投稿者「code」のアーカイブ

中国四川省大地震救援ニュース 31

中国四川大地震以後、実は中国の通信社「新華社」や「新民晩報」やそ
の他小さなマスコミに取材された。マスコミの目的は、阪神・淡路大震災以
後のボランティアがどのように対応したか、また災害後の深刻な課題となる
「こころのケアー」についてどうのようなことに気をつけなければならないか、
ということであった。先日その取材された一つ「新民晩報」(日本版)に私の
コメントが紹介されたらしく、その掲載記事が送られてきた。 主張で東京に
行っていたときに時間を作ったのだが、少しでも阪神・淡路大震災の経験
が役に立てればという思いでその日のスケジュールを変更して丁寧に話さ
せて貰った。
 その取材の中での「こころのケアー」について、「専門の精神科医の方々
に頼らなければならないケースもあろうが、一方大半はボランティアがただ
黙って被災者に寄り添うことで解決する被災者も多いでしょう」とアドバイス
をしたのです。丁度、今朝の毎日新聞2面の「時代の嵐」というコーナーに
精神科医の斉藤 環医師が-四川大地震後の中国-というテーマで書い
ておられますが、その中の引用に私と同じようなことが書かれていたので
「意を得たり」と少し安心した次第です。その引用というのは、阪神・淡路大
震災の被災者でもあり、ひょうご被災者支援センター理事長でもある精神
科医・中井久夫先生が、こころのケアーで大事な視点としていくつかあるな
かに「ボランティアはそこにいるだけで価値がある」と加えておられることな
のです。
 さて、阪神・淡路大震災後「こころのケアー」という言葉が溢れ返り、「ほ
んとにこれでいいのか?」と懸念を抱いたことを思い出すが、他方この引用
をみて国内で昨年3月に発生した能登半島地震後の5日目の避難所に、大
学生を中心に結成された「中越・kOBE足湯隊」というボランティアが支援に
言ったときのことを思い出す。5日目の避難所なのでまだ余震は続き、また
グチャグチャになった家には戻れず、もちろん風呂にも入れないという避難
生活をしているときに、多くの被災者にとっては孫と同じような大学生が足
湯をしにボランティアに来てくれ、足をお湯に浸し、手をさすりながら寄り
添った活動に、被災者のほとんどが喜んで下さったという事実は、今後のこ
ころのケアーの活動にも大きなヒントを与えたと思われる。
もう一つこころのケアーで大事なのは、この中国四川省大地震救援ニュー
スでYさんのレポートを紹介させていただいていますが、Yさんのレポートを
よく読んでいると、随所に被災者自身の”自助”の姿が行間に滲み出てい
ることに気づきます。まだまだ取り残された山間僻地の小さな村に残ってい
る高齢者と幼子の様子が垣間見えます。この”自助の姿”に被災者同士が
勇気づけられ、「被災者は自分一人ではない!」という孤立感からの脱出を
果たせば、またこころのケアーを有効なものにするのではないかと思いま
す。
また同じ被災地に住む一人のボランティアのこんな悲劇もある。少し長く
なりますが以下に紹介します。
(以下の翻訳はCODE翻訳ボランティアによるものです。)
「57歳のボランティア胡開華さん 被災者避難所で過労死」
 「今九洲体育館にいる。ここは被災者が多くてすごく忙しいんだ。はっきり
聞こえないから、切るよ。」これは57歳の胡開華さんが家族に残した最後の
言葉だ。
 5月14日の夜9時過ぎ被災者の避難所となっている綿陽九洲体育館の戸
口で、8時間以上忙しく働いた胡開華さんは突然倒れ、二度と起き上がらな
かった。5月16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。知らせが伝わり、彼を
よく知っている人たちは皆残念そうにため息をついた。「よい人だったのに
…。」しかし、人々は彼の被災者に対する思いに改めて敬服した。
●「家族とのつながり」
 25日午前、記者は綿陽市にある胡さんの家についた。胡開華さんの遺影
は部屋の中央に置かれ、周囲をたくさんの花で囲まれていた。遺影の胡開
花さんの表情は慈悲深く、この世をじっとみつめていた。5月12日午後2時
28分の事だった。胡開華さんが玄関付近を散歩していたとき、突然大きな
揺れが起こった。幸い、家族は無事で部屋も特に問題はなかった。そのあ
とすぐに青義中学へ向かった。彼の孫がその学校の一年生だったからだ。
孫を連れて帰り、改めて家族が皆無事である事を確認し彼は心から安心し
たのだった。その日の午後、胡開華さんは小さなテントをたて家族を避難さ
