救援ニュース」カテゴリーアーカイブ

中国四川省地震救援ニュース 38

今回の地震で、悲しいことに多数の学校が倒壊し、父母等が「手抜
き工事が原因!」として訴えています。前にも触れましたが、同じ被害
の大きかった綿陽市北川県の小学校で誰一人けがをしなかった小学
校があるようです。以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。ここ
に出てくる「希望小学校」とは 、個人や団体の寄付により中国の貧困
地域に建てられる学校のことで、日本からも多くの寄付で学校が建て
られています。長くなりますが、このメールの最後の方に、この希望小
学校への寄付についての案内の文書を添付します。
≪北川とう(登におおざと)家「劉漢小学」死亡者ゼロの真相≫
 私はここに奇跡を書きます。この奇跡は北川とう家劉漢小学のことで
す。483名の児童はひとりも亡くなっていません。そのうちの71名の児
童は2日かけて徒歩で3つの山を越え原始林を抜け綿陽に逃げること
に成功しました。さらに大きな奇跡は、10年前にこの倒壊しなかった希
望小学を建てた誰かがいるということ。
 小さい頃から小児麻痺を患っているため左足が不自由なとう麗君は3
階から下へゆっくりと降り外に出たところだった。太陽がかげったと思う
と、地面が吼え動きはじめた。彼女は必死で走り始めた。おそいなが
らもそばの竹林にはいずりこんだ。体育教師が「はやく校庭に逃げ
ろ!」と叫び、何人かの女子児童が校庭にでてきた。3分後には全校
483名が集合した。そして、学校責任者の肖暁川は9名の同僚と家族
のいない71名の児童を連れて2日がかりで、そして水も食料もない情
況で、海抜2000メートルを超える山を含め三つの山を越えて、綿陽ま
で到着した。中には4歳の未就学児の子もいた。
 (中略)
 もしもあの日、とう家小学校が北川中学校のように数秒で崩れ去って
しまっていたら、後の伝説的な山越えは存在しなかっただろう。実際
は、児童がひとりも亡くならなかったし重傷を負った児童もいなかった。
正式には「劉漢希望小学校」と呼ばれるこの校舎は崩れなかっただけ
でなく、奇跡的にガラス一枚割れなかった。この大地震で無数の学校
がドミノのように崩れ去りたくさんの児童生徒が亡くなったというのに、
この建築は奇跡とはいえないだろうか?私は非常に興味を持った。誰
がこれを作ったのか?
 「漢龍集団」という会社がある。この会社は10年前にとう家小学を寄
付した企業だ。オーナーは「劉漢」、社長は「孫暁東」という。この学校
を建造した際、監督をしたのは当時、会社の「事務室主任」だった人
だ。私は昨夜この「事務室主任」をつかまえることができた。彼は話を
してくれたが、決して私にその名を明かさなかった。不必要な面倒を起
こしたくないからだ。なので、私は「X氏」と呼ぶことにする。
1、10年前、劉漢と孫暁東は部下のX氏に対して、「何がなくても教育
だけはしっかりしなきゃならん。今回の建築は必ずいい質のものを作ら
なければだめだ。もしも校舎が粗悪なために何かあったときは、君は
会社にいられないぞ。」と言った。
2、10年前のある日、X氏は監督中に工事施工会社のコンクリートに問
題があることを発見した。泥が多すぎたのだ。X氏はコンクリート生産会
社の副社長を務めたことがあり玄人だったので、彼は怒った。施工会
社の社長に要求し、泥をきれいに洗い流させた。彼はさらに扁平な石
を使ってはならないと主張した。扁平な石が入っているとコンクリートを
注ぐ過程でコンクリートの結実度は大きく下がる。彼は施工業者に雷を
落とし、扁平な石を全部取り除かせた。
3、会議中に、彼が工期の遅れについて尋ねたとき、施工会社の責任
者は「まだだ」という目をした。それで現地政府からまだ経費が下りて
いないことがわかった。寄付の原則として、企業の寄付はまず現地政
府の関係機関に届け、政府が施工会社に工事の経費を渡すことに
なっている。しかしそのときにまだ資金を受け取っていなかったのだ。
(ここで疑ってみるのが中国の慣例である)。X氏はまた怒り、追及し、
経費を届けさせた。
