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学生・若者による「やさしや足湯隊」を応援してください!
学生・若者を中心に令和6年(2024年)能登半島地震の支援として結成した「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングを始めました。皆様からいただいたご寄付は学生・若者が活動する際の交通費半額補助・消耗品費として使わせていただきます。
私達の活動では足湯ボランティアを中心に行っています。足湯ボランティアは、阪神・淡路大震災の際に被災地KOBEで始まり、全国に広まった活動です。タライにお湯を張って足をつけ、被災者の方の手に触れ、さすることにより様々なつぶやきが聞こえてきます。世代を超えて活動できるのが足湯ボランティアです。足湯につかりのんびりした空間を作ることで、疲れやストレスを少しでも解消していただきたいと思っています。
みなさまの温かいご支援、ご協力よろしくお願いいたします。
詳細は以下から↓↓
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学生・若者による「やさしや足湯隊」を応援してください!
学生・若者を中心に令和6年(2024年)能登半島地震の支援として結成した「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングを始めました。皆様からいただいたご寄付は学生・若者が活動する際の交通費半額補助・消耗品費として使わせていただきます。
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23 hours ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.91
—自主避難所から、自立避難所へ―23(上大沢編―7)
本レポートNO90に続いて、上大沢でヒアリングをさせて頂いた100歳のお父さんのこと。区長の息子さんは100歳というのだが、ご本人は「99歳、“もうろく歳”」と茶目っ気たっぷりと、自分は耄碌(もうろく)したという。
昔は、漁業も盛んで“海は宝”と言っていたほど。イワシやサバの刺し網漁とワカメや岩ノリの採取も女性の仕事としても命懸けだが、活気があった。以前にもこのレポートの上大沢編でも紹介したが、上大沢の岩ノリは絶品で高価なものだ。
イワシやサバの漁場は、“女郎島”にあったと。この“女郎島”と聞いたときに、以前ばあさんたちと話していた時に、「こっちは姉神さん、(隣の)大沢は妹の神さん」と言っていたのを思い出した。また、上大沢の入り口には“男女滝”という観光スポットがあり、女滝が主流で、男滝が支流と女性が上にあることが新鮮だった。お父さんがいう“女郎島”という表現も関連しているのではないかと思えた。また、上大沢にある日吉神社が姉神様で、大沢にある静浦神社が妹の神様と、どことなく大沢を意識しているようにも見える。お父さんは、風除けのためにある“間垣”についても、私が「大沢にも“間垣の里”とか看板がありましたね。」というと、「大沢は恰好だけや!上大沢の方がちゃんとしてる?毎年新しいのと古いのを入れ替えている。」と自慢げだったのが印象的だった。(了)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.90
—自主避難所から、自立避難所へ―22(上大沢編―6)
去る9月5日、やさしや足湯隊18便で輪島市西保地区上大沢(昔は“カメゾ”と言っていた)に3回目の足湯のため訪問した。ところが、急遽お目当ての元気なばあさんたちは、4日に金沢の二次避難所に帰られたとのこと。事情を区長さんに聞くと、仮設住宅が当たり、9月中旬に引っ越しされるのでは…という話で、引っ越しのための準備に帰られたようだ。
ということで足湯は中止となったのだが、もともとこの日は、区長さんのお父さん(大正13年生まれの100歳)に、この日は昔のことをヒアリングするというスケジュールも入っていたので、予定通り区長さん宅にお邪魔して、お父さんにお話を聞くことができた。
そもそも何故、100歳のお父さんに聞きたいのかというと、この上大沢に魅せられたのは、明治以来、この地震が来る前の年まで、ず~と20世帯を維持しているということだったが、区長にも、ばあさん達に聞いても分からなかったので、100歳の方に聞けば何かヒントがあるのではないかと思ったからだ。しかし、この件は残念ながら歴史的背景があってそうなったわけではなく、お父さん曰く、「20世帯というのが、争いも起こらないし、ちょうどよい塩梅(あんばい)じゃないか」ということだ。以前、ばあさん達にも同じ質問をしたが、やはり同じ応答だった。やっぱり、よい塩梅なんだ。「なるほど!」と納得した。
ところでこのお父さんは、台湾の高雄にある製缶工場で働いていて、一度東京に戻り、その後兵役で戦地へ行っていたそうだ。この上大沢の家は、戦争で兄が亡くなったので、次男のお父さんが継いだと。ヒアリングの中で、何度も「ここが元祖や!」という言葉を聞いたのだが、この家が上大沢で最初の家やという意味らしい。歴代の区長も担ってこられた。「元祖、元祖」と誇らしげだった。もう一つ誇らしげに繰り返し言われたのは、」「明治36年7月13日、東本願寺の本山から元小町(西保地区上山町)の願誓寺に遣いが来たのだと。詳しくは聞き取れなかったのだが、調べてみるとそれは、-明治36年(1903年)7月13日に、真宗大谷派の本山東本願寺から親鸞聖人のメッセージを持って北陸能登地方の信州の寺に行かれたのは、「親鸞聖人六百五十回御遠忌法要」の一環として行われたものだと。この法要は、親鸞聖人の遷化(亡くなられたこと)から650年を記念して行われた大規模な法要のこと。このような法要は、親鸞聖人の教えを広めるために全国各地で行われ、多くの信徒が参加した。特に、北陸地方や信州などの地域は、真宗大谷派の信仰が深く根付いている場所であり、重要な巡礼地となっていると解説があった。
お父さんは、この「明治36年7月13日」という日付をしっかり覚えておられた。(続く) (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
3 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.89
「足湯から見える被災地②」
「やる気がなくなった。。」
珠洲の仮設住宅では、「やさしや足湯隊」の学生たちと何度か足湯を提供させていただいてきた。
普段、足湯に来られる方の大半は女性がだが、この日かき氷を提供した事もあり、中高年の男性Uさんが来てくれた。
足湯の常連Mさん(60代女性)は、「女性はお茶会で毎週集まっているけど、こんな風に男性と話す機会はあまりないから、たまにはいいねえ」と嬉しそうだった。
Uさんの自宅も被害を受けたが、自宅の薪のお風呂が使えた事から、震災直後から地域の方たちにお風呂を提供してきたそうだ。
Mさんは、「あの時は寒かったから、温かいお風呂は本当にありがたかったわ。」と振り返る。
Uさんは元々林業関係の仕事をしており、3年前に樹上で枝打ちをしている際に切った枝が足に当たって骨折したそうで、その傷口を見せて笑いながら話してくれた。
そんな明るいUさんが、この日「仮設に入ってから、まったくやる気がなくなった」とつぶやいていた。
入居前は、自宅の片付けや薪風呂の整備など色々な事をやろうと思っていたそうだが、仮設住宅に入ってから、緊張の糸が切れたのか、やる気がでなくなったという。震災後から地域のために奔走し続けてきた人たちは、仮設に入って落ち着いたものの、現実を突きつけられ、息切れをしているようき見えた。
仮設住宅には、元々、地域で顔見知りの方だけではなく、他の地域から来た人もいる。
8か月を経た今、狭い仮設住宅での息苦しさ、先の見えない不安などのストレスを抱えた人たち同士の微妙な人間関係が見え隠れしている。(吉椿) ... See MoreSee Less
5 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.88
「足湯から見える被災地①」
「3回も突き返されたの・・・」
町野町(輪島市)の仮設住宅で暮らす女性(70代)が足湯の際にこう語った。
その女性のご主人は、漆職人で自宅は全壊し、少し離れた山沿いの仕事場も被害を受けたという。
全壊した自宅が隣に倒れ掛かっていて危険な事から、二日前に自宅の緊急解体が始まったそうだ。この女性は、この日解体業者に呼ばれて「やっと過去帳や香典帳や貴重な書籍が取り出せたの。」という。
石川県は、被災した中小企業や小規模事業者の再建をサポートするための「なりわい再建支援補助金」という制度を設けており、工場などの施設や機械などの設備の復旧費用が最大3/4が補助されるが、
この女性が言うには、「仕事場の40年前の電器の値段や建てた際の諸々の証明者などとにかく昔の細かい書類がたくさん必要で、そんなん無理やわ。。」と頭を悩ましている。
その後も、文章がおかしいから書き直してと言われ、これまでに3回突き返されて未だ申請書を受理してもらえていない。
「なりわい補助金に応募してくださいって言うから応募したのに、全然通らない。伝統工芸なのに。。」とうなだれる。
仮に数十年前の書類があったとしても、全壊した自宅からどうのように探し出すのか。制度があっても非常に使いづらいと感じている被災者の現実を見せつけられた。(吉椿) ... See MoreSee Less
6 days ago
CODEに新しいインターン生の安福瑞希さんが入りました!
CODEは未来基金を通じて次世代を担う若者たちを応援します。
これからよろしくお願いします!
以下はインターン生の自己紹介文です。
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こんにちは!9月からCODEの学生インターンとして活動させていただいている安福瑞希(やすふくみずき)です。
CODEに関わるようになったきっかけは、能登半島地震での「やさしや足湯隊」で活動に参加したことです。被災された方と足湯を通して1対1でお話しする中で、足湯の意義や被災地の課題を見つけることが出来ました。そして最前線で活動するCODEでもっと身近に関わり、NGOについて知りたいと思い、この度インターンとして活動することになりました。
今後はただ活動に参加する立場ではない運営側としてNGOの役割を勉強、視野を広げ、一人でも多くの方の力になれるように頑張りたいと思います。
また、今までは興味がなかった海外の活動にも少しずつ挑戦していきたいと思います。
これからよろしくお願いします!
