中国四川省地震救援ニュース 62

今回の地震では若者のボランティアが大活躍しています。以下、CODE翻
訳ボランティアさんが訳してくれた”「官制」ボランティアが作る中国版ボラ
ンティア元年の模様”です。少々長いですが、全文をお届けします。
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≪中国80年代生まれの青年ボランティア、偏見に挑戦≫
地震で傷ついた母親の世話をするか、それとも一人のボランティアとして
被災地へ赴くか?この2つの難しい選択に面した時、25歳の劉懿さんは
後者を選んだ。
目下の者が目上の者に尽くす事、この基本的な要求が満足に出来ない
若者たちは常々社会各界から非難を招いている。
劉懿さんはこの選択をする時非常に悩んだ。劉さんは言う。
「家の中には母の面倒を見る人がいる。また女友達も助けてくれる。」
劉懿さんは2006年重慶交通大学を卒業、現在は重慶道路局で仕事をし
ている。彼が被災地へ行く目的は被災者に対し実際に意義のあることを
したいということだ。
劉さんの家は四川省成都北の広漢市にある。家の中の家具、家電は5月
12日wen(さんずいに文)川地震で損壊した。
劉さんの母親は地震で怪我をし、のちに重慶の身内の世話をうけた。
母親が重慶に到着した当日、劉さんは重慶道路の緊急補修チームで被
災地の什ほう市紅白鎮に向かうところだった。
学校では橋梁を専門に学んだ為、劉さんは救援支援チームのなかで後
方支援組に配属された。彼の主な仕事は施工会社が監督する再建工事
の安全問題の手助けや、救援現場の写真撮影や工事の過程を撮るビデ
オ撮影の記録の協力である。
この若者は言う。被災地での救援の経験は彼のさまざまな物の見方を変
えた。学校で学ぶことのできない多くのことを学ぶことができたと。
「私たちはいままでずっと父母と教師に頼ってきたが、地震経験以後、困
難は必ず自分自身で対応しなければならないと意識するようになった。」
地震後、数千名の若者がすぐに被災地へ向かった。彼らは単身で、また
は自主的に救援グループに加わっている。彼らの大多数は1980年以降
の出生で、中国開放政策の成果が見られる年代である。
この年代の人たちは常々「80年代以降」と呼ばれ、大多数の人が「甘や
かされて育った」世代とみている。
この世代は出生以後から中国経済の成長があった。物質的な生活に恵
まれた「80年代以降」は常に自分勝手で、拝金主義、同情心に欠けるな
どと言われ、同時に他人を思いやることが少ないうえに、一人で物事を処
理することの出来ない世代と考えられている。
2008年年初から中国は自然災害やさまざまな事で挑戦を受けることに
なった。「80年代以降」はこの期間の際立った活躍で社会の関心を得、
また彼らの行動はこの年代に対する社会の偏見を変えることとなった。
メディアには「理性的」などの誉め言葉が表れ始めた。
年初の南方雪災、北京オリンピック聖火リレー、四川8級地震、毎回、中
国に対する試練は「80年代以降」に対する試練でもある。しかし毎回、年
若い「80年代以降」は、皆元気はつらつとした姿と責任感ある態度が目
立っている。
毎回国家が危機にさらされる度、若者の愛国心が噴き出した。テレビの
画面に写る愛国活動の人々の群れの中に我々は毎回若者の顔を見るこ
とが出来た。
2008年春節前夜、南方氷雪災害により南方の多くの省で水電供給が中
断された。交通も寸断され、帰途にあった数百万の旅客は駅やバスター
ミナル、交通幹線で封じ込められた。
交通渋滞を緩めるため、南方の被災した省の各大学に在籍する地方の
学生は政府の呼びかけに応じ、学校内で中国人がもっとも大切とする祭
日、「春節」を過ごした。
中国南部の広東省広州市、若いボランティアは目立つ標識を掲げて、動
けなくなった旅客のために水を配った。
北京オリンピック聖火リレー中ではロンドン、パリ、サンフランシスコなど
いたるところで中国人留学生の姿が見られた。彼らは平和集会を行い、
中国の国旗とオリンピックの旗を振り、情熱をこめて聖火ランナーに声援
を送った。オリンピックの阻止を図る「チベット独立分子」との争いの中、中
国の若い留学生たちは要となり立ち上がったのだ。
