月別アーカイブ: 2013年11月

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.21

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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「貧困と災害」
フィリピン中部の島々で猛威を振るった台風Haiyan。28日のフィリピン国家災害対策本部の発表では、死者5560人、行方不明1757人に上っている。年に20ほどの台風が来襲するフィリピンでも、これほどの犠牲者を出したことは少ない。1991年にレイテ島オルモック市を襲った台風に伴う記録的な豪雨が洪水を発生させ、約8000人(正確な数字は不明。5000~6000とも言われる)が命を落とした。だが、この時の台風は決して今回のような大型のものではなく、洪水によって川の中州に住む貧困層の住民が多数亡くなった。これだけの大災害を引き起こした要因は、少数の大資本家によるココナッツやサトウキビなどプランテーション農園のために丘陵地帯の森林を伐採したことによると当時のフィリピンのメディアが報じている。
 今回、スタッフが訪れたセブ島北部の被災地は高級リゾート地もある一方で、貧しい人たちも多く暮らしているという。貧しい人たちが竹や木で自ら作った簡素な家屋は、この台風で跡形もなく吹き飛ばされている。また、そのような人たちの営む農業も収穫前で大きな被害を受けている。仕事を求めてセブの中心部へと出稼ぎに行く交通費さえも捻出できない人もいる。被害の甚大なレイテ島は貧困層が多い地域でで、バランガイ(地区、最小の行政単位)に届いた物資を取りにいく交通費や燃料さえもない被災者も少なくないという報道もある。また、レイテ島では多くの被災者がセブやマニラへと避難しているが、今もレイテ島に残っているのは、それさえできない貧しい人たちである。悲しいことに災害はいつも貧しい人たちを苦しめる。
近年、アジアでも経済成長が著しいフィリピンでは、富が極端に偏り、国民の1割にあたる1000万人以上が仕事を求め、海外に出稼ぎに出ており、人口の4割(約4000万人)が未だ1日2ドル以下で生活している。

(吉椿雅道)

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.20

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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.20
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「フィリピンの学校事情」(第一次先遣隊 現地レポート)
 皆さんが災害時に避難する場所と言えばどこでしょうか。おそらく大半の方は「学校」と答えると思います。日本では最も頑丈に作られている施設の一つです。フィリピンでも住民にとっては重要な避難の場となります。しかし、今回の台風被災地では、ほとんどの学校で非常に大きな被害が見られました。
私たちが訪れたセブ島北部の学校は、強風により屋根は飛ばされ、建物は大きく損壊し、ガレキと化している校舎もありました。一見無事だった建物でも窓枠サッシが捻れ、風の影響とは思えない窓が無くなっているという被害が見られます。フィリピンでは学校の強度基準が設けられておらず、耐久力の弱い校舎が台風で壊れました。
 一方で、学校に避難したくないという声も聞かれた。セブ島北部のタピロンという地域に住むある家族は、財政的な都合で兄弟の内で長男しか小学校へ行かせることができず、教育を受けていないことが恥ずかしいために学校での避難生活はしたくないと言います。教育格差が非常時の避難にまで影響を与えていることは、今後解決していくべき課題であると思います。
 授業が一部再開した地域もあります。しかし、校舎の一部が崩れていたり、避難所として使われたりしているために、まだ完全に再開することは難しく、限られた教室を学年やクラスごとにかわりばんこに使っています。また学校に避難している人たちは、授業の間は外に出ていなければならず、教育の場と生活の場がたいへん不足していることが伺えます。現地日本人のKさんによると、もともとフィリピンには子どもに対して学校の数が少ないそうです。
 
 セブ島北部のマイヤでお話を聞いた家では、子どもが台風の雨により濡れてしまった教科書やノートを乾かしていました。彼に早く学校に行きたいか訪ねると、元気に「Yes!」と答えてくれました。フィリピンでは教室に教科書を置いておくことが多く、そのため学校ごと教科書が吹き飛ばされてしまい、しばらく授業ができなくなってしまったところも多いそうで、早めの対策が必要です。そして災害に対する施設の強度や学校の数、教育格差など多くの問題を抱えていたフィリピンの学校事情を、この災害を契機に見直さなければならないのではと痛感しました。
(上野 智彦)
☆12月3日には報告会をさせていただきますので、ぜひお越し下さい。
→http://philippines2013typ.seesaa.net/article/380863022.html

