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学生・若者による「やさしや足湯隊」を応援してください!
学生・若者を中心に令和6年(2024年)能登半島地震の支援として結成した「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングを始めました。皆様からいただいたご寄付は学生・若者が活動する際の交通費半額補助・消耗品費として使わせていただきます。
私達の活動では足湯ボランティアを中心に行っています。足湯ボランティアは、阪神・淡路大震災の際に被災地KOBEで始まり、全国に広まった活動です。タライにお湯を張って足をつけ、被災者の方の手に触れ、さすることにより様々なつぶやきが聞こえてきます。世代を超えて活動できるのが足湯ボランティアです。足湯につかりのんびりした空間を作ることで、疲れやストレスを少しでも解消していただきたいと思っています。
みなさまの温かいご支援、ご協力よろしくお願いいたします。
詳細は以下から↓↓
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学生・若者を中心に令和6年(2024年)能登半島地震の支援として結成した「やさしや足湯隊」のクラウドファンディングを始めました。皆様からいただいたご寄付は学生・若者が活動する際の交通費半額補助・消耗品費として使わせていただきます。
私達の活動では足湯ボランティアを中心に行っています。足湯ボランティアは、阪神・淡路大震災の際に被災地KOBEで始まり、全国に広まった活動です。タライにお湯を張って足をつけ、被災者の方の手に触れ、さすることにより様々なつぶやきが聞こえてきます。世代を超えて活動できるのが足湯ボランティアです。足湯につかりのんびりした空間を作ることで、疲れやストレスを少しでも解消していただきたいと思っています。
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3 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.114 水害編―21
「あと10cmあれば。。。」
9月21日に能登を襲った豪雨災害。被害の甚大だった輪島市内の被災者Oさんの語った言葉だ。
Oさんは輪島中心部で商売を営んでいたが、地震で自宅に隣接する店舗が倒壊し、道路にガレキが
はみ出している事から緊急解体された。解体された店舗と自宅の塀をブルーシートで覆っている。
そんな状況で9月に水害が起き、今度は自宅が床上浸水した。
この日、別の地域のお宅の泥だしの合間に、ボランティア3人でOさん宅に冬服を届けに行った。
Oさん宅には近所から人が集まってくるそうでOさんは少し前に体調を崩して入院していたが、退院して自宅に戻り、お孫さんがそばで寄り添っていた。
実は、Oさんの自宅は普通の家よりも床下が高く設計されている。
「昔、水害があったから立て直す時に普通の家より20㎝高くしたのよ。」と少し自慢そうに語るOさん。
しかし、この水害で床上30㎝の泥水がOさん宅を襲った。
「あと10㎝高ければ。。。」とお孫さんと二人でつぶやく。
そんなOさんは、「被災NGO恊働センターのボランティアさんたちが床下をきれいにしてくれたから。
床下が高いから作業しやすかったと思うよ。」と少し嬉しそうに話してくれた。
Oさんのようにたまたまボランティアとつながった被災者は、自宅の泥だしができたが、
未だ泥のかぶった自宅の2階で暮らしている人もいる。
石川県の試算によると、泥だしなどに約14000人のボランティアが必要で、現在のペースでは泥だし完了までに来年1月中旬までかかるという。このままでは地震から1年の2025年の正月も泥と過ごさなくてはいけない状況になる。
個人宅の泥だしや片付けはすべて善意によるボランティアがやらなくてはいけない状況に疑問を持たざるを得ない。
(CODE海外災害援助市民センター事務局長 吉椿雅道) ... See MoreSee Less
4 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.113 水害編―20
9月の記録的豪雨による二重被害となった被災者は、それぞれ必死で「心が折れそう」なのを踏ん張っています。水害後、二重被害でもう精神的にも、肉体的にもボロボロになったOさんは、結局1週間療養入院をされました。元日の震災以降偶然お出会いし、お世話になったことがきっかけで通って来ただけに、予測はしていたものの「1週間入院…」と聞いて心配していました。でも、当NGOのスタッフや当NGOに支援に来てくださっている方々、さらには後方支援で物資や食料、水などを提供して下さっている方々の細やかな、いわゆる「みそ汁の冷めない距離」を保ちながらの寄り添いで、日に日に元気になって来ています。手前味噌で恐縮ですが、ほんとうに“ボランティアの力って凄い!”と痛感しています。石川県は元日の地震後、しばらくして「ボランティアは控えて」といい、その影響が尾を引き、未だにボランティアが多いという状態にはなっていません。Oさんのように特に直接はもちろん、間接的にも9月以降の二重被害の影響を諸に受けた人は少なくありません。ボランティアがもっと、もつと被災者の傍に寄り添えれば、どれだけ被災者は元気になれるのかと考えれば、今の現状には苛立ちが募るばかりです。元日の地震後能登半島の被災地には、約100団体以上のNPO/NGO,ボランティア団体が支援活動に入っています。
しかし、何故石川県あるいは被災自治体は、この100以上の団体に丁寧にお願いして、ボランティア参加をお願いしないのでしょうか?忙しいしいし、人材不足で、いちいち100団体にお願いをしておられないという事情でしょう。でも、今、一番急がれるのは看護師や介護師など専門家も含めて、ボランタリーな活動がどれだけ求められているかということです。県は制約が多いにもかかわらず、バスを仕立てて、ボランティアを派遣するより、その約100団体以上に「一人でも多く、ボランティアを被災地に派遣してください。ついては、そのあと押し(経済的支援)は可能な限りします。」と言えば、水が流れるごとく、スムーズに被災地にはよい風が吹くことでしょう。是非、一考を提案したい。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
6 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.112
やさしや足湯隊レポ―ト No.10
やさしや足湯隊です。能登の水害の状況を受け、足湯隊もこれまで「水害ボランティア隊」として5回ボランティアを派遣してきました。今回は第4次隊の報告です🌱
第4次隊は学生、社会人のボランティア合わせて12名で活動しました。
活動1日目、2日目の午前中は被災地NGO恊働センター現地スタッフや他の団体の方々と一緒に、床のブラッシングや泥のついた写真を乾かしたり、泥をかきだしたりなどでした。活動しながら、被災された方のさまざまな不安や思いの「つぶやき」が聞こえてきます。
写真を乾かして、写真洗浄に出したいというKさん「ほんまに今頭がまわらないんよね。どうしたらいいんかわからない」
家の泥を出されているIさん「業者が足りないのも分かるけど、解体の人も、全国でもっと早く集めたら違う。福井とか金沢だけじゃなくて。全国から」
そして、2日目の午後は輪島市立中学校での足湯でした。59名が体育館に避難されており、水害後「輪島市ふれあい健康センター」に一度避難してからこちらに来られた方もいます。足湯には、10名来られました♨️👣
足湯のつぶやき
「地震が起きたときにねぇ、ギリギリ崩れなかったのがこないだの三百何十ミリの水害で全部崩れて。。泥にも色々混じってそれがふれあい広場あたりまで流れてね。大変やったよ。数十年前の輪島大水害のときでさえ200ミリぐらいやからねえ。」
「今本当に食欲がなくて、ストレスもあるだろうけど年もあるかな。一回あまりにも食べれないから入院して、よくなってきたから戻ってきたけどだめね・・・足がぽかぽかでいいね、あっさりしたね〜今日はよく眠れるわ」
「若い人は金沢に出て行くし、取り壊した後また再建する人は若くて輪島に職がある人くらいかな。公費解体のアンケートでは8割がその後再建はしないって回答していたらしいよ、一年後輪島はどんな風になっているかな、取り壊しで更地になっているのか、、?」
「地震の時も、這いつくばって出てきてその時の怪我がこれ。水がきたときは、胸まで浸かって、裸になって背中に乗せてもらって運んでもらったんよ。8月30日にようやく家に戻れたんよ。そしたら今度は。」
ボランティアは「つぶやき」を受け止めながら、手をさすったり、話を聞いて寄り添います。参加された学生さんの一人は「足湯はリラックスできるし、被災者の方は日頃コミュニケーションとれないのかも。自分が担当した方は、ずっと話されていた。」と感想を話されていました。
緊急性の高い泥出しなどの活動と、被災された方の心に寄り添う活動がどちらも本当に今必要だと感じています。
足湯隊も、恊働センターでのボランティア活動も引き続き募集中です!