6月10日に開幕された中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、共
青団の陸主席は語った。「今年以来、北京オリンピック聖火リレー中に多
くの若者、海外留学生の強烈な愛国精神が奮い起こされた。また、国家
の利益と民族の尊厳を保つ自覚が固められた。」
ラサ「3.14」暴力事件後、数百万の中国の若者はMSNなどでチャットを
するときネット上の名前の前に忠実な心の表れに「China(中国)」の文字
を加え、祖国に対する支持と擁護を表した。
このような表れは5月12日のwen(さんずいに文)川地震後、「心と心のつ
ながり(心連心)」の虹へと変化した。「80年代以後」の新世代の若者達
は地震災害救済の中、あでやかな虹を描き続けている。
四川地震発生の2日目、北京の多くの大学で献血が行われた。
被災地で怪我をした人たちのために大学生の呼びかけで始まったのだ。
清華大学の学生寮の事務所前には100メートルにもなる献血者の列が続
いた。
同時に、さらに多くの若者が自ら被災地救済の隊列に加わった。近隣の
四川重慶、貴州等では多くの若者達が自費で購入した救援物資を車に
載せ、被災地の県や市へ向けて昼夜問わず走らせた。被災地についた
後、彼らは物資を下ろし、すぐに戻っていく。利益や損得を気にせず、名を
残す事や誉め言葉を求めない。
1980年代以降生まれの青年、特に青年士官は救済活動中、最も活力が
あり最も意欲がある若者達だ。中国人民解放軍の若い士官と各地の武
装警察は一貫してさまざまな救済活動の最前線で目覚ましい活躍をして
いる。
地震被災地区である四川省什ほう市の14歳の中学生、鄭小鵬君は地震
救済の中で彼が最も感謝した人は解放軍とボランティアのおじさんだった
と話す。鄭小鵬君は地震で生命の危険を顧みず、アンモニア溶液漏れ情
報を30数人の地元住民たちに告げると言う困難な役目を果たし、みんな
を連れて危険な状態を脱した。
6月10日、中国共産主義青年団第16回全国代表大会で、彼は会議の上
で発言した6名の少年先鋒隊の一人となった。
「地震の時、解放軍のおじさんが暴雨の中連夜救助してくれて携帯食品
を与えてくれた。またボランティアの青年が僕達にテントや衣服、布団を
与えてくれたんです。」彼は会議の1500名に対して語った。
「ボランティアはすでに中国青年の一種の生活様式になった。」中国ボラ
ンティア協会副秘書長は言う。
昨年4月、北京市教育職員委員会と中国教育報が発布した「80年代以
降」の大学生の研究報告書によると、82.1%の学生が愛国精神的行動と
は国家の発展と未来の運命への関心をもつことであると考えている。
ここ数年、中国の若者はいまだかってなかったほとばしる感情をボラン
ティア活動に注いでいる。
2003年8月、その年度の1万人以上の大学卒業生が「大学生ボランティ
ア西部計画」旗印の下に集まり、中国西部の未発達地区の現場で1、2
年の期間でボランティアを展開した。
政府のデータは同時に、この5年で全国ですでに7万人以上の大学卒業
生が西部のボランティア活動に参加したと示している。
6月11日の人民日報の報道では、環境保護領域では延べ3.5億人以上
の青少年が生態と調和を促進する「母なる川を守る活動」に参加し、生態
保護模範工事の建設は239.3万ヘクタールにもなった。
北京オリンピック委員会の公表では、北京オリンピック、パラリンピックの
為のボランティア志願者が全国で百万人を越し、その多くが若者たちであ
ることを知らせている。
2002年から中国人ボランティアは国を出て、世界に向かっている。300名
近い中国青年達がラオス、ミャンマー、エチオピア、ギアナなど発展途上
の国でボランティア活動をしている。
「現在中国のボランティア活動をしている人数はすでに2.68億人になり、
ボランティア登録をしている人数は2511万人にもなります。」中国ボラン
ティア協会秘書長は語った。
武漢大学哲学科、膨富春教授は言う。
「80年代以降」は情熱を持って理性的な方法で彼らの愛国主義精神を表
現した。「80年代以降」の青年は中国の希望に満ちた世代である。
新華網 6月11日 21:48