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.19 (EN follows)

(English follows)フィリピンの台風被災地へのご支援ありがとうございます。
引き続き現地の情報をお伝えします。
☆12月3日には報告会をさせていただきますので、ぜひお越し下さい。
→http://philippines2013typ.seesaa.net/article/380863022.html
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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.19
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「フィリピンのボランティアたち」
Women’s Refugee Commission(WRC)という団体の記事をCODEのボランティアさんが翻訳してくれた。その記事によると、この台風Haiyan後にマニラ空港で食糧を輸送するボランティアを夜通し行っている学生たちが、「悲しい思いが動機となって、助けたいという衝動に駆られて・・・」と語ったという。また、WRCは、「災害や緊急時は、若者たちが新しいスキルを学び、人間として成長する機会を与えてくれる」、「フィリピンで湧きあがった若者の自発的な新しい取り組みを無視しないでほしいと願っている」と語っている。
※翻訳文はCODE World Voiceに掲載
http://codeworldvoice.seesaa.net/article/381195098.html
世界で大規模災害が起きるたびに市民による支援が湧き起こってくるが、フィリピンでもNGOなどの組織を通じたボランティアだけでなく、若者自身がグループを組織したり、個人でボランティアに駆け付けるという動きも起きている。
CODE発足のきっかけになった阪神淡路大震災(1995)でも、中国四川大地震(2008)、ハイチ大地震(2010)、東日本大震災(2011)でも、大きな組織とは別に、被災地に駆け付けたボランティアたちの自由な発想と動きが展開されてきた。
CODEのスタッフも、セブシティーのテレビ局前に集まり、物資の仕分けを行う若いボランティアたちを見て、「登録、管理された感じはなく、自由なボランタリーな感じだった」と語っている。 このようなボランタリーな動きは、フィリピンの相互扶助の精神「バヤニハン」が大きく影響しているのだろう。フィリピンのある研究者によると「何世紀にもわたる災害の経験がフィリピン人の行動様式を規定し、それらの経験が助け合いやボランティアの精神をあらわすバヤニハンの意識を醸成した」と論じている。外部の支援者は、フィリピンの人たちの自発的でボランタリーな動きを十分に生かすことが求められる。
(吉椿雅道)

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Volunteers in Philippines

Volunteers for CODE translated an English article by a group called the Women`s Refugee Commission (WRC) for us into Japanese. According to this article, students who had stayed up all night to send provisions at Manilla Airport after Typhoon Haiyan said they had been “motivated by a sense of sadness and an urge to help.” WRC noted that “[d]isasters and emergencies can provide young people with an opportunity to learn new skills and for personal development,” and concluded that “We hope… the spontaneous youth initiatives that have sprung up in the Philippines following Typhoon Haiyan [will not be ignored].”

※You can see the Japanese translation at CODE World Voice:
http://codeworldvoice.seesaa.net/article/381195098.html
※The original article in English is available here:
http://reliefweb.int/report/philippines/engage-youth-emergency-response-typhoon-haiyan

Every time a large scale natural disaster occurs, support from local citizens wells up, and the Philippines is no exception. In the Philippines, people are volunteering not only through organizations such as NGOS, but young people themselves are forming groups and rushing in to volunteer as individuals.

In the Great Hanshin (Kobe) earthquake of 1995, which brought about the establishment of CODE, the 2008 Sichuan earthquake, the 2010 Haiti earthquake, and the Tohoku earthquake and tsunami in 2011, volunteers who came to disaster areas brought their own free thinking and their own movements, separate from large organizations.

Staff members of CODE also reported after watching the young volunteers they saw gathered in front of a TV station in Cebu City to sort relief goods that “it didn`t feel like volunteer registration was being supervised so much as being a free, voluntary activity.” The spirit of mutual aid in the Philippines, “bayanihan” may be having a big effect on this kind of voluntary movement. According to Greg Bankoff, professor and author of “Cultures of Disaster,” experiencing disasters over generations has affected the behavioral patterns of Filipinos, and these experiences have brought about the “bayanihan” sense of mutual aid and volunteer involvement. Relief workers from the outside must sufficiently take advantage of these kinds of spontaneous, voluntary actions by Filipinos.
(Masamichi Yoshitsubaki)

