1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに「困ったときはお互いさま」の心で海外の被災地支援を行っています。
災害時の支えあい・学びあいを通して地球の市民どうしのつながりを築いています。
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CODE未来基金

CODE未来基金の事例紹介

未来基金は2014年12月の設立以降、若者がNGOに関わる場をつくってきました。これまでの事業や活動に参加した若者の感想をご紹介します。この日中NGOボランティア研修も第3回目となりました。直接未来基金の支援を受ける事業ではありませんが、被災地を訪れた若者の言葉としてご紹介します。

第3回日中NGO・ボランティア研修交流事業

2016年8月31日から9月7日までの8日間、第3回日中NGO・ボランティア研修交流事業として6人の若者が四川大地震の被災地を訪れ、現地の大学生やCODEが支援する光明村の村人たちと交流ました。また中国のNGOの活動や四川大地震発生直後に救援ボランティアに参加した方の感想をいくつか紹介します。

 

今中麻里愛さん(神戸学院大学4回生(当時)) 

 私がこの研修で目標としてきたことは2つあります。
 1つ目は「自分と向き合う こと」です。私は阪神・淡路大震災の日に生まれたので、たくさんの方に助けていただきました。なので“今度は私が助ける番だ”という想いを持っていたのですが、被災現場を目にすることが怖く、いつも被災地へ行くことから逃げていました。今回、四川研修のお話を頂いた時も気持ちでは「行きたいです」と言ったものの、頭で考えるとだんだんと怖くなり、パスポートを取る直前まで悩んでいました。このように被災地と向き合う勇気がなく、いつも引いてしまう自分と向き合い、変えていきたいと思いこの研修に参加しました。研修を終えて一番感じていることは、現場に行くことの大切さです。「私なんかに何もできない」などと考える前に、現場に行って被災した方と直接話をすること、被災地を直接見るということに意味があると感じました。被災地へ行くとこから逃げていた私は、被災地を写真でしか知りませんでした。実際に北川県城や学校の地震遺跡を目にしたときはやはり恐怖を感じましたが、同時に違和感がありました。自分が歩いている道は新たに舗装され妙に整っており、建物の周りには地震なんてなかったかのように草木が生えており、8年という時間の流れを感じました。それに対し学校や建物は8年前の地震が起こったその瞬間から時が止まっており、この違和感が恐怖に変わりました。遺跡として残すために今にも崩れそうな建物に新たに外側から柱を加え補強されている光景が信じられず、補強してまでこの建物を残す意味や、この遺跡は何を伝えようとしているのかが分かりませんでした。レポートを書いている今でも自分なりの答えは見つけられていません。しかしこの辛さは、被災地から逃げていた自分と向き合い被災地を目にしたからこそ感じることができたと思うので、最後まで向き合い必ず答えを見つけ出します。
