ハイチ地震レポートNo.31

通信事情が悪い中、クワテモックさんからレポートが届いています。今までの内容と重なるところもありますが、ご了承下さい。
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 以前にあなたにお伝えしたとおり、ハイチにきている援助のほとんどはポルトープランスで止まってしまって、他の地域にはほとんど助けが来ていないので、私はレオガンの地域を選びました。それに加えて、ここは地震の震源地の地域です。ここでは80から90%が破壊されています。それに、レオガンの周りには、いくつもの農村地域や、半農村地域があります。これらの地域では救援活動はもっと少なくて、わずかな援助しか届いていません。現在までに、何団体かの大小のNGOがやっとこの地域に到達しました。これはよいことです。
前にも伝えましたが、私はAyuda a Haiti(ハイチへの支援)と呼ばれているキャンプに拠を構えています。このキャンプは、ドミニカのNGOのネットワークによって設立されました。彼らは地震の2日後から治療を行っています。これは彼らが(ハイチの)一番近い隣国であり、ハイチと島を分けているからです。なので彼らは、空港がアメリカに占領されていても、陸路で一番に到着することができたのです。私は、救援活動に来た他の大勢の大勢の人々と同じように、ドミニカ共和国を通してハイチに入りました。
これまでに、私たちは12のコミュニティの中で働いてきていて、1万人以上の人に到達しています。私はレオガンの周辺のコミュニティで連日のように活動しています。私の存在はここではとてもとても大きな助けになっています。なぜならば、キャンプを運営している人々は、全ての人が善意で来ていて、懸命に手助けをしようと来ているのですが、過去に救援活動に携わった経験を持たない人々だからです。キャンプのリーダーは、Rafael Tavaresと呼ばれている、熱血ドミニカ人です。私がここに到着した時には、彼らは崩壊した病院の現場で、診察を行っているところでした。そして、私はコミュニティと連絡を取り始め、キャンプ外での活動が始まりました。OCHAでの会議で、私たちの活動を報告したとき、他のチームもこの種類の活動を始めました。それはすばらしいことです。私たちは人々が歩みを進めるのを後押ししています。
また、これまでに私たちは地元のコミュニティ及び団体と強い結びつきができています。孤児院3件、高齢者と障がい者の養護施設1件とも密接に活動しています。つまり、私はもっとも弱く傷つきやすい人々―子ども、お年寄り、障がい者―の支援を試みているのです!私は一人一人を結び付ける「連絡役」として活動してきました。言い換えれば、他の人を必要としている人々と、彼らを助けることのできる人々とをつないでいるのです。
 この地における問題は圧倒的で、全てを解決することはできません。だから対象地域を選ばなくてはなりませんし、そこでさえ、人々が直面している最も重要なニーズのいくつかを解決すること、あるいは解決しようと試みることしかできません。レオガン周辺の農村地域、半農村においても、破壊は都市部と同様に重大です。しかし住宅は隣接しておらず散在しているため、一見して被害を理解することは容易ではありません。歩きまわって人々に話を聞けば、いかに被害が深刻かわかります。住民は通常の生活に戻ろうと試みていますが、多くの場所では水道が壊れていたり、畑で育てるための種を失ってしまったり、家を含め全てを失くしてしまっているのです。
レオガン地域に残された唯一の医療機関は私たちが活動していた病院です。しかしこの病院も、カトリックのシスターによって運営されているとは言え「私立機関」です。診療報酬は労働者の平均的な月給のと同等です。それゆえ、ほどんどの人は病院に行けるだけのお金がありません。病気になったり何かしらの治療が必要な場合は、首都ポルトープランスまで行かなくてはなりません。だから、もしレオガンに公立病院がなければ、コミュニティには医療機関が無いということなのです。必要な場合には、コミュニティの人々はポルトープランスまで行かなくてはならないということです。
                 クワテモック
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