Translation: A.T
Article in Japanese http://philippines2013typ.seesaa.net/article/381382596.html

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.18

「知られていない広大な被災地」
 フィリピンの台風被災地へのご支援ありがとうございます。本当に多くの方々の助けを借りながら、10日間のフィリピン被災地への派遣を終え、24日に帰国いたしました。
 実際に被災地へ行くと、様々な面において日本で報道されている情報とのギャップを感じます。先のレポートでも紹介されている、略奪などの被災地の治安もその一つです。そして私が何よりギャップを感じたのは、台風による被災地の広さです。
 今回の台風の被災地として主に取りあげられるのはタクロバン市のあるレイテ島や高潮被害が甚大であったサマール島です。しかし実際には、台風の被災地はこの2島だけではなく、フィリピン中部ビサヤ地域の非常に広大な被災地で多くの住民が厳しい状況での生活を強いられています。
 今回私たちが訪れたセブ島、パナイ島でもセブ市、イロイロ市から車で北上するとすぐに倒れたバナナの木や屋根が飛ばされてしまった家が見られました。地図で確認してみると、台風の通った所から約50km以上離れた地域でも甚大な被害が発生していたということがわかりました。このようなあまり周知されていない被災地の中でも、特に町と町の間の集落に住む人たちは、さらに支援の手が届きにくい状況に置かれています。セブ島ダアン・バンタヤンの市街地から少し外れた地域に住むMさんは、「支援が少ない。今日の食べ物に困るわけではないが、十分とは言えない。特にこの地域は支援の車が停まることも少ない。」と述べていました。
 災害を風化させないために忘れないということは、東日本大震災でも取り上げられ、CODEでもシリーズ「災害を忘れない」を発信しています。そして、今回の台風では、日本で報道されているよりももっと広い地域で、もっと多くの人が災害によって大きな被害を受けていることを忘れないで欲しいと思います。
(上野智彦)
☆12月3日には報告会をさせていただきますので、ぜひお越し下さい。(18:00~20:00こうべまちづくり会館)

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.17 (EN follows)

(English follows)
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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.17
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「支え合い~被災地から被災地へ」
2011年の東日本大震災の被災地からもフィリピンの被災地へ支援の動きが起きている。
当団体CODEも1995年の阪神・淡路大震災の際に世界約70カ国からご支援を頂いた事がきっかけで「困った時はお互い様」と被災地KOBEから世界の被災地へと救援活動を行って来た。
東日本大震災では、フィリピンは2週間後に岩手や宮城に食料パック1500個、カップ麺1万2000個、バスタオル1000枚、マット1000枚、防塵マスク5000枚の物資(外務省発表)を支援してくれた。また、宮城県に医師3名を派遣し、こころのケアなどを行った。宮城県石巻市を訪れたアキノ大統領は、市に対して7600万円の義捐金を贈っている。
2011年のデータでは、在日フィリピン人は21万人という。在日外国人としては中国、韓国・朝鮮、ブラジルに次いで4番目に多く、日本各地に住むフィリピン人たちもこの台風災害への支援を開始している。東日本大震災の被災地である岩手、宮城、福島の3県からも「あの時の恩返しがしたい」と様々な動きが起きている。
福島県(県内在住フィリピン人2160人、2011年データ)では、南相馬市の中学生たちが自主的に募金を行い、いわき市では小中学生が救援物資を集めている。また福島市やいわき市のフィリピン人コミュニティの人たちも祖国の大災害に心を痛め、募金活動を行っている。
宮城県(県内在住フィリピン人974人、2011年データ)では、県が200万円の見舞金を贈り、南三陸町では、カップ麺や毛布、カセットコンロなどの物資を独自に送り、気仙沼のフィリピン人コミュニティの人たち、七ヶ浜の仮設住宅の女性たち、みやぎ生協、石巻市雄勝、仙台市などで募金も行われている。
岩手県(県内在住フィリピン人885人、2011年データ)では、県庁に募金箱が設置され、盛岡・マニラ育英会や陸前高田のNPO、大船渡のボランティアグループなどもフィリピン台風災害への募金を呼び掛けている。
未だ復興途上の東北の被災地からフィリピンの被災地へと国を超えた支え合いの輪が着実に広がってきている。災害を通じて世界が確実に近くなってきている。
(吉椿雅道)
☆12月3日には報告会をさせていただきますので、ぜひお越し下さい。
→http://philippines2013typ.seesaa.net/article/380863022.html

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Support Each Other ~From the Disaster Area to the Disaster Area

The disaster area Tohoku where the Great East Japan Earthquake happened in 2011, also have supported the disaster area in Philippines.

