フィールドワーク
2016年度前期CODE未来基金プログラム フィリピンフィールドワーク
2016年度前期募集プログラムで採択された、神戸大学2回生の宮津隆太さんの「Sign~学生に国際支援の新たな兆しを~」を実施しました。宮津さんを含む神戸大学の学生5名と2013年の台風Haiyanの被災地を訪れました。
日 時:2016年8月10日~18日(8泊9日)
内 容:フィリピンで活動するCODEのカウンターパートやNGO(FIDECやSPFTC)へのヒアリングや団体活動への参加、CODEが漁業支援を行うバンタヤン島を訪れることで国際協力やNGOが取り組む被災地支援、社会問題(貧困、格差、環境問題)について学びます。
神戸大学2回生の宮津隆太といいます。
今年の夏、CODE未来基金を使わせていただくにあたって「僕がCODEと出会ったきっかけ」「なぜ僕はフィリピンでフィールドワークがしたいのか」「フィリピンのフィールドワークで何がしたいのか」について話させていただきます。
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セブ市にあるフェアトレードショップ(SPFTCの事務所)にて、CODEとともにボートプロジェクトを行う2つのNGOの活動の代表Jojoさん(FIDEC代表)とGigiさん(SPFTC代表)から様々なお話を聴きました。それぞれのNGOの活動、SPFTCのフェアトレードの意義や課題、フィリピンの文化や漁業が抱える問題、産業不足、歴史的背景などを学びました。学生たちは日本での情報収集でしか知らなかったフィリピンの課題に長年NGOの立場から取り組むJojoさんからお話を聴くことで、明確に意識することができた様子でした。
CODEが漁業ボートを提供しているバランガイ・ポオックのシティオ(地区)・マンガを訪れ、村の住人とともにトウモロコシの収穫や貝殻ネックレス作りの内職を行いました。学生は外国のローカル地域に行くことが初めてであったこともあり、当初は住民の方との間に壁を感じていましたが、徐々に打ち解けコミュニケーションを重ねることができるようになっていきました。
シティオ・マンガと同じバランガイ・ポオックのシティオ・サンタロサを訪れ、魚の干物加工や漁網修理、翌日の漁の準備のお手伝いなどをしながら住民とのコミュニケーションを重ねました。村の若きリーダーである漁師のボニーさんや妹のジョアンさんから、近年、大型漁船漁が増えたことで小さな漁船による漁の漁獲高が減っているということや漁を続けるために借金をしている状況などが語られました。
一方で、そんな状況でも漁をやめない、家族がいるからこの村に戻ってきたというような生業や住んでいる地域への愛着もボニーさんの口から聴くことができました。学生も前日のマンガでの話も踏まえて、フィリピンの田舎の厳しい生活状況に頭を悩ませ、村を盛り上げるヒントを探すために村の漁師や教師、リゾートの観光客にも積極的にヒアリングを行っていました。また、この日の午前にはバンタヤンのマーケットを訪れ、漁師やミドルマン(仲介業者)が絡む流通やマーケットのシステムについて学びました。
バランガイ・オコイの2つの村を訪れ、村の女性が行っている植物のマット編み(内職)を体験するほか、前述のサンタロサとは違う漁法で漁を行っている漁師にお話を聴くことができました。マットは村で育つ植物を使って作るため、学生が一緒に作業をした家族だけではなく村のいたるところで女性がマット作りをしており、村の日常風景となっています。翌日のワークの準備をしていく中で、これまで消極的であった学生からも村の方との経験をかけがえのないものと感じ、翌日のワークで積極的に意見交流をする提案がされました。フィールドワークでの多くの悩み、考えたことが学生たちの成長につながっています。
13日~15日に訪れた村のリーダーたち5名に学生が感じた村の魅力を伝えるワークを行いました。学生はマット作りや前日までの漁業や農業などの村の日常活動に魅力を感じており、これを聞いた村のリーダーたちからは「これまで辛い仕事だと思っていたが、皆さんが楽しんでいるのを見て辛いと思う感覚が変わった。」という声が聞かれました。村を活性化させるアイディアを考える中で学生たちからリゾート観光客向け観光マップを作ることが提案され、村のリーダーたちからは「ぜひ挑戦してみたい。」「学生たちと一緒につくりたい。」という声が聞かれました。
