ハイチ地震レポート No.42

新聞で読まれた方もいらっしゃると思いますが、ハイチの復興支援におけるある取り組みをご紹介します。
4月27日の朝日新聞に、医療NGOのAMDA(岡山市)が、ハイチ国境に近いドミニカの街に義肢支援センターを立ち上げるという記事が掲載されました。
(関連ページ:http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000001004270001)
この施設のセンター長として赴任されるのは、義肢装具士の29歳の日本人男性です。この方はJICAの青年海外協力隊の隊員として、ドミニカで活動された経験があるそうです。ハイチ政府によると、この地震で手足を失った人は4000人と言われており、同センターでは今後2年間で300人に義肢を提供される予定です。手足を失った人々は、命を取りとめたことは幸いと思いながらも、精神的なショックを受け止めきれないことがあります。身体が不自由になりそれまでの仕事ができなくなるなど、生計にも影響を与えます。義肢には、そのような人々を精神的にも、身体的にもサポートする役割が期待されます。
さて、この取り組みでもう一つ期待されることは、現地の技術者の育成です。義肢作りの技術を現地のスタッフが習得すれば、これは職業訓練としてもたいへん意味のあることだと思います。2年のプロジェクトが終わった後も、彼らはその技術によって生計を立てられるでしょう。ハイチは震災の前から経済的な困難を抱えており、仕事が無い、失業者が多いという問題がありました。今後の復興、生活の再建という面に目を向けると、人々が生計を立てるための「仕事」は欠かせない課題です。義肢作りのように、被災地のニーズに被災者自身が対応していくなかで、それが職業能力の開発につながったり、さらに仕事の創出になれば、ハイチの復興にとって大きな力になるのではないでしょうか。
「仕事」のエピソードについては、CODEメキシコ人スタッフのクワゥテモックさんも、WFP(国連世界食糧計画)の「フード&キャッシュ・フォー・ワーク」の様子を伝えてくれました。緊急の食糧配布の段階から、仕事と食糧をからめて農業の復興やマーケットの活性化なども含めた長期的な支援を始めているようです。
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<クワゥテモックさんのメールより>
WFPはコミュニティ対象に、「フード&キャッシュ・フォー・ワーク」(労働の対価としての食糧と現金)というプログラムを行っています。コミュニティの人々は、井戸掘りや、洪水防止の溝掘りなど、そのコミュニティが必要とする作業を仕事として行うことができます。労働の対価として、60%は食糧で、40%は現金で受け取ります。
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CODEも、耐震のモデルシェルターの建設を通して現地の方々に技術を学んでもらい、また、そのシェルターを職業訓練施設として利用してもらうといったプロジェクトを考えています。
働くことの報酬はお金を得ることだけではありません。仕事を通して得られる生きがいや自信、自尊心については、被災者に限らず、私たちがふだん身近に感じていることでもあるでしょう。

