地震発生後、早くに現地のNGOネットワークが解散させられたことはすでに
触れました。しかし、ここにきて中国政府はまたNGOとの連携を試みようとし
ている様子が伺えます。CODE翻訳ボランティアが紹介する以下の記事で
は、「地震救援にNGOの智慧が試されている。これは中国NGOの発展の契
機になるのか?」とこのマスコミはコメントしています。日本では阪神・淡路大
震災後のボランティア活動が注目され、その後通称NPO法が成立しました
が、同じような経緯を歩みのか未知数ですが、興味深く読ませて頂きまし
た。長いので2回に分けて紹介します。
以下はCODE翻訳ボランティアからの提供です。
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≪ 綿竹市:救援サンプル調査 政府がNGOを救援体系に組み入れ≫
ぶん川地震以後、中国のNGO組織はこれまでにない情熱をもって救援活
動に力をいれている。この屈強な民間活力に対して、地元政府は疑問を持ち
つつもようやく受け入れる方向にある。災害に際して、政府とNGOが共同作
業を試みた。遵道鎮のボランティア協調事務所は、ボランティアが自主管理
するNGOの協調機構だ。そして政府が主導している救援活動の体系に組み
入れられている。これは被災地では特例だ。
地震救援にNGOの智慧が試されている。これは中国NGOの発展の契機に
なるのか?遵道鎮のボランティア協調事務所は注目に値する。
地震の重大な被災地である綿竹市遵道鎮。一間15平方メートルの仮設住
宅で毎晩8時ミーティングが行われる。ここにはリーダーはいない。あえて言
うなら、邱さんがその一人だ。22歳の彼女は遵道鎮団委の書記だ。その他
の22人は全国8の省市からやってきた。すべて救援ボランティアで20のNGO
(公民社会組織)に所属する。邱さんは鎮政府の会議にも参加し、ボランティ
アとの協調についての責任者となっている。
「民政ボランティア」。
羅世鴻さんは最初に自分をそう紹介した。鎮政府の邱さんはこれなら受け
入れやすいと思った。
5月15日、羅世鴻さんは貴州省からボランティアを率いてやってきた。3日前
の大地震で遵道鎮は廃墟となり、政府の建物も崩れた。救命活動、物資の
運搬、3日間眠る暇もなかった。邱さんも政府の職員もみんなそうだった。地
震の恐怖から覚めやらぬうちに、羅さんたちはやってきた。
羅世鴻さんは「NGO貴州高地研究所」の責任者で、もっともはやく遵道鎮に
入ったボランティアのひとりだ。彼は貴州の10のNGOを組織して遵道鎮にき
た。
「私たちはボランティアです。救援活動を手伝いにきました。」
「ここには食べ物も、たくさんの水もないんです。あなたたちにあげることもで
きないんです。」
「活動用のテントをひとついただけませんか?私たちは睡眠用のテント、水と
食料も持ってきています。」
邱さんは、羅さんの態度が誠実でまた多くの救援活動の経験を話してくれ
たことを新鮮に感じた。確かに政府には人手が必要だった。
羅世鴻さんは受け入れられたが、邱さんはまだボランティアと名乗る人たち
に対して警戒感をもっていた。この22歳の鎮団委書記のボランティアに対す
る概念は、学生時代の「老人ホームで掃除」的な知識のままだった。
鎮政府の大多数の職員にとっては、NGOは初めて聞く言葉だった。