とりあえず四川の被災地に行き、「何かできないだろうか?」とYさんを訪ね、一緒に活
動する中で、何かを学んで帰る。13年前の阪神・淡路大震災の時にもこんな光景が被
災地の各地で見られた。ボランティア元年といわれ、他方フランスのル・モンド紙が当時
の若者を絶賛した。以下に紹介する今回四川大地震でのボランティアに参加している
一人の若者の感想文を紹介します。これを読んでいて一つ発見した。一人ひとりの中
に、ボランティア性というものがあるのだということ、それがこういう場との出会いによっ
て認識する、発見するということ。一人ひとりの中にもボランティア元年があるんだなあ
と気づいた次第です。
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まず初めに今回のボランティア活動の機会を与えてくれたCODEのYさんに感謝した
い。この活動を通して学んだり得たものは言葉では言い表せないと思うし、あまり深く考
えたくもない。正直な話、僕は「ボランティア」という言葉が好きじゃない。何だかみんな
がよく使うから、独りでに大きな意味を持つようになったような気がする。例えば、ボラン
ティアをする人は偉いとか、ボランティアをしないからその人は良くないとか。ボランティ
アとは一体何なのか?僕はその答えが今でもわからない。
僕は今回の地震が起こった時、大学の教室で授業を受けていた。日本にいた時はこ
れほどの大きな地震に遭ったことがなく、初めての経験だった。心配でゲストハウスに
急いで戻るとみんな無事で安心した。2,3日後には中国人の知り合いがゲストハウス
に訪れ、自慢そうにこれからボランティアに行くと言っていた。2,3人泊まっていた日本
人も彼に同行して被災地に行くということだった。その内の一人が僕に「Mさんも一緒に
行きませんか?」と訊ねた時、その中国人の彼は僕にこう言った、「Mさんに何ができる
のかな?」と。あの時の悔しさと自分の無力さは今でも忘れられない。
今回の地震ですごく感じた事は自分の無力さだ。何かしたい、でも何をしていいかわ
からない。知識も技術も経験もない者が被災地へ飛んで行って何ができるのだろう?
悶々と自問する日々を送った。しかし、他方では自分はただ逃げているだけじゃないの
かという気もした。現地へ行き自分の目で現実を見てから何ができるのか、わかるん
じゃないのかと。ただ、僕は学校で中国語を勉強している身であり、ゲストハウスでも仕
事をしなければならなかった。このような状況でボランティアに行くのは難しいと思った。
それから、日本や他の国からいろいろなボランティアの人たちがここに集まりだした。
皆、車をチャーターして被災地の各地へ調査に行っていた。僕も通訳として記者に同行
して被災地へ行く機会があったけど、四川語が分からないという理由で断った。今考え
ると行った方が良かったのかもしれない。ただ臆病で、ちょっとした勇気がなかっただけ
かもしれない。僕の性格はすごく人見知りするというか、初めて会う人にはなかなか自
分から喋ることができない。
Yさんたちが来た時も自分から話しすることができず、この結果、他の人たちよりス
タートがかなり遅れた。最初から彼らが何をしているのか聞いていれば、もっと早く行動
に移れたはずだ。Yさんの第一印象が、ちょっと怖そうな気がしたせいかもしれない。日
が経つにつれ、旅行者がボランティアに変わり、ボランティアに参加する人が増えていっ
た。夜になるとみんな疲れているけど充実した表情で宿に帰り、楽しそうに話す姿を見
ると自分も参加したくてうずうずしてきた。特に一人、ゲストハウスのスタッフの若い女の
子がボランティアに参加して頑張っているのを見るとますます触発された。
最初に参加したのは中国の子供の日で中国のNGOの人たちとあるテント学校を訪
れ、そこに避難した子供たちと一緒に時間を過ごした。以外に子供たちが元気そうで、
笑顔があふれていたのでびっくりしたし、心温まる気がした。子供の逞しさというか、適
応能力の強さみたいなものを感じた。それからは3回ほど、村に入って瓦礫の撤去やレ
ンガやブロックを運んだり、いわゆる土木作業のような労働をした。ある人は、もしくは多
くの人が人のためにボランティアに参加しているかもしれないが、僕は自分のためにや
る。もちろん、結果的には人のためになるかもしれないが、僕はやっぱり自分のために
