ウクライナの皆さんといちご狩りをしました

5月7日ゴールデンウイーク最終日に、ウクライナ避難民の皆さんと、姫路にあるミロク農園でいちご狩りを行いました。
山田さん、ボランティア皆さん、ご支援ご協力ありがとうございました。
活動の様子と参加した学生の感想を報告します。

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参加したウクライナ避難民のLさんは、取材で「戦争の厳しい状況の中、ほんのひと時楽しい時間を過ごすことができました」と述べてくれた。
(山村太一)

雨が降る中のいちご狩りでしたが、参加してくださったウクライナの方々は「たくさん食べたよ!」と嬉しそうに苺のへたの入ったコップを見せてくださいました。美味しいピザとカレーライスの後は、お互いにウクライナと日本の歌を歌ったり、ウクライナの踊りをしたりと、楽しみながら文化交流をしました。
ウクライナの愛国歌である「赤いカリーナは草原に」を歌っている際は、彼女らの力強い歌ごえに、場が一つになってそれぞれのウクライナへの思いを胸にすることができたように思います。その後、日本の方々からもウクライナ料理や今の生活についての質問があったりと、交流を通じて身近にいる避難している方々について知ってもらう良い機会になりました。
(島村優希)

    

「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート④

4月18日火曜日にウクライナ人のLさんとCODEスタッフ山村が農業体験をしました。この活動が始まったきっかけは、Lさんが「ウクライナでは畑が身近にあったのに、神戸は都会でそのような場所が近くにないのが寂しい」という一言でした。去年の11月からこの活動はスタートしており、今回は須磨区の飛松中学校の畑と森の管理をしている「とびまつ森の会」の皆様のご協力のもと農業体験をさせていただきました。活動の様子と参加した感想を報告します。

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今回の農業体験では、まず小松菜の収穫をし、インゲン豆、ほうれん草も収穫しました。青々と綺麗な色をしており、インゲン豆の収穫は初体験でした。その後、とびまつの森に入り、畑の畝づくりもしました。畝づくりは、農業において地味で体力的にも苦しくあまり楽しくはない作業です。しかし、この作業がこれからの野菜作りの土台となり、とても重要な工程であると学びました。また、畝づくりを実際にしたことがなく、牛糞や堆肥、いわしの肥料をどのように使うのか間近で見ることができました。最後に、人参の間引き作業をして農業体験は終了しました。Lさんも、「自然に関わることが好きで、とても楽しかった」と言っていました。とびまつ森の会の方たちと日本の農業とウクライナの農業の違いや共通点も話し合っており、双方にとっても学びが多い農業体験ができたと考えています。(山村太一)

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MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。
ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。
ご寄付はこちらから。
https://code-jp.org/donation/

No.39-ウクライナ編 27「トルコ、災害、そして戦争」

昨年4月にウクライナ・ジトーミルから6歳の娘Zちゃんと母子二人で避難して来たVさん。トルコから帰国した後訪ねると、被災地の事を気にしていて「トルコはどう?」と声をかけてくれる。その流れで以下の会話。
Yoshi「トルコではビルがたくさん倒壊していたよ。」
Vさん「日本のこの建物は大丈夫かしら。ウクライナには地震がないから、どう逃げたらいいか分からないわ。」
Yoshi「そうだよね。一度地震が起きた時の避難行動をレクチャーしないとね。日本人の中には、すぐに逃げれる様に服を着たまま寝る人もいるんだよ。」
Vさん「それなら私もウクライナでずっとそうだったわよ。」と。
いつ爆撃に遭うか分からない状況で命からがら逃げて来た人たちは、戦争と災害を重ね合わせるように災害大国、日本で今も暮らしている。この人たちが祖国に帰られる日は一体いつ来るのだろう。
(吉椿)

救援募金にご協力下さい。
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(例:「ウクライナ、やさい」)

No.38-ウクライナ編 26「他を想う」

トルコから帰国して、2週間ぶりのやさい便の配達。いつも笑顔でおうちに招き入れてくれるLさん(リヴィウ出身)。
今日も笑顔で「どうぞ。しごとでした。よしさんは、げんきですか?」と少し上達した日本語で話しかけてくれます。
「日本語上手くなったね」というと、手を振って、「いえいえ、にほんごむずかしい~」と笑います。
「明日で1年だね」と言うと、少し真面目な顔になって「あしたのつどいにきてね」といいます。当然行くよ、今準備してる事を伝えて帰ろうとすると「トルコ、たいへんだったね。どうだった?」と聴いてくれました。トルコの惨状を伝えたら、悲しそうな顔をしていました。
ウクライナの故郷とトルコの被災地を重ね合わせたんだと思いました。自分たちも厳しい状況でありながらも、他を想う。いつも教えられています。
(吉椿)

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「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート③