4、竣工式の前に、ある原因で工期がまた延長することになって、X氏
はまた怒りだした。関係機関と激しく言い争った。9月19日学校はよう
やくあたらしくきれいな校庭が完成した。彼はこの校庭を見てとてもう
れしかった。ここが10年後に483名が逃げ込んだ場所になる。
 施工期間、人々はいつも2種類の音を聞いていた。ひとつは工事機
械の音であり、ひとつはX氏が怒ってお金のことで言い争っている声
だった。肖暁川は私に言った。「彼が監督をしてくれたおかげです。彼
がかけあってようやくお金が出たんです。」
 私はもう多くを語る必要はないと思う。ひとりの中国希望小学校の寄
付の規則をよく知る人が言った。「児童が全員無事に逃げられたのは
ひとつの奇跡であるが、漢龍集団のX氏が言い争ってお金を正規の用
途につかわせたのはさらに大きな奇跡だ。通常、言い争いは何の役に
も立たない。お金は間に合うように支出されることはないのだ。」(なぜ
今回学校がこんなにも多く倒壊したのか、直接的に言うことはできない
が、常識のあるひとならわかるであろう。)
 さきほど、X氏が私にショートメールを送ってきた。彼の同意を得ては
いないが、今後希望小学校を建てたいと思う人に注意を促すために書
いておく。お忙しいところ失礼します。責任を持ってあなたに言います。
私たちが自ら関わった綿陽の5か所の希望小学校は今回の地震で壊
れず無事です。教師も児童も無事です。
                     (5月19日 李承鵬のブログより)
5月20日 新快報による続報(抜粋)
≪X氏の単独取材≫
 「ここ2日で自分で五ヶ所の学校を見てきましたが、壁に小さな亀裂
ができた以外、何も倒れていません。」X氏の語気にはあきらかな自負
があった。
 最初、ネットユーザーは建築の質が高いことが必ずしも倒れなかった
理由ではないだろうと疑う者もいたし、震源地やその他の要因が考え
られたが、5か所の同じところが建てた希望小学校がどれも倒れな
かったということは、建築の質が関係あることを証明している。
 X氏がこの5校のことに言及した理由は関係部門にさらに学校建築と
いうものを重視してもらいたいからで、「このような悲劇は二度と繰り返
してもらいたくない」と述べた。
 X氏は記者にこの5校の名前を明かした。
 ・北川劉漢希望小学校
 ・安県紅武村希望小学校
 ・江油白玉漢龍希望小学校
 ・江油含増鎮長春村小学校
 ・北川擂鼓鎮漢龍教学大楼
 漢龍集団は数年来、寄付で数校を建てている。2007年6月19日四川
漢龍集団公司はアバ教育事業寄付式をぶん川県威州州学校で挙行
した。アバ州ぶん川県威州中学校、マルカン中学校、州中職校、州教
育基金会などに合計1000万元(1億5千万円)を寄付している。
————————————- 
≪希望工程の方針≫
 希望工程は民間資金を募集することによって、中国貧困地区の学校
へ行けない子供達を救助し、教育条件を改善し、全ての子供に教育を
受ける権利を実現するための公益事業である。
一.寄付者への案内
  1.一般寄贈: 金額に制限無し、まとめて希望工程の救助活動に
使う。
  2.1+1寄贈: 400人民元(5000~6000円相当)を寄付するだけ
で、1人の学校へ上がれない子供に小学校を卒業する願望を実現させ
ることができる。
  3.「希望書庫」寄贈: 3000人民元を寄付することにより、辺鄙な
山地地帯の小学校のために500冊児童読物を持つ「希望書庫」が設立
できる。設立後の書庫は寄贈者の名前又はご指定名称で命名でき
る。
  4.「希望小学」寄贈: 20万人民元を寄付するだけで、希望小学校
を建てられ、その地域の教育条件を改善できる。学校は寄贈者の名前
又はご指定名称で命名できる。
  5.特別基金設立: 30万元以上の寄付で、希望工程基金の中に
特別基金が設けられる。毎年の基金利息を救助活動に使う。
  その他、貧困地区の学校へ教育環境を改善するための文教用品、
学校設備等の寄付もできる。
二.寄贈の手続き:
  希望工程北京捐助中心(寄贈センター)は北京市政府の許可で設
立された事業機関、希望工程及び救助業務を担当している。
    1.寄贈者がまず自分の意志に基づいて登録カードに記入してく