申し込みフォームは以下からです👇
足湯隊
forms.gle/Ymo7aXhVadPm3g8b6
被災地NGO恊働センター(個人用)
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScA7TQcJgahB7DvzkD_YH6srXKUG1pY6i3qGHgKq9MoIOXRPw/viewform
(CODE学生スタッフ 島村)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→https://ngo-kyodo.org/2024noto/2024/11/01/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%bc%89%e8%83%bd%e7%99%bb%e5%8d%8a%e5%b3%b6%e6%95%91%e6%8f%b4%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%8dno-112/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター ・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 week ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.111水害編―19
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
9月21日の記録的豪雨により浸水した被災者宅の泥だしや家具などの運び出し、そして清掃などの活動のため「やさしや足湯隊 第21便」のスタッフが25日から被災地に入っている。そして2019年、2021年と連続して水害に遭った佐賀県武雄市などで活動している一般社団「おもやい」のスタッフも水害支援活動に入っている。両団体のスタッフが翌26日、輪島市内のOさん宅)と輪島市稲屋仮設団地に、コープこうべさんにお願いして集めて貰った冬物衣類を届けた。水害による土砂災害や流木の道路が寸断され、元日の地震以来2度目、あるいは3度目の通行止めとなった被災地の集落には、残念ながら当分帰れそうにない。冬物衣類などは集落の各家庭に置いたままなので、古着であってもこの衣類配布は想像以上に喜ばれている。また、輪島市内で地震の被害で大規模半壊だったOさん宅は、今回の水害で床上浸水という二重被害になった。Oさんは、地震後やっとこれからは前を向いて行こう!と一歩を踏み出したところに、この9月の水害で床上浸水となった、Oさんは、「もう心が折れた!」と塞ぎ込み、一時は体調不良で入院もした。Oさんはもともと自営業を営んでいたこともあって、Oさん宅には被災者同士がよく集まっている。古着と言っても新古品というか、新品に近いダウンジャケットなどもあり、Oさん宅でも大変喜ばれた。
Oさんから、「ありがとうございました 皆さんに助けてもらつて 幸せものです ありがたいことです。元気出さないとね…」という嬉しい返事が届いた。
以前にも書きましたが、ボランティアが寄り添う形は多彩だが、こうして“黙って被災者の傍に寄り添う”ことがボランティアの第一歩なんだと、29年前の阪神・淡路大震災の時に、当時神戸大学医学部精神科教授の中井久夫さんが言われた名言だった。
Oさんのこのお礼の言葉を聞いて、29年目にしてやっと中井久夫先生のこの言葉が身に染みて理解できた気がする。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
1 week ago
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.110 水害編―18
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
本レポートNO107で少し触れたが、9月21日に発生した記録的豪雨による土砂災害の現実を目の当たりにしたときに、これまで見てきた水害による災害現場で、とにかくこれほどの流木が地域に流れ込んだという事態は、見たことがない。
今朝の毎日新聞の記事では、「国土交通省によると、石川県では10日時点で116件の土砂災害が確認された。内訳は土石流57件、崖崩れ45件、地滑り14件。・・・・豪雨とは別に、元日の地震では、石川県内で424件の土砂災害が発生した。豪雨との累計は540件。過去約40年の全国での土砂災害は年間平均約1100件で、今年は半数近くが能登半島地震で起きた計算となる。」と報じられていた。
また、今年3月に防災科学研究所の酒井直樹さん(水・土砂防災研究部門副部門長)が発表された「2024年能登半島地震による土砂災害の特徴」では、・強い揺れと地質構造の影響を受け、2000箇所以上発生。・今後の復興に対して余震や雨期の土砂災害発生が懸念と注意喚起がされていた。先の新聞報道の数字と、この酒井直樹さんが懸念された数字とを見ると、今回の水害が、起こるべくして起きた言っても過言ではない。
「金沢大学の青木賢人准教授(自然地理学)は、「地震対応に追われている自治体が別の災害リスクを周知する対応の難しさが露呈した」と指摘(神戸新聞 2024・10・21)
災害大国日本に住む以上、覚悟しなければならないのかも知れないが、私たち一般市民の取り組みだけでは限界だ。普段からの山の手入れや災害発生時の避難対応などは、ある程度可能だと思うが、同時に自治体による事前防災としての「ハザードマップ」作成が急務だ。同マップをもとに、地域総がかりで事前防災に取り組む必要がある。しかし「石川県能登半島の28河川の流域で、浸水範囲や避難場所などを示した洪水ハザードマップが作成されていないことがわかった。」と報道された(神戸新聞同日)あらためて、事前防災の強化が必要だという教訓となったのでは・・・・・。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
1 week ago
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.109 水害編―17
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
衆議院選挙も中盤に入った。各党は、「防災庁設置」を主張している。“災害大国日本”といわれ、また“防災大国日本”ともいわれているので当然だろうといいたいが、正直「今さらか?」と皮肉の一つもいいたくなる。しかし、30年前から災害時支援活動を展開してきた立場から敢えていうと、元日に起きた「能登半島地震」に対する国及び自治体の対応を観ていると、「さて、防災大国といえるだろうか?」と疑問を持った。
そうした中で、記録的大雨による水害が発生し、被災地にとっては“踏んだり蹴ったり”という声、“もう心が折れた!”という声を聞くと、やはり「防災大国」とはいえないだろうと断言する。特に、今回の複合災害で「被災者主体」という言葉はどこに消えていったのかとさえ思う。30年前の阪神・淡路大震災で掲げた「神戸宣言1995」では、「復興は被災者主体で・・・」と宣言した。この言葉は、あの時亡くなられた6434名の方々の魂の叫びだということを忘れたのだろうか・・・・?
先日、テレビを観ていると、地元石川県の候補者3名はいづれも地震後から走り回っている議員たちの姿を私は見ている。被災者主体の被災者の声を集約する一つは、こうした議員の声をまとめる必要もあるだろう。同時に、被災地には元日以来NPO/NGOが100団体以上が入っており、実質一日も休みなく支援活動を展開している。何故、県も市もこの有意義な被災支援に奮闘しているボランタリーな人たちに、もっと活躍する場や機会を提供しないのだろうか?10月21日付神戸新聞によると「石川県によると、豪雨による住宅被害は18日時点で1487戸。大半が床上・床下浸水だ」とのこと。上からトップダウンの対応で済ますのではなく、わずか1487戸だと数団体に丁寧にお願いすれば、マンツーマンの寄り添い支援が可能だ。もちろん、「丁寧に」ということの意味は活動がしやすい環境を整えるということが大前提だが・・・・・。
数日前に輪島市西保地区の大沢町の住民がお一人、体調を崩しヘリで救急搬送されたと連絡があった。西隣の上大沢町には数時間かけて歩くしかない手段がないのに、一人、二人と日帰りで集落に帰っている住民がいるという報告も…。
今、衆議院選挙で走り回っている候補者たちは、一日一言でいいから、「私たちは能登を忘れていません!」と言って選挙活動したらどうか?そうすることで、実は各々の選挙区の住民に対して寄り添うことの大切さも分かるというものだ!!
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
【ボランティア募集中】
第21次足湯隊のボランティアさんが足りていません🥲
どなたかお力添えお願いします🥺
未経験、初心者大歓迎です🔰
第21便足湯&水害ボランティア
日程:11月8日(金)~11日(月)
場所:輪島 河原田(輪島市内の中心街)、七尾など
内容:泥かき、ブラッシング、足湯、家屋の片付けなど
移動:関西の方は車で一緒に行きます。関東の方は金沢まで電車(交通費補助)などで来ていただき、金沢で車でピックアップします🚙
また、出発の日が平日のため夜出発になります。
夜、出発でその日の夜中に到着し、翌日から活動の流れになると思います。
ご検討のほどよろしくお願いいします🙇 ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.108
水害編―16 能登半島支援 緊急支援のお願い!!
元日の地震で孤立し、地域の学校や集会所に避難していた地域が少なくない。その一つが珠洲市の外浦にある「大谷地区」だ。私はこの大谷地区には、4月中旬に初めて訪問した(本ニュースNO49参照)。その時には、大谷小・中学校の避難所には約40人が避難していた。その時点で、区長さんに今後のことを少し聞いた。「お一人暮らしの方や、施設に入っている方もおられる方は少ないだろう。ここに帰って来ても生活ができない…」と区長はおっしゃっていた。それでもこの地区に帰って来て、「元の暮らしを…」と始めた人たちはいた。
しかし、地震後9カ月が経った9月21日に記録的大雨によって、再び避難所生活に戻った人たちが約30人にも上る。辛うじて在宅生活が可能な人たちは約160人。(水害発生で避難指示が出た時は90人)。また、4月の時点に逆戻りとなった複合災害だ。ここの地域に入って、支援をされている専門家は、「みなさん、『これでもか、これでもか』」と被害に遭いながらも、前を見て進もうと力強いです。」とおっしゃった。
一方、私が隣の馬緤町を訪ねた9月30日、珠洲市内からう回路を通って大谷町に抜ける道は全く通れない状態だった。地元の住民に聞くと、「大谷峠は何とか通れる」と聞いたのだが、そもそも元日の地震後はその大谷峠を抜ける道は通行禁止だったが、そちらが通れるようになり、う回路が通行止めになっていた。さすがに地元の人はよく知っている。
また、大谷町の東隣の「仁江町」では、元日の地震後に大規模な地滑りで海岸線(249)が通れない状態が続いていたが、今回の水害でさらに地滑りが起きた。その西隣の真浦地区は、水害後また孤立生活が余儀なくされた。
こうしてこの地域は、道路事情が完全に回復しないことには、生活道路のう回路を使ったりしての生活が余儀なくされているので、落ち着かない日々が続くだろう。支援も十分には届かないことが心配される。 ただ、救われるのは、この地域は昨年の5月にも地震の被害を受けていた経験もあって珠洲市はじめ支援センターに集まる専門家集団による徹底した巡回見守りやNPO,NGOの支援ネットワークがしっかりしていることである。ちなみに、珠洲市には未だ、断水地域が少なくない。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
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3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.107
水害編―15 能登半島支援 緊急支援のお願い!!
