4月6日~18日に行った「スマトラ沖地震津波 第3次現地派遣」により、タイ・スリランカにおける支援プロジェクトが固まりました。
<支援プロジェクト>
タイ
・防災教育
スリランカ
・防災教育
・幼稚園再建支援
・漁業復興支援
詳細はCODEプロジェクトニュース05年4月号をご覧下さい。
月別アーカイブ: 2005年4月
~農業被害の大きい南アンダマン~ 第4次現地レポートvol.5
【写真】津波によって被害を受けた水田(南アンダマン、4月24日) |
4月26日 インド 南アンダマン
今日はアンダマン諸島の南アンダマン地域を案内してもらった。この地域は農業被害が大きい。しかし、津波が襲い水浸しになった水田が多いと説明を受けてもすぐには理解できない。被災現場に何カ所か停車して説明を聞きながら思い出した。そう言えば、チェンナイからここアンダマンに来る飛行機の上から見えた光景がこれだったのだ。その時は、目に飛び込む田畑がかなりの範囲で水浸しになっていたが、もう4ヶ月も経過しているし、海からの距離もわかりにくいこともあって、津波の被害なのか半信半疑だった。こうして実際に冠水の現場を見て「ヤシの木の向こうに海があり、その水がここの内陸にある水田を襲ったのです」という説明を聞いて、やっと理解できた。なんと、4ヶ月経った今現在も、海の水が道路を越えて田畑の方に流れ込んでいるのです。床下浸水になりながらもそのまま雑貨商を行っている姿や、ニワトリが水から避難する場所を求めて、かろうじて残されたコンクリートブロックの上に乗っかっている光景を見ることができます。
~いきいきと働く女性とその支援~ 第4次現地レポートvol.4
~津波で破壊されたリトル・アンダマン~ 第4次現地レポートvol.3
【写真】地震で被害を受けた建物(リトルアンダマン、4月24日) |
4月24日 インド リトル・アンダマン
<目的地リトル・アンダマンに到着>
いよいよポルトブレアからリトル・アンダマンのHUT BAYに向けて、定刻午前6時半に船は出港した。5時間ほどの船旅でHUT BAYに着いたようだが何か変だ。乗船客は岸壁と反対側のデッキに出ている。つまり海側。みんなについて出てみると、何故か小さな小舟に乗り移っている。「えっ?ひょっとして途中の違う島か?」少し不安になる。実は津波で港が壊れており、船は接岸できるが人は降りられないため、少し離れた、石垣を積んだだけの仮の岸壁につくのだった。
港に着いて、目に飛び込んでくる津波被害は悲惨なものだ。港の破壊や砂浜のヤシの被害を見ると、話しに聞いた高さ20メートルの津波の想像がつくが、穏やかなアンダマンの海を見ていると、ここに突如として20メートルの波の壁が襲ってきたことは全く想像できない。目の当たりにした人にとっては長くトラウマになるだろう。TSUNAMIというものが、どんなものなのか全く知らなかった人びとにとっては、大変な恐怖となる。
~出発して2日、ポルトブレアに到着~ 第4次現地レポートvol.2
【写真】SEEDSスタッフのMs.シバンギに防災教育の説明をする様子(ポルトブレア、4月23日) |
4月23日 インド・ポルトブレア
神戸を出発して2日目で、やっとアンダマン諸島のポルトブレアに来ました。明日早朝6時に船で、さらに南のアンダマン諸島、リトル・アンダマン島のHUT BAYに5時間かけて行きます。
インド南部にあるチェンナイ空港からポルトブレアまでは約2時間半ほどのフライトです。チェンナイ空港でポルトブレア行きの飛行機に乗るため、空港内を移動するバスに乗ると突然私たちに日本語で話しかけてくるインド人がいたのです。「えっ?」とビックリしながらよく聞いてみると、なんと地震工学の研究者で1993年から1996年まで東大で学んでいたとのこと。片山先生や目黒先生の名前が出てきたのでまたビックリ。しかも今年の神戸で開催された国連防災世界会議にも出席していたとのこと。なんでも今回は5人くらいのチームで地震による建物破壊や地盤のダメージについての調査に行くそうです。
~無事、インドに到着しました~ 第4次現地レポートvol.1
すでに出発前報告にて予定は書きましたが、4月21日、村井・斉藤は予定通りインドに到着しました。以下、現地レポートをご報告いたします。
4月22日 インド
2001年のインド・グジャラート地震以降、出会った地元NGO=SEEDSの新しいオフィスを訪ねる。最近引っ越したようで、デリーの少し高級住宅街的な家並みの一角にある3階建てのビルを借りている。なんと今、スタッフは30名に膨れあがっていた。
~スリランカ漁師への求められている援助とは?~ 第3次現地レポートvol.11
【写真】地震・津波で職を失った漁師達(ワライチェナイ、4月16日) |
津波災害で最も被害を受けたのは漁民であることはいうまでもない。漁民は津波が襲ってくる海岸沿いに居を構えていたからだ。ただ、漁師といっても多様な漁方があり、各々によって労働の時間帯も違い、稼ぎも異なるようだ。
稼ぎについての一つのパターンは、エンジン付きの船を所有している人と船を持たない漁師とがチームを組んで漁に出る方法。収穫してきた水揚げに対しては、60:40で分配するらしい。興味を引くのは、こうした船の所有者と船を持たない漁師とが同じ漁業組合に入っているケースがあること。この形式の場合は、20km~40kmくらい沖合に出ての漁になる。今回の津波では、こうして沖合に出ていた漁師は助かっている。沖合の海面は津波による波の変化を受なかったようだ。
~スイランカ東海岸4YMCAの取組み~ 第3次現地レポートvol.10
【お知らせ】スマトラ沖地震津波 第4次現地調査 ~出発前~
CODE海外災害援助市民センターは、理事・事務局長である村井雅清、事務局スタッフ斉藤容子を4月21日~4月28日(予定)までインド派遣を行います。
現地の動きは連絡が入り次第、活動報告としてご報告させていただきますが、出発前の現在で決まっている予定をお知らせ致します。