ださい。
    2.寄贈者は寄付金と登録カードを担当係員に渡してください。
    3.係員は金額とカードの確認をしてから、寄贈者に領収書を発
行する。
    4.寄付者に寄贈記念カードを発行する。
     (1)寄贈者全員に「捐贈記念カード」を発行しる。
     (2)寄贈金額1万人民元の方に「捐贈名誉証書」を発行する。
     (3)結対(1+1)寄付者に毎年の3月又は9月の新学期に救助
を受けた少年の名前、住所を明記した《結対救助カード》を送付する。
  希望工程北京捐助中心(寄贈センター)
  連絡先: 北京市東城区北新橋香餌胡同3号
  郵便番号: 100007
  TEL: +86-10-64076969  64077979   
  Email:mailto:hope@www.goyoyo.com.cn    
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中国四川省大地震救援ニュース 37

今回の地震で、「おから工事」と言われる手抜き工事で大きな問題となってい
ますが、重慶では耐震審査を義務づけたようです。建築基準法のようなものは
あると聞いたのですが、「えっ、義務づけてなかったんだ?」ということになりま
す。これでは、かけがえのない人を亡くされた遺族にとってはあきらめ切れない
ことになるでしょう。
RIMG0014-s.JPG
以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。
≪重慶;今後、高層建築の耐震審査を義務化≫
 6月1日、重慶市は高層建築に対する耐震審査を実施し、第一次(初歩)設計
で審査を通らなかった建物の建築を禁止するとした。即日実施を開始。同時に
重慶市では設計関係の耐震に関する知識研修を実施し、設計会社、施工会社
とも新政策にわからないところがあれば、重慶市建設委員会設計処に聞くこと
ができる。ここでいう「高層」とは一般に10階と10階以上の建物、あるいは28
メートル以上ある建物。重慶市中心部で建てられる新しい建築の9割が「高層」
だ。「超高層」とは一般に100メートルを超える建築物をさす。世貿ビル、市科技
館、市大劇院がこれにあたり、耐震審査はさらに厳格なものとする。
 重慶市建設委員会の関係者によると、第一次の設計案が完成した段階で
「高層」以上にあたる建物は、市建設委員会に審査を申し込まなければならな
い。専門家チームによる審査に通らなかった場合、設計を改善できなかった場
合施工を禁止する。施工行程では監督、質量検査を確実なものとし、検査建築
の耐震性を確保する。 (6月3日 重慶晨報)
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中国四川省地震救援ニュース 36

いつも被災地の様子をレポートしてくれているYさんですが、調査ばかりではなく、瓦
礫片づけ等のボランティア活動も行っています。その様子が届きましたので、お知ら
せします。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/P6050838-thumbnail2.JPG" alt="P6050838.JPG" width="200" height="133" border="0"
hspace="5"
P6050835.JPG
現在、日本人ボランティア約10人と韓国人、中国人、(ときに欧米人)でほぼ毎日被
災地で瓦礫の片付け、掘立テント小屋の建設、仮設住宅の建設手伝いを行ってい
ます。光明村ではすっかり人気者です。彼らがいることで子供達も集まって一緒に
作業するようになりました。皆暑い中、真黒になりながら明るく頑張っています。これ
からボランティアも増えてくるかもしれません。今は車1台チャーター(1日450元)し
ていますが、乗り切れなくなっているので、何か方法を考えなければなりません。以
上ジャパニーズボランティアの情報でした。
以下はCODE翻訳ボランティアによる情報です。
≪山東省;学校建築の立地条件を見直し≫
