四川大地震救援ニュースNo.154/四川大地震10周年レポートNo.17

「10年ぶりの被災地①」

2008年の四川大地震の際に、被災地に多くのボランティアが駆けつけました。 CODEの支援する光明村に関わった多国籍ボランティアは約100名。その多くは日本人でした。 10年ぶりに光明村を訪れたボランティアの感想文をお届けします。 彼女は、2008年に元CODE理事の黒田裕子さん(2014年ご逝去)と光明村で出会ったことで 災害看護の道を志し、今では仕事の傍ら、フィリピンやバングラデシュなどに行き、 国際医療協力も行っています。(吉椿雅道)

10年目の光明村 三嶋千恵

 あれからもう10年か、と四川大地震10年目の集いの案内を受けて思った。 当時、バックパッカーとして世界を旅していた私は中国にいて、その時に起こった四川大地震。 前年にも成都を訪れていたこともあり、困っている人たちのために何かできることはないかと 成都に向かった。そこで既に活動を始めていたCODEに参加させてもらうことができ、光明村に 通い瓦礫撤去や仮設住宅建設に携わった。 その時の活動を通し、災害支援について素人だった私は、活動や村人との関わりを通し信頼関係や 寄り添うことの大切さなど様々なことを体感しながら学ぶ毎日だった。印象的だったのは、光明村の 人たちだった。家は崩れ路上でなんとか生活するような途方にくれそうな状況の中でも、笑顔で、 子供たちも自分ができる作業に参加し、井戸を1日で掘るなど驚くパワーだった。 そして私たちボランティアを気遣ってくれさえした。村人たちは私たちが勇気をくれたと言って くれていたが、私自身村人のそういった姿に尊敬の念を抱き、感動さえした。共に活動した ボランティア仲間も村人への思いは同じで、ガーっと働き帰路は車で爆睡するような体育会系合宿 のような毎日であったが、熱意ある仲間の姿勢からも刺激を受け、とても充実していた。 私の活動の最終日にはまだ仮設住宅建設も途中だったが、笑顔で送り出してくれる村人たちが 元気でこの大変な試練を乗り越えてくれることを願わずにいられなかった。  それから村への訪問が叶わなかったこともあり、10年経ち、今村はどうなっているのか、 村人たちはどうしているのか、集いに参加させていただくことにした。村への道から驚きだった。 かなり様変わりし高層ビルも道路脇に見えた。村に着いた時も気づかなかった程だった。 私の記憶にある村はどの辺りだろう、と分からなくなる程で正直戸惑った。 けれど、迎えてくれる村の人たちに再会し嬉しくなった。村の人たちは変わらなかったからだ。 懐かしい笑顔で迎えてくれ、元気で快活に話す様子、私たちのためにと村で採れた野菜を使った 料理を振る舞ってくれ、当時を思い出した。 一人の女の子は、当時の写真を見せながら、これが私、と教えてくれた。一生懸命瓦礫を運ぶ 作業に参加していた子と一致し、成長し大人になった様子にも嬉しさを感じた。 村を歩き回るうちに記憶とも一致してきて、当時の瓦礫や損壊した家がある風景から、緑豊かな田畑、 家畜が賑やかであちこちに果物がなる豊かな村になり、村人たちの本来の生活の様子が見えてきた。 震災を乗り越え、今穏やかに本来の生活に戻れている様子を見られて喜びを感じた。 村を訪問しながらこれまでの経過やこれからの展望の話を聞くことができた。10年ぶりの私には 新鮮な話だったが、その時々村を訪問し村人の声に耳を傾けてきた10年の積み重ねを感じられた。 CODEのように10年にも及ぶ長期的支援は易しいことではないと思うが、村人に寄り添った支援が 今の生活に繋がったのだと感じた。  私は10年前のこの経験から、日本へ帰国後は国際貢献できる人になりたいと新たな道を歩み始め、 少しずつ実現しつつある。辛くしんどいこともあったけど、この時の経験と思いが支えてくれた。 変わりゆくもの、変わらないもの。今回の訪問では時の流れを感じつつ、当時そこにいて色々経験し 沢山の人と出会い感じたことが、今に結びついていることを改めて感じた。これからも光明村の 人たちが笑顔で元気に過ごせることを願っています。

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