やる。まず、自然に囲まれた環境で汗をかいて労働するのは大変だけど、気持ちいい。
特に夕方涼しい風に当たると何とも言えない充実感や気持ちよさを感じる。すがすがし
いと言った方がいいかもしれない。あと、みんなで力を合わせて何か一つの事をやるの
はとても楽しい。もちろん、その過程に意見の対立や口論があるかもしれないが、皆で
一つの事をやり遂げるのは楽しい。チームの団結力というか、絆みたいなものが生まれ
る。これに関連するのだが、今回の活動で多くのすばらしい人たちと出会う事ができ
た。
村人はもちろんのこと、このチームのメンバーみんないろんな人生の道を歩いてきた
人で個性があり、とても面白い。特にYさんの人を寄せ付ける求心力やみんなを統率す
るリーダーシップはすごいと思う。それと、村人の生活を観察して学ぶこともある。いろ
んな道具の使い方とか、どのように御飯を作るとか、勉強になる事が多い。僕は中国語
を勉強しているので、現地の子供たちと中国語で会話したり、意思疎通をするのはとて
も楽しいし、一生懸命に勉強してきた甲斐があったなと、何か報われたような気がした。
やっぱり、勉強していても実際に多く中国人の方たちと話さなければ上手くならない。子
供たちと会話の練習ができるのはとてもありがたい。加えて、Yさんの人生の経験や知
識はとても豊富で、彼の話を聞くだけでも勉強になる。地震に強い家の建て方とか、い
ろんな事を勉強してきた人なんだなと思う。Yさんの話は興味深いし、好奇心をそそられ
る。おそらく、僕は人間的にまだ未熟かもしれないが、やっぱり現在の僕は自分のため
にボランティアに参加する。「人のために」と格好いいことなんてできない。自分の事で
精いっぱいだと思う。それで、一体ボランティアとは何なのかと自問する。まだわからな
い。ただ、今回の活動で感じたのは、「とりあえず自分ができる事をしっかりやる」という
事だ。
最後にYさんをはじめ、ボランティアに参加した仲間たち、温かく迎えてくれた村人た
ち、ゲストハウスの同僚、スタッフたちなど、何らかの形で支持してくれた人たちに感謝
したい。 謝謝、大家!
しかし、まだまだこれからだと思う。まだまだ先があり、被災地の人々が元の普通の
生活に戻るには長い長い時間がかかるだろう。これからもどうやって関わってサポートし
ていけばいいのか、まだ自問が続くのだろう。
M.M
2008年6月13日
「救援ニュース」カテゴリーアーカイブ
中国四川省地震救援ニュース 46
日本のメディアでも指摘されていますが、中国政府は被災地への取材規制
をはじめ、外国人ボランティアや自国のボランティアへの規制が強くなってい
るようです。そんな中で、少し残念な情報が入りました。
以下は、CODE翻訳ボランティアからの情報提供です。
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≪NGO連合事務所最後の1日≫
瞭望東方周刊 記者:呉芳蘭
「ひとりひとりがとても大切で、
ひとりひとりがその能力を発揮し、
ひとりひとりが変化をもたらせるように」
「NGO四川地区救援連合事務所」の壁にはこんな言葉が貼られている。こ
の大地震後にできたこの連合は「5月30日をもって作業を終了する。1か月
以内に物資財務報告をすること。」と宣言することとなった。大地震後、NGO
の数団体は自分たちになにかできるのではないか考えと、ゆるやかな連合
という形で民間の地震救援団体をつくることを決定した。5月14日に「NGO四
川地区救援連合事務所」として正式に発足し、全国150のNGO団体が参加
した。これは全国でも初めてのNGOの大連合だった。
5月30日、成都市一環路東5段108号の東恒国際二棟一区のひとつの部
屋では、3人の女性が忙しく働いていた。広東から来た『水瓶』がテントの在
庫を調べているところで、「綿竹市漢旺鎮では少しテントが足りないの。昨日
の雨で数人の被災者が濡れてしまったって。」『水瓶』は中山大学人類学部
公民と社会発展研究センターの財務職員で、彼女は主に連合事務所での
帳簿管理を任されている。「実はなんでもします。雑用も。」彼女は笑って
言った。彼女は継続してパソコンにボランティアの情報を打ち込んでいた。解
散に際しては「特別何もしませんよ。できれば31日の朝に記念写真を撮っ
て、漢旺鎮にテントを建てて、また仕事です。」「車はもう探して準備できた
