ハイチ地震レポートNo.24

いま、クワテモックが活動している病院の近くの人がインターネットを使えるようにしてくれたようで、「これで写真も送れるよ!」と言ってきました。以下彼からのメールです。
「私が活動しているところはレオガンのCardinal Leger病院の敷地です。この病院はカトリックのシスターによって運営されていました。病院は崩壊しましたが、国際スタッフによってテントでの治療が施されています。そのキャンプは”Ayuda a Haiti”(ハイチ支援)という名前のドミニカのNGOネットワークによって設置されました。最初はドミニカ人とハイチ人しかいませんでした。時間が経つにつれて、キャンプ内の人口は増え、現在はドイツ人、カナダ人、フランス人、アルゼンチン人、スペイン人、そして私たちがいます。多くは医者、看護師、救急医療隊員で、それ以外の人々は様々な活動を支えています。
キャンプはラファエル氏というドミニカ人が統括しており、現時点では私は二番目の責任者です。私は日々の活動の調整、キャンプ外の会合への参加などを色んな病院の人々と共に行っています。(病院というより医療キャンプといったほうが良いかもしれません。それら病院も崩壊しましたから。)国連人道問題調整所(OCHA)で市長との会合に参加しましたが、私は唯一、コミュニティーに通い、人々と結びつき、各種組織(例えば、農民、女性、組合など)を探している人でした。ですから、私たちはそういった組織を支援することや、ローカルな社会的ネットワークを再構築する支援ができると思います。
私は他の皆さんと同じようにテントで暮らしています。私たちの場所にはトイレや井戸があり幸運です!水があります!私たちの医療施設では、日々約700の診察が行われ、救急車サービスとして我々の場所にはない医療設備を持った他の施設に患者を移動させたり、自力では帰宅できない患者(けが人、高齢者、最貧困層・・・)をコミュニティーに送ったりしています。またモバイルクリニック(移動診療所)もやっており、レオガン周辺の多くのコミュニティーに直接でかけ、支援の届いてない地域や主要幹線道路から離れた地域であるが同じように重要な支援必要性があるところで支援をしています!
(中略) 土曜日に私が訪問したことがあるコミュニティーの代表たちと会合を開き、復興支援事業について話し合います。いずれにせよ、どの場所でも緊急に支援が必要なのはテント、食料、水です。プロジェクトについては、そのミーティングの後にあなたにお伝えできると思います。」        (現地時間 2月5日 クワテモックより)
以下は、23号で紹介している英字新聞(THE JAPAN TIMES)の続きです。
(Michelle Faul ポルトープランス AP-続き)
 米国のオバマ大統領は、ハイチを作り変えることを約束した。南米国際危機グループのマーク・シュナイダー氏によると、その誓約は米国が「ひとつの被災国に対するかつてない規模の金銭的支援」をすることを含んでいる。合計数十億(ドル)、10年以上にわたって。
 オバマのトップアドバイザー、元大統領のクリントン氏はこう言う「ハイチは過去の鎖を裁ち切り、真に現代的な国家を作る最高の機会を得たと、ハイチを見守っている人は信じている」。
 しかし、過去の米国のハイチへの介入は大きく失敗してきた。ワシントンは1915年から1934年に渡って政権を執った軍事政権を投入し、腐敗した残忍なデュバリエ一族を独裁者として支援した。デュバリエ政権は1956年から1986年まで続くが見て見ぬ振りをした。キューバの共産主義への防波堤だったからだ。
 1994年にクリントンは軍事政権追放のため、軍隊をハイチへ派遣。民主的に選出されたアリスティド大統領を復帰させた。元聖職者で、ハイチの貧しい人たちの救済者を自称するアリスティドはクリントンの政策が自身のクーデタをしかけたと非難、2004年国を追われることになった。
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