第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.6

【四川研修の感想 成安有希】

 第1回、第2回と参加した四川研修を通して、私の人生は変わりました。ちょうど就職活動の時期にかぶっていたこの研修に参加するかどうかで、私の人生は変わってしまうような、そんな気持ちでこの研修に参加した当時のことを思い出します。
 第1回に参加してから1年半が経ち、私も社会人となりました。そんなときにまた私のもとに四川研修の話が舞い込んできました。苦しかった第1回の研修から1年半で、私の感覚はどんな風に変わったのかが知りたくて、そして前回会った方々にもう1度会いたくて、「参加します」と即答しました。

 今回の研修を通して最も感じたことは、「現場で学ぶことの大切さ」です。これまで大学4年間、現場に出ることを大切にしてきた私ですが、就職の際には迷った末に中間支援することを選びました。もっと現場に出ていく学生を応援したいと思ったからです。そのため、働き始めてからあまり現場に出ることがない日々が続いていました。この四川研修で久しぶりに現場に出て感じたのは、「現場には、そこでしか感じられないことがたくさんある」ということです。それを最も感じたのはたくさんの人との出会い、そして再会でした。英語があまり通じない四川では、私の特技であるボディランゲージがとても役に立ちます。まずはとにかく笑顔でいること。言葉が通じないとき、それでも好意を持っていることを伝えるには、笑顔が大切だと思ったからです。1週間の研修を通して、私はたくさんの方と出会い、友達になりました。コンビニのレジをしていたおばちゃんとは日本に帰る前日に「また会いに四川に来るからね」と約束しました。本当に小さなことなんだろうけど、その約束を私は忘れることができません。
 たくさんの再会もありました。再会を繰り返すたびにどこか遠いと思っていた土地が、そこに住む人たちが、どんどん身近に感じられていきました。中国に行ったことがない、どこか偏見を持っていた1年半前の私とは違う私になっていました。今もし、四川で再び災害が起こったら、私は現地に行きます。現地に行けなければできることを必ずします。それはたくさんの具体的な顔が思い浮かぶからです。そんな大切なつながりを、この四川研修で得られたと思います。これまで3度の四川研修に参加させていただき、参加するたびに自分が変わっていくことを実感してきました。「被災者1人1人と向き合うことで、自分自身が問われる」という吉椿さんの言葉をこの研修でまさに実感させられています。

 中間支援の仕事をしてからさらに強く感じるようになったのは、CODEの「若者を育てたい」という思いがどれだけ本気であるかということです。皆様からいただいた寄付金や未来基金を使い、若者を現場に連れて行く。そこで色んな方や文化に触れ、つながりをつくっていく。そんな場を用意してくださることに本当に心から感謝します。これから私にできることは、この私の経験を多くの学生に伝えていくことだと思います。「現場で学ぶことがいかに大切なのか」ということを自分の実体験とともに伝え、学生がどんどんチャレンジしていけるようにサポートしていきたいと思います。私も次の世代にできることを考えながら、自分も色んなことにチャレンジしていきたいと思います。
 最後になりますが、今回四川研修で出会った光明村をはじめとする四川の皆様、寄付金や未来基金に寄付してくださった、日頃CODEを支えてくださっている皆様、そして現地との調整はじめこの研修を実施してくださった吉椿さんをはじめCODEスタッフの皆様、本当にありがとうございました。私はこれからもCODEとの関わりを持ち続けながら、私にできることをしていきたいと思います。

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光明村の村民と                                                          光明村でカレーを振る舞う

第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.5

【異文化理解と国際協力 神戸大学3年 福田諒】

 9月1日0時25分に中国四川省の成都空港に到着した中国国際航空機からタラップに降りると、少し湿っぽく生暖かい風を感じた。成都の気温は25℃近く。中国南部の盆地に位置するが、標高が600メートルと高いため思ったほどは暑くない。空港に迎えに来てくださったCODE代表の吉椿さんと合流し、タクシーをつかまえて一路成都市内のゲストハウスに向かった。

 翌朝からゲストハウスを拠点として、2008年に起きた四川地震の被災地を中心に、精力的にフィールドワークを行った。倒壊した中学校をそのまま保存した映秀鎮やチャン族の歴史的な石積の村である桃坪、CODEが被災直後から支援に入っていた北川県の光明村、震災後にチャン族の観光地として新たに建設された吉娜など。現地ではCODEがこれまで築きあげてきたネットワークを通じて、たくさんの方にお会いしお話しを伺った。