元CODE理事の村上忠孝さんのご協力で、11月から西区の畑でウクライナ人のLさんとCODE学生スタッフが毎週農業体験をさせて頂いています。1月3日には、LさんとCODEスタッフ山村が、21日にはT君(Oさんのお孫さん)も参加しました。
T君はその日が初参加で、畑に着いた途端にそれまで乗っていたベビーカーからおりて、とても嬉しそうに畑を走り回っていたようです。
育てている野菜も順調に成長しています!
活動の様子と参加したスタッフの感想をご紹介します。(植田)

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1月3日火曜日と1月21日土曜日、私はLさんと共に農業体験をさせてもらいました。毎回、この農業体験では元「CODE海外災害援助市民センター」理事の村上さんの畑のお手伝いをしています。
お手伝いの内容は、その日により変わり、1月3日は、里芋の収穫を、1月21日は、Lさんのお孫さんも参加して一緒に農業体験をしました。私自身も里芋を収穫したことがなく、貴重な経験ができました。また、ウクライナには里芋がないことも発見し、里芋の調理の仕方も一緒に勉強しました。日本人にとっては、馴染み深い里芋ですが、世界規模で見た時には、珍しい芋のようです。里芋を収穫した後は、焚き火をしながらお昼ご飯を食べ、前回植えたビーツや小松菜、水菜にお水をやり終了しました。ビーツも、しっかりと芽が出ており、新緑が美しくパワーを感じました。この農業体験で感じることは、自然と共に生きることの贅沢さです。どうしても神戸の都会の方にいると、普段ガス以外の火を見る機会もないし、土に触れることもありません。
しかし、この農業体験では、いつも土に触れ、焚き火で今採った野菜でお昼ご飯を食べ、自然の中で生きていることを実感します。なかなか言葉で、この感覚を説明するのは難しいのですが、とにかく気持ちがスッと晴れる感覚が僕にはあります。「アーシング」という言葉があるように、大地に触れることで、電気的に大地とつながり、体表電気を体外に放出し、身体の電気を安定させることができているのではないかと考えます。
(山村太一)

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「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート②

元CODE理事の村上忠孝さんのご協力で、11月から西区の畑でウクライナ人のLさんとCODE学生スタッフが毎週農業体験をさせて頂いています。
きっかけは、Lさんの「ウクライナでは畑が身近にあったのに、神戸は都会でそのような場所が近くにないのが寂しい。」というひと言でした。
活動の様子と参加したスタッフの感想をご紹介します。この日はLさん、CODEスタッフの山村が参加しました。(植田)

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これまで「農業と国際協力」や「丹波での農業フィールドワーク」、「食育プロジェクト」を通して、農業と国際協力の関係性や人と人との繋がりの基本に農業があることは体験し知り感じていました。それを、今回Lさんと一緒に農業をすることによって、自分自身も体験し改めて確認することができました。また、農業の奥深さも改めて感じました。行った農作業としては、ビーツの種を植えるという至ってシンプルなことだが、植え方一つ、土一つに意味があり、なぜこの土を使うのか、なざ、わざと間引くのか、なぜ水は池から引いてきたものを使うのか、常に「なぜ」がつきまとう時間でした。この「なぜ」を考えることが非常に大切で、「なぜ」から見えてくる食料自給率の課題、環境問題、農薬の安全性、慣行の農業などがあり、種一つ植えるのに様々な要素が関わり合っているのだと感じました。
(山村太一)

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「土に触れ、ウクライナを想う。」農業体験レポート①

元CODE理事の村上忠孝さんのご協力で、先月から西区の畑でウクライナ人のLさんとCODE学生スタッフが毎週農業体験をさせて頂いています。
きっかけは、Lさんの「ウクライナでは畑が身近にあったのに、神戸は都会でそのような場所が近くにないのが寂しい。」というひと言でした。
今日から、活動の様子をご紹介していきます。

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この日はLさん、吉椿、植田が参加し、黒豆とサツマイモの収穫作業を二時間ほど行いました。黒豆を枝からもぎ取る作業を、村上さんから農業にまつわる様々なお話を伺いながら行いました。サツマイモ掘りでは、人の顔ほどの大きさのサツマイモが沢山収穫でき、Lさんも驚かれていました。Lさんは体を動かし、村上さんのお話を聞いているうちに、「さらに日本の農業に興味を持った」とおっしゃっていました。やはり大規模で農薬も多く使われるウクライナの農業と、日本の農業の間には大きな違いがあるようです。また、MOTTAINAI野菜便の野菜を食べたことで野菜のおいしさを実感しているようで、有機農法等の野菜の作り方についてもっと勉強したいとも話されていました。この日に収穫した作物は、MOTTAINAI野菜便として各ご家庭に送られました。
(植田)

