青海省地震レポート41

「ヤク銀行プロジェクト、37頭が53頭に増えた!!!」

2010年4月14日に青海省玉樹チベット族自治州で発生したM7.1 の地震によって3000人以上が亡くなった。また、約4万頭の牛やヤク、羊、馬などの家畜が亡くなったといわれる。

CODEは発災後、三度の現地調査を行い、現地のNGOなどと協議を重ね、最終的にインドネシア人アーティストのイアニさんをカウンターパートに称多県拉布郷(LAB)で「ヤク銀行プロジェクト」を行う事を決定した。このヤク銀行は、CODEが震災後に日本の皆様からお預かりした寄付金で購入したヤク(チベット特有の牛)を被災した遊牧民に飼育してもらう事で生活を立て直していただくもので、アフガニスタンのぶどうプロジェクトのように被災者から返還していただいた一部で次の被災者をささえる仕組みである。

先日、イアニさんと共に拉布郷(LAB)を再訪した。昨年、ヤク銀行委員会の協議を経て、このエリアで最貧困層の遊牧民家族に提供されたヤクは37頭。7頭のヤクが疫病の為に亡くなったが、今春新たに子どもを出産し、現在53頭に増えている。標高4000mの草原でチベット伝統のヤク皮のテントで生活している遊牧民Rさん(40代男性)は、「ヤクを提供してもらえて非常に嬉しい。これで生活も出来、自家用のバターやヨーグルトも食べる事が出来る。」とチベットの遊牧民としての誇りを取り戻したようだった。(吉椿雅道)
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写真1枚目:遊牧民Rさんのテント(標高4000m)
写真2枚目:CODEの提供したヤク

青海省地震レポート40

「被災地、玉樹の4年後。街はきれいになったけれど・・・」

2010年4月14日に発生した青海省地震からすでに4年が経った。CODEは青海省玉樹チベット族自治州称多県拉布(ラブ)郷でヤク銀行プロジェクトを実施している。先日2年ぶりに青海省の被災地を訪ねた。

標高3700mの中心の街、結古鎮の町は震災前の面影をまったく感じられないほどにきれいな街が大規模に再建されていた。町の中心にはホテル、政府庁舎、芸術センター、病院、学校などの巨大なビル群が立ち並んでいて、震災前の雑多な雰囲気はなく、どこか人のにおいのしない感じだ。街の北東に鎮座する結古寺(チベット仏教サキャ派)も町を見下ろすように再建されていた。

あるチベット人被災者の男性(40代)は、「表面的にはきれいな住宅が再建されたけどね。。。」と奥歯に物が挟まった言い方をした。よくよく来てみると「震災前より生活苦になった被災者も多い」という。震災前は無料だった水やガスが有料になり、電気代も値上がりしたという。それに加え、震災後に工場や野菜栽培のビニールハウスなどの事業を行っているのは皆、外部から来た漢民族で、チベット人には仕事の機会が以前にもまして少なくなったという。

住宅再建に関しては、政府は80㎡の住宅を無償で再建し、被災者に提供した。だが、家族の多いチベット人にとって80㎡は決して広くはない。「それ以上広い住宅が必要な場合は自己負担さ。」とその男性は語る。これまで一戸建ての広い庭でヤクや羊などの家畜を数頭飼っていた人たちは、燃料などをその糞で賄っていたが、再建されたマンション型の住宅では当然家畜を飼う事は出来ない。すべてをお金で購入しなくてはいけない。

すべてをお金に換算してしまう価値観によって失われつつある暮らしや文化がチベットにはあったが、それが復興という名のもとに奪われつつある。きらびやかに再建された町の復興の陰にはこのような現実がある。(吉椿雅道)

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青海省地震レポート39-災害を忘れない-

本日4月14日は青海省地震が発生した日です。
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青海省地震 (2010年4月14日発生)
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「災害を忘れない」
青海省地震 から今日で4年です。

 2010414日に中国・青海省玉樹チベット 族自治州で発生した地震(玉樹地
震)は、標 高約4000mのチベット高原を襲いました。中心の町、結古鎮だけでな
く周辺の草 原に暮らす遊牧民たちも大きな被害を受けました。CODEはこれまで現
地のNGOと共に調査や支援を行ってきましたが、最終的にインドネシア人アー
ティストの イアニさんと共に称多県拉布(ラブ)郷での「ヤク銀行プロジェク
ト」を決定 しました。チベット人にとって不可欠な家畜、ヤクを被災者に提供
し、飼育・ 繁殖する事で自らの生活を再建してもらいます。その後、ミルクやバ
ター、現金 などで少し返済してもらい、その資金で次の被災者を支えるという仕
組みで実施 しています。地元の僧侶、獣医、住民、遊牧民などで「ヤク銀行委員
会」を組織 し、具体的な提供先、返済方法、飼育などが協議され、昨年8月に遊
牧民の中で も特に貧しい人たちにヤクが提供されました。厳寒な天候や病気など
によって亡 くなる子ヤクも出てきていますが、おおむね元気に育ってきているよ
うです。

