5月18日の「ニュース 11」のYさんレポートで紹介し、また日本のメディアでも良く取り上
げられていたのあの九洲体育館の避難所がとうとう撤収することになりました。
以下CODE翻訳ボランティアさんからの情報です。
≪綿陽市:九洲体育館避難所撤収へ≫
政府関係者によると、九洲体育館の避難者は近日中にすべてここを離れ、政府が建
設した仮設住宅や親戚・友人宅、あるいは自分で建てた住宅に移動する。
(6月23日 新華社)
≪北川県城:疫病防止のため再度封鎖≫
四川省北川県公安局により、26日から北川県城は再度封鎖し管理を行っている。
21日より北川県城の一部の住民は家に戻りがれきの中から物を持ち帰ることを許さ
れたが、26日に再度封鎖し、公安以外は進入禁止となった。公安局長によると、
「封鎖は主に疫病蔓延を防止し人々の安全を守るため、消毒の順調な進行を確保する
ためです。天気が暑くなってきたので、今回は比較的長いかもしれません。」
(6月27日 新華網)
「救援ニュース」カテゴリーアーカイブ
中国四川省地震救援ニュース 55
引き続きYさんレポートです。
被災地では大規模な仮設住宅(安置点)の建設が急ピッチで進められている。3ヶ月で
100万戸の建設が予定されているが、一つ一つの仮設住宅は数千から1万戸以上規
模である。あまりにも広い。都江堰のある仮設住宅内には、公安、病院、食堂、共同の
シャワー・トイレが設置されている。ある老夫婦の被災者は「これだけしてくれたら十分
です。政府にはとても感謝しています。」と語った。だが、これまで無料で提供されてい
た食事が、つい先日有料になった。1日10元(約150円)の義捐金が支払われていて
も、最低でも一食3元はする食費に残りはほとんどない。
一方、無数にある農村部でも小規模な仮設住宅が建設されている。が、しかし都市部
の仮設住宅のように食事の提供は発災以降まったくない。多くの農民の人々は「自分
で何とかするしかない」ともらす。最初から政府の援助をあてにしていないのである。だ
から瓦礫の自宅を横目に毎日、田畑に行き、黙々と土に向かうのである。
中国四川省地震救援ニュース 54
Yさんレポートです。
中国では「縁」をとても大切にする。
北川県の農村部では毎日真っ黒に日焼けして頑張る日本人、中国人、韓国人のボランティ
アの姿がある。
被災された農村の方と共に瓦礫を片付け、村の共同作業にも参加すると徐々にボランティ
アも村の一員のような感覚になってくる。中国では「一家人」といって仲良くなると身内のよ
うに扱ってくれる習慣がある。いつも昼食と休憩の場を提供してもらっている丁成洪さん
(43)の奥さんは、僕が昼食の手伝いにカマドで火を起こすと「あんたみたいな人好きだよ。
自分の家のように使っておくれ。一家人なんだから」と言ってくれた。そして丁さんは、「不思
議だね。こうやって地震に遭わなければ君達とは出会わなかったなあ。これも何かの縁だ
なあ。」とビールを差し出してくれた。
また、成都のボランティアグループから紹介されてきた上海の若者たちとはほんの数日で
あったが、一緒にガレキの片付けをやった。実はこの二人は、僕が6年ほど前に雲南で知り
合った女性(大学の教員)の教え子であった事をつい最近知った。まさに「縁」である。
中国四川省大地震救援ニュース 53
四川省の被災地でYさんと一緒にボランティアをした大学生の感想をお届
けします。
夜寝る前にベッドの下から声が聞こえてきた。
友達「中国で地震があったみたいやなー。」
我「そやなー。」
僕たちは一緒に住んでいる。
友達「中国行こか?」
僕も友達も国際協力、ボランティアに興味があり、たまたま二人とも中国
語を勉強していた。
僕は大学4年となって、未だに将来の事を決めかねている。国際協力にも
興味はあったが、踏み込んで活動に参加した事はなかった。何もしないま
ま悩むよりも、この一年は動きながら悩もうと思っていたので、中国行きを
決めるのに時間はかからなかった。
「何もできないかも知れないけど、何かはできるんじゃないか?」
思い立ったら吉日で、夜のうちに航空券を調べ、翌日には手配した。残り
3席だと言われ、僕たちの席だと思った。つても何もない僕たちはとりあえ
ず軍手を30組買い、白のTシャツに義工(ボランティア)などと書こうと言っ
て盛り上がっていた。
後に友達がヒューマンシールド神戸のYSさんのことを思い出し、連絡を