よ。今晩テントを運ぼう。」とひとりのひげ面の芸術家タイプの男性が入り口
のところで言った。彼は雲南玉渓にある発展訓練学校の校長で主に国際ボ
ランティアを養成している。
数日前、連合事務所はネットを通じて解散の公告を出した。「NGO四川地
区救援連合事務所と各地区に成立したチームは解散します。5月25日から
各地区では救援物資を受け取れません。もしも各地区に在庫があるようでし
たら、自分たちの判断で赤十字や現地のNGOに回してください。」「そうは
言っても私たちの仕事はまだ続きます。方向転換をするだけです。NGOの役
割は物資の収集だけではありません。教育や文化、環境などのソフトの部
分もあります。」
現在、彼らは場所を探して、被災者がなにを必要としているのか情報収集
している。そしてメニューリストをつくり、各NGOはそれぞれの得意分野を選
択して、そして数十もしくは百のNGO団体が一緒に活動する。
「もしできれば、私たちは仮設住宅にも活動の場を広げたい。」そう考えて
いる。そして、これから3年かけて、政府の仮設住宅が建て終りその地区の
サービスが比較的整ったら「その時は私たちが退く時。他の事をしますよ。」
ここはもともと「成都根芽環境文化交流センター」の事務所だ。NGO連合事
務所がここに落ち着いてからは、各地のNGO団体やボランティアがここに足
を運び、ここから被災地に出発していく。主な仕事は緊急援助物資を被災地
に提供することだ。羅丹は「成都根芽環境文化交流センター」の中心責任者
だ。1981年生まれの彼女はこのNGO連合事務所の発起人のひとりで物資
の管理をしている。羅丹は、5月12日の午後5時か6時ごろ全国の多くの
NGO が何かしたいと思っているだろうと、NGOがよく利用する交流の場であ
る「NGO発展交流ネット」の責任者の陸非を探し当てた。なぜなら彼が一番
顔が広いからだ。
夜10時ごろ、いくつものNGOが一緒になにかしたいと希望を表明してき
た。「以前は各NGOはそれぞれ活動していた。あなたは教育で、私たちは文
化というように。協力してもそれは人材養成など限られていた。こんなに大規
模な連合はしたことがなかった。」
5月13日、成都に協調事務所を設置することを正式に確定した。「私たちは
捜索や医療の専門家ではない。私たちのできることといったら、当時一番重
要だったのは物資の救援だった。」連合事務所はその下にいくつかの部門
を設けた。「ボランティア管理」「物資」
「財務」「政府関係」「後方支援」「協調」「車輛」「前線連絡」など。このほか
各地に簡単な仕事の分担があった。例えば、成都では政府との連絡と協
力、被災状況の調査、物資の拠点。貴州省では数十の民間団体がチーム
を組んで物資の収集と成都への運搬をしてくれた。雲南でも物資を収集し運
搬してくれた。
5月14日物資の第一便が成都に到着した。この日に連合事務所は正式に
仕事を始めた。現在、価格にして1000万元(1億5000万円)を超える物資が
ここから送り届けられた。
現在、民政関係部門はすでに大量に被災地に物資を送り届けている。被
災地も再建の段階に入っている。「NGO連合事務所の主要な仕事は物資を
集めることであり、その使命は終わった。」「しかし私たちは再建に向けて一
つの計画を持っている。もっと多くのNGOが自分たちの特徴を生かして、被
災者のために動く。」
NGO発展研究に携わる四川省社会科学院研究員の郭虹によると「地震発
生からすでに20日経ち、社会の関心もだんだん移りゆくかもしれない。しか
し被災者の生活はようやく始まったばかりだ。NGOの働きは被災地の再建
のなかでさらに実現していくだろう。」
郭虹の考えでは、この地震のあと、多くの人々のNGOに対する印象は変
わるだろう。中国NGO発展の新契機となるに違いない、と。
(6月10日 瞭望東方周刊)
中国四川省地震救援ニュース 45
静岡県ボランティア協会がとりまとめをして下さっている「四川省大地震被災
地へ テントを贈ろう」運動で集まったテントは、静岡県が姉妹都市を結んでい
る淅江省を通して、被災地広元市青川県に届けられることになっている。こう
して今回の四川大地震の復興に関して中央政府は全国21の市や省に相手
先を割り当てて支援させる政策をとっています。これを「対口政策」というそう
ですが、北京市は以下のようなことをしています。