ハイチ地震レポート No.41

CODEメキシコ人スタッフ、クワゥテモックさんは現在も被災地レオガン(Leogan)を拠点に活動しており、最近は周辺の孤児院への訪問を活発に行っています。地震で建物が倒壊してテントや簡易のシェルターで活動している孤児院も多く、安全な施設の再建が課題となっています。
クワゥテモックさんは訪問先の孤児院でニーズをヒアリングしたりお遊戯やゲームなどを行っていますが、直接ふれ合って遊ぶことで子どもが元気になっていっているようです。このような活動の内容をさらにふくらませ、子どもが楽しみながら学べる防災教育を広めていけるのではないかとも考えています。
彼からのレポートを抜粋してお伝えします。
写真は孤児院の様子を写したものです。
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●4月14日
グレシエ(Gressier)からプティ・ゴアーブ(Petit Goave)までの間(距離約40km)に26の孤児院があり、それらは皆重大なニーズを抱えています。いずれも地震で被害を受け、死者や負傷者が出たところもあります。そこに住んでいる子どもたちは、地震の前と後、二度の被害者だと言えます。
ハイチのような国では、人口(960万人)の約半数が18歳未満で、子どもは最も重要なグループです。貧困と困窮の状況を併せて考えると、孤児院の役割がより良く理解できるでしょう。孤児院は本当の孤児だけでなく社会的孤児、つまり両親がいるにもかかわらず、子どもを養うことができずに孤児院に捨てられた子どもも世話しているのです。だからこれほど多くの孤児院があり、重要な役割を担っているのです。
孤児院のいくつかは、色々な機関から大きなサポートを受けていますが、政府からの支援を受けているところはありません。孤児院が受けているサポートは全てNGOからのものです。
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●4月15日
昨日、私の友人がアラスカからハイチにやって来ました。彼は毎年メキシコに来て、私の活動団体の子どもたちと遊んでくれている人です。彼はジャグリングがうまく、これを子どもたちに教えて一緒に楽しんでいます。私は彼をレオガン(Leogan)の3つの孤児院に案内しました。もちろん彼はすぐに子どもたちと活動を始めました。
また、キャンプで子ども相手に活動している人達に向けてセミナーを始めました。心理教育的なツールをもっと使って、より良い活動ができるようになるためです。3日間行う予定で、これまでのところ、とてもうまくいっています。
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クワゥテモックさんが訪問している孤児院の詳しい情報については、今後も随時ご報告してまいります。

ハイチ地震レポート No.40

1月12日のハイチ地震発生から3ヶ月あまりが過ぎました。
120万人が避難生活を余儀なくされていると言われており、住宅支援は緊急の課題となっています。
震災後、各支援団体がシェルター建設を進めてきており、また、日本政府も9000戸のシェルター建設を予定しています。現在ハイチにいるCODEのクワゥテモックさんも参加している「シェルタークラスター」(被災地でシェルター関連の各支援機関が情報交換を行っている調整会議)のまとめでは、4月12日時点で緊急シェルター(Emergency Shelter)の普及率は96%となっており、数字だけ見ると比較的高いようにも感じられます。
※原文ページ(英語):http://www.reliefweb.int/rw/rwb.nsf/db900sid/LYLN-84GN4Q?OpenDocument&emid=EQ-2010-000009-HTI
一方、現地で活動している支援団体の報告によると、数万人規模の大きな避難民キャンプには頑丈なテントが配給されているものの、テントの行き届かない小さな避難民キャンプでは棒にぼろ布を掛けた粗末なテントに暮らしている人もいるそうです(4月21日の毎日新聞)。
ハイチでは、これから本格的な雨のシーズンが始まります。ぼろ布で作った仮の小屋では風雨をしのぐことはできず、ハリケーンが来ればひとたまりもありません。ハイチでは2008年のハリケーンで100名以上の死者が出ていることからも、地震や風雨への耐性を備えた住宅の建設が、新たな被害を出さないために重要となってくるでしょう。
さて、以前のレポートで家を失った50万人が首都郊外などに移住するというニュースに触れ、その移住先で住民どうしのすばらしい助け合いも生まれていることをお伝えしました。もともと住んでいた人々が移住してきた人々を受け入れ、家族のようなコミュニティを築いている場所があるのです(レポートNo.39)。また、テントや仮設住宅、上記のような移住とならんで「ホストファミリー」が、家を失った人への対策として重要な役割を担っているようです。親戚や友人ならともかく、それほど付き合いの深くない人や見知らぬ人だとすると、日本ではあまり想像できない手段ではないでしょうか。そんな支え合いの仕組みがハイチの被災地で生きています。