(神戸学院大学現代社会学部社会防災学科3年生 安福瑞希)
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CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-574-0702
e-mail:info@code-jp.org
☆救援募金にご協力下さい
郵便振替:00930-0-330579
加入者名:CODE
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(例:「CODE未来基金」)
*募金全体の25%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます。
*クレジットカードをご利用の方は下記ページからご寄付いただけます。
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(携帯ではエラーが生じる場合がございます。その際はコンピューターからアクセスいただくようお願いします。) ... See MoreSee Less
6 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.86
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える-3
前号で「本来の寺の役割について考えてみれば、特に能登の場合は寺と暮らしを切り離すことはできない。」と書きました。2007年の能登半島地震の時に、輪島市門前町の寺の檀家さんが言われた言葉を思い出します。「私のところの家の修復より、とにかく早く寺の再建をして下さい」とおっしゃったのです。この方のお家も半壊くらいの被害を受けているのです。都会では、寺との関係がともすれば疎遠になってきているだけに、びっくりしました。
また、同年穴水の寺では地震後すぐに住職が、50軒の檀家さん宅に1軒あたり5万円のお見舞金を配られました。まだ、穴水町から見舞金など出ていない段階でした。 そして、今回の地震後、偶然お出会いした輪島市町野町金蔵という集落での話です。この集落には、寺が5カ寺あり、うち4カ寺は浄土真宗大谷派の寺です。区長さんがおっしゃるには、「昔は、この大谷派の寺では“講”という集まりがあり、その時には大人数が集まります。その時には皆さんに食事を出します。そのためには寺の坊守さん(住職の奥さん)の陣頭指揮のもと、料理がつくられます。今でも“料理長”がいます。その坊守さんが集落の女性に、講の時に各家庭から提供してもらう、食料についての調理法を指導されます。その経験から、各家庭の料理というものに技が継がれていくのです」とのこと。
このようにして、日々の暮らしの中心には寺の存在があるようです。能登半島では、輪島の白米千枚田や稲作を守る田の神様を祀る「あえのこと」、各地の祭り、揚げ浜式製塩の塩づくりなど、各々の人々の営みが「世界農業遺産」に選ばれています。寺も、その景観もさることながら、見事な建築物としての風格は見逃せないものがあるでしょう。でも、忘れてはならないのは、世界農業遺産に選ばれているのは、寺と人との関係、営みが選ばれているのです。金蔵の区長さんは「寺の影響を受けた日常の生活、農作業の取り組み方、人々の歴史も世界農業遺産に認定されたきっかけの一つになっているのです」と。 石川県小松市にある廃寺となった「西圓寺」は、地域と一体となり再活用されています。寺の本堂などほとんどの部分が、そのままの原型を残すようにリフォームされ、銭湯やカフェ、ジムなどが併設されています。本堂はレストランに改造して、地域の住民が気軽に出入りし、そのレストランを地域の福祉施設に通う方たちのデイサービスの場にもなっていて、障害を持つ人たちが介護者と共に、地域住民はもちろん一般の利用者とも、同じ空間で食事をしているのです。まさに寺が、地域丸ごとコミュニティの場になっているのです。 やはり今回の地震で大きな被害になったことから、もとのような立派な寺構えが必要なのかは、この機に考えなければならないことだと思います。(了) (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.85
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える-2
前号NO84に続いて、復興基金と寺の再建についてです。恥ずかしながら私も知らなかったのですが、前号で紹介した津久井進弁護士から提供して頂いた資料によると、阪神・淡路大震災の例があったのです。それは「平成7年の阪神・淡路大震災では,兵庫県と神戸市が起債して『復興基金』を創設した。運営主体は,県や市ではなく,新たに『公益財団法人阪神・淡路大震災復興基金』を立ち上げ,この財団が事業を遂行した。この復興基金の行った事業メニューのうちの一つに『歴史的建造物等修理費補助』がある。文化財に指定されていない建造物であっても,歴史的に価値あるものと認められる場合には,修理費を50%補助するというものである。補助が行われた建造物の内訳を見ると,西宮市の浄橋寺庫裏・書院の修復保全,西宮神社六英堂の修復保全,芦屋市の如来寺十三重石塔の修復,芦屋神社本殿屋根,坪殿の壁の補修,八幡神社鳥居の修復工事など,宗教的施設を対象としたものも少なくなかった」という事例です。また東日本大震災での事例は、「名取市の墓地復旧のケースである。名取市生活経済部クリーン対策課は,津波で破壊された墓地の撤去作業を瓦礫撤去として扱い全額公費で処理したのである。さらに墓石は一時保管し,引き取り手がなかった墓石は破砕をして砂利化し,申し込みのあった寺院の嵩上げに使用した」と。
そして、今回のように「地域コミュニティ施設等再建支援事業」としては、「平成16年の新潟県中越地震,平成19年の新潟県中越沖地震でそれぞれ事例がある。
ハードルは、前号でも書いたが市町がコミュニティ施設として認定するかどうかだ。でも、本来の寺の役割について考えてみれば、特に能登の場合は寺と暮らしを切り離すことはできない。ある集落では、今回の地震直後に集会所に約100名の人が避難していたが、普段から集落にある寺の行事のために集会所に常備していた大釜を使って、慣れた手つきで炊き出しをして、数日を過ごしたという話もある。能登に多い浄土真宗の寺には“講”があり、そのために寺には定期的に住民が集まっていた。今でいう“居場所”とも言える。今では、全国各地に宗教に関係なく“講”というコミュニティを維持しているところもある。そう考えると寺は地域の人たちが集まる“居場所”でもあり、暮らしと切り離せないのである。これからは、寺の広い敷地も活用し、多目的で、ユニークな使い方を工夫されることに期待したいですね。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.84
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える
先日、北国新聞に「寺社再建に最大1200万円」「復興基金で県補助」という記事がでた(2024・8・23)。私は、早くから「寺社再建のために復興基金を置くこと」を寺社関係者数名に提案してきた。この記事を目にした時、「やっと実現したか!」という思いだった。
提案した時には、阪神・淡路大震災よりお世話になっている津久井進弁護士に、「過去の災害時における関連の事例があった筈ですが、資料はありませんか?確か『寺門興隆』という宗教雑誌に東日本の事例を書いておられましたよね?」と尋ねてみた。先生は即返事を下さり、その関連資料をデータで送って下さった。先述したように私の提案と共に、この先生から頂戴した資料もつけて、関係者に配布した。なんと『寺門興隆』に投稿された資料のみならず、その後2012年11月10日に京都大学において第65回宗教法学会が「大規模自然災害と宗教法の課題」と題して開催された時に、津久井先生が「被災宗教施設の再建と政教分離」というタイトルでまとめれた、東日本大震災時の事例だけではなく、阪神・淡路大震災の時の事例も加えた貴重な資料を提供して下さった。
さて、今回の能登半島地震では実に多くの神社仏閣が被害を受けた。私は、昨年5月に起きた「奥能登地震」後に、建築士と何度か珠洲市に足を運んだ。そのときにも何カ寺かの損傷した寺も見てきた。元日に起きた今回の地震後も珠洲を訪問した時には、珠洲市正院町にある3カ寺が相互にもたれかかるように崩れていたのを目の当たりにし、強い衝撃を受けた。そのうちの1カ寺の住職さんにお会いできたので、少し話を聞いた。「昨年の地震で本堂の床下に大きな損傷があり、檀家さんたちによってやつと修復したばかりの、今回の地震です。もう再建は諦めました。廃業します。」と住職はがっかりされていた。檀家寺の場合は、檀家さんも各々が被害を受けているので、寺の再建のために再建費用を捻出するのは厳しい。よって、こうして「廃業」を決意される寺院もあるでしょうが、寺の場合は修復するとしても数千万~1億、2億とかかるような事例もあるので、再建はなかなか厳しいものがある。
ただ、今回の地震被害に遭って、「今までのような大きな寺は要らないでしょう。ただ、先祖代々から受け継いだものですから‥・・・?」と逡巡されている住職も少なくないのです。中でも、檀家寺ではなく、祈祷寺の場合はもっと厳しい現実です。ある寺の住職は、「今度建て替えるとすれば、小さなもので十分です。本来、寺というのは、地域にとってどういうものかをあらためて考えなければならないでしょう。」と、迷うことなくきっぱり言っておられた。
実は、表記の復興基金を使ってというのは条件があって、「各市町が、“地域のコミュニティ施設”として認定されば」という仕組みなのです。もともと寺というのは、昔は寺子屋、診療所、駆け込み寺など、地域のコミュニティ施設としての役割もあった筈です。人口減によって、それもままならない事態になっているのが現実です。そうした現状でも寺を“居場所”として使っているケースもある。今回をきっかけに、大きな覚悟と決断が求められるような気がします。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。 *私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.83
—自主避難所から、自立避難所へ―21 (輪島市金蔵編―4)
先日8月18日に、輪島市町野町金蔵で4度目の足湯を実施した。いつも午後にするのだが、今回は午前10時から開始した。でもこれまで最多の9人が来てくださった。
女性陣はいつもの顔ぶれで、名前はわからないがだいたい“何者なのか?”が見えてきた。。区長さんの奥さん、おばあちゃんの世話をしている方、東京に住んだことがある方、いつもコーラや水、アイスコーヒーを振る舞ってくれる方、金蔵で一番大きな寺の料理長をされている方‥‥などなど。その中で、「味を占めて、また来ちゃいました」と言って参加して下さった方がおられる。「味を占めて・・・」という表現が、足湯がよっぽど気持ちよかったのか、足湯をきっかけに集落内の方が集まり、いろいろな話をすることが楽しみということなのか‥・・・わかりませんが、どちらにしろ足が足湯をしている集会所に向くということは嬉しい。また、ボランティアにご自分で育てたブルーベリーを持たせて下った方もいて、その方はいろいろ畑で野菜を栽培されている。栽培のノウハウをボランティアにあれこれ話して下さっていた。
今回は、区長さんの他に一人の男性が参加して下さり、足湯が終わったあとも少し残っておられたので、傍にいって話を聞かせて貰った。話をしているうちに、話の内容が奥深く、仙人のようなオーラを醸し出していたので、「あっ、もしかしてこの方があのIさんかも・・・」と思い、話の途中で「失礼ですが、もしかして金蔵学校の校長さんをされておられるIさんですか‥‥?」と尋ねたところ、笑っているけれど、どこか寂しそうに「金蔵学校は、今は休校だけどね」と、やはりIさんだった。ゆっくり、ゆっくり、一つひとつの話題を丁寧に話して下さった。全く無駄のない話し方で、私は凄く得をしたような気分になった。
実は、このIさんは金蔵学校の校長さんでもありますが、前金蔵の区長さんでもあった方です。(ちなみに前々年度の区長は、現区長のお父さん)
NPO法人「やすらぎの里 金蔵学校」は、「あなたが先生、私が生徒」「私が先生、あなたが生徒」をスローガンにいろいろな活動をされてきた。「みずからががむしゃらに行動することで、多くの人が協力してくれるようになってきました。」と資料を紐解くと、当時の思いを語っているIさんの存在が光る。
以前にも本レポートで触れたが、ここ金蔵には「総がかり」という言葉があり、「金蔵区規約」の基本理念にも掲げられている。この基本理念には「金蔵区民は、将来の集落に対して責任を持つ」ことを念頭に、『総掛り』という制度の下、最大限の奉仕により、将来の集落の姿を見ようという努力を怠ってはならない。」と書かれてある。
草刈り、ため池の管理、田の圃場整備、万燈会など寺や神社の行事、地区の多彩な催しなどなど、なんでも地区住民の「総がかり」で取り組むということ。能登半島全体が、世界農業遺産に選ばれているが、この金蔵の地区の在り様、総掛りで取り組む“人の営み”がその遺産を維持しているという特徴がある。人の営みというのは、日々の暮らしのことでもある。
この15日には正願寺の境内で800本のローソクを立て、復興”の文字を灯し、“万燈会”を開いた。Iさんは、来年の万燈会はこれまで支援をして下さった多くの方が集まり、昔のように3000本を灯したいと言っておられた。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.82
—自主避難所から、自立避難所へ―20(穴水・下唐川編―1)
8月17日に石川県穴水町の下唐川仮設団地で「夏フェス祭り」が開催され、第16次足湯隊に同行し参加させて頂きました。この仮設団地には「石川モデル」という6戸の戸建ての仮設住宅があります。みなし仮設に住む被災者がこの石川モデルには、いわゆる仮設から仮設への移動が可能になるというスタイルです。その上でこの6戸は災害史上初という「永住型仮設」あるいは「ふるさと回帰型仮設」といわれていて、2年間の仮設住宅の期限がくれば、その後は公営住宅として払い下げるというものです。過去にも同様のシステムの仮設事例はあったのですが、「戸建て」というのが初めてなのです。
よく識者などから指摘される「仮設住宅建設には1戸当たり1千万円をかかるなら、最初から公営住宅を建てれば、随分コストカットになるはずだ」と指摘はありました。でも、やっとここまでできるようになったかと、評価できるところでもあります。
ただ、欲をいえば、ここまでできるならば「公費解体をしたあとの自宅の敷地に、戸建ての永住型仮設を建設すればいいじゃないか!?」と切に望むところです。石川県は、今回素晴らしい「復興ビジョン」を発表されたのだから、一気に先の提案まで施策を進めて欲しいものだ。
元日の発災以来、一時孤立した小さな集落を回っていますが、中には生まれ育った集落に仮設団地も建たない、公営住宅の話もないという集落も少なくないのです。海岸隆起・地滑り地帯・液状化など、地質的に「土地がない」という現状も分かりますが、私が訪問して知りえた情報では,公営住宅が必要な戸数は、今のところだいたいが10戸から30戸前後なのです。(それ以上もあるかも知れませんが…)
これなら智恵を絞れば不可能ではない気がしますが‥‥難しいのでしょうか?