去る9月14日、輪島市町野町粟倉にある「もとやスーパー」で足湯をさせて貰った。元日の地震で大きな損傷を受け、電化製品や家具などを展示していた別棟の至るところのガラスが割れ、地震の凄さが想像できた。もとやの女将さんの足湯は私がさせて貰った。女将さんは、「こんなことで、へこたれん!絶対再建して見せる」と気丈だった。 しかし、その1週間後の9月21日、午前9時ごろから記録的大雨が降りだした。翌日のテレビには、流木が数本突き刺さってる無惨な「もとやスーパー」の映像が目に止まった。
私は9月30日、もとやスーパーを訪れた。車は辛うじてスーパーの前も通れるように片付けられていた。とはいえ、同スーパーの前の駐車場には、大型ダンプが3台止まっており、片づけをしていた。スーパーのすぐ近くの支流となる川は崩壊し、夥しいほどの流木が至るところで折り重なっていた。私の知る限りでは、水害でこれほどの流木が集まっているのは、過去にも見たことがない。珠洲道路から県道6号線(宇出津・町野線)を曽々木海岸方面に走ると、粟倉に行きつくが、かなり手前の方から流木が車道の両側に積まれていたが、「こんなところまで、これほどの流木が流れついているということは、粟倉は相当酷いことになっているだろう」と予測はしていた。
この流木の多さは、元日の地震で地盤が緩み、そこに記録的大雨が降り、山々の各地での地滑り、土砂流下などが至るところで重なり、斜面崩壊が集中して、川に流れたのではないかと思う。粟倉の隣の金蔵は、少し山間部にあり、その金蔵から粟蔵を見下ろすような山々の地滑りあとを見ると、それを裏づける斜面崩壊を目にすることができ、粟倉に夥しい流木が重なっている理由が分かる。 もとやスーパーは創業70年で、この町野町には1件しかないスーパーだ。輪島市と石川県が早急にこのもとやスーパーの再建支援計画を提示するべきだ。それが、何よりもの支えになる。 (被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
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ブログはこちら→ ngo-kyodo.org/.../%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6.../
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3 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「やさしや足湯隊」に参加したボランティアや輪島中学校の足湯での「つぶやき」も少し掲載しています。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.106
水害編―14
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
以前にも何度か、この支援ニュースでお伝えしたが、輪島市西保地区には、西二又、上大沢、大沢、上山、赤崎、下山、小池の7集落があり、今回の水害でこの7集落のすべてが一時避難をした。当然、着の身着のまま避難された方が多く、そのうち大沢、赤崎、下山、小池の人たちは輪島市内の「宅田第一仮設団地」に住んでいた。元日の地震後、この仮設団地と元の集落とのニ地域居住をしていたのだ。全員が集落に戻り生活をしていた訳ではなく、ニ地域を行ったり来たりしながらの生活を送っていて、9月21日の記録的大雨に遭ったのだ。
そこで、先日その宅田第一仮設で上大沢と同じようにコープこうべさんに衣類を集めてもらい、当NGOのスタッフが集会所でバザーを開いた。40人くらいが集まってくれ、“古着バザー”となった。かなりの量を持って行ったが、瞬く間に全部がみなさんの手もとに届いた。9月21日の記録的大水害があったものの、みなさん「また、すぐ集落に帰れるよ!」と思っての避難だったので、まさに“着の身着のまま”だった。タイミングが良かったのも功を奏しただろうが、喜んで下さって「ホッ!」とした。 午後には、この水害で仮設住宅が浸水し、しばらく住めなくなった被災者が二度目(被災者にとっては3度目)の避難所生活となった「輪島市市立中学校」避難所で足湯をさせてもらった。
被災者や参加したボランティアの声を参考に!
「今水害がちょっと落ち着いてきた。やっとちょっと。」
「台所のカレンダーが1月のままだったのがぐっときた。」」 「やっぱり今回も国が何もしてくれてなかったけれど、ボランティアの人がめちゃくちゃ助けてくれた。」
元日の地震と9か月後の水害の二重被害を物語る“つぶやき”です。 (なお、以前宅田第一団地の足湯をさせて頂いた様子は、支援ニュースNO87に書いています。ご参考に…)(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
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3 weeks ago
🌱若者会議を開催いたします🌱
若者会議とは・・・?若者が中心となって普段日常生活で言えないような不満や不安などをざっくばらんに語り合い、想いを共有する会です。
2025年1月17日で阪神・淡路大震災から30年が経つということで、今回主役となる若者は、阪神・淡路大震災(1995年)以降に生まれた若者が対象です。
世代の近い若者同士だからこそ分かり合える小さな不満や不安から、これから私たちが担う社会に点在する大きな課題など、トークテーマは参加者次第です✨️
ハイブリッド形式で行うため、オンラインでの参加も大歓迎です!👨🏻💻
申し込みはチラシに記載のQRコード、または以下のURLからお願いいたします!
また、質問や相談等あればお気軽にご連絡ください!
たくさんのご参加お待ちしております!🌱
↓イベント詳細と参加申し込みはこちらから
forms.gle/rSvSnPBEHksfSHYL9 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
「ウクライナ子守ボランティアレポ―ト」 No.15
久しぶりの子守ボランティアレポート配信です。子守ボランティアでは学生ボランティアが子どもの面倒を見ることを通じて、避難民の方々の子育てサポートをしています。
ウクライナのジトミールから2才(避難当時)のお子さんと二人で避難されたOlさんは、日本に長期的に在住し、働くことを見据えて、10月から日本語学校に通われることになりました。最近はウクライナの伝統ダンスを教えられたり、イベントで披露されたりと、故郷が厳しい現状にある中でウクライナへの想いを表現される活動もされています。
今回は、そんなOlさんのお宅で子守ボランティアに初めて参加したCODEインターンの安福瑞希さんからの感想です。
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初めて子守りボランティアに参加しました。
担当したのは元気いっぱい4歳の男の子です。子守り中は部屋で鬼ごっこをしたり、ベッドにダイブしたり、アンパンマンの歌に合わせて踊ったり、一緒に楽しみながら過ごしました。
今回は学生2人で約4時間の対応でした。勿論とても楽しかったですが、元気いっぱいの子どもさんについていくのは大変です。そして「いつもはお母さん1人なんだ」と、ふと感じました。
本当なら一緒に子育てをして、子どもの成長を見届ける人がいるのに、その当たり前を侵攻によって妨げられている。早くあるべき当たり前に戻れたらいいなと心から思いました。
そして、その当たり前の日が来るまで、私達はこの現状を知り続け、アプローチしていかなければならないとも感じました。
お母さんは慣れない日本で、語学学校、習い事、子育てと多忙な日々を過ごしていました。そのため心配なことに、体調も崩されていました。少しでも負担を減らせるように、私もこれから時間が合う時は子守りボランティアに参加したいと思います。
(神戸学院大学3年安福瑞希)
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*CODEでは、2015年にCODE未来基金を立ち上げ、災害NGOや国際協力を志す若者を応援しています。未来を担う若者たちの活動にご支援、ご協力お願いいたします。
ご寄付はこちらから。
code-jp.org/donation/ ... See MoreSee Less
3 weeks ago
【やさしや足湯隊 交流会(!)】
◇日 時:2024年11月30日(土)14:00~17:00
◇場所:こうべまちづくり会館
(神戸市中央区元町通4丁目2‐14)
◇参加費:無料
◇開催:対面(オンライン zoomも可)
◇申し込み:https://forms.gle/1LMDVrGsoxuJVXVL8
オンラインの方は、11月28日(木)までに申し込みください。翌日の29日にメールにてzoomのURLを送らせていただきます。
主 催:兵庫県防災士会
被災地NGO恊動センター
CODE海外災害援助市民センター
ぜひ、気軽にご参加ください!
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2024年1月1日午後16時10分に石川県能登地方で震度7の地震が発生しました。「被災地NGO恊動センター」「CODE海外災害援助市民センター」が連携して結成した足湯ボランティア「やさしや足湯隊」は現在、先遣隊~第19次隊(のべ165名)までが活動しております。
能登半島では復興への歩みを進めていた途中、9月21日に豪雨被害をもたらしました。これからも継続して能登半島に寄り添った支援が必要です。
今後の復興を考える上で、足湯ボランティアの意義や拾った「つぶやき」の意味を、みんなで考える機会を設けたいと思います。ボランティアに参加された方やボランティアに参加してみたい方、能登半島の現状やどんな活動を行なっているんだろうと気になる方など、どなたでもご参加下さい。 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」
No.104 水害編―12
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
豪雨被害に襲われた被災地では毎日泥との格闘が続いています。
床下には、水分を多く含んだ泥や大きな固まりになった泥、サッシの隙間や断熱材、あらゆる隙間に泥が入り込んでいます。
そして、水害の被災地は色をなくし、辺り一面茶色に覆われています。今週は地震被害から定期的に活動を続けてくれている新日本宗教団体連合会や氷見市からの阿部んじゃーずのみなさんが参加してくれました。
みなさん、泥だらけになって活動に参加してくれています。
認知症の旦那さんが一時避難している病院から帰宅する前に、なんとか泥だしまで終わらせようと思っています。お母さんはお父さんの介護と家の片付けで女性陣も小さな身体を器用に使い、狭い床下に潜り、きれいにしてくれました!
ふと!キッチンに目をやるとピンク色の一輪のバラがありました。お母さんが「これが、いまの私のとっての明かりなの」と。
色をなくした町並みにひとつの明かりが見えました。 (増島)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→https://ngo-kyodo.org/2024noto/2024/10/15/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%bc%89%e8%83%bd%e7%99%bb%e5%8d%8a%e5%b3%b6%e6%95%91%e6%8f%b4%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%8dno-104/ ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.105 水害編―13
能登半島支援 緊急支援のお願い!