 2つ目は「自分勝手に抱いている偏見や誤解をなくすこと」です。私は海外へ行ったことがなかったので海外へ対するイメージはテレビや新聞などメディアの情報のみでした。しかしCODEの食と国際協力に何度か参加しているうちに、意識はしていなくても自分勝手にこの国はこうだと頭の中で決め付けていることに気が付きました。中国も反日のイメージや日中関係の問題などからあまり良い印象を持っていませんでしたが、実際に中国へ行って現地の人と交流したことで自分は間違っていたのだと気付き情けなくなりました。一番印象に残っているのはチャン族の村でちょう楼を案内して下さったお父さんが言った「日本人は家族だよ」という言葉です。突然訪れた私たちを暖かく迎え入れ、ちょう楼の仕組みや歴史、建築の仕方などをとても嬉しそうに話してくれました。恐らく今までちょう楼について何度も何度も同じ説明をしているはずですが、説明している姿はどこか誇らしげで自分たちの歴史や技術を見て欲しいとさえ感じました。その他にも私たちのために予定を変更してまで来てくださった方や光明村での交流会で人の暖かさを強く感じました。この暖かさや信頼関係は地震直後からずっと被災者に寄り添っている吉椿さんや昨年訪れた先輩たちによって積み重なり、築かれたもので、今回私たちが交流したことによって、また積み重なり次に繋がっていくのかと思うと、この輪の一部になれたことがとても誇らしいです。
また現地の社会企業「壁虎漫歩」の取り組みは画期的で気付かされることが多かったです。教材を提供するのではなく自分たちが学校へ行って教えるという仕組みで、教えている人たちも20代の若い方が多く、防災意識の高さを感じました。若いスタッフは皆、仕事に“達成感”があると語っており、同じ年代の方々が活躍している姿に刺激を受けました。
最後に、今回の研修を受けていなければずっと自分と向き合うことから逃げていたと思います。今考えると、被災地を見ることが怖いから行けないというより、被災地を見た自分と向き合い乗り越えることに恐れていました。恐れて行かなければ、怖い思いはしなくて良いかもしれませんが、何も学ぶことはできないし成長もできません。研修中に辛い思いも怖い思いもありましたが、それ以上に得たことの方が多く、行けたことが自信に繋がり次へのステップとなりました。未来基金に協力をしてくださった方々、自分と向き合うきっかけを作って下さったCODEの方々、私たちを迎え入れて下さった現地の方々などたくさんの方の支えがあり研修に参加することができました。本当にありがとうございました。この研修で終わるのではなく、研修によって得たこと、感じたことを伝えていき次の輪へと繋げていきたいです。
 帰国して昨年のインターンシップの期間のノートを見ました。一番大きく書いてあったのは吉椿さんが言った「人間はすぐ隣の人は気になるけど遠い人は気にならない。その輪が広がるともっと良い国になる」という言葉でした。当時とても共感し強調してノートに書いていたのですが、今回の研修でこの言葉が腑に落ちました。最初の研修で言っていたように日本の地震に全く興味のなかった村の人たちが四川地震を経験したことによって東北の支援をしてくれたという支え合いの連鎖が目に見えてわかりました。今日、吉椿さんのお話を聞いて、行動一つやちょっとした心遣いが積み重なり良い関係を築いていくということを学び、研修期間の吉椿さんの行動を改めて考えました。光明村に行った時の出会う人出会う人の名前を自分から積極的に呼び交流している姿がとても印象的でした。光明村の人々もとても嬉しそうで、この小さな積み重ねが、また次に来た時に繋がっていくのだと感じました。これからもたくさんのことを吉椿さんの背中から学んでいこうと思っています。
あと、上海のミーティングで泣いてしまったのは、思っていたことや溜めていた感情を吐き出せたというのもあったのですが、振り返っているうちに自分と向き合うことはできたが、引いてしまう自分を変えられなかった、被災地と向き合った結果、自分が感じた違和感の答えを見つけることができなかったということに気付き悔しくなりました。