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No.37-ウクライナ編 25

学生インターンの島村優希です。

前回に引き続き、MOTTAINAIやさい便をお届けしているSさんご一家へのインタビュー内容をお伝えします。

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「ウクライナがほしいのは平和だけ。でも負けることではない。勝利による平和。」

Sさんには、三人の娘と一人の息子がいて、長女はボーイフレンドと共にウクライナに残っています。故郷に残っている娘さんはマスクを提供するボランティアをされています。私が娘さんとどのように連絡を取っているか伺うと、

「もちろん毎日電話している。彼女は大丈夫って言うんだけど….日本でもアラートは見れて、彼女がシェルターに入っているか確認できるから、チェックしている。ウクライナは今団結している。お互いを助け合うから、私たちの軍隊は強くて勇敢だ。後ろで支えるボランティアの存在が本当に重要。」と仰っていて、故郷に残る娘を強く心配をすると共に、彼女が国のために活動をしていることへの誇りが感じられました。また、お話を伺った際で既にクレメンチュークの気温は1度以下であるのに、娘さんが電力不足で冷蔵庫さえ使えない状況にある、と心配した表情で伝えて下さいました。

Sさん一家が日本に来られてからは、言語の違いや手続きなどで困惑したことが多々あったみたいですが、兵庫県の多くの支援団体や人々から支援を受けることができたそうです。Sさんは日本に対して、「私達が言いたいことは、『本当に日本に感謝している』ということ。多くのサポートや何でも受け入れてくれて、感謝している。また、数日前にウクライナのために戦って亡くなった日本人の兵士にも感謝している。彼は命という一番大きなものを差し出した。私はこれに本当に感謝している、他の多くの外国兵を含めて。」と仰っていました。

また、MOTTAINAI野菜便に関連して料理の話をしている際に、Sさんは故郷の家を思い出し、「私たちはここも愛せる家にしようとしている、ここにも家が必要だから。私は毎日を生きたい。」と伝えられました。

最後に、戦争に対してのSさんとVさん(Sさん母)の思いです。

Sさん「ウクライナがほしいのは平和だけ。でも負けることではない。勝利による平和。」

Vさん「子供たちは平和な場所で生活しなければいけない。ウクライナに勝利を。」

ウクライナ東部の奪還が進んだ地域もある一方で、お話にあったように、ウクライナの気温が益々下がる中、電力不足の未だ厳しい状況は刻々と続いています。ご家族や友人の多くがウクライナに残る避難民の方は、日本での新たな生活をやりくりしながら、遠く離れた故郷に残った大切な人々の心配をして、日本からできる支援をされています。では私達一人一人ができることは何なのでしょうか。この記事を読んで、もう一度しっかりと考えてみて頂けると幸いです。

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MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。
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Sさんと娘さん

No.36-ウクライナ編 24

学生インターンの島村優希です。

先日、MOTTAINAIやさい便をお届けしているSさんご一家にインタビューを行いました。振る舞って下さったボルシチとヴィネグレットをいただきながら、Sさん、旦那さん、娘さん、Sさんのお母さんが日本に来るまでの道のりや故郷の様子などを話して下さいました。今回は2回に分けて、そのインタビュー内容をお送りします。

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「私たちは何も間違ったことをしていないのに、朝起きたら始まっていた。」

Sさんご一家の故郷はクレメンチュークで、ルーマニアに車で4日間かけて避難された後、日本には6月頃に来られました。

Sさんと旦那さんのMさんはその際のことを思い出しながら、

「多くの道路がチェックポイントで閉じられていたんだ。最初の夜は、私たちは床で寝た。とても寒くて雪が降っていた。次の晩は教会に泊まれたからましだった、彼らは避難する人を受け入れる準備が整っていた。もし食べ物がほしければ、もらうこともできた。その後は、2つのガソリンスタンドに行ったけど、私たちは5時間も待たないといけなくて、ガソリンは10Lに制限されていた。国境では16時間も待って、車の中で寝た。気温は-5度だった。私達は普通の車を使っていたから、いつ車が壊れるか分からなかった、検閲所を避けるために田舎の粗い道を通っていたからね。もしかしたら車が止まったときにミサイルに打たれたかもしれなかった。もっと恐ろしかったのは誰がウクライナ人でだれがロシア人か分からなかったということ。私たちの車には『子供が中にいる』というサインを張っていた。けど、ロシア人は気にしない。私たちが故郷を去る二日前、何人かの子供達がロシアに撃たれた。避難している間、何人かのボランティアがスープを提供していた。あと、息子には喘息があって、治療の機械で呼吸をするのに電気が必要だったが、手に入れることができなかった。」と、実際の写真と共に語って下さいました。