CODE has been implementing supportive activities from Kobe to the disaster area in the world under the slogan, “to help one another when one is in difficult time” because Kobe has received supportive activities from 70 countries in the world when the Great Hanshin-Awaji Earthquake in 1995.

Philippines sent 1,500 of instant food packs, 12,000 of instant cup-noodles, 1,000 of towels, 1,000 mats and 5000 of dust masks to Iwate prefecture and Miyagi prefecture where are the disaster area from the earthquake in 2011 (According to the Ministry of Foreign Affairs of Japan). Additionally they sent three doctors to Miyagi prefecture for mental care. The President Aquino donated 76 million yen to Ishimaki city in Miyagi where he has visited.

There are 210,000 Filipino residents living in Japan according to the data in 2011. This is the fourth largest number of residents after the number of Chinese, Korean and Brazilian. Filipinos living in Japan started supporting the typhoon disaster. Iwate, Miyagi and Fukushima prefectures where are the disaster areas from the Great East Japan Earthquake started various supportive activities with the feelings of returning the favor.

In Fukushima prefecture (2,160 Filipinos living in Fukushima as of 2011), junior high school students in Minamisoma city had voluntarily fund-raising and elementary school and junior high school students in Iwaki city also have collected relief goods. People in the Filipino community in Fukushima city and Iwaki city have done fund-raising because they feel distressed at the typhoon disaster in their country.

In Miyagi prefecture (974 Filipinos living in Miyagi as of 2011), the prefecture donated 2 million yen for relief money and Minami-Sanriku cho (cho means a town) offered relief goods such as instant cups noodles, blankets and portable gas stove. And fund-raising activities have been conducted by people in the Filipino community in Kesennuma city, women who live in temporary house in Shichigahama cho, Miyagi co-op, Ogatsu cho (in Ishinomaki city) and Sendai city as well.

In Iwate prefecture (885 Filipinos living in Iwate as of 2011), prefectural government set donation boxes and Morioka-Manila Scholarship Foundation, a NPO in Rikuzentakata city and volunteer groups in Ofunato city appeals people for fund-raising to the typhoon disaster.

Tohoku where reconstruction still has been going on is steadily developing cross-border friendship with Philippines. The world has been surely getting closer through the disaster.
(Masamichi Yoshitsubaki)

Translation: M. K.
Article in Japanese (http://philippines2013typ.seesaa.net/article/381215474.html)

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.16 (EN follows)

(English follows)
フィリピンの台風被災地へのご支援ありがとうございます。
頼政・上野の二人は昨日無事に帰国しました。引き続き、二人が現地で見たこと、聞いたことを中心に、レポートを発信させていただきます。
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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.16
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「フィリピン政府が被災地でマングローブの植林を検討」
フィリピン中部の島々を襲った台風Haiyanによる被害は、フィリピン国家災害対策本部によると、25日時点で死者5235人、行方不明1613人という。報道は少なくなっていく反面、被害の甚大さが徐々に明確になってきた。
本ニュースNo.12でも紹介したが、マングローブが被災地で高潮から住民の命を守ったという話がある。マニラ新聞記者、大矢さんからの情報によると、フィリピンの環境天然資源省がレイテ島やサマール島の被災地でマングローブを防災林として植林整備を検討すると発表したという。被害の甚大だったレイテ島のタクロバン市やドゥラグ町とサマール島のパセイ沿岸部380㎞にマングローブの植林を検討しており、アキノ大統領も「悲劇を繰り返さないような災害に耐えられる町づくりを検討する」という。(マニラ新聞11月21日)
2008年にミャンマーを襲ったサイクロン・ナルギスの際も高潮によって約13万8000人が亡くなった。その後の復興の過程でJICA(国際協力機構)は、ミャンマー森林局と協力し、マングローブの被覆率や村落の死亡率、高潮の高さなどの関連性を調査した。それにより、植生によって死亡率が異なる事が確認され、それに基づいたハザードマップが作成された。JICAは「マングローブがないところは死亡率が高く危ない、マングローブがあるところは死亡率が比較的低く、より安全」だとマップを使って住民に説明し、地域の防災力の強化をはかっているという。
帰国したスタッフの撮った写真を見ているとパナイ島コンセプシオンでも多少のマングローブが見受けられるが、伐採のせいなのか、それほど密集していないようだった。
今後、政府の計画でマングローブが植林されるにしても、住民自身がしっかりと理解をし、自らの手で行うことが望まれる。
(吉椿雅道)

