中国四川省地震救援ニュース 66

CODE翻訳ボランティアさんによる昨日の記事の後半です。
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 ボランティアたちは次第に鎮政府の信頼を得た。遵道鎮党委書記の林建華さ
んは、最初はおそるおそるだったがようやくNGO組織は政府と協力して多くのこ
とをやっていけると思うようになった。
 「鎮政府はだた統一の基準に沿っていくしかない。ボランティアは特殊な要求
にも対応できる。」と林建華さんは言う。
 
 救援初期の活動は主に物資の分配だった。大量の救援物資が届くと、鎮政府
は戸籍に基づいて村単位に分配した。すべての被災者は統一の基準で配られ
た。 最初に大規模な物資の分配が行われると、邱さんは頭痛がした。物資の
分配はちょっとの不均衡があると被災者の不満を引き起こすのだ。
 15日の夜、羅世鴻さんの組織したボランティアたちはミーティングを開き、被災
者の需要について調査することにした。羅さんのボランティアたちは貴州の雪害
救援に参加したことがあり、比較的経験のある方だ。
 ボランティアたちは遵道鎮にある4つの避難所で、ごみが散乱し衛生問題が深
刻だと気付いた。また救援物資の中で粉ミルクと女性が使う日用品が不足して
いることがわかった。
 ボランティアたちは被災者を組織してごみの分類を行った。また羅さんは支援
者の基金会を設立し、早速7台の大型トラックが物資を積んでやってきた。
 粉ミルクなどが迅速に必要な被災者のところに届けられた。邱さんはボランティ
アたちの効率のよさにびっくりした。
 鎮政府とNGOはすぐに暗黙の約束を結んだ。一般的な物資は政府が人数割り
して分配する。特定の物資はボランティアたちが配分する。統一の基準を保ちな
がら特殊な要求にも応える。
 「政府が顧みる暇がないところを調べ、補う。」羅世鴻さんはこの約束を了解し
た。
 しかし、邱さんはボランティアの考え方とは必ずしも一致していないと考えてい
る。「ボランティアがもってきた外国製の粉ミルクは、ここの赤ちゃんには合わず
下痢している子もいる。洋服だってブランド物を買う必要はない。」
 ボランティアたちは都市からやってきていて、農村のことをあまりよく知らないと
邱さんは言う。
  5月18日、遵道鎮での活動におけるNGOは前進をした。遵道鎮ボランティア
協調事務所ができたのだ。ここは遵道鎮地震対策指揮部に組み入れられた。
 「これは中国NGO発展史に名を残すかもしれないね。」羅世鴻さんは興奮を抑
えきれずにいた。なぜならこのことはほかの被災地では見られないことだから
だ。
 羅さんは言った。「被災地のボランティアは混乱状態で、メディアにより重点的
の報道された地方にばかりボランティアの過度な注目が集まって、本当に必要
な地方には人がいない。多くのボランティアが情熱を持ってやってくるが、失望し
て去っていく。」
 これに対して、遵道鎮のボランティアは「幸運」という。彼らを支持する人たちの
基金会も財政が良好だ。
 17日、万科集団の救援隊がやってきた。これより前に万科は1億元を遵道鎮
に送ることを決定している。この救援隊と同時に、広東省の深せん登山協会も
やってきた。 これらの団体が力を合わせると、遵道鎮では無視することのでき
ない救援の力になった。
 18日午後万科救援総指揮の朱保全さんは党書記に「ボランティア協調事務
所」をつくることを提案した。 この提案は政府に受け入れられた。「私たちは情
熱をもってやってきたボランティアを失望のうちに去らせてはならない。」鎮党委
書記の林建華さんは言った。
 5月21日、万科の支援で政府の2棟の仮設を建てた。そのうちの一棟をボラン
ティアたちが使用することになった。羅さんは、固定した場所があると、ボランティ
アたちの活動が系統だったものにできると言った。
 NGO組織には広い範囲の交流がある。ボランティア協調事務所ができると、陝
西省、河北省、北京市などから連絡がきてボランティアが派遣されてやってき
た。
 羅さんは言った。「NGOは必ず政府主導のもとに活動を展開しなければなら
ず、活動の重点は政府が顧みることのできないことだ。」
 また遵道鎮以外のNGO組織について、政府と関係なく建てたテント学校が、天
気が暑くなってテントですごせなくなるなどという安全面でのデメリットがある。テ
ント学校は最終的には政府が管理すべきだ、と述べた。
 遵道鎮のボランティアは学校に行かれなくなった学生にも手伝いをしている。
定例ミーティングで山西省のボランティアが提出した「楽しい休暇」の発想が事
務所に採用された。 詳細な計画を立て、学習場所を林のなかの涼しく安全な
環境に設けることにした。
学習課程は娯楽要素を取りいれ楽しく教えた。子どもは家の人の許しを得て自
由に通った。
 この活動は政府に報告され、政府も参与して各村で「楽しい休暇」活動を行う
ように指示された。
 ボランティアは調査中、遵道鎮は年画と刺繍の里ということを発見した。しか
し、そのデザインや販売は外部で行われ、遵道鎮は印刷加工をするだけだという
ことがわかった。
 被災者の再建を支援するため、ボランティアたちは遵道鎮棚花村に刺繍テント
を建て、村で刺繍のできる女性を組織し、ボランティア協調事務所の名義で第1
回目の発注をした。ボランティアは年画の図案に刺繍も入れ、ボランティアの記
念章をデザインした。第1回発注は100で、ひとつ60元だ。
 羅さんはこのような予約発注は被災者の積極性を呼び起こすと言う。ボランティ
ア協調事務所はデザインの専門家のボランティアを集め、芸術工作室をつくる計
画だ。彼らの製品の開発を援助する。また専門の営業団体が市場での販売を援
助する。
 「ボランティアは被災者には替われない。方法を教えるだけだ。」ボランティアは
被災者の依頼心を促してはならない。以前は大量のボランティアをがやってき
て、被災者が自分でやるべきことを替わってしていた。例えば掃除やテントの設
営など。
 遵道鎮ボランティア協調事務所はこの1点に思い当たり、彼らの活動を「被災
民を助けて行う」から「被災者に教える」に変えていった。 羅さんによると、依頼
心を形成すると、再建活動に支障をきたす。将来政府の負担になる。
 羅さんの考えでは、ボランティア協調事務所は3年またはもっと長く活動する。
現在直面している最大の課題は専門ボランティアを招致し、分けて仕事を行うこ
とだ。 専門ボランティアは比較的長い期間従事してもらう。遵道鎮が必要とする
仕事を専門化し、それぞれわけて仕事を行う。ほかのすべてのNGO団体の指標
になるだろう。
 6月21日、基金会と綿竹市政府は成都で再建に関する討論会を主宰し、多く
の国際国内NGO組織と学術機構が参加した。遵道鎮ボランティア協調事務所の
話は例として繰り返し紹介された。
 四川省社会科学院社会学研究所の郭虹所長は、「再建段階でも多くのボラン
ティアの力が必要だ。そのボランティアは専門的な技術を持っている人たちが望
ましい。」とのかんがえを示した。
 郭所長は、「地震救援NGOの活動を見ると中国社会で公民意識が進んできた
と思う。大地震はNGOを前面に押し出し、NGOにとっては絶好の機会であるが試
練の機会でもある。」と述べた。
 綿竹市副市長は、「綿竹市政府では現在、遵道鎮でのNGOの活動をモデルに
し、綿竹市内で広く推し進めるための討論をしている。最大限度の社会資源を
使って綿竹市の経済再建を加速させていく。」と述べている。
 (7月2日 新京報)
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