすでに病気になっています。”と、Kianiさ
ん。彼は今、自分達のコミュニティーが再生できる新たな土地を、政府が特定してく
れるのを待たねばならない。
二度目の冬を迎えて、しかしこれは別の大きな希望的展望に比べれば、小さな不安材
料でしかない、と、Andrew Macleodさん。彼は国連の居住コーディネーター及び、
ERRAの副長官(deputy director)に対し、救済から復興への移行が(上手く行くよ
うに)助言している。
Allaiと同じ様に辺境の山間部の村においてさえ――そこでは人口14万8,000人に対して
2,000人以上が亡くなったが――生存者のほとんどが、政府から、再建に必要な災害
援助金を受け取っている。これまでのところ、一家族にだいたい1,600ドルの補助金が
支給されたが、それは被災した60万世帯のうち47万5,000世帯に達し、総額はほぼ5億
ドルに達する。政府はおよそ10億ドルがすでに、救済と復興に使われたと見積もっている。
今年の冬は寒くなりそうだ。しかし、危機的状況は回避できそうだ。人々は充分な毛
布、布団、そして防寒服を持っていると、オブザーバーは語った。セーブ・ザ・チル
ドレンUSAはAllaiの子供達に4,500以上の防寒用品を配布した。そして軍が仮設住宅
のために送った2万5,000波状の亜鉛鉄板を補充した。国際赤十字・赤新月社
連盟は全域に渡るほぼ10万の人々に4万枚の布団を含め、仮設住宅や救援物資を
空輸している。
“これは歴史上、自然災害に対する、最も偉大な取り組みである。我々がここ12ヶ月の
間に目にして来たものは、早期復興の最上のモデルの一つとして、今後見られる
であろう。”と、Macleod氏は語った。
お金や救援物資が滞らなくなったと同時に、金銭だけでははかれない別の進展もま
た、村に入り込んで来ている。ヒジャーブ(顔を隠すスカーフ)を巻き、柔らかい口
調で話す女性Farha Deebaさんは、Allaiの小さなテントの中で、数ヶ月22人の村の
女性を指導してきた。彼女は、セーブ・ザ・チルドレンUSAの支援を受けて、裁縫や
庭仕事、その他の技能を教えてきたのだ。この地域では、女性はある専門的な職業以
外、決して働くことはなかった。最近まで、ほとんどの女性が厳格な宗教上の慣習に
従って、家の中に押し込められていた。しかしひとたび訓練を受けると、多くの女性
はそれを広め、他の女性にも(積極的に)勧めている。
“彼女たちは公の会合で、その事について自分達で話し合っています。別の女性がそ
れを知ると、自分も訓練を受けたいと申し出ます。それは日に日に広まっていま
す。”と、セーブ・ザ・チルドレンUSAの生活課(livelihood officer)の役人であ
るDeebaさんは話してくれた。
パキスタン地震の被災地では、今や最悪の事態は過ぎ去った。なので、残された大き
な課題の一つは、パキスタンの中でも、最も貧しい地域の一つに挙げられるこの地区
で、継続できうる生計の手段を生み出す事であろう、と、オブザーバーは述べた。そ
の目的の為に、政府はすでに、レンガ職人や配管工のような様々な訓練を行ってき
た。
Allaiの市場の、北方にある店を経営するDelawar Khanさんは、他の人より先を行っ
ているようだ。彼は携帯電話の販売を始めた。それは最近やっと、この地域で使用可
能となったものだ。毎日約250人の人が店を訪れます。ただ一つだけ問題があるので
す。非常にたくさんの人が電話をかけるため、回線がいつもマヒするのです。と、
Khan氏は語ってくれた。
情報源:The Christian Science Monitor
原文URL:reliefweb.int
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