ハイチ地震レポート No.39

3月25日の神戸新聞によると、ハイチ大地震後1年間の緊急人道支援として、国連が国際社会に要請した14億ドル(約1265億円)のうち現在までに半分しか集まっておらず、3~4ヶ月後に食糧支援に影響が出る可能性があるとの指摘があるそうです。
通常、災害後の緊急支援要請額は半分以上が食糧支援に充てられますが、このような状況では基本的ニーズさえも満たされず、復興がままならないという恐れも予想されます。
こうした報道の一方で、また、ハイチ国外からの支援を取り上げる報道が多い中、ハイチの住民どうしのすばらしい助け合いも生まれています。被災地から移住してきた人々を受け入れ、互いの尊厳を大切にして
家族のようなコミュニティを築いている場所があるというのです。
このようなニュースを先日のハイチ地震レポートNo.37で一部ご紹介しましたが、全文を「CODE World Voice~災害から見る人々のくらし~」にアップしましたのでご紹介します。
長文ですがぜひアクセスしてご覧下さい。
下記は冒頭の抜粋です。
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家族的な感覚で:同胞を支えるハイチ人の地道で地元に根ざした取り組み
情報源:Church World Service(CWS)
家が被災し収入を失ったという現実に直面して、Fontil Louiner(人名)と24人以上の家族と友人は、土地を手離してハイチの首都ポルトープランスを離れるしか選択肢がないと考えた。
「私達には他の選択肢はなかった。とどまってはいられなかった。」と39歳のビデオ映像技師である彼は言った。彼はArtiboniteの北部の県にある故郷のPetite Riviereに最近戻ってきたのだ。
しかしLouinerは戻ってきて、Petite Riviereでの一日500食の給食プログラムの立ち上げに協力することによって、拡大しているポルトープランスからの脱出者の一員になった。それだけでなく、ハイチの人々を支援する国際的な支援従事者達の最近の映像と体験談が急増していた中でしばしば見落とされてきた物語の一部になった。
これらの映像と話は最近ハイチで起こった地震への国際的な対応の現実の一部を伝えるものであるが、別の現実はしばしば部外者には無視されている。それはこのように同胞であるハイチ人を支えるLouinerのような地道で地元に密着した取り組みをするハイチ人についてである。
続きはこちらからご覧下さい↓
http://codeworldvoice.seesaa.net/article/144614351.html
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ハイチ地震レポート No.38

 前号では、被災移住者を受け入れている地域で繰り広げられている感動的な支えあい活動を紹介させて頂きました。
 ハイチの歴史を知る人たちの中には、「ハイチの国をダメにしてきたのは、外国が介入してきたことが原因だ!」と分析する方もおられます。そう言えば2004年のインド洋沖地震津波災害の時にも、インドネシアのバンダ・アチェに海外からの大量の支援が入り、アチェの人々の主体性を損なったという指摘もありました。地元のNGOなどは相当な怒りを露わにしていました。この後、NGOはじめ国連も含めて海外からの援助機関は、災害後の支援のあり方について随分と議論もされたようです。
その後インドネシアの中部ジャワ地震の時には2004年の失敗が生かされ、被災地に当事者主体のネットワークがすぐに立ち上がりました。この2004年の津波災害の時には、CODEはスリランカに入りその後支援プロジェクトを展開してきましたが、正直インターナショナルNGOと言われる大きなNGOが現地で展開していた支援プロジェクトを見て唖然とさせられたことを思い出します。ある漁村に言って、漁師と話していると「(我々に対して)あなたたちは私たちに何をしてくれるのですか?」と聞かれました。初対面で初めて会ってまだ何も話しも聞かせて貰う前のことです。「えっ、どうしてですか?」と聞き直したら、「○○のNGOは、船も、漁具も、仮設住宅も提供してくれた。次はあそこに恒久住宅も提供してくれる!」と遠くの丘を指さして説明されるのです。「そうですか、私たちは小さな小さなNGOですから、申し訳ないですが阪神・淡路大震災の経験しか語れないのですよ。これKOBEから持ってきたハンド・クラフトだけどよかったらどうぞ!」って、阪神・淡路大震災の被災者が作っている”まけないぞう”をおいて帰りました。そのとき、その漁師はすぐに椰子の木にの登って、椰子の実を採ってくれ、その場で切って、飲ませてくれました。きっと通じたと思いました。
 さて、丁度先日19日から21日まで神戸で「世界災害語り継ぎフォーラム」が開催され、初日のオープニング・シンポジウムに登壇されていたバングラディシュのムハンマド・サイデュール・ラーマンさん(バングラディシュ災害予防センター所長)が、「海外からの支援はほんとに被災者地震をエンパワーするものになっているかどうかを考えなければならない!」というような発言をされていたのが印象的でした。
 今回のハイチ地震では過去に経験しない、首都が壊滅状態になるという大規模な被害となり、しかも被災地からの国内移住者が約50万人にも達するという事態に戸惑いを隠せないのも事実でしょう。しかし、世界中の叡智をハイチに投入すれば、ハイチの再建は可能であり、しかもこれまでにない理想的な災害からの再建を築くことができると願っています。いま、しばらくハイチを見守りましょう!!
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FMわぃわぃは、ミュージシャンのソウルフラワーユニオンと協力して、ハイチ地震で大きな被害を受けたコミュニティラジオ局の支援活動を始めます。ソウルフラワーユニオンの特製Tシャツ「HAITI HEARTS CONNECTED WITH US!」(私達の道は、ハイチの人々の心と繋がってる)の売上金(一枚3,000円)の一部を、FMわぃわぃを通じてハイチ地震で壊滅的な被害を受けたコミュニティラジオ局に届け、一日も早くハイチの人々に希望の音楽を届けてもらおうという活動です。
購入方法など詳しいことは、3月22日(月)12時からの番組「まちはイキイキきらめきタイム」にソフルフラワーのヒデ坊こと伊丹英子さんが生出演しました(12時5分-12時15分・担当/吉富)ので、番組内でお知らせもしました(http://www.tcc117.org/fmyy/index.php?e=669#more)

ハイチ地震レポート No.37

去る20日、岡田外務大臣は31日にニューヨークで開催予定の支援国ドナー会議を前に、滞在時間6時間という超強行スケジュールの中ハイチを視察されたようです。
ハイチ地震から2ヶ月余りが過ぎ、被災地ではまだガレキが山積みになっているという報道もあり、そして未だに家をなくした人たちにビニールシートさえ配られないという状況も見られるようです。あまりにも甚大な災害となったために、いろいろな事柄がこれまでには未経験のこととして被災者を襲うことで不安を増長させることが心配です。
他方、地震後首都ポートプランスを離れて地方に移住された方々が約50万人にものぼるようですが、その移住先ですばらしい支えあいが生まれているというニュースが入りましたので紹介します。これはCODEの翻訳ボランティアの方がChurch World Serviceが出しているレポート(3月10日)から見つけたものです。
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地震の発生と、この数週間で約8,000人とも言われる人々がPetite Riviereにやってくるというような突然の何千人もの人の到着という事態に対して、このラジオ局は草の根の活動としての給食プログラムを支援するため、市民の支持を盛り上げる役割を果たしている。CONHANEや他のラジオ局であるRTAと一緒に動いて、ファミリーラジオは食料の寄付や食料のための募金のアピールをだした。そのひとつはこんな感じだ。
「もしあなたのところが6人家族なら、ゴブレット(脚・台つきコップ)一杯の米を寄付して下さい。」
この取り組みはうまくいっており、地元の住民は米やその他の食料を持ち込み、ポルトープランスから移住してきた住民のために一日500食の食事を提供するための募金をしている。全員ではないが、移住者の多くはこの地方につながりがある。局の職員やボランティアたちはファミリーラジオの事務所やスタジオの近隣にある給食センターで食事を配っている。
「彼らがこの食事を必要としていることを私達はわかっている。そして職員やボランティアや支援者全員にたくさんの分かち合いの気持ちがある。」とLouinerは付け加えた。
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というもので、実はこのLouinerは被災者でもあるのです。
また、首都ポートプランスではハイチ政府によるガレキ撤去プログラムの活動風景があちらこちらで見受けられるようで、これは”cash for work”という手法でガレキを片づけるという仕事をして、賃金を得るというシステムです。ハイチでは商店なども機能しており、お金さえあれば最低限の生活必需品は購入できるようで、こういうシステムで被災者が復旧事業で働きながら稼ぐということが一定補償されれば、自らの力で暮らしの再建が可能になると思うのです。
このような二つの被災地の光景を見ると、海外からの支援のあり方というものを如何に被災者目線で、被災者主体で提案することができるのかが重要になってくるでしょう。