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Philippines Government Considering Planting Mangroves in Disaster Areas

According to the NDRRMC, the damage from Taiphoon Haiyan, which hit many islands in central Philippines, has resulted in 5,235 dead and 1,613 missing as of November 25th. While coverage of this disaster begins to fade from the news, the severity of the damage is becoming gradually more and more clear.

As we wrote in our previous news report, there were reports of mangroves protecting the lives of residents from the storm surge in disaster areas. According to information from Mr. Oya, a journalist from the Daily Manila Shinbun, the Philippines Department of Environment and Natural Resources has announced that it is considering planting and maintaining mangroves in Leyte Island and Samar Island as a forest barrier. The mangrove planting being considered would be in Tacloban and Dulag of Leyte Island, which suffered severe damage, and in 380 kilometers of coastline near Pasay, Samar Island. President Aquino also noted that in order to prevent another tragedy, the government would work to make a community that can withstand disasters. (Daily Manilla Shinbun, November 21st)

Cyclone Nargis, which hit Myanmar in 2008, also caused a storm surge which resulted the death of 13,800 people. During the recovery process, JICA (Japan International Cooperation Agency) in cooperation with the Myanmar Ministry of Forestry, conducted a survey investigating the relationship between factors such as the storm surge height, mangrove forest area, and death rate in villages. The survey confirmed that forest area had an effect on death rate, and a hazard map was created based on these findings. JICA is using this map as a tool to strengthen local disaster preparedness, explaining to residents that places without mangroves are dangerous and had a high death rate, while places with mangroves had a relatively low death rate and are comparatively safe.

Looking at photographs taken by our staff members who have returned from the Philippines, we can see there are some mangroves in Concepcion, Panay Island, but perhaps because of deforestation, they don’t seem to be very densely distributed.

As always, we hope that in the government`s plans to plant mangroves, residents themselves will understand this plan and carry it out themselves.

Translation: A.T
Article in Japanese http://philippines2013typ.seesaa.net/article/381120678.html

 

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.15

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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.15
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 昨日23日は、引き続きばらバランガイArcabolo地区の調査に入りました。
ここでも、今回の台風は今までの中でも最も大きかったという証言を耳にしています。
でも午前8時には避難勧告が出ていて、そのときはまだ雨風が弱かったため避難しなかったという話を聞きました。おそらくそのため、被害を受けた方もおられるのだろうと思われます。この場合の避難勧告は、日本で言う「非難準備情報」と理解でき、むしろ”空振り”でもどんどん早めの非難を促すことが大事ではないかと思います。今年は、日本でも台風被害が多かったが、やはり避難準備情報が的確に出せなかったことも被害を大きくした要因のひとつではないかと思われます。そういう意味では、今後日本・フィリピンが同じスタートラインに立って、減災のための情報共有や研修などを行うことが効果的ではないかと思います。
ARCABOLO地区・破壊された家.jpg
インタビューした方々にまけないぞうを渡す.jpg
 昨日災害保険について、公務員に関わる部分だけをレポートしましたが、もう少し詳細が判りましたので報告します。
この保険は民間保険会社が運営しています(Douganonの子会社であるMercantileが運営)。上限は3000~4000ペソ。保険に入れる条件は4人で連帯保証することだそうです。
いかにもアジアらしい、コミュニティの相互扶助を背景にしている仕組みだと感じます。貧困層に関しては、こうした工夫が必要かもしれません。(こうした仕組みは必ずしもすべて上手くいかないという事例もありますが・・・)
 またイロイロ市では、障害者も積極的に参加した避難訓練もあったそうです。このことについては、帰国してからの報告になりますが、楽しみにしていて下さい。
ちなみに、二人は今晩フィリピン航空408便で帰国します(関空着19:20の予定)。

