月別アーカイブ: 2010年4月

中国青海省地震レポート No.12

チベットの自給自足の暮らしでは、レポート9でも書いた「ヤク」は遊牧に欠かせない。そしてもう一つ欠かせないものに「冬虫夏草」の採集がある。
「冬虫夏草」という言葉を聞いた事のない方も多いかもしれないが、キノコの一種(虫草菌)で冬の間に蛾の幼虫に寄生して栄養分を摂取して、夏になると菌糸が棒状に発芽するさまが草のようである事からその名がついた。世界に約400種があると言われるが、標高3000~4000のチベット高原に自生するものが良質であるという。例年5月から6月にかけての約40日間が採集時期で、チベットの人々は雪の残る中、野営しながら冬虫夏草を探して歩くという。
中国医学(中医)、チベット医学(蔵医)などの伝統医療では、この「冬虫夏草」は滋養強壮、腎、肺、心の治療にも使われる生薬である。抗がん作用もあると言われ、副作用の少ない事から非常に重宝されている。2003年に中国を震撼させたSARSの際もその肺への効果から価格が高騰したという。
冬虫夏草は、チベットやネパールなどのチベット人の住むエリアではそれほど高価なものではないが、中国はもちろん、香港、台湾、シンガポールなどの中華圏にその需要は高く、生薬としてだけでなく、薬膳料理などにも使われる為に高価なものへと変わっていく。
1980年代以降の経済自由化によってこの冬虫夏草の価格は上昇し、チベットの人々にとって貴重な現金収入源となっていく。チベット全体の現金収入の約40%を占めるという。
高価に取引される事によってこれまでの遊牧から採集へと生活の比重も変化してきている。
実は、被災地、玉樹は「冬虫夏草の故郷」とも呼ばれる。地震の起きた日も多くの人々が採集のために野に出ていたという話もある。
採集の規制やその栽培の難しさなどの問題はあるが、玉樹の経済復興においてこの「冬虫夏草」も大事な存在になるだろう。

中国青海省地震レポート No.11

地震などの自然災害は容赦なく人の命を奪う。そして生き残った被災者の人々の暮らしをも根本から揺さぶる。チベットの民の多くは、半農半牧の暮らしで、夏場はヤクや羊を放牧させ、冬場に住居に暮らす二重生活である。だが、近年では政府による定住化政策によってその暮らしにも大きな変化が起きている。被災地、玉樹もその変化のど真ん中にあった。
2006年から始まった定住化政策によって、これまでの遊牧の暮らしを捨てて、家畜をお金に換え、アイデンティティーを喪失した人々(特に男性)は酒やギャンブルなどの遊びに身を落とすという悪循環も震災前から起きていたという。周知のように北米のネイティブアメリカンや豪州アボリジニー、南米アマゾンの先住民など世界中でこのような悲劇を生んでいる。
震災は、被災地に非常に大きな痛みをもたらす事に間違いないが、今後の復興を考える場合、ある意味大きなチャンスにもなり得る。今年の1月12日にM7.0の地震の起きたハイチは、今、まさに「国創り」を行おうとしている。被災地の内から湧き上がってくる人々の動きをしっかりと政府や国際機関、支援団体が後ろから見守り、支えていく事が出来さえすれば、きっといい復興への道を進むだろう。それは何よりも被災者自身の大きな自信と力になる。その為には被災地、被災者を信頼しなくてはならない。
前号でもふれたが、玉樹の復興計画が本格的に動き始めた。現在、四川大地震の復興過程の中での課題をしっかりと考えた上で、是非ともこの震災をいい機会と捉え、そこに住む人々にとって何が本当にいい暮らしなのか、その歴史、文化、伝統を熟考した上で復興計画を策定してもらいたい。そのためには被災者の「つぶやき」にちゃんと耳を傾けることである。

