中国四川省大地震救援ニュース 33

昨日の記事<5月22日南方周末 記者 徐楠>の続きです。
 ≪広場の老人≫
 成都の市街地にひとつの空き地がある。そこはボランティアが集中する臨時広
場になっていた。
 
 白髪の老人張文武さんは陝西省渭南からやってきた。彼は故郷の村から数十
里を歩いて渭南駅にやってきた。彼は若いボランティアの車に乗り込み、祟州一
帯で一日仕事をした。そこでは大きな被害はなく、主な仕事は家を訪問して被害
状況を把握することだった。
 45歳の馮秀さんは湖北省から列車でやってきたばかりだ。彼女は食堂で仕事
をしており、被災地で食事が作れると言った。
 
54歳の劉春来さんは四川省遂寧から来た。故郷の村は軽微な被害に留まった
が、道路が不通になってしまったので、バスターミナルまでの数十里を歩いた。彼
は軍服を着て背中にビニール製の袋を背負っていた。「うちの息子は今年高校受
験だか、でかけるときにたくさんの子が試験を受けることさえできないんだ、がん
ばってきてね、と言ってくれたよ。」
 広場の入り口では68歳の老人が作業の割り振りをしていた。
 ≪遺書を書いてください≫
 被災地で起こっていることを見て、安徽省からきた貿易商の于大永さんは驚い
た。 5月17日に彼らが紅白鎮に着いたとき、被災者はすでにほとんどが移動した
後だったが、救援物資が次々と送られてきていた。于大永さんは心配した。「もし
もこの地区に感染症が発生したらこの物資は全部だめになってしまう。絶対に
持って出られないな。」
 彼らはまた、じん(くさかんむりに金)華鎮の被災者がテントに住んでいる少数を
除いては、たくさんの人が廃墟のなかで暮らしているのを見た。子供もいた。彼ら
には三本のろうそくと三本のきゅうりがあるだけだった。彼らはこれを宝のように
持っていた。
 上海から来た袁琳さんは涙を禁じえなかった。救助にきた軍人が疲労の末廃墟
に身を横たえて熟睡していた。気温は高くはえがたかっていた。
 于大永さんは軍人の人たちの健康を心配した。こんなに高温で何日も服を洗うこ
とができない。戦士たちの体にはすでに赤い斑点ができていた。
 成都に戻ったら、なんとか車を手に入れて薬を送ろう。
 「頂点」では、常に携帯の音が鳴り振動していた。ボランティアがそれぞれ情報
を携帯で発信しているのだった。 捜索段階が終わりに近づいても、ボランティア
は絶えずやってきて、山に入り奇跡を起こしたいと思っていた。
 5月19日正午、「頂点クラブ」を組織した高さんはやってきたばかりの若い男性に
向かって例の如くこういった。
 「余震の可能性があります。土石流や山崩れ、感染症も…」
 「私は怖くはありません」
 「本当に準備はOKですか?」
 「はい!」
 「それでは遺書を書いてください」
 男性はだまってしまった。
多くの人はこのような残酷な要求をつきつけられてはじめて、ボランティアが危険
な行動だということをようやく意識するのだった。
(文中のボランティアは仮名です)
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます