救援ニュース」カテゴリーアーカイブ

中国四川省大地震救援ニュース 17

発生から10日余りが経ち、復興へ向けた動きなども報道され始めました。これま
での国内の災害でもそうであったように、緊急期の支援だけでなく復興において
も、住民の声から見えてくるものは大きいと感じます。
Yさんの現場レポート(5/22)です。
唐代の詩人、李白の生まれ育った故郷、江油。この街も大きな被害を受けた。綿
陽から省道205号線を北へと向かう。市街地に近づくにつれ地震の傷跡が大きく
なってくる。 「41万元(約600万円)で去年買ったばかりなのに。。。」と肩を落とし
て語るのは、九嶺鎮に住む龍偉鳳さん(35歳)。旦那さんの李林強さん(36)たち家
族3世代、8人が同居していた。幸い家族に亡くなった人はいなかったが、もろく崩
れ落ちた2階建てマイホームは、96年に建てられたものだが、昨年購入したばかり
だったが故にその落胆は大きい。今後のことに触れたら奥さんの龍さんは、今にも
泣き出しそうになった。
P5190025-s.JPG
 またすぐ近くに住む女性、黄秀泉さん(41)は家が倒壊したのでテントで寝てい
て、昨夜の雨で濡れて大変だったと。「日本人はみんな関心をもっていますよ」と言
うとそこにいた日本人ボランティア、通訳など全員に握手をしていた。やり場のない
憤りでずっと胸をつめている被災者たち。誰かに話すことで人はいやされることもあ
る。
P5190033-s.JPG
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 16

少しずつ少数民族方々の被災実態が日本の新聞などでも紹介されていま
す。例えば、イスラム教の回族は、大避難所のいる漢族とは食事や埋葬方法
などの習慣が異なるために悩んでいるという内容も。
こういう事態の時だけに、マンツーマン対応は難しいかも知れませんが、可能
な限り工夫をし、努力して欲しいものです。頭から出来ないと決めるつけるので
はなく、「出来るかも知れない」という可能性を見いだすことが大事ではないか
と痛感します。
 今朝の読売新聞朝刊で、小さな記事ですがこんなものがありました。「講義
停止呼びかけ インド北部ダラムサラのチベット亡命政府は21日、世界各地の
在外チベット人向け声明を発表し、中国の四川大地震の犠牲者に弔意を表す
ため、3月の中国チベット自治区などでの暴動発生以来世界各地で続いている
対中抗議行動を一時停止し、被災者支援活動を始めるよう呼びかけた。 」(イ
ンドニューデリーからの記事)というものです。双方で、地震支援を最優先し、こ
ういう動きがでてくればいいのになぁと願っています。
<CODE翻訳ボランティアさんからの情報を紹介します。>
 各地で救援活動を展開している人民解放軍の活躍を伝える「解放軍報」の記
事です。山上のチャン族チベット族の村の被害状況が断片的ですが、記載され
ていました。
 18日、20名あまりの村民が廃墟から食物を探し出して前線指揮部に届け、
ぶん川の救助現場の第一線で奮戦する兵隊を慰問した。彼らはぶん川県城か
ら20キロ離れた海抜3000メートルのチャン族の村、禹碑?村から来ており、それ
ぞれの家から持ち出した干し肉や白菜、干し菜とさくらんぼを背負い3時間かけ
て指揮部に到着した。ある村民の手にはビニール袋に入れた20個の玉子も
あった。彼女は壊れないようにずっと捧げるように持って下山してきた。「倒れ
た家の中から探してきたもので、泉で洗って清潔ですから安心して食べてくだ
さい」。指揮部ではこの日から毎日このような感動的な光景が見られるように
なった。
 平武県スーアール(さんずいに四・耳)・チベット族村は海抜4000メートルの高
山上にある。地震でここの家屋は大部分が倒壊した。300名あまりの村民は、
食料も水も薬もなく5日間を過ごしてきた。10名あまりの負傷者が生命の危機
にあった。17日8時、80名の兵が薬品と食料を背負いスーアール村に向かっ
た。地滑りや土石流のあとを越えて120キロを32時間かけ、18日16時30分
スーアール村に到着しすぐに救援活動を開始した。
 傾きが50度を超える山道を兵は老人や子どもを背負い担架を支え3時間かけ
て16名の重傷者と300名の村民を安全な地域に移動させた。 (21日6時23分
 解放軍報)
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 15