(以下の情報は、CODE翻訳ボランティアからの提供です。)
≪北京のボランティア被災地支援、500時間の寄付計画≫
9日、「北京ボランティア被災地支援リレー計画チーム」第一陣8名が四川へ向
かった。彼らは成都、徳陽、什ほう(方におおざと)へ別れ、7日間の仕事を行
う。北京ボランティア協会連合が計画した「500時間の寄付計画」に目下2700
名余りのボランティアが申し込みをしている。審査を経てパスしたボランティア
は北京で、または被災地で医療、教育等の仕事をする。一人当たりの仕事時
間は500時間。
市の委員会によると、最初のグループ8名とは電話連絡を経て、第一次選考、
面接などで選抜された。この8名は中央機関、国営企業、民営企業、北京市
立高校等の出身で、環境保護工事、土木工事、法律、教育、心理学などの専
門の知識がある。彼らは当地のボランティアと協力し、被災地のためにさまざ
まな要求に応えていく。
(新京報 6月9日 05:16)
≪北京市:什ほう市支援のため、公費10%を削減≫
6日午後、北京市は被災地区支援指導チーム指揮部の第一回目の会議を開
き、被災地区の再建政策措置を発表した。北京市は暫定的に3年間、政府の
事務経費など公費10%を削減し、相手先の四川省徳陽市の什ほう(方におお
ざと)市への支援に充てる。北京市財政局によると上述の公用経費の主なも
のは政府の事務経費で、出張費、会議費など。財政局は10%の削減を捻出す
るため、さらに細かく公用経費の見直しをはかる。
また会議では、被災地再建のための第一次案について討論した。近いうち
に、都市交通、教育、医療衛生、農業、住宅、現地工業・企業生産回復につ
いての措置を発表する。
(京華時報 6月7日 02:04)
中国四川省大地震救援ニュース 44
四川大地震発生後まもなく被災地に入って、調査および瓦礫の片づけや仮
設住宅建設などのボランティアをしてきたYさんが、昨日一時帰国してきまし
た。明日15日のCODE総会後の懇親会で近況を聞くことになりますが、翌16
日は名古屋、17日は神戸学院大学、19日はコープこうべ災害緊急支援基金
に報告、21日はFMわぃわぃ特別フォーラムでのアピールなどのスケジュール
が入っています。(詳細は事務局に問い合わせて下さい。)
なお今回の帰国の空路についてはJALの無償供与によってご支援いただき
ました。
また、レスキューナウは緊急発行した冊子の売上の10%をCODEに寄付して
下さることになりました。
「緊急発行!レスキューナウ特派員現地報告中国四川大地震」特設ページ
http://www.rescuenow.net/topic/shisen_kinkyu.html
中国四川省大地震救援ニュース 43
今日12日は、中国四川大地震から1ヶ月目です。マスコミ各社も特集を組んで
います。
以下は、Yさんからの現地レポートですが、被災当事者自身が苦しみを乗り
越えて、住まいの再建などに取り組む姿は、見ている側も痛ましい限りだが、
一方元気を貰うことにもなります。そうした人と人、あるいは人と瓦礫という”関
係性”が、少しづつ恢復力の弾みをつけるような気がします。このレポートを読
んでいて思い出すのは、2001年インド・グジャラート地震の被災地で耐震建築
のワークショップをした場所のことです。SEWAというNGOの指導のもとで、被災
住民が瓦礫を片づけながら、再利用できる鉄筋や木材、竹、石などを分別し、
空いたスペースで事物大の住まい建築を通しての”耐震ワークショップ”だった
のです。そのモデルの家のすぐ近くには、まだ崩れた家々がそのままになって
おり、正直複雑な思いをしたことを鮮明に覚えています。
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北川県のとある農村での話。デコボコの未舗装の道沿いに倒壊した家屋が
点々と続く。被災地の中で支援の格差が広がりつつある状況でいつも見落と
されがちな農村部に入った。丁成洪さん(43)の96年に建てた家は、この地震
で脆くも崩れ去った。どこから手をつけていいのか分らないような瓦礫の山を目
の前に肩を落としていた丁さんだが、日本人ボランティア5人が一斉に瓦礫の
片付けを始めるとそれに触発されたのか重い腰を上げて動き出した。それを見
た奥さん、娘さんも。使える木材やブロック、瓦を拾い、瓦礫を片付ける。次第
にきれいに整理されていく事で気持も少し変わっていくようだった。二日目の作
業を終えた後、別れ際に丁さんは、「本当になんとお礼を言ったらいいか分か
らない。すごく勇気をもらったよ。」と笑顔を見せてくれた。ボランティアは、被災
者自身が立ち上がるきっかけを与えることしかできないのかも知れない。後
日、丁さんの言葉を聞いた日本人ボランティアは涙を流していた。
中国四川省大地震救援ニュース 42
明日で、中国四川大地震から1ヶ月になります。CODE翻訳ボランティアが
提供してくれた次のニュースにもありますが、すでに仮設住宅は57000軒が
建っています。また、臨時生活補助金なるものを受けとったのが500万人に
達しています。
以下、翻訳ボランティアによるものです。
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≪四川省500万人の被災者が生活補助を受給≫
6月9日四川省民政庁によると、5月28日から6月8日に四川全省で臨時生
活補助金と食料を受け取ったのは512.2万人、総額で14.6億元(約230億
円)食料はおよそ6万トン。
一方、地震による死亡者への慰霊金はひとりあたり5000元(7万5000円)
が家族に支給されるが、現在のところ総額6698.5万元が支給済み。また、
亡くなった人の火葬費用は無料と定められたが、地震直後には火葬場で費
用が徴収されたケースがある。大多数が家族に返還されたが、まだ一部返
還されていないので、公告をだし、電話連絡するよう呼び掛けている。
(6月9日 中国新聞網)
≪民政部:テント調達数約95万張≫
6月9日12時現在、被災地で調達できたテントは95.07万張(*当初目標
は300万張)、ベッド476.27万床、衣服1396.60万枚。
(6月9日 新華社)
≪住宅と都市・農村建設部:仮設住宅は57100軒が完成≫
6月8日現在、四川省の被災地で完成した仮設住宅は57100軒、建設中
が23100軒、運送中が55500軒、運送待ちが65900軒。
(6月9日 新華社)
中国四川省地震救援ニュース 41
ニュース36でYさんたちのボランティア活動のことに触れましたが、その1人I
さんから感想文をいただきました。彼は以前、成都に来た時に知り合った友
人の中国人(享年22歳 SIMSゲストハウスの従業員)の死を知り、旅先の
トルコから駆けつけてきたボランティアです。悲しい再会になりましたが、今は
元気に被災地で活動しているそうです。
———–
成都にはもともと来る予定でしたが、トルコで今回の地震のことを知り急遽旅
を終え、来ることを決めました。正直、最初はボランティアのことより彭飛のこ
とが心配でした。しかし、途中で彼女の死を知りショックではありましたが、四
川に思い入れがあるため自分が何ができるか分かりませんでしたがボラン
ティアに参加したいと思いました。
初日、現場に向かう途中の被災地の状態に驚きを隠せませんでした。震源地
に近いところはさらに酷い状態だとは思いましたが、それでも目にする光景は
悲惨としか言いようがありませんでした。完全に瓦礫の山と化した家々、自分
たちで作った簡素なテント・・・
しかし、こんな状況でも商売や野良仕事をする人々がいました。彼らに力強さ
を感じ、というか「なんでこんな状況で働けるん?」という驚きのほうが強かっ
たです。現場でも、笑顔を絶やさない村人たちにこっちが逆にパワーをもらっ
た気がします。
ボランティアのメンバーたちにも元気をもらいました。当初は彼女の死もありか
なり落ち込んでいましたが、彼らと一緒に仕事をする中で徐々に癒されまし
た。
そしてYさんの村人たちの視点で活動をされる姿に感動すると同時にこの
NGOに入れたことをうれしく思いました。ただ今の状況をどうするかだけでな
く、この先もどうしていくかということを考えてられることにも感銘をうけました。
まだまだこれから被災地で様々な問題が生じると思います。これから夏にか
けて気温や湿度が上昇する中で幼い子供や高齢者たちの健康状態、今後の
新しい住宅の問題、子供たちの教育などなど、短期間では改善できないこと
がたくさんあると思います。
自分にできることは限られていますが、今だけでなく今後も彼らの支援をして
いきたいと思います。
今回、参加できて本当に良かった、と思います。そして、良い経験をさせてい
ただきました。ありがとうございます!