地震から4年、町は政府によってチベット風の家屋の再建が大規模になされま
したが、周 囲の草原に住む遊牧民たちは定住化政策の中で家畜を手放し、都市に
出稼ぎに 行っても仕事を見つけることは簡単ではありません。4年を迎えたチ
ベットの被 災地は、遊牧民としてのアイデンティティーを失いつつある人たちも
少なくあり ません。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート38-災害を忘れない-

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青海省地震から3年
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2010年4月14日に発生した青海省地震(玉樹地震)から3年を迎える。

被災地では8か月の冬の間、閉ざされていた再建工事も再開したようだ。最
大の被災地、結古鎮には大規模かつ真新しいビル群が忽然と現れ、郊外
には整然と並んだ住宅群が建設されている。

CODEは、これまでに3度被災地を訪れ、現地のNGOや被災者の話に耳を
傾けてきた。その中で被災したチベット人たちにとって大切な家畜、ヤク
(チベット高原特有の毛の長い牛)に注目し、「ヤク銀行プロジェクト」を行う
ことになった。ヤク銀行とは、ヤクを被災者に提供し、飼育、繁殖してもらっ
た後、一部をバターやヨーグルト、現金などで返還してもらい、その資金を
使って次の被災者にヤクを再び提供するというものである。

チベット人たちにとってこのヤクは非常に大切な家畜で、1頭1頭に名前を
付け、家族の一員として扱うほどであるという。また、彼らは、ヤクの事を
NOR(豊かさ)と呼び、所有しているヤクの数でその人の財産や豊かさを表
すそうだ。昔は結納にもヤクを贈る風習があったように、まさに大切な財産な
のである。

その豊かさの名の通り、ヤクは捨てるところのない貴重な動物で、田畑を耕
すだけでなく、その毛はロープや衣類に、皮はテントやカバン、財布に、角
は櫛などに加工される。また、その糞は暖炉の燃料となる。最終的にはヤク
の肉も食されるが、そのミルクからはバターやヨーグルトが作られ、自家消
費用だけでなく、寺院に喜捨する事でチベット人の心を支えている。このよ
うに万能の家畜が、ヤクなのである。

ヤクは本来、チベット高原の野生動物であったものを約3000年前頃よりチ
ベット人によって家畜化されたといわれる。通常、遊牧民はヤクを連れて、
夏場は5000mの高地まで上がりテントで暮らし、冬場は3000mくらいまで下
りてレンガの家屋で生活している。1年に3回から8回ほど牧草を求めて移動
を繰り返す。遊牧民とはいえ、牧畜の傍らチンクー麦(裸麦)を栽培する半
農半牧の生活をする人や毎年5月に「冬虫夏草」という漢方薬材の採取に
山へ出かける人々も多い。遊牧民でなくとも村で商売などを営むチベット人
も数頭のヤクや羊などを飼っている人も多い。

近年、チベット高原では草原の土壌劣化や砂漠化が起きている。その原因
は、温暖化や鼠が草の根ごと食べてしまう事などと言われるが、政府は遊牧
民の過放牧によるものという理由で定住化政策を推進している。それによっ
てヤクなどの家畜を手放さざるを得ない人々も増えている。この震災によっ
ても定住化に拍車がかかっている。だが、遊牧民たちは、草原の再生サイ
クルを考慮した上で移動し、放牧を行ってきたからこそ脈々と数千年を経た
今でも受け継がれて来たはずである。

このヤク銀行プロジェクトは、ただ単に被災住民に生業の糧としての家畜を
提供するだけではなく、チベット人のヤクとの暮らしを支える事でチベットの
自然、文化を支援する事にもつながっていく。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート37

