モルジブ:明日をみつめて

2004年12月の津波後のモルジブの人々の希望  Orawan Yafa 記
2004年12月26日、アジア太平洋地域を大津波が襲いましたが、その時、スリランカの南西に位置し、低地の島国であるモルジブもまた、大きな被害を受けました。平均海抜わずか1.8メートルのこの群島が、4メートルにも達する大波に襲われたのです。住宅や社会基盤、そして生活の糧となるものがすべて押し流されてしまいました。人口わずか29万人ほどの、緊密な島国で、すべての人が前例のない災害で打撃を受けました。
何気なく見ると、約100名という死亡者数は比較的少なく感じられ、モルジブは深刻な打撃をまぬがれたかの様な印象を受けます。しかし、その経済に与えた津波の衝撃ははかり知れないものがあります。同じく被害を受けた他の国々では、直接的損失は国民総生産(GDP)の3~5%の損失であるのに比べて、モルジブは60%以上となっています。
観光業、漁業、農業は、それらを合わせるとこの国のGDPの半分以上を占めていましたが、最も深刻な打撃を受けた部門の一つです。観光客の数も急激に落ち込みました。多くの漁師は船を失い、女性たちは魚加工の家内労働を失いました。また15,000人ほどの農夫が、田畑を海水で汚染されたため、一年間収穫がありませんでした。結果、政府の税収入もまた大きく落ち込みました。
現在、多くの国際機関や国家がモルジブの人々と協力して、津波からの復興に取り組んでいます。例えばユニセフだけでも、学校や医療施設などの再建に1,100万ドルを拠出しました。現在は、津波で被災した25の島のための、国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)によって運営されています。
モルジブの復興にあたっての最大の障害は、移動の時間や費用、そして島同士のコミュニケーションです。水上飛行機による移動時間は、35分から1時間20分までと、様々です。
モルジブにいるUNOPSのプロジェクトコーディネーター、Fekare Gabrekal 氏によると、島間の飛行料金は、150ドルから270ドルかかるという事です。彼はまた、CBO(地域に根ざした団体)の設立が、プロジェクト成功の鍵を握っているとも言っています。プロジェクトは2006年5月に、その第一段階を終える予定で、24の学校再建と、4つの健康促進計画がうまく進むよう取り計らいます。
未だ島民は困窮している
しかし島の住民にとって、解決すべき難問がまだまだあります。例えば、学校を出ても仕事がありません。就業率は未だに極めて低く、標準値に達していません。多くの女性が家庭での柱となり、夫がリゾート島へ出稼ぎに行っている間、子育てや家事労働そしてコミュニティーの会合への参加といった責任を負わされています。農夫達は、生産を維持、促進するための充分な支援や資金提供が得られずにいます。高値のため、人々は充分な野菜を得る事も出来ません。
“村人は、野菜を手に入れるため観光地での仕事を見つけようと懸命です。”と、Ganの主婦で43歳のFaraaは語ってくれました。
17歳のJannaは幸運にも卒業後、観光地での仕事に就く事が出来ました。受付をしていて、月給は120ドルです。ちなみにモルジブの政府の役人の給料は、およそ
190ドルです。
32歳のAbdullahは、Ganの野菜農園主ですが、農園を維持するための資金から技術的な援助に至るまで、たくさんの問題を抱えていると言います。Ganはモルジブ群島の最南端に位置するSeenu 環礁にある市ですが、野菜農園が3つしかありません。
モルジブには26の環礁があり、それぞれ50以上の島で構成されています。いくつかの著名な環礁には40以上のリゾート地があります。環礁同士はそれぞれ遠く離れていて、島内においても島間を移動するにも、公共の輸送機関がありません。モルジブは旅行者にとっては夢の行楽地ですが、住民は観光事業からの恩恵をあまり受けてはいません。
医療においては、免許を持つ医師の数が少なく、ほんのわずかな人口さえカバーできていません。僻地の島で、重い病気にかかった場合、助かる確率は低いです。何人かの医師が、インドやバングラデシュ、スリランカといった近隣諸国から雇われています。
子ども達についてですが、高い教育を受けられる見込みはあまりありません。小さな島出身の生徒の多くが、首都マーレの大学まで行く経済的余裕がないのです。
政府と非政府組織(NGOs)は、こういった貧富の差を埋めるべく、一体となって取り組んでいて、ほとんど毎日のように、現状および進展状況について話し合っています。
モルジブはこれまで、ポルトガルやインド、オランダそしてイギリスといった大国に何度となく侵略されてきました。1965年にイギリスからの独立を果たし、1968年に
共和国になりました。
2~30年前に、最初の旅行者グループ、22人のイタリア人観光客が、この国にやって来ました。マーレ国際空港は1972年に運航を開始しました。荘厳な島の景観や、エメラルドグリーンにきらきら輝く澄みきった海、そして壮観なさんご礁や海洋生物など……モルジブは時代の変化を拒み続けてきました。けれども1987年には津波を経験しています。
国連開発計画(UNDP)によると、再建復興の為の資金が150万ドルも不足しており、膨らむ赤字会計や、この国の歴史上、初めてのマイナス成長にも直面しています。環境、経済、そして社会の完全な復興のため、モルジブは外国のドナーコミュニティーに対し、継続的な援助を求めています。
* Orawan Yafaは元々、バンコクポスト社の報道記者です。彼女はAsian Disaster Preparedness Center(ADPC)で情報管理、及び知識管理のコーディネーターをしています。そして現在は、モルジブに拠点を置く国連プロジェクト・サービス機関(UNOPS)でコンサルタントをしています。
原文URL: www.reliefweb.int
情報源:Asian Disaster Preparedness Center(ADPC)
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