福田涼さん(神戸大学3回生(当時))

 9月1日0時25分に中国四川省の成都空港に到着した中国国際航空機からタラップに降りると、少し湿っぽく生暖かい風を感じた。成都の気温は25℃近く。中国南部の盆地に位置するが、標高が600メートルと高いため思ったほどは暑くない。空港に迎えに来てくださったCODE事務局長の吉椿さんと合流し、タクシーをつかまえて一路成都市内のゲストハウスに向かった。
 翌朝からゲストハウスを拠点として、2008年に起きた四川地震の被災地を中心に、精力的にフィールドワークを行った。倒壊した中学校をそのまま保存した映秀鎮やチャン族の歴史的な石積の村である桃坪、CODEが被災直後から支援に入っていた北川県の光明村、震災後にチャン族の観光地として新たに建設された吉娜など。現地ではCODEがこれまで築きあげてきたネットワークを通じて、たくさんの方にお会いしお話しを伺った。
 数あるエピソードの中で、私が最も印象に残っているものを紹介したい。私が現地の人々と本当の意味での文化交流の機会を逃してしまった話である。私たちは研修の一環として、成都市内に本社を置く、NGO壁虎漫歩の方々にお会いした。NGO壁虎漫歩は、四川地震後に設立された、生命安全教育を推進する中国での災害NGOのパイオニアである。防災教育に関する意見交換の後、彼らは長く付き合いのある吉椿さんを始めとする旧友をもてなすために、成都で最もおいしいという火鍋の店に招待してくださった。後日談であるが、NGO壁虎漫歩の代表の張さんは、私たちをもてなすために北京での出張をわざわざ予定より切り上げて戻ってきていた。
夕食会が始まり、ビールや白酒といったお酒がふるまわれた。私は今年22歳で日本ではよく飲み会をするが、今回は単に気分が乗らなかったため固辞してしまった。そして、そのために張さんらと仲良くなる機会、深く交流する機会を逃してしまった。中国の人はお酒をガンガンに飲んで、腹を割って話し、相手との距離をぐっと縮める。日本でも飲み会を通して仲良くなることがあるが、中国ではその傾向がさらに強い。
 吉椿さんはじめ日本側の参加者でお酒を飲む人たちは、張さんたちと次々と杯を重ねて、ヒートアップ。話題が次々と展開し、盛んにコミュニケーションをとっているのに、飲まなかった私は、黙々と食事を続け、結局最後までお酒で盛り上がる輪に入ることができなかった。NGO壁虎漫歩の方々との交流は、その後も研修中に二度あったが、お酒を飲んだメンバーと飲まなかったメンバーとの親密度の差は明らかだった。
 今回私はお酒を飲まなかったために失敗してしまったが、逆に言えば、中国ではお酒を飲んでいれば、相手を仲間として受け入れてくれる。言葉が通じなくとも、自分が専門的な知識を持ち合わせていなくとも、共に飲むことで仲間意識が生まれ、さらに深く関わっていこうとなる。現地の人々の中に入っていく、つまり相手の文化、慣習にあわせてコミュニケーションを取ることで初めて、本当の意味での文化交流がなされるのではないかと思う。そして国際協力とはこうした文化交流を土台にして初めて成り立つことなのだとも思う。(CODEの活動は海外援助とも呼べるかもしれないが、現地で見たやり取りは、援助の言葉から連想する一方的なものではなく、お互いが学び合う、双方的なものであると感じたので、あえて国際協力という表現を用いた)
 後日、北川県の光明村を訪れた際、その考え方を再認識させられた。震災時にレンガ造りの家々が倒壊する中で、伝統的な工法で建造された木組みの住宅は倒壊しなかった。吉椿さんは現地の人との付き合いからそのことを知り、外部から新しい方法を持ち込むのではなく、耐震性が証明された現地の伝統的な工法での住宅再建を推薦、実際に何軒もの木造の住宅が建設された。震災直後の復旧期にも、人海戦術をとる人民解放軍ではなく、吉椿さんをはじめとするCODEの人たちの支援を村が重視したのも、交流を通じて村民のニーズを的確に把握していたからであった。
異文化理解と国際協力という、一見何の関係もない言葉が、実は深く結びついていたこと。そして、異文化理解なくして国際協力はありえないということ。この事実を知ったからには、次回交流する際には、現地の人とどうすれば仲良くなれるかを考えなければならないし、これから更に中国語を学び、中国という国や関わる地方のことについて、もっと知らなければと感じた。

成安有希さん(関西学院大学ボランティア活動支援センター職員)