せた。
 「母はずっと体調がわるく、精神病を患っていてずっと薬を飲んでいた。長
年にわたって父が母の面倒をみていた。」胡開華さんの長男、胡文軍さん
はチベットで仕事をしており、普段なかなか帰ってこられない。「この家は父
の働きや気遣いがあってこそ。父がこんなに突然なくなるなんて思いもしな
かった。」「地震があってからずっと電話をかけていたが、なかなかつながら
なかった。」胡文軍は2日目になって家族と連絡がとれ、皆無事であること
を知りほっとした。が、その後、思いがけずこのような事態になってしまっ
た。
●「自ら北川被災地へ」
 14日正午 胡開華さんは地元の灯塔社区が20名のボランティアを募り北
川地震の被災地の救済に行くことを知り、自ら「私も応募したいんだ。」と申
し込みに行った。社区の主任は一目見て「年齢が高すぎるから無理だ」と
断念することを勧めたが、彼はひかなかった。近所の住民は皆 彼が頑固
で意思がとても固いことを知っていたので主任は胡開華さんが平常は元気
で体調がよいことを考慮して同意した。
「こんなことになると知っていたら行かせなかったのに…」25日の午後、主
任は記者に言った。「もともと20人のボランティアだったが、年齢が高い胡
開華さんを見て自分たちもできると志願者がさらに増えたんだ。結局38人
が行ったんだよ。」胡開華さんの次男胡文明さんは父の電話でボランティア
をしていることを知った。「電話で父は「北川被災地に行く」と。いつ帰ってこ
られるかは言わなかった。」胡文明さんが駆けつけたとき、胡開華さんはす
でに迷彩服に着替え、車が発車するのを待っていた。胡文明さんが父から
最後の電話をうけとったのは「九洲体育館に行く」ということだった。地震の
影響により通信が不良で胡文明さんは以後二度と連絡をとることは出来な
かった。
●「大きなテントを建てれば皆が入れる」
 胡さんの家の東側には百平方米の大きな仮設テントがある。これは5月
13日、胡開華さんが息子の胡文明さんと立てたものだ。昨日の午後、記者
が訪れたところ、テントの中には20人がベットでになっていた。「私たちと胡
開華さんは近所同士、あの日、彼はこんなにいいテントを建てて私たちを住
まわせてくれたんです。」テントの中で休んでいる一人は話してくれた。
「地震は治まったが、余震が続いている。新しく避難所を建てなければ」と5
月13日、胡開華さんは息子と空いている土地を整理し始めた。はじめ、胡
文明さんは家族のためのテントだし、そんなに大きなものは必要ないと思っ
た。しかし、胡開華さんは「絶対に大きなものが必要だ。そうでなければ多
くの人がはいれないじゃないか」と目を見開きながらこう言ったのだった。
「近所同士じゃないか」
 当日の午後、仮設テントには20個のベットが入り、皆が住むことができた
のだった。灯塔社区の王という住民は言った。「私と彼は幼馴染だが、いい
人だった。彼はずっと体も元気だったし、こんなことになるなんて…」
●「父がしたことは良識あるひとなら当たり前のこと」
 14日午後1時過ぎ、胡開華さんは九洲体育館についた。被災者が多いた
め、彼は秩序維持の協力の仕事を求められた。午後、彼は長男胡文軍さん
との電話で二言しゃべったあと、あわただしく電話を切った。電話のあと、胡
文軍さんは心配になり、すぐ同級生の王平さんに電話をした。「王平もボラ
ンティアで父と一緒にいたので彼に父のことを頼んだんです。」胡文軍さん
はこれが父と最後の電話になるとは思わなかっただろう。
 14日夜8時過ぎ、胡開華さんはすでに九洲体育館で7時間近く忙しく働い
ていた。夕食もとっていなかった。ある人が胡開華さんにお弁当を配った
が、おりしもそのとき一人の被災した老婦人がやってきたので彼は彼女に
お弁当を手渡したのだった。
 夜9時すぎ、胡開華さんは戸口で忙しく働いていて突然、倒れた。すぐに
綿陽市中病院に緊急で運ばれ、2度手術を受けたが、胡開華さんは二度と
目を覚まさなかった。
 16日午前9時、胡開華さんは亡くなった。医者の話では突発性の脳溢血
とのことだった。胡文軍さんは言った。「本当のところ、私は父は特に偉大
なことをしたとはおもっていません。良識のある人間なら誰でもそのようにし
ただろうと思います。人として当然のことをしたのです。」
                    (新華網 成都 5月26日 17時19分)
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中国四川省大地震救援ニュース 30