中国四川省大地震救援ニュース 40
大規模災害後の課題として重要な一つに、生計の再建がある。この
ニュース26で、被災地外の企業が積極的に雇用機会を提供しているとい
う話です。もともと四川省では、出稼ぎで生計をたてている人が多いとい
われている。CODE翻訳ボランティアさんが提供してくれた昨日の情報
で、こんな関連の記事があったので紹介する。ただ、やむを得ないとはい
え、残される家族の不安を考えると手放しでは喜べず、再建して生きてい
くのに厳しい選択である。
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「四川の被災者400名、国外へ出稼ぎ」
6月2日 午前3時過ぎ、四川広元市利州区の村民楊孝蓮さんは起き上
がり、暗闇の中で仮設テントの外に築き上げられたかまどに火をおこし
た。夫の張必生さんはこの日アルジェリアへ働きに出る。おそらく2年は会
えないだろう。彼女は夫のために温かい食事を作ろうとしている。
今回、他に34名の被災者が張必生さんと共にアルジェリアへ行く。彼ら
は地震後、利州区で最初の外国への出稼ぎ団体である。四川の被災地
区では地震前に約2,000名が国外で働いていたが、地震後さらに400名
の被災者が国外へ出稼ぎすることとなった。
張必生さんの家は地震で深刻な被害を受けた。4間からなる瓦葺の建
物は全て倒れ、一家5人は帰るべき家を失った。
5月12日の地震により利州区全体で18万世帯が被害を受けた。そのう
ち2万世帯近くの家屋は倒壊し、22万人が家を失っている。長年にわたっ
ての蓄えで築いてきた家がなくなってしまったのだ。新しく立て直すには
お金が必要だ。これらの収入の問題を解決するため、利州区委、区政府
は彼らのために仕事の仲介をするサービスを開始した。すぐに新疆、広東
など仕事の需要の大きな地区や国外の仲介会社を通してスーダン、UAE,
ロシアなどでの仕事を調達し、また同時に労務部は出稼ぎ農民の家庭の
問題解決のために子供たちの就学や老人の扶養、農業生産などを手助
けをしていく。
出稼ぎ者が安心して外で働き、被災者が出来るだけ早くこの困難から
抜け出し再び家を持つ基礎を作るためだ。被災後まもなく利州区労務部
門は村で出稼ぎの情報を提供し、電気工の技術を持つ張必生さんは申し
込みした。翌日、彼は健康診断を受ける通知を受け取り、第一次選考を
経て彼はアルジェリアへ派遣されることになった。旅費9000元余りは全て
国外の会社が出す。出国前に張必生さんと34人の農民工は訓練を受
け、6月2日午前、北京への直通バスに乗り、その後飛行機で国外へ向
かうことになっている。
出発の日の朝、張さんの家族、楊孝蓮さんと小さな娘は車を乗り継ぎ、
集合地まで見送りに出かけた。道の端で労働局の職員によって記念写
真の撮影が行われ、準備されたプレゼントなどが渡された。
「みなさん、一緒に記念に写真をとりましょう。たいした事はできません
が、花束をおくります。みなさんの道中の無事を祈ります!」
身内との別れに集団の中から泣き声が聞こえ始め、瞬く間に広がって
いった。「とてもつらいですが、政府が私達を助けてくれるので私達も頑張
れます。お金を稼いで帰ってきて、また新しい家を建てます。」
目下、被災地区では2000名が国外で働きつづけており地震後はさらに
少なくとも400名の被災者が日本、インドネシア、スーダンなどへ向かい
仕事をしている。政府と派遣会社の職員は共に彼らの家庭を見舞い、生
活の再建の手助けに全力をつくすことを約束している。
(新華網 成都6月2日 21:00 )
【四川省救援ニュース号外】「四川省大地震被災地へテントを贈ろう」
本日、静岡県庁にて「四川省大地震被災地へテントを贈ろう」運動について、記者発表が
行われました。詳細は下記の通りです。与党議員の会も被災地にテント300張りを持って
いったということですが、市民運動として盛り上がればと思いますので、是非、多くの方に
ご協力いただけますようお願いいたします。
————-
四川省大地震被災地へテントを贈ろう
5月12日に発生した中国四川省の大地震では、多くの人命が奪われました。
このたび静岡県ボランティア協会は、全国の民間ボランティア団体と協力して、四川省
大地震被災地へテントを贈る運動を展開することになりました。この運動は、日本航
空、静岡県、浙江省の協力を得て実現したものです。
ぜひ多くの方にご協力いただけますようお願いいたします。
募 集 内 容
募集する物 テント(目標1000張)
※5~6人以上が利用できる新品のもの
※送料として1張につき3000円のカンパをお願いします。
締 切 7月10日(木)
