ハイチ地震レポートNo.32

レポートNo.30で地震後1ヶ月の様子をお伝えしましたが、クワテモックさんよりその詳細が届きましたのでご紹介します。
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2月12日のメールでお伝えした通り、地震から1ヶ月の追悼記念日を迎えました。政府は金曜、土曜、日曜と3日間を国家敵な追悼の日としました。
従って午前中、私はプチ・リビエラ(Petit Riviere)と呼ばれるコミュニティにモバイルクリニックを設置しに行きました。数メートル離れた場所で治療が行われている間、地域の人達は地元の教会(教会の残骸というべきか)に集まり、祈ったり賛美歌を歌ったりしていました。どこに行っても皆同じようにしている様はとても感動的でした。早朝6時に、隣の養護施設の修道女が歌い始めました。近隣のキャンプでも歌が始まりました。どこも感動的な雰囲気で、人々は祈り、愛する人を偲んで泣き、歌い、互いに支え合っていました。何か信じられないような気持ちになり、たいへん興奮しました。
午後にはコロンビア赤十字にいる私の友人が訪ねてきて、子ども達に物資を届けてくれました。そこで私は彼らを町にある3つの孤児院に案内しました。最初の孤児院では、子ども達は笑顔で迎えてくれました。次の孤児院に行くと、子ども達は中庭に集まっており、自分たちの体験を語り合ったり、歌ったり遊んだりするセッションを行っていました。車椅子に乗った6歳の女の子が前に出てくると、皆素晴らしい歌を歌い始めました。その女の子が生き続けるのを励ます歌なのです。なんて感動的なのでしょう!
最後に3つめの孤児院に行きました。ここは女の子の孤児院です。私たちが積み荷を下ろしていると、突然、女の子達が全員、フランス語で美しい歌を歌い始めました。歌はこんな意味のようです。「ありがとう、ありがとう、私たちを支援してくれてありがとう。太陽の光で私たちを照らしてくれてありがとう。生きる希望を取り戻させてくれてありがとう。暮らしに喜びをもたらしてくれてありがとう……」言い表せないほど心を揺さぶる光景で、コロンビア赤十字の友達も、私も涙が止まりませんでした。
胸がいっぱいになったまま、私はキャンプに戻りました。本当に特別な日でした。言葉でこの感情を全て表すことは難しいですが、挑戦しています。
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(写真上:左から2人目がクワテモックさん)



