■イスラマバード、パキスタン
昨年10月の地震により、何千という人々が負傷しました。中でも、とりわけ弱い立場に置かれている中に、脊椎に重大な損傷を受けた人々がいます。障害を持つ人が安住しにくい社会で、ユニセフは、パキスタン国立障害者会(Pakistan’s National Institute of the Handicapped) が、負傷した女性や子供達の為の特別病棟を作る事業を支援しています。
震災で何とか生き延びた人の中には、二度と歩けなくなり、援助が不可欠な人もいます。今までパキスタンでは、そういった援助がほとんど望めない地域がありました。
■“状態は良くなってきている”
イスラマバードの病院の別館に設置され、震災で障害を負った女性や子供達の為のユニセフの基金によるセンターは、100人程の患者に対し、専門的な支援やリハビリテーションを行っています。患者は、多くの医師やカウンセラーから成るチームによる、集中的な理学療法と専門的な治療を受けています。
“ありがたいことに、今、状態は良くなっています。ありがたいことに、ここでは、援助を受ける事ができます”と言うのは、センターで治療を受けている妊婦のParveenさん。
“もし私たちがどこか他の場所に収容されていたら、床ずれで死んでいたかもしれません。”
Parveenのお腹の子は、あらゆる逆境を乗り越えました。そして彼女はあと一ヶ月で出産の予定です。医師達は、お腹の子は元気であると考えています。しかしParveenは二度と歩く事は出来ないだろうとも、彼らは言っています。彼女にとって本当の試練は、遠くはなれた山間の村に帰ることなのでしょう。
■地域に根ざしたリハビリテーション
その特別病棟で、Parveenの向かいのベッドにいる女性は、脊椎に損傷を負っていますが、すでに子供がいます。しかし、母親になったばかりの彼女達の思いは複雑です。彼女達の村はたいていが非常に貧しく、不治の障害を持つ身で子供を連れ帰っても、支えてくれる社会基盤がないのです。
しかしユニセフは、イスラマバードの診療所での治療だけでなく、その女性達の地域でも継続的な支援を提供する事にしています。ユニセフのProject Officerで、このプロジェクトを統括しているDr.Imran Mirzaは“彼らは、あらゆる治療、食べ物、薬、そしてその他あらゆる物を得る事ができるでしょう。”“我々は今、世界保健機構(WHO)やMinistry of Health と共に活動しています。将来的な計画として、こうした患者が自分達の地域社会に戻った時、地域に根ざしたリハビリテーションが出来るようにする事です。それは今までになかったものです。”と語ってくれました。
ユニセフのもう一つの優先事項は、障害を持つ子ども達でも通える様な学校を整備する事です。幼い者達はとりわけ長期のケアが必要なのです。
震災で生き残った一人、サダフ、13歳は、学校が倒壊した後、何時間も瓦礫の下に閉じ込められていました。発見された時、彼女はもう歩く事ができなくなっていました。しかし望みはあります。下肢に添えられた特殊なサポーターにより、サダフは立ち上がることが出来るようになったのです。継続的な治療のもとで、彼女が再び歩けるようになる可能性は充分にあるのです。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:国連児童基金(ユニセフ)
※著作権は情報源に帰属します
月別アーカイブ: 2006年3月
パキスタン: ピンディーリハビリテーションセンターが震災により手足を失った人々に義肢を提供
イスラマバード、3月16日 (APP): パキスタン出身北米医師団体(APPNA)がRawalpindiに、地震で手足を失った被災者に義肢を提供するリハビリセンターを設立しました。
“現在、Rawalpindi近辺に35万ドルの費用をかけてセンターの一角が完成、他のブロックは現在建設中です“とAPPNAのメンバーであるDr.Saeed Akhtarさんは、木曜日に記者会見で語りました。
APPNAは北米に1万人のメンバーを持つ組織で、10月8日の地震後まもなくから救援活動に関わっています。
北米の170名を越える医師が、地震後の被災地域でボランティアをしています。
Dr. Saeed Akhtarさんは、40人以上の手足を失った被害者がこれまでRawalpindiのリハビリセンターで義肢の提供を受けましたと語りました。
「500万ドル以上が義肢の提供に費やされ、同じく500万ドル以上がその目的のために準備されています」と、Dr. Saeedさんは付け加えました。
APPNAは、Mansehraのリハビリ病院の建設の20万ドルの他に、リハビリ目的に45万ドルを費やす予定です。
APPNA総裁のDr. Abdul Rasheed Parachaさんは、500万ドル相当の手術機材が震災後パキスタンの病院に提供されたと語りました。
APPNAは停戦ライン付近で震災にあった‘Kathai’村の再建を計画、モデル村にしていくとDr. Abdul Rasheed Parachaさんは語りました。