 山東省は「山東省普通中小学基本弁学条件標準(試行)」を定めた。これから建て
られる新しい中小学(日本の小中高)は次の6つの危険地帯を避けて建設することと
した。その6つとは、高層建物の蔭になるところ、地震断層の上、山地や丘陵地帯の
地滑りしやすいところ、崖のふちや崖の下、河や海の土石流の危険があるところ、
ダムの近隣の水があふれやすいところ。
 同時に、学校はできるだけ高速道路や幹線道路沿いを避け、交通騒音や高圧電
線、高圧ケーブルの影響を避けること、 船の航路を横切って通学するようなことが
ないこと、 病院や高圧変電所などの学生の生命健康に危険をもたらすかもしれな
い場所を避けること、を定めた。
 山東省はこれを示すことで、全省の学校建設の水準を改善し、標準化をすすめる。
また、省内各地の建設局と調整し、すでにある学校で危険な建築や改造が認めら
れるものは改築計画を定め、5年をかけてすべての学校が目標に達するようにする。
 (6月2日 新華網)
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中国四川省地震救援ニュース 35

中国四川大地震発生から、1ヶ月も経たない内に被災地の一部で仮設住
宅の建設がガンガンはじまり、一部では復興計画の作成にも入っているよ
うです。これって阪神・淡路大震災の時よりもかなり速いスピードでの対策
のようです。一方で農村地域や険しい山間地域の再建については、その
場での再建の道をとるか移転して再建するかの悩みもあるようです。いつ
ものYさんのレポートを紹介しますが、地震がなければ厳しい中でも農作業
に打ち込む人々の暮らしが目に浮かびます。
<Yさんのレポート>
中国人学生ボランティアと日本人ボランティアと北川県の被災地へ向かっ
た。永安鎮の中心部も倒壊した家屋が目立つ。またそこから西へ未舗装
の道をしばらく走ると道沿いに瓦礫の山が続く。新石村である。車の窓越し
に崩れた家屋で老夫婦がなにやら作業をしているのが目についた。その家
では崩れ落ちた屋根が、穀物を貯蔵していた部屋を埋めていた。袋が破
れ、散乱したトウモロコシが瓦礫に混じる。それを拾い集め、ふるいにかけ
て袋に詰めなおし、20kほどの穀物袋を運ぶという地道な作業だ。年をとっ
た夫婦には過酷な作業である。僕たちもさっそく作業開始。ほこりと荷の重
さは、若い学生にもこたえる。だが、どこか活き活きとした顔をしている。作
業を終えた僕らにおじいちゃんは、救援物資の水を飲めとしきり言う。最後
に「このことは永遠に忘れないよ。」と語った。
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中国四川省大地震救援ニュース 34

いま、四川大地震の関連で被災地ではボランティア熱が高まっているようです
が、現地に詳しい人たちの話では、「でも熱しやすく、冷めやすい!」ともいい
ます。偶然2006年11月15日の朝日新聞「世界発2006」という記事を見つけま
した。「学生ボランティア熱 やりがい求め地方へ」という見出しで、「農業を助
け、教育を助け、新しい農村をつくろう」という国あげての農業政策に協力する
学生ボランティアのことのようです。「あなたの選択は一本の正しい道だ」と温
家宝首相が答えています。
Yさんの現地レポートをお届けします。
地震から1週間後に清平という山間部に向かった。やはり川沿いの道は、土砂
崩れのため寸断されていた。その手前の集落でお話を聞いた。この数日、上
流の土砂ダムが決壊するかもしれないとの報道があり、下流の集落は移転を
余儀なくされている。
 李万興さん(62歳 男性)も家屋が一瞬にしてガレキの山になった。現在は
ガレキのすみに止めてあるトラックの荷台に88歳の父親と奥さんと3人で暮ら
している。「これから来る雨季に備えてテントが一番必要だ。でも上流のダム
が決壊するかも知れないからここにはいられない。妹夫婦のところにでも行く
かなあ。」と語る。 「災民証(被災者証明)は受け取った?」と聞くと、「その話
は聞いたことはあるけど、義捐金の1日10元なんかもらってないよ。隣村はも