 数あるエピソードの中で、私が最も印象に残っているものを紹介したい。私が現地の人々と本当の意味での文化交流の機会を逃してしまった話である。
私たちは研修の一環として、成都市内に本社を置く、NGO壁虎漫歩の方々にお会いした。NGO壁虎漫歩は、四川地震後に設立された、生命安全教育を推進する中国での災害NGOのパイオニアである。防災教育に関する意見交換の後、彼らは長く付き合いのある吉椿さんを始めとする旧友をもてなすために、成都で最もおいしいという火鍋の店に招待してくださった。後日談であるが、NGO壁虎漫歩の代表の張さんは、私たちをもてなすために北京での出張をわざわざ予定より切り上げて戻ってきていた。
夕食会が始まり、ビールや白酒といったお酒がふるまわれた。私は今年22歳で日本ではよく飲み会をするが、今回は単に気分が乗らなかったため固辞してしまった。そして、そのために張さんらと仲良くなる機会、深く交流する機会を逃してしまった。中国の人はお酒をガンガンに飲んで、腹を割って話し、相手との距離をぐっと縮める。日本でも飲み会を通して仲良くなることがあるが、中国ではその傾向がさらに強い。

 吉椿さんはじめ日本側の参加者でお酒を飲む人たちは、張さんたちと次々と杯を重ねて、ヒートアップ。話題が次々と展開し、盛んにコミュニケーションをとっているのに、飲まなかった私は、黙々と食事を続け、結局最後までお酒で盛り上がる輪に入ることができなかった。NGO壁虎漫歩の方々との交流は、その後も研修中に二度あったが、お酒を飲んだメンバーと飲まなかったメンバーとの親密度の差は明らかだった。

 今回私はお酒を飲まなかったために失敗してしまったが、逆に言えば、中国ではお酒を飲んでいれば、相手を仲間として受け入れてくれる。言葉が通じなくとも、自分が専門的な知識を持ち合わせていなくとも、共に飲むことで仲間意識が生まれ、さらに深く関わっていこうとなる。現地の人々の中に入っていく、つまり相手の文化、慣習にあわせてコミュニケーションを取ることで初めて、本当の意味での文化交流がなされるのではないかと思う。そして国際協力とはこうした文化交流を土台にして初めて成り立つことなのだとも思う。(CODEの活動は海外援助とも呼べるかもしれないが、現地で見たやり取りは、援助の言葉から連想する一方的なものではなく、お互いが学び合う、双方的なものであると感じたので、あえて国際協力という表現を用いた)

 後日、北川県の光明村を訪れた際、その考え方を再認識させられた。震災時にレンガ造りの家々が倒壊する中で、伝統的な工法で建造された木組みの住宅は倒壊しなかった。吉椿さんは現地の人との付き合いからそのことを知り、外部から新しい方法を持ち込むのではなく、耐震性が証明された現地の伝統的な工法での住宅再建を推薦、実際に何軒もの木造の住宅が建設された。震災直後の復旧期にも、人海戦術をとる人民解放軍ではなく、吉椿さんをはじめとするCODEの人たちの支援を村が重視したのも、交流を通じて村民のニーズを的確に把握していたからであった。
異文化理解と国際協力という、一見何の関係もない言葉が、実は深く結びついていたこと。そして、異文化理解なくして国際協力はありえないということ。この事実を知ったからには、次回交流する際には、現地の人とどうすれば仲良くなれるかを考えなければならないし、これから更に中国語を学び、中国という国や関わる地方のことについて、もっと知らなければと感じた。

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四川のNGOと                  倒壊した中学校(映秀)