Yさんの現場レポート(5/17)続きです。
 北川県の被災地はまるでゴーストタウンだ。その他の被災地のよう
に路上にテントを張って寝ている人はほとんどいない。そんな場所すら
ない。北川の街の」西側の山は地滑りを起こし、そこから土地ごと動い
て下から突き上げられるよう町を飲み込んだ、それが7階程の瓦礫の
山を作り出したんだと地元の人は言っていた。ビルが根こそぎ倒され
ているのを見ていると、怪獣が町を蹴散らかすテレビを見ているような
錯覚に襲われる。瓦礫の中から引き出され、身内に発見されない遺体
は、町の到る所に放置されたままになっている。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/RIMG0220-s-thumbnail2.JPG" alt="RIMG0220-s.JPG" width="200" height="133" border="0"
hspace="5"
RIMG0183-s.JPG
 この連日の暑さから腐敗が始まっているせいであちこちから異臭が
ただよう。中にはトリがむしばむ姿さえ見受けられる。瓦礫の山の奥に
は幼稚園があったらしく多くの子供の遺体が寝かされ木の枝で覆い隠
されていた。その前でただひたすら泣き崩れる女性。元、家があった
場所に向って「ママー、ママー」と叫び続ける女性。瓦礫の中で細い棒
でひたすら掘り続け、孫を探すおじいちゃん。僕たちもその場に座り込
んでしまい、涙が止まらなかった。被災地では今でも瓦礫の下に多く
の方が眠っている。そしてその場を離れようとしない人がいる。
RIMG0231-s.JPG
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 14

都江堰の仮設についての続報です。
<CODE翻訳ボランティアによるものです。>
 本紙記者が都江堰市地震救災指揮部にきいたところによると、現在都江堰の
市街地は被災者を集中的に受け入れる作業を始めている。
 市政協(議会)主席によると、現在は救助作業から被災者集中受け入れの段
階に移行している。市政府はその場所を広い天府大道に決め、臨時集中設置場
所としている。
 17日午後からすでに天府大道は片側を通行止めにして、路上に4000人が住
めるテントを設置している。安達路にも臨時テントを設置した。
 本日(19日)より、幸福鎮、灌口鎮の一部の被災者をこの2か所に移動させ、
住居、食事と医療を政府が提供する。都江堰市はのちに3年から5年の期限付き
で仮設住宅を建設し、被災者を入居させる予定だ。
 そのほかに、15日より都江堰市建設関係部署の組織が全市の被災建物で安
全等級検定を実施しており、結果が出たら、危険のない家屋に被災者を戻らせる
予定だ。
(19日6時3分 新京報)
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 13