また、「特に女性の住民に、裁縫のようなお金を稼ぎながら被服費を節約できるような職業技能を教える職業訓練センターも開かれます」と付け加えました。
アメリカのノア財団もまた、冷蔵設備と共に1万本のフルーツの木を村に植えることを計画しています。
また、APPNAにより、高地に住む被災者に559以上のテントと2600枚のブリキ板が供給されたと彼は付け加えました。
救援活動中の支援で救援物資の早期配送を請け負ってくれた政府役人、特にパキスタン軍に対し、彼は感謝の意を述べました。
外傷外科医のDr. Murtaza AraeenさんとAPPNAのローカルコーディネーターDr. Sobia Hafeezさんは救援活動におけるAPPNAの貢献について簡潔に説明しました。
原文URL:
インドネシア:愛、希望、そして決意が女性たちを津波後のより良い未来へと導く
Vivi Roselim, ACTインターナショナル
■インドネシア、西アチェ、2006.3.15
世界中が世界女性の日を祝った3月8日、女性たちがテントの外にひいたマットに座
り歓談していた。彼女達の会話を中断させたのは笑い声だった。2004年12月
26日の津波が彼女達に突きつけた大きな困難の最中、女性たちは共同生活や新たな
結婚を通して、友情、愛、そして人間関係の緊密さを再発見しつつある。
座って話し込んでいる間も、彼女たちの手は伝統的な贈り物であるRanup Lampuanを
作るのに忙しく動いていた。材料はバナナ、ビンロウジ、ライムといった様々な葉や
ビンロウの新芽、バナナの木の蕾などである。
皆、出来る限りの仕事をこなしているように見え、彼女達の手は素早く動きながらも
慎重に、葉を素敵な装飾品へと変身させていた。
こんな出来事は、女性たちが集う数多くのきっかけの一つに過ぎなかった。この村で
は500人以上が津波で命を落とし、この筆舌に尽くしがたいトラウマになるような
惨事が、村人たちを以前より緊密にしたのである。
しかし、この午後の「集会」は特別なものだった。「今晩、甥のLukman が恋人にプ
ロポーズするのです。私たちが作っているのは彼女の家族への贈り物です。」と34
歳のIrayaniは言った。彼女は、西アチェMeureboにある、津波で家を失った人々のた
めのTanjung Harapan Camp(希望の岬キャンプ)で暮らしている。Irayaniは甥の幸
せに喜んでおり、25歳のLukmanの結婚は自分達がこのキャンプで暮らし始めてから
少なくとも12組目だと付け加えた。
愛する人を亡くしたことで傷ついた人々の心から一度は忘れ去られた愛が、今、女性
たちによって大喜びで語られているのである。
46歳のYunasriは津波で夫と3人の子供たちを失った。だが、彼女は隣人たちと過
ごす事で慰めと愛情を見つけたのである。「私はキャンプで一人暮らしをしているの
で、ここでの友人が私の全てです。私の愛を彼らと分かち合っているのです。」と微
笑む彼女の肩には、友人達の手が置かれていた。何人かの女性はUjong Beurasok
camp に9ヶ月暮らしており、津波直後の緊急時からチャーチワールドサービス
(CWS)インドネシアの援助を受けている。CWSは国際団体 Action by
Churches Together(ACT)international の一員である。
政府による定住再分配が不確かな中でのキャンプ生活という困難にも関わらず、彼ら
は何とか生き抜こうとしている。悲しみの中にあっても、同じ運命を共有した者同
士、または単なる友情を超えた関係の中で愛情が育まれている。
彼女たちに愛とは何かと尋ねると、こんな答えが返ってきた。「愛とは説明できるも
のではなく、ただ感じるものです。」
「友人達が新しい夫や妻を見つけられて嬉しく思います。こんな状況の中、一人でい
るのは良い事ではないですから。でも独身であっても、私達にはお互いがいるのです
から恵まれています。」と、61歳のLatifahは言った。彼女はこのグループでは最
高齢で、津波で夫を失ったのである。
■ 愛、希望、そして決意
同じくTanjung Harapan camp に住み、最近再婚したばかりのRoyaniは相手を見つけ
た幸せを隠せなかった。「2ヶ月前に結婚したばかりです。知り合って1ヶ月足らず
で結婚しましたが幸せです。」と満面の笑みで話した。彼女は息子のズボンを直して
もらおうと仕立て屋に行ったところ、夫となる45歳の仕立て職人Basniと出会った
のだった。
前の夫を津波で亡くしたRoyaniは、こんな幸せをもう一度感じられるようになるとは
思わなかったと話す。愛の定義を尋ねると彼女はこう答えた。「愛について説明する
のは難しいです。ただ言えるのは、一緒にいることで愛は深まるという事です。」
彼女の新しい夫はRoyani と12歳の息子Misriyanto の大きな支えである。「精神
的にも経済的にも私たちを支えてくれています。もっとも面白いのは、彼が私の息子