下唐川団地のが「ふるさと回帰型」ともいっています。17日に開催された夏祭りには、「お盆」という時節だからでしょうが、幼子を連れた若いご夫婦が多いのにびっくりしました。
加代等区長さんに聞けば「結構、仮設の人だけではなく、在宅被災者の関係者も多かったのですよ!」とおっしゃっていました。名古屋から来られたキッチンカーでは、空揚げ・たこやき・ポテトなど100食を用意されました。私たちも戴きましたが、すべて捌けたようです。まさに、ひと時だったかも…ですが、“ふるさと回帰”の夏祭りでした。穴水は“星の町穴水”と有名ですが、この夜は満月で、「あまり明るいと星が奇麗に見えないかも‥‥」と区長さんが空を見上げていました。お疲れ様でした!!
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.81
—自主避難所から、自立避難所へ―19(珠洲市馬緤編―1)
先日13日には、珠洲市馬緤町で50年続いた「砂取節まつり」が無事終つたとFBで紹介されていた。実は、昨年の開催を最後にこの祭りは一度終止符が打たれていた。しかし、今年の元日に能登半島地震が起きた。住民の中から「こんな時こそ祭りをやって元気になろう」と声があがり、復活したそうだ。この祭りは、珠洲市の外浦で特に有名な「天然の塩田」の歴史が基になっている祭りだそうだ。実行委員長のNさんも、「こんな時だからこそ、元気を出す場が必要。今年は地域の人たち、支えてくれたボランティアの人たちとの絆を深める『シン・砂取節祭り』として開きたい」と開催前に話していた。地震後は、自主避難所として開設した「珠洲市自然休養村センター」で暮らしていたが、一時は二次避難所に行かれた人も少なくない。(地震前は70世帯約140人)
実は、以前このセンターを訪ねて行き、足湯をしませんか?と訪問したことがある。その後、あらためて足湯の交渉をした時には、丁度51年目になる祭りを8月13日に行うので、その時に足湯をしませんかというお言葉を頂いた。しかし、「この暑い夏で、しかも屋外の祭りを囲む屋台の一画で足湯をしても、誰も参加しないよ!という声が多かったので中止となったのだ。足湯はまた涼しくなってからしましょうと、仕切り直しになった。
ただ、大谷町と高屋町に挟まれたここ「馬緤町」は、どこか気になる存在だった。それは、この避難所の世話をしているNさんの控えめで、夢を語るように復興のことを語る話しぶりが、魅力に感じたからかも知れない。「この馬緤では仮設住宅は建たない。穴水町に完成した“永住型仮設”のようなものが建てられないのかなぁ・・・?」恨めしそうに、控えめにつぶやいた。7月末に3度目の訪問をした時には、同センターの隣の空き地では、「黄色いハンカチ」が靡いていた。「えっ、これ幸せの黄色いハンカチ?」って聞いたら、「ニコ!」っと笑った。「故郷を離れた住民がいつか戻ってこられるように」との願いだ。一緒に行った大学生たちに、「知ってる高倉健と倍賞千恵子の幸せの黄色いハンカチって」と嬉しそうに問いかけたが、誰も「‥・・・」知らなかった。そこでNさんは少し映画の解説を始めだした。私は確信した。「ここ、馬緤町では被災者主体の復興がきっと実現するよ!」と。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.80
—自主避難所から、自立避難所へ18
今号は発災後、1月中旬に金沢の2次避難所から粟津温泉の避難所に移り、その後4月に小松市内の「みなし仮設」に入居されたMさん親子宅への訪問レポートです。表記の副題にある「自主避難所から、自立避難所へ」の枠でレポートを流します。
3月末に二次避難所のホテルへ避難しているMさん親子に会いし、その時の様子は本能登地震救援ニュースでもお伝えしました。83歳のMさんは、災害前年の9月に大病に罹り、その上でまた発災後の病気で入院となり、心配していましたがどちらも無事快方に向かい、今は相変わらず大変元気なお顔を拝見しました。地震前に亡くなられた奥さんの墓参りに珠洲に帰られたようで、その時に車の運転免許証の手続きに行かれたとおっしゃったので、てっきり免許証の返還かと思いきや、更新手続きとのこと。「ビックリ!」しました。「こちらでは乗らないけれど、珠洲では乗ってましたよ!穴水まではよく行っていました。」と、何ごともないように笑っていたのが印象的でした。
先日は息子さんの運転で、同じホテルで友達になった輪島の被災者に会うのに、穴水まで行ったともおっしゃっていた。そのついでに穴水の下唐川で「初の永住型仮設6戸入居」と話題になった「石川モデル」の仮設も見てきたと。被災にあった珠洲の家は、液状化もあって再建は難しいとおっしゃったので、「あっ、みなし仮設が終わったあとのことも視野に入れているのだなぁ…」と感心させられました。そういえば災害後の2週間で1・5次避難所への移動、そこから二次避難所のホテルへの移動、そして4月にはみなし仮設への入居と、結構即座に自己決定されていました。まさに、自主避難から、自立避難、そして今後の住いのことなど、見事なまでの“終活”と向き合っておられるのだなぁ…と感心された一刻でした。
ただ、これまでの職歴や地域での担い手としてのお仕事など初めて知り、「なるほど!」と納得するところも少ないないお話でした。
思い起こすに、元日の地震で息子さんが暮らしていた部屋の一部が壊れ、その修理を兼ねてトイレ、風呂などの新たな修理を計画していたところの元日の地震だったのだが、その後の大掛かりな修復では、約500万円の工事だったので‥‥単純に“不幸中の幸い”と言えるかどうかは、これからの判断でしょうか‥‥?
「珠洲に帰りたいですか?」と愚門と分かっていて問いかけたところ、Mさんは「帰りたい!」と絞り出すように言われた。「ここでは磯の香りがしないもの‥‥」「珠洲では、町が管理していた畑もあって、そこでも野菜を栽培していたよ…」と。
石川県が発表した「能登半島復興ビジョン」では、“コンパクトシティ”という構想が透けて見えるが、珠洲で育った人たちには、届かないでしょう。誰もが、元住んでいたところに帰ることができる住まい方を支援して欲しいものです。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→http://ngo-kyodo.org/2024noto/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。 https://congrant.com/project/ngokobe/605
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。 https://donation.yahoo.co.jp/detail/5240008
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島地震」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 month ago
7・25山形・秋田豪雨及び台風5号による
東北豪雨被災者支援にご協力を!!
緊急の支援のお願い!!
