ここが私たちの家

ジャワ地震の震源からそれほど遠くない位置にある、Panjangrejoという小さな農村に
たどり着いた時、私の目に飛び込んだのは、うず高く積み上げられた竹と、まばらに
立ち並んでいる木々だけであった。集落そのものの状態を知るためには、最初ジャン
グルの木々の間越しに見なければならなかったが、その時初めて、地震によるこの村
の被害の大きさが明らかになった。
5月27日、わずか数秒の、しかし激しい揺れにより、Panjangrejoのほとんどすべての
家屋が、倒壊または深刻な被害を受けた。人々はそれでも、骨組みだけのようになっ
た倒壊家屋に残っているがMercy Corpsがそんな彼らを、再建に手をつけられるよう
になるまで支えようとがんばっている。
Juariさん(50歳)と彼の妻は、この村での多数の生存者と共に生き残ったが、毎日の不
安な生活に、屈する事無く向き合っている。
「これを見てください」と、恐る恐る手を上げながら彼は言った。「地震の瞬間、身体の
バランスを保とうとしていた時、寝室にあった木製のキャビネットが、私の手の上に倒れ
てきたのです。」
彼の指3本は今も包帯に巻かれており、残りの2本ははっきりと見て取れるほど腫れ上
がっている。その為、しなければならないと分かっていても、片付けに手を付けられずに
いる。
現在、Juariさん夫妻は、今も残っている家の、わずかな空間で暮らしている。そこはか
つて彼らの城であった。しかし屋根は地震で倒壊し、彼ら自身も、そして少しだけあった
家財道具も、容赦のないインドネシアの雨にさらされ、水浸しになってしまった。
■防水シート屋根
地震後すぐMercy Corpsは、Juariさんを含めた村の人たちに、雨つゆをしのぐ広い防水
シートを配布した。当局がこれらの防水シート屋根や、他の救援物資を配給するまで、
Juariさんと同じ境遇の人たちは、風雨にさらされていた。
地震の直後は、Juariさんと妻、そして13歳になる娘は、逃げてきた他の人々と共に、
村のメインストリートで避難生活をおくっていたのだ。所持品は空になった米袋だけ
であった。
「みんな親切で、米やヌードル、それに古着なども分けてくれました。それに、Mercy
Corpsからの救援物資のおかげで、私たちは家族単位での生活を送れるようになり
ました。それは、私たちの頭上を覆う屋根です。」
「現状は、充分なものとはいえないかも知れません。それでも、ここが私たちの家な
のです」と、Juariさんは笑顔で話してくれた。
■救援から復興へ
地震からほぼ3週間が過ぎたが、最も急を要する問題、例えば避難所や不可欠な
衛生キットなどの要求に応えるべく、Mercy Corpsは活動を続けている。我々救急
部隊は、最も被害が大きい、インドネシア・バントゥル県の遠隔地の村に、防水シー
トやロープ、衛生キット、マット、そして毛布などを配給してきた。
次には長い再建復興への道のりが、Panjangrejoのような村や、Juariさん一家と同様
の家族に重くのしかかってくる。Mercy Corpsは、これからの苦難の月日を、必要な
道具を用意するなど、支援を提供する事によって、人々の手助けになろうとしている。
インド大津波の時と同様、困窮する被災者に対する我々の任務は、新聞の見出しに
載らなくなっても、終ることはないだろう。
現状のニーズを調査する為、次の村へ移動する日が来た。我々が出発する時、Juari
さん夫妻は間に合わせのベンチに腰をかけていたが、何をすればよいのか困惑気に
見えた。しかし間もなく行動を起こせるだろう、という自信も見て取れた。
「私たちに救援物資を与えて下さって本当にありがとう」、 私が竹林の中へゆっくりと
戻って行こうとした時、Juariさんは言った。「貴方たちのおかげで私たちはここに居て、
やり直す事が出来ます。他に行くつもりなどありません。ここが私たちの家なのです。」
情報源 : Mercy Corps(救急部隊)
原文URL : reliefweb.int
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