Yさん30日のレポートです。
 この四川大地震で土砂崩れのため孤立した集落は多い。綿竹市の高川もその一つである。
高川に入る山道に入ろうとした時、突然ラッパの音が響き渡った。ちゅうどこの時間が、地震か
らちょうど1週間後の14時28分だったのだ。土砂崩れのため途中の山道 は寸断されている。
なんとか先に進めないかと思ったが、身の前に立ちはだかる多量の土砂の前には無力であっ
た。が、しかし山の上から下りてくる人々に出会った。声をかけてみると、地震後、一度山を下り
て避難所で生活していたそうだが、貴重品や村に残った高齢者のために再び村に帰って来たと
ころだという。彼らは土砂を迂回するように川の下まで降りて再び、あがってくる。まさに命がけ
である。村に残った高齢者の中には腰が悪くて自力では降りてくることができないという。また
家畜がいるからという人もいる。そうせざるを得ない理由がそこにはあった。そして、その上空に
は物資を運ぶヘリがこの日も飛んでいた。
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中国四川省大地震救援ニュース 29

成都に拠点を置きながら、毎日被災現地に出かけているYさんの走行距離は
300km以上になります。Yさんの27日のレポートです。
綿竹市から北川県に数多くある集落のひとつ、#(テヘンに共)星鎮泉楽村は
約500人のだ。綿竹市の中でも被災状況のひどい漢旺鎮から車を走らせ、泉
楽村を通りかかった時、突然、中年の男性が娘らしき少女を抱えて道を横切っ
た。その姿に近所のテントの人達も慌てふためき、集まってきた。その人だかり
に寄ってみると、少女は足に軽い擦り傷が見えた。回りはおどおどして何もしよ
うとしないので、僕がその場で水と白酒(アルコール45度以上)を使って軽く消
毒してあげたが、お母さんは、それでも傷口をけずるようにこすり続けていた。そ
れほど大した怪我でもないのに、あんなに大騒ぎするほど被災者の中で感染症
に対してかなり敏感になっているんだ、と感じた。この数日、日中は確かに蒸し
暑くなってきている。被災者の方にトイレの事を聞くと、「そのあたりで適当に」、
「穴掘って埋めてる」と帰ってくる。被災地はこれから雨季に入る。衛生問題が
気にかかる。
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中国四川省大地震救援ニュース 28

みなさん、今年の2月22日~25日まで東京で「世界P・E・Nフォーラム 災
害と文化」という催しが開催されたのをご存じでしょうか。このフォーラムに天
災も人災も体験された中国の作家莫言(モーイェン)さんが来日され、次の
ようなメッセージを残されました。
「自然災害は人間の美しい知恵で減らせる。よこしまな知恵があみだす戦
争に反対するのは芸術家の神聖なつとめだ。国家より全人類の利益が勝る
という思いで、芸術家は自らの責任を認識し、力をつくすべきだ。」と。また、
「困難なときほど、心の美醜が出る」とも。
 この四川大地震で被災を受けた中国の詩人 リャオ イ ウさんが、「天災
であれ、人災であれ、いかなる災害でも、それを記憶することが文学者の本
能である。」とおっしゃっています。続けて「外国からの緊急援助隊はとても
うれしかった。政府は一種の慣性の法則が働いていて、最初は真相を小さく
伝えようとしたため、緊急援助の時機を逸してしまった。だが、対応はこれま
でより迅速になったと言える。誤解を恐れずに言えば、これは確かに大災害
だが、一つのチャンスにすることもできる。」と。
 先述の世界PENフォーラムで基調講演に立った作家の大江健三郎さんは
「人間には恢復力がある!」と自身の体験からおっしゃっています。こういう
時の芸術家には、共通したものが各々の内面から湧き出てくるのでしょう
か。そういえば、阪神・淡路大震災の時にもいくつかのすばらしい詩人や歌
人がいたことを思い出します。
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中国四川省大地震救援ニュース 27