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ハイチ地震レポートNo.31

通信事情が悪い中、クワテモックさんからレポートが届いています。今までの内容と重なるところもありますが、ご了承下さい。
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 以前にあなたにお伝えしたとおり、ハイチにきている援助のほとんどはポルトープランスで止まってしまって、他の地域にはほとんど助けが来ていないので、私はレオガンの地域を選びました。それに加えて、ここは地震の震源地の地域です。ここでは80から90%が破壊されています。それに、レオガンの周りには、いくつもの農村地域や、半農村地域があります。これらの地域では救援活動はもっと少なくて、わずかな援助しか届いていません。現在までに、何団体かの大小のNGOがやっとこの地域に到達しました。これはよいことです。
前にも伝えましたが、私はAyuda a Haiti(ハイチへの支援)と呼ばれているキャンプに拠を構えています。このキャンプは、ドミニカのNGOのネットワークによって設立されました。彼らは地震の2日後から治療を行っています。これは彼らが(ハイチの)一番近い隣国であり、ハイチと島を分けているからです。なので彼らは、空港がアメリカに占領されていても、陸路で一番に到着することができたのです。私は、救援活動に来た他の大勢の大勢の人々と同じように、ドミニカ共和国を通してハイチに入りました。
これまでに、私たちは12のコミュニティの中で働いてきていて、1万人以上の人に到達しています。私はレオガンの周辺のコミュニティで連日のように活動しています。私の存在はここではとてもとても大きな助けになっています。なぜならば、キャンプを運営している人々は、全ての人が善意で来ていて、懸命に手助けをしようと来ているのですが、過去に救援活動に携わった経験を持たない人々だからです。キャンプのリーダーは、Rafael Tavaresと呼ばれている、熱血ドミニカ人です。私がここに到着した時には、彼らは崩壊した病院の現場で、診察を行っているところでした。そして、私はコミュニティと連絡を取り始め、キャンプ外での活動が始まりました。OCHAでの会議で、私たちの活動を報告したとき、他のチームもこの種類の活動を始めました。それはすばらしいことです。私たちは人々が歩みを進めるのを後押ししています。
また、これまでに私たちは地元のコミュニティ及び団体と強い結びつきができています。孤児院3件、高齢者と障がい者の養護施設1件とも密接に活動しています。つまり、私はもっとも弱く傷つきやすい人々―子ども、お年寄り、障がい者―の支援を試みているのです!私は一人一人を結び付ける「連絡役」として活動してきました。言い換えれば、他の人を必要としている人々と、彼らを助けることのできる人々とをつないでいるのです。
 この地における問題は圧倒的で、全てを解決することはできません。だから対象地域を選ばなくてはなりませんし、そこでさえ、人々が直面している最も重要なニーズのいくつかを解決すること、あるいは解決しようと試みることしかできません。レオガン周辺の農村地域、半農村においても、破壊は都市部と同様に重大です。しかし住宅は隣接しておらず散在しているため、一見して被害を理解することは容易ではありません。歩きまわって人々に話を聞けば、いかに被害が深刻かわかります。住民は通常の生活に戻ろうと試みていますが、多くの場所では水道が壊れていたり、畑で育てるための種を失ってしまったり、家を含め全てを失くしてしまっているのです。
レオガン地域に残された唯一の医療機関は私たちが活動していた病院です。しかしこの病院も、カトリックのシスターによって運営されているとは言え「私立機関」です。診療報酬は労働者の平均的な月給のと同等です。それゆえ、ほどんどの人は病院に行けるだけのお金がありません。病気になったり何かしらの治療が必要な場合は、首都ポルトープランスまで行かなくてはなりません。だから、もしレオガンに公立病院がなければ、コミュニティには医療機関が無いということなのです。必要な場合には、コミュニティの人々はポルトープランスまで行かなくてはならないということです。
                 クワテモック
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ハイチ地震レポートNo.29

レポート28号で、最新のクワテモックからの現地レポートをお伝えしました。彼が訪ねたLa Plaineという街は、Chachaさんの故郷だったのです。ハイチに入る直前に「可能なら尋ねて来て欲しい」とお願いしていたのです。ハイチに入ってから超多忙な毎日のようだが、忘れずにきちんと果たしてくれました。もちろんChachaさんにとっては、郷里に帰られご自分の目で見なければ・・・、というところでしょう。街そのものの被害は首都ポルトー・プランスやクワテモックが活動するレオガンの被害とは格差があるようですが、Chachaさんの姉と弟が亡くなっていますので、より胸中は複雑かもしれません。
お連れ合いの智子さんからお礼のメールが届きましたので、以下に紹介します。
「クワテモックさんからのメールを拝見しました。お忙しく活動中にもかかわらず、多くのラジオ局に足を運んでいただき、また夫Chachaの故郷にも訪れてくれたと聴いて、そのあふれる使命感に感動しています。Chachaの故郷は、被害がひどくないということで、比較的落ち着いているのだろうと安心しました。後は夫が現場に行って、いろんな意味での再建の可能性を探ってくると思います。
余談ですが・・・
以前、ハイチの首都で突然学校の建物が倒壊し、子供たちが亡くなったことがありました。建築現場を見ていると、この建て方で大丈夫なのかな・・・と素人の私でも感じてしまうことも多々あり、仰るように、再建するときには建築方法の確認も必要は不可欠だと思います。
以前、首都の主要通りデルマDelmaに住んでいたときに、ブロックを積み上げただけのような家々(これは庶民の家です。)を見ました。この家々の中に、みなひしめき合うように生きています。日本だからできる、日本にしかできないという視点での支援法があると思います。それは村井さんの仰るとおり「知恵」です。ハイチ人のためにその能力を生かせる真のエリート日本人たちを活用してもらいたいです。
(中略)ハイチという国を、その位置や国益だけにとらわれず、応援していただければ幸いです。」
皆さん、いましばらくハイチを見守って下さい。
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ハイチ地震レポートNo.28

