家族的な感覚で:同胞を支えるハイチ人の地道で地元に根ざした取り組み
情報源:Church World Service(CWS)
家が被災し収入を失ったという現実に直面して、Fontil Louinerと24人以上の家族と友人は、土地を手離してハイチの首都ポルトープランスを離れるしか選択肢がないと考えた。
「私達には他の選択肢はなかった。とどまってはいられなかった。」と39歳のビデオ映像技師である彼は言った。彼はArtiboniteの北部の県にある故郷のPetite Riviereに最近戻ってきたのだ。
しかしLouinerは戻ってきて、Petite Riviereでの一日500食の給食プログラムの立ち上げに協力することによって、拡大しているポルトープランスからの脱出者の一員になった。それだけでなく、ハイチの人々を支援する国際的な支援従事者達の最近の映像と体験談が急増していた中でしばしば見落とされてきた物語の一部になった。
これらの映像と話は最近ハイチで起こった地震への国際的な対応の現実の一部を伝えるものであるが、別の現実はしばしば部外者には無視されている。それはこのように同胞であるハイチ人を支えるLouinerのような地道で地元に密着した取り組みをするハイチ人についてである。
最近ハイチの北部や南部に相次いで訪れていたことはこの話に光をあてるのに役立った。
最初にいくつかの背景がある。国連によると、50万人以上の人がポルトープランスから遠く離れた地方やハイチでいうところのいわゆる県(department)へ移ったという。1月12日以後の最初の数週間の間、人気のある目的地はArtiboniteだった。そこにはおよそ162,500人がやってきた。その中にLouinerと30人の友人、家族もいた。
Louinerは地震の被害がなかったPetite Riviereに帰省してきたよそ者ではなかった。Louinerは20年間ポルトープランスで働いていたが、2004年からふるさとのローカルラジオ局であるファミリーラジオのパートタイムのマネージャー兼DJとして勤めていたことで、地元とのつながりを維持していた。
この局は音楽を流すだけでなく、役に立つ公共サービス的な役割を果たしていて、ニュースや教育番組も放送している。ラジオはハイチにおいては小さな役割ではなく、社会的な影響力を持つものとされており、人々は“社会の原動力”(engine of society)と呼んでいる。
ファミリーラジオはハイチのコミュニティに根ざした(地域密着型)機関の連合であるCONHANEと結びつきがあった。CWSと長い間パートナーであったService Chretien d’HaitiとCONHANEは今回関係を持つことになった。過去にはこの地方の洪水に対応してCONHANEと一緒に活動したこともあった。
地震の発生と、この数週間で約8,000人とも言われる人々がPetite Riviereにやってくるというような突然の何千人もの人の到着という事態に対して、このラジオ局は草の根の活動としての給食プログラムを支援するため、市民の支持を盛り上げる役割を果たしている。
CONHANEや他のラジオ局であるRTAと一緒に動いて、ファミリーラジオは食料の寄付や食料のための募金のアピールをだした。そのひとつはこんな感じだ。「もしあなたのところが6人家族なら、ゴブレット(脚・台つきコップ)一杯の米を寄付して下さい。」
この取り組みはうまくいっており、地元の住民は米やその他の食料を持ち込み、ポルトープランスから移住してきた住民のために一日500食の食事を提供するための募金をしている。全員ではないが、移住者の多くはこの地方につながりがある。局の職員やボランティアたちはファミリーラジオの事務所やスタジオの近隣にある給食センターで食事を配っている。
「彼らがこの食事を必要としていることを私達はわかっている。そして職員やボランティアや支援者全員にたくさんの分かち合いの気持ちがある。」とLouinerは付け加えた。
Louinerと彼のファミリーラジオの仲間はこれが移住問題の恒久的な解決にはほど遠いことをわかっている。その問題とは、親戚の家やテントや学校のような公共の場所に滞在している移住者達の将来がどうなるかいまだに明らかになっていないということだ。
「私達がどのくらいの間ここにいるのか誰も知らない。しかしポルトープランスへ戻る可能性はないとわかっている。」と自分自身が移住者である経験からLouinerは言った。
彼は移住者は暖かく歓迎されてきたと言って、新しい移住者と地元のコミュニティとの間で起こりうる緊張関係を深刻には考えていなかった。