(村井雅清)

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.14

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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.14
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「被災地では、「バヤニハン」で、早くも自立の動きが・・・」
二人は、これまでもお世話になっているLOOBのスタッフと共にパナイ島北部のKalibo市のバランガイ・ポロクサイ地区に入っています。
 同地区は、107家族300人が住んでおり、台風30号襲来時には避難勧告が出ており、女性や子どもは学校やバランガイホールなどの避難所に避難し、男性は家を守るために残っていたそうです(そのために亡くなった方も多い)。食料はある程度確保できた被災者も見受けられ、むしろ住居再建の建築資材を求める声が増えています。この地域の住居はほとんど”バンブーハウス”で、中間所得層は腰の辺りまではコンクリート仕様で、上は竹を使っています。その竹も柱になる部分は、丈夫ものを使い、壁の部分は若い竹を使うという工夫が見られます。しかし、貧しい家庭は全て竹のバンブーハウスのようです。
 まだまだ緊急時の状況から変わっていないのですが、家の再建にとりかかる被災者も少なくありません。バンブーハウスといえば、インドネシアや中国の被災地でも注目すべき住居がありましたが、フィリピンでもそれらの事例から学ぶことができれば、安価で、地域の資源を活用し、結構災害に強いバンブーハウスが可能かも知れません。
22日バンブーハウス外観.jpg
22日再建中のバンブーハウス.jpg
 またこれまでも紹介したフィリピンの助け合いの文化といえる「バヤニハン」が、再建の過程で活きているようです。
 注目すべきは、この地域では、子どもたちは学校で防災教育も受けており、また大人は災害時の避難方法は理解しており、今回も食料・薬・ラジオ・ライトなどを持って避難した住民が多かったとのことです。
 またバランガイのクラッシ地区は8078人が住む猟師町で、台風30号で2700家屋のうち600家屋が損壊。漁のためのボートはすべてが流され、海に沈んでいるボートを引き上げ、ダメージの少ないボートで漁を再開すると力強く応えてくれた漁師さんもいます。また、ボートを失った漁師は、セブやイロイロに出稼ぎに行き、マニラ近海の漁に参加するケースも少なくない。
 Roxas市に住む高校教師Gさんによると、災害時に適用される公務員専用の災害保険のしくみがあり、平時は給料から天引きで保険料を支払っているとのこと。しかし、こうした保険制度が貧困層まで行き届いているかどうかは確認できていません。
21日船も被害を受けた.jpg
 二人は今日24日帰国します。12月3日に開催する報告会を楽しみにして下さい。

(村井雅清)

■■フィリピン台風被災地支援活動 派遣スタッフ報告会のご案内■■

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■■フィリピン台風被災地支援活動 派遣スタッフ報告会のご案内■■
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当団体は、フィリピン台風「Haiyan」の復興支援活動に向けた調査のため、11月15日から24日までの日程でスタッフを被災地に派遣しております。活動立ち上げ直後より、既に多くの方々に様々な面からご支援いただきましたことを心よりお礼申し上げます。
スタッフの帰国後、被災地の状況や今後の支援の方向性について皆さまに報告させていただく機会を設けました。師走のお忙しいなかとは存じますが、ぜひご参加いただき、引き続き応援いただけますと幸いです。
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【日 時】 12月3日(火) 18:00~20:00
 
【場 所】 こうべまちづくり会館 2階ホール
       地下鉄海岸線「みなと元町駅」西1出口から北へ1分
       神戸高速 「花隈駅」東口から南へ3分
              「西元町」東口から東へ5分
       JR・阪神 「元町駅」西口から西へ8分
       ※地図 http://www.kobe-sumai-machi.or.jp/matisen/4kuukan/kaikan.htm#access
【報告者】 頼政良太、上野智彦(CODEスタッフ)
      「ワカモノヂカラプロジェクト」、
      「神戸市外国語大学ボランティアコーナー」
      ※CODEが連携・協力させていただいている上記2団体からも
       それぞれの活動について簡単にご報告いただきます。
【参加費】 無料
【お申込】 当日参加も可能ですが、CODE事務局宛に
       メール(info@code-jp.org)または電話(078-578-7744)で
       なるべく事前にお申し込みをお願い致します。
      