本レポート27号を読んで、これまで数々の賞を受賞された神戸在住の一級建築士Kさんから賛同のメッセージを頂きましたので紹介させて頂きます。
「ご指摘の通りだと思います。台湾地震、イラン地震、四川地震、そしてハイチ地震、いずれも鉛直加重だけを考慮した構造で、地震という水平力に対しては、全く考えられていません。このことは、地震の経験がないヨーロッパでも、石や日干しレンガによる組積造が多く、近代の鉄筋コンクリート建造物も、日本の半分ほどの細い柱と梁でできています。オランダ・アムステルダムでは、湿地帯のためか至る所で傾いたマンション等がそのまま使われています。人の命は勿論のこと、多くの歴史的建造物や世界遺産も地震が来れば一発でアウトです。「国と地域によって建物の様式は違っても」、人命尊重は如何なる国にも共通する最優先課題で、次いで歴史的遺産も、その国々の宝であるだけでなく、世界人類の宝でもあります。」というものでした。
関連して11日の新聞に紹介された「読者欄」には、以下のような興味深い投書が寄せられていましたので続けて紹介させて頂きます。
「今回被災を受けたハイチの住宅を見ると、日本に豊富にある間伐材をハイチに送り、耐震性をしっかり考慮した簡易住宅をつくればよいのでは?」というものでした。
もちろんハイチの気候・風土などを考慮しなければなりませんが、日本の山間部は国土の70%を占めており、山林の整備が深刻な課題であることを考えると、とりあえず製材せずに丸太のままで送っても十分使い方道のあるアイデアではないかと思いますが、皆さん、いかがでしょうか?(直後に決断していれば、船で運んでもそろそろ着くかも・・・)
ところでメールが途絶えていたクワテモックからも近況報告が来ましたので紹介します。
「親愛なるCODEのみなさまへ
もっと頻繁に連絡が取れなくてすみません。ご存じのとおり、ここではまだ電気がなく、インターネットへのアクセスが非常に非常に難しいのです。
私はCODEからのメッセージと日本の人々からのメッセージを放送するために、何度かラジオ局に行ってきました。ラジオCaraibe、ラジオCool、ラジオBelval、ラジオAmicaleに行きました。近いうちに、もう何件か訪問するつもりです。
私はまた、La Plaineにも行きました。Croix des BouquetsとBon Reposも訪ねました。これらの場所は、ポルトープランスに比べると被害は非常に少なく、おそらく15%が破壊されているでしょう。私は写真を沢山とりましたが、インターネットへのアクセスの問題のせいで、あなたにそれらを送れていません。できるだけ早く送れるようにします。
私はここレオガンの仮設テントで、沢山手助けをしています。私はここの人々と、違ったプロジェクトについて議論を始めていて、今後のメールであなたにそのコメントを送れると思います。ここでの仕事は圧倒的で、私は毎朝6時に起きて真夜中まで動き続けています。私は元気で、あなたもそうであることを祈っています。
それではまた」
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ハイチ地震レポートNo.27