第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.4

【CODE四川スタディーツアー2016年 感想 米川安寿】

今回のスタディーツアーに、私は人と防災未来センター(21世紀研究機構)の研究員として最年長で参加しました。普段は京都に暮らしていますが、偶然の縁に導かれ、2015年4月から21世紀機構で働くことになり、4月1日から神戸で週2回、勤務しています。ところが直後の4月25日、ネパール地震が発生しました。ネパール生まれだった私にとって、このタイミングで防災の研究所で働くことになったことは偶然とは思えず、「いったい何の関係で防災の研究所で働くことになったのだろうか」と悩み続けることになりました。というのも、私が担当したのは「少子高齢化対策」の研究であり、周囲にいる防災の専門家たちがネパール地震で慌ただしく動く中、私の担当研究は地震や防災に関与することが出来ず、自分の故郷で起こった地震に対応して、専門家たちを眺めるばかりだったのです。
そんな私自身は、神戸で働く以外の日々は、海外の養蜂家とともに、豊かな森の植生の保全活動を行う蜂蜜専門店ハニールネッサンスを運営しています。地震後は、自らの事業活動内で被災地の森の先住民の支援を行っていました。それまで防災は必ずしも意識している分野ではありませんでしたが、これをきっかけに「森の保全は防災ともいえるのでは?」という思いも沸き起こるようになりました。そして今回、不確かだった自分と防災との繋がりを発見したいと考えスタディーツアーに参加することとなりました。

元々防災に対する活動経験や専門知識はなかったのですが、スタディーツアーに参加した結果、大変大きな収穫がありました。それは、「一週間、防災分野の研修にどっぷり浸かる」ことによって、自分自身の中に「防災分野と関わっている感覚」が生まれていたことでした。ネパール地震発生直後から、防災の専門家たちがバタつくのを眺めていたときは、むしろ自分と防災は関係がないという一種の虚しさに耐えるばかりで、心に溝が出来ていました。しかし一週間、参加者メンバーとともに被災地を巡り、四川の人々に出会い、話を聞く中で、気が付かぬうちに、自分自身の世界観の中に、大きく防災という文字が生まれていました。吉椿事務局長は「防災という言葉に拘らなくても、日々の出会いと生活を大切にするということ自体が大きな意味をもつ」とおっしゃっていましたが、人と防災未来センターという場で防災の専門的研究活動を目撃し続けてきた関係からも「防災」と自分自身との関係は発見したい事でもあり、テーマとしてこだわっていた点でもありました。今回のスタディーツアーでは、何も知らなくても一週間じっくりとその世界に浸ることにより、新しい世界感が身近になっていくことを知りました。今後も、こうして何も知らなくてもツアーやCODEの活動に参加する人が増えればいいなと思います。私は、帰国してすぐに、人と防災未来センターへ行き、以前とは違う、理解を伴った親しみをもって研究スタッフの人々と新たな交流を始めています。ありがとうございました。

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光明村で被災当時の話を聴く            光明村村民と交流

第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.3

【自分と向き合う 神戸学院大学4回生 今中 麻里愛】

 私がこの研修で目標としてきたことは2つあります。
 1つ目は「自分と向き合う  こと」です。私は阪神・淡路大震災の日に生まれたので、たくさんの方に助けていただきました。なので“今度は私が助ける番だ”という想いを持っていたのですが、被災現場を目にすることが怖く、いつも被災地へ行くことから逃げていました。今回、四川研修のお話を頂いた時も気持ちでは「行きたいです」と言ったものの、頭で考えるとだんだんと怖くなり、パスポートを取る直前まで悩んでいました。このように被災地と向き合う勇気がなく、いつも引いてしまう自分と向き合い、変えていきたいと思いこの研修に参加しました。研修を終えて一番感じていることは、現場に行くことの大切さです。「私なんかに何もできない」などと考える前に、現場に行って被災した方と直接話をすること、被災地を直接見るということに意味があると感じました。被災地へ行くとこから逃げていた私は、被災地を写真でしか知りませんでした。実際に北川県城や学校の地震遺跡を目にしたときはやはり恐怖を感じましたが、同時に違和感がありました。自分が歩いている道は新たに舗装され妙に整っており、建物の周りには地震なんてなかったかのように草木が生えており、8年という時間の流れを感じました。それに対し学校や建物は8年前の地震が起こったその瞬間から時が止まっており、この違和感が恐怖に変わりました。遺跡として残すために今にも崩れそうな建物に新たに外側から柱を加え補強されている光景が信じられず、補強してまでこの建物を残す意味や、この遺跡は何を伝えようとしているのかが分かりませんでした。レポートを書いている今でも自分なりの答えは見つけられていません。しかしこの辛さは、被災地から逃げていた自分と向き合い被災地を目にしたからこそ感じることができたと思うので、最後まで向き合い必ず答えを見つけ出します。