【フィリピン台風30号】救援ニュース No.13 (EN follows)

(English follows)
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フィリピン台風30号(Haiyan) 救援ニュース No.13
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「コンセプシオンの高潮」
スタッフの頼政と上野がパナイ島に入った。パナイ島4州では、台風HaiyanによってIloio州で111人、Capiz州で54人、Aklan州で12人、Antique州で12人の尊い命が奪われた(UNOCHA 20日時点)。二人は、パナイ島最大都市のイロイロ市でワークキャンプなどの活動をするLOOBというNGOと共に被災地、コンセプシオンへと向かった。
パナイ島でも略奪はない.jpg
▲パナイ島でも略奪はみられない No looting seen in Panay
コンセプシオンは、イロイロ市から北西に車で約3時間走ったところに位置し、人口約3万4000人(約8000世帯)、16の島を有する農業(米、ココナッツ、バナナ)、漁業の町で、近年はエコツーリズムなどの観光にも力を入れている地域である。コンセプシオンも台風による強風や高潮の被害で約7000棟の家屋が倒壊している。海岸沿いの家は高潮で80%が被害を受けているという。
被災した家屋・コンセプション.jpg
▲被災した家(コンセプシオン)Houses affected in Concepcion
再建中のバンブーハウス2.jpg
▲再建中のバンブーハウス Bamboo houses under reconstruction
Loong地区(バランガイ)に住むBさんは、台風の時に避難したが、一度家に戻った時に海を見たら高潮が来るのが見えてあわてて再び避難したという。「満月の後には台風が2つ3つ来る」という言い伝えがあったそうで、今回も満月後の台風だったとBさんは語ったそうだ。
コンセプシオンからボートで20分ほど沖合にあるBotolog島では、300棟の家屋のうち高潮から免れたのは6棟のみで、島にあった400本のココナッツの木で残ったのはわずかに20本であったそうだ。高潮の威力がどのようなものだったかが想像できる。この島から着のみ着のままでコンセプシオンの兄弟のところに避難してきた漁師Gさん(50代男性)は、高潮が来そうだと思って周囲の人に呼びかけて避難したそうだ。島民それぞれが高台にある学校に集まってきた事で、この島では死者や負傷はいなかった。Gさんは、「島に戻って早く漁業を再開したいが、島の海岸には他から流れてきた遺体が打ち上げられていて漁を再開する気にはなれない」と語ったそうだ。この島は全員無事に避難する事できたが、台風が残した傷跡は今も島に痛々しく残っている。
(吉椿雅道)

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Storm Surge in Concepcion, Panay Island
Our two staff, Yorimasa and Ueno, set their feet in Panay Island. Typhoon Haiyan took the precious lives in the four states of Panay; 111 people in Iloilo, 54 in Capiz, 12 in Aklan and 12 in Antique, reported by UNOCHA as of Nov/20. Our two guys left for Concepcion, one of the destructed areas together with NGO LOOB based in Iloilo conducting international work camp.
Concepcion is a farming and fishing town about three hours northwest of Iloilo city by car. It has 16 islands and 34,000 residents in 8,000 family units. They are currently expanding the tourist business. Haiyan also destructed 7000 houses in Concepcion by its strong winds and storm surges. 80% of the houses on the coast were affected by the storm surges.
Mr. B in Loong Barangay (district) says that he once evacuated when the storm came. When he came back to his home, he saw the storm surge hitting so turned back in a hurry to evacuate again. It is said around his area that couple of typhoons always come after full moon and so was it in this time, too, according to him.
At Botolog island, 20 minutes far from Concepcion by boat, only 6 of 300 houses and 20 of 400 coconut trees left after the storm surge, which make us image how huge and powerful the surge was. Mr. G, a fisherman aged 50 years around who evacuated from Botolog to his brother’s house in Concepcion without any belongings said that he was calling out about storm surge coming when he escaped. The residents’ own judgment to escape to the school on a hill avoided them from death so there was fortunately no casualty in Botolog. Mr. G wants to go back to his island and start his fishing business again. However, he is afraid of bodies washed ashore on the beach from other areas. Although all the residents were saved, Haiyan left its wide scar on the island.
(Masamichi Yoshitsubaki)
Translation: Y.M