提供方法 静岡県ボランティア協会にご連絡ください。協力申請書をお送りします。
テントは宅配便または郵送で、申請書はテントとは別に下記まで郵送またはFax
でお送りください。カンパは郵便振替でお願いします。
カンパ振込先(郵便振替)
口座番号 00800-4-131280
名 義 特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
※通信欄に「四川省大地震被災地にテントを贈る運動」と明記してください。
問合せ・送付先
特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会「四川省大地震被災地へテントを贈る
運動」係
〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70静岡県総合社会福祉会館内
Tel:054-255-7357 Fax:054-254-5208 E-mail:evolnt@mail.chabashira.co.jp
【費用負担内訳】
協力者→静岡県ボランティア協会・・・・・・協力者
静岡県ボランティア協会→成田国際空港・・・カンパ/静岡県ボランティア協会
成田国際空港→中国杭州・蕭山国際空港・・・日本航空
中国杭州・蕭山国際空港→四川省被災地・・・浙江省
【呼びかけ団体】(平成20年6月8日現在23団体)
被災地NGO協働センター/ピースウインズ・ジャパン/レスキューストックヤード/とち
ぎボランティアネットワーク/震災がつなぐ全国ネットワーク/全国災害救援ネット
ワーク/新居浜災害を考える実行委員会/日本災害救援ボランティアネットワーク/
災害ボランティアオールとちぎ/ネットワーク三宅島/プラス・アーツ/浄土宗應典院
/島原ボランティア協議会/阪神高齢者・障害者支援ネットワーク/ボランティアそよ
風/中部防災ボランティア/中越復興市民会議/(福)大阪ボランティア協会/(財)
富士福祉事業団/(福)世田谷ボランティア協会/東京ボランティア・市民活動セン
ター/(財)たんぽぽの家/静岡県ボランティア協会
【賛同団体】(平成20年6月8日現在)
市民活動センター神戸/豊年福祉会/きょうとNPOセンター/塩谷集落/奈良地域
取材班 若芽/他団体・個人賛同者受付中
【責任母体】
特定非営利活動法人静岡県ボランティア協会
〒420-0856静岡市葵区駿府町1-70県総合社会福祉会館内 Tel054-255-7357/
Fax054-254-5208
※私たちはミャンマーのことも忘れてはいません。
—————
中国四川省地震救援ニュース 39
今回の地震で被害の大きかったアバ地区の被害全容が明らかにならないが、
中国政府とはここに住むチャン族の継承してきた伝統文化の数々を残さなけれ
ばならないと、専門の委員会を設置して調査をはじめているようです。そのうち、
建物に関しては特に高さ50㍍~60㍍もある石積みの「ちょう(いしへんに周)
楼)」が壊れていないところも数多くあるようで、何故壊れなかったのかの検証が
必要になってくるでしょう。
以下はCODE翻訳ボランティアの情報提供ですが、やはり全容が明らかになる
には時間がかかるようです。
≪チャン族ちょう楼はほぼ無傷≫
国家文物局の記者会見上、 被災地で撮った写真を公開した。そのなかで専
門家がチャン族のちょう(いしへんに周)楼が大部分は壊れなかったことを述べ
た。
アバ地区にはチャン族のちょう楼が数多くあり、高いものでは50~60メートルあ
る。この地震では1,2のちょう楼が倒壊しただけだった。その他は亀裂がはいっ
ているものの無事でチャン族ちょう楼の堅固性を証明した。専門家は、ちょう楼の
保護修繕方法案について、「もとの位置、もとの形式、もとの材料、もとの工芸」
の4つの原則を示した。
また、チャン族の居住地、茂県、北川県のふたつの博物館が所蔵するチャン族
の文物の損傷がひどいこと、チャン族の口承の歴史や文字についての記録が廃
墟に埋まってしまったこと、ある年配のチャン族無形文化財の伝承人が地震で
亡くなったことを発表した。その他の被害状況は調査中である。
(6月6日 新華網)
≪ぶん川黄土群ちょう(いしへんに周)地震でも無傷 すでに1000年の歴史≫
5月31日、記者は3時間歩いて、海抜2200メートルのぶん川県威州鎮布瓦村
に着いた。村民はうれしそうに記者に告げた。彼らの宝物の黄土群ちょうは依然
そびえていた。
村民の楊成雲さんによると、黄土群ちょうは4つあり、そのうちひとつは石造り、
3つが黄泥でできている。多くの村民の家も黄土ちょうを削って作っている。今回
の地震で多くの家屋は大きく裂け目がはいり、山裾の多くの鉄筋コンクリートの