先日の土曜日に以前CODEスタッフであったSさんがボランティアに来てくれました。
彼女はなんと、スリランカの帰りに香港から「土曜日に手伝いに行きます」とメールを
送ってくれました。これだけの大規模災害が二つ重なるということは過去44回の救援
活動においては、1999年の「トルコマルマラ海地震」「台湾9.21地震」の時以来です。
事務局もパニック状態で「ミニ災害」だが、翻訳ボランティアさんたちもはじめ、また暑
い中街頭募金などをして支援して下さっているみなさま、また陰ながらいろいろ配慮し
て下さるマスコミの方などに支えられて日々奮闘しています。感謝!!
 その香港経由で帰国した彼女はCODEに在職しているときから、災害救援現場には
馴れているのですが、香港の空港で中国新聞3紙を買って来られました。さすがに地
元紙でしょうか、悲惨な写真が少なくありません。
 丁度17日に神戸で「新潟中越及び中越沖地震と能登半島地震の1年後の現状」を
語るシンポジウムがあったのですが、中国から来ている留学生が、(能登で)立派な
仏壇を見て、「亡くなった方とこうしてまた新しい住まいに一緒にいることが信じられな
い!」と感想を漏らしたそうです。「なるほど、だからこんな目を覆いたくなるような写真
でも見ることができるんや!?」と納得しました。
Yさんの現地レポート(5/17)です。
この四川地震の最大の被災地とも言われる北川県。綿陽市街地からの道には、途
中2~3mの岩がゴロゴロと転がり、道を塞いでいる。4輪の車からバイクタクシーに
乗り換え、15分ほど走る。県の入り口からは歩くしかなかった。北川の街はその先に
あった。一番最初に目に入ったのが、学校だった。バスケットゴールと卓球台がかろう
じて学校であった事を想像させる。それほど無残に姿を変えていた。少しずつ町に足
を踏み入れるとその悲惨さが見えて来た。日に日に希望の薄くなっていく人命救助作
業をこの日も人民解放軍、特殊警察隊、レスキュー隊が懸命に行っていた。5階建て
のマンションの前に人だかりが出来ているので行ってみると、1階部分が潰れ、2階
部分のガラスを破って、中に進入しようとしているレスキュー隊だった。
そのマンションはその向かいは、倒壊してすっかり形を変えたバスステーション。瓦
礫が道を塞ぐ。町のメインストリートだった通りには折れた電信柱が数本。道の両側は
ボロボロになったビルがかろうじて立っているが、いつ倒壊してもおかしくない状態だ。
瓦礫の路地を歩いていると正面から大きな袋を抱えて、お母さんがやってきた。全身
ほこりと汗まみれでしんどそうに歩いているので声をかけると、お金と服を倒壊したが
れきの中から取り出したところだった。荷物を持ってあげながら話を聞くと「旦那は手
足を骨折して入院してるから」と言っていた。中国人ボランティアの女の子がそっとそ
の女性に寄り添っている姿は今も心に残る。
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 12

昨日の朝刊各紙によると、「ダム391カ所 災害恐れ」(神戸・18
日)、「800ダム 決壊恐れ」(朝日・18日)、「地震湖恐れ数千人
避難」(毎日・18日)、「土砂崩れダム決壊危機」(読売・18日)
と、大規模二次災害の危険性を警告している。被災地ではまだ
一縷の望みをかけて救出活動をしている一方で、テント生活や避
難所生活をしている被災者に感染症などの注意を促している中
で、現地新聞の次のような記事があったので「えっ?」と思った。
<CODE翻訳ボランティアによるものです。>
住宅再建に向けての動き
 16日夜都江堰市建設局の指示;1か月以内に11万平方メート
ルの仮設住宅(災民臨時過渡房)を建設。
 17日に建設を開始した。場所は幸福大道沿いで富民路を起点
とする地点。空地には13台の大型機械が整地をしており、1か月
以内に少なくとも2,3年は住めるような家を建設するとのこと。
                     (18日6時14分 成都商報)
昨日の朝日新聞朝刊では、「震源地に近いアバ・チベット族チャ
ン族自治州ぶんせん県にある大型ダム、紫坪鋪ダムには多数の
亀裂が入っており、決壊すると被災者救援本部のある都江堰市
が水没する恐れがある」と書かれています。やはり、阪神・淡路
大震災や新潟中越の教訓で、被災者にとっては大変厳しいこと
だが、あせらずじっくりと復興に向かって欲しいと願うばかりで
す。人間の安全保障を謳っている国際社会では、貧困撲滅や紛
争解決に必要なのは「保護とエンパワーメント」と言っている。
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 11