 第1回、第2回と参加した四川研修を通して、私の人生は変わりました。ちょうど就職活動の時期にかぶっていたこの研修に参加するかどうかで、私の人生は変わってしまうような、そんな気持ちでこの研修に参加した当時のことを思い出します。
 第1回に参加してから1年半が経ち、私も社会人となりました。そんなときにまた私のもとに四川研修の話が舞い込んできました。苦しかった第1回の研修から1年半で、私の感覚はどんな風に変わったのかが知りたくて、そして前回会った方々にもう1度会いたくて、「参加します」と即答しました。
 今回の研修を通して最も感じたことは、「現場で学ぶことの大切さ」です。これまで大学4年間、現場に出ることを大切にしてきた私ですが、就職の際には迷った末に中間支援することを選びました。もっと現場に出ていく学生を応援したいと思ったからです。そのため、働き始めてからあまり現場に出ることがない日々が続いていました。この四川研修で久しぶりに現場に出て感じたのは、「現場には、そこでしか感じられないことがたくさんある」ということです。それを最も感じたのはたくさんの人との出会い、そして再会でした。英語があまり通じない四川では、私の特技であるボディランゲージがとても役に立ちます。まずはとにかく笑顔でいること。言葉が通じないとき、それでも好意を持っていることを伝えるには、笑顔が大切だと思ったからです。1週間の研修を通して、私はたくさんの方と出会い、友達になりました。コンビニのレジをしていたおばちゃんとは日本に帰る前日に「また会いに四川に来るからね」と約束しました。本当に小さなことなんだろうけど、その約束を私は忘れることができません。
 たくさんの再会もありました。再会を繰り返すたびにどこか遠いと思っていた土地が、そこに住む人たちが、どんどん身近に感じられていきました。中国に行ったことがない、どこか偏見を持っていた1年半前の私とは違う私になっていました。今もし、四川で再び災害が起こったら、私は現地に行きます。現地に行けなければできることを必ずします。それはたくさんの具体的な顔が思い浮かぶからです。そんな大切なつながりを、この四川研修で得られたと思います。これまで3度の四川研修に参加させていただき、参加するたびに自分が変わっていくことを実感してきました。「被災者1人1人と向き合うことで、自分自身が問われる」という吉椿さんの言葉をこの研修でまさに実感させられています。
 中間支援の仕事をしてからさらに強く感じるようになったのは、CODEの「若者を育てたい」という思いがどれだけ本気であるかということです。皆様からいただいた寄付金や未来基金を使い、若者を現場に連れて行く。そこで色んな方や文化に触れ、つながりをつくっていく。そんな場を用意してくださることに本当に心から感謝します。これから私にできることは、この私の経験を多くの学生に伝えていくことだと思います。「現場で学ぶことがいかに大切なのか」ということを自分の実体験とともに伝え、学生がどんどんチャレンジしていけるようにサポートしていきたいと思います。私も次の世代にできることを考えながら、自分も色んなことにチャレンジしていきたいと思います。
 最後になりますが、今回四川研修で出会った光明村をはじめとする四川の皆様、寄付金や未来基金に寄付してくださった、日頃CODEを支えてくださっている皆様、そして現地との調整はじめこの研修を実施してくださった吉椿さんをはじめCODEスタッフの皆様、本当にありがとうございました。私はこれからもCODEとの関わりを持ち続けながら、私にできることをしていきたいと思います。

米川安寿さん(同志社大学大学院4年 

 今回のスタディーツアーに、私は人と防災未来センター(21世紀研究機構)の研究員として最年長で参加しました。普段は京都に暮らしていますが、偶然の縁に導かれ、2015年4月から21世紀機構で働くことになり、4月1日から神戸で週2回、勤務しています。ところが直後の4月25日、ネパール地震が発生しました。ネパール生まれだった私にとって、このタイミングで防災の研究所で働くことになったことは偶然とは思えず、「いったい何の関係で防災の研究所で働くことになったのだろうか」と悩み続けることになりました。というのも、私が担当したのは「少子高齢化対策」の研究であり、周囲にいる防災の専門家たちがネパール地震で慌ただしく動く中、私の担当研究は地震や防災に関与することが出来ず、自分の故郷で起こった地震に対応して、専門家たちを眺めるばかりだったのです。
 そんな私自身は、神戸で働く以外の日々は、海外の養蜂家とともに、豊かな森の植生の保全活動を行う蜂蜜専門店ハニールネッサンスを運営しています。地震後は、自らの事業活動内で被災地の森の先住民の支援を行っていました。それまで防災は必ずしも意識している分野ではありませんでしたが、これをきっかけに「森の保全は防災ともいえるのでは?」という思いも沸き起こるようになりました。そして今回、不確かだった自分と防災との繋がりを発見したいと考えスタディーツアーに参加することとなりました。
 元々防災に対する活動経験や専門知識はなかったのですが、スタディーツアーに参加した結果、大変大きな収穫がありました。それは、「一週間、防災分野の研修にどっぷり浸かる」ことによって、自分自身の中に「防災分野と関わっている感覚」が生まれていたことでした。ネパール地震発生直後から、防災の専門家たちがバタつくのを眺めていたときは、むしろ自分と防災は関係がないという一種の虚しさに耐えるばかりで、心に溝が出来ていました。しかし一週間、参加者メンバーとともに被災地を巡り、四川の人々に出会い、話を聞く中で、気が付かぬうちに、自分自身の世界観の中に、大きく防災という文字が生まれていました。吉椿事務局長は「防災という言葉に拘らなくても、日々の出会いと生活を大切にするということ自体が大きな意味をもつ」とおっしゃっていましたが、人と防災未来センターという場で防災の専門的研究活動を目撃し続けてきた関係からも「防災」と自分自身との関係は発見したい事でもあり、テーマとしてこだわっていた点でもありました。今回のスタディーツアーでは、何も知らなくても一週間じっくりとその世界に浸ることにより、新しい世界感が身近になっていくことを知りました。今後も、こうして何も知らなくてもツアーやCODEの活動に参加する人が増えればいいなと思います。私は、帰国してすぐに、人と防災未来センターへ行き、以前とは違う、理解を伴った親しみをもって研究スタッフの人々と新たな交流を始めています。ありがとうございました。