 2つ目は「自分勝手に抱いている偏見や誤解をなくすこと」です。私は海外へ行ったことがなかったので海外へ対するイメージはテレビや新聞などメディアの情報のみでした。しかしCODEの食と国際協力に何度か参加しているうちに、意識はしていなくても自分勝手にこの国はこうだと頭の中で決め付けていることに気が付きました。中国も反日のイメージや日中関係の問題などからあまり良い印象を持っていませんでしたが、実際に中国へ行って現地の人と交流したことで自分は間違っていたのだと気付き情けなくなりました。一番印象に残っているのはチャン族の村でちょう楼を案内して下さったお父さんが言った「日本人は家族だよ」という言葉です。突然訪れた私たちを暖かく迎え入れ、ちょう楼の仕組みや歴史、建築の仕方などをとても嬉しそうに話してくれました。恐らく今までちょう楼について何度も何度も同じ説明をしているはずですが、説明している姿はどこか誇らしげで自分たちの歴史や技術を見て欲しいとさえ感じました。その他にも私たちのために予定を変更してまで来てくださった方や光明村での交流会で人の暖かさを強く感じました。この暖かさや信頼関係は地震直後からずっと被災者に寄り添っている吉椿さんや昨年訪れた先輩たちによって積み重なり、築かれたもので、今回私たちが交流したことによって、また積み重なり次に繋がっていくのかと思うと、この輪の一部になれたことがとても誇らしいです。
また現地の社会企業「壁虎漫歩」の取り組みは画期的で気付かされることが多かったです。教材を提供するのではなく自分たちが学校へ行って教えるという仕組みで、教えている人たちも20代の若い方が多く、防災意識の高さを感じました。若いスタッフは皆、仕事に“達成感”があると語っており、同じ年代の方々が活躍している姿に刺激を受けました。

最後に、今回の研修を受けていなければずっと自分と向き合うことから逃げていたと思います。今考えると、被災地を見ることが怖いから行けないというより、被災地を見た自分と向き合い乗り越えることに恐れていました。恐れて行かなければ、怖い思いはしなくて良いかもしれませんが、何も学ぶことはできないし成長もできません。研修中に辛い思いも怖い思いもありましたが、それ以上に得たことの方が多く、行けたことが自信に繋がり次へのステップとなりました。未来基金に協力をしてくださった方々、自分と向き合うきっかけを作って下さったCODEの方々、私たちを迎え入れて下さった現地の方々などたくさんの方の支えがあり研修に参加することができました。本当にありがとうございました。この研修で終わるのではなく、研修によって得たこと、感じたことを伝えていき次の輪へと繋げていきたいです。

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 帰国して昨年のインターンシップの期間のノートを見ました。一番大きく書いてあったのは吉椿さんが言った「人間はすぐ隣の人は気になるけど遠い人は気にならない。その輪が広がるともっと良い国になる」という言葉でした。当時とても共感し強調してノートに書いていたのですが、今回の研修でこの言葉が腑に落ちました。最初の研修で言っていたように日本の地震に全く興味のなかった村の人たちが四川地震を経験したことによって東北の支援をしてくれたという支え合いの連鎖が目に見えてわかりました。今日、吉椿さんのお話を聞いて、行動一つやちょっとした心遣いが積み重なり良い関係を築いていくということを学び、研修期間の吉椿さんの行動を改めて考えました。光明村に行った時の出会う人出会う人の名前を自分から積極的に呼び交流している姿がとても印象的でした。光明村の人々もとても嬉しそうで、この小さな積み重ねが、また次に来た時に繋がっていくのだと感じました。これからもたくさんのことを吉椿さんの背中から学んでいこうと思っています。
あと、上海のミーティングで泣いてしまったのは、思っていたことや溜めていた感情を吐き出せたというのもあったのですが、振り返っているうちに自分と向き合うことはできたが、引いてしまう自分を変えられなかった、被災地と向き合った結果、自分が感じた違和感の答えを見つけることができなかったということに気付き悔しくなりました。

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チャン族の村(1300年)を訪問                                         チャン族のちょう楼で

