中国四川省地震救援ニュース 39

今回の地震で被害の大きかったアバ地区の被害全容が明らかにならないが、
中国政府とはここに住むチャン族の継承してきた伝統文化の数々を残さなけれ
ばならないと、専門の委員会を設置して調査をはじめているようです。そのうち、
建物に関しては特に高さ50㍍~60㍍もある石積みの「ちょう(いしへんに周)
楼)」が壊れていないところも数多くあるようで、何故壊れなかったのかの検証が
必要になってくるでしょう。
以下はCODE翻訳ボランティアの情報提供ですが、やはり全容が明らかになる
には時間がかかるようです。
≪チャン族ちょう楼はほぼ無傷≫
 国家文物局の記者会見上、 被災地で撮った写真を公開した。そのなかで専
門家がチャン族のちょう(いしへんに周)楼が大部分は壊れなかったことを述べ
た。
 アバ地区にはチャン族のちょう楼が数多くあり、高いものでは50~60メートルあ
る。この地震では1,2のちょう楼が倒壊しただけだった。その他は亀裂がはいっ
ているものの無事でチャン族ちょう楼の堅固性を証明した。専門家は、ちょう楼の
保護修繕方法案について、「もとの位置、もとの形式、もとの材料、もとの工芸」
の4つの原則を示した。
 また、チャン族の居住地、茂県、北川県のふたつの博物館が所蔵するチャン族
の文物の損傷がひどいこと、チャン族の口承の歴史や文字についての記録が廃
墟に埋まってしまったこと、ある年配のチャン族無形文化財の伝承人が地震で
亡くなったことを発表した。その他の被害状況は調査中である。          
      (6月6日 新華網)
≪ぶん川黄土群ちょう(いしへんに周)地震でも無傷 すでに1000年の歴史≫
 5月31日、記者は3時間歩いて、海抜2200メートルのぶん川県威州鎮布瓦村
に着いた。村民はうれしそうに記者に告げた。彼らの宝物の黄土群ちょうは依然
そびえていた。
 村民の楊成雲さんによると、黄土群ちょうは4つあり、そのうちひとつは石造り、
3つが黄泥でできている。多くの村民の家も黄土ちょうを削って作っている。今回
の地震で多くの家屋は大きく裂け目がはいり、山裾の多くの鉄筋コンクリートの
住宅、石瓦の家は廃墟と化した。
 布瓦村にある石造りのちょう楼は大きな被害を受けた。記者は崖に立っている
石のちょう楼の上半分が削り取られているのをみた。一方、三つの黄土ちょう楼
は依然立っており、てっぺんが崩れたのと、裂け目が少し入っただけであった。
 村の老人によると、この三つの黄土ちょう楼はすでに1000年以上の歴史をも
ち、1933年、1976年の地震にも耐えている。        (6月4日 四川日報)
http://www.qiangzu.com/Article/UploadFiles/200706/20070615091745320.gif
≪布瓦黄土群ちょう≫
 ぶん川県威州鎮布瓦村の布瓦黄土群ちょうは四川省で唯一集中分布してい
る黄土群ちょうである。黄土ちょうと石ちょう合わせて49あり、建造時代は漢から
清と2000年にもわたっている。2006年5月全国重点保護文物に指定された。
 布瓦村は威州鎮(ぶん川県城)に属す山の中腹の村である。岷江の西側の高
山地帯にあり、ぶん川県城を望む。黄土群ちょうは山に沿って建てられていて、
東西4000メートル、南北3000メートル内に分布している。早期の遺跡は多く北部
に分布する。
 黄土ちょう楼は45あり、四角ちょうである。本体は石片で作られており、高さ
1.6メートル、幅1.5~1.7メートル(石片の大きさか?)。本体には現地の豊富
な黄土で固めてあり、下の方は大きく上の方は小さく作られている。内部は木造
で、7階~9階。一階の東側の壁のまんなかに入口があり、高さ1.8メートル、広
さ0.8メートル。4階の東側と5階の南側にも小さい出入り口がある。各階には1,
2の長方形か三角形ののぞき窓があり、高さ20~30センチ、幅10~20センチ。
 石造りのちょう楼は4つあり、そのなかの八角形と六角形はすでに失われ、5角
形と4角形が残っている。建造時代は明と清である。これらのちょう楼は石ころや
石片を材料とし、小石で楔縫いし、黄色粘土に草を混ぜた粘着剤でくっつけてあ
る。上に行くほど小さくなる錐体の形をしている。壁の厚さは下の方が厚く上の
方が薄くなっていて、内部はまっすぐ、外部は斜めになっている。内部には横梁
が渡してあり、梁で数階にわけられていて同時に壁を支える役割を果たしてい
る。
 このちょう楼は2000年前の秦漢の時代には四川の西北の高原で作られており
「史記」にも記述がある。最初のころは、防風や防盗のため、貯蔵や人が住む民
居として使われた。その後絶えず変化し、「官寨ちょう」「界ちょう」「風水ちょう」
「戦ちょう」として使われた。「官寨ちょう」は権力の象徴であり戦時には避難した
り貯蔵に使われた。「界ちょう」は境界線をあらわす建物として使われた。「風水
ちょう」は造型が独特で大きさは比較的小さい。魔除けに使われた。「戦ちょう」
は交通の要衝に多く作られた。比較的視界がひらけた地区にあり、のろしをあ
げ、砲を鳴らして警報を出したり情報を伝達する役目を果たした。「戦ちょう」は単
体もしくは複数で軍事防御体制を作った。布瓦黄土群ちょうは数度の地震にも耐
えてそびえている。
                 (2007年6月15日 アバ日報より…写真も)
≪四川省;チャン族文化生態保護区を再建≫
 6月3日に四川省文化庁は「チャン族文化生態保護区第一次再建案」を公布し
た。保護区はチャン族特有の建築様式、民俗風習、祭祀などを体現できる環境
を確保する。
 「5.12」ぶん川大地震はチャン族文化保護区に大きな被害をもたらした。不完
全な統計ではあるが、もっともチャン族特有の建築である「ちょう(いしへんに周)
楼」と「チャン族村(羌寨)」は多くが破壊されてしまった。理県桃坪チャン族村の
3つの有名なちょう楼には裂け目ができ、先端部分は崩れた。ぶん川県の古くか
らのチャン族村、るおぼ村は破壊されてしまった。現在、全国30名以上の専門
学者がチャン族文化を救い守ろうと討論をしている。
 専門家が提案して定められた「チャン族文化生態保護区第一次再建案」では、
「救助、保護、再建、利用、発展」が基本原則である。チャン族文化を代表する
伝承人、特有の人文環境、自然生態、建築、民俗、服飾、文学、芸術、言語、
伝統工芸およびそれに関するもの、文書、写真、音像資料などが重要な保護内
容となる。各地区の重点・特色としては、ぶん川の釈比文化、羌繍、黄泥彫、北
川の大禹文化、理県の石彫民居建築、蒲渓チャン語、服飾、生活習俗などがあ
る。保護と同時にチャン族区文化観光特色産業をつくり、被災地回復再建を早め
る。                    (6月4日 四川日報)
上の四川日報の記事にでているように桃坪郷では尖塔が崩れかけているようで
すが、基本的には石造りの民居は倒壊を免れたようです。