さて、前号水害編―NO11の最後で、「上大沢の有名な間垣は一部流されたものの、間垣の中の敷地に入ると住家は地震後のそのままで、水の被害はなかった。」と書きました。21日の大雨は予想されていたので、住民のほとんどは20日までには輪島市内の仮設住宅に避難していたのです。(当日、緊急避難し、九死に一生を得たのは区長とその父だけです。)
冒頭で述べたように、上大沢の場合は水害での住家の被害は(ゼロではないですが)ほとんどなかったのです。川沿いの物置などの倉庫にしていた建物が流され、海外に近い間垣の外の道路が陥没していたので、その向こうにあった軽トラックは出せないままです。
住家は地震後の被害のままで、修繕や再建が終わっていない状況で、水害での被害はなかったけれども、そこに住むことはできないので、みなさん“着の身着のまま”逃げてきたのです。
そのため、そろそろ肌寒くなってきたにもかかわらず、「半袖しかない!」「すぐに帰られると思ったので、冬物の衣類を置いてきたまま!」という声が出て来ました。確かに、私も一度水害の後歩いて上大沢の集落まで行ってきたので、(口には出せないが)正直「当分、帰られないだろうなぁ・・・」と思っていました。「寒さ対策で冬用の衣類が急ぐ!」と思い、29年前の阪神・淡路大震災より共に災害救援活動を行なって来た“コープこうべさん”に依頼して、緊急に冬用のセーターやズボン、ダウンなどを集めていただき、また白元アース株式会社より提供戴いた“湯たんぽ”とともに皆さんが避難されている輪島市内の仮設住宅に届けて来ました。
その日は日当たりもよかったのですが、風が強かったので、ほんとうにみなさん寒そうな恰好でしたが、出迎えてくれました。地震の後、4月に初めて上大沢に行き、その後足湯を3回実施してきただけに、当NGOのスタッフや二度連続水害にあった佐賀県武雄からのボランティアさんが届けてくれ、大変喜んでくれました。こうして顔を見せるだけでもボランティアとして大事なことなんだとあらためて教えられました。水害がなければ、4回目の足湯活動を計画していたところでした。婆さんから「兄ちゃん、兄ちゃん!」と頼られているNさんの仮設住宅の一室だけが裏山の水が入り、残念ながら少し床上浸水という被害に遭いました。
ところが、なんと一昨日、そのNさんと他5人とともに、また上大沢まで歩いて行ったというのです。これにはびっくりしました。早速Nさんに電話したら、「私たちは、こういうのは慣れているから…」と“こともなげに”言われたので、「え~?」とまだびっくりでした。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.103
水害編―11
水害後1週間を過ぎた9月末に、これまで何度も紹介してきた「輪島市西保地区上大沢」に行ってきた。水害後、この上大沢に住んでいてNさんに電話したところ、「いつもありがとう!心配かけて…。でも今回の大雨で陥没、倒木、土砂と上大沢までの道路を塞いでおり、もう、当分上大沢には帰れないなぁ...」と。「今年やっとの思いで収穫した米も40~50袋は水浸し、30袋は大丈夫だけれど取り出せない。停電でもあるし、乾燥機も水に浸かり使えない。集会所も川沿いにあるので、護岸がえぐられて、もう一度大雨が降れば流されるだろう」
Nさんは、元日の地震後も早くに上大沢に出入りし、初めてお会いした4月末には、「とにかく米を守らなければ、来年に影響する。とにかく稲の苗を腐らないように管理しなければならないんだ。」と。真夏の暑いときも、Nさんのシンボルの“つなぎ”を着て、田んぼ作業に精をだしていた。いつも笑顔で迎えてくれたNさんだが、今回はかなりのショックを受けたようだ。
Nさんから水害後の上大沢のことを聞いた後、区長が住む輪島市内の仮設住宅に住むY区長宅を訪ねた。このレポートでも紹介したが、100歳のおとうさんもおられた。同区長は、「もう住めないだろうなぁ..」とポツリと一言つぶやかれた。いつものように言葉少ない区長さんだが、やはり相当なショックを受けただろう。
「実は、私も昨日、上大沢まで行って来たんだ!片道1時間ほどかかったけれど…倒木が大変だった。」と。「えっ、1時間。往復2時間か…」これなら行けるなぁと行くことを決意した。
しかし、道路の崩落、山々からの流木、水田に土砂が入り、上大沢の入り口の商店と住家、集会所の損傷は想像以上だった。往復2時間どころか、10ヶ所ほどの倒木を乗り越え、泥の中に長靴ともすぶりとはまり、途中河原を歩き、現地での滞在も含めて6時間もかかった。上大沢の有名な間垣は一部流されたものの、間垣の中の敷地に入ると住家は地震後のそのままで、水の被害はなかった。不幸中の幸いというか、「ホッ!」としたが、いつになれば帰ることができるのかを考えると、暗澹たる気持ちなる。
(詳細は次号に)
(被災地NGO恊働センター 村井雅清・顧問) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.102 水害編―10
能登半島支援 緊急支援のお願い!
深見集落(鹿磯から山を越えた隣の集落)も、2007年の地震後に足湯でお世話になった集落だ。元日の地震でも、停電・断水のため一時はほぼ全村避難されたが、「避難所より、やはり深見の方が、住みやすい」と、何処よりも早くみなさん帰村され、これからという時に再びこの度の水害で孤立だ。すでに何度も深みに入っているボランティアのTさんのFBでは、未だ徒歩でしか行けないと。私は、先月28日、徒歩で深見地区に入った。地震の時は集落の真ん中を流れる川は大きな被害がなかったと聞いていたが、見事なまでに河口から奥へと両岸が壊れ、車は走れない。山からの土砂と泥水が、細い道路や家、家を2m近くまで押し寄せた。国際協力を専門とするボランティアKさんが一早く泥出しに駆け付けていた。
集落の住民も10人ほど帰っていて、片付けをされていた。スコップを持っているお母さんたちのスタイルが何か違うなぁと。よく見たら作業服の上からしっかり黒いコルセットをしていたのだ。重たい泥の除去のために、腰に負担がかからないような姿勢で泥を一輪車に乗せ、運んでいた。2007年に足湯をさせていただいた深見集会所が、川を挟んで正面に見えた。70代半ばの女性に「2007年の時に、あの集会所で足湯をさせて貰いました。深見には女性水防隊がありましたよね。男性が、遠洋航路へ出て1年の半分以上が女性だけになるので、集落を守るのは女性だ!」と聞いていましたと。その女性曰く「今では遠洋航路に出る若い者もいないし…女性水防隊と言っても、こんな年になってね…」と笑っていた。どの地域も同じように高齢化が進んでいるが、あのコルセットスタイルを間近に見ると、またこの集落に戻って暮らすという意気込みを感じられ、こちらが元気を貰った。やはり、深見はやはり「女性水防隊の魂」が残っているなぁと思った。あのコルセット姿が目に焼き付いている。深見は、素晴らしいボランティアグループの支えもあって、被災者による自主・自立の先駆的なモデルの集落だ。せめて集落の入り口まで車が通れるようにして欲しい。(次に続く)
(被災地NGO恊働センター顧問
村井雅清) ... See MoreSee Less
1 month ago
9月上旬に東南アジアを襲った台風ヤギ(11号)では、ミャンマーの少数民族の地域にも大きな被害をもたらしました。
軍事政権にある中で、厳しい状況にある方々に国際的な支援が十分に届いていません。CODEは日本政府に向けた以下の要請文に賛同しました。ご一読ください。 ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.100 水害編―8
「宝物にするわ」
輪島の中心部に住むOさん(80代女性)は、ご主人と息子さんの3人暮らしだ。このお宅にも1m以上の泥水が襲った。
Oさんは、泥まみれになった棚を外に出してほしいという。
「もう捨ててもいいわ。どうせ主人も仕事できないし。。。」とこぼす。
話しを聴くと、ご主人は伝統工芸である輪島塗の職人さんで、最近は認知症が進行していて、Oさんは泥まみれになったご主人の仕事道具の処分に頭を悩ませていた。
度重なる震災や水害による疲れやショックから少しやけになっているように見えた。輪島塗の器を保管する貴重な棚を捨てようとするOさんを少しなだめて、「ご主人の大事な道具だから、少し待とうか」と声をかける。
泥をかぶった棚がボランティアの力できれいなっていく姿を見て、Oさんは「こんなにきれいにしてもらって、もう少しお父さんに頑張って働いてもらおうかな。。」と涙を流していた。
別れ際にボランティアと記念撮影をした時、Oさんはきれいになった木片を抱きしめて「捨てようと思ったけど、宝物になったわ。」と笑ってくれた。
2度の大災害で心が折れそうになって自暴自棄になっている被災者がいる。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.99 水害編―7 能登半島支援 緊急支援のお願い!