ここ数日、日本から被災地にテントを送るのに、自衛隊機で運ぶか、民間
機で運ぶかの話題になっていますが、テントに関連して2年前に大地震を経
験したパキスタンから次のようなメッセージが届いているようです。
(以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。)
≪すべてのテントを中国に!≫
 「私の父が言っていた、全世界が私たちを見捨てたとき、中国人は一番よ
いものを自分たちが使わずに、私たちに送ってくれた、と。私はすべてを中
国に援助したいし、実際に行って救援をしたい!」中国で大地震があったこ
とが分かった後、ひとりのパキスタンネットユーザーが書いた言葉である。似
たような書き込みが相次いでいる。「中国のひとたちが必要としているものを
私たちはすぐに提供します。」と地震後2日目にパキスタンのムシャラフ大統
領がパキスタン駐在の中国大使に言った言葉だ。
「2年前のパキスタン大地震での中国の援助についてのパキスタン人民の
記憶はいまだ鮮明だ。」パキスタン地震での中国が救援してくれたことは
「中国はパキスタンの盟友」として小学校の教科書にも書かれている。
 5月16日早朝、2機のC-130輸送機がラワルピンディの空軍基地から中国
に向けて離陸した。90万米ドル相当の救援物資を満載している。同じ日、パ
キスタンの紅新月会は中国赤十字会に5万米ドルを寄付している。パキスタ
ン国民の生活はけっして裕福ではない。しかし紅新月会の代理主席はきっ
ぱり言う。「中国のためなら、パキスタン政府と人民はもっと困難な状況に
あったとしても援助をする!」5月27日には28名の医師と補助の医療隊員で
組織した緊急医療隊が中国に向け出発した。
 被災者の住居問題を解決するために、19日から22日まで中国外交部ス
ポークスマンは連続して3回も国際社会に対しテントの寄付をお願いした。こ
の情報を聞いてパキスタンはすばやく反応し、中国にテントを送り続けた。そ
の数は約22260張。パキスタンは国家戦略上備蓄していたすべてのテントを
放出した。パキスタン人の友情に中国人は感動を禁じえない。「ひとつの国
家が備蓄しているすべてのテントを中国に寄付することはすでに友情の枠を
超えている。」
「パキスタンは兄弟だと言うのは当然のことだろう。実際ここまでできない兄
弟も多いのに…。」
                      (29日10時56分 国際先駆導報)
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中国四川省大地震救援ニュース 26

被災から2週間余り経ち、住まいの確保もさることながら、生活の再建への様々な取り組みを、翻訳ボランティアさんが紹介してくれました。
≪農繁期の被災地≫
 甘粛省隴南市文県は今回の地震で甚大な被害をこうむったばかりだが、農民は夏の食糧の収穫期で一時も休むことができない。
 農民と救援活動に加わっている1500名と人民解放軍1100名は一方で倒れた家屋を片付け、再建の準備をしながら、一方で小麦やアブラナの収穫作業に追われている。
 文県農牧局局長によると、職員を総動員して電力の復旧を急ぎ、麦を打つ機械を調達してきた。さらに12万の袋を農民に提供し、収穫した穀物をいれてもらうようにし
た。
 水利局は地震で壊れた水路を修復し、灌漑用水を確保した。
 (29日0時29分 中国新聞網)
≪ 34名の被災者が省外に就業≫
 遼寧省瀋陽市の2つの企業が300名の被災者を雇用することを決め、最初の34名が28日の夜行列車で瀋陽にむけて出発した。34名は綿陽市平武県の被災者。
 「宿舎と食事は無料で提供します。そして平均月2000元(3万円)の給料待遇とします。」瀋陽永豊地産の副社長はそう紹介した。
 また、会社は彼らに職業技能訓練を行い、乳牛の飼育、物資の管理の仕事に就いてもらい、被災した人たちが早く新しい生活と仕事を開始してもらい、幸せになってもらいたいと話した。
 (28日21時28分 中国新聞網)
*(翻訳者コメント)
月2000元の給料はかなり高いと思われます。出稼ぎ労働者の平均月収は1020元(15000円 労働社会保障部2006年)です。ちなみに農村の平均年収はひとり3590元
(約5万円 国家統計局2006年)。
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中国四川省大地震救援ニュース 25