地図を作りながら村の方々と村の魅力を引き出していく作業までできなかったことが課題ですが、今回学生たちが聴いた村の方の言葉や村の魅力は今後のCODEと北陸学院大学で行う漁業支援に活かされていきます。
8月10日から18日にかけて9日間、未来基金を使わせていただき、フィリピンのセブ島、バンタヤン島でフィールドワークを行いました。そこで学んだこと、感じた事について書いていきます。
1.厳しい現状、それでもフィリピンの人とたちが明るいワケ
セブ島、バンタヤン島の農村や漁村を訪問してお話を聞かせていただいたり、生活を体験させていただいたりする中で、現地の人の生活の大変さ、現状の厳しさを実感しました。農村の女性は、機械を買ったり農耕用の牛を借りたりする余裕もなく、すべての作業を手作業でおこなってるのがつらいと話されていました。漁村で漁から帰ってきた漁師さんの船のほとんどが1匹も魚を獲ることができずに帰ってきたり、借金返済のために借金をまた重ねていたりと本当に経済的に厳しい状態でした。
その中でも不思議に思ったのが、村の人みんながよそ者の僕たちを本当に暖かく迎え入れてくれたこと、子どもはめちゃくちゃ元気に遊んでいたことでした。こんなに厳しいのに、それを全く感じさせないくらいみんな元気だったのが不思議でした。事前にフィリピンの人たちの性格、気風からみんな元気だというのは聞いていたのですが、僕はその理由がコミュニティにあるのでは、と思いました。村の真ん中あたりに人が集まってくるようなスペースがあって、そこで楽しそうに女性同士でおしゃべりしたり、子どもたちが遊んでいたりしていました。このようにきつい状況でも常に人と近くにいる、人とつながっている、ということが彼らの心の支えになっているのだろうと感じました。自分の祖母の家は離島の田舎にあるのですが、交流の機会が少なく孤独を感じてしまっていることが多いのですが、ここは日本にはないこの村のいいところだなと思いました。
2.現地で活動する上で大事なこと
このフィールドワーク研修を通して、NGOとして活動する上で大事だと学んだのが、あくまで活動する主体は現地の人たち、自分たちはそれをサポートする立場だということです。現地に実際に行って、自分はあくまでもよそ者、しばらくしたら去っていく人間であるのに対して、現地の人たちはずっとそこで生活していく当事者であるのだということを感じました。だからこそ、よそ者だからこそできることを考える必要性に気づきました。
3.嬉しかったこと
フィールドワーク後に行ったアセスメントの時間を通して、自分たちが感じたこと、いいと思ったところをプレゼンして、現地の人たちに「自分たちの仕事に対して今までつらいとしか思っていなかったけど考え方が少し変わった。」と言ってもらえたのは、ほんの少しでもその人にいい変化を残せたなと感じてとても嬉しく感じました。また、フィールドワークを終えて村から帰るときに、また来てねとか自分のこと忘れないでねと言ってもらえたことが、なんだか本当に村の人に受け入れてもらえたのだなと感じてとても嬉しかったです。本当に、今度はよそ者としてかつ、コミュニティの一員としてバンタヤン島にまた来たいな、活動したいなと感じたフィールドワークでした。
私がフィリピンで一番感じたことは、「素晴らしいところを知るためにも、疑問が浮かぶためにも、行ってみることが大事だ」ということでした。
フィリピンに行く前に、「フィリピンの人は決して裕福ではなくても、元気だ。」とか、「日本よりも幸せそう。」という意見も聞いていました。その上で、実際に現地の人と関わったり、現地を見たりすると、やはり私が思っている以上に収入がなくても元気に過ごしている人々がいました。
しかし、私が未だに一番印象に残っているのは、行く前に日本で言われてきたことではなくて、現地に行って自分の見たものや視点から生まれたものでした。それは例えば、彼らは決して収入は多くないというのに、女性はわざわざネイリストを雇って、爪をおしゃれにしていました。私は正直「お金を払ってネイルするということは、お金がある人がすることなんだ。」と思っていましたし、今もそのことを思ってしまうところがあります。お金の使い方を決めてないから使ってしまったのかもしれないと思う一方、彼らはもしかしたらそれが楽しみなのかもしれないし、彼らにとっては何か重要なのかもしれないとも考えました。そのように私の予測や考えを超えた出来事によって、この気づきがとても強くなりました。
1週間ほどの滞在でしたが、日本で過ごす1週間よりも濃く、短かったけど長く感じたフィールドワークでした。ありがとうございました!