取っていたのだが、成都のゲストハウスでYSさんとCODEのYMさんに偶
然出会えたのは運命的とも思えた。その日から27日間、活動に参加させ
て頂いた。この出会いがなかったら、現地での配給の列を2人分長くして
いたかも知れない。
被害のあまり見られない成都から震源に近づいて行くと、無残な姿となっ
たビルが見えてきた。YMさんは現地の人の声に耳を傾ける。政府の耳に
届かない小さな声を集め続ける。帰ってから、寝ずにパソコンに向かいレ
ポートを打つYMさんを見た。被災者の目線に立つ事の大切さ、活動への
情熱を教わった。真似をしてみると、寝不足になった。しかし、使命感があ
れば、多少寝なくても大丈夫だと知った。
忘れられない光景がある。
瓦礫の山から娘さんを必死で探しているお父さん。悲しそうに見つめるお
じいちゃん。ここは僕たちが泊まっていたゲストハウスのスタッフがマン
ションの下敷きになった現場。一週間もずっと探し続けている。
捜索の途中で、地震発生からちょうど一週間の時刻となった。オレンジの
服を着た消防隊が列を組み、追悼のクラクションが鳴り響く中の黙祷。こ
んなに悲しいクラクションを聞いた事はない。横では、スタッフの叔母さん
が泣いていた。それを見て涙が止まらなかった。なんて理不尽な現実だろ
う。そして自分に何ができるだろうか。
活動の後半は政府の手の届かない農村部の一つの村に入り、各家の瓦
礫の撤去などのお手伝いをした。ずっと何かしたいと思っていたので、一
緒に汗して働く事は分かりやすくて気持ちが良かった。まだ作業を始めた
ばかりなのに「もう休みなさい」、作業を終えると「ご飯食べていき」と声を
掛けてくれる。そして感謝の言葉。自分がここに来た意味があったと思え
た。
他にも出会いがあった。泊まっていたゲストハウスで「何かしたい」と集
まった仲間たち。最初は車一台だったが、最後は車二台が17人で満席と
なった。
また現地に行って活動したい。何か関わっていきたい。将来の事に悩み
ながらも、そう思っている。
中国四川省地震救援ニュース 52
今回の地震で最も被害の大きかったぶん川県映秀鎮のある村では、廃材な
どを掘り出し、自分たちで木材使用の仮設住宅をつくりはじめています。こうし
て被災者自身が、住まいの再建にとりかかることが、暮らし再建の第1歩として
欠かせない要素ではないかと思えます。短いものですが、以下はCODE翻訳ボ
ランティアによるものです。
◎映秀鎮漁子渓村:自分で家屋を再建
震源地に近いぶん川県映秀鎮漁子渓村の村民は、廃墟から自分で使える木
材等を探し出し、仮の木造住宅をつくりはじめた。武装警察もぶん川・茂県・理
県の被災地の348の村に入り、再建活動を支援している。
(6月12日 新華社)
余計なことかも知れませんが、この話から想像すると、「納屋が完成したから
仮設住宅から出られるワ!」という能登半島地震後の被災者の生の声に見受
けられたように、たとえ仮設住宅のように雨露をしのぐことができたとしても、そ
れより古くても地震前の暮らしの匂いのする木材をリユースして、納屋や小屋を
造る方が、本設の恒久住宅への道のりの第1段階としては多いに意義のあるも
のになるような気がします。
中国四川省地震救援ニュース 52
今回の地震で最も被害の大きかったぶん川県映秀鎮のある村では、廃材な
どを掘り出し、自分たちで木材使用の仮設住宅をつくりはじめています。こうし
て被災者自身が、住まいの再建にとりかかることが、暮らし再建の第1歩として
欠かせない要素ではないかと思えます。短いものですが、以下はCODE翻訳ボ
ランティアによるものです。
◎映秀鎮漁子渓村:自分で家屋を再建
震源地に近いぶん川県映秀鎮漁子渓村の村民は、廃墟から自分で使える木
材等を探し出し、仮の木造住宅をつくりはじめた。武装警察もぶん川・茂県・理
県の被災地の348の村に入り、再建活動を支援している。
(6月12日 新華社)
余計なことかも知れませんが、この話から想像すると、「納屋が完成したから
仮設住宅から出られるワ!」という能登半島地震後の被災者の生の声に見受
けられたように、たとえ仮設住宅のように雨露をしのぐことができたとしても、そ
れより古くても地震前の暮らしの匂いのする木材をリユースして、納屋や小屋を
造る方が、本設の恒久住宅への道のりの第1段階としては多いに意義のあるも
のになるような気がします。