 ハイチ地震が発生してから、まもなく1ヶ月になる。ハイチの被災者に感動のメッセージを送って下さった大阪在住のハイチ人Chachaさんは、今月末一度ハイチに帰国されるようだ。新聞報道によると、Chachaさんの弟さんが瓦礫の下敷きとなり、お母さんの腕の中で息を引き取り、お姉さんも職場で亡くなった。残された家族は路上生活を余儀なくされている。
 一方新聞報道によると、8日倒壊家屋の下から28歳の男性が救出され、奇跡の生還を果たした。人間の生命力は凄い!
 しかし、倒壊しても隙間があればこうして助かる可能性が大となることは明白だ。記憶に間違いなければ、日本の建築基準法で1951年の改正時、「建物には粘りが必要!」と認識されたことを思い出す。それから44年後の阪神・淡路大震災で20万棟以上の建物が全半壊した。私たちは、いつまでこうした悲劇を繰り返すのだろうか?
 ところで、災害や紛争の被災者の生命と尊厳を維持する上で基本的に必要とされるものに関して規定している「スフィア・プロジェクト」というものが世界赤十字連盟・赤新月社連盟によって作られている。これには建物の構造については触れられていない。いよいよ建物の構造に関する取り決めもあっていいのではないだろうか?国と地域によって建物の様式は違っても、人類の叡智によって何らかの解決方法があるはずだ。
 テレビやインターネットなどでハイチの被災地の映像を見ると、9割近くの建物が壊れているが、その中にポツリポツリと壊れずに残っている建物もある。2003年のイラン地震でも、現地でそのような光景を見たが、壊れないようにするにはそれほどお金もかからないし、難しくもない。一日1ドル以下の生活をしている人たちが国民の半数以上という数字が表すように貧困の極にあっても、決して不可能ではない。必要なのは「智恵」だ!
 日本は災害大国として知られるだけに、そうした智恵の宝庫でもある。いまこそ、これまで培ってきた防災や減災の智恵を、ハイチに役立てるべきではないか?
 いうまでもなく、私たちは15年前に「人のいのちは尊い」ことを胸に刻んだはずだ。
*スフィア・プロジェクト:緊急人道支援の現場で活動するNGOが最低限守らなければならない指標であり、人道憲章をその拠り所としています。具体的には人道憲章と緊急人道支援の主要分野である給水と衛生、栄養、食糧、シェルター、健康に関する最低基準を保障しようというものです。