らったらしいけどね。。」また、「一日10元で一体何が買えるって言うんだ
い!?」と不安を隠しきれない。しかもこの義損金は3か月のみの支給であ
る。あとは自救(自助努力)するしかない。
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中国四川省大地震救援ニュース 33

昨日の記事<5月22日南方周末 記者 徐楠>の続きです。
 ≪広場の老人≫
 成都の市街地にひとつの空き地がある。そこはボランティアが集中する臨時広
場になっていた。
 
 白髪の老人張文武さんは陝西省渭南からやってきた。彼は故郷の村から数十
里を歩いて渭南駅にやってきた。彼は若いボランティアの車に乗り込み、祟州一
帯で一日仕事をした。そこでは大きな被害はなく、主な仕事は家を訪問して被害
状況を把握することだった。
 45歳の馮秀さんは湖北省から列車でやってきたばかりだ。彼女は食堂で仕事
をしており、被災地で食事が作れると言った。
 
54歳の劉春来さんは四川省遂寧から来た。故郷の村は軽微な被害に留まった
が、道路が不通になってしまったので、バスターミナルまでの数十里を歩いた。彼
は軍服を着て背中にビニール製の袋を背負っていた。「うちの息子は今年高校受
験だか、でかけるときにたくさんの子が試験を受けることさえできないんだ、がん
ばってきてね、と言ってくれたよ。」
 広場の入り口では68歳の老人が作業の割り振りをしていた。
 ≪遺書を書いてください≫
 被災地で起こっていることを見て、安徽省からきた貿易商の于大永さんは驚い
た。 5月17日に彼らが紅白鎮に着いたとき、被災者はすでにほとんどが移動した
後だったが、救援物資が次々と送られてきていた。于大永さんは心配した。「もし
もこの地区に感染症が発生したらこの物資は全部だめになってしまう。絶対に
持って出られないな。」
 彼らはまた、じん(くさかんむりに金)華鎮の被災者がテントに住んでいる少数を
除いては、たくさんの人が廃墟のなかで暮らしているのを見た。子供もいた。彼ら
には三本のろうそくと三本のきゅうりがあるだけだった。彼らはこれを宝のように
持っていた。
 上海から来た袁琳さんは涙を禁じえなかった。救助にきた軍人が疲労の末廃墟
に身を横たえて熟睡していた。気温は高くはえがたかっていた。
 于大永さんは軍人の人たちの健康を心配した。こんなに高温で何日も服を洗うこ
とができない。戦士たちの体にはすでに赤い斑点ができていた。
 成都に戻ったら、なんとか車を手に入れて薬を送ろう。
 「頂点」では、常に携帯の音が鳴り振動していた。ボランティアがそれぞれ情報
を携帯で発信しているのだった。 捜索段階が終わりに近づいても、ボランティア
は絶えずやってきて、山に入り奇跡を起こしたいと思っていた。
 5月19日正午、「頂点クラブ」を組織した高さんはやってきたばかりの若い男性に
向かって例の如くこういった。
 「余震の可能性があります。土石流や山崩れ、感染症も…」
 「私は怖くはありません」
 「本当に準備はOKですか?」
 「はい!」
 「それでは遺書を書いてください」
 男性はだまってしまった。
多くの人はこのような残酷な要求をつきつけられてはじめて、ボランティアが危険
な行動だということをようやく意識するのだった。
(文中のボランティアは仮名です)
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中国四川省大地震救援ニュース 31

中国四川大地震以後、実は中国の通信社「新華社」や「新民晩報」やそ
の他小さなマスコミに取材された。マスコミの目的は、阪神・淡路大震災以
後のボランティアがどのように対応したか、また災害後の深刻な課題となる
「こころのケアー」についてどうのようなことに気をつけなければならないか、
ということであった。先日その取材された一つ「新民晩報」(日本版)に私の
コメントが紹介されたらしく、その掲載記事が送られてきた。 主張で東京に
行っていたときに時間を作ったのだが、少しでも阪神・淡路大震災の経験
が役に立てればという思いでその日のスケジュールを変更して丁寧に話さ
せて貰った。