自分はそもそも海外渡航が今回初めてでした。行く前は、治安が悪いであったり、貧困が蔓延しているであったり悪いうわさが多く、なんとなく人も冷めていて怖い場所というイメージがありました。しかし、現地について人と交流して思ったのは人々がすごく温かいということでした。行く村々の人々が赤の他人である自分たちに笑顔で挨拶して話しかけてきてくれました。その時自分は日本が現在失いつつある人と人との繋がりであったり、温かさを感じました。
どこの村に行ってもそれぞれの村に深刻な問題があるにもかかわらず、村の人々はみな笑顔なのが自分にとってはとても不思議でした。なぜこの人たちは笑顔なのだろうか?自分たちが問題に思っていることが実は全く問題ではないのではないか錯覚してしまうほど、現地の人々は幸せそうでした。この時、自分たちが問題に思ってることをただ押し付けて助けようとしても現地の人々の笑顔を壊すだけで、大切なのは現地の人々が自分たちの状況を改善しようと意識して取り組むことで自分たちはその手伝いをするに過ぎないのだと気づきました。
フィールドワークという経験についても、もちろん初めての経験でまた日本語の通訳の方が急用でこれなくなり英語での会話を余儀なくされました。自分は英語能力がそれほど高くなかったため、最初はかなりきつかったです。しかし、会話を重ねることでなんとなく言いたいことが伝わるようになり、言っていることが理解できるようになり、会話が楽しくなりました。この経験からフィールドワークにおいて大切なのは笑顔であったり会話に対する積極性であると感じました。
フィリピンに来て二日目まではまだあまり現地の人々との関わりはなく、NGOの人からフィリピンについて全般的に教えてもらいました。
日本でネットや大学教授へのヒアリングで情報収集できているつもりだったけど、現地の人が実際に感じていることを知れてとても良い時間でした。と言いつつ、せっかくフィリピンに来たのに屋内で話を聞くばかりで、英語が十分に聴き取れなくて、少し不満な気持ちもありました。
三日目、船でバンタヤン島にやって来て現地のマーケットに行きました。そのマーケットは海の目の前にありました。はじめ、ここにある魚を売っている人は漁師さんなのかと思っていましたが、聞いてみると仲介人だと言っていました。仲介人も通していると言うのにここで売られている魚はとても安かったので、漁師さんが魚を売って手に入れられるお金はとても少ないのだろうと思いました。
四日目、私たちはバンタヤン島で農家をして暮らす家族のもとに訪問しました。ここで初めて現地の人々とがっつり関わることができました。来て早々雑草取りのお手伝いをさせてもらいました。雑草とともにキャッサバなどが無造作に植えられていて、雑草だと思って引っこ抜きそうになりました。その後トウモロコシの収穫をしました。トウモロコシの収穫は年に一度だけだというのに私たちに収穫したトウモロコシをたくさん食べさせてくれました。このバランガイの人たちはすごくおもてなし精神を持っていてとてもあたたかい気持ちになりました。子どもたちはとてもまじめで、素直で、大人たちの手伝いを進んでしていて日本の子どもよりしっかりしていると思いました。わたしたちはここの人々に少しでもやる気を出すきっかけとなればいいと思っていましたが、日本で思っていたよりも勤勉で、まじめに仕事をしていたし、たくさんの家族に囲まれて幸せそうで、逆に学ばせてもらうことが多かったです。その日の夜、その家族の女性リーダーを集めて話を聞きました。このバランガイで収穫された農作物は売られておらず、自家消費をしていると言っていました。また、農作業に機械を使っていないどころか、もともと牛耕農法をしていたけれどヨランダの影響で牛も買うことが出来ずすべて手作業で行っているとのことでした。ここの農業は発展しておらず、ヨランダによってさらに悪い状況にありました。
フィリピンで過ごした九日間は、自分の人生においてかけがえないピースの一つとなりました。普段の旅行では決して経験できないことをたくさん経験させてくれた方々に、感謝をしたいと思います。本当にありがとうございます。
さて、私は、フィリピンに行くのが今回初めてでした。これまで、シンガポールに約2年半住んでいたり、世界10か国に旅行に行ったりしたことがあったのですが、大学生になりアイセックに入ってみるとこれまで世界に点在する社会問題といわれる問題を目撃したり、問題自体に向き合ったことがないことに気付きました。社会問題自体に向き合いたいというのと日頃の観光では見えない部分の現地の生活を見たいという気持ちで今回のフィールドワークには参加しました。