9月21日の水害から1週間後の28日~30日に、輪島市門前鹿磯、同深見、同市稲屋仮設団地、同市マリンタウン仮設、同市西保地区上大沢、同市町野町粟蔵、同市曽々木、同市金蔵、珠洲市馬緤を回ってきた。
偏向報道とはいわないが、何処からこれだけの倒木が流れ込んでくるのかという町野町粟蔵の目を覆うような甚大な被害の他は、神戸にいるとあまり水害の被害報道は目にしない。
鹿磯では、2007年の能登半島地震以来おつきあいしていたU宅の前の神社(この神社は地震で全壊)の山が崩れ、空き家だった家を押し流し、U宅の隣屋に直撃。神社の真下の家は、元日の地震では大きな損傷がなかったのが、今回の地滑りで住めなくなった。Uさんは、7年前に奥さんが他界し一人暮らしだが、地震のあった元日は近くの家の姉の家で、家族5人が正月を過ごしていた。しかし姉の家が壊れ5人が生き埋めになり、奇跡的に屋根裏を突き破って全員が助かった。Uさんは、地震前に脳梗塞で倒れ、後遺症が少し残っており、加えて腰痛で悩む身体を引きずりながら、月に一度30世帯の在宅被災者に救援物資を配っている。「同じ被災者なのに、在宅の人には支援が十分でない…」と嘆いていた。(次に続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less
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3 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.114 水害編―21
「あと10cmあれば。。。」
9月21日に能登を襲った豪雨災害。被害の甚大だった輪島市内の被災者Oさんの語った言葉だ。
Oさんは輪島中心部で商売を営んでいたが、地震で自宅に隣接する店舗が倒壊し、道路にガレキが
はみ出している事から緊急解体された。解体された店舗と自宅の塀をブルーシートで覆っている。
そんな状況で9月に水害が起き、今度は自宅が床上浸水した。
この日、別の地域のお宅の泥だしの合間に、ボランティア3人でOさん宅に冬服を届けに行った。
Oさん宅には近所から人が集まってくるそうでOさんは少し前に体調を崩して入院していたが、退院して自宅に戻り、お孫さんがそばで寄り添っていた。
実は、Oさんの自宅は普通の家よりも床下が高く設計されている。
「昔、水害があったから立て直す時に普通の家より20㎝高くしたのよ。」と少し自慢そうに語るOさん。
しかし、この水害で床上30㎝の泥水がOさん宅を襲った。
「あと10㎝高ければ。。。」とお孫さんと二人でつぶやく。
そんなOさんは、「被災NGO恊働センターのボランティアさんたちが床下をきれいにしてくれたから。
床下が高いから作業しやすかったと思うよ。」と少し嬉しそうに話してくれた。
Oさんのようにたまたまボランティアとつながった被災者は、自宅の泥だしができたが、
未だ泥のかぶった自宅の2階で暮らしている人もいる。
石川県の試算によると、泥だしなどに約14000人のボランティアが必要で、現在のペースでは泥だし完了までに来年1月中旬までかかるという。このままでは地震から1年の2025年の正月も泥と過ごさなくてはいけない状況になる。
個人宅の泥だしや片付けはすべて善意によるボランティアがやらなくてはいけない状況に疑問を持たざるを得ない。
(CODE海外災害援助市民センター事務局長 吉椿雅道) ... See MoreSee Less
4 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.113 水害編―20
9月の記録的豪雨による二重被害となった被災者は、それぞれ必死で「心が折れそう」なのを踏ん張っています。水害後、二重被害でもう精神的にも、肉体的にもボロボロになったOさんは、結局1週間療養入院をされました。元日の震災以降偶然お出会いし、お世話になったことがきっかけで通って来ただけに、予測はしていたものの「1週間入院…」と聞いて心配していました。でも、当NGOのスタッフや当NGOに支援に来てくださっている方々、さらには後方支援で物資や食料、水などを提供して下さっている方々の細やかな、いわゆる「みそ汁の冷めない距離」を保ちながらの寄り添いで、日に日に元気になって来ています。手前味噌で恐縮ですが、ほんとうに“ボランティアの力って凄い!”と痛感しています。石川県は元日の地震後、しばらくして「ボランティアは控えて」といい、その影響が尾を引き、未だにボランティアが多いという状態にはなっていません。Oさんのように特に直接はもちろん、間接的にも9月以降の二重被害の影響を諸に受けた人は少なくありません。ボランティアがもっと、もつと被災者の傍に寄り添えれば、どれだけ被災者は元気になれるのかと考えれば、今の現状には苛立ちが募るばかりです。元日の地震後能登半島の被災地には、約100団体以上のNPO/NGO,ボランティア団体が支援活動に入っています。
しかし、何故石川県あるいは被災自治体は、この100以上の団体に丁寧にお願いして、ボランティア参加をお願いしないのでしょうか?忙しいしいし、人材不足で、いちいち100団体にお願いをしておられないという事情でしょう。でも、今、一番急がれるのは看護師や介護師など専門家も含めて、ボランタリーな活動がどれだけ求められているかということです。県は制約が多いにもかかわらず、バスを仕立てて、ボランティアを派遣するより、その約100団体以上に「一人でも多く、ボランティアを被災地に派遣してください。ついては、そのあと押し(経済的支援)は可能な限りします。」と言えば、水が流れるごとく、スムーズに被災地にはよい風が吹くことでしょう。是非、一考を提案したい。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
6 days ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.112
やさしや足湯隊レポ―ト No.10
やさしや足湯隊です。能登の水害の状況を受け、足湯隊もこれまで「水害ボランティア隊」として5回ボランティアを派遣してきました。今回は第4次隊の報告です🌱
第4次隊は学生、社会人のボランティア合わせて12名で活動しました。
活動1日目、2日目の午前中は被災地NGO恊働センター現地スタッフや他の団体の方々と一緒に、床のブラッシングや泥のついた写真を乾かしたり、泥をかきだしたりなどでした。活動しながら、被災された方のさまざまな不安や思いの「つぶやき」が聞こえてきます。
写真を乾かして、写真洗浄に出したいというKさん「ほんまに今頭がまわらないんよね。どうしたらいいんかわからない」
家の泥を出されているIさん「業者が足りないのも分かるけど、解体の人も、全国でもっと早く集めたら違う。福井とか金沢だけじゃなくて。全国から」
そして、2日目の午後は輪島市立中学校での足湯でした。59名が体育館に避難されており、水害後「輪島市ふれあい健康センター」に一度避難してからこちらに来られた方もいます。足湯には、10名来られました♨️👣
足湯のつぶやき
「地震が起きたときにねぇ、ギリギリ崩れなかったのがこないだの三百何十ミリの水害で全部崩れて。。泥にも色々混じってそれがふれあい広場あたりまで流れてね。大変やったよ。数十年前の輪島大水害のときでさえ200ミリぐらいやからねえ。」
「今本当に食欲がなくて、ストレスもあるだろうけど年もあるかな。一回あまりにも食べれないから入院して、よくなってきたから戻ってきたけどだめね・・・足がぽかぽかでいいね、あっさりしたね〜今日はよく眠れるわ」
「若い人は金沢に出て行くし、取り壊した後また再建する人は若くて輪島に職がある人くらいかな。公費解体のアンケートでは8割がその後再建はしないって回答していたらしいよ、一年後輪島はどんな風になっているかな、取り壊しで更地になっているのか、、?」
「地震の時も、這いつくばって出てきてその時の怪我がこれ。水がきたときは、胸まで浸かって、裸になって背中に乗せてもらって運んでもらったんよ。8月30日にようやく家に戻れたんよ。そしたら今度は。」
ボランティアは「つぶやき」を受け止めながら、手をさすったり、話を聞いて寄り添います。参加された学生さんの一人は「足湯はリラックスできるし、被災者の方は日頃コミュニケーションとれないのかも。自分が担当した方は、ずっと話されていた。」と感想を話されていました。
緊急性の高い泥出しなどの活動と、被災された方の心に寄り添う活動がどちらも本当に今必要だと感じています。
足湯隊も、恊働センターでのボランティア活動も引き続き募集中です!
申し込みフォームは以下からです👇
足湯隊
forms.gle/Ymo7aXhVadPm3g8b6
被災地NGO恊働センター(個人用)
docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScA7TQcJgahB7DvzkD_YH6srXKUG1pY6i3qGHgKq9MoIOXRPw/viewform
(CODE学生スタッフ 島村)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→https://ngo-kyodo.org/2024noto/2024/11/01/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%bc%89%e8%83%bd%e7%99%bb%e5%8d%8a%e5%b3%b6%e6%95%91%e6%8f%b4%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%8dno-112/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター ・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
1 week ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.111水害編―19
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
9月21日の記録的豪雨により浸水した被災者宅の泥だしや家具などの運び出し、そして清掃などの活動のため「やさしや足湯隊 第21便」のスタッフが25日から被災地に入っている。そして2019年、2021年と連続して水害に遭った佐賀県武雄市などで活動している一般社団「おもやい」のスタッフも水害支援活動に入っている。両団体のスタッフが翌26日、輪島市内のOさん宅)と輪島市稲屋仮設団地に、コープこうべさんにお願いして集めて貰った冬物衣類を届けた。水害による土砂災害や流木の道路が寸断され、元日の地震以来2度目、あるいは3度目の通行止めとなった被災地の集落には、残念ながら当分帰れそうにない。冬物衣類などは集落の各家庭に置いたままなので、古着であってもこの衣類配布は想像以上に喜ばれている。また、輪島市内で地震の被害で大規模半壊だったOさん宅は、今回の水害で床上浸水という二重被害になった。Oさんは、地震後やっとこれからは前を向いて行こう!と一歩を踏み出したところに、この9月の水害で床上浸水となった、Oさんは、「もう心が折れた!」と塞ぎ込み、一時は体調不良で入院もした。Oさんはもともと自営業を営んでいたこともあって、Oさん宅には被災者同士がよく集まっている。古着と言っても新古品というか、新品に近いダウンジャケットなどもあり、Oさん宅でも大変喜ばれた。
Oさんから、「ありがとうございました 皆さんに助けてもらつて 幸せものです ありがたいことです。元気出さないとね…」という嬉しい返事が届いた。
以前にも書きましたが、ボランティアが寄り添う形は多彩だが、こうして“黙って被災者の傍に寄り添う”ことがボランティアの第一歩なんだと、29年前の阪神・淡路大震災の時に、当時神戸大学医学部精神科教授の中井久夫さんが言われた名言だった。
Oさんのこのお礼の言葉を聞いて、29年目にしてやっと中井久夫先生のこの言葉が身に染みて理解できた気がする。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
1 week ago
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.110 水害編―18
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
本レポートNO107で少し触れたが、9月21日に発生した記録的豪雨による土砂災害の現実を目の当たりにしたときに、これまで見てきた水害による災害現場で、とにかくこれほどの流木が地域に流れ込んだという事態は、見たことがない。
今朝の毎日新聞の記事では、「国土交通省によると、石川県では10日時点で116件の土砂災害が確認された。内訳は土石流57件、崖崩れ45件、地滑り14件。・・・・豪雨とは別に、元日の地震では、石川県内で424件の土砂災害が発生した。豪雨との累計は540件。過去約40年の全国での土砂災害は年間平均約1100件で、今年は半数近くが能登半島地震で起きた計算となる。」と報じられていた。
また、今年3月に防災科学研究所の酒井直樹さん(水・土砂防災研究部門副部門長)が発表された「2024年能登半島地震による土砂災害の特徴」では、・強い揺れと地質構造の影響を受け、2000箇所以上発生。・今後の復興に対して余震や雨期の土砂災害発生が懸念と注意喚起がされていた。先の新聞報道の数字と、この酒井直樹さんが懸念された数字とを見ると、今回の水害が、起こるべくして起きた言っても過言ではない。
「金沢大学の青木賢人准教授(自然地理学)は、「地震対応に追われている自治体が別の災害リスクを周知する対応の難しさが露呈した」と指摘(神戸新聞 2024・10・21)
災害大国日本に住む以上、覚悟しなければならないのかも知れないが、私たち一般市民の取り組みだけでは限界だ。普段からの山の手入れや災害発生時の避難対応などは、ある程度可能だと思うが、同時に自治体による事前防災としての「ハザードマップ」作成が急務だ。同マップをもとに、地域総がかりで事前防災に取り組む必要がある。しかし「石川県能登半島の28河川の流域で、浸水範囲や避難場所などを示した洪水ハザードマップが作成されていないことがわかった。」と報道された(神戸新聞同日)あらためて、事前防災の強化が必要だという教訓となったのでは・・・・・。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
1 week ago
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.109 水害編―17
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
衆議院選挙も中盤に入った。各党は、「防災庁設置」を主張している。“災害大国日本”といわれ、また“防災大国日本”ともいわれているので当然だろうといいたいが、正直「今さらか?」と皮肉の一つもいいたくなる。しかし、30年前から災害時支援活動を展開してきた立場から敢えていうと、元日に起きた「能登半島地震」に対する国及び自治体の対応を観ていると、「さて、防災大国といえるだろうか?」と疑問を持った。
そうした中で、記録的大雨による水害が発生し、被災地にとっては“踏んだり蹴ったり”という声、“もう心が折れた!”という声を聞くと、やはり「防災大国」とはいえないだろうと断言する。特に、今回の複合災害で「被災者主体」という言葉はどこに消えていったのかとさえ思う。30年前の阪神・淡路大震災で掲げた「神戸宣言1995」では、「復興は被災者主体で・・・」と宣言した。この言葉は、あの時亡くなられた6434名の方々の魂の叫びだということを忘れたのだろうか・・・・?