 その取材の中での「こころのケアー」について、「専門の精神科医の方々
に頼らなければならないケースもあろうが、一方大半はボランティアがただ
黙って被災者に寄り添うことで解決する被災者も多いでしょう」とアドバイス
をしたのです。丁度、今朝の毎日新聞2面の「時代の嵐」というコーナーに
精神科医の斉藤 環医師が-四川大地震後の中国-というテーマで書い
ておられますが、その中の引用に私と同じようなことが書かれていたので
「意を得たり」と少し安心した次第です。その引用というのは、阪神・淡路大
震災の被災者でもあり、ひょうご被災者支援センター理事長でもある精神
科医・中井久夫先生が、こころのケアーで大事な視点としていくつかあるな
かに「ボランティアはそこにいるだけで価値がある」と加えておられることな
のです。
 さて、阪神・淡路大震災後「こころのケアー」という言葉が溢れ返り、「ほ
んとにこれでいいのか?」と懸念を抱いたことを思い出すが、他方この引用
をみて国内で昨年3月に発生した能登半島地震後の5日目の避難所に、大
学生を中心に結成された「中越・kOBE足湯隊」というボランティアが支援に
言ったときのことを思い出す。5日目の避難所なのでまだ余震は続き、また
グチャグチャになった家には戻れず、もちろん風呂にも入れないという避難
生活をしているときに、多くの被災者にとっては孫と同じような大学生が足
湯をしにボランティアに来てくれ、足をお湯に浸し、手をさすりながら寄り
添った活動に、被災者のほとんどが喜んで下さったという事実は、今後のこ
ころのケアーの活動にも大きなヒントを与えたと思われる。
もう一つこころのケアーで大事なのは、この中国四川省大地震救援ニュー
スでYさんのレポートを紹介させていただいていますが、Yさんのレポートを
よく読んでいると、随所に被災者自身の”自助”の姿が行間に滲み出てい
ることに気づきます。まだまだ取り残された山間僻地の小さな村に残ってい
る高齢者と幼子の様子が垣間見えます。この”自助の姿”に被災者同士が
勇気づけられ、「被災者は自分一人ではない!」という孤立感からの脱出を
果たせば、またこころのケアーを有効なものにするのではないかと思いま
す。
また同じ被災地に住む一人のボランティアのこんな悲劇もある。少し長く
なりますが以下に紹介します。
(以下の翻訳はCODE翻訳ボランティアによるものです。)
「57歳のボランティア胡開華さん 被災者避難所で過労死」
 「今九洲体育館にいる。ここは被災者が多くてすごく忙しいんだ。はっきり
聞こえないから、切るよ。」これは57歳の胡開華さんが家族に残した最後の
言葉だ。
 5月14日の夜9時過ぎ被災者の避難所となっている綿陽九洲体育館の戸
口で、8時間以上忙しく働いた胡開華さんは突然倒れ、二度と起き上がらな
かった。5月16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。知らせが伝わり、彼を
よく知っている人たちは皆残念そうにため息をついた。「よい人だったのに
…。」しかし、人々は彼の被災者に対する思いに改めて敬服した。
●「家族とのつながり」
 25日午前、記者は綿陽市にある胡さんの家についた。胡開華さんの遺影
は部屋の中央に置かれ、周囲をたくさんの花で囲まれていた。遺影の胡開
花さんの表情は慈悲深く、この世をじっとみつめていた。5月12日午後2時
28分の事だった。胡開華さんが玄関付近を散歩していたとき、突然大きな
揺れが起こった。幸い、家族は無事で部屋も特に問題はなかった。そのあ
とすぐに青義中学へ向かった。彼の孫がその学校の一年生だったからだ。
孫を連れて帰り、改めて家族が皆無事である事を確認し彼は心から安心し
たのだった。その日の午後、胡開華さんは小さなテントをたて家族を避難さ
せた。
 「母はずっと体調がわるく、精神病を患っていてずっと薬を飲んでいた。長
年にわたって父が母の面倒をみていた。」胡開華さんの長男、胡文軍さん
はチベットで仕事をしており、普段なかなか帰ってこられない。「この家は父
の働きや気遣いがあってこそ。父がこんなに突然なくなるなんて思いもしな
