CODE海外災害援助市民センター

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1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災をきっかけに
「困ったときはお互いさま」の心で海外の被災地支援を行っています。
災害時の支えあい・学びあいを通して地球の市民どうしのつながりを築いています。

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40. インドネシア・ジャワ島中部地震

災害概要&地図

発生時期:2006年5月27日
地震規模:マグニチュード6.3
被  害:死者5716人
活動期間:2006年5月28日~
募金総額:7,607,860円
現地の建築家と協力し、ジョグジャカルタ州バントゥル県の集落で耐震住宅の再建を行いました。また2008年からはグヌンキドル県の集落で、住民自ら水道管や貯水タンクの建設を行う「呼び水プロジェクト」を実施しました。現在も、神戸学院大学の浅野壽夫教授の授業「海外研修」を通して交流が続いています。

プロジェクト内容

(1)バントゥル県における伝統様式の住宅再建「エコ・プロジェクト」

CODEは、ジャワ島中部地震の被災地、バントゥル県内のボトクンチェン集落にて、25世帯(集落全戸)の住宅再建を支援しました。この集落は大きな被害を受けていたにもかかわらず、木々に遮られて幹線道路からは見えにくく、あまり支援が入っていなかったと言います。

建築家でありアーティストでもあるエコ・プラウォトさんの協力で、2006年11月、伝統的なデザインの耐震住宅ができあがりました。このプロジェクトのポイントは、後々も住民自らの手で、手に入れやすい材料を使って修理や補強が行えることです。地域で育った竹やヤシの木、壊れた家のレンガや材木などを再利用しています。地震で壊れた住宅の多くはステータスの象徴だったコンクリート・ブロック製のもので、反対に「貧しそうに見える」と思われていた木造の小屋などは壊れにくかったことから、改めて地域にある材料を見直すことになりました。

また、もうひとつのポイントは住民どうしの相互扶助「ゴトンロヨン」の精神に基づき、住民自らの手で建設が行われたことです。この協働作業により集落の結束が強まり、また、家を建てる技術も共有することができました。こうした日頃の支えあいの関係は、災害時にも力を発揮します。ジャワ島の農村部にはこうした精神が息づいている社会があり、ふだんから農作業や道普請、結婚式やお葬式などの場面で自然と住民どうしの協力が行われています。

震災後の課題もあります。エコさんは次のように述べました「自立した経済の確立が重要です。地震の援助を機に入ってきた安い外国製品が被災地に溢れると、地域経済は競争に埋没します。これをいかに止めるかが最大の課題だと考えています」。安い外国製品によって地域の産業が衰退する、日本も同じ課題を抱えていますが、インドネシアの農村でも農家の生計を圧迫する深刻な問題となっています。

エコ・プラウォトさん
ジョグジャカルタ在住。世界的に活躍する建築家・アーティスト。日本でも「上勝アートプロジェクト ~里山の彩生~」(http://www.kamikatsu.jp/docs/2011021700037/)や「越後妻有 大地の芸術祭の里」(http://www.echigo-tsumari.jp/artwork/shrine_for_mother_nature)で作品を発表されました。地域の文化や自然を取り入れたアートが魅力です。

(2)グヌンキドル県における給水タンク・パイプライン建設「呼び水プロジェクト」

ボトクンチェン集落の住宅再建後、パートナーであるインドネシア人建築家のエコ・プラウォトさんより次の支援先の提案がありました。ジャワ島中部、ジョグジャカルタ州の州都で同名のジョグジャカルタ市から約40km、グヌンキドル県内の山あいにあるナワンガン集落です。人口約130人のこの集落も2006年のジャワ島中部地震で被害を受けました。人的被害はなかったものの、全壊4軒、半壊11軒と、30世帯のうち半分が住宅に被害を受けました。もともとこの地域は震災以前から慢性的な水不足で高い水代が生計を圧迫しており、震災が経済的な困窮を助長していました。

高い水代の原因は、この集落に水道が通っていないことでした。この地域は、雨季と乾季が1年のほぼ半分ずつの長さとなっています。雨季には各戸の天水タンクに雨水を貯めて利用しますが、乾季には水売り業者から高い水を買わざるを得ませんでした。厳しいときには月収の半分ほどが水代に消える計算でした。

これを受け、CODEは住民がより安価な水を利用して生計を改善できるよう、水道を引くための支援を行いました。県の水道公社のタンクから集落まで約1kmの水道管を敷設、集落にはタンクを建設し、各戸へと支管もつなぎます。建設はすべて集落の人たち自身の手で行われました。ジャワ島の農村に根ざした相互扶助の精神「ゴトンロヨン」に基づく協働作業です。日頃から住民たちは農作業や道普請、家の改修、結婚式やお葬式、病人の世話といった多くの場面で協力して生活しているのです。
水道公社との必要な手続き、集落での「水組合」の設立、運営・利用方法の決定もすべて集落の人たちが行い、2008年4月、無事に完成しました。

この工事によって、乾季も安価でより安全な水が利用できるようになり、住民の暮らしの改善に役立ちました。さらに、これをまさに「呼び水」として、村の人たちは過疎化や貧困といった地域の問題に取り組み始めました。近年、農業では十分な現金収入が得られず、本当は村で暮らしたい若者もやむを得ず街へ出ていきます。日本の農村でも同様のことが起こっていますが、ナワンガンでは住民どうしが助け合いながら地域経済を自立させ、この問題を解決しようとしています。「水組合」では、浮いた水料金から各世帯が毎月少しずつ資金を積み立てていくことにしました。そしてこのお金で、生計を向上させるための融資、いわゆるマイクロクレジットを始めることにしたのです。最近ではこの融資を利用してヤギの飼育を行い、生計の足しにする人が増えています。

なお、2008年から毎年夏(2009年除く)、神戸学院大学「防災・社会貢献ユニット」浅野寿夫教授(CODE正会員)が授業の一環で、学生がナワンガン集落を訪問しています。学生さんは民家に宿泊して聞き取りや交流を行い、ナワンガンの人たちは「遠く日本から、ジョグジャカルタ郊外のこの村まで来てくれることが私たちの自信になる」と、互いに学び刺激しあっていました。2011年9月の訪問時には、住民一人ひとりが東日本大震災の被災者へのメッセージを書いたタペストリーを託してくれ、学生が被災地に届けました。ジャワ島もとても地震の多いところです。離れていても、国が違っても、こうして人と人は支えあいや痛みを通してつながっています。