成都のゲストハウスを拠点に調査活動を続けているYさんの26日のレポートです。
被災地、北川県は広い。被害の大きかった県城(中心部)などの山間部から綿
陽市内までの間には断層沿いに鎮、郷、村といった数多くの集落が点在してい
る。その最少単位の光明村はチャン族の村である。チャン族は古代の遊牧民の
チャン族の末裔といわれ、四川や雲南に居住するイ族、バイ族、ナシ族(チベット
ビルマ語群)などの少数民族の祖先ともいわれる。訪ねた光明村五組は十数戸
約140人の小さな集落だ。ほとんどの家が全壊に等しい。また多くの農民の田に
は水が十分に張られていない。地震で水系が変わってしまったのだ。村の人たち
は、日本のボランティアを珍しそうに眺めて、フレンドリーに声をかけてくる。日本
が地震大国であることを話すと興味津津だ。「何でこんなに多くの人が亡くなった
と思う?家が弱いからじゃない?」と問いかけると、その場にいた約20人はみな
真剣な顔で考えていた。今後どのような形で政府や住民が住宅再建を行うのか
未明だが、彼らが自ら考え、決断できるようなものでなければならない。
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中国四川省大地震救援ニュース 24

<CODE翻訳ボランティアさんからの情報を紹介します>
≪都市より農村での家屋の倒壊が顕著≫
 地震後の救援活動に参加した同済大学「建築と都市規画学院」院長の呉志強さ
んは実地での考察を語った。被災地で倒壊した建物の多くは、偽の古代建築、偽
の現代建築で、真の古代建築・現代建築は大地震の経験を経て今も残っている。
 都江堰は2000年以上風雨にさらされており、今回の地震の震源近くでありな
がら、ひとつも損なわれていない。四川には古代の文化財が多くある。一部の古
建築は屋根瓦が落ちるなどの被害があるが、わずかな修理で済む。一方、最近は
やりの古建築を模倣した建物は地震の難をまぬかれなかった。
 現代建築においては、都市の建物より農村の建物のほうが被害が大きかった。
これは、都市では建築規範に準じた建物が農村より多かったからだ。例えば、膨
州市(県レベルの市であるが)は上海の面積の半分ほどであるが、学校と病院は
1か所も倒壊しなかった。
 しかし農村において、この1,2年に建造された新しい建物がこなごなに倒壊して
しまっている。これらの家屋は現代建築の様子をしているが、現代建築の規範に
のっとって造られてはいない。これらの家屋は煉瓦のうえに板がのせられている
が、梁はきちんとしてはいない。梁を巻くことはベルトをするようなもので家をまとめ
る役目をする。4つの壁がつながる部分では梁の鉄筋は一定の長さでつながって
いることが必要である。呉院長は倒壊した家屋は梁の中に鉄筋が入っていても結
合していないことを発見した。「偽の現代建築は人を死にいたらしめる。」
 農村の伝統的な煉瓦の柱を組み合わせる家は地震で大きな被害はでていな
い。壁が倒れても柱が倒れなかったのである。
 呉院長は言う。「よい規画は人民の生命財産を保護する。よくない規画は人民の
生命財産を破壊する。われわれの学院は都市規画学院と言いますがこれからは
都市農村規画学院と変える必要があります。都市と同じように農村にも規画が必
要です。」
 (23日15時59分 新民晩報)
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中国四川省大地震救援ニュース 23