を自分の息子のように扱ってくれることです。十分すぎるくらいにね。」Royaniは、
Basriの子供たちは成人し家庭も持っているのだと付け加えた。
混乱の中から全てをもう一度やり直すことは人々にとって容易いことではなかった。
Royaniは現在、パートタイムのメイドとして働いており、CWSの援助で、市場で売る
ための疑似餌も作っている。Basriは仕立て屋を続けているが、新しい家族のために
独立してビジネスをはじめようと考えている。
津波から生き延びたことは即ち、未来に向けた格闘を意味する。悲しみや悲嘆が影を
落としているにも関わらず、この女性達は愛、希望、決意を示したのである。
女性たちは、お互いの、または家族からの関心や支えだけを感じているのではなく、
外の世界からのものも認識している。「だから私達は、私達を助けてくれる人、助け
がある事を教えてくれている人全てに感謝の気持ちを伝えたいのです。」とRoyaniは
語った。
Vivi Roselim はACTインターナショナルの一員であるCWSインドネシアの情報
局員である。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:ACT International
*著作権は情報源に帰属します
フィリピンー地滑り:赤十字、赤新月社、救援から復興へ
南レイテの漁村Guinsaugonを飲み込んだ地滑りから2週間経ち、死者154人、行方不明者972人に及んでいる。犠牲者の捜索は2月27日に打ち切られ、フィリピン赤十字社(PNRC)、国際赤十字社、赤新月社は災害によって家を失った人々の救援に活動を移している。
2月17日に発生した地滑りでおよそ410人が助かったが、5900人以上が降り続く大雨とさらなる地滑りの危険のために自宅を退去させられ避難センターで生活している。国際赤十字社の援助を受けPNRCは被災者や避難者の復興へ向けて心のケアにつとめ、食物や一時避難所を供給している。
PNRCは数ヶ月にわたって避難所建設用具、水浄化剤、調理コンロ、蚊よけネット、石鹸や歯ブラシを含む衛生用品を供給する予定である。将来の災害に備えての防災対策と地元赤十字支社の活動を後援することにも重点を置いている。加えて地滑りの発生した日に国際赤十字社が要請した200万スイスフラン(128万ユーロ/152万USドル)にも力強い支援を受けた。
南レイテには現在10の避難所があるが、Christo Rey高校もその一つであり800人以上の人が住んでいる。フィリピンのどこにでもある高校と同じだが、ただ一つ違うのは外に“フィリピン赤十字社災害援助対策本部”の横断幕が貼り出されている。
建物の中では、避難者が教室の床に手足をのばしており、Leonida Cataloniaさんのような地域ボランティアが寄付された衣類の入ったかばんを次々と開け、男性用、女性用、子供用と仕分けしている。
「あの金曜日はいつも通り始まりました。」災害前には英語教師だったLeonida Cataloniaさんは語った。「教師達は最終試験の準備をしていましたが携帯電話にGuinsaugonの大災害を知らせるメールが入ってき始めました。多くの生徒たちが両親、兄弟、姉妹のことを思って泣きました…そして最後には悪い知らせだけでした。」
地域の他の避難所と同様、PNRCのボランティアも水、氷、米、麺、缶詰食品、ビスケットなどをを配っている。列を作って辛抱強く待っている人々の中に90歳のHilario Piaさんがいる。彼はGuinsaugonに住んでいたが、今は全てを失って悲しみ苦悶している。
「妻も、息子も、娘も、孫も…みんないなくなった。」目に涙をうかべて語った。「8人の親族を失った。とても悲しくて眠れない…一人ぼっちだ」
Hilarioさんのような被災者や避難者は悲しみにくれながら今後どこにいけばいいのかという問題に直面している。家族、友人、家、生計手段を失い、行動をおこそうとする気力はくじかれ不幸に打ち勝とうとするのはほとんど不可能である。地方の役人と救援機関の間ではGuinsaugon村をどこに移転させるかという話し合いがもたれている。
「この地域では危機を軽減することが必須である。」フィリピン赤十字社の対策本部長、Raul Garganera氏は語る。「南レイテは災害に見舞われやすいが人々はさらなる危険にさらされるべきではなく、防災対策につとめなければならない。」
Raul氏は防災対策には地方支部の収容建物、救援労働者の訓練、適所にシャベル、ロープ、ゴム長靴などの用具備蓄、交通手段の確保が含まれると指摘している。
地滑り後の最初の救援を振り返ってみると、破壊の規模と危険な状況のなかで勇気のある救援活動であった、とRaul氏は語っている。
「フィリピン赤十字社の地元支社のおかげで地滑り後3時間以内に人々を救援することができた。そしてこのことは地域に基盤を置いた災害対策がいかに重要であるかを示している。」
原文URL: http://www.reliefweb.int
情報源:国際赤十字社、赤新月社(IFRC)
*著作権は情報源に帰属します。