ハイチ地震レポート No.36

先日はハイチ地震から2カ月目でのコメントのようなものを書きました。ちょうど3月13日の「秋田さきがけ新聞」に、阪神・淡路大震災を経験された記者がハイチの首都ポートプランスから送った記事があり、「ハイチに宿る生の輝き」と言う先日のレポートと関連するような見出しだったので、思わず目に泊まりました。
ところでオバマ大統領は共同記者会見で「現地では惨状が続いており、危機が終わったという幻想を抱くべきではない」と述べ、地震から派生する新たな災害の可能性を警告、震災の復旧・復興に対する支援を約束し、ハイチの被災者が依然として、食料や医薬品を必要としているとした上で、「現在の課題は二次的災害を防ぐことだ」と強調したとのこと。しかしここで言う「二次的災害」とは、何を指すのか解らない。
これに対し、ハイチ・プレバル大統領は米国の支援に謝意を示すとともに、「ハイチで起きたことから教訓を低き出さなければならない」と主張。将来の災害に備え、救援を効率的に調整する国際体制を整える必要があると訴えたそうです。やはり「ハイチは輝いている」。だから、私たちはハイチの人たちを見守り続けましょう!

ハイチ地震レポートNo.35

ハイチ地震からちょうど2カ月が経ちました。被災地は緊急を要する「応急対応」の時期から、次の「復旧・復興」の段階に移行しつつあるようです。先日も、ハイチの大統領は、国際社会からの援助に対して、いつまでも救援物資などを投入しないで欲しい!と訴えていたのが印象的でした。そこにはハイチの国の自立がそがれるからというニュアンスを読み取ることができました。この大統領のアピールからは、決して傲慢さは感じませんでした。
このハイチ地震レポート20・21で、14年前の阪神・淡路大震災1年後の被災地からのメッセージを紹介しています。「いま被災地の市民は自ら”語り出す”、”学ぶ”、”つながる”、”つくる”、”決める”行動を重ね、新しい市民社会を創造していく力を養おう」と、これから押し寄せてくる困難に、長きにわたって立ち向かわなければならない覚悟をし、辛抱強く自分と向き合っていました。
地震から2カ月経ったハイチの「いま」からは、阪神・淡路大震災とは異なった、何か底力を感じるような、また心地よささえ感じるような振る舞いを見てとれます。振り返って見ると、阪神・淡路大震災の2カ月後では、被災者の多くはまだまだ、勇気を持って一歩踏み出すことは出来なかったのではないかと思えます。この違いは何だろう?と考えると、よく言われる典型的なラテン系の明るさだけでは説明がつかないようです。おそらく、中南米で最初に奴隷解放を成し遂げた歴史がもの語るように、短い期間かも知れないが、ほんとの自由を掴みかけたからこその強さではないかと学べるように思います。
日本のように「ぬるま湯」に浸かり過ぎて、ほんとうの豊さを掴み切らない状態から脱出するには、「いま」ハイチの人たちが生きている一日一日を見逃してはならないと思うのです。15年前、KOBEの私たちがいのちがけで体感した絆の大切さを、いまハイチの被災者も感じているでしょう。