かった。」「地震があってからずっと電話をかけていたが、なかなかつながら
なかった。」胡文軍は2日目になって家族と連絡がとれ、皆無事であること
を知りほっとした。が、その後、思いがけずこのような事態になってしまっ
た。
●「自ら北川被災地へ」
 14日正午 胡開華さんは地元の灯塔社区が20名のボランティアを募り北
川地震の被災地の救済に行くことを知り、自ら「私も応募したいんだ。」と申
し込みに行った。社区の主任は一目見て「年齢が高すぎるから無理だ」と
断念することを勧めたが、彼はひかなかった。近所の住民は皆 彼が頑固
で意思がとても固いことを知っていたので主任は胡開華さんが平常は元気
で体調がよいことを考慮して同意した。
「こんなことになると知っていたら行かせなかったのに…」25日の午後、主
任は記者に言った。「もともと20人のボランティアだったが、年齢が高い胡
開華さんを見て自分たちもできると志願者がさらに増えたんだ。結局38人
が行ったんだよ。」胡開華さんの次男胡文明さんは父の電話でボランティア
をしていることを知った。「電話で父は「北川被災地に行く」と。いつ帰ってこ
られるかは言わなかった。」胡文明さんが駆けつけたとき、胡開華さんはす
でに迷彩服に着替え、車が発車するのを待っていた。胡文明さんが父から
最後の電話をうけとったのは「九洲体育館に行く」ということだった。地震の
影響により通信が不良で胡文明さんは以後二度と連絡をとることは出来な
かった。
●「大きなテントを建てれば皆が入れる」
 胡さんの家の東側には百平方米の大きな仮設テントがある。これは5月
13日、胡開華さんが息子の胡文明さんと立てたものだ。昨日の午後、記者
が訪れたところ、テントの中には20人がベットでになっていた。「私たちと胡
開華さんは近所同士、あの日、彼はこんなにいいテントを建てて私たちを住
まわせてくれたんです。」テントの中で休んでいる一人は話してくれた。
「地震は治まったが、余震が続いている。新しく避難所を建てなければ」と5
月13日、胡開華さんは息子と空いている土地を整理し始めた。はじめ、胡
文明さんは家族のためのテントだし、そんなに大きなものは必要ないと思っ
た。しかし、胡開華さんは「絶対に大きなものが必要だ。そうでなければ多
くの人がはいれないじゃないか」と目を見開きながらこう言ったのだった。
「近所同士じゃないか」
 当日の午後、仮設テントには20個のベットが入り、皆が住むことができた
のだった。灯塔社区の王という住民は言った。「私と彼は幼馴染だが、いい
人だった。彼はずっと体も元気だったし、こんなことになるなんて…」
●「父がしたことは良識あるひとなら当たり前のこと」
 14日午後1時過ぎ、胡開華さんは九洲体育館についた。被災者が多いた
め、彼は秩序維持の協力の仕事を求められた。午後、彼は長男胡文軍さん
との電話で二言しゃべったあと、あわただしく電話を切った。電話のあと、胡
文軍さんは心配になり、すぐ同級生の王平さんに電話をした。「王平もボラ
ンティアで父と一緒にいたので彼に父のことを頼んだんです。」胡文軍さん
はこれが父と最後の電話になるとは思わなかっただろう。
 14日夜8時過ぎ、胡開華さんはすでに九洲体育館で7時間近く忙しく働い
ていた。夕食もとっていなかった。ある人が胡開華さんにお弁当を配った
が、おりしもそのとき一人の被災した老婦人がやってきたので彼は彼女に
お弁当を手渡したのだった。
 夜9時すぎ、胡開華さんは戸口で忙しく働いていて突然、倒れた。すぐに
綿陽市中病院に緊急で運ばれ、2度手術を受けたが、胡開華さんは二度と
目を覚まさなかった。
 16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。医者の話では突発性の脳溢血
とのことだった。胡文軍さんは言った。「本当のところ、私は父は特に偉大
なことをしたとはおもっていません。良識のある人間なら誰でもそのようにし
ただろうと思います。人として当然のことをしたのです。」
                    (新華網 成都 5月26日 17時19分)
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中国四川省大地震救援ニュース 30