中国青海省地震レポート No.10

2008年5月に四川省を中心に襲った「5・12ブン川大地震」(日本では四川大地震)からまもなく2年。四川の被災地では急ピッチな再建工事が至る所で行われている。一方、日本ではほとんど報道されていないが、中国西南部では09年秋からの少雨により記録的な干ばつ被害が出ている。「100年に一度」とも言われ、2010年3月には貴州、雲南、広西チワン族自治区などの約600万ヘクタール以上の耕作地に被害が及び、1800万人以上が飲料水の不足を訴えている。中国のTVからは連日、カラカラに乾いた農地に顔をゆがめる被災者の姿や救援に駆け付けた軍の雄姿が報道されていた。毎年4月13日に行われる雲南省南部のタイ族の正月「撥水節」(水かけ祭り)もこの水不足から規模を大幅に縮小して行われた。
青海省地震はこの翌日(4月14日)に起きた。当日午前のニュースはこの西南部の干ばつ災害がメインであったが、青海省の被害が徐々に明瞭になるにつれ特番として報道され始めた。中国は世界第3の広大な国土を抱える分災害も多い。
四川大地震以後、中国政府は自然災害に対して迅速な対応を行ってきた。この青海省地震では緊急対応として、被災した日より被災者の人々に1日ひとり15元(約210円、国が10元、省が5元を負担)と500gのお米を3カ月間支給するとした。(四川の場合は、1日10元と500gのお米)。また、家族を亡くした遺族には8000元(約11万円)、住居を移転する場合は、ひとり150元(約2100円)の支給。三孤(震災で一人になった子供、高齢者、障がい者)には、毎月ひとり1000元(約1万4000円)を、子供の場合は18歳になるまで、高齢者は亡くなるまで、障がい者はその障がいの状況に応じて支給するトいう四川大地震以上の被災者対応を行っている。
また今後の復興についても、すでに復興計画策定に向けて国、省レベルでの数度の会議が開かれている。21日の青海省政府の発表によると復興期間の目標を5年とし、3年で復旧、再建の主要作業を終え、その後の2年で玉樹チベット自治州の玉樹鎮を「高原生態型商業・貿易・観光都市」(高原エコ観光都市)とするそうだ。長江、黄河、メコン川の三江源流近くである玉樹の環境特性を生かした復興という事であるが、本来のチベット族の遊牧、半農半牧の暮らしを取り戻せるような生活が求められる。
四川大地震後の復興過程の中では、その復興のスピードを重視し過ぎるが故に様々な問題、課題も出てきた。中国の有識者は、被災地をその目でしっかりと見、被災者の声をその耳でしっかりと聴き、四川で学んだ教訓や経験、失敗をしっかりとこの青海省へと伝えてもらいたい。
現時点での被害 (25日夕刻 青海新聞網)
死者:2220人
行方不明:70人

中国青海省地震レポート No.9

青海省地震では、2200人以上の方々が僧侶や遺族に見送られて天へと還っていった。
震災が奪ったものは、人命だけではなかった。チベットの人々の生活に欠かせないヤク(チベット牛)、羊、馬などの家畜の命も奪った。4万頭以上が死んだという報道もある。中でもヤクの被害はチベット人にとって生活の上で大きなダメージを与えたに違いない。
標高3000~6000mの高地で生息するヤク(チベット語ではオスのみをさす。英語名:YAK)は、全世界の約1万4000頭うち1万3000頭がこのチベット高原にいると言われる。そのほとんどはチベット人によって飼育され、野生のヤクは数百頭のみで絶滅の危機にあり、中国では国家一級重点保護野生動物に指定されている。体長2~3m、重さ300~800kgの堂々とした体格の割におとなしい動物である。それは家畜化した事によるそうだが、本来は気性の荒い動物である。ヤクは高地の極寒で生きるために全身を黒い毛で覆い、体温保持のために4つの胃をもち、酸素の薄い高地でも大量の空気を吸うために肋骨も他の動物より多いそうだ。
チベット人達に生活には、このヤクがあらゆるところまで浸透している。半農半牧の彼らの暮らしには耕作や運搬にヤクは大きな力を発揮する。また、ヤクの乳からバター茶やヨーグルトを作る。チベット寺院の灯明もこのバターである。チベット寺院には必ず三角錐に固められたバターのロウソクが置いてあり、僧堂には常にヤクバターの匂いが漂っている。また、赤身の多いその肉は、貴重なタンパク源で、脂も少なく、美味しい。その皮や毛(外側)は、遊牧民には欠かせないテント(バという)やロープとして使い、内側の柔らかい毛は衣服や毛布になる。一頭のヤクからわずか100gしかとれないヤクダウンは非常に貴重なものである。そして、その糞は高地では希少な燃料として、住宅の外壁として使用される。この繊維の多いこの糞で皿も洗う。昔、草原でチベットの子どもとこの糞を投げ合って遊んだ事があるが、高地特有の紫外線や乾燥によるのだろうか、悪臭は全くない。まさにヤクは捨てるところがない。
このように高地の遊牧民、チベット人にとってヤクは切っても切れない存在である。震災で家畜を失った被災者にとってヤクなどの家畜は、チベット人らしい「暮らしの再建」の上で非常に大きな意味を持つだろう。
現時点での被害状況 (24日夕刻 青海新聞網)
死者:2203人
行方不明:73人