去る7月25日、山形県庄内・最上地域を中心に、甚大な豪雨災害が発生しました。遅きに失した感がありますが、これまでの災害時にいつも当NGOをご支援下さってきた「結いのき」共同センター(本部・米沢)が、いち早くタオルを被災地に送るとともに、人材派遣もしています。しかし、人手不足で泥だし・家屋片づけなどの人が足りないということで、悲鳴を上げられています。ところが、当NGOは元日に災害のあった能登半島地震で、能登の拠点はじめ足湯隊の活動などで、スタッフおよび支援ボランティアも能登支援に入っていると事情から、山形の水害被災地への支援体制が構築できず、正直地団駄を踏んでいました。しかし、これまでの被災地支援で補完的コラボを続けてきました山形県米沢に拠点を置く「結いのき共同センター」さんが、山形県戸沢村(50世帯)のボランティアセンターの支援をされているということで、神戸からの人材派遣も検討はしてみましたが、むしろ東北大学や福島大学との協力体制によって、被災地支援体制を組むのは効率はいいだろうと考え、両大学有志の賛同を受け、去る12日に戸沢村に支援に入る準備をしていました。ところが、台風5号が発生し、両大学有志が活動予定をしていた12日が台風のため、戸沢村ボランティアセンターは中止になりました。
こうした経緯のため、戸沢村などの支援が終わらないうちに、台風5号が発生し、岩手県はじめさらに追い打ちをかけるように東北にも被害をもたらしました。この国は災害の多い国とは言え、「支援疲れ」という声も聞こえてきますが、今一度何卒能登半島はじめ被災地に目を向け、ご支援をお願いいたします。なおお手数ですが、郵便振替などのご寄付の場合は、通信欄または空欄に「東北豪雨」と書いてください。 (2024・8・14)
被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/
加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「7・25山形県等豪雨災害」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 month ago
山形・米沢の仲間、「結のき」さんが、豪雨災害支援に取り組んでいます。ご協力お願いいたします。
*************************************
山形県NPO結いのきからの御礼と寄付のお願いです。
山形県の7月25日からの大雨の被害は庄内地区から新庄地区や朝日町までなど17市町村の広い範囲で床下浸水など1400棟になっています。
この災害に際して、NPO結いのきの呼び掛けにたくさんの皆さんからタオルが寄せられました。
本日も戸沢村のボランティアセンターにタオルを運びました。
現地では物資なども今のところ充足しているとのことでした。
これから復興に向けてどのような手を差し伸べていくかを、ニーズや調査の中から浮き彫りにしていきたい存じます。
そこでタオルなどの募集はいったん休止にします。
これからは寄付を募集いたします。
(1)寄付金は被災地からのニーズがある商品や品物を準備する資金とします。
(2)災害ボランティア団体や個人へ活動費の資金として活用をします。
募金は結いのき協同センターにて受け付けております。
募金は協同センターに設置している募金箱、または下記の
いずれかの口座へのお振り込みをお願いいたします。
●山形銀行 米沢支店 普通 3020363
●荘内銀行 米沢中央支店 普通 1086006
●きらやか銀行 米沢支店 普通 1156317
名義はいずれも「特定非営利活動法人結いのき 理事 大友恒則」です
振込手数料は自己負担となりますので、予めご了承ください。
募金(寄附金)にご協力いただいた方には領収書を発行させていただきますので、お名前・ご住所・ご連絡先等の情報をお知らせ願います。
以上よろしくお願いいたします。
詳しくはホームページ「結いのきトピックス」をご覧ください。
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1 month ago
山形県米沢の仲間が、豪雨災害の支援を開始しました。ご支援、ご協力お願いいたします!(吉椿)
高齢者同士や一人暮らしの方々は土砂や洪水の被害の片づけに困っています。全国の皆様に片づけに使用するタオルなどのご協力をお願い申し上げます。😔
詳しくはホームページ「結いのきトピックス」をご覧ください。 ... See MoreSee Less
豪雨被害の山形県民の復興にご協力ください。 | NPO結いのき トピックス
JUGEMテーマ:ボランティア結いのきトピックス 2024年7月31日水曜日緊急取り組みのお願い特定非営利活動法人結いのき緊急取組みのお問い合わせは次にどうぞ。担当 松本 佐藤代表0238−27−0562(結いのき協...2 months ago
「エチオピア南部土砂災害情報」
7月22日、アフリカ東部のエチオピア南部ゴファ県で大雨による地すべりが発生し、229人の方が犠牲になり、14000人以上が被災していると報じられています。(UNOCHA)
地すべりは2回発生しており、1回目の地すべりの後、多くの人達が生き埋めになり、救助作業を行っている時に2回目の地すべりが発生し、被害が拡大したようです。エチオピア赤十字や国連が支援を展開していますが、今後も犠牲者が増えると懸念されています。
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豪雨で地滑り、エチオピアで229人死亡…救助活動難航し犠牲者増える恐れ
【読売新聞】 【ヨハネスブルク=笹子美奈子】ロイター通信によると、東アフリカのエチオピア南部ゴファで21日夜から22日にかけて豪雨による地滑りが発生し、少なくとも229人が死亡した。救助活動は難航して...2 months ago
先日、放送された能登の被災地での足湯ボランティアの様子が、明日再び放送されるそうです。
NHK「列島ニュース」(13:05-13:55)
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2 months ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.78
—自主避難所から、自立避難所へ16
(輪島市町野町金蔵編―3)
6月2日、輪島市の白米千枚田~同市町野町南志見町の海岸まで、外浦線が走れるようになった。これで、町野町の住民は一歩ずつ元の生活リズムに戻りそうだ。しかし、一方で輪島市西保地区の大沢町に行く林道および海岸線が、地すべりや落石のため通行止めになったと翌3日一報が入った。その西隣りにある上大沢、西二又へ行く林道は影響がなかった。
さて、6月10日三度目の金蔵を訪問してきた、この日は私が一人でお伺いしたのだが、区長さんは午前中3時間にわたっていろいろな話をして下さった。特に私が注目したのは、区長さんが「二次避難している住民が、やはり金蔵に戻りたいという人たちがいると思うが、そういう人たちを全員受け入れ、安心して元の金蔵で暮らせるように、生活環境を整えたい」と強く言われたことだ。同じような環境で一時は孤立した集落でも同様の決意を話される区長さんは多い。ただ、金蔵は先に戻ってきている、あるいは発災時に残った10人を含めて、みんなでその環境整備に尽力されていることが伺える。(この“みんなでというのを、金蔵では”総がかり“という。)
そのための第一歩として、一時は古民家を活用した“仮設シェアハウス”を構想された。しかし、この構想は事情があって残念された。代替案としてではないが一気に災害復興公営住宅を集落内に建てようという案が浮上してきた(6月30日付毎日新聞1面と3面)。
実は、東日本大震災後釜石の唐丹という地区では、最初から仮設住宅を建てないで、その代わりどこの地域よりも真っ先に公営住宅を建てると宣言された区長さんがいた。彼が、住民にそのことを伝え、「親戚のところやあるいは民間の住まいを借りるなどの不自由な避難生活かも知れないが、我慢してくれ!その代わりどの被災地よりも一早く、公営住宅を建てて、みなさんが住めるようにするから・・・・」と約束し、そのとおり実現させたという事例がある。
阪神・淡路大震災はじめその後の被災地の最大の課題の一つとして、災害前のコミュニティを壊さず、維持することというのは避難生活をする上での“一丁目一番地”だ。仮設住宅も、公営住宅もそうすべきだ。被災者の不安やストレスを取り除くもっとも効果のある方策であることはいうまでもない。金蔵でも是非実現して欲しいと切に願うところだ。
ところで、先述したように金蔵では昔から“総がかり”という集落の基本精神がある。集落の規約にも記されている。集落のさまざまなイベント、また景観を整備する草刈り、米作のためのため池管理、上下水道工事などなど、要は集落で暮らしていくためのライフラインに不可欠なことは、みんなで助け合って”総がかり“で取り組もうというものだ。例えば、90歳の住民に「草刈りに出て来い」とは言わない。でも、集合時には顔を見せて、「暑いけれど、熱中症に気をつけて、頑張って!」と声をかけるだけでもいいのだと。”総がかり“と言っても個人々の事情を尊重しながらの気遣いが素晴らしいと思えた。
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 months ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.77
自主避難所から、自立避難所へ15(輪島市西保地区上大沢編―5)
6月23日は大雨予報が出されていたので、前日の22日に上大沢を訪ねた。朝9時前に集会所に着き、「おはようございます」と戸を開けたら、T・すさのさん(85)がいた。私の顔を見ると、「また来たの?」というような顔をして迎えてくれた。顔を覚えてくれたんだと嬉しかった。台所の方からもガチャガチャと音がしたので、覗くとK・てる子さん(83)が洗い物をしていた。丁度朝ごはんを食べ終わって片付けをしていたようだ。ここで寝泊まりをして、ここで食事も終える。やがて二人が表に出てきて、それぞれが電動車イスに腰かけていた。「明日は大雨と予報が出ているので、心配ですね!」「今日、金沢(二次避難所)に戻るの。10時半に迎えに来てくれる」。前回11日に会ったところなので、「あれから、ずっといたの?」と聞くと、「長い時は1週間やなぁ?」とてるこさんが、すさのさんに相槌を求めていた。
結局、11日のあと一度金沢に戻って、3日ほどしてまた上大沢に帰って来られたということだ。家の片づけもあるが、集会所で食事をしているので、おそらく男衆のために賄いもしているのだろう。婆さんたちも、何もせずじっとしているより、こうして身体を動かしている方がいいだろうとも思う。前回の足湯の時に、一人の婆さんが「金沢にいても何にもすることがない。嫁が上げ膳据え膳なんでもしてくれる。有難いことや…」と。でも、1週間もこちら(上大沢)にいて集会所で寝泊まりをされている。水が出なくても、話し相手がいるし、やはり住み慣れたここが“居心地がよい”ということだろう。
こうしてしばらく上大沢に帰って来て、またしばらくして「洗濯や掃除もあるし、風呂にも入らな…」って金沢に帰る。実に気楽な感じがする。本レポートNO73の最後で、「婆さんたちの暮らしにも仮はないんだと気づかされる。」と書いたが、やはり婆さんたちの何気ない会話を聞いていると、これが婆ちゃんにとっての暮らしなんだと納得できる。石川県が発表した復興計画案(5月20日発表)には、「ニ地域居住」促進が明記されていた。関係人口とか、交流人口とかで外部からの流入を強化しようということらしい。しかし、この二人の婆さんの会話を聞いていると、本来の「ニ地域居住」というのは、まず被災者が集落で元通り暮らせるようになるまで、このように二次避難所と元の集落を自由に行ったり来たりの生活をサポートするための方策ではないかと理解したが‥・・・。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
*写真提供:清野静香さん ... See MoreSee Less
2 months ago
【NGOことはじめ】
この度、大人気企画の NGO ことはじめを 2 年ぶりに開催いたします!