ハイチ地震レポートNo.34

ハイチ地震について、様々な団体の救援活動をまとめてみましたので、ご参考までお知らせします。
●AMDA (2月9日時点)
http://amda.or.jp/
活動内容:ドミニカ側国境の町エリアスピーニャの視察を重ね、エリアスピーニャの病院HOSPITAL ROSA DUARTEなどと義肢支援プロジェクト実施にむけての調整を開始。さらに日本からの調整員の追加派遣を予定。
●ADRA(3月5日時点)
http://blog.canpan.info/adrajapan/category_4/(第15報)
活動内容:衛生設備のシャワー設備12カ所と仮設トイレ50カ所を設置。更に仮設トイレ10カ所を現在設置中。
・ツイッター、Facebookを使用。ツイッターでつぶやくと1円募金。
●国境なき医師団(2月18日時点)
http://www.msf.or.jp/
活動内容:医療支援と物資配布。
●ジャパンプラットフォーム(2月10日時点)
http://www.japanplatform.org/top.html
ICA、ワールドビジョン、JEN、NICCO、PWJに助成。
●ワールドビジョン・ジャパン(3月4日時点)
http://www.worldvision.jp/index.html
派遣人員:日本人1名駐在
活動内容:ゴナーブ島で6万5,000人の人々への食糧支援を行い、引き続きより多くの人々に食糧を届けることができるよう、支援を計画中。また、島内で運営しているクリニックへの支援を増やし、家族と離別してしまった子どもたちが家族に再会することができるよう、支援する予定。
●日本赤十字(2月26日時点)
http://www.jrc.or.jp/foreignrescue/l3/Vcms3_00001455.html
第1班はハイチの首都ポルトープランスで、約15,000人が避難生活を送るキャンプの隣に、1月24日からテント型の診療所を開設。簡単な手術を含め、1日約100人前後、2月17日までに計1,721人の患者を診療。避難生活が長引き、感染症が懸念される中、ハイチ政府と世界保健機関(WHO)はポルトープランスの被災者を対象に予防接種キャンペーンを計画し、赤十字が実施にあたった。診療所を受診するすべての外傷患者に破傷風ワクチンを接種。避難民キャンプではハイチ赤十字社のボランティアが接種を行い、日赤の医療スタッフはその活動をサポート。避難民キャンプでの予防接種を開始した2月6日から10日間で、21,865人に破傷風やジフテリア、百日咳、はしか、風しんといった予防接種を実施。
●日本ユニセフ協会(3月4日時点)
http://www.unicef.or.jp/
ユニセフに資金提供。
首都にあるシャン・ド・マルス公園で清潔な飲料水の提供、子どもたちへのはしか、風疹、破傷風、ジフテリア、百日咳の予防接種、トイレの設置、保護者と離れ離れになった子どもたちの発見・登録などの活動を展開。
他の人道支援団体やハイチ政府と協力して、避難キャンプでの暮らしを余儀なくされている授乳期の母親と新生児のために、母親が安心して赤ちゃんに母乳を与えることができる空間を確保した「赤ちゃんに優しいテント」を各地に設置。
●JEN(2月18日時点)
http://jenhp.cocolog-nifty.com/emergency/cat21785389/index.html
活動内容:引き続き、4000世帯を対象に、ツールキットとトタンの配布を行っている。
●ケア(2月11日時点)
http://www.careintjp.org/
活動内容:トイレを3,000 基設置するのに加えて、手洗い方法を教えるとともに、石鹸や洗剤などが含まれる衛生キットを提供。また避難キャンプから排泄物を取り除く。住居については、8,500家族(42,500人)のための仮設住居建設の準備を予定。
●ピース・ウィンズ・ジャパン(PWJ)(2月12日時点)
http://www.peace-winds.org/jp/act/haiti.html
活動内容:PWJも、住居を再建に向けて瓦礫を撤去するための道具やテントの配布の準備を進めているほか、倒壊した学校の再開支援を実施するための調査を続行中。
●グッドネーバーズ(3月2日時点)
http://www.gnjp.org/
派遣人員:日本からスタッフ派遣中。
活動内容:ポルトープランスに散在するスラム地域で4000人を対象に食料や防水シートの配布を予定。
●プラン・ジャパン(2月26日時点)
http://www.plan-japan.org/topics/100113hait-eq/index.html
仮設テント1,000張や経口補水塩を支給。子どもたちが安心して学び、過ごせる場として仮設学校と「子どもにやさしいスペース」の準備を進めている。組み立て式の大型テント60張は、数十人の子どもたちが学び・過ごすには十分な広さを備え、7~10年は耐えうるもの。3月中旬に組み立てを行い、4月1日から仮設学校を開始予定。
●AAR(難民を助ける会)(2月9日時点)
活動内容:支援の特に行き届きにくい女性100人に食料を配布。
●NICCO(日本国際民間協力会)(2月25日時点)
http://www.kyoto-nicco.org/
活動内容:NICCOは今回の第2期の事業では、シェルター建設のための資機材の配布と、避難所へのトイレの設置を行う予定。
●チャリティプラットフォーム
ハイチ大地震への緊急支援への募金募集開始。集まった募金は、下記5団体へ。
ADRA、世界の医療団、シビックフォース、難民を助ける会、ピース・ウィンズ・ジャパン
https://www2.charity-platform.com/project_donation.php?id=52
●世界の医療団(MDM)(2月25日時点)
http://www.mdm.or.jp/
医療援助実施。
●シビックフォース(2月15日時点)
http://civic-force.org/
活動内容:日本国内に備蓄しているエマージェンシーテント(緊急避難用テント)を現地に送る予定。(2月15日でスポンサー締め切り)
●イーココロ
http://www.ekokoro.jp/urgency/urg-6.html
募金を呼びかけ中。集まった募金は13団体へ。
●セーブザチルドレンジャパン(2月25日時点)
http://www.savechildren.or.jp/
活動内容:赤ちゃんの命を救うために必要な保健や栄養の知識を、クレオール語(ハイチの現地語)の歌にのせ、ラジオを通してハイチの母親に伝える活動を開始。
●国連WFP協会(2月4日時点)
http://www.wfp.or.jp/info/feature.php?seq=158
WFPに資金援助。
WFPのハイチにおける緊急支援活動は、2010年末まで延長。
●ハビタット(2月17日時点)
将来的に瓦礫の撤去等が完了し環境が整い次第、復興支援として、新たな住居の建築を行っていく計画。
http://www.habitatjp.org/
●ホープインターナショナル(1月19日時点)
募金募集中。
http://www.hope.or.jp/
●ICA(特定非営利活動法人ICA文化事業協会)(いつの情報か不明)
震源地から南西に約10kmのプチゴアーブに出動し、1146世帯への食料支援を実施。
http://www.icajapan.org/icajapanj/newsJ.html