最初の二日、三日は移動が多かったのですが、その移動の中でもさまざまなものを見ることができました。例えば、キリスト教のお祭りであったり、壮大なサトウキビ畑とトウモロコシ畑、放牧されている牛とヤギ、謎に多い野良犬は自分にとって新鮮なものばかりでした。あと、これは帰国して感じたのですが、道があまり舗装されていないのも今となってはおもしろかったなと思っています。
フィリピンから帰国後、アイセックの合宿で3時間くらいバスに乗っていたのですが、全然揺れない。快適でした。これは、日本が最高とか言っているつもりはなく、逆にフィリピンおもしろい!ってなっている状態です。
こんな日本では当たり前というものが海外では当たり前ではないということに対して、私はかなり面白さを感じました。そのような「違い」というものを経験できたのが、マーケットと現地の生活体験です。
マーケットは現地の人々が多く集まる場所であり、生活感があふれている場所だとすごく感じました。マーケットに売られているものは日本では見たことないようなものばかりでたとえそれが生肉でも全てがキラキラしているように見えました。マーケットに行くことは、観光で国を訪れてもできるので、今度からはどんな国に行ってもマーケットには絶対行くと決心しました。
次に、現地の生活体験ですが、これも現地の人に密に関われる機会でしたし、自分が望んでいた現地の生活に関われる機会でもありました。そこでの生活は自給自足に近い極限の生活であるな、と僕は感じたのですが、現地の人々が笑って仕事をしていたり、笑顔で僕らと接しているのを見るとこの人たちの生活は本当に苦しいものなのかというのをとても感じました。また、いきなり来た僕らを温かく迎え入れてくれた人たちの顔は一生忘れることがないと思います。あのような温かい環境や人々がもっと日本にもたくさんあったらいいのに。フィリピンにはあって日本にはないことの一つだなと思います。
これからの僕の活動は、このような「違い」に頻繁に出会うようにすること、さらにこの「違い」について知らない人にもっと伝播することをしていきたいと思っています。伝播することによって当事者意識というものが芽生えるのではないかなと思います。
あと、絶対にフィリピンまた行きます。
2016年度後期CODE未来基金プログラム ネパールフィールドワーク
2016年度後期募集プログラムで採択された、兵庫県立大学4回生の立浪雅美さんの「Discover ~未来への可能性を広げよう~」を実施しました。立浪さんを含む学生3名と2015年に発生したネパール地震の被災地を訪れました。
日 時:2017年2月22日~3月5日(11泊12日)
内 容:CODEが支援を行っているソルクンブ郡・グデル村を訪れ、現地の生活を体験し、住民と交流することを通して日本とは異なる生活や価値観などに触れ、異文化への理解を深めます。実際に村まで2日間かけて歩き、村をじっくり回って話を聞いたりすることで、限られた時間の中でも最大限の実態を知ることを狙いとしています。
CODEの支援した26棟の耐震住宅の再建はほぼ完了した。訪問した日は、最後の1棟の引っ越しの日で、学生たちは、高齢女性2名にお話しを聞き、仏教行事も体験する事ができた。また、倒壊した寺院の跡に再建された老僧の自宅は一部屋を仮の寺院にしており、「自宅より寺を先に再建したかった」と語る僧侶の言葉にシェルパ族の文化を感じた。
幼い子どもを持つ母親へのヒアリングでは、妊娠時の定期検診や産前産後の通院も片道3時間の山道を歩くという厳しい現実を見せつけられた。
また、住民のご好意によってシェルパ族のダンスや歌を披露していただき、最後には参加者も交えて皆で踊り、交流を深めることができた。
その後、学生主導で住民との対話のワークショップの時間を持った。主に、村の自慢や故郷への想い、この村の課題などをテーマに意見交換したが、若者の声はあまり出なかった。もう少し時間をかけて若者どうしで共有体験の場を持てれば、相手への関心が芽生えたのではと反省。ワークショップでの住民の声から、「皆、この集落をよくするために学びたい。だが、何から学んだらいいのか分からない。」という事が見えてきた。
最終日、シャーレのリーダーたちとの意見交換の中で、他への依存からではなく、まずは自分達から出来ることを始めてみようという共通認識を持つことが出来た。