 

岸本くるみ(人と防災未来センター職員(当時))

 今回ご縁あって研修に参加させていただき、ボランティアスタッフとしてお邪魔していた頃から事務所やニュースレターで何度も聞いてきた「四川」を訪れることができました。当然ながら、プロジェクトの報告で語られていた通りの世界が、そこにありました。それを見られただけでも、十分に感動的でした。支援先の光明村では、スタッフの方々が久しぶりに会う親戚のように迎えられていました。しかしすぐに仲良くなったわけではなく、震災後たくさんの日本人ボランティアが訪れ、倒壊した建物から瓦礫を運び、レンガを丁寧に取り出す作業を続け、少しずつ信頼を得ていったと聞き、驚きました。村の方々の関係性も、瓦礫を片づける作業も、自然とそこにある/あったと笑顔で語られるのは、お互いを思いやりながら積み上げた証に見えます。村の方から「朝起きて瓦礫を見るたび、生きる気力がなくなる。けれどボランティアが来て作業をしてくれて、元気がでた」というお話を聞いたとき、単に作業を引き受けるのではなく、一緒にやろうとそばに立つことが力になるんだと知りました。自分の未来を自分より信じてくれる存在がいれば、自分もやらないといけなくなります。
 研修において自分のテーマは、四川の大地震が現地の人たちにとって、どんなものかを知ることでした。倒壊した中学校を地震遺跡として残している場所では、衣装を着たガイドさんがお客を案内し、観光客が写真を撮り、周辺ではお土産が売られていました。早くから商売するための屋台が集まってきたという話を聞き、頭に浮かんだのは、戦争中でも市は立つという言葉でした。自然災害でなくとも、辛いことや衝撃的なことは起こります。それでも各自の人生は変化しながら続いていきます。尋ねるまでもなく、大地震はまちと人の経験のひとつとして、今の様子をつくっていました。自分にとっての阪神・淡路大震災の体験も、人生の体験のひとつだと思っているのと同じでした。大きなこともちいさなことも、意識なく積み重なって常に変化する今の自分があります。光明村の状況も変化し、CODEの支援で建てられた老年活動センターも新たな活用を考える時期になっていました。課題も出ていましたが、変化も一緒に見つめられています。それはまた、新しい希望や面白みになるように思いました。
 安全教育のシステムを作っているNGOとの交流では若いスタッフさんたちに日本の防災教育の教材を紹介しましたが、準備の段階で学生時代から触れてきた防災ってなんだろうと考えはじめていました。チャン族の伝統集落を見学したときも同様ですが、出逢った皆さんは自分たちのことを誇らしく語り、いのち、アイディア、土地、伝統、文化、たくさんの人がそれぞれ何かをまもりながら暮らしています。みんながそっと自分のまもりたいものをまもれていること、その安心への動きを私は何でも「防災」と感じていることに気づきました。当たり前のように、たくさんの人が暮らしていることに勇気をもらって、未来にも人にも前向きな興味を寄せています。貴重な機会をありがとうございました。



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