中国青海省地震レポート No.8

2010年4月14日早朝7時49分。 M7.1の大地震が青海省玉樹チベット族自治州を襲い、3700mのチベット世界、玉樹(ジェクンド)は一瞬にして廃墟と化した。約2200名以上の尊い命が失われた。
実は地震の約2時間前、5時39分にもM4.7の地震が発生していた。多くの人々は就寝中であったが、その地震で飛び起きて外に逃げ出したそうだ。
 玉樹にある第一民族中学の5人の教師たちもこの5時の地震で飛び起きて、寄宿舎で寝ていた子供たちを起こして回り、約330人の生徒と教師達はグランドに避難した。7時半頃には家から通ってきた生徒も含めた約880人がそろった直後、M7.1の大地震が再び襲い、1980年代に建設された校舎1棟が倒壊し、2000年以降の校舎も使用できなくなった。だが、この教師たちの避難指示によって全員無事避難する事ができた。その後、数キロ離れたところにある水力発電のダムの決壊を恐れた教師達は、生徒全員を学校の裏山に避難させ、生徒達は力を合わせ、布や樹でテントを作ったそうだ。
この学校は2008年5月に発生した四川大地震を教訓の日頃から防災訓練を行っていた事が、教師や生徒達にこのように迅速な行動をとらせた。
四川大地震の際も、桑棗中学では1分36秒で教師、学生約2300人全員が無事グランドに避難したという話がある。この学校も2005年から避難訓練を行っていた事による。
先日、中国地震局はこの青海省の地震と2年前の四川大地震とは一定の関係性があり、今後活発化する恐れもあると指摘した。
一人でも多くの命を救うためには耐震住宅はもちろん、「防災教育」にも力を入れなければならないだろう。
現時点での被害 (23日夕刻 新華網)
死者:2192人
行方不明者:78人

中国青海省地震レポート No.7

22日、被災地では雪が降り積もった。チベットの人々は寒さに慣れているとは言え、テントでの避難生活はかなり過酷な状況になっている。防寒対策はもちろん、道路凍結により救援物資の供給にも影響が懸念される。
現地(玉樹)入りしているチベット人ボランティアのLさんからの情報が、成都のMさん経由で入って来た。彼らは医療チームとして活動しているようで毎日500人を超える負傷者の治療にあたっている。彼ら24人は極寒の中、大きなテント3つと小さなテント1つに皆で寝泊まりし、カップラーメンとお粥を食べて頑張っている。被災地では衣服、食料などの生活上の問題は徐々に解決してきているようだが、現地の状況とメディアから流れてくる情報にはかなりのギャップもあるようだ。Mさんは最後にLさんに向けて「あなた達ボランティアと被災者の人々が一緒にいれば困難を乗り越える事ができると思うよ。私はそこにはいないけど、いつもあなた達の事を思っているよ。」と言葉を贈った。四川大地震以降、MさんはいつもCODEと共にボランティアに奔走してくれている。四川の被災地で出会った人々や経験の中から先ほどのような言葉が出てきたのだろう。
Mさんはチベット人の友人と共に青海省から搬送されてきた被災者の入院する病院にもお見舞いに行ったそうだ。玉樹で被災したおじいちゃんは、ベットの上でお経を読んだり、数珠を数えたりしていたそうだ。同じチベット人の友人が、話しかけるとても喜んでくれたそうで、最後には手を合わせていたそうだ。中国語の堪能なMさんもこの時ばかりは、言葉や文化の壁を感じたという。
被災地、玉樹から遠い成都でもボランティアで走り回っている人々がいる。そして日本でも被災地の惨状に心を痛めている人々がいる。そんな人々をつないでいく事が僕らの仕事であろう。今日、成都で米などの物資を積んだトラックが被災地、玉樹へと出発する。被災地、KOBEの思いを乗せた「まけないぞう」も一緒に向かっている。
※「まけないぞう」についてはこちら
現時点での被害状況(22日夕刻 新華網)
死者:2187人
行方不明者:80人
負傷者:12135人(うち重傷者1434人 )