ラクパさんやニマさんの故郷であるシャーレからグデル村の中心部グデルへと徒歩(約2時間)で移動した。CODEのメインプロジェクトである耐震モデルハウスの見学を終え、立浪さんを中心にヘルスポスト(簡易診療所)でもスタッフへのヒアリングを行った。他の学生2名は各自、村歩きを行った。各自が、それぞれのスタイルとペースで住民に声をかけ、身振り手振りでコミュニケーションをとり、ほんの少し村の生活を体験させてもらっていた。
夜には、各自のその日の活動を共有した。医療スタッフにヒアリングした立浪さんは、もう少し相手の立場に寄り添って話を聴くことの大切さに気付いたことから、翌日は村の事情をよく知る医療スタッフと共に村を歩くことになった。
グデルでの2日目、医療スタッフ、ラムさんと共に村を歩いた。村の独居の高齢者や病気を抱えている人のお宅を回り、親しげに声をかけながら相手を気遣うラムさんの姿から、その人の生活(くらし)を知ること、寄り添うことの意味を感じとった学生たちであった。
最後に訪問した商店を営む女性タラライさんは、小学校の教師で、偶然にも大工のニマさん(CODEと共に住宅再建を行った)のお姉さんのような存在の人であった。ニマさんが日本から帰国してから、日本で学んだことをよく話していると語ってくれた。
12日間のフィールド研修中、グデル村に滞在できたのは、わずか4日間のみであった。時間的な限界もある中、学生たちは、それぞれのテーマをしっかりと持ち、共通して「一人の話をじっくりと聴く」ことを実践した。企画者の立浪さんは、医療の専門性以前にその地域のくらしを知り、目の前の人に寄り添う事をこの研修の中で考えさせられ、高橋くんは、「故郷を想う若者」をテーマに「ネパールの若者の声はなかった。あったのは一人ひとりの声だった。」と語った。「震災、一人に向き合う」をテーマにした今中さんは、自分なりの寄り添い方を考えながらネパールの山村で自分を見つける事ができたという。
学生たちは、ネパールの被災した村の住民に向き合う中で、三人三様に自分に向き合い、ネパールの山村を通して今の自分自身や今の日本が見えてきたようだった。この経験はきっと今後のそれぞれの道に活かされるに違いない。
なお、企画者の立浪さんはこの4月から尼崎の保健師として働き、将来は途上国で保健医療のNGOで働くことを希望しており、今中さんも四月より金融機関で働きながら今もCODEにかかわり、高橋さんはこのネパール研修を機に、未来基金の後期のインターンシップに申請をしている。CODE未来基金は、確実に若者の未来への第一歩になっている。(吉椿雅道)
今回の私のフィールドワークのテーマは「村の生活の様子を知る」ということでした。将来途上国での国際保健活動に携わる保健師になりたいと思って今の大学に入学したのですが、大学での勉強や海外研修などを通して、貧困・災害・教育・医療など途上国の現場で生じるさまざまな課題は、現地住民の生活と密接につながっており、またそれぞれが複合的に関連しながら起きていることを学び、医療や看護のことだけ知っていてもだめなのだなと感じていました。未来基金でネパールに行く機会をいただけたことで、まずは村の人々がどんなふうに暮らしているのかを知りたい、実際に現地に行って自分の目で見て、村の人に話を聞いてみたいと考えていました。
ところが、現地でヘルスポスト(簡易診療所)の見学をしてスタッフに話を聞いた際、気がつけば私は、村で多い病気は何かとか、母子保健はどうなっているのかとか、看護に関することばかり質問攻めにしてしまい、周りが見えなくなっていました。診察を受けに来ていた村の人達がイライラしていたということにも、その日の夜のミーティングで指摘されるまでは気づけずにいました。「生活を知りたい」と思ってネパールに来たはずなのに、村の人に寄り添おうともせず、私は何をやっているのだろう…と、情けなくなりました。
「生活を知る」ためにはどうすればいいのか、始めは頭でぐるぐると考えていました。誰に何を聞けばいいのか、どこに行けばいいのか、考えれば考えるほどわからなくなって、逃げ出したくなりました。でもそこで、一緒に参加していたメンバーの2人が自然体で村の人に接していた姿や、目にしたものに素直に反応していた姿を思い出して、「頭で考えていても仕方ない。とにかく、自分が感じたものに正直になろう」と思い、村を歩いてみることにしました。すると、畑で葉っぱを収穫していたお母さんに出会い、家にあげてもらって、見よう見まねで料理を手伝って、ごはんを食べさせてもらうという体験をしました。言葉は全然わかりませんでしたが、普段こんなふうに暮らしているんだなと感じることができ、「生活を知る」という自分のテーマに、少しですが近づけた気がしました。