先日、テレビを観ていると、地元石川県の候補者3名はいづれも地震後から走り回っている議員たちの姿を私は見ている。被災者主体の被災者の声を集約する一つは、こうした議員の声をまとめる必要もあるだろう。同時に、被災地には元日以来NPO/NGOが100団体以上が入っており、実質一日も休みなく支援活動を展開している。何故、県も市もこの有意義な被災支援に奮闘しているボランタリーな人たちに、もっと活躍する場や機会を提供しないのだろうか?10月21日付神戸新聞によると「石川県によると、豪雨による住宅被害は18日時点で1487戸。大半が床上・床下浸水だ」とのこと。上からトップダウンの対応で済ますのではなく、わずか1487戸だと数団体に丁寧にお願いすれば、マンツーマンの寄り添い支援が可能だ。もちろん、「丁寧に」ということの意味は活動がしやすい環境を整えるということが大前提だが・・・・・。
数日前に輪島市西保地区の大沢町の住民がお一人、体調を崩しヘリで救急搬送されたと連絡があった。西隣の上大沢町には数時間かけて歩くしかない手段がないのに、一人、二人と日帰りで集落に帰っている住民がいるという報告も…。
今、衆議院選挙で走り回っている候補者たちは、一日一言でいいから、「私たちは能登を忘れていません!」と言って選挙活動したらどうか?そうすることで、実は各々の選挙区の住民に対して寄り添うことの大切さも分かるというものだ!!
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
2 weeks ago
【ボランティア募集中】
第21次足湯隊のボランティアさんが足りていません🥲
どなたかお力添えお願いします🥺
未経験、初心者大歓迎です🔰
第21便足湯&水害ボランティア
日程:11月8日(金)~11日(月)
場所:輪島 河原田(輪島市内の中心街)、七尾など
内容:泥かき、ブラッシング、足湯、家屋の片付けなど
移動:関西の方は車で一緒に行きます。関東の方は金沢まで電車(交通費補助)などで来ていただき、金沢で車でピックアップします🚙
また、出発の日が平日のため夜出発になります。
夜、出発でその日の夜中に到着し、翌日から活動の流れになると思います。
ご検討のほどよろしくお願いいします🙇 ... See MoreSee Less
2 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.108
水害編―16 能登半島支援 緊急支援のお願い!!
元日の地震で孤立し、地域の学校や集会所に避難していた地域が少なくない。その一つが珠洲市の外浦にある「大谷地区」だ。私はこの大谷地区には、4月中旬に初めて訪問した(本ニュースNO49参照)。その時には、大谷小・中学校の避難所には約40人が避難していた。その時点で、区長さんに今後のことを少し聞いた。「お一人暮らしの方や、施設に入っている方もおられる方は少ないだろう。ここに帰って来ても生活ができない…」と区長はおっしゃっていた。それでもこの地区に帰って来て、「元の暮らしを…」と始めた人たちはいた。
しかし、地震後9カ月が経った9月21日に記録的大雨によって、再び避難所生活に戻った人たちが約30人にも上る。辛うじて在宅生活が可能な人たちは約160人。(水害発生で避難指示が出た時は90人)。また、4月の時点に逆戻りとなった複合災害だ。ここの地域に入って、支援をされている専門家は、「みなさん、『これでもか、これでもか』」と被害に遭いながらも、前を見て進もうと力強いです。」とおっしゃった。
一方、私が隣の馬緤町を訪ねた9月30日、珠洲市内からう回路を通って大谷町に抜ける道は全く通れない状態だった。地元の住民に聞くと、「大谷峠は何とか通れる」と聞いたのだが、そもそも元日の地震後はその大谷峠を抜ける道は通行禁止だったが、そちらが通れるようになり、う回路が通行止めになっていた。さすがに地元の人はよく知っている。
また、大谷町の東隣の「仁江町」では、元日の地震後に大規模な地滑りで海岸線(249)が通れない状態が続いていたが、今回の水害でさらに地滑りが起きた。その西隣の真浦地区は、水害後また孤立生活が余儀なくされた。
こうしてこの地域は、道路事情が完全に回復しないことには、生活道路のう回路を使ったりしての生活が余儀なくされているので、落ち着かない日々が続くだろう。支援も十分には届かないことが心配される。 ただ、救われるのは、この地域は昨年の5月にも地震の被害を受けていた経験もあって珠洲市はじめ支援センターに集まる専門家集団による徹底した巡回見守りやNPO,NGOの支援ネットワークがしっかりしていることである。ちなみに、珠洲市には未だ、断水地域が少なくない。
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。 引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→https://ngo-kyodo.org/2024noto/2024/10/22/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%bc%89%e8%83%bd%e7%99%bb%e5%8d%8a%e5%b3%b6%e6%95%91%e6%8f%b4%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%8dno-108/
■活動支援金のご協力をお願い致します。
・クレジットカードでも寄付ができます。
・ヤフー募金でもご寄付いただけます。
・郵便振替 口座番号:01180-6-68556/加入者名:被災地NGO恊働センター
・銀行振込 ゆうちょ銀行 一一九支店 当座番号 NO.0068556 名義:ヒサイチNGOキョウドウセンター
*お手数ですが、備考欄に「2024年能登半島」と記入して下さい。 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.107
水害編―15 能登半島支援 緊急支援のお願い!!
