ネパール地震救援ニュース No.14
吉椿と上野は本日もMさんや現地NGOメンバーと共に現地調査に入っています。
現地NGOはもともと教育支援を行っていたNGOです。貧しい家庭の子どもたちへの就学支援やスキルアップのための講座、一度ドロップアウトしてしまった子どもたちのサポートなどを行っています。今回の震災では、長期的支援として学校再建や耐震のモデルハウス建設などを行いたいということを話しています。
ヌワコット(Nuwakot)郡BattarのBanndada村 カトマンズから山道を約3時間。ヌワコット郡に入ったあたりから幹線道路沿いに倒壊している家屋が目立ち始めました。中には日本家屋のような木造のものも見かけました。Battarという町の幹線道路から車の入れない山道を約30分のアップダウンの軽登山の末、松林を上り詰めた山頂(尾根筋)にBanndada村はありました。この村の人口は約240人、45世帯です。この村のあたりはほとんどが赤土で、その赤土で作った日干し煉瓦を積み上げた家々がほとんど倒壊していました。煉瓦を積み上げ、細い木材を梁のように渡しただけの簡素な家屋です。Mさんや現地NGOの地元のメンバーは、「この村のほとんどは農民で、本当に貧しくてこんな家しか建てることができない」と言っていました。村人も「作ったトウモロコシは自分たちの自給用で現金収入はほとんどない」と言っていました。まけないぞうを渡して、東日本や阪神の話をすると皆深くうなずいていました。
ヌワコット郡BattarのArchale村
Battarの町から山道の悪路をひたすら車で約20分上った先にこの村はありました。 この村の人口は、約300人、60世帯で、高低差の激しい山の集落です。斜面に猫の額のようなテラス(棚田)を作り、そこでトウモロコシを作っています。「トウモロコシは作っても、安く買いたたかれて大した収入にもならない」とのことです。この村には現金収入を得る手段がないので皆出稼ぎ行っていて、地震後それが顕著になったそうです。住民の中にはすでに竹やトタンを使って仮設の小屋を建設している人もいました。この村や途中の村の多くの住宅は2階建てで、は、石と泥を混ぜた壁と木の梁でできており、四隅に柱が入っていないものが多く、二階部分が崩落しているものが多いようです。でも中には壁が抜けているだけで、しっかりと建っている家の少なくなかったです。考えてみれば、地震の揺れを壁が抜けることで力を分散させた伝統構法の考えかたですね。