ハイチ地震レポートNo.26

 ハイチのベルリーブ首相は、この度のハイチ地震による死者が21万人を超えたと発表しました。2004年のスマトラ沖地震津波災害では全部で13カ国に被害が及ぼし、22万人を超える死者となりましたが、ハイチのように1国で21万人を超える死者を数えるというのは、残念ながら過去最高の被害となってしまいました。
 映像を見る限りでは、阪神・淡路大震災と同様、倒壊した建物の下敷きになって亡くなったケースが圧倒的だろうということは、容易に想像できます。
 世界でも最貧国と言われてきた国なので、地震を想定しての耐震などほとんど考えていなかったのかも知れない。でも、「建物の耐震化」というのは、これだけの多くの犠牲を払って得た大切な教訓なので、ハイチ政府には是非復旧過程では耐震を必須条件とするくらいの住宅再建計画を打ち出して欲しいと強く提案したい。日本の専門家が安価な方法で「ローコスト耐震工法」というものも提案されているので、是非この機会に国連がこういう工法を採用して、無条件に近いほどの支援をして欲しい。また、南米コロンビアには、小口融資を伴って、低所得者向けの住宅建設を手伝うNGO(セル・ビビエンダ)もあるので、そうした経験を導入してハイチに技術移転を積極的に検討して欲しい。日本がハイチに貢献できることは、山ほどあることを現政権は気づいて欲しいものです。
 過去の資料を繰っていると、2009年4月に出された「ISDR国際防災戦略会議」からのトピックスに「素晴らしいカリブ人」という小見出しがあった。内容は、「国連ISDRは、2009年4月3日にカリブ海沿岸諸国と連携して開かれた災害リスク削減に関する特別委員会の第7回技術会合に参加した」というものです。この関連を調べようと思い検索すると、(手前味噌で恐縮ですが)なんと”CODE World Voice”の「長期的視点でのハイチ再建」という情報が出てきました。UNISDRの情報だから当然なのかも知れません。で、1月22日のUNISDRからの情報は、「UNISDRは、ハイチを災害に強い国へと変えていこうという活動を行う予定としている。減災への取り組みは、2005年に日本で行われた兵庫行動計画などのようにすでに国際的に行われている。」という内容です。
(詳しくは”CODE World Voice”を)
 先述の兵庫行動枠組みが採択されたのも、このKOBEの地で2005年に国連防災世界会議が開かれたからであり、そういう意味でもハイチ地震と日本およびこのKOBEの地との関連は大変意義深いものがあると言えます。一日も早い復興を願うものです。
以下は、23号から紹介しているニュース(THE JAPAN TIMES/Michelle Faulポルトープランス AP)の続きである。
-USAID(米国国際開発庁)の指導の下、外国政府は独自の事業を創設し、ハイチ政府の腐敗を避けるため、国際援助をNGOを通して実施することにした。そしてハイチでは、1万以上のそうしたNGOが少なくとも1970年代から活動をしているが、成果は少ししか出ていない、とVirginia大学のRobert Fatton Jr.(『ハイチの終わらない民主主義への移行』の著者)は言う。国際社会は、その資源をNGOに注ぎ込む代わりに、優先順位を変えて、ハイチ人による永続的な国家組織の創設を援助することに集中しなければならない、とFattonは言った。
 TexasのFassは、彼が考える解決法、つまり大規模移住計画は、米国やヨーロッパ、他の世界の国々が、300万から400万人のハイチ人に対して、その門戸を開けようとしないから非現実的だろうと認めている。救済が可能なら、それは主にハイチ国内で行われなければならない。とFassはいう。さもなければ、世界はより不安定になり、より多くの暴力が起こり、他のカリブ海の沿岸地域や米国へのボートピープルの殺到が起こるでしょう。
 ハイチの農業の基本であるキブツ方式を復興させることは、ハイチ人にとって親しみのもてることでしょう。ハイチではその伝統の「コンビット」*により、人々は収穫や植え付けや子供の世話や料理などの仕事を、相互に分かちあってきました。とSoukarはいう。ハイチの政府は早急に、ポルトープランスから郊外への大量脱出に抗う流れをつくる行動をしなければならない。人々に(ハイチに)残る勇気を与えるよう、資源を供給しなければならない。と彼はいう。「私たちはここハイチでの物事のやり方を抜本的に変えなければならない」とSoukarはいった。-
*ハイチの人は、どちらかと言えば単独ではなく他の人と一緒に働くのが習慣で、これを現地ではCombit(コンビット:協働)という。