フィールドワークを通して、知識から入ろうとする視野の狭さは自分の弱みであるということに直面し、それに向き合うことはしんどい経験でもありましたが、他のメンバーや事務局の方に支えてもらったおかげで、自分の殻を破ることができ、新たな気づきを得ることができました。これから先、同じように知識先行になりがちな場面が出てしまうかもしれませんが、今回の経験をもとに、「今の自分は視野が狭くなっていないか?」と常に自問自答し、周りの人の声に耳を傾けられる柔軟さを持てるようになりたいと思います。
そして、今までの私は「将来“途上国”で保健活動をしたい」と漠然と考えていましたが、村の人ひとりひとりにお話を聞いたり、ヘルスポストのスタッフが村の人に自然に寄り添っている様子を見たりする中で、「このグデル村の人達にこれからも関わり続けたい」と思うようになりました。村の人の何人かとはSNSの連絡先を交換してつながることができたので、このつながりを大切にしながら、今回限りで終わりにするのではなく、絶対にまたグデル村に行こう、もっともっと交流を深めていこうと考えています。
今回、立浪さんの企画でネパールの農村を訪れ、人と出会い、自分と向き合い、そして成長する機会を多く与えていただきました。参加を決めたのは、昨年8月の日中NGOボランティア研修に参加し、現場に行って話を聴くことの大切さを学んだからです。震災から2年が経つ今のネパールの現状を自分の目で見て確かめたいと思い参加しました。
研修中に自分のテーマとしていたことは「震災の被災者ひとりと向き合う」ということです。被災者と一括りにするのではなく、一人一人状況や考え方も違っていて、その中で「ひとり」と真剣に向き合い、寄り添いたいと思いました。
村歩きをしているときに75歳の村のお坊さんに話を聴く機会がありました。このお坊さんは震災で家もゴンパ(僧院)も潰れてしまっていましたが「家よりもゴンパを先に建ててほしいと思った」とおっしゃっていました。この言葉を聴いた時に、やはり話の聴くことの大切さというのが頭に浮かびました。外から来た日本人の私の考えでは、まず家を建てなければ…と勝手な思い込みをしてしまっていたと思います。話を聴かなければ現地の文化や宗教など何も見えてこず、勝手な思い込みで行動をし、結果、現地のことを何も考えていない一方的な支援になってしまうということを学びました。
また一緒に行ったメンバーからたくさんのことを学びました。初日に一緒に行った他のメンバーは積極的に質問をして村の人たちと交流をしているのに対し、私は何も行動に移すことができませんでした。遅れを取っている自分に焦りを感じ、どう動けば良いのかわからなくなってしまいました。その日に同行スタッフから他の人と競うのではなく自分なりの関わり方をしていけば良いと助言を頂き、次の日から自分なりの寄り添い方を考えながら村の人達と関わっていきました。その結果、相手と同じ目線に立ち、相手のことを考えた質問の仕方をすれば、楽しく話ができ、質問でない普通の会話から大切な村の現状が見えてくるということを学びました。
この研修の12日間は毎日、自分の未熟さや自分とは何なのかということと向き合い、辛いことも多かったのですが、こんなにも自分のことを深く考えることのでき、成長できる場は他にはなかったと思います。最終日に吉椿事務局長がおっしゃった「ネパールを通して日本が見え、ネパールを通して自分が見えてくる」という言葉がとても印象に残っていて、最短でも3日はかかる遠いネパールのグデル村ですが、私はこの村を通して「自分」ということを見つけることができました。また、遠いように感じるこの村に顔の見える繋がりができ、この村を支援したい、この人たちと一緒に村のことを考えていきたいと思うようになりました。
被災者と向き合うことで自分と向き合うことができ、自分らしさを見つけることができました。成長できる場を与えていただき本当にありがとうございました。この経験をいかし日本でできる自分なりの支援の仕方、CODEとの関わりを見つけていきます。
今回訪れた所は、ネパールの首都カトマンズから車と徒歩で3日かかるグデル村というところだった。そこで僕は、主にグデル村という農村に住む若者のアイデンティティについて知りたいと思い、数日間の間その地域で活動をした。なぜそのテーマで活動したのかというと、僕が僕自身のアイデンティティに悩み、模索していたからだと思う。そこで、農村部の若者の答えを聴けば、自分自身何が本当にやりたいのかどうなりたいのかそういったものが見えてくるような気がしたのかもしれない。