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地震遺跡で黙祷

第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.2

【四川研修の感想 上野智彦】

 四川には昨年の第1回日中NGOボランティア研修交流以来約1年半ぶりに訪れる事となりました。今回の研修では多くの人に再会もしました。光明村のみなさん、通訳のSさん、NGO備災センターのTさん、成都在住日本人のIさんなど久々の再会であっても私のことを覚えてくれている、今まで関係を積み重ねていくことができているということに大きな感動を覚えました。それまで日本に関わりのなかった光明村の方々が東日本大震災の際に日本を支援してくれたように、中国のみなさんとの関わりを深くしていく中で自分のこととして捉える気持ちがどんどん大きくなっています。現地との関係づくりを再認識する機会となりました。

今回、四川のフィールドを廻る中で前回とは違う視点から被災地を見ていこうと決めていました。前回、四川を訪れた際には中国の復興の課題をメインに視察をしていました。多くの課題を見て日本に戻ったとき、中国の復興から学ぶべき部分とは何だろうということを思いました。そこで今回の研修では中国の復興のいいところを探していました。一つはスピード。中国では発災から1カ月も経過していない08年6月には対口支援による復旧・復興事業が始まりました。復興宣言まで2年という短さは政府の号令から一気に進めることができる中国ならではです。当然、それによって大きな課題もあり、住民の意思の尊重や現地の都合お考えない支援も起こっています。しかし、いざという時にリーダーシップを取り復興を進めていく舵を取ることができるという強みも感じました。
またチャン族の観光復興村を訪れた際、前回感じた被災者自身が置いて行かれた復興という面がある一方、まだまだ改良の余地が多くあるということを感じました。チャン族の暮らしをよく知らない観光客からすれば、気軽に少数民族の文化に触れることができる観光村は例え本物の建築様式ではなかったとしても魅力的に映ります。これまで自身がチャン族であることをあまり意識したことがないという住民ですが、自分のルーツを辿り、それを故郷の発展につなげていくチャンスとなります。政府の支援による観光地化はきっかけに過ぎず、住民自らが村を良くしていくという意識があればこれから観光地として成功する可能性も十分にあるということも感じました。

今回、この第3回日中NGOボランティア研修交流では多くの方がサポートをしてくれました。現地の住民の方は私たちが訪れる少しの時間のために出稼ぎ先から戻ってきてくれていたり政府と調整をしてくれていたりと多くの時間を割いてくれていました。現地NGOのスタッフも仕事の手を休め私たちに講義をしていただき、また日本から来た私たちのために火鍋でもてなしてくれました。救援活動においても現地の方のサポートが無くては支援を考えることも被災地を調査することもできません。「私たちの活動は多くの現地の方々の支えによって成り立っている」という基本を改めて考えさせられたフィールドワークでもありました。

これからNGOに関わる若者が参加するべきなのでは?と参加することを迷った研修でしたが、現地の人々、参加したメンバーからもこれからもNGOスタッフとして働くための大きな刺激を受けました。今回の研修で見てきたNGOの仕事や役割、現地の人々との関係、参加した若者の成長など、まだ現地へ行ったことのない若者、次世代の若者を支えていく人たちに未来基金での活動を通じて伝えていきます。

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チャン族の石積みの知恵を聴く

第3回日中NGOボランティア研修交流事業の感想 No.1

NGOや災害ボランティアにかかわる6名の若者と四川大地震(2008)の被災地を訪問し、被災地の視察や被災者との交流、現地NGOとの学び合いを行いました。日本同様に災害大国である中国。CODEは、国を越えて災害時に市民レベルで支え合う関係を作っていくと同時に、将来のNGOを担う若者を応援しています。この事業に参加した若者の感想文をお届けします。(吉椿雅道)