Yさん30日のレポートです。
 この四川大地震で土砂崩れのため孤立した集落は多い。綿竹市の高川もその一つである。
高川に入る山道に入ろうとした時、突然ラッパの音が響き渡った。ちゅうどこの時間が、地震か
らちょうど1週間後の14時28分だったのだ。土砂崩れのため途中の山道 は寸断されている。
なんとか先に進めないかと思ったが、身の前に立ちはだかる多量の土砂の前には無力であっ
た。が、しかし山の上から下りてくる人々に出会った。声をかけてみると、地震後、一度山を下り
て避難所で生活していたそうだが、貴重品や村に残った高齢者のために再び村に帰って来たと
ころだという。彼らは土砂を迂回するように川の下まで降りて再び、あがってくる。まさに命がけ
である。村に残った高齢者の中には腰が悪くて自力では降りてくることができないという。また
家畜がいるからという人もいる。そうせざるを得ない理由がそこにはあった。そして、その上空に
は物資を運ぶヘリがこの日も飛んでいた。
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中国四川省大地震救援ニュース 29

成都に拠点を置きながら、毎日被災現地に出かけているYさんの走行距離は
300km以上になります。Yさんの27日のレポートです。
綿竹市から北川県に数多くある集落のひとつ、#(テヘンに共)星鎮泉楽村は
約500人のだ。綿竹市の中でも被災状況のひどい漢旺鎮から車を走らせ、泉
楽村を通りかかった時、突然、中年の男性が娘らしき少女を抱えて道を横切っ
た。その姿に近所のテントの人達も慌てふためき、集まってきた。その人だかり
に寄ってみると、少女は足に軽い擦り傷が見えた。回りはおどおどして何もしよ
うとしないので、僕がその場で水と白酒(アルコール45度以上)を使って軽く消
毒してあげたが、お母さんは、それでも傷口をけずるようにこすり続けていた。そ
れほど大した怪我でもないのに、あんなに大騒ぎするほど被災者の中で感染症
に対してかなり敏感になっているんだ、と感じた。この数日、日中は確かに蒸し
暑くなってきている。被災者の方にトイレの事を聞くと、「そのあたりで適当に」、
「穴掘って埋めてる」と帰ってくる。被災地はこれから雨季に入る。衛生問題が
気にかかる。
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中国四川省大地震救援ニュース 28

みなさん、今年の2月22日~25日まで東京で「世界P・E・Nフォーラム 災
害と文化」という催しが開催されたのをご存じでしょうか。このフォーラムに天
災も人災も体験された中国の作家莫言(モーイェン)さんが来日され、次の
ようなメッセージを残されました。
「自然災害は人間の美しい知恵で減らせる。よこしまな知恵があみだす戦
争に反対するのは芸術家の神聖なつとめだ。国家より全人類の利益が勝る
という思いで、芸術家は自らの責任を認識し、力をつくすべきだ。」と。また、
「困難なときほど、心の美醜が出る」とも。
 この四川大地震で被災を受けた中国の詩人 リャオ イ ウさんが、「天災
であれ、人災であれ、いかなる災害でも、それを記憶することが文学者の本
能である。」とおっしゃっています。続けて「外国からの緊急援助隊はとても
うれしかった。政府は一種の慣性の法則が働いていて、最初は真相を小さく
伝えようとしたため、緊急援助の時機を逸してしまった。だが、対応はこれま
でより迅速になったと言える。誤解を恐れずに言えば、これは確かに大災害
だが、一つのチャンスにすることもできる。」と。
 先述の世界PENフォーラムで基調講演に立った作家の大江健三郎さんは
「人間には恢復力がある!」と自身の体験からおっしゃっています。こういう
時の芸術家には、共通したものが各々の内面から湧き出てくるのでしょう
か。そういえば、阪神・淡路大震災の時にもいくつかのすばらしい詩人や歌
人がいたことを思い出します。
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