ハイチ地震レポートNo.25

日本政府は、ハイチへの国連平和維持活動(PKO)に自衛隊を派遣することを閣議決定し、6日に第一陣160人が日本を出発した。
 地震発生から3週間が過ぎたが、いくつかの報道を見ても、まだ水や食糧、医療が届いていない被災者が数十万人もいるという。まだ、緊急救援を第一とする応急対応のフェーズと言える。
 先日、日本の国際緊急援助隊医療チームとしてハイチに派遣され、医療活動をされた看護師中井隆陽さんの現地報告会が大阪で開かれたので、聞かせていただいた。
 同医療チームは、スリランカの兵士に守られながら、看護学校の敷地にテントを張って18日から25日の1週間医療活動をし、534名の被災者の治療にあたられた。ほとんどが骨折などの外傷とのこと。これまでに充分な医療環境にないため、傷口が悪化し、大腿部から切断という大がかりな手術を必要とするケースもあったとのこと。乾季であることから朝方は20℃くらいで、日中は30℃を超す暑さにもなる。幸いこの看護学校は壊れているものの、水とシャワーは確保できたということで生活環境は最悪な事態を免れたようだ。そしてこの看護学校の学生が、献身的に手伝ってくれ精神的にも随分助けられたと中井さんは感謝されていた。
「レオガンの人は落ち着いている。」「持って生まれた明るさがあるようだし、自分たちで何とかしよう!というエネルギーを感じられる。」「生き抜く生命力を感じる。」などと中井さんはハイチ人のことを見ておられたが、ほんとに自分たちで変えて行くんだ!という振る舞いがあちらこちらで見受けられ、「勉強になり、感謝している。」ハイチの人たちにお礼を言いたいとおっしゃっていたのが印象的だった。「自助」「共助」で、次のフェーズ「復旧・復興」に早く移行できることを祈りたい。
以下は、23号から紹介しているニュース(THE JAPAN TIMES/Michelle Faul ポルトープランス AP)の続きである。
-ハイチ人が震災後の米軍介入を歓迎しているように見えるが、それが何の前兆なのかと心配する人もいる。「ハイチにマーシャルプランが必要だというのは事実です。しかし、何のために?」とソーカー氏は言う。彼はハイチのエリートを非難する。主に、明るめの肌の少数派だ。彼らには、競争力あるハイチを作ることへの関心はない。
 「これらの人々は、災害から私腹を肥やそうと、組織化する苦しみの中にいる人たちだ」とソーカー氏は言う。オバマ氏はこう約束した「1億ドルを彼らの手に」。
 ハイチ系アメリカ人で、ホテル経営者・ミュージシャン・コメンテーターであるリチャード・モース氏は、ワシントンとハイチ内の同盟者の利益は衝突すると言う。「ワシントンは民主主義を望んでいる。自由主義マーケットを、安定性を望んでいる。しかしこれらは、ハイチの90%の金を支配する同盟者の利益と相反するものである。彼らは独占によって富を蓄え、人口の80%を読み書きが出来ないままにし、安い労働力として提供しようとしている」
 ソーカー氏は米国の支援がかならず生産的な集団(例えば農家など)に渡るようにしなければならないと言う。外国の食糧を輸入し、農業生産を激減させ
てきたような輸入業者には渡してはいけないと。ハイチは、アメリカ産米の輸入業者が農民を強制的に都市に移動させるまでは、主要作物である米については自給自足してきたのだ。-

ハイチ地震レポートNo.24

いま、クワテモックが活動している病院の近くの人がインターネットを使えるようにしてくれたようで、「これで写真も送れるよ!」と言ってきました。以下彼からのメールです。
「私が活動しているところはレオガンのCardinal Leger病院の敷地です。この病院はカトリックのシスターによって運営されていました。病院は崩壊しましたが、国際スタッフによってテントでの治療が施されています。そのキャンプは”Ayuda a Haiti”(ハイチ支援)という名前のドミニカのNGOネットワークによって設置されました。最初はドミニカ人とハイチ人しかいませんでした。時間が経つにつれて、キャンプ内の人口は増え、現在はドイツ人、カナダ人、フランス人、アルゼンチン人、スペイン人、そして私たちがいます。多くは医者、看護師、救急医療隊員で、それ以外の人々は様々な活動を支えています。
キャンプはラファエル氏というドミニカ人が統括しており、現時点では私は二番目の責任者です。私は日々の活動の調整、キャンプ外の会合への参加などを色んな病院の人々と共に行っています。(病院というより医療キャンプといったほうが良いかもしれません。それら病院も崩壊しましたから。)国連人道問題調整所(OCHA)で市長との会合に参加しましたが、私は唯一、コミュニティーに通い、人々と結びつき、各種組織(例えば、農民、女性、組合など)を探している人でした。ですから、私たちはそういった組織を支援することや、ローカルな社会的ネットワークを再構築する支援ができると思います。
私は他の皆さんと同じようにテントで暮らしています。私たちの場所にはトイレや井戸があり幸運です!水があります!私たちの医療施設では、日々約700の診察が行われ、救急車サービスとして我々の場所にはない医療設備を持った他の施設に患者を移動させたり、自力では帰宅できない患者(けが人、高齢者、最貧困層・・・)をコミュニティーに送ったりしています。またモバイルクリニック(移動診療所)もやっており、レオガン周辺の多くのコミュニティーに直接でかけ、支援の届いてない地域や主要幹線道路から離れた地域であるが同じように重要な支援必要性があるところで支援をしています!
(中略) 土曜日に私が訪問したことがあるコミュニティーの代表たちと会合を開き、復興支援事業について話し合います。いずれにせよ、どの場所でも緊急に支援が必要なのはテント、食料、水です。プロジェクトについては、そのミーティングの後にあなたにお伝えできると思います。」        (現地時間 2月5日 クワテモックより)
以下は、23号で紹介している英字新聞(THE JAPAN TIMES)の続きです。
(Michelle Faul ポルトープランス AP-続き)
 米国のオバマ大統領は、ハイチを作り変えることを約束した。南米国際危機グループのマーク・シュナイダー氏によると、その誓約は米国が「ひとつの被災国に対するかつてない規模の金銭的支援」をすることを含んでいる。合計数十億(ドル)、10年以上にわたって。
 オバマのトップアドバイザー、元大統領のクリントン氏はこう言う「ハイチは過去の鎖を裁ち切り、真に現代的な国家を作る最高の機会を得たと、ハイチを見守っている人は信じている」。
 しかし、過去の米国のハイチへの介入は大きく失敗してきた。ワシントンは1915年から1934年に渡って政権を執った軍事政権を投入し、腐敗した残忍なデュバリエ一族を独裁者として支援した。デュバリエ政権は1956年から1986年まで続くが見て見ぬ振りをした。キューバの共産主義への防波堤だったからだ。
 1994年にクリントンは軍事政権追放のため、軍隊をハイチへ派遣。民主的に選出されたアリスティド大統領を復帰させた。元聖職者で、ハイチの貧しい人たちの救済者を自称するアリスティドはクリントンの政策が自身のクーデタをしかけたと非難、2004年国を追われることになった。
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ハイチ地震レポートNo.23