去る9月14日、輪島市町野町粟倉にある「もとやスーパー」で足湯をさせて貰った。元日の地震で大きな損傷を受け、電化製品や家具などを展示していた別棟の至るところのガラスが割れ、地震の凄さが想像できた。もとやの女将さんの足湯は私がさせて貰った。女将さんは、「こんなことで、へこたれん!絶対再建して見せる」と気丈だった。 しかし、その1週間後の9月21日、午前9時ごろから記録的大雨が降りだした。翌日のテレビには、流木が数本突き刺さってる無惨な「もとやスーパー」の映像が目に止まった。
私は9月30日、もとやスーパーを訪れた。車は辛うじてスーパーの前も通れるように片付けられていた。とはいえ、同スーパーの前の駐車場には、大型ダンプが3台止まっており、片づけをしていた。スーパーのすぐ近くの支流となる川は崩壊し、夥しいほどの流木が至るところで折り重なっていた。私の知る限りでは、水害でこれほどの流木が集まっているのは、過去にも見たことがない。珠洲道路から県道6号線(宇出津・町野線)を曽々木海岸方面に走ると、粟倉に行きつくが、かなり手前の方から流木が車道の両側に積まれていたが、「こんなところまで、これほどの流木が流れついているということは、粟倉は相当酷いことになっているだろう」と予測はしていた。
この流木の多さは、元日の地震で地盤が緩み、そこに記録的大雨が降り、山々の各地での地滑り、土砂流下などが至るところで重なり、斜面崩壊が集中して、川に流れたのではないかと思う。粟倉の隣の金蔵は、少し山間部にあり、その金蔵から粟蔵を見下ろすような山々の地滑りあとを見ると、それを裏づける斜面崩壊を目にすることができ、粟倉に夥しい流木が重なっている理由が分かる。 もとやスーパーは創業70年で、この町野町には1件しかないスーパーだ。輪島市と石川県が早急にこのもとやスーパーの再建支援計画を提示するべきだ。それが、何よりもの支えになる。 (被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
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3 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「やさしや足湯隊」に参加したボランティアや輪島中学校の足湯での「つぶやき」も少し掲載しています。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.106
水害編―14
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
以前にも何度か、この支援ニュースでお伝えしたが、輪島市西保地区には、西二又、上大沢、大沢、上山、赤崎、下山、小池の7集落があり、今回の水害でこの7集落のすべてが一時避難をした。当然、着の身着のまま避難された方が多く、そのうち大沢、赤崎、下山、小池の人たちは輪島市内の「宅田第一仮設団地」に住んでいた。元日の地震後、この仮設団地と元の集落とのニ地域居住をしていたのだ。全員が集落に戻り生活をしていた訳ではなく、ニ地域を行ったり来たりしながらの生活を送っていて、9月21日の記録的大雨に遭ったのだ。
そこで、先日その宅田第一仮設で上大沢と同じようにコープこうべさんに衣類を集めてもらい、当NGOのスタッフが集会所でバザーを開いた。40人くらいが集まってくれ、“古着バザー”となった。かなりの量を持って行ったが、瞬く間に全部がみなさんの手もとに届いた。9月21日の記録的大水害があったものの、みなさん「また、すぐ集落に帰れるよ!」と思っての避難だったので、まさに“着の身着のまま”だった。タイミングが良かったのも功を奏しただろうが、喜んで下さって「ホッ!」とした。 午後には、この水害で仮設住宅が浸水し、しばらく住めなくなった被災者が二度目(被災者にとっては3度目)の避難所生活となった「輪島市市立中学校」避難所で足湯をさせてもらった。
被災者や参加したボランティアの声を参考に!
「今水害がちょっと落ち着いてきた。やっとちょっと。」
「台所のカレンダーが1月のままだったのがぐっときた。」」 「やっぱり今回も国が何もしてくれてなかったけれど、ボランティアの人がめちゃくちゃ助けてくれた。」
元日の地震と9か月後の水害の二重被害を物語る“つぶやき”です。 (なお、以前宅田第一団地の足湯をさせて頂いた様子は、支援ニュースNO87に書いています。ご参考に…)(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清)
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3 weeks ago
🌱若者会議を開催いたします🌱
若者会議とは・・・?若者が中心となって普段日常生活で言えないような不満や不安などをざっくばらんに語り合い、想いを共有する会です。
2025年1月17日で阪神・淡路大震災から30年が経つということで、今回主役となる若者は、阪神・淡路大震災(1995年)以降に生まれた若者が対象です。
世代の近い若者同士だからこそ分かり合える小さな不満や不安から、これから私たちが担う社会に点在する大きな課題など、トークテーマは参加者次第です✨️
ハイブリッド形式で行うため、オンラインでの参加も大歓迎です!👨🏻💻
申し込みはチラシに記載のQRコード、または以下のURLからお願いいたします!
また、質問や相談等あればお気軽にご連絡ください!
たくさんのご参加お待ちしております!🌱
↓イベント詳細と参加申し込みはこちらから
forms.gle/rSvSnPBEHksfSHYL9 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
「ウクライナ子守ボランティアレポ―ト」 No.15
久しぶりの子守ボランティアレポート配信です。子守ボランティアでは学生ボランティアが子どもの面倒を見ることを通じて、避難民の方々の子育てサポートをしています。
ウクライナのジトミールから2才(避難当時)のお子さんと二人で避難されたOlさんは、日本に長期的に在住し、働くことを見据えて、10月から日本語学校に通われることになりました。最近はウクライナの伝統ダンスを教えられたり、イベントで披露されたりと、故郷が厳しい現状にある中でウクライナへの想いを表現される活動もされています。
今回は、そんなOlさんのお宅で子守ボランティアに初めて参加したCODEインターンの安福瑞希さんからの感想です。
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初めて子守りボランティアに参加しました。
担当したのは元気いっぱい4歳の男の子です。子守り中は部屋で鬼ごっこをしたり、ベッドにダイブしたり、アンパンマンの歌に合わせて踊ったり、一緒に楽しみながら過ごしました。
今回は学生2人で約4時間の対応でした。勿論とても楽しかったですが、元気いっぱいの子どもさんについていくのは大変です。そして「いつもはお母さん1人なんだ」と、ふと感じました。
本当なら一緒に子育てをして、子どもの成長を見届ける人がいるのに、その当たり前を侵攻によって妨げられている。早くあるべき当たり前に戻れたらいいなと心から思いました。
そして、その当たり前の日が来るまで、私達はこの現状を知り続け、アプローチしていかなければならないとも感じました。
お母さんは慣れない日本で、語学学校、習い事、子育てと多忙な日々を過ごしていました。そのため心配なことに、体調も崩されていました。少しでも負担を減らせるように、私もこれから時間が合う時は子守りボランティアに参加したいと思います。
(神戸学院大学3年安福瑞希)
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*CODEでは、2015年にCODE未来基金を立ち上げ、災害NGOや国際協力を志す若者を応援しています。未来を担う若者たちの活動にご支援、ご協力お願いいたします。
ご寄付はこちらから。
code-jp.org/donation/ ... See MoreSee Less
3 weeks ago
【やさしや足湯隊 交流会(!)】
◇日 時:2024年11月30日(土)14:00~17:00
◇場所:こうべまちづくり会館
(神戸市中央区元町通4丁目2‐14)
◇参加費:無料
◇開催:対面(オンライン zoomも可)
◇申し込み:https://forms.gle/1LMDVrGsoxuJVXVL8
オンラインの方は、11月28日(木)までに申し込みください。翌日の29日にメールにてzoomのURLを送らせていただきます。
主 催:兵庫県防災士会
被災地NGO恊動センター
CODE海外災害援助市民センター
ぜひ、気軽にご参加ください!
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2024年1月1日午後16時10分に石川県能登地方で震度7の地震が発生しました。「被災地NGO恊動センター」「CODE海外災害援助市民センター」が連携して結成した足湯ボランティア「やさしや足湯隊」は現在、先遣隊~第19次隊(のべ165名)までが活動しております。
能登半島では復興への歩みを進めていた途中、9月21日に豪雨被害をもたらしました。これからも継続して能登半島に寄り添った支援が必要です。
今後の復興を考える上で、足湯ボランティアの意義や拾った「つぶやき」の意味を、みんなで考える機会を設けたいと思います。ボランティアに参加された方やボランティアに参加してみたい方、能登半島の現状やどんな活動を行なっているんだろうと気になる方など、どなたでもご参加下さい。 ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」
No.104 水害編―12
能登半島支援 緊急支援のお願い!!
豪雨被害に襲われた被災地では毎日泥との格闘が続いています。
床下には、水分を多く含んだ泥や大きな固まりになった泥、サッシの隙間や断熱材、あらゆる隙間に泥が入り込んでいます。
そして、水害の被災地は色をなくし、辺り一面茶色に覆われています。今週は地震被害から定期的に活動を続けてくれている新日本宗教団体連合会や氷見市からの阿部んじゃーずのみなさんが参加してくれました。
みなさん、泥だらけになって活動に参加してくれています。
認知症の旦那さんが一時避難している病院から帰宅する前に、なんとか泥だしまで終わらせようと思っています。お母さんはお父さんの介護と家の片付けで女性陣も小さな身体を器用に使い、狭い床下に潜り、きれいにしてくれました!
ふと!キッチンに目をやるとピンク色の一輪のバラがありました。お母さんが「これが、いまの私のとっての明かりなの」と。
色をなくした町並みにひとつの明かりが見えました。 (増島)
*私たちの活動は、CivicForceのパートナー協働事業に支えられ活動しています。
www.civic-force.org/info/activities/earthquake202401/20240130.html
*私たちの活動は赤い羽根共同募金会「ボラサポ・令和6年能登半島地震」の助成を頂き活動しています。
引き続き現地からの情報を発信していきます。
ブログはこちら→https://ngo-kyodo.org/2024noto/2024/10/15/%e3%80%8c%e4%bb%a4%e5%92%8c6%e5%b9%b4%ef%bc%882024%e5%b9%b4%ef%bc%89%e8%83%bd%e7%99%bb%e5%8d%8a%e5%b3%b6%e6%95%91%e6%8f%b4%e3%83%8b%e3%83%a5%e3%83%bc%e3%82%b9%e3%80%8dno-104/ ... See MoreSee Less
3 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.105 水害編―13
能登半島支援 緊急支援のお願い!