中国四川省民生庁より今回の中国四川大地震で被害を受け、全く無収
入あるいは一人になってしまった子ども、老人、障害者には以下のような
支援が発表されたようです。
<以下CODE翻訳ボランティアによるものです。翻訳ボランティアさんが物
価について詳しく解説して下さっていますので理解しやすいかと思いま
す。>
≪無収入者と「三孤」に補助金を支給≫
四川省民政庁によると、この地震で家と生産手段をなくし無収入の被
災者に対し、臨時の生活補助金(ひとり一日10元)と500グラムの食品を
3ヶ月の期限付きで支給する。「三孤(ひとりになってしまった子ども、老
人、障害者)」には毎月600元(約9000円)、もともとの「三孤」で被災した
人には、毎月600元を3ヶ月の期限付きで支給する。補助金と食品は28
日から支給開始とし、6月1日には全部の被災地で被災者が手に入れら
れるようにする。
                         (25日12時45分 新華網)
 ※10元(150円)で買える物
    (単品で買える数;2006年北京の物価で)
    500mlペットボトルの水10本
    カップラーメン5個 
    米3キロ
    すいか1個
    牛乳1000ml2本
    石鹸2こ
    パンツ3枚
    Tシャツ1枚
≪子どもの日の贈り物≫
 吉林省は被災地の親を亡くした5000人の児童に「6.1(児童節~子ど
もの日)」の贈り物を発送した。一セットには、かばん・洋服・運動服・運
動靴・音楽プレーヤー・チョコレート・文具など25品(415元~6,200円相
当)が入っている。
 贈り物には「一緒に光をつかもう」と題した励ましのメッセージが添えら
れている。                  (25日13時 中国広播網)

中国四川省大地震救援ニュース 22

ニュース21の続きです。Yさんからの現地レポート(23日)
 江油市から農村部へと車を走らせる。未舗装のデコボコ道を走ってい
るとふとした事に気づいた。田んぼに水がない。稲は青々としているの
に。。04年の新潟中越地震の被災地が頭によぎった。すぐに車を止め
て、住民の方に聞いてみた。何玉清さん(69歳)に「田んぼに水がない
のは、この地震で?」と尋ねると僕の手を引いて自宅横にある井戸に
案内してくれた。「見なさいよ、水が枯れたんだよ。。」と。田んぼに引く
小川の水も枯れたそうだ。一面に水の張ってない田に青い苗が植わっ
ている。急いで何とかしないとすぐに稲が枯れてしまう。中越の棚田の
おじいちゃんが、自分で農道を直してまで田に出ようとした。13億の食
を賄う農民たちの生活は決して楽ではない。農民にとって水がないと
言う事は、1年を棒に振って、収入の道が断たれるということだ。そんな
農村を支援するようなきめ細やかなボランティアが中国でも育つことを
切に願う。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/P5180036-s-thumbnail2.JPG" width="200" height="133" border="0" align="" alt="P5180036-s.JPG" /
hspace="5"
寺子屋(鈴木有)写真 206-s.jpg
 このレポートを読んで、「ハッ!」としました。地震に関連してよくいわ
れる”地震の予兆”として、ネズミが大量に動き出した、とか雲に稲妻
が走ったとか、空が真っ赤になったとかといいますが、井戸の水位が
下がるというのは、専門家でも予兆として有力に考えておられる方がい
るほどです。もし、レポートにあるこの方が事前にこのことを知ってい
て、かつ井戸の水位が下がったことをキャッチしていれば、もっと早く逃
げることが出来たかも知れません。もちろんキャッチされても、結果的に
農業に大打撃をもたらすことは別問題ですが、これからの復興に関連
してこうした農業従事者には特別の優先配慮があっていいのでしょう。
日本の場合は、主食が米であり、その米を作っている農業従事者が被
害を受けると他の産業より手厚い支援策が用意されていると聞いたこ
とがあります。あまりにも大規模災害ならば確かに災害後のその国の
食糧問題に発展することもあり得るでしょうからね!?
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