【研修に参加して 岸本くるみ】

 今回ご縁あって研修に参加させていただき、ボランティアスタッフとしてお邪魔していた頃から事務所やニュースレターで何度も聞いてきた「四川」を訪れることができました。当然ながら、プロジェクトの報告で語られていた通りの世界が、そこにありました。それを見られただけでも、十分に感動的でした。支援先の光明村では、スタッフの方々が久しぶりに会う親戚のように迎えられていました。しかしすぐに仲良くなったわけではなく、震災後たくさんの日本人ボランティアが訪れ、倒壊した建物から瓦礫を運び、レンガを丁寧に取り出す作業を続け、少しずつ信頼を得ていったと聞き、驚きました。村の方々の関係性も、瓦礫を片づける作業も、自然とそこにある/あったと笑顔で語られるのは、お互いを思いやりながら積み上げた証に見えます。村の方から「朝起きて瓦礫を見るたび、生きる気力がなくなる。けれどボランティアが来て作業をしてくれて、元気がでた」というお話を聞いたとき、単に作業を引き受けるのではなく、一緒にやろうとそばに立つことが力になるんだと知りました。自分の未来を自分より信じてくれる存在がいれば、自分もやらないといけなくなります。

研修において自分のテーマは、四川の大地震が現地の人たちにとって、どんなものかを知ることでした。倒壊した中学校を地震遺跡として残している場所では、衣装を着たガイドさんがお客を案内し、観光客が写真を撮り、周辺ではお土産が売られていました。早くから商売するための屋台が集まってきたという話を聞き、頭に浮かんだのは、戦争中でも市は立つという言葉でした。自然災害でなくとも、辛いことや衝撃的なことは起こります。それでも各自の人生は変化しながら続いていきます。尋ねるまでもなく、大地震はまちと人の経験のひとつとして、今の様子をつくっていました。自分にとっての阪神・淡路大震災の体験も、人生の体験のひとつだと思っているのと同じでした。大きなこともちいさなことも、意識なく積み重なって常に変化する今の自分があります。光明村の状況も変化し、CODEの支援で建てられた老年活動センターも新たな活用を考える時期になっていました。課題も出ていましたが、変化も一緒に見つめられています。それはまた、新しい希望や面白みになるように思いました。

安全教育のシステムを作っているNGOとの交流では若いスタッフさんたちに日本の防災教育の教材を紹介しましたが、準備の段階で学生時代から触れてきた防災ってなんだろうと考えはじめていました。チャン族の伝統集落を見学したときも同様ですが、出逢った皆さんは自分たちのことを誇らしく語り、いのち、アイディア、土地、伝統、文化、たくさんの人がそれぞれ何かをまもりながら暮らしています。みんながそっと自分のまもりたいものをまもれていること、その安心への動きを私は何でも「防災」と感じていることに気づきました。当たり前のように、たくさんの人が暮らしていることに勇気をもらって、未来にも人にも前向きな興味を寄せています。貴重な機会をありがとうございました。

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四川のNGOと防災教育交流                                                      地震遺跡で追悼

【中国四川省地震救援ニュース】No.121-災害を忘れない-

本日5月12日は四川大地震が発生した日です。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
四川大地震 (2008年5月12日発生)
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「この6年を振り返って・・・」 四川大地震から今日でちょうど6年になる。M8.0の大地震によって44万平米(日本の国土総面積は約37万平米)という広大な被災地で死者・行方不明者約8万7000人という甚大な被害を出した。 震災の3日後に被災地に入り、約4年近く四川省で過ごしてきた。被災地まで片道3時間の道のりを何百往復しただろう。現在もCODEが支援している北川県光明村を震災後に始めて訪れた時、「日本鬼子」、「小日本人」と陰口をたたく人もいた。村の多くの人が日本に対していいイメージを持っていなかった。北京オリンピックを目前に控えていた事もあって、非常に厳しい規制もあった。だが、被災者一人ひとりの語る言葉に耳を傾け、ボランティアと被災者たちとガレキの片づけを毎日繰り返していくうちに村の人たちとの関係が変わっていった。後から聞いた話では、「ボランティア?日本人?何か企んでいるんじゃないか?」と思っていた人もいたという。 毎日毎日ガレキを片付け、被災者と一緒に汗を流すうちに、日本人と中国人という関係は次第に「ひとりとひとり」という関係になっていった。ボランティアには、言葉が出来ずに身振り手振りで何かを伝えようとする人、中国語を覚える人、黙黙と汗を流す人などがいた。被災者には、ボランティアの為にご飯を作り始める女性、農作業を教える男性、村を案内する女性、昔を語る高齢者、ガレキを片付ける子ども達などがいた。そこには「日本人と中国人」、「被災者とボランティア」関係性はもはやなかった。ボランティアの若者と被災住民の積み重ねた日々はいくつもの感動的なエピソードを生み出した。ボランティアが被災地を去る時、別れを惜しみ、被災者と共に抱き合い、泣き合った。ある一人の被災者の女性が「何もしなくていいから、ただ来てくれるだけで嬉しいのよ。」と語った。 日中関係の冷え込んだ昨年、光明村の医師を日本に招聘した。親せきの反対、心配をよそに彼は「俺には日本に友達が沢山いるから大丈夫だ!」と単身日本にやってきた。この人こそ震災前まで日本が嫌いだったひとりである。出会いは人を変えていく。 2011年の東日本大震災の時、村の人たちは少しずつ募金をし、たくさんのメッセージを書き、同じ被災者としての思いを東北に伝えてくれとCODEに託してくれた。 日中関係がぎこちない今だからこそ、偏った情報にとらわれずに国という枠を超えて、目の前のひとりと解り合う事。四川大地震はそんな大事な事を日中双方に気づかせてくれた。 (吉椿雅道)