さて、前号水害編―NO11の最後で、「上大沢の有名な間垣は一部流されたものの、間垣の中の敷地に入ると住家は地震後のそのままで、水の被害はなかった。」と書きました。21日の大雨は予想されていたので、住民のほとんどは20日までには輪島市内の仮設住宅に避難していたのです。(当日、緊急避難し、九死に一生を得たのは区長とその父だけです。)
冒頭で述べたように、上大沢の場合は水害での住家の被害は(ゼロではないですが)ほとんどなかったのです。川沿いの物置などの倉庫にしていた建物が流され、海外に近い間垣の外の道路が陥没していたので、その向こうにあった軽トラックは出せないままです。
住家は地震後の被害のままで、修繕や再建が終わっていない状況で、水害での被害はなかったけれども、そこに住むことはできないので、みなさん“着の身着のまま”逃げてきたのです。
そのため、そろそろ肌寒くなってきたにもかかわらず、「半袖しかない!」「すぐに帰られると思ったので、冬物の衣類を置いてきたまま!」という声が出て来ました。確かに、私も一度水害の後歩いて上大沢の集落まで行ってきたので、(口には出せないが)正直「当分、帰られないだろうなぁ・・・」と思っていました。「寒さ対策で冬用の衣類が急ぐ!」と思い、29年前の阪神・淡路大震災より共に災害救援活動を行なって来た“コープこうべさん”に依頼して、緊急に冬用のセーターやズボン、ダウンなどを集めていただき、また白元アース株式会社より提供戴いた“湯たんぽ”とともに皆さんが避難されている輪島市内の仮設住宅に届けて来ました。
その日は日当たりもよかったのですが、風が強かったので、ほんとうにみなさん寒そうな恰好でしたが、出迎えてくれました。地震の後、4月に初めて上大沢に行き、その後足湯を3回実施してきただけに、当NGOのスタッフや二度連続水害にあった佐賀県武雄からのボランティアさんが届けてくれ、大変喜んでくれました。こうして顔を見せるだけでもボランティアとして大事なことなんだとあらためて教えられました。水害がなければ、4回目の足湯活動を計画していたところでした。婆さんから「兄ちゃん、兄ちゃん!」と頼られているNさんの仮設住宅の一室だけが裏山の水が入り、残念ながら少し床上浸水という被害に遭いました。
ところが、なんと一昨日、そのNさんと他5人とともに、また上大沢まで歩いて行ったというのです。これにはびっくりしました。早速Nさんに電話したら、「私たちは、こういうのは慣れているから…」と“こともなげに”言われたので、「え~?」とまだびっくりでした。(続く)
(被災地NGO恊働センター顧問:村井雅清) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.103
水害編―11
水害後1週間を過ぎた9月末に、これまで何度も紹介してきた「輪島市西保地区上大沢」に行ってきた。水害後、この上大沢に住んでいてNさんに電話したところ、「いつもありがとう!心配かけて…。でも今回の大雨で陥没、倒木、土砂と上大沢までの道路を塞いでおり、もう、当分上大沢には帰れないなぁ...」と。「今年やっとの思いで収穫した米も40~50袋は水浸し、30袋は大丈夫だけれど取り出せない。停電でもあるし、乾燥機も水に浸かり使えない。集会所も川沿いにあるので、護岸がえぐられて、もう一度大雨が降れば流されるだろう」
Nさんは、元日の地震後も早くに上大沢に出入りし、初めてお会いした4月末には、「とにかく米を守らなければ、来年に影響する。とにかく稲の苗を腐らないように管理しなければならないんだ。」と。真夏の暑いときも、Nさんのシンボルの“つなぎ”を着て、田んぼ作業に精をだしていた。いつも笑顔で迎えてくれたNさんだが、今回はかなりのショックを受けたようだ。
Nさんから水害後の上大沢のことを聞いた後、区長が住む輪島市内の仮設住宅に住むY区長宅を訪ねた。このレポートでも紹介したが、100歳のおとうさんもおられた。同区長は、「もう住めないだろうなぁ..」とポツリと一言つぶやかれた。いつものように言葉少ない区長さんだが、やはり相当なショックを受けただろう。
「実は、私も昨日、上大沢まで行って来たんだ!片道1時間ほどかかったけれど…倒木が大変だった。」と。「えっ、1時間。往復2時間か…」これなら行けるなぁと行くことを決意した。
しかし、道路の崩落、山々からの流木、水田に土砂が入り、上大沢の入り口の商店と住家、集会所の損傷は想像以上だった。往復2時間どころか、10ヶ所ほどの倒木を乗り越え、泥の中に長靴ともすぶりとはまり、途中河原を歩き、現地での滞在も含めて6時間もかかった。上大沢の有名な間垣は一部流されたものの、間垣の中の敷地に入ると住家は地震後のそのままで、水の被害はなかった。不幸中の幸いというか、「ホッ!」としたが、いつになれば帰ることができるのかを考えると、暗澹たる気持ちなる。
(詳細は次号に)
(被災地NGO恊働センター 村井雅清・顧問) ... See MoreSee Less
4 weeks ago
被災地NGO恊働センターからのニュースです。
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.102 水害編―10
能登半島支援 緊急支援のお願い!
深見集落(鹿磯から山を越えた隣の集落)も、2007年の地震後に足湯でお世話になった集落だ。元日の地震でも、停電・断水のため一時はほぼ全村避難されたが、「避難所より、やはり深見の方が、住みやすい」と、何処よりも早くみなさん帰村され、これからという時に再びこの度の水害で孤立だ。すでに何度も深みに入っているボランティアのTさんのFBでは、未だ徒歩でしか行けないと。私は、先月28日、徒歩で深見地区に入った。地震の時は集落の真ん中を流れる川は大きな被害がなかったと聞いていたが、見事なまでに河口から奥へと両岸が壊れ、車は走れない。山からの土砂と泥水が、細い道路や家、家を2m近くまで押し寄せた。国際協力を専門とするボランティアKさんが一早く泥出しに駆け付けていた。
集落の住民も10人ほど帰っていて、片付けをされていた。スコップを持っているお母さんたちのスタイルが何か違うなぁと。よく見たら作業服の上からしっかり黒いコルセットをしていたのだ。重たい泥の除去のために、腰に負担がかからないような姿勢で泥を一輪車に乗せ、運んでいた。2007年に足湯をさせていただいた深見集会所が、川を挟んで正面に見えた。70代半ばの女性に「2007年の時に、あの集会所で足湯をさせて貰いました。深見には女性水防隊がありましたよね。男性が、遠洋航路へ出て1年の半分以上が女性だけになるので、集落を守るのは女性だ!」と聞いていましたと。その女性曰く「今では遠洋航路に出る若い者もいないし…女性水防隊と言っても、こんな年になってね…」と笑っていた。どの地域も同じように高齢化が進んでいるが、あのコルセットスタイルを間近に見ると、またこの集落に戻って暮らすという意気込みを感じられ、こちらが元気を貰った。やはり、深見はやはり「女性水防隊の魂」が残っているなぁと思った。あのコルセット姿が目に焼き付いている。深見は、素晴らしいボランティアグループの支えもあって、被災者による自主・自立の先駆的なモデルの集落だ。せめて集落の入り口まで車が通れるようにして欲しい。(次に続く)
(被災地NGO恊働センター顧問
村井雅清) ... See MoreSee Less
1 month ago
9月上旬に東南アジアを襲った台風ヤギ(11号)では、ミャンマーの少数民族の地域にも大きな被害をもたらしました。
軍事政権にある中で、厳しい状況にある方々に国際的な支援が十分に届いていません。CODEは日本政府に向けた以下の要請文に賛同しました。ご一読ください。 ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.100 水害編―8
「宝物にするわ」
輪島の中心部に住むOさん(80代女性)は、ご主人と息子さんの3人暮らしだ。このお宅にも1m以上の泥水が襲った。
Oさんは、泥まみれになった棚を外に出してほしいという。
「もう捨ててもいいわ。どうせ主人も仕事できないし。。。」とこぼす。
話しを聴くと、ご主人は伝統工芸である輪島塗の職人さんで、最近は認知症が進行していて、Oさんは泥まみれになったご主人の仕事道具の処分に頭を悩ませていた。
度重なる震災や水害による疲れやショックから少しやけになっているように見えた。輪島塗の器を保管する貴重な棚を捨てようとするOさんを少しなだめて、「ご主人の大事な道具だから、少し待とうか」と声をかける。
泥をかぶった棚がボランティアの力できれいなっていく姿を見て、Oさんは「こんなにきれいにしてもらって、もう少しお父さんに頑張って働いてもらおうかな。。」と涙を流していた。
別れ際にボランティアと記念撮影をした時、Oさんはきれいになった木片を抱きしめて「捨てようと思ったけど、宝物になったわ。」と笑ってくれた。
2度の大災害で心が折れそうになって自暴自棄になっている被災者がいる。(吉椿) ... See MoreSee Less
1 month ago
被災地NGO恊働センター
「令和6年(2024年)能登半島救援ニュース」No.99 水害編―7 能登半島支援 緊急支援のお願い!
9月21日の水害から1週間後の28日~30日に、輪島市門前鹿磯、同深見、同市稲屋仮設団地、同市マリンタウン仮設、同市西保地区上大沢、同市町野町粟蔵、同市曽々木、同市金蔵、珠洲市馬緤を回ってきた。
偏向報道とはいわないが、何処からこれだけの倒木が流れ込んでくるのかという町野町粟蔵の目を覆うような甚大な被害の他は、神戸にいるとあまり水害の被害報道は目にしない。
鹿磯では、2007年の能登半島地震以来おつきあいしていたU宅の前の神社(この神社は地震で全壊)の山が崩れ、空き家だった家を押し流し、U宅の隣屋に直撃。神社の真下の家は、元日の地震では大きな損傷がなかったのが、今回の地滑りで住めなくなった。Uさんは、7年前に奥さんが他界し一人暮らしだが、地震のあった元日は近くの家の姉の家で、家族5人が正月を過ごしていた。しかし姉の家が壊れ5人が生き埋めになり、奇跡的に屋根裏を突き破って全員が助かった。Uさんは、地震前に脳梗塞で倒れ、後遺症が少し残っており、加えて腰痛で悩む身体を引きずりながら、月に一度30世帯の在宅被災者に救援物資を配っている。「同じ被災者なのに、在宅の人には支援が十分でない…」と嘆いていた。(次に続く)
(被災地NGO恊働センター顧問 村井雅清) ... See MoreSee Less