CODEの理事である村井雅清を講師に、第一部では、そもそも NGO とは?というお話から、
第二部では、阪神・淡路大震災から 30 年を迎えるにあたり、
30年の実践を通して改めて見えてきた NGO のあり方。
そして、2024 年 1 月 1 日に発生した能登半島地震での支援についてお話をしていただきます。
一部、二部終了後には参加者同士でのディスカッションなど、
盛りだくさんの内容となっております。たくさんのご参加をお待ちしております!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■日時:2024 年 7 月 20 日(土)09:30~12:30
■開催場所:CODE 海外災害支援センター事務所(現地開催のみ)
※参加人数に応じて場所を変更する可能性があります。
■講師:村井雅清(CODE理事 被災地NGO恊働センター 顧問)
■内容:第一部 「NGOとは?」
第二部 「能登半島地震の支援を通して NGO の在り方」
第三部 「全体ディスカッション」
■申込は下記URLか、チラシのQRコードから
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdXSZ8GMEm_w21Vi_zxmcRlUJHMGH4mW9PICn1BftCbVHgdwQ/viewform
■ 参加費:一般 1000 円、学生 500 円
■ 主 催:CODE海外災害援助市民センター ... See MoreSee Less
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23 hours ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.91
—自主避難所から、自立避難所へ―23(上大沢編―7)
本レポートNO90に続いて、上大沢でヒアリングをさせて頂いた100歳のお父さんのこと。区長の息子さんは100歳というのだが、ご本人は「99歳、“もうろく歳”」と茶目っ気たっぷりと、自分は耄碌(もうろく)したという。
昔は、漁業も盛んで“海は宝”と言っていたほど。イワシやサバの刺し網漁とワカメや岩ノリの採取も女性の仕事としても命懸けだが、活気があった。以前にもこのレポートの上大沢編でも紹介したが、上大沢の岩ノリは絶品で高価なものだ。
イワシやサバの漁場は、“女郎島”にあったと。この“女郎島”と聞いたときに、以前ばあさんたちと話していた時に、「こっちは姉神さん、(隣の)大沢は妹の神さん」と言っていたのを思い出した。また、上大沢の入り口には“男女滝”という観光スポットがあり、女滝が主流で、男滝が支流と女性が上にあることが新鮮だった。お父さんがいう“女郎島”という表現も関連しているのではないかと思えた。また、上大沢にある日吉神社が姉神様で、大沢にある静浦神社が妹の神様と、どことなく大沢を意識しているようにも見える。お父さんは、風除けのためにある“間垣”についても、私が「大沢にも“間垣の里”とか看板がありましたね。」というと、「大沢は恰好だけや!上大沢の方がちゃんとしてる?毎年新しいのと古いのを入れ替えている。」と自慢げだったのが印象的だった。(了)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.90
—自主避難所から、自立避難所へ―22(上大沢編―6)
去る9月5日、やさしや足湯隊18便で輪島市西保地区上大沢(昔は“カメゾ”と言っていた)に3回目の足湯のため訪問した。ところが、急遽お目当ての元気なばあさんたちは、4日に金沢の二次避難所に帰られたとのこと。事情を区長さんに聞くと、仮設住宅が当たり、9月中旬に引っ越しされるのでは…という話で、引っ越しのための準備に帰られたようだ。
ということで足湯は中止となったのだが、もともとこの日は、区長さんのお父さん(大正13年生まれの100歳)に、この日は昔のことをヒアリングするというスケジュールも入っていたので、予定通り区長さん宅にお邪魔して、お父さんにお話を聞くことができた。
そもそも何故、100歳のお父さんに聞きたいのかというと、この上大沢に魅せられたのは、明治以来、この地震が来る前の年まで、ず~と20世帯を維持しているということだったが、区長にも、ばあさん達に聞いても分からなかったので、100歳の方に聞けば何かヒントがあるのではないかと思ったからだ。しかし、この件は残念ながら歴史的背景があってそうなったわけではなく、お父さん曰く、「20世帯というのが、争いも起こらないし、ちょうどよい塩梅(あんばい)じゃないか」ということだ。以前、ばあさん達にも同じ質問をしたが、やはり同じ応答だった。やっぱり、よい塩梅なんだ。「なるほど!」と納得した。
ところでこのお父さんは、台湾の高雄にある製缶工場で働いていて、一度東京に戻り、その後兵役で戦地へ行っていたそうだ。この上大沢の家は、戦争で兄が亡くなったので、次男のお父さんが継いだと。ヒアリングの中で、何度も「ここが元祖や!」という言葉を聞いたのだが、この家が上大沢で最初の家やという意味らしい。歴代の区長も担ってこられた。「元祖、元祖」と誇らしげだった。もう一つ誇らしげに繰り返し言われたのは、」「明治36年7月13日、東本願寺の本山から元小町(西保地区上山町)の願誓寺に遣いが来たのだと。詳しくは聞き取れなかったのだが、調べてみるとそれは、-明治36年(1903年)7月13日に、真宗大谷派の本山東本願寺から親鸞聖人のメッセージを持って北陸能登地方の信州の寺に行かれたのは、「親鸞聖人六百五十回御遠忌法要」の一環として行われたものだと。この法要は、親鸞聖人の遷化(亡くなられたこと)から650年を記念して行われた大規模な法要のこと。このような法要は、親鸞聖人の教えを広めるために全国各地で行われ、多くの信徒が参加した。特に、北陸地方や信州などの地域は、真宗大谷派の信仰が深く根付いている場所であり、重要な巡礼地となっていると解説があった。
お父さんは、この「明治36年7月13日」という日付をしっかり覚えておられた。(続く) (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
3 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.89
「足湯から見える被災地②」
「やる気がなくなった。。」
珠洲の仮設住宅では、「やさしや足湯隊」の学生たちと何度か足湯を提供させていただいてきた。
普段、足湯に来られる方の大半は女性がだが、この日かき氷を提供した事もあり、中高年の男性Uさんが来てくれた。
足湯の常連Mさん(60代女性)は、「女性はお茶会で毎週集まっているけど、こんな風に男性と話す機会はあまりないから、たまにはいいねえ」と嬉しそうだった。
Uさんの自宅も被害を受けたが、自宅の薪のお風呂が使えた事から、震災直後から地域の方たちにお風呂を提供してきたそうだ。
Mさんは、「あの時は寒かったから、温かいお風呂は本当にありがたかったわ。」と振り返る。
Uさんは元々林業関係の仕事をしており、3年前に樹上で枝打ちをしている際に切った枝が足に当たって骨折したそうで、その傷口を見せて笑いながら話してくれた。
そんな明るいUさんが、この日「仮設に入ってから、まったくやる気がなくなった」とつぶやいていた。
入居前は、自宅の片付けや薪風呂の整備など色々な事をやろうと思っていたそうだが、仮設住宅に入ってから、緊張の糸が切れたのか、やる気がでなくなったという。震災後から地域のために奔走し続けてきた人たちは、仮設に入って落ち着いたものの、現実を突きつけられ、息切れをしているようき見えた。
仮設住宅には、元々、地域で顔見知りの方だけではなく、他の地域から来た人もいる。
8か月を経た今、狭い仮設住宅での息苦しさ、先の見えない不安などのストレスを抱えた人たち同士の微妙な人間関係が見え隠れしている。(吉椿) ... See MoreSee Less
5 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.88
「足湯から見える被災地①」
「3回も突き返されたの・・・」
町野町(輪島市)の仮設住宅で暮らす女性(70代)が足湯の際にこう語った。
その女性のご主人は、漆職人で自宅は全壊し、少し離れた山沿いの仕事場も被害を受けたという。
全壊した自宅が隣に倒れ掛かっていて危険な事から、二日前に自宅の緊急解体が始まったそうだ。この女性は、この日解体業者に呼ばれて「やっと過去帳や香典帳や貴重な書籍が取り出せたの。」という。
石川県は、被災した中小企業や小規模事業者の再建をサポートするための「なりわい再建支援補助金」という制度を設けており、工場などの施設や機械などの設備の復旧費用が最大3/4が補助されるが、
この女性が言うには、「仕事場の40年前の電器の値段や建てた際の諸々の証明者などとにかく昔の細かい書類がたくさん必要で、そんなん無理やわ。。」と頭を悩ましている。
その後も、文章がおかしいから書き直してと言われ、これまでに3回突き返されて未だ申請書を受理してもらえていない。
「なりわい補助金に応募してくださいって言うから応募したのに、全然通らない。伝統工芸なのに。。」とうなだれる。
仮に数十年前の書類があったとしても、全壊した自宅からどうのように探し出すのか。制度があっても非常に使いづらいと感じている被災者の現実を見せつけられた。(吉椿) ... See MoreSee Less
6 days ago
CODEに新しいインターン生の安福瑞希さんが入りました!
CODEは未来基金を通じて次世代を担う若者たちを応援します。
これからよろしくお願いします!
以下はインターン生の自己紹介文です。
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こんにちは!9月からCODEの学生インターンとして活動させていただいている安福瑞希(やすふくみずき)です。
CODEに関わるようになったきっかけは、能登半島地震での「やさしや足湯隊」で活動に参加したことです。被災された方と足湯を通して1対1でお話しする中で、足湯の意義や被災地の課題を見つけることが出来ました。そして最前線で活動するCODEでもっと身近に関わり、NGOについて知りたいと思い、この度インターンとして活動することになりました。
今後はただ活動に参加する立場ではない運営側としてNGOの役割を勉強、視野を広げ、一人でも多くの方の力になれるように頑張りたいと思います。
また、今までは興味がなかった海外の活動にも少しずつ挑戦していきたいと思います。
これからよろしくお願いします!