また、お話を聞いている最中も更新されつづけているウクライナの避難指示アラームを見ながら、Sさんは家の地下の避難場所を思い出し、

「家の下にはサウナがあって、戦争が起きてから、地下のシェルターに変えた。いつも私たちはアラームがなると一日の内に何回も地下に避難した。私たちの長女が今それを使っている。2月24日に使い始めたことを覚えている。私たちは何も間違ったことをしていないのに、起きたら始まっていた。正直に言うと、ロシアとウクライナは兄弟みたいなものだし、一つの大きなコミュニティだと思っていたから信じていなかった。」と語られました。

自分と同じように、何気ない日常を過ごしていた方々が、ある朝突然の戦争の始まりによって、それまでの日常には戻れなくなってしまったということが実際にお話を聞く中でまじまじと感じられたと共に、この悲惨な状況に対して自分の出来ることは何だろうと改めて考えさせられました。インタビューの始めに、私が「伝えたくないことは言わなくても大丈夫ですよ」と言った際、「知ろうとしてくれてありがとう」「もっと知ってもらいたいから話したい」とSさんとMさん(旦那さん)は何度も仰っていました。今ウクライナから避難されている方々はそれぞれに全く異なる背景とストーリーがあります。また、他地域からの難民の方でも同様です。私達が出来ることの一つは、その話一つ一つに耳を傾け、このような経験をされた避難者が身近にいるということ、それは世界のどこか遠い場所で起きている出来事ではないのだということをまずは知り、その上で自分に出来る支援の形を見つけることではないかと思います。

次回は、Sさんの故郷の現状について、伝えます。

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頂いたヴィネグレットサラダ(ビーツやじゃがいもを使ったサラダ)

No.35-ウクライナ編23「学生インターンの感想」

MOTTAINAIやさい便の学生ボランティア兼CODEインターン、植田隆誠さん(関西学院大学)は、先日、僕たちと共にウクライナのご家族に野菜を一緒に届け、ウクライナの方々からお話しを聴く事ができました。植田さんの感想を紹介します。(吉椿)

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先日、MOTTAINAIやさい便の活動を行った。私にとってこれが初めての活動だったので、ウクライナの方々とどのように接すれば良いか分からず、活動前は緊張していた。しかし、皆さんは意外にも私達を明るく迎え入れてくださった。翻訳アプリと勉強中であろう日本語とを織り交ぜながら、楽しく会話することができ、私は少し驚いた。しかしながら、お話を聞いてみると深刻な状況にある方も多いということがわかった。

その中で、私達は一人の女性を訪ねた。トマトやほうれん草、人の顔ほどあるサツマイモをお届けし喜んでいただけた後、その方と少しお話しをした。日本語の教室には通っていますかと尋ねたところ、「持病があって遠くに行けないので今は家で勉強している」とおっしゃっていた。既に何ヶ月も通院しておられ、一人暮らしの自宅もとてもアクセスの良い場所にあるとはいえない。ボランティアの助けも借りながら生活しているとのことだったが、周りとの繋がりはほとんど無いのではないかと思った。この様な方がいることは、行って話を聞かないと分からない事だ。その時、このやさい便がただ届けるだけでなく対話する機会にもなっていることを理解した。日本にほとんど知り合いのいないウクライナの方々にとって、この活動の意義はとても大きいものなのだろうと感じた。

次に訪問したのは、元気な女の子とそのお母さんが暮らす家だ。女の子が元気そうだったのに対し、母親の方は少し疲れているようにみえた。この日は、仕事が終わるのがいつもよりも遅かったそうだ。中へ入れて頂くと、まず二人は私達にモタンカというウクライナの伝統的な人形を見せてくれた。二人によるとその人形には魔除けの意味があり、二人で作ったのだと言っていた。女の子がその人形を使っておままごとをしており、私はその姿を見て、日本とウクライナで背景は違っても人の気持ちは同じという当たり前のことを感じた。

ウクライナの人たちが日本にもいるということは以前から知っていたが、実際に野菜を届けるまでは現実味がわかず、正直どこか自分とは遠いものだと思っていた。今回の活動で、この戦争や社会制度、地域コミュニティ等に対する自分の関心が大きく変化した。また、今回5軒のお宅を訪問し、当然だが一人一人の生活があるということを知った。人それぞれ生活環境も求めていることも違うのだから、この問題を一つのものとしてではなく、もっと柔軟に考える必要があると感じた。
植田隆誠(関西学院大学総合政策学部3年)
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*MOTTAINAIやさい便へのご協力お願いいたします。
MOTTAINAIやさい便では、新鮮な野菜をお届けする中で見えてきた問題やニーズに対してもサポートしています。自転車の提供、通訳、引っ越し、傾聴などのボランティアに学生さんなどにかかわってもらっています。ご寄付は、野菜の購入だけでなく、運送代やボランティアの方の交通費などにも活用させていただいています。ぜひご協力お願いいたします。