CODE海外災害援助市民センターです。
スタッフの吉椿が青海省の被災地を訪れました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート37  (2012年 No.4)
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標高3700mの被災地、玉樹チベット族州結古鎮では、1年のうち8ヶ月が厳冬に閉ざされる。現在、この短い夏を利用して急ピッチな再建が行われている。
政府の大規模な復興事業の多くは、外部業者や出稼ぎ労働者によって再建工事が行われている。
避難キャンプのLさん(60歳男性)は、「この前新しく出来る家(マンション)の手伝いに行って来たんだ。」という。アルバイトにでも行ったのかと思うとそうではなく、そこに住む予定の住民たちと一緒に工事の手伝いを行ったという。「少しでも手伝ったら早く入居できるからな。」と行って、同じマンションに住む予定の住民とともに汗を流したLさんだった。
政府による復興計画では、被災者一戸あたりに80㎡の家(マンション)が無償で与えられる。だが、家族が10人以上という事が珍しくないチベット人にとっては、80㎡は決して広くは感じない。
「80㎡までは政府が無償で建ててくれるが、それで足りなければ後は自分で建てるしかない。でも、そんなお金ないから仕方ないよ。」とこぼすLさんであった。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート36

CODE海外災害援助市民センターです。
先週お伝えしましたが、スタッフの吉椿が青海省の被災地を訪れました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート36  (2012年 No.3)
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現在、寨馬場キャンプには無数のテントが張られていて、約4万人の人が暮らしているという。
避難キャンプに住むLさん(60歳男性)は1年8カ月ぶりの再会を喜んでくれ、昼ご飯をご馳走してくれた。奥さん、子ども達の7人家族で二つのテントで暮らしているLさんは、高血圧と糖尿病で思うように働く事も出来ない。「今年も冬虫夏草を掘りに山に行ったが、体調崩してすぐに帰って来たんだよ。」とこぼす。
被災地、玉樹の最大の特産品「冬虫夏草」は毎年、5月から6月にかけて多くの人が山に掘りに行くほどの大事な収入源になっている。この時期に年収を稼ぐ人もいるくらいだ。
現在は、八一医院で医師として働く息子の収入と冬虫夏草に頼っている。避難キャンプでは、テントは政府によって支給されたが、電気やテレビ受信料などは個人で支払わなくてはならない。毎日、家(テント)にいて、食後の薬を複数種飲むLさんはどこか退屈そうに見えた。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート35

CODE海外災害援助市民センターです。
先週お伝えしましたが、スタッフの吉椿が青海省の被災地に入りました。
引き続きレポートをお伝えします。
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青海省地震レポート35  (2012年 No.2)
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2012年4月14日発生した青海省地震(中国では、玉樹地震)。2年3カ月以上を経ても被災者の多くはテントで暮らしている。最大の被災地、結古鎮は僅かな夏を使って急ピッチな大規模再建が行われている。街に居るのはほとんどが再建工事関係の人ばかりで、被災者のほとんどは、数キロ郊外の賽馬場(夏の競馬祭りの会場である草原)の避難キャンプに移って行ったという。
寨馬場避難キャンプは、2010年に訪れた時よりも避難テントやプレハブが増え、入口からプレハブで作った仮設店舗が並び、その先に無数の居住テント群へと広がっている。
避難キャンプの入り口からスーパーマーケット、食堂、衣料品店、靴屋、仏具屋、コピー屋、旅館、風呂屋、ネットカフェなどなど日常生活に必要な店が軒を連ねている。「街がこっちに移ったようだ。」と思うほど、ここには非常に活気がある。まさに「仮の市街地」だ。長い冬で復興事業も中断を余儀なくされ、いつ終わるとも分からない中、今を楽しく生きようとしているチベット人の気風が感じられる。
避難キャンプでコピー屋を営むAさん(30代)は、結古鎮中心部で被災した。今の状況に対して「金のある奴がどんどんプレハブや家を建てていくのさ。」と語った。
(吉椿雅道)

青海省地震レポート34

7月26日からスタッフの吉椿が青海省の被災地に入っています。
2010年10月以来、約1年10ヶ月ぶりとなります。
1年のうち7~8カ月が冬に閉ざされるこの地で、地震から2回目となる春・夏シーズンを迎えました。
CODEはこれまで現地NGOなどと情報交換を続けてきましたが、今回、より具体的なプロジェクトの調整を行う予定です。
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青海省地震レポート34  2012年7月26日(木)
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青海省の省都、西寧から夜行バスに揺られて800km、約20時間の被災地の道は遠い。途中、標高5000m近くを通ると高山病の症状である頭痛と吐き気を催してくる。約1年10ヶ月ぶりに青海省地震の被災地、玉樹を歩いた。被災地最大の町、結古鎮は、僕の記憶にある以前の町並みはまったくなかった。
町中では、あちこちに聳え立つクレーンと建設中のビル群。町のいたるところで再建工事が行われている。町を行き交うトラックと重機が巻き起こす砂埃の片隅でテントでひっそりと商売を営むチベットの人々。「こんな埃の中にいたら体悪くするな」と思った。だが、人々は生きていくためにそんな事はまったく気にしていない様子だった。被災地の人々は本当に逞しいといつも思う。
あまりにも変わり果てた町で、泊まる宿や食堂、ネットカフェ、以前出会った被災者の人を探すのにも手間取った。
以前、瓦礫のそばで暮らしていた被災者の人々は再建のために郊外へ仮の住まいを求めて出ていった。今、町にあるテントはほとんど工事関係者の人のものだった。
「お母さん、地元の人?」と尋ねると、「いやいや、四川省から出稼ぎに来たんだよ」とあちらこちらで同じような答えが返ってくる。四川地震の後もそうだったが、これだけの大規模な復興事業がありながら、地元のチベット人の被災者を雇用する機会が少ない。被災者のための住宅の再建も始まっているが、そこで働くのはやはり雇われた人々だ。自分の家を自分で再建できれば、どれだけその後の勇気や力になるだろうにと被災地を歩きながら思った。 
3700mの被災地より 吉椿雅道