住宅、石瓦の家は廃墟と化した。
布瓦村にある石造りのちょう楼は大きな被害を受けた。記者は崖に立っている
石のちょう楼の上半分が削り取られているのをみた。一方、三つの黄土ちょう楼
は依然立っており、てっぺんが崩れたのと、裂け目が少し入っただけであった。
村の老人によると、この三つの黄土ちょう楼はすでに1000年以上の歴史をも
ち、1933年、1976年の地震にも耐えている。 (6月4日 四川日報)
http://www.qiangzu.com/Article/UploadFiles/200706/20070615091745320.gif
≪布瓦黄土群ちょう≫
ぶん川県威州鎮布瓦村の布瓦黄土群ちょうは四川省で唯一集中分布してい
る黄土群ちょうである。黄土ちょうと石ちょう合わせて49あり、建造時代は漢から
清と2000年にもわたっている。2006年5月全国重点保護文物に指定された。
布瓦村は威州鎮(ぶん川県城)に属す山の中腹の村である。岷江の西側の高
山地帯にあり、ぶん川県城を望む。黄土群ちょうは山に沿って建てられていて、
東西4000メートル、南北3000メートル内に分布している。早期の遺跡は多く北部
に分布する。
黄土ちょう楼は45あり、四角ちょうである。本体は石片で作られており、高さ
1.6メートル、幅1.5~1.7メートル(石片の大きさか?)。本体には現地の豊富
な黄土で固めてあり、下の方は大きく上の方は小さく作られている。内部は木造
で、7階~9階。一階の東側の壁のまんなかに入口があり、高さ1.8メートル、広
さ0.8メートル。4階の東側と5階の南側にも小さい出入り口がある。各階には1,
2の長方形か三角形ののぞき窓があり、高さ20~30センチ、幅10~20センチ。
石造りのちょう楼は4つあり、そのなかの八角形と六角形はすでに失われ、5角
形と4角形が残っている。建造時代は明と清である。これらのちょう楼は石ころや
石片を材料とし、小石で楔縫いし、黄色粘土に草を混ぜた粘着剤でくっつけてあ
る。上に行くほど小さくなる錐体の形をしている。壁の厚さは下の方が厚く上の
方が薄くなっていて、内部はまっすぐ、外部は斜めになっている。内部には横梁
が渡してあり、梁で数階にわけられていて同時に壁を支える役割を果たしてい
る。
このちょう楼は2000年前の秦漢の時代には四川の西北の高原で作られており
「史記」にも記述がある。最初のころは、防風や防盗のため、貯蔵や人が住む民
居として使われた。その後絶えず変化し、「官寨ちょう」「界ちょう」「風水ちょう」
「戦ちょう」として使われた。「官寨ちょう」は権力の象徴であり戦時には避難した
り貯蔵に使われた。「界ちょう」は境界線をあらわす建物として使われた。「風水
ちょう」は造型が独特で大きさは比較的小さい。魔除けに使われた。「戦ちょう」
は交通の要衝に多く作られた。比較的視界がひらけた地区にあり、のろしをあ
げ、砲を鳴らして警報を出したり情報を伝達する役目を果たした。「戦ちょう」は単
体もしくは複数で軍事防御体制を作った。布瓦黄土群ちょうは数度の地震にも耐
えてそびえている。
(2007年6月15日 アバ日報より…写真も)
≪四川省;チャン族文化生態保護区を再建≫
6月3日に四川省文化庁は「チャン族文化生態保護区第一次再建案」を公布し
た。保護区はチャン族特有の建築様式、民俗風習、祭祀などを体現できる環境
を確保する。
「5.12」ぶん川大地震はチャン族文化保護区に大きな被害をもたらした。不完
全な統計ではあるが、もっともチャン族特有の建築である「ちょう(いしへんに周)
楼」と「チャン族村(羌寨)」は多くが破壊されてしまった。理県桃坪チャン族村の
3つの有名なちょう楼には裂け目ができ、先端部分は崩れた。ぶん川県の古くか
らのチャン族村、るおぼ村は破壊されてしまった。現在、全国30名以上の専門
学者がチャン族文化を救い守ろうと討論をしている。
専門家が提案して定められた「チャン族文化生態保護区第一次再建案」では、
「救助、保護、再建、利用、発展」が基本原則である。チャン族文化を代表する
伝承人、特有の人文環境、自然生態、建築、民俗、服飾、文学、芸術、言語、
伝統工芸およびそれに関するもの、文書、写真、音像資料などが重要な保護内
容となる。各地区の重点・特色としては、ぶん川の釈比文化、羌繍、黄泥彫、北
川の大禹文化、理県の石彫民居建築、蒲渓チャン語、服飾、生活習俗などがあ
る。保護と同時にチャン族区文化観光特色産業をつくり、被災地回復再建を早め
る。 (6月4日 四川日報)
上の四川日報の記事にでているように桃坪郷では尖塔が崩れかけているようで
すが、基本的には石造りの民居は倒壊を免れたようです。