(神戸学院大学現代社会学部社会防災学科3年生 安福瑞希)
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CODE海外災害援助市民センター
〒652-0801 神戸市兵庫区中道通 2-1-10
tel +81(0)78-578-7744 fax +81(0)78-574-0702
e-mail:info@code-jp.org
☆救援募金にご協力下さい
郵便振替:00930-0-330579
加入者名:CODE
*通信欄に支援先を明記してください。
(例:「CODE未来基金」)
*募金全体の25%を上限として事務局運営・管理費に充てさせていただきます。
*クレジットカードをご利用の方は下記ページからご寄付いただけます。
code-jp.org/donation/
(携帯ではエラーが生じる場合がございます。その際はコンピューターからアクセスいただくようお願いします。) ... See MoreSee Less
6 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.86
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える-3
前号で「本来の寺の役割について考えてみれば、特に能登の場合は寺と暮らしを切り離すことはできない。」と書きました。2007年の能登半島地震の時に、輪島市門前町の寺の檀家さんが言われた言葉を思い出します。「私のところの家の修復より、とにかく早く寺の再建をして下さい」とおっしゃったのです。この方のお家も半壊くらいの被害を受けているのです。都会では、寺との関係がともすれば疎遠になってきているだけに、びっくりしました。
また、同年穴水の寺では地震後すぐに住職が、50軒の檀家さん宅に1軒あたり5万円のお見舞金を配られました。まだ、穴水町から見舞金など出ていない段階でした。 そして、今回の地震後、偶然お出会いした輪島市町野町金蔵という集落での話です。この集落には、寺が5カ寺あり、うち4カ寺は浄土真宗大谷派の寺です。区長さんがおっしゃるには、「昔は、この大谷派の寺では“講”という集まりがあり、その時には大人数が集まります。その時には皆さんに食事を出します。そのためには寺の坊守さん(住職の奥さん)の陣頭指揮のもと、料理がつくられます。今でも“料理長”がいます。その坊守さんが集落の女性に、講の時に各家庭から提供してもらう、食料についての調理法を指導されます。その経験から、各家庭の料理というものに技が継がれていくのです」とのこと。
このようにして、日々の暮らしの中心には寺の存在があるようです。能登半島では、輪島の白米千枚田や稲作を守る田の神様を祀る「あえのこと」、各地の祭り、揚げ浜式製塩の塩づくりなど、各々の人々の営みが「世界農業遺産」に選ばれています。寺も、その景観もさることながら、見事な建築物としての風格は見逃せないものがあるでしょう。でも、忘れてはならないのは、世界農業遺産に選ばれているのは、寺と人との関係、営みが選ばれているのです。金蔵の区長さんは「寺の影響を受けた日常の生活、農作業の取り組み方、人々の歴史も世界農業遺産に認定されたきっかけの一つになっているのです」と。 石川県小松市にある廃寺となった「西圓寺」は、地域と一体となり再活用されています。寺の本堂などほとんどの部分が、そのままの原型を残すようにリフォームされ、銭湯やカフェ、ジムなどが併設されています。本堂はレストランに改造して、地域の住民が気軽に出入りし、そのレストランを地域の福祉施設に通う方たちのデイサービスの場にもなっていて、障害を持つ人たちが介護者と共に、地域住民はもちろん一般の利用者とも、同じ空間で食事をしているのです。まさに寺が、地域丸ごとコミュニティの場になっているのです。 やはり今回の地震で大きな被害になったことから、もとのような立派な寺構えが必要なのかは、この機に考えなければならないことだと思います。(了) (被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.85
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える-2
前号NO84に続いて、復興基金と寺の再建についてです。恥ずかしながら私も知らなかったのですが、前号で紹介した津久井進弁護士から提供して頂いた資料によると、阪神・淡路大震災の例があったのです。それは「平成7年の阪神・淡路大震災では,兵庫県と神戸市が起債して『復興基金』を創設した。運営主体は,県や市ではなく,新たに『公益財団法人阪神・淡路大震災復興基金』を立ち上げ,この財団が事業を遂行した。この復興基金の行った事業メニューのうちの一つに『歴史的建造物等修理費補助』がある。文化財に指定されていない建造物であっても,歴史的に価値あるものと認められる場合には,修理費を50%補助するというものである。補助が行われた建造物の内訳を見ると,西宮市の浄橋寺庫裏・書院の修復保全,西宮神社六英堂の修復保全,芦屋市の如来寺十三重石塔の修復,芦屋神社本殿屋根,坪殿の壁の補修,八幡神社鳥居の修復工事など,宗教的施設を対象としたものも少なくなかった」という事例です。また東日本大震災での事例は、「名取市の墓地復旧のケースである。名取市生活経済部クリーン対策課は,津波で破壊された墓地の撤去作業を瓦礫撤去として扱い全額公費で処理したのである。さらに墓石は一時保管し,引き取り手がなかった墓石は破砕をして砂利化し,申し込みのあった寺院の嵩上げに使用した」と。
そして、今回のように「地域コミュニティ施設等再建支援事業」としては、「平成16年の新潟県中越地震,平成19年の新潟県中越沖地震でそれぞれ事例がある。
ハードルは、前号でも書いたが市町がコミュニティ施設として認定するかどうかだ。でも、本来の寺の役割について考えてみれば、特に能登の場合は寺と暮らしを切り離すことはできない。ある集落では、今回の地震直後に集会所に約100名の人が避難していたが、普段から集落にある寺の行事のために集会所に常備していた大釜を使って、慣れた手つきで炊き出しをして、数日を過ごしたという話もある。能登に多い浄土真宗の寺には“講”があり、そのために寺には定期的に住民が集まっていた。今でいう“居場所”とも言える。今では、全国各地に宗教に関係なく“講”というコミュニティを維持しているところもある。そう考えると寺は地域の人たちが集まる“居場所”でもあり、暮らしと切り離せないのである。これからは、寺の広い敷地も活用し、多目的で、ユニークな使い方を工夫されることに期待したいですね。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.84
地域おける今後の復興拠点としての寺院の在り方を考える
先日、北国新聞に「寺社再建に最大1200万円」「復興基金で県補助」という記事がでた(2024・8・23)。私は、早くから「寺社再建のために復興基金を置くこと」を寺社関係者数名に提案してきた。この記事を目にした時、「やっと実現したか!」という思いだった。
提案した時には、阪神・淡路大震災よりお世話になっている津久井進弁護士に、「過去の災害時における関連の事例があった筈ですが、資料はありませんか?確か『寺門興隆』という宗教雑誌に東日本の事例を書いておられましたよね?」と尋ねてみた。先生は即返事を下さり、その関連資料をデータで送って下さった。先述したように私の提案と共に、この先生から頂戴した資料もつけて、関係者に配布した。なんと『寺門興隆』に投稿された資料のみならず、その後2012年11月10日に京都大学において第65回宗教法学会が「大規模自然災害と宗教法の課題」と題して開催された時に、津久井先生が「被災宗教施設の再建と政教分離」というタイトルでまとめれた、東日本大震災時の事例だけではなく、阪神・淡路大震災の時の事例も加えた貴重な資料を提供して下さった。
さて、今回の能登半島地震では実に多くの神社仏閣が被害を受けた。私は、昨年5月に起きた「奥能登地震」後に、建築士と何度か珠洲市に足を運んだ。そのときにも何カ寺かの損傷した寺も見てきた。元日に起きた今回の地震後も珠洲を訪問した時には、珠洲市正院町にある3カ寺が相互にもたれかかるように崩れていたのを目の当たりにし、強い衝撃を受けた。そのうちの1カ寺の住職さんにお会いできたので、少し話を聞いた。「昨年の地震で本堂の床下に大きな損傷があり、檀家さんたちによってやつと修復したばかりの、今回の地震です。もう再建は諦めました。廃業します。」と住職はがっかりされていた。檀家寺の場合は、檀家さんも各々が被害を受けているので、寺の再建のために再建費用を捻出するのは厳しい。よって、こうして「廃業」を決意される寺院もあるでしょうが、寺の場合は修復するとしても数千万~1億、2億とかかるような事例もあるので、再建はなかなか厳しいものがある。
ただ、今回の地震被害に遭って、「今までのような大きな寺は要らないでしょう。ただ、先祖代々から受け継いだものですから‥・・・?」と逡巡されている住職も少なくないのです。中でも、檀家寺ではなく、祈祷寺の場合はもっと厳しい現実です。ある寺の住職は、「今度建て替えるとすれば、小さなもので十分です。本来、寺というのは、地域にとってどういうものかをあらためて考えなければならないでしょう。」と、迷うことなくきっぱり言っておられた。
実は、表記の復興基金を使ってというのは条件があって、「各市町が、“地域のコミュニティ施設”として認定されば」という仕組みなのです。もともと寺というのは、昔は寺子屋、診療所、駆け込み寺など、地域のコミュニティ施設としての役割もあった筈です。人口減によって、それもままならない事態になっているのが現実です。そうした現状でも寺を“居場所”として使っているケースもある。今回をきっかけに、大きな覚悟と決断が求められるような気がします。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
*私たちの活動は、日本財団「災害発生前後の初動期に関する支援活動」助成を頂き活動しています。
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。 *私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。
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2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.83
—自主避難所から、自立避難所へ―21 (輪島市金蔵編―4)
先日8月18日に、輪島市町野町金蔵で4度目の足湯を実施した。いつも午後にするのだが、今回は午前10時から開始した。でもこれまで最多の9人が来てくださった。
女性陣はいつもの顔ぶれで、名前はわからないがだいたい“何者なのか?”が見えてきた。。区長さんの奥さん、おばあちゃんの世話をしている方、東京に住んだことがある方、いつもコーラや水、アイスコーヒーを振る舞ってくれる方、金蔵で一番大きな寺の料理長をされている方‥‥などなど。その中で、「味を占めて、また来ちゃいました」と言って参加して下さった方がおられる。「味を占めて・・・」という表現が、足湯がよっぽど気持ちよかったのか、足湯をきっかけに集落内の方が集まり、いろいろな話をすることが楽しみということなのか‥・・・わかりませんが、どちらにしろ足が足湯をしている集会所に向くということは嬉しい。また、ボランティアにご自分で育てたブルーベリーを持たせて下った方もいて、その方はいろいろ畑で野菜を栽培されている。栽培のノウハウをボランティアにあれこれ話して下さっていた。
今回は、区長さんの他に一人の男性が参加して下さり、足湯が終わったあとも少し残っておられたので、傍にいって話を聞かせて貰った。話をしているうちに、話の内容が奥深く、仙人のようなオーラを醸し出していたので、「あっ、もしかしてこの方があのIさんかも・・・」と思い、話の途中で「失礼ですが、もしかして金蔵学校の校長さんをされておられるIさんですか‥‥?」と尋ねたところ、笑っているけれど、どこか寂しそうに「金蔵学校は、今は休校だけどね」と、やはりIさんだった。ゆっくり、ゆっくり、一つひとつの話題を丁寧に話して下さった。全く無駄のない話し方で、私は凄く得をしたような気分になった。
実は、このIさんは金蔵学校の校長さんでもありますが、前金蔵の区長さんでもあった方です。(ちなみに前々年度の区長は、現区長のお父さん)
NPO法人「やすらぎの里 金蔵学校」は、「あなたが先生、私が生徒」「私が先生、あなたが生徒」をスローガンにいろいろな活動をされてきた。「みずからががむしゃらに行動することで、多くの人が協力してくれるようになってきました。」と資料を紐解くと、当時の思いを語っているIさんの存在が光る。
以前にも本レポートで触れたが、ここ金蔵には「総がかり」という言葉があり、「金蔵区規約」の基本理念にも掲げられている。この基本理念には「金蔵区民は、将来の集落に対して責任を持つ」ことを念頭に、『総掛り』という制度の下、最大限の奉仕により、将来の集落の姿を見ようという努力を怠ってはならない。」と書かれてある。
草刈り、ため池の管理、田の圃場整備、万燈会など寺や神社の行事、地区の多彩な催しなどなど、なんでも地区住民の「総がかり」で取り組むということ。能登半島全体が、世界農業遺産に選ばれているが、この金蔵の地区の在り様、総掛りで取り組む“人の営み”がその遺産を維持しているという特徴がある。人の営みというのは、日々の暮らしのことでもある。
この15日には正願寺の境内で800本のローソクを立て、復興”の文字を灯し、“万燈会”を開いた。Iさんは、来年の万燈会はこれまで支援をして下さった多くの方が集まり、昔のように3000本を灯したいと言っておられた。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.82
—自主避難所から、自立避難所へ―20(穴水・下唐川編―1)
8月17日に石川県穴水町の下唐川仮設団地で「夏フェス祭り」が開催され、第16次足湯隊に同行し参加させて頂きました。この仮設団地には「石川モデル」という6戸の戸建ての仮設住宅があります。みなし仮設に住む被災者がこの石川モデルには、いわゆる仮設から仮設への移動が可能になるというスタイルです。その上でこの6戸は災害史上初という「永住型仮設」あるいは「ふるさと回帰型仮設」といわれていて、2年間の仮設住宅の期限がくれば、その後は公営住宅として払い下げるというものです。過去にも同様のシステムの仮設事例はあったのですが、「戸建て」というのが初めてなのです。
よく識者などから指摘される「仮設住宅建設には1戸当たり1千万円をかかるなら、最初から公営住宅を建てれば、随分コストカットになるはずだ」と指摘はありました。でも、やっとここまでできるようになったかと、評価できるところでもあります。
ただ、欲をいえば、ここまでできるならば「公費解体をしたあとの自宅の敷地に、戸建ての永住型仮設を建設すればいいじゃないか!?」と切に望むところです。石川県は、今回素晴らしい「復興ビジョン」を発表されたのだから、一気に先の提案まで施策を進めて欲しいものだ。
元日の発災以来、一時孤立した小さな集落を回っていますが、中には生まれ育った集落に仮設団地も建たない、公営住宅の話もないという集落も少なくないのです。海岸隆起・地滑り地帯・液状化など、地質的に「土地がない」という現状も分かりますが、私が訪問して知りえた情報では,公営住宅が必要な戸数は、今のところだいたいが10戸から30戸前後なのです。(それ以上もあるかも知れませんが…)
これなら智恵を絞れば不可能ではない気がしますが‥‥難しいのでしょうか?