青海省地震レポート33 地震から2年

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青海省地震レポート33 地震から2年
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あれから2年が経った。
2010年4月14日に発生したM7.1の青海省地震(中国では、玉樹地震と呼ばれる)では、死者2698人(一部では、1万人以上という話もある)、行方不明270人、被災者約24万人、倒壊家屋15000棟という被害をもたらした。
標高約3700mの被災地、玉樹は4月に入っても周りは依然雪山に囲まれている。
中国の報道によると、復興事業の843のプロジェクト(復興計画の66%にあたる)がすでに着工されたという。2010年7月より始まった再建工事は、厳冬期には工事を中断せざるを得ない事から実質の工期は12カ月にも満たないという。また、すべての建築資材を約800km離れた省都、西寧から輸送するのだが、途中5000mの峠を越える為に冬期には輸送困難となる。
総被災人口の40%を占める結古鎮では春を迎え、本格的な再建工事が再開され始めた。極度の乾燥と砂ぼこりの結古鎮では、足場の組まれたビル群で金属音と重機のエンジン音が鳴り響く。これまでの再建工事中に過労と高山病によって12名の作業員の尊い命が失われたそうだ。1年のうち7~8カ月が冬に閉ざされ、厳冬期はマイナス30℃まで冷え込むチベット高原での再建工事がいかに過酷なものかを物語る。
政府の発表では、2012年末までに結古鎮中心部の住宅再建を終える予定であるという。
現在、結古鎮近郊には、真新しいデザインの住宅が整然と並んでいる。これまで広い高原で悠々と羊やヤクを放牧させて暮らしていたチベット人にとってはどこか不自然な感じは否めない。
2年を過ぎた今、一部の被災者はすでに完成した住宅に入居しているが、未だ多くの被災者の方は震災直後とほとんど変わらない状態でテントで暮らしている。「家は完成したが、地震が恐くて、今でもテントで寝ている。」という高齢者もいる。
天空の被災地、玉樹では、2年を経てようやく再建工事が本格的に動き出したが、一方で震災直後とほとんど変わらない状態で暮らす被災者の人々とのコントラストが目立つ。
政府の発表では、2012年末までに玉樹州結古鎮の中心部の住宅再建を終える予定であるという。この春から夏が住宅再建のラストスパートとなる。2008年の四川大地震後、復興を急ぎ過ぎた事による弊害や矛盾が起きないよう配慮すべきである。
昨年、発生した東日本大震災では、これまでの支援国であるアフガニスタン、ハイチ、バングラデシュ、中国の方々から沢山のメッセージを頂いた。青海省からも被災地のチベット人の子ども達の描いた絵が約100部、東日本大震災の被災地、岩手県綾里中学校の子ども達に届けられた。この冊子はCODEが、玉樹で出会ったマレーシアの精英大学の心理の専門家と学生ボランティアによって作成された。冊子にはチベット高原の山、川、草原、馬、ヤク、チベット寺院、学校など、故郷の風景が沢山描かれていた。故郷を思う気持ちはどの被災地も同じである。この冊子を通してKOBE、青海省(チベット)、東北、マレーシアがつながった。
CODEの「ヤク銀行プロジェクト」が6月には青海省の被災地で動き出す予定である。
(吉椿雅道)
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被災地、玉樹のチベット人の子ども達
子ども達の描いた冊子.jpg
子ども達の描いた冊子
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岩手県綾里中学の学生さん達
現在の玉樹.jpg
現在の玉樹
北京の対口支援によって建設された住宅.jpg
北京の対口支援によって建設された住宅