震源地であるハイチ農村部へ遅れる支援
情報源:Reuters
2010/1/19
ポルトープランスから車で西へ2時間、ハイチ地震の震源地であるバナナの育つ丘では山腹から大きな岩の塊が引き剥がされて放り出され、道路には亀裂が走っている。そこで化膿した傷を負った生存者は大破した家の傍らで支援者に気付かれないまま眠っている。
地震の最初の揺れから1週間たち、豚がキイキイ鳴いている田舎の家で、頭に血まみれの包帯を巻いて1人の男性は動けない状態でマットレスに横たわっていた。
ある少女は背骨を損傷して麻痺しており、彼女の姉は額からうなじにかけての場所と目の上とに負った深い傷を粗野に縫合したところがじくじくと化膿した状態だった。「縫う前には頭骸骨が見えていた。」と彼女達の叔母であるCyndie Thelus(26)は震えながら語った。彼女は少女達を一番近くの昼間診療所へ連れて行ったが、1人目の少女を診察するには設備が足りず、2人目の少女にはごく初歩的な治療しかできなかった。
火曜日までに外国の医療チームは震源地近くの極貧の農村であるレオガンの野戦病院でようやく仕事を始めた。しかし岩の崩落の災害にあった丘の上に小さな集落があることを誰も知らないようで、そこの患者を診るために人員を送ることはできていない。
ここはマグニチュード7.0の猛烈な揺れの中心地で、青々としていた丘は裂けてひび割れていた。道路の上に崩れ落ちた地面から木が突き出しているのを地元の人達はのこぎりで切り倒していて、また、巨大な岩の塊が砕けた時に採砂場のトラック運転手が押しつぶされ、辺りの風景が一転して塗り替えられた場所を指し示した。
「揺れが始まった時、私は入浴中だった。走り出て、今まで丘があったところが空っぽの場所になっているのを見た。」とSeraphin Sonel(14 )は語った。彼女は崩れた採砂場の近くに住んでいた。
火曜日、レオガンのはずれの野原にアメリカ海軍の最初のヘリコプターが水と食糧を投下した所のまわりには地震の生存者が大勢押し寄せていた。しかし今緊急に必要なのは眠るためのテントと医療行為だと彼らは言っていた。「私達には何もない。家にあった食料は瓦礫の下になった。お金もない。水さえない。」と、Rebecca Mirlind(25)はボーイフレンドと一緒にヘリコプターが着陸するのを見ながら言った。「これは確かに助けになる。」でも最も必要なことは感染症に罹った傷が致命的な状態になる前に人々が処置を受けることだと彼女は言った。「負傷した人がたくさんいる、手足を損傷して苦しんでいる人たちが。」
茫然とした見物人達はアメリカの“侵入”を見ていた
国際的な支援者と物資はこの数日のうちにハイチに投入された。しかしハイチの通信設備の破断や悪い道路状況、瓦礫の散らばった首都の混沌状態などが原因で、人々が支援や情報を受け取ったりすることが困難になっている。特に郊外では難しい。火曜日に食料の投下を見ていた人々の多くがそれをアメリカの侵入かのように、そしてその食料は自国の軍隊のためのもののように初めに思った。
「今現在のところ、できるだけ早く必要な物資を手に入れる計画になっている。」とClark Carpenter大佐は語った。国連のトラックが食糧支援を配給しはじめる地点となる安全な投下場所を数十人の海兵隊員が設営するための広報官である。彼は医療支援がなされるかどうかについては何も言えなかった。
国境なき医師団はレオガンの外れの野戦病院で200人以上の患者を診察し、日本の医療チームも36人以上を診察した。他の外国のチームはこの数日のうちにレオガンの設備の乏しいSainte Croix診療所へ到着する予定である。
「今必要なのは手術設備です。」とアメリカ人Suzi Parker(66)は言った。彼女は崩れ落ちかかっている宿舎からかろうじて逃げ出し隣の診療所に駆け込んだのだ。時計と眼鏡以外の持ち物はすべて失ったので、今は診察着を着て過ごしている。
農民達がサトウキビや揚げたバナナ、キャッサバのパン、米などを食べて暮らしていた赤土の丘では木や波型トタン板の小屋が建てられていた。これらの小屋は20万人以上の人が亡くなった首都の高層コンクリートビルに比べて揺れには強かった。
しかし粗末な軽量コンクリートブロックで建てられた家に住んでいた多くの人々は亡くなったり怪我をしたりした。今レオガンの人たちはみんな星空の下か、波型トタン板を木の枠に釘で打ち付けた頑丈な三角形のシェルターの中かで寝ている。
首都からレオガンへ向かう穴ぼこだらけの道路際には、小さな赤ちゃんも含む数十体の浮腫んだ遺体が、見向きもされず照りつける太陽に焼かれて腐敗しつつ横たわっている。
急いで治療されなければ多くの人々が壊疽した傷によって亡くなる危険がある。
「この(地震での)騒動の前ですら、ここの病院はかろうじて役目を果たしているような状況だった。今やどんな状況か想像できるだろう。」とアメリカ陸軍の支援物資を投下する地点の調査測量をしているJoel Beauburn(34)は言った。