中国四川省地震救援ニュース 51
CODE翻訳ボランティアさんによる地震後40日の状況です。
≪19日12時現在の被害状況と再建状況≫
死者 69180人
負傷者 374008人
行方不明者 17604人
国内外からの救援
金額 463.80億元(約7千億円)
実際届いた金額 450.51億元
被災地に向けて送られた金額 155.70億元
調達できたテント数 148.73万張
布団 486.69万枚
衣服 1410.13万枚
燃料油 121.83万トン
石炭 260.26万トン
仮設住宅(*目標150万軒)
建設済み 21万5600軒
建設中 4万2100軒
建設待ち 9万0000軒
運送済み 4万0800軒
運送待ち 7万9400軒
各地方政府が投入した救援資金 542.23億元
中央政府が投入した救援資金 495.47億元
(応急救援資金195.47億元 再建資金300億元)
公共道路被害累計 53294キロ
修復済み 52190キロ
鉱工業企業生産再開 5944か所
まだ再開できない企業 499か所
被害を受けた水道管 47642.5キロ
修復済み 40481.9キロ
北川、平武、青川、松藩、ぶん川、臥龍など5県1区の125か所の停
電地区のうち121か所回復
(6月19日 新華網)
中国四川省地震救援ニュース 50
再びYさんレポートです。
北川県の農村で毎日ガレキの片付けや仮設住宅建設手伝い、井戸掘り、農
作業などの手伝いをさせてもらっている。徐々に村人に顔を覚えてもらい、「毎
日ご苦労さん」、「今日は内で飯食っていけよ!」などと声をかけてくれる。
基本的には僕達は水、カップラーメンなどを準備していくのだが、手伝った家の
被災者の方から必ず「お礼のし様がないからご飯でも食べていって!」という言
葉をいただく。何度もお断りするのだが、根気負けして何度かご馳走になった。
その時に一緒に料理したりする中で何気ない会話が交わされる。
約50年経っている木造の家の土間には大きなカマドがある。薪を使って料理
をする風景に若い日本人ボランティアは楽しそうに手伝う。そんなささやかな交
流から村人の暮らしが見えてくる。
「四川は蒸し暑いからこうやって暖かいお粥を食べて発散するんだよ。カップラー
メンなんか食べてちゃだめだよ!」、「日中は暑いので疲れるから日陰でゆっくり
するんだよ」と被災者の方から暮らしの知恵を学ぶ日本人の姿があった。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/P6070061-s-thumbnail2.JPG" width="133" height="170" border="0" align=" alt="P6070061-s.JPG"
hspace="5"
中国四川省地震救援ニュース 49
ニュース48で、Yさんのすばらしいレポートが紹介されました。13年前の阪神・淡路
大震災後もこの彼女と同じように、かけがえのないきっかけを得て、その後の人生
に影響を受けた人たちは多かったことを思い出します。「ボランティアは社会を変え
る」だけではなく、ひとりひとりの人生観をも変える力があるようです。あの解散させ
られた中国の環境NGOの壁に書かれていた3行の文字は、ひとりひとりの心のなか
に奥深く生きていることを確信します。
ひとりひとりがとても大切で、
ひとりひとりがその能力を発揮し、
ひとりひとりが変化をもたらせるように
こんなすばらしい人と人のつながりが生まれている一方で以下に紹介する「ボラン
ティア殴打事件」は、全く頭に来る話です。
(以下はCODE翻訳ボランティアによるものです。)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
≪ネットで噂が先行、四川省衛生庁幹部によるボランティア殴打事件≫
最近、「四川省衛生庁幹部がボランティアを殴った」とネット上で噂になった。2日
前に四川省衛生庁長は「衛生庁の幹部馬歩鋼がボランティアを殴ったというのはデ
マだ。」と発表した。しかしその夜、衛生庁はホームページで、この件に関し、幹部
の張建新を停職としたことを発表し、その謝罪書を掲載した。
≪ネットで暴露された幹部職員≫
この「四川省衛生部幹部がボランティアを殴った」とした書き込みによると、5月20
日午前11時ごろ、衛生庁の職員が江油市長鋼総医院に到着したとき、医院ではボ