【中国四川省地震救援ニュース】No.120

9月末、吉椿事務局長が四川省を訪れ、農家楽のワークショップを行いました。
その時のレポートをお送りします。
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中国四川省地震救援ニュース No.120
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 2008年5月12日に中国四川省を襲った四川大地震(中国では、5.12ブン川大地震)では被災地の農村部の暮らしぶりが露わになった。中国国内で農村部から都市部へと出稼ぎに行く「農民工」は、2億6261万人(中国国家統計局調べ)と言われ、その人々の存在が現在の中国経済を陰で支えている。
 大地震から5年を経た今も被災地では、未だ再建した住宅ローンの返済のために遠く外省へと出稼ぎに行く人々は多い。CODEの支援する北川県光明村の住民も約半数は出稼ぎに出ており、村は高齢者や子供が中心でどこか閑散としている。
 そんな光明村では、CODEによって建設された「老年活動センター」を使って「農家楽」と呼ばれる農家レストランの経営を始めている。この農家楽の発祥の地である四川省では、都市の人々が週末、農村に出かけ、花や景色を楽しみ、郷土料理を食べ、お茶を飲みながら麻雀やトランプに興ずるというレジャーが人気である。このアグリツーリズムは、四川から中国全土へと広まっていった。
 光明村の農家楽が順調に進めば、そこで雇用が生まれ、子どもを置いて出稼ぎに行かなくてもいい女性が出てくる。また村の高齢者の作る野菜を買い取ることで多少の現金収入も入り、家計の足しになる。
 だが、光明村の農家楽はまだ始まったばかりで知名度もなく、時々、政府の会議や村のイベントなどで使われる程度で、普段は閑古鳥が鳴いている。また、住民の中には村の幹部が勝手にやっているだけだと斜に構えている人もいる。
 そんな状況を何とかしようと先日、ボランティア仲間の協力で農家楽の専門家を招いてワークショップを開いた。北京の中国社会科学院から来ていただいたW先生は、日本に留学経験もあり、日本語も非常に堪能な方で中国の農村の人口問題や貧困脱出を研究している。W先生は、フィールドである北京や貴州省の貧困地域の農家楽で村おこしを行っている事例を光明村の人々に非常に分かりやすく伝えてくれた。「北京のある村では、たったひとりの女性が奮起、努力して、村民の信頼を勝ち取って、女性たちの力を生かし、農家楽を発展させていったのよ。」という話に住民参加や地域の力を如何に生かすかが、如何に大切かを教えてくれた。聞いている僕自身もどこからか力が湧いてくるような話だった。住民の人に感想を聞くと、いつも村の幹部に不信感を持っているLさんでさえも、どこか感心したように「あんな風にやれたらいいわねえ。」とつぶやいた。それを聞いたW先生はすかさず「あんたのように元気な女性がメンバーに入らないと!」とLさんをけしかけていた。
 これまで上から下へとトップダウンで物事が決められ、言いたい事を言ってもなかなか聞き入れてもらえないという農村社会で生きてきた人々にとって、現状を変えるには計り知れないエネルギーがいるだろう。そして住民参加を実現するにはまだまだ課題も多い。だが、震災を通じてCODEや沢山のボランティア、W先生などの外部者と出会い、交流する事で少しずつではあるが、変わり始めている。そっとそばにいて、人と人をつなぐ役割がNGOやボランティアなのだとあらためて思う。
                                   (吉椿雅道)

