月別アーカイブ: 2013年3月

【四川省訪問レポート(学生編)】No.4

一昨日に続き、「若者ポスターセッション」で最優秀賞を取られ、CODEプロジェクト地の四川省を訪問している後藤早由里さん(神戸大学4年生)のレポートをお送りします(これで最終です)。
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四川省訪問レポート 3月17日 
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今日は北川県の地震遺跡の見学に行った。
バスを降りて見えた光景は、衝撃的だった。地震災害後の街をそのまま保存していると聞いてはいたが、実際にすべての建物が傾き、崩れ、潰れている。その空間からは、痛みや苦しみの声が聞こえてくるような気がして、心の中ではずっと手を合わせていた。
四川大地震の行方不明者は、1万7923人いると聞いていた。この建物の下に今もおられる方がいるかもしれないと思い、その方々の存在を感じながら見学させていただいた。
このように地震遺跡として、被災した町全体を残し見学できるようにするということについては、貴重なことだと思う人もいれば、絶対よくないと思う人もいると思うし、どちらの気持ちもあるという人もいると思う。しかしこの町は保存されている。この街を見学して、私は、この地震遺跡を100年後に見ても同じように衝撃を受け、手を合わせると思った。保存されるということは、この地震の記憶を持たない人が見ても多くのことを感じ、学ぶことができると思う。この場所で被害にあった方はどんな思いだったのか、自然の力がどれだけ大きなものなのか、建物はどうして崩れ倒れ潰れているか、それぞれ考えることは違っても、きっと何かを感じ考えると思った。それぞれが見学してそれで終わるのではなく、それぞれが感じたこと考えたことが共有され、今後に生かされていくことが重要なことだと思った。
神戸大学 保健学科 
4回 後藤早由里

【四川省訪問レポート(学生編)】No.3

昨日に続き、「若者ポスターセッション」で最優秀賞を取られ、CODEプロジェクト地の四川省を訪問している
後藤早由里さん(神戸大学4年生)のレポートをお送りします。
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四川省訪問レポート 3月16日 
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今日は、震源のあるブン川県の復興された街を見に行った。
そこでは、地震によって倒壊した中学校がそのままの形で遺跡として保存され、その周りには商店が立ち並び、地震博物館も建てられ、観光地のようになっていた。観光で訪れている人は、その多くがガイドに連れられて見てまわっていた。
その街の中の住宅地を2か所見てまわった。
1カ所目は3階建ての一軒家で、ほとんどの家が1階のスペースを使って商店をしていた。その中のヤクの角を加工した小物を売っている1人のおばさんに話を聞いた。おばさんは、元々は、地震によって位被害を受けた山間部に住んでいて、今と同様の商店を開いていたという。日本の復興住宅でもお店を持つ人はいるが、その数は少ないと思う。このように、復興住宅の住居として得た部分の一部をお店にするという発想はすごく新鮮で、中国人の力強さを感じた。日本では何かしらの制度があって住居部分をお店にするというのはできないのかもしれないが、元々やっていた仕事ができるのは、その人の生活習慣が取り戻しやすく、生活する中で大きな力になると思った。
2カ所目は、土砂によって被害を受けた村を再建したところで、2階建ての住居が建ちならんでいた。一軒ごとに少し大きめの花壇のような場所が設けられていて、そこにはどの家も所狭しと菜の花や白菜やネギなどいろいろな野菜が植えられ育てられていた。
元々、その村に住んでいた方は農作物を育てていたそうで、住宅にも畑のできるスペースが設けられたようだった。一軒ごとに小さくても畑仕事のできるスペースがあることで、そこでできた野菜を家で食べることができ、さらに、いきがいが保てるのではないかと思った。
2カ所の復興住宅を見て、そこに住む人たちがどんな暮らしをしてきたのかを踏まえて住宅を建てることで、そこに住む人たちが復興住宅での生活に慣れやすく、生活する力につながると思った。
神戸大学 保健学科 
4回 後藤早由里