ランティアが消毒作業をしていた。噴霧機が故障して、あるボランティアは消毒液を
バケツから柄杓でかけていた。この作業中に検査の車がやってきて、柄杓でかけた
消毒液がちょうどあいていた窓から車内にはいってしまった。そこでこの恐ろしい場
面が出現した。その職員は車を降りるとボランティアの襟首をつかみ、一発殴りなが
ら罵倒した。ミネラルウォーターで消毒液を洗い流したあと、車に乗って走り去り、検
査も行っていかなかった。 この殴られたボランティアは17歳。色白でやせている。
医院で検査をうけると鼓膜が充血し水がでていた。検査中にこの男性は泣いて言っ
た。「私のしたことは間違っていました。けれど、あの人も人を殴ったらいけないで
しょう。」ある書き込みではこの職員は衛生庁の処長の馬歩鋼だという。これに対
し、四川省衛生庁の庁長は2日前の記者会見上、「この発言は全くのデマである。
災害発生後、職員・幹部は日夜最前線で奮戦しており、馬歩鋼は当時江油にはお
らず、青川で救援活動をしていた。」と述べた。
≪殴った幹部はすでに停職≫
衛生庁のスポークスマンは27日、「殴ったのは衛生庁退職者管理処服処長の張
建新であり、馬歩鋼ではない。張は深刻に反省しており、謝罪書を書いてホーム
ページ上に公開し、意見を求めている。」スポークスマンは、ぶん川大地震以来、多
くのボランティアを含む社会各界からの助けで四川の被災者は「一方有難、八方支
援」の友愛精神を切々と感じている。この地震の救援活動にあって、当庁職員が人
を殴るなどという分別のない行為をしたことを深く遺憾に思う、と述べ、衛生庁では
張建新を停職にしたことを発表した。
スポークスマンによると、27日午後4時ごろ、張建新は江油長鋼総医院で、殴られ
たボランティアの林さんと会い、謝罪をし慰問の品を贈った。林さんはこの謝罪を受
け入れ、「ネット上でもこの事件を正確に伝え心をひとつにして地震の救援活動に力
を出してほしい」と述べた。
≪冤罪の馬歩鋼「たいへん悲しい」≫
27日午後、青川県の救援最前線にいた衛生庁農村管理処処長の馬歩鋼は記者
の電話取材に応じ、ここ数日名も知らない人たちから罵倒され非常なストレスを感じ
ていたが、ようやく事情がわかった。しかし、この事件はたいへん悲しい。馬処長
は、25日午後電話をうけ、「なぜボランティアを気ままに殴るのか」と質問された。当
時はなんのことかさっぱりわからなかったが、その後この殴打事件の話を聞いて納
得がいった。でもその人がどうして自分の連絡先を知ったのかはわからない。彼は
その日、ついでの折に上司にこの電話のことを報告した。それから数日、罵る電話
とショートメールが携帯にひっきりなしに来たが、携帯の電源を切るわけにもいか
ず、これらの煩わしい電話を聞くしかなかった。記者会見でこの殴打事件の真実が
発表されたあとは、謝罪のメールがたくさんきた。
(5月28日 南方都市報)
中国四川省地震救援ニュース 48
久々にYさんのレポートをお届けします。Yさんは今(日本に)一時帰国中です
が、あちこちでの講演会や報告会など忙しい中、コツコツとレポートを書いて
います。
毎朝、2時間半かけて成都から被災地へと向かい、蒸し暑い農村の倒壊し
た瓦礫の中で汗と埃にまみれて活動する。そして夕方、再び2時間半かけて
帰路につく。帰りの車の中ではボランティアは皆、「爆睡」である。
一緒に汗を流している一人の中国人女性ボランティアを紹介したい。
成都でお世話になっているゲストハウスの従業員のJさん(22)は、最初、
友達と二人、被災地に行きたいと言ってきた。単純に被災地をこの目で見て
みたいという思いだったのか、ゲストハウスの亡くなった同僚への思いなのか
は分からない。てっきり物見遊山的なものかと思っていたが、彼女だけはそ
の後も自ら長い休みを取って毎日僕らと活動を共にした。日差しの強い農村
部で一日瓦礫と格闘する。「疲れないか?無理するなよ」と声をかけても、
「大丈夫!」と決して弱音をはかない。普段から大人しい女性だが、いつも
淡々とボランティアを続ける彼女の姿に感動させられる。
彼女は僕にメールでこんな事を言った。「あなた達、日本人と一緒に活動でき
て嬉しいです。ずっとやりたかった事をやらせてもらえる機会を与えてくれてあ
りがとう!」と。ひとりひとりの中にあるくすぶっていた炎に僕らはそっと風を送
る。それがよそ者の役割なんだろうと思う。