昨年の11月8日、台風Haiyan(フィリピン名:Yolanda)がフィリピンを襲いました。今日でちょうど1年になります。
台風Haiyanは瞬間最大風速105m/hの強風と巨大な高潮により死者6300人、不明者1061人、被災者約1600万人、全壊・損壊家屋約114万棟という被害をもたらしました。
台風Haiyanの被害は特に甚大なものとなりましたが、その大きな原因は高潮から住民が逃げ遅れたこと、そして今回の被災地が貧困地域であったことです。困地域の住宅は耐久力が乏しく家屋を失う住民が多く発生しました。フィリピンには年平均約20の台風が通過し、その多くがルソン島などのフィリピン北部地域を通過します。しかし、近年の被害の大きかった台風は貧困地域の多い中部と南部に集中しています。
発災直後に私が調査に入ったセブ島北部やパナイ島北部は住民がヤシ竹の家屋に住んでいます。かろうじて屋根が残っているだけの雨露を凌ぐことも難しい家屋に周辺住民が身を寄せていました。そこで「食べ物も家を直す材料も買うことができない。これからどうすればいいのかわからない。」という言葉を聞きました。また発災直後は道路沿いを通る車にNGOや都市に暮らす住民に支援求める看板や子どもたちが手を伸ばす姿が非常にたくさん見られました。マニラやセブシティのビルがそびえる街並みと比べて同じ国、同じ島とは思えないギャップを感じました。OECDが発表した貧困率を見るとルソン島などのフィリピン北部は貧困率が20%以下あることに対し、フィリピン中部、南部では貧困率30~50%と比較的高い値となっています。Haiyanでもそうであったように、台風は特に貧困地域の家屋や農作物、漁業道具に被害をもたらします。「例え家は再建できても、生計を立てるボートを修理できない。」と被災者が語っているように、ただでさえ生活が苦しい人々が被災者となってしまい、貧困が深刻化してしまいます。
フィリピンの貧困はスペイン植民地時代から続く、北部に住む地主と低賃金で働く小作人という仕組みが現在まで続いていることが大きな理由となっています。コラソン・アキノ大統領の時代にこれまでの仕組みを改善する農地改革が試みられたが失敗に終わったことで住民は貧困解消に失望し、現在では貧困を受け入れるだけの住民も少なくありません。
台風によって貧困や格差が表面化したことで、これを解消する動きが増加しています。多くの支援団体が災害救援と同時に被災地の貧困脱却を課題にあげており、フィリピンで活発に活動するNGOは被災地支援を通して住民の自立支援をより精力的に行っています。
台風から1年が経過した被災地ではガレキは片付けられましたが、家の再建は十分に進んでいません。特に政府の住宅再建支援の遅れは批判されており、タクロバンでは住民からの抗議も起こっています。移転問題もあり、まだ100万人近くの被災者はダメージを受けた家や仮設シェルター、避難所で生活しています。また失われた農作物や漁業道具など被災者の仕事への影響も大きく、被災地の主要産業の一つであるココナッツは生産量が激減し、輸出量が半分ちかくまで落ち込みました。漁業や小売業でも収入が少なくなっており貧困状態で深刻化しています。被災者が「忘れられないか心配」と語るように、復興はまだまだ続いています。
(上野智彦)