中国青海省地震レポート No.6

青海省を襲った地震から7日目の21日、被災地では数千人の人々が哀悼の意を表して黙祷を捧げた。08年の四川大地震の際も7日目の地震の起きた14時28分、被災地では一斉にサイレンが鳴り、一面のガレキの中で僕も同じく黙祷をさせてもらった。中国全土でも「哀悼の日」として黙祷などの行事が行われた。国を挙げて行うのは四川に続き2回目だという事である。
また、17日にはチベット僧の手によって震災で亡くなった方々の葬儀が執り行われた。亡くなった約1000のご遺体は、3日間チベット寺院に安置され、その後、結古鎮の丘の上に搬送された。僧侶の手によって運ばれたご遺体のすべての衣服が取られ、数十メートルの長さに掘られた二本の穴の上に並べられ、火葬された。荼毘にふされるご遺体の周りを数千の僧侶の読経を聞きながら遺族は死者を見送った。写真で見るだけでも丁重に葬られた事が伝わってくる。
 本来、チベットでは、葬儀は「鳥葬」(天葬とも呼ばれる)が行われる。通常、死後、ご遺体は遺族の手によって2、3日から1週間の間に人気のない草原や丘の鳥葬場に運ばれる。そこで天葬師と呼ばれる人によって鳥が食べやすいように遺体が解体される。そして聖なる鳥、禿鷹に食される。これは、日本人には残酷に映るかもしれないが、チベット人にとっては、魂の抜けた肉体を鳥にお布施するという感覚で、これによって空高く舞う鳥と共に天に還るというものでもある。樹木の少ない標高4000mの高地では火葬する燃料が乏しい。また、堅い凍土や岩場の多い高原では土葬にも適さない。これはチベットの宗教、風土の中から生まれたいたって自然な葬り方なのだろう。
 またこの鳥葬以外にも伝染病や事故などで亡くなった場合は土葬、貧しい人や幼児の場合は火葬、高僧や貴族、学者は火葬にされる。
この青海省地震の被災地では、死者の多い事や火葬にする燃料が少ない
事、感染症などを考慮してニンマ派の活仏(生まれ変わりの高僧)が火葬が妥当だと判断したという。
 チベット各地から数多くの僧が被災地に駆けつけ、ガレキの中から沢山の生存者を救出してきた。だが、僧侶自らがひとりひとりの遺体を抱え、ひとりひとりの衣服を取り、荼毘にふす姿を見ると彼らは生存者の救出はもちろん、亡くなった人々を送るために遠くから駆けつけたのだと思った。
現時点での被害状況(21日夜 新華網)
死者:2183人
行方不明者:84人
負傷者:12135人(うち重傷者1434人)

中国青海省地震レポート No.5

天空の被災地、玉樹は標高約3700mの高地である。中国各地からの約1万人の救援隊も高山病(中国語で高山反応)に苦しめられている。中国南部の広東省の救援隊約300人も19日に撤退したようだ。広東省や山東省などの低地の救援隊には過酷すぎたのであろう。捜索犬もこの高地には順応できないようだ。不幸な事に取材中の北京の記者も高山病の症状を訴え、帰らぬ人となった。やはり高地慣れしたチベット人の救援隊やボランティアを有効に活用すべきなのだろう。
また、17日頃より非常に不安定な天候になってきている。夜は氷点下にまで下がり、一部のエリアでは降雪も見られる。極寒に加え、砂嵐にも悩まされている。被災者が身を寄せるテントも破損したり、吹き飛ばされたりしている。以前、チベットでこの砂嵐に遭遇した事があるが、大粒の砂が舞い上がり、体に叩きつけるのでとにかく痛い。目をあける事も出来ずに僕は車に逃げ込んだが、チベットの人々は車の荷台で毛布に包まり、必死に耐えていた姿に逞しさを感じた。このように被災者にはもちろん、救援者にとっても非常に過酷な被災地である。
*チベットの気候・風土について
チベットには「1日に四季がある」と言われ、1日の気温差が激しい。日中、太陽のある時は日差しが強く暖かく感じるが、その日差しは体力を奪う。そして体の水分を絞り取るように乾燥していく。次第に唇などがひび割れてくる。そして日没から一気に氷点下に冷え込んでいく。1年を通して乾季と雨季に分かれるが、乾季の天候は比較的安定していているが、とにかく乾燥との闘いである。
体が乾燥すると高山病を引き起こしやすくなる。高山病は、空気中の酸素の低下によって頭痛、めまい、吐き気、発熱など風邪に似た症状が見られる。高山病に対する特効薬はないと言われ、ダイアモックス(呼吸中枢を刺激する予防薬)や酸素吸入などはあくまで対症療法でしかない。標高の低い所に移動すればすぐに症状は軽減される。救援隊のように低地から飛行機で3700mの高地に降り立った場合は、体が順応出来ずに高山病を引き起こしやすくなる。徐々に高度を上げながら移動すると高地順応していく。また、その人のその時の体調によっても変化するので日頃からの体調管理が求められる。水分、塩分補給、乾燥を防ぐ「バター茶」こそがまさに予防薬なのである。チベット人の暮らしの中に高地で生きる様々な智恵が盛り込まれているのである。
被災地は6月頃には雨季に入る。それまでには安定した住環境が求められる。
*現時点の被害状況 (20日夕刻 人民網)
死者:2064人
行方不明:175人
負傷者:12135人(うち重傷者1434人)