下唐川団地のが「ふるさと回帰型」ともいっています。17日に開催された夏祭りには、「お盆」という時節だからでしょうが、幼子を連れた若いご夫婦が多いのにびっくりしました。
加代等区長さんに聞けば「結構、仮設の人だけではなく、在宅被災者の関係者も多かったのですよ!」とおっしゃっていました。名古屋から来られたキッチンカーでは、空揚げ・たこやき・ポテトなど100食を用意されました。私たちも戴きましたが、すべて捌けたようです。まさに、ひと時だったかも…ですが、“ふるさと回帰”の夏祭りでした。穴水は“星の町穴水”と有名ですが、この夜は満月で、「あまり明るいと星が奇麗に見えないかも‥‥」と区長さんが空を見上げていました。お疲れ様でした!!
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.81
—自主避難所から、自立避難所へ―19(珠洲市馬緤編―1)
先日13日には、珠洲市馬緤町で50年続いた「砂取節まつり」が無事終つたとFBで紹介されていた。実は、昨年の開催を最後にこの祭りは一度終止符が打たれていた。しかし、今年の元日に能登半島地震が起きた。住民の中から「こんな時こそ祭りをやって元気になろう」と声があがり、復活したそうだ。この祭りは、珠洲市の外浦で特に有名な「天然の塩田」の歴史が基になっている祭りだそうだ。実行委員長のNさんも、「こんな時だからこそ、元気を出す場が必要。今年は地域の人たち、支えてくれたボランティアの人たちとの絆を深める『シン・砂取節祭り』として開きたい」と開催前に話していた。地震後は、自主避難所として開設した「珠洲市自然休養村センター」で暮らしていたが、一時は二次避難所に行かれた人も少なくない。(地震前は70世帯約140人)
実は、以前このセンターを訪ねて行き、足湯をしませんか?と訪問したことがある。その後、あらためて足湯の交渉をした時には、丁度51年目になる祭りを8月13日に行うので、その時に足湯をしませんかというお言葉を頂いた。しかし、「この暑い夏で、しかも屋外の祭りを囲む屋台の一画で足湯をしても、誰も参加しないよ!という声が多かったので中止となったのだ。足湯はまた涼しくなってからしましょうと、仕切り直しになった。
ただ、大谷町と高屋町に挟まれたここ「馬緤町」は、どこか気になる存在だった。それは、この避難所の世話をしているNさんの控えめで、夢を語るように復興のことを語る話しぶりが、魅力に感じたからかも知れない。「この馬緤では仮設住宅は建たない。穴水町に完成した“永住型仮設”のようなものが建てられないのかなぁ・・・?」恨めしそうに、控えめにつぶやいた。7月末に3度目の訪問をした時には、同センターの隣の空き地では、「黄色いハンカチ」が靡いていた。「えっ、これ幸せの黄色いハンカチ?」って聞いたら、「ニコ!」っと笑った。「故郷を離れた住民がいつか戻ってこられるように」との願いだ。一緒に行った大学生たちに、「知ってる高倉健と倍賞千恵子の幸せの黄色いハンカチって」と嬉しそうに問いかけたが、誰も「‥・・・」知らなかった。そこでNさんは少し映画の解説を始めだした。私は確信した。「ここ、馬緤町では被災者主体の復興がきっと実現するよ!」と。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.80
—自主避難所から、自立避難所へ18
今号は発災後、1月中旬に金沢の2次避難所から粟津温泉の避難所に移り、その後4月に小松市内の「みなし仮設」に入居されたMさん親子宅への訪問レポートです。表記の副題にある「自主避難所から、自立避難所へ」の枠でレポートを流します。
3月末に二次避難所のホテルへ避難しているMさん親子に会いし、その時の様子は本能登地震救援ニュースでもお伝えしました。83歳のMさんは、災害前年の9月に大病に罹り、その上でまた発災後の病気で入院となり、心配していましたがどちらも無事快方に向かい、今は相変わらず大変元気なお顔を拝見しました。地震前に亡くなられた奥さんの墓参りに珠洲に帰られたようで、その時に車の運転免許証の手続きに行かれたとおっしゃったので、てっきり免許証の返還かと思いきや、更新手続きとのこと。「ビックリ!」しました。「こちらでは乗らないけれど、珠洲では乗ってましたよ!穴水まではよく行っていました。」と、何ごともないように笑っていたのが印象的でした。
先日は息子さんの運転で、同じホテルで友達になった輪島の被災者に会うのに、穴水まで行ったともおっしゃっていた。そのついでに穴水の下唐川で「初の永住型仮設6戸入居」と話題になった「石川モデル」の仮設も見てきたと。被災にあった珠洲の家は、液状化もあって再建は難しいとおっしゃったので、「あっ、みなし仮設が終わったあとのことも視野に入れているのだなぁ…」と感心させられました。そういえば災害後の2週間で1・5次避難所への移動、そこから二次避難所のホテルへの移動、そして4月にはみなし仮設への入居と、結構即座に自己決定されていました。まさに、自主避難から、自立避難、そして今後の住いのことなど、見事なまでの“終活”と向き合っておられるのだなぁ…と感心された一刻でした。
ただ、これまでの職歴や地域での担い手としてのお仕事など初めて知り、「なるほど!」と納得するところも少ないないお話でした。
思い起こすに、元日の地震で息子さんが暮らしていた部屋の一部が壊れ、その修理を兼ねてトイレ、風呂などの新たな修理を計画していたところの元日の地震だったのだが、その後の大掛かりな修復では、約500万円の工事だったので‥‥単純に“不幸中の幸い”と言えるかどうかは、これからの判断でしょうか‥‥?
「珠洲に帰りたいですか?」と愚門と分かっていて問いかけたところ、Mさんは「帰りたい!」と絞り出すように言われた。「ここでは磯の香りがしないもの‥‥」「珠洲では、町が管理していた畑もあって、そこでも野菜を栽培していたよ…」と。
石川県が発表した「能登半島復興ビジョン」では、“コンパクトシティ”という構想が透けて見えるが、珠洲で育った人たちには、届かないでしょう。誰もが、元住んでいたところに帰ることができる住まい方を支援して欲しいものです。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
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www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
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1 month ago
7・25山形・秋田豪雨及び台風5号による
東北豪雨被災者支援にご協力を!!
緊急の支援のお願い!!