昨日「ニュース 10」で紹介しました現地のYさんからの文字化けレ
ポート?ですが、正式に訂正されて送られてきましたので再送しま
す。ニュース10で書いていた「成都の最大規模の避難所は」→「綿
陽市に入り、一番大きな九州体育館の避難所」の間違いです。
すみません。
(現地レポート再送)
今日は綿陽市に入り、一番大きな九州体育館の避難所を尋ね
た。ここには被害のもっともひどいと言われてる北川県の被災者
の方やその途中の永安鎮や#(テヘンに雷)鼓鎮、#(サンズイに旋)坪
の方が多く来ている。入り口には救援物資や古着の山済み、手
前の公園には無数のテント。尋ね人を探す張り紙や無料電話、献
血者、行き来する無数の人々。いざ体育館の中に入ると、周囲を
丸く取り囲むロビーに数多くの被災者の方々が寝ていました。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/P5260196-s-thumbnail2.JPG" alt="P5260196-s.JPG" width="200" height="133" border="0"
hspace="5"
P5260223-s.JPG
*北川県の手前の永安鎮の陳永蓉さん(44歳、女性)は、地震の
あった翌日13日にこの避難所に軍の車で来たらしく、親戚一族
16人の内10人がこの避難所に来て、残りの6人は今も永安に
残ってテントで暮らしている。ここの避難所の様子を尋ねると、毎
日、お粥やマントウ、弁当、パンを食べていて十分だよと言っていた。
ただ、地震の時から降り続いた雨が原因で風邪を引き、それで
夜は少し寒く感じるよと。あと騒がしいね。今後望んでいることは
と聞くとまだ10代の娘さんといとこは、「村に帰りたい。そして家を
再建したい。」と語った。そして最後に昨日同様に、「わざわざ日
本から関心を持ってありがとうね、」と言ってくれた。
RIMG0017.JPG
*永安鎮からさらに北に13キロの#(テヘンに雷)鼓鎮出身の大学生、
王彬くん(22歳男性)は、地震の時は、成都の西華大学にいた。地
震が起きてから、家族と再会できたのは、13日だったそうだ。親
戚10人のうち3人は怪我をして現在も入院していて、その中には
腰を痛めた81歳のおじいちゃんもいる。お兄さん夫婦とその子供
は今も村に残っているそうだ。彼の友達の中には瓦礫の下で亡
くなった人もいたそうだ。また、現在でも残っている人の中には
「瓦礫の中に子供が埋まっている。」と言ってそこを離れようとし
ない人もいると語ってくれた。いとこの夢楠ちゃん(5)は地震の
時、家の中にいたが、一人で飛び出して、かろうじて一命を取り
留めた。「この娘は本当に幸運だった」と言って頭をなでるお母さ
んは、「地震後、この娘は人を怖がるようになった。」と言ってい
た。江西省に「出稼ぎに行っている旦那さんとは明日、地震後初
めて再会する。愛娘の6回目の誕生日を共に過ごすためだ。「祝
生日快楽!!」と歌って、お菓子をプレゼントしてあげると、「謝謝(あり
がとう)!」と恥ずかしそうに微笑んだ。明日はこの避難所でどんな
日を過ごすのだろうか。
RIMG0220.JPG
避難所になっている九州体育館では、各所に「尋親人」(親族
探し)という張り紙が目に付く。体育館前の道路では、紙に「尋親
人」と書かれた札をもった若いボランティアも多い。体育館内で聞き
取りをしていたら、中学生らしき男女数人がおじいちゃんに何や
ら話しかけているのを見かけた。「何しているの?」と聞くと「尋親
人」だよと答えてくれたのは、李嘉#(金が三つ)くん(14歳男性)。
友達を誘って今日初めてのボランティア活動だという。張り紙を見て
バスに40分揺られて綿陽市内からやってきた。「自分の家族も広
場にテントを張って生活しているけど、それほど被害もなかったし、
僕にも何かできると思って。」と周りの友達にからかわれながら
はにかんでいた。いま、こうして多くのボランティアがここで動いてい
る。成都の紅十字前では、毎朝若者を中心にボランティアが続々と
集まってきている。彼ら、彼女らの熱意が生きるような活動ので
きる体制、環境を切に願う。中国のボランティア文化の夜明けを感じ
させる。
その後、綿陽を出て安県に向かうにつれ、沿道の家屋に被害
が増えてくるのが分かる。だが、車窓から見る限り、不思議と屋
根が抜け落ちている家が多いことに気づいた。安県から北へ
走った安昌鎮では、僕たちが車を降りるや否や、沢山の人が
寄って来て、「内の家を見てくれ」と連れて行かれた家は木造平
屋1階の屋根はところどころ瓦は抜け落ち、壁は亀裂が入り、と
ても住める状態にはなかった。26年前に建てられたというこの家
の壁には木材や鉄筋されも使われていなかった。だが、屋根が
軽かったせいか、死傷者はいなかったそうだ。同集落のその他
の家屋にも同じような状況があった。どの家の壁にも鉄筋、木材
は使われておらず、杜撰に積まれたレンガが露わになっていた。
次から次へと家を案内された。最後に帰ろうとした時、一人の
中高年の男性がすごい剣幕で寄って来た。やにやら「内の家は
何で見ないんだ?!」と言っているようだった。そして通された家は
78年に建てられた古い家で屋根は落ち、壁はひび割れていた。
男性は憤りの思いを目に涙をためて表していた。 この安昌では、
皆とにかく「自分の家はこれだけひどいんだ」という事を誰かに
聞いてもらいたかったのだろう。彼らにとって被災に大きいも小さ
いもない。北川という最もひどい被災地へと続く途中の小さな町
の小さな声がここにある。
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 10