【四川省訪問レポート(学生編)】No.2

昨日に続き、「若者ポスターセッション」で最優秀賞を取られ、CODEプロジェクト地の四川省を訪問している
後藤早由里さん(神戸大学4年生)のレポートをお送りします。
後藤さんたちの「KOBE足湯隊」チームによる発表は、インドネシア・ジャワ島のムラピ火山災害を想定した
「火山とともに生きていく」というものでした。自らの足湯ボランティアの経験をもとに、「外部の人が入っていくときはまず信頼してもらうことが大切」、と後藤さんは言います。
生活用水の確保にはじまり、モスクでの内職づくり、防災教育と様々なアイディアを取り入れた発表に、
「相手を思いやる想像力にあふれたプレゼン」とコメンテーターの方を唸らせていました。
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四川省訪問レポート 3月15日 
(2)光明村
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光明村に着いて、書記さんのお宅でお医者さんと書記さんと村長さんと昼食をごちそうになった。そこまでの道沿いには、すっかりきれいな白壁の新築が並んでいて、すべての家が被害を受けたということが、今の光明村からは想像がつかない程だった。
村の人たちは、初めてやってきた中国語のわからない私を、にこにこしながら受け入れてくれた。こんな風に受け入れてくれるのは、吉椿さんや光明村で活動したボランティアと村の人とが築いてきた信頼関係のおすそ分けをいただいたような気がした。
昼食後、光明村の老年活動センターを見に行った。木造の伝統的な作りの建物は、かっこよくて、村の雰囲気に馴染んでいた。今日はたまたま、いつもレストランをしているお母さん方がPTAの会議のようなものに行っていてセンターが開いていなかったため、あまり人がいなかった。普段はどんな様子なんだろう、ここにきている高齢者の方たちはここのことをどう思っているのだろうと思い、また日曜日に行ったときに開いていたら
いいなと思った。
老年活動センターでは村長さんや書記さんの話を聞いた。今後老年活動センターをより大きくして、イベントをしたり、釣りやほかにもいろいろと事業を広げていきたいというようなことを話していた。
老年活動センターを見た後、村の1人のお母さんに連れられて、そのお母さんのお宅にお邪魔した。そのお母さんは、老年活動センターをこれ以上大きくする必要はないと話していた。しかし、それは村長さんや書記さんには面と向かっては言わない。吉椿さんによれば、中国では政府の力がとても強く、村のことも村長や書記の意見でいろいろなことが決まるということが普通なことで、それに対して村人が意見する場などはほぼ存在しないという中国ならではの事情があるそうだ。
外から支援に入る私たちは、村の人たちの意見も聞いていった方がいいのではないかと思うかもしれないけれど、その意見を押し付けたら、この村の人間関係のバランスが崩れてしまうかもしれない。それはとても大変なことだと思う。でも、村のみんなの意見が汲み取られていくこともとても大事だと思う。村長さんや書記さんと村の人たちの意見、どちらもじっくり聞いて、バランスを取りながら調整することが大事だと思うが、それはとても基準があいまいなもので、慎重に進めないと難しいことだと思った。
外から支援に入って、老年活動センターを建てても、それで終わりでなく、老年活動センターが村の人たちに本当の意味で馴染んでいくように、見守っていくことも大切だと思った。
神戸大学 保健学科 
4回 後藤早由里

【四川省訪問レポート(学生編)】No.1

去る2月2日、CODE10周年シンポジウムの一環として、また、次世代の市民活動の担い手が育つ場づくりとして、若者による「ポスターセッション」を行いました。海外の災害に対して自分たちはどのような救援プロジェクトを行うか、ポスターに描いてプレゼンテーションしていただくものです。
学生を中心とする9チームに参加いただき、自らの経験や関心を踏まえた思いのこもった発表に、会場はとても盛り上がりました。
会場の方々による投票の結果、見事最優秀賞を取られた「KOBE足湯隊」チームの後藤早由里さん(神戸大学4年生)に、CODEのプロジェクト現場を訪問していただくこととなりました。3月14日から19日の日程で、CODEスタッフ吉椿とともに中国・四川省の被災地を訪れています。さっそく現地の後藤さんから報告をいただきましたのでご紹介します。
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四川省訪問レポート 3月15日 
(1)新北川県
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北川県は、四川大地震によって大きな被害を受け、人口3万人の内の2万人が亡くなり、さらに地震の影響で土砂崩れや土石流の被害が重なり、政府より復興は困難と判断を受け、別の場所に新しく北川県を作ることに
なったと聞いた。今日は、その新しく作られた”新北川県”を見に行った。
“新北川県”は、とてつもなく大きかった。元々、菜の花畑だったところに、将来は7万人が住むと計画され作られた町ということだった。町の中には、マンション、お店、学校、スタジアム、博物館などが、広大な土地に一つ一つどっしりがっしりと建っていた。しかし、その建物の存在感に比べて人の気配はあまり感じられなかった。商店の集まっている辺りに行くと、それなりに人が歩いていたが、少しめかし込んだ格好の人たちが多く、どうやら観光に来ている人のようだった。
これだけ大きな建物がいくつも発災から数年で建ったということには驚いた。日本とは違い、土地はすべて政府の持ち物であり、とにかく政府の力がとっても強力なことでこのようなスピードで成し遂げられたということだった。被災して家がなくなった人たちにとっては、すぐに住む家を得ることができるのはとても安心できることだと思うので、その点でスピーディーなことは大事なことだと思った。一方で、元々この場所で菜の花を育てて生計を立てていた人は今どんな思いでマンションに暮らしているのだろう?北川県で被災した人たちは、この場所で以前のような仕事ができているのだろうか?マンションから商店まで歩いたら遠いだろうなぁ。いろいろ大きすぎやしないだろうか?と思うことはいろいろとあった。
東日本大震災では、日本の制度や行政の仕組みなどもあって、なかなか将来の住居が決まらずにいる人がたくさんいる。その人たちのことを思うと、早く住居が決まることはとても大事なことだと思う。でも、今回この”新北川県”を見て、早ければいいというものでもないように思った。その場所でこれから生きていく人たちが、どう生きていきたいと思っているのか、どんな生活をしていきたいのかを大事に考えていかなければ、その場所に生き続けていく人たちの生活が、気持ちが、続かないような気がした。
神戸大学 保健学科 
4回 後藤早由里