去る7月25日、山形県庄内・最上地域を中心に、甚大な豪雨災害が発生しました。遅きに失した感がありますが、これまでの災害時にいつも当NGOをご支援下さってきた「結いのき」共同センター(本部・米沢)が、いち早くタオルを被災地に送るとともに、人材派遣もしています。しかし、人手不足で泥だし・家屋片づけなどの人が足りないということで、悲鳴を上げられています。ところが、当NGOは元日に災害のあった能登半島地震で、能登の拠点はじめ足湯隊の活動などで、スタッフおよび支援ボランティアも能登支援に入っていると事情から、山形の水害被災地への支援体制が構築できず、正直地団駄を踏んでいました。しかし、これまでの被災地支援で補完的コラボを続けてきました山形県米沢に拠点を置く「結いのき共同センター」さんが、山形県戸沢村(50世帯)のボランティアセンターの支援をされているということで、神戸からの人材派遣も検討はしてみましたが、むしろ東北大学や福島大学との協力体制によって、被災地支援体制を組むのは効率はいいだろうと考え、両大学有志の賛同を受け、去る12日に戸沢村に支援に入る準備をしていました。ところが、台風5号が発生し、両大学有志が活動予定をしていた12日が台風のため、戸沢村ボランティアセンターは中止になりました。
こうした経緯のため、戸沢村などの支援が終わらないうちに、台風5号が発生し、岩手県はじめさらに追い打ちをかけるように東北にも被害をもたらしました。この国は災害の多い国とは言え、「支援疲れ」という声も聞こえてきますが、今一度何卒能登半島はじめ被災地に目を向け、ご支援をお願いいたします。なおお手数ですが、郵便振替などのご寄付の場合は、通信欄または空欄に「東北豪雨」と書いてください。 (2024・8・14)
被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/
加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556
名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「7・25山形県等豪雨災害」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 month ago
山形・米沢の仲間、「結のき」さんが、豪雨災害支援に取り組んでいます。ご協力お願いいたします。
*************************************
山形県NPO結いのきからの御礼と寄付のお願いです。
山形県の7月25日からの大雨の被害は庄内地区から新庄地区や朝日町までなど17市町村の広い範囲で床下浸水など1400棟になっています。
この災害に際して、NPO結いのきの呼び掛けにたくさんの皆さんからタオルが寄せられました。
本日も戸沢村のボランティアセンターにタオルを運びました。
現地では物資なども今のところ充足しているとのことでした。
これから復興に向けてどのような手を差し伸べていくかを、ニーズや調査の中から浮き彫りにしていきたい存じます。
そこでタオルなどの募集はいったん休止にします。
これからは寄付を募集いたします。
(1)寄付金は被災地からのニーズがある商品や品物を準備する資金とします。
(2)災害ボランティア団体や個人へ活動費の資金として活用をします。
募金は結いのき協同センターにて受け付けております。
募金は協同センターに設置している募金箱、または下記の
いずれかの口座へのお振り込みをお願いいたします。
●山形銀行 米沢支店 普通 3020363
●荘内銀行 米沢中央支店 普通 1086006
●きらやか銀行 米沢支店 普通 1156317
名義はいずれも「特定非営利活動法人結いのき 理事 大友恒則」です
振込手数料は自己負担となりますので、予めご了承ください。
募金(寄附金)にご協力いただいた方には領収書を発行させていただきますので、お名前・ご住所・ご連絡先等の情報をお知らせ願います。
以上よろしくお願いいたします。
詳しくはホームページ「結いのきトピックス」をご覧ください。
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1 month ago
山形県米沢の仲間が、豪雨災害の支援を開始しました。ご支援、ご協力お願いいたします!(吉椿)
高齢者同士や一人暮らしの方々は土砂や洪水の被害の片づけに困っています。全国の皆様に片づけに使用するタオルなどのご協力をお願い申し上げます。😔
詳しくはホームページ「結いのきトピックス」をご覧ください。 ... See MoreSee Less
豪雨被害の山形県民の復興にご協力ください。 | NPO結いのき トピックス
JUGEMテーマ:ボランティア結いのきトピックス 2024年7月31日水曜日緊急取り組みのお願い特定非営利活動法人結いのき緊急取組みのお問い合わせは次にどうぞ。担当 松本 佐藤代表0238−27−0562(結いのき協...2 months ago
「エチオピア南部土砂災害情報」
7月22日、アフリカ東部のエチオピア南部ゴファ県で大雨による地すべりが発生し、229人の方が犠牲になり、14000人以上が被災していると報じられています。(UNOCHA)
地すべりは2回発生しており、1回目の地すべりの後、多くの人達が生き埋めになり、救助作業を行っている時に2回目の地すべりが発生し、被害が拡大したようです。エチオピア赤十字や国連が支援を展開していますが、今後も犠牲者が増えると懸念されています。
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豪雨で地滑り、エチオピアで229人死亡…救助活動難航し犠牲者増える恐れ
【読売新聞】 【ヨハネスブルク=笹子美奈子】ロイター通信によると、東アフリカのエチオピア南部ゴファで21日夜から22日にかけて豪雨による地滑りが発生し、少なくとも229人が死亡した。救助活動は難航して...2 months ago
先日、放送された能登の被災地での足湯ボランティアの様子が、明日再び放送されるそうです。
NHK「列島ニュース」(13:05-13:55)
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2 months ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.78
—自主避難所から、自立避難所へ16
(輪島市町野町金蔵編―3)
6月2日、輪島市の白米千枚田~同市町野町南志見町の海岸まで、外浦線が走れるようになった。これで、町野町の住民は一歩ずつ元の生活リズムに戻りそうだ。しかし、一方で輪島市西保地区の大沢町に行く林道および海岸線が、地すべりや落石のため通行止めになったと翌3日一報が入った。その西隣りにある上大沢、西二又へ行く林道は影響がなかった。
さて、6月10日三度目の金蔵を訪問してきた、この日は私が一人でお伺いしたのだが、区長さんは午前中3時間にわたっていろいろな話をして下さった。特に私が注目したのは、区長さんが「二次避難している住民が、やはり金蔵に戻りたいという人たちがいると思うが、そういう人たちを全員受け入れ、安心して元の金蔵で暮らせるように、生活環境を整えたい」と強く言われたことだ。同じような環境で一時は孤立した集落でも同様の決意を話される区長さんは多い。ただ、金蔵は先に戻ってきている、あるいは発災時に残った10人を含めて、みんなでその環境整備に尽力されていることが伺える。(この“みんなでというのを、金蔵では”総がかり“という。)
そのための第一歩として、一時は古民家を活用した“仮設シェアハウス”を構想された。しかし、この構想は事情があって残念された。代替案としてではないが一気に災害復興公営住宅を集落内に建てようという案が浮上してきた(6月30日付毎日新聞1面と3面)。
実は、東日本大震災後釜石の唐丹という地区では、最初から仮設住宅を建てないで、その代わりどこの地域よりも真っ先に公営住宅を建てると宣言された区長さんがいた。彼が、住民にそのことを伝え、「親戚のところやあるいは民間の住まいを借りるなどの不自由な避難生活かも知れないが、我慢してくれ!その代わりどの被災地よりも一早く、公営住宅を建てて、みなさんが住めるようにするから・・・・」と約束し、そのとおり実現させたという事例がある。
阪神・淡路大震災はじめその後の被災地の最大の課題の一つとして、災害前のコミュニティを壊さず、維持することというのは避難生活をする上での“一丁目一番地”だ。仮設住宅も、公営住宅もそうすべきだ。被災者の不安やストレスを取り除くもっとも効果のある方策であることはいうまでもない。金蔵でも是非実現して欲しいと切に願うところだ。
ところで、先述したように金蔵では昔から“総がかり”という集落の基本精神がある。集落の規約にも記されている。集落のさまざまなイベント、また景観を整備する草刈り、米作のためのため池管理、上下水道工事などなど、要は集落で暮らしていくためのライフラインに不可欠なことは、みんなで助け合って”総がかり“で取り組もうというものだ。例えば、90歳の住民に「草刈りに出て来い」とは言わない。でも、集合時には顔を見せて、「暑いけれど、熱中症に気をつけて、頑張って!」と声をかけるだけでもいいのだと。”総がかり“と言っても個人々の事情を尊重しながらの気遣いが素晴らしいと思えた。
(被災地NGO恊働センター 顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
2 months ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島地震救援ニュース」No.77
自主避難所から、自立避難所へ15(輪島市西保地区上大沢編―5)
6月23日は大雨予報が出されていたので、前日の22日に上大沢を訪ねた。朝9時前に集会所に着き、「おはようございます」と戸を開けたら、T・すさのさん(85)がいた。私の顔を見ると、「また来たの?」というような顔をして迎えてくれた。顔を覚えてくれたんだと嬉しかった。台所の方からもガチャガチャと音がしたので、覗くとK・てる子さん(83)が洗い物をしていた。丁度朝ごはんを食べ終わって片付けをしていたようだ。ここで寝泊まりをして、ここで食事も終える。やがて二人が表に出てきて、それぞれが電動車イスに腰かけていた。「明日は大雨と予報が出ているので、心配ですね!」「今日、金沢(二次避難所)に戻るの。10時半に迎えに来てくれる」。前回11日に会ったところなので、「あれから、ずっといたの?」と聞くと、「長い時は1週間やなぁ?」とてるこさんが、すさのさんに相槌を求めていた。
結局、11日のあと一度金沢に戻って、3日ほどしてまた上大沢に帰って来られたということだ。家の片づけもあるが、集会所で食事をしているので、おそらく男衆のために賄いもしているのだろう。婆さんたちも、何もせずじっとしているより、こうして身体を動かしている方がいいだろうとも思う。前回の足湯の時に、一人の婆さんが「金沢にいても何にもすることがない。嫁が上げ膳据え膳なんでもしてくれる。有難いことや…」と。でも、1週間もこちら(上大沢)にいて集会所で寝泊まりをされている。水が出なくても、話し相手がいるし、やはり住み慣れたここが“居心地がよい”ということだろう。
こうしてしばらく上大沢に帰って来て、またしばらくして「洗濯や掃除もあるし、風呂にも入らな…」って金沢に帰る。実に気楽な感じがする。本レポートNO73の最後で、「婆さんたちの暮らしにも仮はないんだと気づかされる。」と書いたが、やはり婆さんたちの何気ない会話を聞いていると、これが婆ちゃんにとっての暮らしなんだと納得できる。石川県が発表した復興計画案(5月20日発表)には、「ニ地域居住」促進が明記されていた。関係人口とか、交流人口とかで外部からの流入を強化しようということらしい。しかし、この二人の婆さんの会話を聞いていると、本来の「ニ地域居住」というのは、まず被災者が集落で元通り暮らせるようになるまで、このように二次避難所と元の集落を自由に行ったり来たりの生活をサポートするための方策ではないかと理解したが‥・・・。
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清)
*写真提供:清野静香さん ... See MoreSee Less
2 months ago
【NGOことはじめ】
この度、大人気企画の NGO ことはじめを 2 年ぶりに開催いたします!
CODEの理事である村井雅清を講師に、第一部では、そもそも NGO とは?というお話から、
第二部では、阪神・淡路大震災から 30 年を迎えるにあたり、
30年の実践を通して改めて見えてきた NGO のあり方。
そして、2024 年 1 月 1 日に発生した能登半島地震での支援についてお話をしていただきます。
一部、二部終了後には参加者同士でのディスカッションなど、
盛りだくさんの内容となっております。たくさんのご参加をお待ちしております!
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■日時:2024 年 7 月 20 日(土)09:30~12:30
■開催場所:CODE 海外災害支援センター事務所(現地開催のみ)
※参加人数に応じて場所を変更する可能性があります。
■講師:村井雅清(CODE理事 被災地NGO恊働センター 顧問)
■内容:第一部 「NGOとは?」
第二部 「能登半島地震の支援を通して NGO の在り方」
第三部 「全体ディスカッション」
■申込は下記URLか、チラシのQRコードから
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdXSZ8GMEm_w21Vi_zxmcRlUJHMGH4mW9PICn1BftCbVHgdwQ/viewform
■ 参加費:一般 1000 円、学生 500 円
■ 主 催:CODE海外災害援助市民センター ... See MoreSee Less