【中国四川省地震救援ニュース】No.119

先日の後藤さんの四川省訪問レポートに続き、スタッフ吉椿のレポートをお送りします。
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中国四川省地震救援ニュース No.119
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CODEの支援によって北川県光明村に建設された「老年活動センター」は村民にすでに利用されている。高齢者を中心にお茶を飲んだり、マージャン、トランプをしたりと中国風な娯楽を楽しんでいる。
村長の胡さん(30代)から、村のイベントで沢山の村人が集い、焚火を囲んで皆で歌い、踊っている写真を見せてもらった。写真の中に僕らボランティアと仲良しのお母さん、Xさん(30代)が楽しそうに得意の歌を歌っている姿があった。
今回久々に光明村に行くので、Xさんの携帯にメールを送った。すぐに返事が来て、「今、浙江省なの。また出稼ぎよ。あなたが来るなら会いたかったわ。。。」と数日前に再び出稼ぎに出たことを語ってくれた。2010年の尖閣諸島での漁船衝突事故の後、四川省でも1万人規模の反日デモが行われた。その日、僕らは光明村で村人と共にお祭りを行っていた。最後にXさんは、「中日友好一家親」(家族のような中日友好を)という大きな刺繍を数か月かけて一針一針と作ってくれ、「ボランティアとか何もしなくていいのよ。ただ来てくれるだけでうれしいのよ。」と語ってくれた。Xさんはこの震災を通じて日本、日本人を知った。そして今、誰よりも日本と中国の友好を願っている。
Xの歌っている写真を見てすごくほっとしたのは、Xさんが、震災が起きてから光明村の中でも最も苦しい立場に置かれているからだ。まもなく5年を迎える今もXさんの家は完成していない。2階部分や内装が薄いトタンで仮止めしているだけだ。お金ができたら材料を買って少しずつ家に手を入れている。
Xさんは、酒好きな旦那に時々DVを受け、息子は仕事をしていない。唯一の希望は、遠く別の省で一人学校に通っている娘だ。彼女のために歯を食いしばって出稼ぎで働いている。震災はXさんの人生をより過酷なものにしてしまった。震災から5年たって被災地の街は見事にきれいに再建された。だが、Xさんのような人が今もいることを忘れてはいけない。
(吉椿雅道)

【四川省訪問レポート(学生編)】No.4

一昨日に続き、「若者ポスターセッション」で最優秀賞を取られ、CODEプロジェクト地の四川省を訪問している後藤早由里さん(神戸大学4年生)のレポートをお送りします(これで最終です)。
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四川省訪問レポート 3月17日 
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今日は北川県の地震遺跡の見学に行った。
バスを降りて見えた光景は、衝撃的だった。地震災害後の街をそのまま保存していると聞いてはいたが、実際にすべての建物が傾き、崩れ、潰れている。その空間からは、痛みや苦しみの声が聞こえてくるような気がして、心の中ではずっと手を合わせていた。
四川大地震の行方不明者は、1万7923人いると聞いていた。この建物の下に今もおられる方がいるかもしれないと思い、その方々の存在を感じながら見学させていただいた。
このように地震遺跡として、被災した町全体を残し見学できるようにするということについては、貴重なことだと思う人もいれば、絶対よくないと思う人もいると思うし、どちらの気持ちもあるという人もいると思う。しかしこの町は保存されている。この街を見学して、私は、この地震遺跡を100年後に見ても同じように衝撃を受け、手を合わせると思った。保存されるということは、この地震の記憶を持たない人が見ても多くのことを感じ、学ぶことができると思う。この場所で被害にあった方はどんな思いだったのか、自然の力がどれだけ大きなものなのか、建物はどうして崩れ倒れ潰れているか、それぞれ考えることは違っても、きっと何かを感じ考えると思った。それぞれが見学してそれで終わるのではなく、それぞれが感じたこと考えたことが共有され、今後に生かされていくことが重要なことだと思った。
神戸大学 保健学科 
4回 後藤早由里