中国青海省地震レポート No.4

成都からトラックに物資を積んで玉樹に入って3日目のチベット人からの情報によると、「現地では圧倒的にテントと食料が足りない。昼は暖かいけど夜は非常に寒い。」とのこと。また「カップラーメンばかり食べていてお腹を壊している人もいる。お米が食べたい。」と被災者の方は言っているそうだ。
ここで少しチベット人の食について、、、
チベット人は通常、ツァンパ(日本の麦こがしのようなもの)と呼ばれるもの食べる。ハダカオオムギ(大麦の一種)を炒ったものを粉状にして、バター茶を加えて手で団子にして食べる。濃厚な麦の香りがする団子である。遊牧民であるチベット人達はこれを羊の皮袋に入れて携帯している。日持ちする保存食でもある。
またおなじみのバター茶(酥油茶)もチベット人には欠かせないものだが、ヤク(高原に住む毛の長い牛)の乳から作ったバターに岩塩、黒茶を入れてドンモと呼ばれる器具で撹拌させてから飲む。高原のチベットの乾燥した気候には最適な飲み物で、乾燥する体に水分、塩分を補給し、油によって乾燥を防ぐ効果があると言われ、チベットの気候風土によって生まれた智恵である。高山病対策の妙薬のひとつでもある。
チベットを旅した際にゴンパ(お寺)で非常にフレンドリーな僧侶達がこのバター茶でもてなしてくれた事を思い出す。その他にはトゥクパと呼ばれる小麦粉で作ったうどんのような麺やモモという蒸し餃子などが代表的な食べ物である。
標高3700mの高地に順応した誇り高きカムパとは言え、震災によって家族や家を失った人々への精神的な痛みは大きいに違いない。だからこそ彼らの心が一瞬でも緩むような食事が提供される事を願う。やはり被災地の暮らしをしっかりと知らなくてはならない。
現在、四川のMさんを通じてツァンパやバター茶を被災地に送れないか相談している。
現時点の被害状況 (19日夜 新華網)
(人的被害) 死者:2039人
        行方不明者:195人
        負傷者:12135人(うち重傷者1434人)

中国青海省地震レポート No.3

玉樹県の被災者は周辺の草原に張られたテントに避難しているようだ。この避難所になっている草原は実は競馬場である。夏になると青々とした草原に色とりどりの花が咲き乱れる。周辺からチベット人が一堂に会し、ここで盛大な競馬レースと物産交流が行われる。
これが玉樹康巴(カムパ)文化芸術祭である。標高3700mの高原で見事な歌声と豪快な踊りを披露し合う。女性は、チュパと呼ばれる袖の長い民族衣装に身を包み、首飾りや帽子などの煌びやかな装飾で美を競う。男性は、馬上からの射撃や疾走する馬の上で体を大きく反らせる曲乗りなどで馬術の技を競う。言い伝えによると、この震災で被害を受けたジェグゴンパ(結古寺)の一世嘉那(イシジャナ)活仏は、非凡な芸の才能を持ち、百種以上の歌や踊りを独創し、この玉樹を「歌舞の故郷」と言われる礎を築いたという。
この祭りの時、草原には数キロのテントが並ぶという。祭りは、1年に1度の盛大な物産市でもある。玉樹ではこうやって昔から祭りの際に芸術や物が行き交って発展してきたのだろう。
カムパ(カムの人々)は非常に頭がよく、商才にも長け、かつ勇敢な人々である。以前、このカムパの人々に会った事あるが、体も大きく、毛皮の帽子をかぶり、馬を自在に乗りこなす勇壮な男たちの気迫には感動したものだった。そして何よりもその仏教へのひときわ厚い信仰。このカムパ精神を持ってすればこの困難を乗り越える事が出来るに違いない。
(18日10時時点)
死者:1706人
行方不明者:256人
負傷者:12128人(うち1424人重傷)