「彼らはここで市民権を与えられた住人になってきた。私達はここへ戻ってきたことを誇りに思う。」これは彼と彼の家族が自ら経験した感覚だった。
ハイチに本来備わっている自助活動の別の例がJacmelという南沿岸の町で見られる。ここはポルトープランス同様地震でひどい被害を受けたが、災害からの復興の取り組みに対する注目度のレベルは首都のそれに比べると、同じ程度にはとらえられていない。
しかしこの植民地都市が地震からの復興を始める際にした地元に根ざした取り組みは他とは違ったものだった。
最初の日から、ACT AllianceのメンバーであるDiakonie KatastrophenhilfeのパートナーであるハイチのNGOのKROSEは、職員やボランティアのネットワークを動員して緊急支援を提供するための被害調査が出したあらゆることをやった。活動はJacmel市内の2つのキャンプに絞られ、それらは外から見ると、すっかりきれいになっていてハイチ中のほとんどどの移住場所よりも良好に組織化されていた。
Diakonieによってテント村が提供されたことがひとつの理由である。もうひとつはKROSEがJacmelで地元との絆を持っていたことが、キャンプ運営の支援をするのにこの団体をよい立場にもっていったことによる。「もし地元の有力者と住民との関係がなかったら私達は何もすることができなかった。これは一連の作業すべてについていえることだ。」とKROSEの代表のGerald Mathurinは言った。
それは移住場所の保守整備にキャンプの住民も含めて参加させることから、キャンプで地元のボーイスカウトのボランティアが水を配ることにいたるまで、すべてを意味している。
「Diakonieのようなハイチ人以外の人道団体の取り組みは地元の現実と一致する必要がある。これらの取り組みのすべては地元の基盤に根を見付けなければならない。このような地元の基盤がなければ状況はかなり悪くなっていただろう。ここには相乗効果があった。」とMathurinは言った。
ハイチ人にとって特に大切な‘参加と尊厳’という考え方を守ることによって配慮もなされるのにちがいない。
尊厳はハイチでは合言葉になっている。Jacmelの多くの人にとってそれはコミュニティ(地域社会)として移住者と一緒に暮らすことであって、彼らを移住者キャンプの中へ追いやることではない。
土地や場所を借りてでも、その家ががキャンプ以上にすっかり丸見えの状態であっても、被害を受けていようが壊れていようが、彼ら自身の家を手に入れるために彼らと一緒にいるほうが納得がいくと、“Groupes Solidarités”または連帯グループと友人、隣人の間で決めた。
彼らの数は少なくはない。概して50人から200人が連帯グループにはいて、Jacmelだけでも400以上の連帯グループがあり、人数は全部で31,505人にのぼる。
「家を毎日見に行くことを希望する人がたくさんいる。たとえ中に入れなくても見たいと思うでしょう。」と、KROSEや世界食料計画の支援を受けてJacmelのWesleyan(メソジスト)教会の敷地とその周辺に滞在している連帯グループのFrancilaire Jeudiという34歳のリーダーは言った。
数ヶ月かそれ以上教会の敷地に彼らが留まっていることを譲歩しながら、この連帯グループのメンバーはJacmel郊外の移住地に移るより、市内に一緒に留まり続けることを決めた。
「ここは、他のキャンプ地よりいい。なぜなら自分達で組織運営できるから」と他のコミュニティの代表のThifaut Jeanは言った。
他の理由を挙げるとすれば、ここには安全、結束,帰属の感覚があるといえる。
「ここでは私達はひとつの家族です。」とFrancilaire Jeudiは言った。
CWSはACT Allianceのメンバーで、国際的な教会の連合であり、緊急事態に対応する組織と関わり、開発事業の協力、擁護に対する共有意見の提供などの活動をしている。
<参考>:この記事はCWSのChris Herlingerによる。近年ハイチでACT Allianceと共に活動していた。
CWS(Church World Service) http://www.churchworldservice.org/ (インド)
ACT(Action by Churches Together) Alliance http://www.actalliance.org/ (スイス)
Diakonie Katastrophienhilfe http://www.diakonie-katastrophenhilfe.de/ (ドイツ)
原文URL:reliefweb.int