今朝、現地入りしているYさんからのレポートが来たのですが文字化けしてい
て解読するのに困難を極めています。
何となく、隙間に見える日本語?を頼りに解読して見ました。
(現地レポート 5/17)
通行規制があり、被害のひどい北川、都江堰などは外国人が入りにくい。マスコ
ミの記者の人たちは、こっそりと取材しているようです。
今日は成都の最大規模の避難所に行きました。ここには、北川県からの被災者
がおおいようです。入り口には救援物資や衣類が山積みになり、手前の公園に
は数多くのテントが張られ、献血車も配置されています。避難所の中に入り、3
名のボランティアと一緒に被災者の声を拾いました。
*永芙さん(44才女性、北川県手前の永安で被災)
地震のあった翌日13日に、ここにきた。一族16人のうち、10人がここに来てい
る。残りの6人は今も永安に残っている。ここではお粥、パン、弁当などを食べて
いて十分だとのこと。とにかく家を再建したいと訴えており、最後に「わざわざ日
本からありがとう!」って言ってくれました。
*王琳くん(22才、男性、北川県よりさらに北からの大学生)
地震のあったときは、成都の大学にいた。家族と再会したのは13日。親戚10人
のうち、3人は怪我をし、現在も入院中。兄夫婦と子どもは村に残っている。彼の
友人で瓦礫の下で亡くなった人もいる。また今でも子どもが埋まっているといっ
て、そこを離れない人もいる。いとこの女の子は、一人で逃げ出せたが「余震に
怯え、こころの不安がある」と母親が言っている。江西省に出稼ぎに行っている
旦那さんとは明日、地震後初めて再会するとのこと。
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 9

「ニュース 5」で、「中国版ボランティア元年を!」と書かせて頂きました。16日
毎日新聞夕刊の記事は、「72時間 限界過ぎても希望は捨てぬ  「命のリレー」
数十人救出」、朝日新聞夕刊では「仲間の命 この手で  若者ら物資のリ
レー」、15日の読売新聞夕刊の元JICA国際緊急援助隊事務局長浅野壽夫さん
が書かれた記事の中で「命の重さは国を超える」と書かれています。
やはり同じ人間ですね!被災地成都には続々と水や食糧を持ってボランティア
が集まっているようです。今朝早朝の報道番組でもコメンテーターが、「誰が72時
間と決めたのでしょう?過去にはそれを過ぎても奇跡的に助かったケースがあ
る。たった一人でも可能性があればそこに全力を集中すべきだ!」と言ってまし
た。
13年前、阪神・淡路大震災で何とか生き残った被災者たちが、「生きていて欲し
い!!」という願いで瓦礫の中から27000人を助け出しました。これが「ボランティ
ア元年」の始まりです。被災者の中にある「ボランティア性」がそうさせたのだと思
います。この被災地の人間としての営みに呼応して、全国各地からボランティア
が集まって来られました。最大2万人、2ヶ月で延べ100万人を超えました。中国
の場合はもっともっと集まりだすでしょう。ボランティアは誰一人無駄な動きをしな
いのです。何故か?「いのちは大切だ!」ということが共有できているからです。
しかも、折角生き延びた人たちがより「いのちの大切さ」を身体ごと発信されま
す。人は、この連鎖反応に共鳴するでしょう。私たち、毎日隣国の近くにいて固唾
を飲んで見ています。一人でも多くのいのちが助かることを祈りながら。各々が、
今被災地で頑張っているボランティアにメッセージを発信しましょう。
<img src="http://shisensyo.up.seesaa.net/image/P5240158-s-thumbnail2.JPG" alt="P5240158-s.JPG" width="200" height="133" border="0"
hspace="5"
P5240161-s.JPG
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます

中国四川省大地震救援ニュース 8

CODEの翻訳ボランティア・Nさんの翻訳による中国現地マスコミの情報の
一部です。
--交通情報
四川省内9つの空港は回復。宝成鉄道は供電開始(西安方面から入る鉄
道)。アバ州都マルカン(馬?康)からぶん川に抜ける317号が全線開
通。成都から雅安、マルカンを経由して大型車がぶん川県城に入れるよう
になった。アバ州(ぶん川を含む)、綿陽市北川県以外の電力供給も回復
した。(ただしダム湖が決壊すれば水力発電所が使用できなくなる可能性
がある)(16日0時11分 中国新聞網)
--映秀鎮の被害状況
 新快報の記者が14日深夜ぶん川県映秀鎮に入った。今回の地震によ
りぶん川県内で最大の被害を出しているのが映秀鎮だ。
 映秀小学校では400名の生徒に47名の教員がいるが、生存者は、
たった100名。泣き崩れた家族に叱責され校長は黙りこんだ。3日3晩連
続で自ら掘り起こし全力で子供たちを救助してきた校長の家族は妻子・母
親ともにがれきの下敷きになり生死不明だ。
 映秀幼稚園では、81名の子どものうち生存者は30~40名だ。
 映秀中学校の校舎には一本の国旗掲揚ポールが残っただけだ。校舎前
では掘削機や重機を使って作業しており、兵隊と地元民はくわやすき、木
や素手でがれきの下の教員と生徒を掘り起こそうとしている。機器の音や
家族の泣き声は耳をおおいたくなるほどだ。運動場にはシートや布団をか
けた遺体がならんでいる。(16日1時30分 西部網)
--都江堰~ぶん川 命の90キロ
 都江堰からせん(さんずいに旋)口、映秀を経由しぶん川に至る道。それ
は地震の中と外をつなぐ90キロであり、山崩れと土石流に阻まれた90キ
ロであり、命をつなぐ90キロである。
  35歳の王徳兵さんはすでに無精ひげものび顔も黒くなっている。地す
べりした細い泥道で、何度も転んでは起き上った。
江西省で働くぶん川出身の王徳兵さんは地震後すぐに安否確認をした
が、一度も電話がつながらず、道路は不通であったが、すぐに徒歩での帰
郷を決意した。
 彼のかばんには2着の着替えのほかには水と食料がはいっている。地
震後水と食料が断たれたと聞いたときに自分の持ち帰るものが誰かの命
を救うかもしれないと思った。王さんは、10数人の仲間とともに歩き出し
た。
 途中で出会った被災者によると映秀からぶん川に行く道は破壊がひど
く、地滑りもいまだ頻繁に起こっている。誰もぶん川の状況を知らないが
口々に「ぶん川は家屋の倒壊がひどいそうだ」と言った。これらのことはデ
マである可能性もある。進むにつれて道路沿いの民家の破壊がひどくなっ
てきている。悪い情報ばかりだが彼らの決心は変わらなかった。彼らは何
も考えることができず、傷つくこともできず、ただ道を進むだけだった。
 山の上を歩いて一時間、ゆるやかに下っていくとまた道路が見えてき
た。王徳兵さんは道路状況が許せば、夜も歩こう。もしも今夜映秀に着け
ば明日の午後にはぶん川に着くかもしれないと思った。早く着けばそれだ
け希望もある。(15日11時58分 南方週末)
中国四川省地震救援募金にご協力下さい
 郵便振替:00930-0-330579 加入者名:CODE
 *通信欄に「中国四川省地震支援」と明記してください。
募金全体の15%を事務局運営・管理費に充てさせていただきます