テーマを持ちながら数日間たくさんの人の声を聞いたり、現地の文化を体験したり、現地の人の仕事を手伝わせてもらったりした。そういった経験から、沢山の事を学び、感じ、得たと思う。でも、最も欲しかった自分自身のアイデンティティの部分は、研修が終わった今もあまりまだよくわからないままだ。
僕が聴きたかった『ネパールの若者』という声は存在しなかった。首都に強いあこがれを抱いている若者もいれば、故郷が大好きだが家族のために出稼ぎに行く若者もいる、親がおらず17歳で小学校に通う若者もいる、そこにあったのは『1人1人』の声だった。
僕はどこかで僕ではなく、『日本の若者』のアイデンティティを模索していたのかもしれない。『ネパールの若者』という声が存在しなかったように、『日本の若者』を追い求めても答えは出ないだろう。今回の研修から僕は沢山の事を学び、得たと思う。しかし僕は僕自身のアイデンティティに関して確固たる答えを出せていない。今後は『日本の若者』でなくその中の1人である『高橋大希』が、どうなりたいか、どうしたいのかを大切にしていきたい。そうしなければ、何も分からないし、辿り着けないという事に気づくことが出来た研修だった。
2017年度後期CODE未来基金プログラム 四川フィールドワーク
2017年度後期募集プログラムで採択された、西本 楓さんの「食×村おこし」を実施しました。西本さんを含む学生3名とCODEが10年前から支援している光明村を訪れました。
日 時:2018年3月22日~3月30日(8泊9日)
訪問先:2008年四川大地震被災地
内 容:CODEが10年前から支援している光明村はどんどん復興に向けて走り出しています。
田舎らしい風景が残っている光明村では都会の人をおもてなしできるよう観光復興を進める動きがあり、
和食×中華料理を作り村の人々を盛り上げたいという気持ちで訪れました。
1日目は、北川震災遺構を訪れた。(四川には、地震でひどい被害を受けたまちをそのまま残し、その近くに震災博物館を設け、震災を後世に伝えようという場所がある。)日本には震災遺構としてまちをそのまま残すことはないため、壊れた建物や崩れた山を見てとても衝撃を受けた。遺構の維持は大変で、遺族の気持ちに寄り添うのも難しいことだが、教訓を残すという意味では効果的な遺跡だと感じた。
2日目には、被災地の様々な場所の観光復興を見てまわった。うまくいっている村や、ほとんど人が来ない村があった。何が違うのか?政府主導で観光復興の政策取っているが、その政策に長期的な視点がなことや主体的になっていない人々がいるなど様々な問題を感じた。
3日目は、チャン族の村で食文化について学んだ1日だった。チャン族の土地ならではの食材や村とお母さんの愛情がいっぱいつまったお料理は、本当に美味しかった。また、食材の体への効用を当たり前のように料理に活かしていて、「地産地消」「医食同源」がこんなにも生活の中に浸透していることに感動した。チャン族の村では宿泊もした。建築物はすべて石積みでできており1200年もの歴史を感じた。チャン族伝統の木を組み合わせた面白い仕組みでできた鍵や、窓の形が中が小さく外が大きくなっていたり7つのこの構造にした理由があるなど昔の人の知恵に驚いた。
1. 老年活動センター
CODEが建てた老年活動センターは、村の幹部の交替や村の半分の人が出稼ぎに行っているなどもあり、思っていたより活気がなかった。
2. メタンガスで発電
家畜の糞や食べ残しなどを家の下の大きな穴に入れ、そこで発生するメタンガスでエコ発電をしていた。日本も見習いたいところである。
3. 地産地消
光明村の美味しい料理は、その時期にその場所で取れた食材ばかりで一緒に山菜採りに参加した。最終日には、日本から持ってきた醤油や味噌を使い、たくさんの日本料理を作り盛り上げた。
私たちは、この四川でのフィールドワークで、うまくいかないことや悩むことも多かったです。小さなことから進めていくことの大切さに気づきました。そして、その積み重ねがCODEと光明村との絆を作っているのだということを知ることができました。
今回の経験を経験で終わらせず、メンバー1人1人これからの活動につなげていきます。CODEの方々、サポーター方々、このような貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。