中国四川省地震救援ニュース 79

Yさんと最初からずっと一緒に活動してきたHさんが感想文を寄せてくれました。Yさんはこれを読んで泣いたそうです。
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私は今までなんとなく生きてきた
世の中の出来事は特に興味がなく
すべて人ごとで、すぐに忘れていく
自分の暮らしでイッパイいっぱいだった
5.12四川文川大地震が起きたとき 私は中国を旅行していた
地震関連のニュースがテレビを埋め
犠牲者は増え続け、瓦礫の下にはまだ人が埋まっていた
懸命に続く救助活動、地震のことで頭がいっぱいになった
自分の中で今まで人ごとのように見ていたそれが 目の前にあった
やっとこさ完済した借金、やっとこさえた自分の時間
日々の生活に追われて生きてきた今までは、そんなこと考えもしなかった
自分の目で見ようと思い 自分の手で何かをやりたくなった
成都行きのチケットを買った
着いたのはいいがよく考えてみると何をしていいのかさっぱり分からない
自分にいったい何ができるのだろう
自分は何の特技も、知識もなく右も左も分からない
目指す場所は決めていたが、浅はかだと思った
しかしそこでYさんと出会うことができた
彼らの邪魔にはなりたくなっかったが、何でもよかった何か手伝わせてほしかった
Yさんは快く受け入れてくれ、何も知らない自分に
一から十まで分かりやすく説明してくれた
それからはあっとゆうまに過ぎていった
最初村の人の視線は少し冷たくよそ者を見る目だった
どこから手をつければいいのか分からないほどやる事は山ほどあった
それは村人も一緒だった どの家もほぼ手付かずであきらめているように見えた
それでも遠慮なのか、手伝わなくていいという村人を背に
Yさんの掛け声とともに私の村での2ヶ月が始まった
少しづつほんま少しづつだが村の復旧が進んでいく
村人は活気を取り戻し、私たちとの距離は狭まっていくような気がした
国籍、老若男女、被災者と支援者、皆で汗を流し、飯を食い、笑うた
地震があったのを忘れるくらいただ楽しかった
しかし、日が沈む頃私たちは来た道を帰り、村人は倒壊した家に戻っていく
村人の笑顔やあたたかさの中で大事なことを忘れかけた時
被災者によりそい彼らの痛みを受け止めようとするYさんがいた
終わりの見えない作業、暑さと疲労で
自分に甘えそうになった時
いつも横には必死にがれきと向き合う仲間がいた
服は塩吹き泥まみれで
しゃべるのも嫌なぐらいヨレて歩く帰り道
村人は声を掛けてくる、あなたたちお疲れ様、ありがとう、と
負けじと俺も言ってやる、あなたたちこそお疲れさま
最後の日時間をもらい村を見て回った
どの家にも言葉にならないぐらいの思い入れがあり
そこで高く積まれたレンガのようにコツコツと積み重ねた物があった
それは信頼であり、ちょっとパクらせてもらうと絆のような物だと思う
誰かの力になりたいと被災地にやってきた自分だが
振り返ると私はずっと支えられていた
それは仲間であり村の人たちであり支援者の人たちだ
最後にとびっきりのありがとうをもらった
こんな自分でも誰かの支えになれていたのだと教えてくれた
うれしかった、うれしゅうて、少し照れくそうて、涙が止まらんかった
今回の悲惨な大地震、私は忘れません
そしてこれから少しでも応援させてもらいたいと思います
皆さんほんまにありがとうございました