ハイチ地震レポートNo.33

昨日のクワテモックさんのメールの続きです。
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このような状況の中、ハイチで暮らすことは容易ではありません。どこに行っても破壊と痛みだらけです。しかし、復旧活動に励んでいる人々の姿もまた感じさせるものがあります。ハイチの人々は、ここで働いている海外の団体に対してとても感謝されています。
2人の子どもを亡くされた女性が私にこう言いました「地震は私たちに大きな不名誉と痛みをもたらしました……しかし、良いこともあります。あなたがここに来てくれたことです!」
小さな女の子が言いました「ここに来てくれてありがとう。今日天使に会えて、ずいぶん元気になりました。あなたに会えて良かった!」
子どもが言いました「私の周りにあるもの全てを誰かが全てを黒く塗りつぶしたような気持ちでした。全て真っ暗でした。でも、あなたは私の暮らしに色を取り戻してくれたのです」
そう、ここには痛みがあります。復興は長い長い道のりですが、CODEのおかげで、そして全てのNGOのおかげで、日本の方々のおかげで、ハイチと一緒に活動している世界中の皆のおかげで、今、希望が戻ってきているのです。
この絆を強めていきましょう。それが良い効果を生むのです。絆が魂を癒し、希望をもたらしてくれます。結束した活動は、他者への、そして自分自身への愛の表現となります。絆を大切にし続けましょう。
クワテモック
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