~津波で破壊されたリトル・アンダマン~ 第4次現地レポートvol.3

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【写真】地震で被害を受けた建物(リトルアンダマン、4月24日)

4月24日 インド リトル・アンダマン
<目的地リトル・アンダマンに到着>
 いよいよポルトブレアからリトル・アンダマンのHUT BAYに向けて、定刻午前6時半に船は出港した。5時間ほどの船旅でHUT BAYに着いたようだが何か変だ。乗船客は岸壁と反対側のデッキに出ている。つまり海側。みんなについて出てみると、何故か小さな小舟に乗り移っている。「えっ?ひょっとして途中の違う島か?」少し不安になる。実は津波で港が壊れており、船は接岸できるが人は降りられないため、少し離れた、石垣を積んだだけの仮の岸壁につくのだった。
港に着いて、目に飛び込んでくる津波被害は悲惨なものだ。港の破壊や砂浜のヤシの被害を見ると、話しに聞いた高さ20メートルの津波の想像がつくが、穏やかなアンダマンの海を見ていると、ここに突如として20メートルの波の壁が襲ってきたことは全く想像できない。目の当たりにした人にとっては長くトラウマになるだろう。TSUNAMIというものが、どんなものなのか全く知らなかった人びとにとっては、大変な恐怖となる。


地方政府は、死者64名と発表しているが、この地にいる日本のNGO=アドラ・ジャパンのスタッフによると港の近くだけで200人は亡くなったはずと言っている。人的被害はスリランカの方が明らかに大きいのだが、海岸の破壊度はここの方が大きいと感じた。決して復旧が遅れているという訳ではない。よく見てみると、家のあったところは、それなりに片づけられ”表札”が建てられている。瓦礫の中に表札が立っているこの光景は、10年前の阪神淡路大震災を思い出す。

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【写真】最低限の伐採で林の中に作られた仮設住宅(リトルアンダマン、4月24日)

<自然にやさしい仮設住宅>
 さて、今は島に2000戸の仮設住宅が建設中である。被災者はそこに入居できるのを待っている。SEEDSが建設しているサイトは林の中だが、そこのエリアの木をすべて伐採して建てるというやり方ではない。木は大切なのでできるだけ伐採しないで木と木の間に手パイプの枠組みをつくっている。アドラ・ジャパンのスタッフ曰く、「仮設はいずれ壊すため、セメントなどは使わず建設することになっている。セメントを使えば、もうそこには木が生えてこないから」とのこと。すばらしい考え方だと教えられる。建設の時期はスリランカに比べるとはるかに遅い感じがする。しかしこれがいつもCODEが主張する「ちまちま復興」の姿ではないだろうか?外部から見ると「ちまちまと何をやっているんだ!」と思われるかも知れないが、被災当事者が納得すればゆっくりでいい。この間に将来の「住まい方」をよく考えて欲しいと願う。ただ、気候はどうすることもできない。5月から10月くらいまでのモンスーン期に間に合うように仮設住宅を建てなければならないようだ。
SEEDSはさすがにグジャラート地震を経験しているだけに工夫をしている。SEEDSが受け持っている約300戸の仮設建設には、できるだけ被災当事者が関わっている。グジャラート地震のあとにできた大工さんと石工さんの協会から25名の専門家が来ているが、被災者は彼らの指導で動いている。インドでは当たり前の光景かも知れないが鮮やかなサリーを纏った女性たちが、土を掘り、各々の家に運んでいる。男性は鉄パイプを切ったり、溶接をしたりし、また別の男性はトタン板と木材との組み合わせでドアをつくっている。分業がなされているようだ。今年中には恒久住宅の建設も始まるだろうが、あわてずにじっくり考えて欲しい。住まいも大事だが、仕事の確保も急がれる。現在も行われているが、仮設建設期、恒久住宅建設期などで発生するしごとを「CASH FOR WORK」のようにつなげればとりあえずの稼ぎにはなる。建設に関わることだけではなく、「暮らし」が始まろうとすると他にもスモールビジネスが生まれやすくなるだろう。是非、中長期的な視野で復興を考えて欲しいと願う。
<現地で活動する日本NGO>
 日本のNGOが頑張っている。ジャパンプラットフォームのミッションでアドラ・ジャパンが活動をしている。今回アドラ・ジャパンは、いち早くニコバル諸島に入ったアドラ・インディアからの情報を得て、12月30日にリトル・アンダマンのHUT BAYに最初に入ったそうです。今は日本人スタッフの女性が一人おり、仮設住宅建設のためのコーディネーターとして活動しています。またプロジェクトリーダーとして現地スタッフを雇用し、事務所も構えて活動を展開している。彼女が2ヶ月前にここに調査で来た時は、テント持参で何もわからず宿泊先も決まらず、とにかく来たという状況だったようです。
津波に襲われる前のHUT BAYの目抜き通りは賑やかなバザールだったらしい。今日、日中車で被災地を見て回ったがそんな面影はない。今、彼女が最も苦労するところが、仮設建設のための資材が途中で足りなくなった時に、5時間かけて船でポルトブレアまで行かなくてはならないこと。ここアンダマン諸島の中心地がポルトブレアであることから、SEEDSもそうだがポルトブレアにも事務所を置かなければ仕事にならないようだ。アドラのように世界的にネットワークを持ち、実績の高いNGOがこういう時にリーダー的存在であることは被災地にとっては心強いだろう。

理事・事務局長 村井雅清 

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