昨日、クワテモックに電話を入れて彼が今どのような活動をしているのかについて少し聞いてみました。彼はレオガンの壊れた病院の敷地を拠点にして、周辺7000人ほどのコミュニティの調査を始めたようです。近々、そのコミュニティにいる20人のキーパーソン(日本でいう町内会長)を集め、それぞれに現状などをヒアリングし、緊急にこのコミュニティには何が必要なのかを探りたいと言っていました。
 また、先日からラジオ関西から呼びかけている「神戸からハイチへ 応援メッセージを送ろうキャンペーン」に寄せて頂いているものを、随時彼に送信してきましたが、そのメッセージは、すでに2つのラジオ局で収録され、3つの番組で流されたとのことです。どなたのメッセージが紹介されたのかまでは確認できませんが、ご協力して下さったみなさま、ありがとうございました。その後の状況については、次回のメールを待つしかありませんが、クワテモックの安全もお祈りして下されば光栄です。
さて、一昨日、ある研究会で頂いた英字新聞(2010/1/28付)にハイチ地震の記事があり、「地震がハイチに変化のチャンスをもたらした」という小見出しが目についたので翻訳して貰いました。大変興味深い、かつ刺激的な視点で書かれており、こういう見方もあるという意味で知っておく必要があるのではないかと思いましたので、何回かに分けて紹介します。
(Michelle Faul ポルトープランス AP)
大地震は多くの国々を打ちのめすに足るものだった。しかしハイチの恐ろしい死者数と被害は、リーダーシップの弱さと外国勢力に導かれた悪政の歴史に原因を辿ることができる。外国政府と援助機関とが長くこの地を牛耳ってきたのだ。
ハイチにおける災害の歴史の中で最新となるこの地震は、この流れを変えるまたとない機会となる。研究者は革新的な解決方法を提示する。
 ハイチの政治コメンテーター、マイケル・ソーカーは、首都からの多数の航空便の利便性を活かして、イスラエルのキブツに習った農業コミュニティを創ることを提案する。
テキサス大学のサイモン・ファス教授は、19世紀のアイルランドの大飢饉による移住を例に挙げる。多数の海外移民が出れば、人口増加により悪化している環境から脱することができる。
 いずれの学者も、ハイチを事実上の暗黒時代から救い上げるためには、ハイチ人が自分達自身を助けることのできる、民主的機構を強化することだと考えを共にしている。